明るい悩み相談室に言えない悩み Mr.Indigo
- 2018.09.30 Sunday
- 23:38
台風なので息子の遠足は中止になるとのことだった。
延期でなく中止なのがやや可哀想ではあるが、仕方が無い。
「それにしても今年は台風直撃が多いですねぇ」
「そうですねぇ。困ったもんです」
そんな会話をして電話を切った。
さて、次の相手――大島さんに電話をしなければならない。
大島さんの息子さんは、うちの子といつも一緒に遊んでくれている。
電話をかけると、呼び出し音はするものの出てくれなかった。
忙しいのだろうか。あるいは携帯をどこかに置き忘れたか。
連絡網のルールでは、つながらないときはバイパスすることになっている。
大島さんの次は……神木、さん?
その名前は聞き覚えが無いものだった。
息子のクラスメイトは一通り把握しているつもりだったが、
もしかして途中で転校してきた子なのかもしれない。
その神木さんは、今どき珍しく固定電話の番号だった。
少し緊張しながら、電話をかけてみる。
三度目のコール音の後、男性が電話に出た。
「あ、もしもし。遠足の件で――」
「よう。久しぶりだな」
急に男の声色が変わった。ドスをきかせた声だ。
「あの……何のことですか」
「とぼけるなよ。大島。やっとお前と話せた」
「……はい?」
「連絡網を改竄したのさ。手間をかけさせやがって」
明らかにヤバイ臭いがした。なので、カマをかけることにした。
「おう久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
「何だとてめぇ。そんな口がきけるのも今のうちだ」
「ふん。また前みたいにかわいがってやろうか、あぁん?」
「おうおう、ずいぶん威勢がいいじゃねぇか。大島さんよぅ」
しまった。このままでは大島さんが危険な目に遭う可能性がある。
怖いお兄さんたちに襲撃されるかもしれない。
とりあえず穏便に済ませなければ……。
「まぁまぁ。私も言いすぎました。申し訳ない」
「今さら遅いんだよ、大島さんよぅ。ただで済むと思うなコラァ」
「いや、本当に申し訳ない。どうぞここは穏便に」
「ふざけんじゃねえよ。二度と立てねぇようにしてやろうか、あぁん?」
「おい、黙って聞いてりゃ調子に乗りやがってこの三下が! そのアホ面がいつまでも肩の上に乗ってると思うなよ! 首洗って待っとけやオラァ」 ガチャ。
さて、と。
息子が駆け寄って来た。
「ねぇねぇ。台風がすぎたら大島くんとこ遊びに行ってもいい?」
「絶対だめ」
私は即答した。
このあいだ、10年ほど前の職場の仲間を集めて同窓会を開いた。発起人は柄にもなく自分である。職場の仲間といってもほぼ全員が上司・先輩であって私が一番下っ端、10年前といえば自分はほぼ新人だったのだから自然そうなってしまう。私を含め、半分はもうすでに会社をやめていた。なぜか私はやめた人それぞれと連絡がつく状況で、これは一度集めねばならならぬと思い立ち、もともとコミュニケーションに難のある自分がひとり連絡網となってたくさんの人を集めることができたことに、社会人生活10年という歳月の長さを感じた。
3年前に会社をやめたとき、色々なことに気付いて世界がぐわっと広がって面白かった。会社にいたときは会社をやめたらどうなるんだろうと少し思っていたが、なんのことはない、働く場所なんて意外といくらでもある。自分はどこでだって働けるし、どうとでもやっていける。次の会社が気に入らなければまたやめればいいだけだと変に肝が座ったり、今までやってきたことは無駄にはならんもんだなと思い直したり。そして自分が思っているよりもずっと、私たちは職場の考え方に染まっているということに気付いて、なんだか笑えた。
10年ぶりに人と人とが会えば、10年の中には幸せなことばかりではなくて、不幸なこともそこには必ず入ってくる。子供ができた人もいれば、親を亡くした人もいるし、順調に出世している人もいれば、病気で来られない人もいる。生まれるということはいつか死ぬということであって、幸せなことばかりが人生じゃない・・。
10年前に会社に入った頃、世間知らずだった少年時代から自分だけを信じてきたというわけではないけど、それまで逃げてきたコミュニケーションの問題から逃げることができなくなって打ちのめされた。2年後、自分が大いなる思い違いをしていたことに気付く。コミュニケーション能力なんて最低限でも良い仕事はできる。他のところでそれをカバーできるほどの何かがあれば。
10年前は仲が悪かった人達も10年経てば仲良く話すもので、なにやら少し感慨深かった。立場が違えば仲良くもなるのか、イヤな思い出はきれいさっぱり忘れてしまって面白おかしい思い出だけが残るのか。「お、あそこも雪解か」と誰かが言った。でも、私はこうなると確信していた。だからこそみんなを呼んだのだ。朋あり遠方より来る。言葉で殴り合っていた人たちが、みんなちょっとずつ老けて、ちょっとずつ丸くなって、酒を飲んで何か楽しそうに話している。それを見ているだけで、どうしても顔がにやけてしようがない。そう、これなんだよ、ずっと見たかったのは。にやにやしながらお酒を飲みながら、私は私の10年を思い返していた。また、ひとりでちょっと笑ってしまった。
2018年秋GIシリーズの開幕スプリンターズSの予想です。
台風の営業で阪神競馬は中止が発表されていますが中山競馬は開催される見込みです。ただ良馬場とはならないでしょうし雨がどのくらい降るかも読めないですが。。
とにかく久々に過去の傾向から。
携帯メールやLINEが普及して連絡網の価値はだいぶ減った。
学校から保護者への連絡は(加入は任意だが)「保護者メール」で一斉送信される。
進んだ地域は部活動の連絡、クラスの日常行事の連絡などもそれで行っており、世の中は進歩するものだと何だか感慨深い。
大学の将棋部でOB会をしっかり作ろうと相談があって、後輩たちが積極的に動いて何だか形になった。
年に一回総会も開いているし、少しずつ認知も広がっているように思う。
そのお知らせの話なのだが、一斉のメール、お知らせの葉書という一対多の通信で行われている。
それは普通のことだし、効率を考えてもそれが良いのだろうが、求心力が落ちがちである。
なぜだろうか。
圧が足りないのかしら。
社団戦という団体戦に出ている将棋のチーム然り、同窓会然り、PREMIERの投票然り、小さいところでは会社の飲み会だってそうで、一斉送信の後をどうするのかが盛り上げの鍵、幹事の腕の見せ所となる。
OB会ではお知らせとは別に学年ごとに幹事的な人をお願いして、その学年の中のネットワークで再度周知してもらっている。
お前行く?お前がいくなら俺もいくよ、的な話を期待して。
将棋のチームの出欠は返ってくる率が低い上、人数が集まらないと相手のチームに迷惑なので、困ったときには狙っている人物に近いと思う人にお願いしてアプローチしている。
同窓会は大きな同窓会をやる前の小さな同窓会の情報が大事で、それを主催している人たちと連絡が取れるように心がけている。
これって実は連絡網の変形なのではないかと思う。
私のクラスの連絡網はクラスを4つのグループに分けて、そこで連絡が行き届いているかはそのグループのリーダーが管理していた。
グループのリーダーは自分のところの連絡が行き届いた時点で先生に完了の報告を返していたので、リーダーはそれなりの信頼感のある人がいたように思う。
小学校や中学校であった連絡網は連絡だけをするものだった。
それは一斉送信のメールで十分代替できるものであり、今はもう連絡網は必要ないのだろう。
しかし、多くの人の意思をまとめていく、心を動かしていく上では一対多のコミュニケーションでは足りず、一対一のコミュニケーションを多く発生させるような仕組みが有効なのだろう。
そこで連絡網である。
昔懐かしい連絡網という古い器に、意思の伝達という新しい酒を入れて復活させようではないか、と高らかに宣言したいわけではない。
でも、もう不要だと思っていたあの形が別の意味で有効だというのはなんだか楽しい。
だから、発信者がいて、それを何人かのコアの人が自分の受け持ちの人に広めていくような発信の方法をとる機会があったら、それを連絡網方式と呼んでみませんか。
今も自然とやっていると思うその方法に呼び名を。
最近私は主に作品を定例会議中に書いています。
勤めている会社は良い会社ですし働きやすいのですが、この定例会議だけは本当に無駄なのでやめたいと伝えたにも関わらず、いやそれはの一点張りで変わりません。
他の点では「こう変えましょう。」と伝えると理由を問われることがあっても変えることを躊躇することはない会社なのですが。
資料で既に把握している各エリアの営業成績の報告が主なのですが。
立場上欠席もできない、しかし時間の無駄なので少しでも有意義にするため今もこれを書いています。
そのうち悩み相談室PREMIERに相談するかもしれませんが、どうせ相談してもロクな回答はないでしょう。
返事遅いし。
頓智みたいなものは返ってきそうですけど。
報告が終わって、次の議題は11月に打つセールの話なのですが、タイトルを何にするかで議論になっています。
具体的には「○○カーニバル」派と「△△フェスティバル」派に割れています。
いやいや、どっちもアパレルのセールに付くタイトルじゃないでしょう。
私は会議に出ている人の中で三番目に偉いので(えっへん。)こういう時には黙っています。
納得感が一体感を醸成するので議論のプロセスは大切にしています。
初めはちゃんとコンセプトやら市場分析やらから始まったのですが・・・。
カーニバルは「謝肉祭」と邦訳を当ててみればはっきりダメだこりゃ、と思ってもらえるでしょうし、フェスティバルは「祭礼」というそもそもの部分を見れば遠慮してくれるのではないかと思うのです。
祈りがないと、などと言うと「一枚でも多く売れろという祈り」みたいなことを言う人がでそうですが。
それは祈りではなく願いでしょう、というとそれはどう違うのですかなどと真顔で聞き返される気がします。
頭痛がしてきましたが、議論は泥仕合になってきました。
「カーニバルというと服を着ていない気がします。アパレルのイベントとしてどうかと思うのですよ。」
「それはリオのカーニバルのダンサーのイメージでしょう?もしくは浅草?着眼点が下品。どうかと思うのはあなたの品性ですよ。フェスティバルだってビールか歌って感じじゃないですか。」
「フェスのこと言ってる?あれはフェスだから。あくまで。それにオクトーバーフェストもね、フェストだから。こっちが言ってるのはフェスティバルだから。」
THE BOOMの「カルナヴァル」という曲は軽やかでおしゃれだったなあと思い出しました。
高校の時に行ったカラオケであれを歌った人は本当にかっこ良く見えました。
そうこうしているうちに、フェスティバルでもなくカーニバルでもない名前を付けることになったみたいです。
ハロウィンとクリスマスに挟まれた11月をテコ入れするのは文化祭か勤労感謝じゃないか、うちのターゲットから考えると後者推しなのだがとひそかに思っているのですが、いかがでしょうか。
もし11月にあなたのお近くの服屋さんで勤労感謝祭みたいなセールが展開されてたら、私のいる会社のお店かもしれません。
是非一枚買ってくださいね。
当直のことを夜勤と言われてささくれだってしまうのは、当直の前後も働いているのにそうでないみたいに聞こえてしまうからだろう。朝、夜、朝と来て、そろそろ連続で35時間くらい働いていることになるのだが、長く自分が診てきた人が亡くなりそうで帰るに帰れない。当直医に任せればいいのだが、忍びない気持ちになる。
最終的に、一時間後にその人は亡くなった。最期を看取り、家族に挨拶をした。そこは何とか気力でもったが、死亡診断書、死亡届を書くところは朦朧としていて、とにかく早く終えたかった。振り返ってみれば、正直、乱雑な字になっていたように思う。後になって申し訳ない気持ちが湧いてきた。
三日後、亡くなった某さんの担当に、とのことで病院に電話がかかってくる。
「そちらで発行いただいた某さんの死亡診断書の件ですが、誤ってKさんという別の方の名前と生年月日が記載されていました。ですので死亡診断書の再発行をお願いできますでしょうか」
朦朧としていたせいで、何と自分の名前を書いてしまったらしい。書類関係で、つい自分の名前を書いてしまいそうになることは確かにあるが、本当に書いたまま出してしまうとは恥ずかしい。
「すみません、それは私です。間違えてしまいました」
「そうでしたか。実は、こちらの死亡診断書については今しがた受理されたところです」
「え、はあ。キャンセルしていただけるんですよね」
「申し訳ありません、こちらで処理することはできかねます」
「そんな。……つまり、死んだことにされているわけですか?そちらが受理したことですから、どうにかしてもらえませんか」
「一度受理されましたら恣意的な運用はできません。法治国家の根源に関わる問題です。大変お手数ですが、死亡診断の解除は所定の手続きをお願いします」
最終的に受理したのは役所のほうなのだからあまりに理不尽だと思ったが、元を正せば自分にも非があるので、その負い目を解消する方向に心は動いた。
「仕方ないですね、分かりました」
「最後に先生のお名前を伺ってもよろしいですか?」
「最初に言ったじゃないですか。Kですよ」
「いえ、K先生は亡くなられておられます。先生は、どちら様でしょうか?」
それを聞いて一気に鳥肌が立った。不気味なやりとりだった。死んだことにさせられている。単なる書類上の定義が現実の僕自身の生死を規定しようとしている。頓珍漢な職員だという印象は、一気に暗い沼に潜む得体の知れない何かという印象に移り変わった。思わず電話を切ってしまった。
本人でないと死亡を覆す手続きができないということだったので、それからすぐに市役所に向かった。窓口に出たのは中年の女性だった。
「所定の用紙ですね。お預かりいたします。ご本人を確認できるものはありますか?こちらの運転免許証ですね。分かりました、少々お待ちください」
奥に下がった彼女は主任と思われる男性としばらく話し込んで、書類を持ったまま戻ってくる。
「申し訳ありません。こちらの運転免許証に登録されていますKさんはすでに亡くなられていますので書類の受付はできません」
「いや、だから間違って死亡で登録されてしまったので、それを訂正するための手続きですよね。それを死んだことになっているから本人じゃないって扱われてしまったらどうやっても死亡を覆せないじゃないですか」
「大変申し訳ございませんが、決まりですのでお納めください。恣意的な運用は法治国家の根源に関わる問題ですから」
きっと奥のあの主任が電話の主なのだろう。ここで引き下がっては生き返るチャンスが二度と来ないかもしれない。主任を呼ぶように言って、直接交渉することにした。
結局、全く埒が明かなかった。向こうが言うには、死亡診断を覆す正式な手続きが必要で、かつKは死亡扱いなので僕はKではない、ということだった。だがそうなると本人しか申請ができないため論理的に申請ができない。そこはルール通りの運用をするのが仕事だと突っぱねられてしまう。じゃあ僕を死体だと思っているのか?と聞くと、そうではないが、誰だかは分からないと言い切る。
とうとう根負けして、マスコミにでも訴えるつもりで、その日は一旦引き下がることにした。
病院に戻って、仲の良い同僚に愚痴を言う。
「聞いてよ。間違って書いた死亡診断書が受け付けられてしまって、死人扱いされてるんだ。間違った診断書だって言っているのに僕は死んだことになってるからキャンセルは受け付けられないんだと。訳分かんないよなあ」
「え、それは大変ですね……、ところで先生、お名前を伺ってもよろしいですか?」
冗談だと思ったが、目があまりに真剣で、嘘が苦手な彼にそんな芸当ができただろうか。とても確かめる勇気などなかった。返事もせずに彼のもとから逃げ去る。
仕事に戻っても、正体不明の医師として見られているのではないかと思うと全く進まなかった。電子カルテはIDとパスワードさえ入力すればK医師として扱ってくれるので、よっぽど暖かみを感じた。機械の方が平等で公正で、それだけがわずかな救いだった。何とも情けない話だ。
そのまま電子カルテ上で、処方や点滴などの入力だけでも済ませていると、看護師が声を上げ始める。その向こうにはあの某さん夫婦が立っていたのだ。
「主人が大変お世話になりました」
「これは……一体?」
「自宅に連れて帰って葬儀を待っていたんですけれども、突然主人が目を覚まして棺から出てきました。もう本当に嬉しくて嬉しくて。皆様方によくしていただいたおかげで起こった奇跡だと思います。本当にありがとうございます」
某さんも言う。
「皆さん本当にありがとうございました」
某さんの死亡診断書をまだ書いていなかったことを思い出した。もう書く必要はないだろう。仮死とともに生前付けられていた末期癌の病名も捨て去られ、きっと某さんの体からは病さえ消え去っただろう。驚きと共に絶望的な気分になる。
今、私の周りには銀蠅が舞っている。