明るい悩み相談室に言えない悩み Mr.Indigo

  • 2018.09.30 Sunday
  • 23:38
―雑兵日記PREMIERダイジェストの時間です。今回はリスナーからいただいた悩み相談を受け付けたいと思います。スタジオには統括本部の方にお越しいただきました。よろしくお願いします。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
―PREMIERには明るい悩み相談室があるんですが、なぜこちらに…
「がりは先生には相談したくないらしいんです。MVPを取りたいから相談したのに、全く解決しないばかりか逆用されてMVPになられてしまうからだそうです」
―なるほど。それでどんな悩みなんですか?
「はい。明るい悩み相談室シリーズは書き始めてから完成まで30分かからないらしいですが、私はしっかり脳内で構想を練ってから書き始めても3時間はかかります。これではMVPを争ううえではっきり不利です。どうすれば良いのでしょう?とのことです」
―確かに効率が6倍だと大きなハンデですね。何か対策はあるでしょうか?
「そうですね…おそらく、がりはさんのスピードの秘訣は、いい意味で適当なことだと思います」
―適当ですか?
「そうです。結論ありきで逆算するのではなく、筆の向くまま書き進めるのがポイントなのではないでしょうか」
―なるほど。
「ですから、数をこなしてMVPを取りたいのなら、こだわりを持たず気楽に書くというのも1つの手です」
―はい。
「いくらこだわりを持って推敲を重ねても、それが読者の評価に結びつくとは限りません。凝りすぎて失敗することも考えられます」
―わかりました。ではここでCMです。
 
<雑兵日記PREMIERの予想はPスポ!本紙担当・渡海文殊が8月の予想を振り返ります>
「うーん、頭は2つ取ったが…」
<MVPも最優秀作品賞も2着は無印でしたね。テーマは▲○で、肝心の◎が着外>
「うーむ、ダメだな…」
<敗因はなんでしょう?まずはMVPからお願いします>
「システムガリハとインディゴブルーは支持層が重なっていて、一方が大量得票するともう一方は振るわないことが多いような気がする。拮抗することもあるんじゃが…」
<確かにそういう傾向はあるように思います>
「ドクターヤマブキは固定ファンがいて、アールグレイは数をこなせば2〜3票入る。したがって2着3着に来る可能性は高いんじゃろう」
<なるほど。最優秀作品賞はどうですか?>
「2着の『オリンピックいや』を無印にしたのが痛恨じゃったな」
<3月のピンボールの時と同じですよ。アールグレイと相性が悪いみたいですね>
「感性が合わんな…」
<いやいや、感性の問題じゃないでしょう。投票するのは渡海文殊ではなく読者ですから。テーマはいかがですか?>
「どうも英語が苦手で、タイトルの意味が…」
<…論外ですね>
「わし、西洋の世界は知らんから…」
<なんか来月もダメそうですね。まあ楽しみにしておきましょう> 
 
―もう1つ悩み相談が来ています。この方もがりは先生には相談したくないんですね?
「そうです」
―どんな悩みなんでしょう?
「はい。毎月の投票の項目に『お悩みがあれば教えてください』というのがありますが、これは明るい悩み相談室シリーズを担当しているがりは氏への利益供与ではないか。ハッガリーニ統括本部長と結託されてはMVP争いで勝ち目がない。どうしたものか…とのことです」
―なるほど。どのように思われますか?
「これは明快です。『お悩みがあれば教えてください』の項目には『明るい悩み相談室PREMIERで必ず回答いたします』とありますよね」
―はい。
「ところが、そこには担当医の名前は記載されていません。がりは先生でなくても良いのです」
―そうですね。
「ですから、他の方も明るい悩み相談室PREMIERに参戦できるのです。がりは先生だけが回答するのではなく、他の方も回答することによって、より相談者や読者の満足度が高い相談室にできるのではないでしょうか」
―過去には他の方も悩み相談に取り組まれていますが、長続きしていません。
「それは直近の投票で寄せられた悩みではないからです。悩みを出してくるのは読者ですから、それに対して迅速に対処することが大切でしょう」
―なるほど。
「それでがりはさんが構想中のネタを潰すこともできますし、一石二鳥ですよ」
―そうですね。
「まあ、そこまでしてMVPが欲しいのかという疑問はありますが…」
―それは言えますね。そんなことで悩むのはいったい誰なんでしょう?
「…ノーコメントとさせてください」
―本日はありがとうございました。
「ありがとうございました」
 
<この番組はPスポの提供でお送りいたしました>

【テーマ】台風がすぎたら うべべ

  • 2018.09.30 Sunday
  • 23:09

台風なので息子の遠足は中止になるとのことだった。

延期でなく中止なのがやや可哀想ではあるが、仕方が無い。

「それにしても今年は台風直撃が多いですねぇ」

「そうですねぇ。困ったもんです」

そんな会話をして電話を切った。

さて、次の相手――大島さんに電話をしなければならない。

大島さんの息子さんは、うちの子といつも一緒に遊んでくれている。

電話をかけると、呼び出し音はするものの出てくれなかった。

忙しいのだろうか。あるいは携帯をどこかに置き忘れたか。

 

連絡網のルールでは、つながらないときはバイパスすることになっている。

大島さんの次は……神木、さん?

その名前は聞き覚えが無いものだった。

息子のクラスメイトは一通り把握しているつもりだったが、

もしかして途中で転校してきた子なのかもしれない。

その神木さんは、今どき珍しく固定電話の番号だった。

少し緊張しながら、電話をかけてみる。

 

三度目のコール音の後、男性が電話に出た。

「あ、もしもし。遠足の件で――」

「よう。久しぶりだな」

急に男の声色が変わった。ドスをきかせた声だ。

「あの……何のことですか」

「とぼけるなよ。大島。やっとお前と話せた」

「……はい?」

「連絡網を改竄したのさ。手間をかけさせやがって」

明らかにヤバイ臭いがした。なので、カマをかけることにした。

 

「おう久しぶりだな。元気そうで何よりだ」

「何だとてめぇ。そんな口がきけるのも今のうちだ」

「ふん。また前みたいにかわいがってやろうか、あぁん?」

「おうおう、ずいぶん威勢がいいじゃねぇか。大島さんよぅ」

しまった。このままでは大島さんが危険な目に遭う可能性がある。

怖いお兄さんたちに襲撃されるかもしれない。

とりあえず穏便に済ませなければ……。

 

「まぁまぁ。私も言いすぎました。申し訳ない」

「今さら遅いんだよ、大島さんよぅ。ただで済むと思うなコラァ」

「いや、本当に申し訳ない。どうぞここは穏便に」

「ふざけんじゃねえよ。二度と立てねぇようにしてやろうか、あぁん?」

「おい、黙って聞いてりゃ調子に乗りやがってこの三下が! そのアホ面がいつまでも肩の上に乗ってると思うなよ! 首洗って待っとけやオラァ」 ガチャ。

 

さて、と。

息子が駆け寄って来た。

「ねぇねぇ。台風がすぎたら大島くんとこ遊びに行ってもいい?」

「絶対だめ」

私は即答した。

馬券の現実(165)〜スプリンターズS回顧〜 たりき

  • 2018.09.30 Sunday
  • 20:59

ファインニードルが春秋スプリントGI制覇。強かったですねえ。

 

続きを読む >>

【テーマ】連絡網 Mr.ホワイト

  • 2018.09.30 Sunday
  • 09:51

このあいだ、10年ほど前の職場の仲間を集めて同窓会を開いた。発起人は柄にもなく自分である。職場の仲間といってもほぼ全員が上司・先輩であって私が一番下っ端、10年前といえば自分はほぼ新人だったのだから自然そうなってしまう。私を含め、半分はもうすでに会社をやめていた。なぜか私はやめた人それぞれと連絡がつく状況で、これは一度集めねばならならぬと思い立ち、もともとコミュニケーションに難のある自分がひとり連絡網となってたくさんの人を集めることができたことに、社会人生活10年という歳月の長さを感じた。


3年前に会社をやめたとき、色々なことに気付いて世界がぐわっと広がって面白かった。会社にいたときは会社をやめたらどうなるんだろうと少し思っていたが、なんのことはない、働く場所なんて意外といくらでもある。自分はどこでだって働けるし、どうとでもやっていける。次の会社が気に入らなければまたやめればいいだけだと変に肝が座ったり、今までやってきたことは無駄にはならんもんだなと思い直したり。そして自分が思っているよりもずっと、私たちは職場の考え方に染まっているということに気付いて、なんだか笑えた。


10年ぶりに人と人とが会えば、10年の中には幸せなことばかりではなくて、不幸なこともそこには必ず入ってくる。子供ができた人もいれば、親を亡くした人もいるし、順調に出世している人もいれば、病気で来られない人もいる。生まれるということはいつか死ぬということであって、幸せなことばかりが人生じゃない・・。


10年前に会社に入った頃、世間知らずだった少年時代から自分だけを信じてきたというわけではないけど、それまで逃げてきたコミュニケーションの問題から逃げることができなくなって打ちのめされた。2年後、自分が大いなる思い違いをしていたことに気付く。コミュニケーション能力なんて最低限でも良い仕事はできる。他のところでそれをカバーできるほどの何かがあれば。


10年前は仲が悪かった人達も10年経てば仲良く話すもので、なにやら少し感慨深かった。立場が違えば仲良くもなるのか、イヤな思い出はきれいさっぱり忘れてしまって面白おかしい思い出だけが残るのか。「お、あそこも雪解か」と誰かが言った。でも、私はこうなると確信していた。だからこそみんなを呼んだのだ。朋あり遠方より来る。言葉で殴り合っていた人たちが、みんなちょっとずつ老けて、ちょっとずつ丸くなって、酒を飲んで何か楽しそうに話している。それを見ているだけで、どうしても顔がにやけてしようがない。そう、これなんだよ、ずっと見たかったのは。にやにやしながらお酒を飲みながら、私は私の10年を思い返していた。また、ひとりでちょっと笑ってしまった。



馬券の現実(164)〜スプリンターズS予想〜 たりき

  • 2018.09.30 Sunday
  • 01:38

2018年秋GIシリーズの開幕スプリンターズSの予想です。

台風の営業で阪神競馬は中止が発表されていますが中山競馬は開催される見込みです。ただ良馬場とはならないでしょうし雨がどのくらい降るかも読めないですが。。

とにかく久々に過去の傾向から。

 

続きを読む >>

【テーマ】サミット1755 Mr.Indigo

  • 2018.09.29 Saturday
  • 23:42
「もしもし」
「もしもし、オーストリアのマリア・テレジアですけど」
「おぉ、何事?」
「実は体調が思わしくなくて…」
「大丈夫?」
「はい、大丈夫だとは思うんですけど、ちょっと来月の会談はやめておこうかと」
「その方がいいよ。もうそろそろ生まれるんでしょ?」
「そうなんです。それで議長国も代わっていただければと思いまして」
「わかった。今回はウチでやろう。連絡網回すね」
「よろしくお願いします」
「うん。お大事に」
「ありがとうございます。失礼します」
 
「はい、大岡忠光です」
「…ん?徳川家重さんの電話ではないのか?」
「いえ、徳川家重の電話です。我が主君・家重は電話が苦手(注1)ゆえ、私が代行しております」
「そうか。わしは清の弘暦(注2)。連絡網だ」
「はい」
「来月の会談はシェーンブルン宮殿から紫禁城に変更。マリア・テレジアの体調不良のためと伝えてくれ」
「かしこまりました」
「よろしくな」
「はい。では失礼いたします」
 
「もしもし、エリザヴェータです」
「日本の徳川家重の代理の大岡忠光と申します」
「あら、初めまして」
「連絡網です。来月の会談ですが、マリア・テレジアの体調不良により…」
「えっ、ほんと?心配ね。妊娠中だし…」
「そのため、会談の場所は紫禁城に変更です」
「わかったわ」
「ではよろしくお願いいたします」
「はーい」
 
「もしもし」
「エリザヴェータです」
「あ、こんにちは」
「体は大丈夫?」
「大丈夫よ。大事を取っただけ。出産は慣れてるし」
「安心したわ。それにしても、あなた本当にお子さん多いわね。すごいわ」
「そんなことないって。おたくのエカチェリーナもいけるわよ」
「それがねぇ…あの子、どうもピョートルとうまくいってないみたいなのよ」
「でも去年パーヴェルが生まれたじゃない」
「実はね…パーヴェルはピョートルの子供じゃないっていう噂が広まってて…」
「ピョートルに聞いてみた?」
「さすがに聞けないわよ。でも、噂が流れても怒ってる様子がないから…」
「そっか…」
「もう気にしないでおこうかと思ってるの。ウチはずっと後継ぎがいなかったから、ピョートルからパーヴェルっていう流れがほしいのよ」
「そうね。ウチも私が後を継いだ時は大変だった(注3)から…」
「そうよね。だからしょうがないわ」
「ところで、連絡網でしょ?」
「そうそう、忘れてたわ。来月の会談は紫禁城に変更。知ってるわよね?」
「うん。でもフランスのルイさんに伝えないといけないから」
「よろしくね。じゃ、お大事に」
「ありがとう。じゃあね」
 
「もしもし」
「もしもし、ルイさん…じゃないわね」
「あ、マリア・テレジアさん。こんにちは、ジャンヌ・アントワネットです」
「お久しぶりね。ルイさんは?」
「いるんですけど、出ないんですって。お前に任せるって言ってます」
「すごいわね。王様同然じゃない」
「彼は狩りと女しか興味がないんです。だから私が政治を見ないと」
「そうなの。頑張ってね。そうそう、それで連絡網なんだけど」
「はい」
「来月の会談の議長国を代わってもらったの。場所はシェーンブルン宮殿から紫禁城に変更です」
「はい。何かあったんですか?」
「出産が近いから、大事をとろうと思って」
「そうなんですね。ちなみに何人目のお子さんですか?」
「15人目よ」
「えっ!?」
「びっくりしないでよ。ルイさんだっていっぱい子供作ってるでしょ」
「ま、まあそうですけど…」
「じゃ、連絡網よろしくね」
「はい…あっ、次はどなたに回せばいいんですか?」
「トルコのオスマン3世さん。ご存じ?」
「存じ上げないです…どんなお方ですか?」
「もう結構なお爺ちゃんよ。ものすごい女嫌いなんだって」
「へぇ…珍しいですね」
「ヨーロッパにもいるじゃない。ベルリンのあたりに…」
「…いますね。女の敵が」
「マジであのオッサンだけは許せない。火事場泥棒で攻め込んできて、シュレジェンは取られたまま(注4)だし、絶対リベンジするわ」
「頑張ってくださいね」
「もちろんよ。じゃ、オスマンさんに連絡よろしくね」
「はい、失礼します」
 
「もしもし、オスマンです」
「わたくしフランスのルイ15世の代理のジャンヌ・アントワネットと申しますが…」
「ん、女か?何の用だ」
「あの…連絡網です。来月の会談は、マリア・テレジアさんの出産のため場所が紫禁城に変更となりました」
「うむ」
「…では失礼します」
 
「もしもし」
「オスマンです」
「あ、どうも。こんにちは」
「実はフランスの変な女から電話があってな…」
「フランスですか。だったらたぶんポンパドゥール夫人って奴です。ルイさんの愛人らしいですよ」
「愛人なんぞがワシに電話してきたのか。失礼な奴だな」
「そうなんです。ルイさんはだらしないから、愛人がいっぱいいて政治も任せっきりみたいですよ」
「はぁ…何が楽しいんじゃろうな」
「ほんとですよね。ところで何の御用ですか?」
「連絡網じゃ。来月の会談はシェーンブルン宮殿ではなく紫禁城でやるらしい。マリア・テレジアが出産を控えているからだとか」
「あぁ、あいつ産みすぎですよ。もう15人目ですからね。これまで14人も産んでよく無事だったもんです」
「そんなに産んでいるのか。フランツ(注5)も好き者だな」
「理解に苦しみますね。何が面白いんだか」
「全くその通りじゃな」
「まあ、いずれ夫婦ともコテンパンにしてやりますよ。連絡網回しときますね」
「おう、よろしく」
 
「もしもし!」
「あ、伯父さん(注6)。フリードリヒです」
「えっ?」
「フリードリヒ!プロイセンの」
「おお!フリードリヒか」
「声でかいよ…」
「え?」
「耳が遠いとめんどくさいな…」
「なんて?」
「…連絡網です!」
「お、連絡網か!了解」
「来月の会談の場所は、紫禁城に変更です!」
「変更?何が?」
「会談の場所!わかりました?」
「おう!わかったわかった」
「ではよろしくお願いします」
 
「もしもし、弘暦です」
「もしもし!ジョージじゃ」
「はい、連絡網ですよね?」
「おう!フリードリヒが宮殿の工事をするそうじゃ」
「へ?」
「階段の場所を変更すると言っておったぞ!」
「…いや、その階段じゃなくてサミットの会談です」
「はい?」
「サミットの会談!場所はウチ、紫禁城!」
「そうか、あんたのとこの階段か。資金補助してほしいんじゃな」
「資金補助じゃなくて紫禁城!ワシの宮殿ですよ」
「あんたの宮殿じゃろ?金は出さんからな。そんなこと連絡網で頼むな!」
「なんだとクソジジイ!」
「クソジジイとは何じゃ!失礼な」
 
この電話が後のアヘン戦争の遠因となったかどうかは定かでない。
なお、リベンジに燃えるマリア・テレジアがフランス、ロシアと同盟しプロイセンのフリードリヒ2世に戦いを挑んだのは、この翌年のことである。
 
(注1)徳川家重は言語が不明瞭で、正確に聞き取れるのは大岡忠光だけだった。しかし無能というわけではなく、取り次ぎ役の大岡忠光も清廉潔白な人物だったため、政治にはしっかり携わっていたらしい。
(注2)清の6代皇帝・乾隆帝。
(注3)マリア・テレジアが即位するとすぐ、好機とみた周辺諸国が攻め込んできた(オーストリア継承戦争)。
(注4)プロイセンのフリードリヒ2世はオーストリア継承戦争に参戦し、オーストリアからシュレジェン地方を奪取した。
(注5)神聖ローマ皇帝フランツ1世。妻はマリア・テレジアで、ハプスブルク家の婿養子的な存在。
(注6)フリードリヒ2世の母はイギリス王ジョージ2世の妹。

【テーマ】連絡網復活  がりは

  • 2018.09.29 Saturday
  • 00:00

携帯メールやLINEが普及して連絡網の価値はだいぶ減った。

学校から保護者への連絡は(加入は任意だが)「保護者メール」で一斉送信される。

進んだ地域は部活動の連絡、クラスの日常行事の連絡などもそれで行っており、世の中は進歩するものだと何だか感慨深い。

 

大学の将棋部でOB会をしっかり作ろうと相談があって、後輩たちが積極的に動いて何だか形になった。

年に一回総会も開いているし、少しずつ認知も広がっているように思う。

そのお知らせの話なのだが、一斉のメール、お知らせの葉書という一対多の通信で行われている。

それは普通のことだし、効率を考えてもそれが良いのだろうが、求心力が落ちがちである。

なぜだろうか。

圧が足りないのかしら。

 

社団戦という団体戦に出ている将棋のチーム然り、同窓会然り、PREMIERの投票然り、小さいところでは会社の飲み会だってそうで、一斉送信の後をどうするのかが盛り上げの鍵、幹事の腕の見せ所となる。

OB会ではお知らせとは別に学年ごとに幹事的な人をお願いして、その学年の中のネットワークで再度周知してもらっている。

お前行く?お前がいくなら俺もいくよ、的な話を期待して。

将棋のチームの出欠は返ってくる率が低い上、人数が集まらないと相手のチームに迷惑なので、困ったときには狙っている人物に近いと思う人にお願いしてアプローチしている。

同窓会は大きな同窓会をやる前の小さな同窓会の情報が大事で、それを主催している人たちと連絡が取れるように心がけている。

 

これって実は連絡網の変形なのではないかと思う。

私のクラスの連絡網はクラスを4つのグループに分けて、そこで連絡が行き届いているかはそのグループのリーダーが管理していた。

グループのリーダーは自分のところの連絡が行き届いた時点で先生に完了の報告を返していたので、リーダーはそれなりの信頼感のある人がいたように思う。

 

小学校や中学校であった連絡網は連絡だけをするものだった。

それは一斉送信のメールで十分代替できるものであり、今はもう連絡網は必要ないのだろう。

しかし、多くの人の意思をまとめていく、心を動かしていく上では一対多のコミュニケーションでは足りず、一対一のコミュニケーションを多く発生させるような仕組みが有効なのだろう。

そこで連絡網である。

 

昔懐かしい連絡網という古い器に、意思の伝達という新しい酒を入れて復活させようではないか、と高らかに宣言したいわけではない。

でも、もう不要だと思っていたあの形が別の意味で有効だというのはなんだか楽しい。

だから、発信者がいて、それを何人かのコアの人が自分の受け持ちの人に広めていくような発信の方法をとる機会があったら、それを連絡網方式と呼んでみませんか。

今も自然とやっていると思うその方法に呼び名を。

 

庶民から帝王への道(下) Mr.Indigo

  • 2018.09.28 Friday
  • 21:38
では、庶民が帝王になるチャンスが大きいのはどのような社会であろうか。まずはヨーロッパの歴史から考えてみよう。
古代ローマは時代により体制が異なるものの、基本的にはローマ一極の中央集権である。前半は共和政、後半は帝政だが、帝政期も皇帝が絶対的な権力を持っていたわけではなく、元老院の力が強かった。
古代ローマの反乱として有名なのは、共和政末期に起きたスパルタクスの反乱である。反乱軍は急速に拡大し剣闘士や奴隷などが団結して12万といわれる大軍になったものの、討伐軍に敗れ全滅した。その後200年以上にわたって大規模な反乱はなかったが、3世紀の軍人皇帝時代になると頻発することになる。この頃には地方の力が相対的に強くなっていて、元老院は翻弄されるばかりであった。
中世ヨーロッパが庶民にチャンスのない社会だったのは前述の通りだが、中世末期の14世紀後半あたりから状況が変わってくる。ジャックリーの乱(フランス)やワット・タイラーの乱(イングランド)など大規模な農民反乱が起こるようになったのだ。この頃の両国は百年戦争のさなかで、庶民の負担が増大していたのが原因と考えられる。しかし、反乱軍はいずれも敗れ去り、庶民出身者が天下を取ることはなかった。
それからヨーロッパは絶対王政の時代を迎え、君主の力が国土全域に及ぶようになる。そして、絶対王政を打倒したのがフランス革命に代表される市民革命である。
ここでようやく庶民出身の支配者が現れる。フランス革命の混乱期に恐怖政治を行ったロベスピエールは弁護士の子であった。また、その後ヨーロッパを席巻したナポレオンは貴族の家系ながら、彼が生まれた頃にはすっかり没落していた。
もっとも、このあたりの時代になると軍事力のみで政権を奪うことはなかなかできないので、近世までの帝王とはいささか経歴が異なるように思う。
 
これに対し、中国では大規模な民衆反乱がしばしば起こっている。天下を手中にしたのは劉邦と朱元璋のみだが、皇帝や王を名乗った人物は何人もいる。その理由を考えてみよう。
中国は秦の始皇帝(在位紀元前221〜210)の時代から中央集権政治が行われていて、伝統的に皇帝の権力が強かった。北方の異民族は軒並み部族制だったが、中国を支配すると君主権の強化を図ることが多い。鮮卑族が建てた北魏の孝文帝(在位471〜499)の漢化政策(その名の通り漢民族の風習や制度を導入する政策)が代表的だ。
このシステムは皇帝が優秀な人物であれば有効だが、無能だったり幼少だったりすると国全体が乱れる。外戚や宦官の専横によって政治が私物化されたという例は枚挙にいとまがない(後漢などは過半数の皇帝が該当する)。
また、中央から派遣された役人が地方の長官になると、地縁がないため容赦ない収奪ができる。対して現地の有力者や庶民は団結しやすく、容赦ない反抗ができる。劉邦が挙兵にあたって地元に派遣されていた秦の県令を殺害したのが好例である。
全国規模の反乱がしばしば起きたのは、そのあたりも原因なのではないか。反乱で国土が荒廃することにより、庶民にも天下を取るチャンスが生じるのは既に述べた通りである。
ちなみに、民衆反乱の先駆となったのは紀元前209年に蜂起し王を称した陳勝という人物である。陳勝は同年のうちに敗死したが、彼に影響されて挙兵した劉邦が7年後に皇帝となった。
彼らの存在は後世の野心家たちに大きな勇気を与えただろう。始皇帝の政策と陳勝の蜂起、そして劉邦の覇業が中国社会の特性をつくり出したと言えるのではないか。
 
続いてイスラム世界について考えてみよう。部族の長や地方領主がそのまま君主になったケースが多いものの、前述のようにマムルークと呼ばれる奴隷出身の軍人が君主となるケースが何度かあった。年代としては10世紀後半から16世紀前半のことである。
しかし君主の権力は弱く、地位の世襲はほとんど成功しなかった。自らの勢力拡大のためには優秀なマムルークを配下に持つ必要があり、奴隷商人から購入した少年たちをしっかりと教育するのだが、そのせいで死後に国を乗っ取られることになるのだ。全土を統治して天寿を全うできるから、古代ローマの軍人皇帝時代よりはだいぶマシだが…。
ちなみに、日本の豊臣秀吉は彼らのパターンとよく似ており、特に奴隷王朝3代目のイルトゥトゥミシュ(在位1211〜1236、以前「世界の女王・女帝」で紹介したラズィーヤの父)と経歴が近い。実力者に長く仕えて自分の軍を持ち、その死後に息子から権力を奪うというのは、体制側に入った者の常道と言えよう。
 
こうして考えていくと、官軍に入るか反乱軍に入るかによって、帝王への道は大きく異なることがわかる。世が平和だとチャンスが乏しく、戦乱に乗じて軍功を挙げることが重要なのはどちらも同じだが、チャンスが大きい環境はまるで違うのだ。
官軍に入るならば、中央政府が弱体で君主の権限が小さい方が良い。このシステムなら地方長官になって軍事力を持つメリットが大きい。古代ローマの軍人皇帝やマムルーク出身の君主のほか、中国だと宋の劉裕(在位420〜422)が該当する。
一方、反乱軍に入るならば 中央集権で君主の権限が大きい方が良い。中央政府に優秀な人材がいたとしても、君主や側近が無能だと宝の持ち腐れになる。また、地方長官の軍事力が弱いと頑強な抵抗を受ける可能性は低い。劉邦や朱元璋はもちろん、陳勝や黄巣、李自成らも政権が機能していない状況を生かして勝ち進んだ。
もっとも、反乱軍をまとめるというのは並大抵のことではない。挙兵当初は士気が高く統制が取れていても、膨張するにしたがって構成員の質は低下する。それによって内部対立のリスクが高まるし、反乱の長期化や戦線の拡大は補給を難しくする。前出の陳勝や黄巣、李自成など、ほとんどの反乱指導者は自軍を統制できなくなって敗死した。民衆反乱から天下を取るのは、当然ながら極めて困難なのである。
そう考えると、官軍で出世して既存の王朝を乗っ取る方が、まだ幾分難度は低い。地道に戦功を重ねていけば、少しずつチャンスは広がってくる。成り上がりを狙うならば、少年時代から軍人として育成され武芸や装備の面でアドバンテージがあり、実際に君主になった人数も比較的多いマムルークが最も良い環境であろう。
マムルークから成り上がった君主の大半は中央アジアの遊牧民出身者である。したがって、庶民から帝王を目指すのであれば、マムルーク朝と奴隷王朝が成立した13世紀に中央アジアの遊牧民の息子として生まれるのを最善としたい。

勤労感謝祭  Mr.アールグレイ

  • 2018.09.28 Friday
  • 00:00

最近私は主に作品を定例会議中に書いています。

勤めている会社は良い会社ですし働きやすいのですが、この定例会議だけは本当に無駄なのでやめたいと伝えたにも関わらず、いやそれはの一点張りで変わりません。

他の点では「こう変えましょう。」と伝えると理由を問われることがあっても変えることを躊躇することはない会社なのですが。

資料で既に把握している各エリアの営業成績の報告が主なのですが。

立場上欠席もできない、しかし時間の無駄なので少しでも有意義にするため今もこれを書いています。

そのうち悩み相談室PREMIERに相談するかもしれませんが、どうせ相談してもロクな回答はないでしょう。

返事遅いし。

頓智みたいなものは返ってきそうですけど。

 

報告が終わって、次の議題は11月に打つセールの話なのですが、タイトルを何にするかで議論になっています。

具体的には「○○カーニバル」派と「△△フェスティバル」派に割れています。

いやいや、どっちもアパレルのセールに付くタイトルじゃないでしょう。

私は会議に出ている人の中で三番目に偉いので(えっへん。)こういう時には黙っています。

納得感が一体感を醸成するので議論のプロセスは大切にしています。

初めはちゃんとコンセプトやら市場分析やらから始まったのですが・・・。

カーニバルは「謝肉祭」と邦訳を当ててみればはっきりダメだこりゃ、と思ってもらえるでしょうし、フェスティバルは「祭礼」というそもそもの部分を見れば遠慮してくれるのではないかと思うのです。

祈りがないと、などと言うと「一枚でも多く売れろという祈り」みたいなことを言う人がでそうですが。

それは祈りではなく願いでしょう、というとそれはどう違うのですかなどと真顔で聞き返される気がします。

頭痛がしてきましたが、議論は泥仕合になってきました。

「カーニバルというと服を着ていない気がします。アパレルのイベントとしてどうかと思うのですよ。」

「それはリオのカーニバルのダンサーのイメージでしょう?もしくは浅草?着眼点が下品。どうかと思うのはあなたの品性ですよ。フェスティバルだってビールか歌って感じじゃないですか。」

「フェスのこと言ってる?あれはフェスだから。あくまで。それにオクトーバーフェストもね、フェストだから。こっちが言ってるのはフェスティバルだから。」

 

THE BOOMの「カルナヴァル」という曲は軽やかでおしゃれだったなあと思い出しました。

高校の時に行ったカラオケであれを歌った人は本当にかっこ良く見えました。

 

そうこうしているうちに、フェスティバルでもなくカーニバルでもない名前を付けることになったみたいです。

ハロウィンとクリスマスに挟まれた11月をテコ入れするのは文化祭か勤労感謝じゃないか、うちのターゲットから考えると後者推しなのだがとひそかに思っているのですが、いかがでしょうか。

もし11月にあなたのお近くの服屋さんで勤労感謝祭みたいなセールが展開されてたら、私のいる会社のお店かもしれません。

是非一枚買ってくださいね。

 

死亡診断書 Mr.ヤマブキ

  • 2018.09.27 Thursday
  • 18:54

 当直のことを夜勤と言われてささくれだってしまうのは、当直の前後も働いているのにそうでないみたいに聞こえてしまうからだろう。朝、夜、朝と来て、そろそろ連続で35時間くらい働いていることになるのだが、長く自分が診てきた人が亡くなりそうで帰るに帰れない。当直医に任せればいいのだが、忍びない気持ちになる。

 最終的に、一時間後にその人は亡くなった。最期を看取り、家族に挨拶をした。そこは何とか気力でもったが、死亡診断書、死亡届を書くところは朦朧としていて、とにかく早く終えたかった。振り返ってみれば、正直、乱雑な字になっていたように思う。後になって申し訳ない気持ちが湧いてきた。

 

 三日後、亡くなった某さんの担当に、とのことで病院に電話がかかってくる。

 

「そちらで発行いただいた某さんの死亡診断書の件ですが、誤ってKさんという別の方の名前と生年月日が記載されていました。ですので死亡診断書の再発行をお願いできますでしょうか」

 

 朦朧としていたせいで、何と自分の名前を書いてしまったらしい。書類関係で、つい自分の名前を書いてしまいそうになることは確かにあるが、本当に書いたまま出してしまうとは恥ずかしい。

 

「すみません、それは私です。間違えてしまいました」

「そうでしたか。実は、こちらの死亡診断書については今しがた受理されたところです」

「え、はあ。キャンセルしていただけるんですよね」

「申し訳ありません、こちらで処理することはできかねます」

「そんな。……つまり、死んだことにされているわけですか?そちらが受理したことですから、どうにかしてもらえませんか」

「一度受理されましたら恣意的な運用はできません。法治国家の根源に関わる問題です。大変お手数ですが、死亡診断の解除は所定の手続きをお願いします」

 

最終的に受理したのは役所のほうなのだからあまりに理不尽だと思ったが、元を正せば自分にも非があるので、その負い目を解消する方向に心は動いた。

 

「仕方ないですね、分かりました」

「最後に先生のお名前を伺ってもよろしいですか?」

「最初に言ったじゃないですか。Kですよ」

「いえ、K先生は亡くなられておられます。先生は、どちら様でしょうか?」

 

 それを聞いて一気に鳥肌が立った。不気味なやりとりだった。死んだことにさせられている。単なる書類上の定義が現実の僕自身の生死を規定しようとしている。頓珍漢な職員だという印象は、一気に暗い沼に潜む得体の知れない何かという印象に移り変わった。思わず電話を切ってしまった。

 

 

 本人でないと死亡を覆す手続きができないということだったので、それからすぐに市役所に向かった。窓口に出たのは中年の女性だった。

 

「所定の用紙ですね。お預かりいたします。ご本人を確認できるものはありますか?こちらの運転免許証ですね。分かりました、少々お待ちください」

 

 奥に下がった彼女は主任と思われる男性としばらく話し込んで、書類を持ったまま戻ってくる。

 

「申し訳ありません。こちらの運転免許証に登録されていますKさんはすでに亡くなられていますので書類の受付はできません」

「いや、だから間違って死亡で登録されてしまったので、それを訂正するための手続きですよね。それを死んだことになっているから本人じゃないって扱われてしまったらどうやっても死亡を覆せないじゃないですか」

「大変申し訳ございませんが、決まりですのでお納めください。恣意的な運用は法治国家の根源に関わる問題ですから」

 

 きっと奥のあの主任が電話の主なのだろう。ここで引き下がっては生き返るチャンスが二度と来ないかもしれない。主任を呼ぶように言って、直接交渉することにした。

 結局、全く埒が明かなかった。向こうが言うには、死亡診断を覆す正式な手続きが必要で、かつKは死亡扱いなので僕はKではない、ということだった。だがそうなると本人しか申請ができないため論理的に申請ができない。そこはルール通りの運用をするのが仕事だと突っぱねられてしまう。じゃあ僕を死体だと思っているのか?と聞くと、そうではないが、誰だかは分からないと言い切る。

 とうとう根負けして、マスコミにでも訴えるつもりで、その日は一旦引き下がることにした。

 

 

 病院に戻って、仲の良い同僚に愚痴を言う。

 

「聞いてよ。間違って書いた死亡診断書が受け付けられてしまって、死人扱いされてるんだ。間違った診断書だって言っているのに僕は死んだことになってるからキャンセルは受け付けられないんだと。訳分かんないよなあ」

「え、それは大変ですね……、ところで先生、お名前を伺ってもよろしいですか?」

 

 冗談だと思ったが、目があまりに真剣で、嘘が苦手な彼にそんな芸当ができただろうか。とても確かめる勇気などなかった。返事もせずに彼のもとから逃げ去る。

 

 仕事に戻っても、正体不明の医師として見られているのではないかと思うと全く進まなかった。電子カルテはIDとパスワードさえ入力すればK医師として扱ってくれるので、よっぽど暖かみを感じた。機械の方が平等で公正で、それだけがわずかな救いだった。何とも情けない話だ。

 そのまま電子カルテ上で、処方や点滴などの入力だけでも済ませていると、看護師が声を上げ始める。その向こうにはあの某さん夫婦が立っていたのだ。

 

「主人が大変お世話になりました」

「これは……一体?」

「自宅に連れて帰って葬儀を待っていたんですけれども、突然主人が目を覚まして棺から出てきました。もう本当に嬉しくて嬉しくて。皆様方によくしていただいたおかげで起こった奇跡だと思います。本当にありがとうございます」

 

 某さんも言う。

 

「皆さん本当にありがとうございました」

 

 某さんの死亡診断書をまだ書いていなかったことを思い出した。もう書く必要はないだろう。仮死とともに生前付けられていた末期癌の病名も捨て去られ、きっと某さんの体からは病さえ消え去っただろう。驚きと共に絶望的な気分になる。

 

 今、私の周りには銀蠅が舞っている。

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< September 2018 >>

カウンター

ブログパーツUL5

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM