空前の戦国時代 Mr.Indigo
- 2018.07.31 Tuesday
- 23:55
副業でコミュニケーションを生業にしている会社で働いている。
そのせいかこの年になってコミュニケーションをテーマに話す機会が時々ある。
ありがたいことである。
対象は子どもから大人まで幅広い。
大人も社内、社外、偉い人、そうでもない人、派手な人、地味な人、みんなー、みんなー、ありがとう、いえー。
コミュニケーションとは交換であると誰かが言っていて、ほな交換て言えや、新しい言葉作るな紛らわしい、と思うんだけど、人間は飽きやすいし忘れやすいし人のいうこと聞かないので、似たような概念を違う言葉で呼びがち。交換というとギブテクとか言う人がいて、そういう人が苦手。そういう人はすぐコスパとか言いがち。苦手。交換の概念がせまいよね、なぜ等価を前提にするのか。
コミュニケーションとは絆であると誰かが言っていて、〇〇とは絆である、てどんだけ搾り尽くされた表現なのかについて思わず想いを馳せた。つなぐ、とかね。いやー、言うよね。3月のライオンで絆でがんじがらめになるベテランが描かれていたけれど、ああいう側面もある。きれいに便利に使われている言葉を見ると少し汚してやりたくなるのは俺が天の邪鬼だからだね。
コミュニケーションとはプロレスである、と誰かが言っててそれはさすがに話が逆、秋元康が頻発する秋元話法だろうと、もちろんプロレスがコミュニケーションの一つの形だろうと思う。棋は対話なりと言うわけで、対話は棋とは限らん。
コミュニケーションというのは贈与であると誰かが言ってて、俺はそれはええやんか君なかなか話がわかるなあ、と思うんだけど、それはなぜかというとプレゼントは見返りを求めないし、喜ぶかどうかは相手に委ねるから。わかんないよね、そうだろうそうだろう。こっちが伝えたいことがすぐに相手に伝わることなんて稀、伝わっても何年か経ってたなんてザラ。できれば届いてほしいと祈りながら差し出すのがコミュニケーションのあり方なのだろうと思うから。
12345678910と俺が話しても246810と酌み取られるならいい方、24くらいが妥当な目標だろう、それ以上はきっとお腹いっぱいになっちゃう。12345678910と伝わるなんて気持ち悪い、いろんな組み合わせで何かを持って帰ってもらい、それがいい感じで発酵して、他の素敵なものがいつか全然違う形で世の中に還って、その恩恵をちょっと受けられたらいいな、と思う。
私が「将棋倶楽部24」(以下、24)
将棋が強くなりたかったら、将棋を指すことである。
R(レーティング)という勝てれば上がり、負ければ下がる、
しばらくして、
しかしそのことを理解し、
朝から晩までパチンコを打ち続ける人を笑えない。
今でもちょっとした勢いで軽く一日に10局以上、3-
自分はおそらくこれからもずっと「24依存症」なのだな、
ふと気が付くと、閑散としたホームに電車は停まっていた。
寝てしまっていたらしい。
駅に見覚えはない。スマホを見ると24時を超えて0時40分に差し掛かろうとしていたところであった。
おかしい。終電1本前のこの快速電車に乗ったとき、最寄り駅に着くのは一度普通電車に乗り換えて0時20分頃だったと記憶している。
とりあえず電車から降りる。駅名を確認すると快速電車で2駅先の駅名だった。
初めて降りる駅の改札を出て歩き出した。
今でも、なぜ歩き始めたのかわからない。飲み会帰りで手持ちが少なかったことも理由の一つにあったかもしれない。
次の日も会社なのに関わらず、その日は飲みすぎて酔いを醒ます時間が必要だったのかもしれない。
久々に寝過ごしてしまった自分への戒めだったのかもしれない。
とりあえず線路沿いに帰る方向に歩き出し、途中見かけた自動販売機で水を買う。
2件目のバーで飲んだロングアイランドアイスティーが効いていて、まだまだ酔いが体を支配している。「こういうバーだったらメニューになくても大概作ってくれるよ」なんて知ったフリをして注文しちゃったもんなあ。
終電間際とはいえ普段だったらなかなか座れないのに、ひょっこり座れてしまったこともまずかった。そうでなかったら寝てしまうこともなかったのに。
そんなことを考えながらスマホで検索すると1時間半くらいかかるようだ。到着予定は2時過ぎになっている。
まあ、いいかと思ってそのまま歩みを進める。
家の方向に。西に。
にぎやかなところから閑静な場所を通り抜けてひたすら歩く。
と、大きな通りに出る。ただ不幸なことに、通りの標識はと自分の進んでいる道が家とは全然違う方向につながっていることを示唆している。
改めてスマホで道順を調べてみる。すると、とりあえず今来た道をそのまま戻らないといけないと言っている。
どこで間違えたのかわからない。
まっすぐと思った道が緩やかにカーブしていて自分の家の方から少しずつずれてしまっていたのだろう。
それからはスマホの指示に従って歩く。
1本目の水を飲み切ってしまったので、次はお茶を買う。
そうこうしている内に大きな通りに出て、この道をひたすら進めば家の近くの見知った場所に行きつくことをスマホが知らせてくれる。
あと少しだ。
ずっと歩き続けたせいか足のマメがつぶれて痛くて仕方がないが、たまに休みながらひたすら歩みを進める。
家に着くと3時を回っていた。
迷ってしまったがために1時間もロスしたことになる。これも良い経験か。
ささっとシャワーを浴びて布団に入る。3時間も寝たらまた仕事に行く準備をしなければならない。
私の表の顔はしがない内科医ですが、病院を出ればいざ、ヤマブキという名の覆面作家に変身します。仕事が終わると喜び勇んで我が家に戻り、せっせと鉄の海を書きます。ショートショートも発想の種を蓄えて書いています。このプリミエールという素敵な場で皆様にお会いできること、ましてや講評までいただけることは私にとっての無上の喜びです。この場を与えてくださったA・ハッガリーニなる正体不明の編集長に感謝したいと思います。
さて、2018年7月のテーマは「24」ということでしたので、私はとびっきりのショートショートを用意して、7月24日の24時丁度に投稿してやろうとパソコンの前に陣取っていました。24進法による時刻表示で面白いのは、1日は24時間と表現するのが一般的であるにもかかわらず24時という時間があり得ないことです。テレビの時刻表で24時半、26時などという表現は散見されますが、それは厳密には24進法ではありません。矛盾した言い方にはなりますが、厳密な24進法では24時という時間は存在しません。24時を示そうとすると、すでに0時0分になってしまうからです。
そこで私は、7月24日23時59分59秒からまさにその1秒後を狙って投稿ボタンを押すことにしました。要するに7月25日0時0分なのですが、端からそう投稿するのでは意味がありません。7月24日23時59分から連続する時間の数直線上を自分自身が流れ、その流れの中で投稿するという行為こそが7月24日24時という時間を切り開くと考えたのです。
意味不明だと考える人もいるかもしれません。でもあながち間違いでもないように思います。24時という時間は23時59分の続きにしかあり得ない数字なのです。どうにかして連続性を保つのに思いついたのがその方法でした。まあアマチュア作家のちょっとした趣向ですから、理論的な瑕疵は大した問題ではありません。とにかく24時を意識したパフォーマンスであれば何でもよかったのです。
私は23時50分にはトイレを済ませ、投稿手順と作品の確認を行い、あとは投稿ボタンを押すだけというところでパソコンに向かい合いました。正直、退屈でした。せっかくのチャンスですから逃してはなるまいと思いながらも、実際に何もやることがないので暇な10分と言えたでしょう。ですが、23時58分くらいになってくるとさすがに緊張感が高まりました。さあ、23時59分です。57秒、58秒、59秒、……24時。
うまくボタンを押せたのでほっとしました。今日はよく眠れそうだと思い、水を一杯飲んで、一息ついてパソコンの前に座りなおしました。本当にびっくりしました。モニターの右下に表示された日時には、2018/7/24 24:01と書かれていました。24時1分?
それが0時1分と同義に見えて全く異なる事態だと気づくのに時間はかかりませんでした。0時1分は24進法の中に、普通の1日の中に埋め込まれていますが、24時1分はすでに24進法をはみ出しています。日付も25日ではなく24日ですから、要するに私は25日へと渡ることができなかったのです。24日と25日の狭間にある24日24時に迷い込んでしまったというわけです。おそらく、23時59分から24時0分に連続した結果、当然の帰結として、24時01分に連続したのでしょう。時間の連続性を体現するという私の理論は実証されたようですが、嬉しさよりも圧倒的に不安が勝りました。この狭間から抜け出す方法があるのか。私はどこへ向かうのか。そんなとりとめのない疑問が湧いては消え、消えては湧きました。
手がかりを探すため、家の時計を見てみることにしました。結果、アナログ時計には変化はなく、デジタル時計の0時が24時に代わっているばかりでした。アナログ時計は12進法を我々が読み込んで24進法で扱っていますから、これも当然のことでしょう。長針が1を、短針が12を差すこの文字盤を、きっと24時5分と読まなければならないのだと思います。
デジタル時計の方は電子機器類とは別に、目覚まし時計として使っている小さなものが一つありました。それをよく見ると4桁しか表示ができないようになっています。普通のことです。しかし、それが普通ではないのです。連続性の議論を敷衍するならば99時の後はどうなるのでしょう。いや、99時まで行くのかどうかも分からないのですが、本来なら99:59の後に100:00と表示されるはずです。ですがこの時計は4桁しかないのです。ということは、100時に移ることはできません。アナログの文字盤であれば意味さえ付与すれば無限に数えることができますが、デジタル時計はそうはいきません。すると、100時が来るとき、何かが起こるはずです。楽観的に考えれば0時に戻るのだと思います。終わりが来れば元に戻るだけの話です。悲観的に考えれば?……時は刻むのを止めます。全てが静止し、この世界は無に帰します。私もこの世界で静止し実質的に無に帰します。
ああ、まさかプリミエールに投稿するちょっとした趣向がこんな危険な冒険になってしまうとは。趣向を凝らしたテーマ作品など投稿せず、高階などという女性に幻想なんとかを案内してもらえばよかったのです。あるいはいつものように罪のない人間をどん詰まりに追い込むような作品を書けばよかったのです。それがまさか私自身になるとは、因果なものです。結末はもう分かっています。100時を待つしかありません。99時59分の後、私が再び戻って来れるか、あるいはこのパラレルワールドで世界静止に巻き込まれるか。それすらも分からぬままこの話は終わりを迎えるのです。これはヤマブキの世界です。でも、ヤマブキの世界だって、たまにはハッピーエンドを期待してもいいでしょう?
今週は新潟の直千アイビスSDと夏の牝馬限定重賞クイーンSです。
アイビスSDは新潟の名物コース直線1000mで行われる唯一の重賞。一方クイーンSは3歳馬の活躍も目立つ牝馬限定重賞。どちらも秋以降のGIにつながることもあって、少しだけ秋の気配も出てきました。
それでは予想を簡単に。