【テーマ】戦時下のシャンソン Mr.ホワイト
- 2018.04.30 Monday
- 12:00
武満徹(Toru Takemitsu)はおそらく世界的にもっとも知られている日本人作曲家で、彼の前衛的な現代音楽は今も世界中のオーケストラで演奏されていますが、驚くことに彼は正規の音楽教育を受けていません。家族や親戚に音楽家はおらず、誰かに手ほどきを受けたというわけでもありません。それどころか彼はピアノを持ってすらいませんでした。
病弱な少年期を過ごした彼は音楽とは特段かかわりのない人生を生きていました。しかし1945年の敗戦の年、それは彼が15歳の頃でしたが、半地下壕の軍の宿舎で見習士官が手回しの蓄音機でこっそり音楽を聴かせてくれたことで彼の人生は一変します。それは敵国であるフランスのシャンソンで、そのような音楽を当時の少年たちは聴いたことはありませんでした。戦時下に流れるその敵性音楽を聴いて雷に打たれたような衝撃を受けた武満は、それ以来取り憑かれたように音楽のことしか考えられなくなってしまったのです。
敗戦直後の日本にピアノなどという高価なものがそこらにあるわけはありません。唯一ピアノがあるのが学校で、彼はピアノを触りたいがために学校に通い、ピアノを勝手に使っては音楽室に鍵をかけられ、鍵を壊してまた勝手に使い、また鍵をかけられては鍵を壊すということを繰り返していました。それでもピアノを触る時間は限られるので、彼は外を歩いていてピアノの音が聞こえるとその家に行ってピアノを弾かせてもらい、それもわずかな時間だったのでボール紙で鍵盤を作って常に持ち歩き、紙の鍵盤を叩くことで頭の中に音を鳴らしていたのです。
結局、彼は音楽学校に行くこともなく、ピアノは横浜の米軍キャンプのバーで給仕として働きながら、バーが閉まっている朝から夕方まで1年間独学で弾きまくっただけで、音楽教育を受けずに作曲家に師事し、ピアノを持ったことがないまま作曲家としてデビューします。
彼の代表曲は「ノヴェンバー・ステップス」「弦楽のためのレクイエム」「遠い呼び声の彼方へ!」などですが、彼の曲を聴くと複雑で難解でわけがわからなくて、しかし同時にダークで美しくて、「この曲は一体どこから来たのだろうか?」と思わざるをえません。武満徹の前衛性は伝統的なクラシックの向こうにあるというよりも、彼の中にあったものが外に出てきたとき、それがクラシックにとって前衛的であったと言うほうが近いように思います。つまり彼の曲は彼の中から出てきたのであって、その鍵を開けてしまったのは戦時下の半地下壕で流れたシャンソンだったのでしょう。
武満徹と音楽との出会いは偶然だったわけではないと私は思います。戦時下でシャンソンに出会ったのは偶然かもしれませんが、そうでなくとも彼はいつかどこかで何かを聴いて衝撃を受けたはずです。シャンソンは彼という器を満たしたのではなく、コンコンとそいつをノックしたにすぎません。どこから来たのかわからない彼の音楽を聴くと、彼の中にはもともと何かが流れていて、それはずっと外に出るきっかけを待っていたのだとしか私には思えないのです。