【テーマ】監督の卒業  がりは

  • 2018.03.31 Saturday
  • 23:09

「ごめんなあ、おまえら。監督はもう、おまえたちとサッカーできなくなっちゃった。」

今年七十三回目の春を迎えた男の片目は真っ白になって動かず、人工透析を受けるようになって一年経った体はすっかり縮んでいた。

普段は一瞬たりとも静かにしていられない六人の小学生と五人の大人は、お互いがごくりと唾を呑む音が聞こえるほど、静かに監督の言葉を聞いていた。

 

それはキッカーズの解散の日。

体調を崩しグラウンドに来ることができないキッカーズの代表兼監督のご自宅へ、OBOBコーチを呼んで盛大に行った最後の練習の後、現コーチ三名、OB三名、選手六名で最後の挨拶に伺った。

かつては浦和FCを率い、全国制覇をするなど浦和の少年サッカー界を牽引する存在だった監督は15年ほど前にキッカーズを引き受けた。

キッカーズは「サッカーが一番好きなわけではない子」がサッカーを楽しめるチームだった。

練習は日曜日の早朝だけ。

サッカーが大好きな子は土日練習ができる他のチームに行く。

浦和には強いチームがたくさんあるから。

早朝だけなら他の習い事にもいけるから、という配慮だと聞いた。

 

私の息子は去年入団し、二年間お世話になった。

初めの一年はサッカーの後に将棋の教室に行っていた、まさに「サッカーが一番好きなわけではない子」だった彼が、自己紹介カードの得意なことの欄にサッカーと書くまでになった。

息子が連れてきた友達が最後の入団者であり、私が最後のコーチとなった。

我々が加わった時にはもう監督は体調不良でグラウンドには姿を現さなかった。

運営は息子さん娘さんがキッカーズにいた頃からコーチに就いていたお二人がボランティアでやっており、そこに誘われる形で私も加わった。

チームは去年が9名、今年が6名。

全学年合わせてその人数なので大会出場など望むべくもない。

一般的なサッカーチームとは事情が大きく違った。

休憩になると喜んでボールを放り出し水場に走る姿が見られたり、日本代表の試合も観ていなかったり、「なんでサッカーやらなきゃいけないんですか。」とプリミティブな疑問をぶつけられたりと普通のチームでは想像もできないような状況に何度もなったけれども、卒団式の時に一人ひとりの胸の内を聞いたところ、皆少しずつ違った角度でサッカーを好きになったみたいで安心した。

 

監督は本当にたまにグラウンドに来ると、びっくりするくらい大きな声で「シュートはしっかり振りぬけ!」「パスを手加減するんじゃない!!」と怒鳴った。

保護者とコーチが集められた運営会議では、監督の体調の悪化と後継者がいないことを理由に今年度いっぱいでチームを畳みましょうと提案するコーチを叱りつけ、

「今所属している子供たちが卒業するまでは存続させるんだ。子供たちがかわいそうじゃないか!彼らからサッカーを奪ってはいけない!私は死んでもキッカーズを守る。死ぬ場所はグラウンドと決めているんだ!!」

と衝撃の発言をした。

想いとは裏腹に後継者は見つからず、先輩コーチお二人もボランティアで続けられる範囲をはるかに超えて尽くされてきたので、今年でチームを閉じることになった。

 

私もコーチをしていて多くの気づきがあったが、エリートをさらにストレッチすることに心血を注いできた監督もキッカーズを引き受けて考え方が大きく変わったらしい。

五十歳を超えて新しい価値観を築いたのはさぞかし楽しい経験だったでしょう、といつか聞いてみたいと思っていたが、それは叶わなそうだ。

監督は補聴器をしていても耳が遠く、コミュニケーションが段々難しくなってきている。

 

一緒に挨拶に伺ったOBのうち二人は今二十歳でとてもサッカーが上手い。

現役のプレイヤーだ。

監督が彼らの在籍していた頃の思い出話をしているうちに、記憶が混線して全く知らない世代の話になったり、話が突然終わったりするさまを彼らは必死に受け止めていた。

彼らは小学校六年間みっちり監督の指導を受けた世代で、その時の話をたくさん聞かせてくれた。

 

「おまえたち、サッカーは続けるんだよ。」

監督はかすれた声で言った。

「監督はもう、サッカーを卒業しなきゃいけなくなったけど、そうなるまで続けていいんだから。自分で卒業するんじゃないよ。」

 

【テーマ】ありがとう、さよなら  Mr.マルーン

  • 2018.03.31 Saturday
  • 10:45

ざっ、ざっ。
満開の舞い散る桜の下、佐野は一人シャベルで穴を掘っている。
ざっ、ざっ。
記憶を頼りに手当たり次第に掘っているせいで、周囲は穴だらけだ。
どこからか仰げば尊しが聴こえる。今朝も「各地で最後の卒業式」というニュースが繰り返し流れていた。それにしても、この期に及んで仰げば尊しとは。悪趣味な回顧主義者の校長がいるらしい。
ふう、とため息をついて見上げると、ちょうど佐野の上空を巨大な円盤状の”建造物”が通り過ぎていく。軌道上に浮かんでいるはずなのにディティールすらも把握できてしまうほど巨大で不気味なそれは、宇宙船地球号から移乗するための人類の新たなマザーシップ。あんなに巨大なのに、佐野には理解できない不可思議な光学技術のために日照は遮られない。
人類が地球という美しい星をすっかり食らい尽そうとしていた頃どんな侵略的外来生物よりも破壊的な生物は人類であるというのはもはや世界的な共通認識だった。そんな中、一つの提案が国連で採択された。人類の完全地球外退去−グラジュエーション・フロム・ジ・アース。
今まで締結されてきたどんな議定書よりも突拍子もないそれは採択から15年、それまでの宇宙開発の歩みからは考えられない驚異的なスピードで成し遂げられようとしていた。
その母艦は全ての人類をその胎内に収めたら、間違っても地球に墜ちてしまわないようにあてどない宇宙の旅に出ることになっている。らしい。その頃には佐野もカプセルの中で凍り付いた夢の中だ。
あの忌々しいナチュラリストどもが、やってきたどこの星とも知れぬ宇宙人どもの口車に乗せられなければこんなことにはならなかったはずだ。なんだ、宇宙的倫理って。
もうすぐこの星からは誰もいなくなる。母なる青い星からの、人類が産まれて400万年以来の親離れだ。その先のことは、もう誰もわからない。数百万年たって、ひょっとしたら、また新しい「侵略的生物」が生まれるかもしれない。
ざっ、ざっ。
早く見つけなければ。くそ、ここもだめか。
絶対にこの辺のはずなんだ。
ざく、と思い切り突き刺したシャベルの先がこつんと何かに当たった。
「…あった」
慎重に土をどかすと、錆びついた四角い缶がそこにあった。
卒業式のあの日、すばると埋めたタイムカプセル。やっと見つけた。
取り出してふたを開けようとするも、錆びついていて簡単には取れない。ドライバーでこじ開けていく。錆がぱらぱらと落ちた。
最後は力任せに開けると、中には色褪せた写真が数枚と、星図と、取るに足らないおもちゃがいくつか入っていた。
満面の笑みで写真に写っている少女。
「…すばる」
タイムカプセルを埋めながら、いつか一緒に宇宙に行こうと約束した。彼女の名前の付いた星まで、いつか行こうと。
それがまさか、こんな形で叶うことになるとは。
奴らに魅せられてあっという間に向こうに行ってしまった親友を想う。
佐野はもとあった場所にそっとタイムカプセルを置いた。
いつしか歌は蛍の光に変わっている。もはや卒業の歌というより、誰かを追い出すための歌というイメージの方が強いのが、何とも皮肉だ。
佐野も明日、この星を出ることになる。明日が日本人の強制退去執行日だ。
マッチを擦って、缶に投げ入れた。ぱちぱち、と弱い音を立て、中のものが燃えていく。
全ての抵抗は無意味だった。誰もいなくなるこの世界に、思い出だけ置いていくなんて馬鹿げている。
桜が散っている。誰かが泣いている。
「ありがとう、さよなら…」
そして、こめかみに銃口を当て引き金を引き

【テーマ】代償 たりき

  • 2018.03.31 Saturday
  • 00:00

目を覚ますと外からはしとしとと雨の降る音が聞こえた。雨の音で目を覚ましたのか、目を覚ましたら雨が降っていたのかはわからない。ただわかることは、外はまだ真っ暗で起きる時間にはまだ早いということ。

枕元の時計に目をやる前に、ついさっきまで見ていた夢を反芻してみる。

 

舞台は高校の卒業式らしかった。

卒業生全体での式が終わってクラスに戻り、最後のホームルームも終わってみんな思い思いの高校最後の時間を過ごしている。

窓から中庭をのぞくと主に女子たちが当時まだ普及していなかったはずのスマホでぱちぱちと写真を撮り合っている。

ぼくは3年間過ごした友人たちと話をしながら、気になっていた同級生に告白しようとその機会をうかがっていた。

そして代わる代わるいろんな仲間たちと話をする中で、ようやくその同級生と二人きりになれたというまさにそのタイミングで目が覚めた。

 

本来、卒業式のそのシチュエーションであれば焦って焦って仕方がないものだと思うのだが、夢の中のぼくはひどく落ち着いていた。

まるで二人きりの機会が訪れることが分かっていたかのように冷静だった。

今にして思えば、ぼくはそれが夢だということに気づいていたのだろう。

なぜなら、ぼくは高校の卒業式には出席していない。大学入試と日程が重なってしまったため欠席したのだった。

 

今になってそんな夢を見たことにぼくはひどく驚いた。10年以上が経って初めてのことだったのだから。

高校の卒業式に欠席していることを後悔しているかというとそんなことはない。卒業式欠席の代償として入学した大学をぼくは卒業し、今は社会人としておそらくはそこそこ立派に働いているのだ。

ただ、卒業式に出席していたらどうだったのだろうかということは気になる。ぼくは彼女に告白できていたのだろうか。結果はどうだっただろうか。

 

目が覚めてどのくらいの時間が経過したかはわからないが、外はまだ暗い。

さすがに気になって時計を確認してみると5時にもなっていなかった。

と、そこで気づいた。枕元のデジタル時計に表示されている日付は高校の卒業式と同じものだった。

 

起きて会社に行く支度をするにはまだまだ時間がある。

その間、もうちょっとさっき見た夢について想いをめぐらしてみようかな。

王者の自転車  Mr.Indigo

  • 2018.03.30 Friday
  • 23:46

―今回の雑兵日記PREMIERダイジェストはテーマコンテストの王者Mr.Xの特集です。ゲストはMr.X愛用の自転車さんです。よろしくお願いいたします。

「よろしくお願いします」

―自転車さんはMr.Xの作品にしばしば出てきますが、初登場は2014年3月の『ある事故に関する記録、というか記憶』ですかね。

「単語としては2007年11月の『イート・イート・イート』にも出てるんですが、実質的には『ある事故に関する記録、というか記憶』ですね。あの時は酷い目に遭いました。Xもずいぶん気にしていましたよ」

―そうですよね。Mr.Xの体験談は描写が丁寧で、情景を想像しやすいように思います。

「ええ。臨場感がありますよね」

―次の登場は2年半後、テーマコンテスト作品の『Ocean side通勤』です。受賞はなりませんでしたが、この作品は非常に評判が良かったですね。

「そうですね。Xが羨ましくなるでしょ?雨の日や風の強い日は私も大変ですけど…」

―満員電車で通勤するのも大変ですからね。羨ましく思った方も多いのではないでしょうか。

「あの作品は生物学の知識と文章表現の特長が存分に生かされているように思います。彼にしか書けない文章ですね」

―はい。それではここでCMです。


<雑兵日記PREMIERの予想といえばPスポ!本紙担当・渡海文殊が2月の予想を振り返ります>

「むはははは!MVPもテーマコンテストも的中じゃ」

<凄いですね!>

「だろ?」

<1〜3着が全部無印。印をつけた作品は全て1票以下。もう神レベルですね>

「わしは神ではない。仏じゃ!」

<…えっ、そっちに突っ込むの?>

「…ん?」

<最優秀作品賞のことを言ってるんですよ。こんな豪快な外しっぷりはこれまでなかったかと…>

「最優秀作品賞って何?」

<そうきますか。最優秀作品賞の予想をしないようでは本紙担当クビですね>

「…すまん」

<ではなぜ外れたのかコメントをお願いします>

「…うむ。率直に言うと、今回に関しては評価基準が完全に狂っておった。立て直さないとな…」

<では、どうすれば当たるんでしょう?>

「…わからん。わかったら毎回的中じゃ…」

<これは一時期のテーマのような泥沼かもしれませんね。来月の予想を楽しみにするとしましょう>


―次は2017年5月のテーマコンテスト受賞作『駆け抜ける商店街』です。

「はい。私が出た作品で受賞できて、とても嬉しかったですね」

―この作品で、Mr.Xは地元の商店街が自らの成長を超えるスピードで変わっていくことを『悔しい』と述べています。面白い感覚ですね。

「そうですね。『淋しい』だと普通ですが、そこに個性が現れているように思います。Xは研究者ですから、自分がより進化したいという思いが強いのかもしれません。

―Mr.Xは理系ですが、哲学的な一面も見受けられますね。

「そうですね。彼が言うところの『文系のムズカシ気な本』の影響もあるのではないでしょうか」

―ちなみに、『ある事故に関する記録、というか記憶』にMr.Xの本籍地が高松市木太町であるとの記述があることから、この商店街は高松の丸亀町商店街で、本屋は宮脇書店本店であると推察されます。Googleのストリートビューで調べたところ、確かに自転車専用レーンが設けられていますし、書店の向かいに鎌倉パスタがあります。あと高校はですね…。

「おい!なんでそんなことまで調べてんねん。お前はストーカーか?どつくぞ!」


<この番組は、Pスポの提供でお送りいたしました>



【テーマ】若き保育士の卒業 Mr.Indigo

  • 2018.03.29 Thursday
  • 22:21

スピーカーから涙声が聞こえてきた。S先生は泣いていた。

長女のクラスにとって最後の発表会。担任のS先生はかなり気合が入っていた。衣装や小道具も凝ったものが用意されていて、我々保護者が驚くほどだった。

この先生は優れたエンターテイナーである。前半の劇は園児11人の配役が見事にはまっていて、先生が全員の個性をしっかり把握していることが窺えた。ほとんどの子に単独の台詞があったが、みんな自信を持って大きな声を出していた。就学前にそれができるのは凄いことだと思う。

そして、保護者たちが「ずるい」「反則だ」と口を揃えたのが、後半(体操)の選曲である。アップテンポな曲で元気良くやっていたのに、最後の1曲だけしんみりとしたバラードを流したのだ。後で調べたところ、96猫の「MOTHER」という曲だった。


―ありがとう、私を産んでくれて。あなたのこどもに生まれて幸せです―


作戦は完璧だった。しかし、泣いてしまったのは仕掛けた先生も同じだった。

先生の思いはとても一言では言い表せないだろうが、その根底にあるひとつの事実はみんなわかっていた。

「卒業する」

そのことに他ならない。

子供たちも、そして先生も。


S先生と出会ったのは5年前。当時はまだいかにも学生さんという雰囲気だった。そんなS先生が初めて担任を持ったのが一昨年度の長女のクラス。そして今は最高学年の担任を務めていて、園児や保護者の信頼も厚い。この5年で先生も大きく成長したのだ。

しかし、S先生は3月いっぱいでの退職が決まっている。保育士としてステップアップするためだという。残念ではあるが、現状を考えると仕方ないだろう。

保育の現場は相変わらず人手不足に悩まされている。若くて有能な先生は、どこの保育園も喉から手が出るほど欲しいに違いない。当然、相応の待遇を提示するはずだ。

今後も長年にわたって保育士として働くのなら、今のうちにより良い環境を見つけるべきだろう。担任のクラスが卒園する今年度末は絶好のタイミングである。

そんな事情はみんなわかっている。少し前の保護者会では退職する先生の挨拶があり、それを受けて司会のJ先生はこう言った。

「泣くのではなく、笑って送り出したいと思います」

しかし、誰よりも泣いていたのはそのJ先生だった。


「これでいいんやろな」

発表会の後で私は思った。S先生がここで働き続けても、この発表会を超える濃密な時間は訪れないような気がしたのだ。

初めての経験というのは永遠に特別である。S先生の保育士人生の中で、発表会の途中で泣いてしまうことはもう二度とないかもしれない。これだけの思い入れがあるクラスにはなかなか出会えないはずだ。

時間の濃度は経験を重ねるにつれて薄まっていく。一度薄まった時間を濃くするのは容易なことではないが、方法がないわけではない。もう一度初めての経験をすればよいのである。新たな環境で働くのは有効な手段だ。

S先生はまだ20代半ば。今の職場でベテランになる権利は有しているが、それは義務ではない。より濃密な時間を求める権利もある。

新天地に移るからには、長女たち11人と同等ないしそれ以上の情熱を傾けられる子供たちに出会ってほしいものである。



おはなみ  Mr.アールグレイ

  • 2018.03.29 Thursday
  • 00:00
寒くなったり暑くなったり忙しいですね。
雪が降ったのにもう桜が満開。
私も近くを散策してお花見をしてきました。
桜が大好きなんです。
新しい土地に住みつくと、生活を展開するにあたって必要な物資の供給網を整備し、次に行うのはジョギングコースの策定、本屋と喫茶店の発掘、そして良さそうな桜のあたりをつけることです。
良さそうな桜とは、人が来なくて立派な桜です。
人は桜がどどどどどと並んでいると集まります。
また、ものすごく立派な一本の桜がある場合も集まります。
一本で集客できるスター桜があれば、スターになれないけれども立派な桜もあります。
スターだけで世の中が回っていると思ったら大間違いです。
良さそうな桜を見つけると幹を触ります。
若い木は暖かいですし、年老いた木は段々冷たくなっています。
なんとなくですけど。
どの木も春が近づくと暖かくなり、幹も心なしか桜色になっていきます。
私のお花見はあまり人がいない所に咲いている大きな桜の木に登って行います。
上記のような桜の魅力が足りなくて人が来ないのか、人が来づらいところに咲いているのか、厳密に答えを出すのはむずかしいところですが、とにかく人が来ないことと桜が立派であることが大切です。
桜の木の皮は硬くてトゲトゲしていて痛いし、ボロボロと剥がれたりするので注意が必要ですが、私は木登り用のグローブと花見用の小ぶりの脚立を持っていますのでそれを用いて最初の枝に取り付きます。
取り付いてしまえばあとは腕力と腹筋と脚のフックで登っていくだけです。
360度桜に囲まれるような環境で、座り心地が安定するポジションを作り、クッションを置き、ザックを手ごろな枝にかけて、本を読んだり書き物をしたり持ってきたポットに入れたコーヒーを飲んだりします。
スズメやメジロがやってきて、桜の花の根元を突っつき、地面へ落してしまいます。
ある時、こら!と声をかけると逃げてしまい、冷静になると彼らは彼らで普通に生活しているわけで怒らねばならぬ筋合いはないなと反省しました。
人が集まらない桜が見当たらない場合、時間のマジックを使います。
つまり早朝であれば人が来ない、平日昼間だとあまり人が来ないということがありますので何度か試みたことがあります。
しかし、本に集中し過ぎて下で酒盛りが始まっていることに気が付かず、彼らがへべれけになって何人かが引きずられて帰っていくまで木の上で過ごさなければならなかったことがあります。
立派な木を選ぶと下から上を見上げても私のことをなかなか発見できないようです。
不思議なものですね。
小さなスピーカーを持っていって少し大きめの音でビッグバンドジャズを鳴らしたり、ヘッドフォンで大音量を浴びたりしていたこともありますが、ここ数年は静かに過ごしています。
中学三年生の時から毎年続けているので私にとっては自然なのですが、書いていて改めて考えると・・・・変ですね。
あなたが見上げた桜に人影が見えたならそれは私かもしれません。
くれぐれもそっとしておいてくださいね。

明るい悩み相談室PREMIER(281)〜時間の活用法〜  がりは

  • 2018.03.28 Wednesday
  • 21:33

明るい悩み相談室PREMIER、本日の担当医がりはです。
こんばんは。
今日はどうされましたか?

「最近、1日が短くて気づけば1年...3年...10年と過ぎてます。 時間の上手い活用法を教えてください。」

ほうほう、わっかりますわっかります。
このPREMIERも気が付けば十周年です。
山あり谷ありでよくもまあここまで来れたなあと、ひとえに皆様のご愛顧の賜物だと一層感謝の念を深くするところです。
十周年のお祝いをしなきゃね、と言っているうちにそろそろ十一周年が近づいてきました。
ハッガリーニがその辺をしっかり段取ってくれないと我々メンバーとしても困ってしまうのですが、まあそれは違う話。
少年老い易く学成り難し、と昔から言いますね。
私は今年不惑を迎えますが、この間のアールグレイの「卒業」を読んで、高校時代のことが鮮やかに思い浮かんできました。
あまりの鮮やかさに、間の二十年間に何も詰まっていないのではないか、と疑ったほどです。
ちゃんとぎゅーっと詰まっていたことを確認したので一安心です。

一日が短く感じられるのは幾つか場合があると思います。
大きくわけて以下の二つでしょうか。
今の生活が充実していて忙しく、寝食を忘れて活動しているので一日が何時間あっても足りない。
今の生活がある程度の部分をルーティーンとしてこなせていて、一日を振り返った時に特筆すべきことがあまりない。
どちらの場合も成熟が感じられ、素敵だなあと思います。
悩むようなことではないとも思います。
前者であれば週に一回でも生活を振り返り、人生に栞をはさむと申しましょうか、自分の為したことを数える時間を取ると、充実具合が自覚できるかもしれません。
毎日ヨガでもすれば、その間に一日を振り返ることができるかもしれませんしね。
それはメンタルヘルスにも好影響があると思います。
後者であれば今ご自身がどこにいて、どこに向かっている途中なのか、時々地図と羅針盤をご確認されると良いかと思います。
それがあれば晴朗にして四海波もなくという状態なのだと認識できるかもしれません。

え?
一日が過ぎるのが早いのが問題でない、困っているのは時間の有効活用だ?
そうですか。
先ほどお答えしたと思ったのですがうまく届いていないようなので別の角度から。
何かをすごく早くこなせる、すき間の時間をより充実した形で使えるようになる、そのこと自体はとても良いことですし、それを助けてくれる人はたくさんいるでしょう。
自己啓発系の本にはたくさん書いてあります。
また、日経ビジネスアソシエかなんかにも書いてありますね。
私は思うのですが、そこを鍛える、改善するというのはとても意味があることだと思います。
やったほうが良い。
先人たちもやってきている。
ただそれで幸せになるのかどうかは別の問題です。
すき間を効率よく埋められるようになっても、小さくなったすき間が気になるようだとしんどいんじゃないかなあと思うんですよ。
時間を効率的に使うのは手段であり、目的を持ちそこに向かう方針管理をすることで大きな意味を持つのではないかと思います。

ごたくはいい?
時間の上手な使い方を教えろ?
そうですか。
わかりました。
仲が良いとかお世話になったとかお世話したとか、なんか気になるけど最近連絡を取っていない人はいませんか?
そういう人を手帳かなにかにリストアップして、空いている時間に連絡してみましょう。
軽い近況伺いでいいと思います。
絶対、いいことがありますよ。

 

※明るい悩み相談室PREMIERではあなたのお悩みを受け付けております。

ブログにコメント、投票時にコメント、ハッガリーニにメール、電話、伝書鳩、のろし、などの手段でどうぞ。
ちなみに投票時のコメントでのお悩みには必ず回答いたします。
 

保育園と保育士の事情  Mr.Indigo

  • 2018.03.27 Tuesday
  • 12:58

ウチの子供たちが通う保育園が正念場を迎えている。

2年前、拙作「福山の苦悩」において、保育園の財政の厳しさと人材確保の難しさについて述べた。一時はいくぶん改善されたように思ったのだが、どうやらそうでもないらしい。

最大の問題はやはり人材難である。特に、高学年の担任を務めてきたH先生とS先生が今年度限りで退職するのは園にとって大きな痛手だ。


保育園には0〜1歳から5〜6歳まで6学年の子供がいる。大雑把にまとめると、2〜3歳までは人間としての基礎がまだできていない子、3〜4歳からはそれができている子である。

例えば、トイレトレーニングは2〜3歳で行うのが一般的だ。したがって2〜3歳までのクラスの先生はオムツの交換も大切な仕事である。一方、3歳以上の子供を担当するとその必要はない。

ただし、人間としての基礎ができている子供たちには、相応のことをさせなければならない。この保育園はその部分を売りにしていて、かな文字の読み書きや計算をしっかりやらせているほか、水泳や体操もメニューに組み込まれている。

しかも、サブの先生は3〜4歳以上の3クラスで1人しかいない。2〜3歳までのクラスの子供たちは手がかかるので、そちらに人員を割く必要があるのだ。

ゆえに、高学年の担任には一般的な保育士とは異なるスキルが求められる。元気いっぱいの子供たちを1人で見なければならず、さまざまなメニューをこなすため、体力と統率力が必要なのである。

ところが、H先生とS先生が退職することによって、高学年3クラスのうち2クラスの担任の枠が空いてしまった。これは重大な問題である。この保育園の売りである高学年の教育レベルを維持するのが困難になりかねない。


2年前、「福山の苦悩」の中で、保育業界は子育てを終えた女性を積極的に採用してはどうかと述べた。私の見解など関係者は誰も読んでいないだろうが、それでもこの2年間で40〜50代の先生は確実に増えている。

もっとも、40〜50代の先生は人生経験が豊富な一方で、体力は若い先生に及ばない。元気がありあまっている子供たちと一緒に走り回るのは難しいだろう。ゆえに、高学年の担任は若い先生の方が適しているといえる。

既に来年度の人事は発表されていて、4〜5歳クラスの担任として若い先生が入るようだが、1人で子供たちを見るクラスを新しい先生に任せるというのは理想的な人員配置ではないだろう。周囲に年齢が近い先輩がいないのも気がかりだ。H先生かS先生がいれば良い姉貴分になったのだろうが…。

もうひとつ気になることがある。保育士にとって、高学年の担任は志向といささか異なるのではないかということである。

前述のように、大部分の先生は2〜3歳以下のクラスを担当し、数人で協力して子供たちの面倒を見ている。一般的な保育士の仕事のイメージはこちらであろう。一方、高学年の担任の仕事はむしろ幼稚園の先生に近く、保育士としては特殊である。H先生とS先生の退職にもそんな事情があるのかもしれない。


しかし、当然ながら高学年の担任は3人必要だ。いかにして体力と統率力のある人材を確保し、維持していくのか。若い先生を数人採用して適性を見極められれば良いのだろうが、もちろんそんな余裕はない。

福山風イケメン社長の苦悩は、これからも続いていくようだ。



馬券の現実(114)〜高松宮記念回顧〜 たりき

  • 2018.03.26 Monday
  • 00:00

上位混戦の良いレースでしたね。

 

※転勤による引っ越しおよびその他の影響によって3週間ほど更新ができない可能性がありますがご了承くださいませ。

 

続きを読む >>

【テーマ】僕達の卒業 うべべ

  • 2018.03.25 Sunday
  • 00:06

Aは小学五年生のときに転校してきた。
身体が皆より一回り大きく、スキンヘッドで目付きが鋭い。
たとえて言うなら、縮小版の横綱・曙。
そして、いつでも緑色のアロハシャツに短パンだった。冬でも。

 

転校生はとかく敬遠されがちだが、Aの場合はその怖さも相まって
半年経ってもクラスにまったく馴染んでいなかった。

パンダの檻に間違って入れられたライオンのように、

両者の境目には透明なラインが引かれていた。

 

彼はカバンを持っておらず、教科書を手づかみで持ってくるためか
毎日のようにどれかの教科書を忘れてきた。
ある日、席替えでAの隣になった僕は、教科書を忘れた彼に
「これ見る?」と話しかけてみた。
Aは一瞬驚いた表情を見せた後、「おう」と顔を寄せて来た。

 

それがきっかけで、僕とAはたまに話す間柄になった。
帰るタイミングが重なった日は一緒に帰った。
話してみると、Aは見た目と違ってユーモアたっぷりで
そして何より物知りだった。
小学生では知り得ないはずの大人の知識をたくさん披露してくれた。

 

小学六年生になるとAはますます孤立していったが、
それでも、僕とAは昼休みになると廊下で喋ったり、
家に遊びに行って一緒にゲームをしたりする仲だった。

 

そして卒業式の日を迎えた。

着慣れないブレザーに気恥ずかしい蝶ネクタイを重ねて

浮かれた気持ちを抑えながら教室に着く。

体育館に向かう途中でAを見かけた。
「よう」「おう」
見ると、Aはいつものアロハシャツに短パン姿だった。
僕は思わず、「卒業式もアロハかよ」と笑った。

 

その瞬間、Aはわあっと泣き出した。

 

生徒と先生が廊下に集まってくる。
「どうしたの? もう式が始まるよ」
慌てた担任が駆け寄ってきた。
それでもAは泣き止まず、Aを教室に残して担任と僕は体育館に向かった。

 

体育館で列に並んだ僕は、どうしてもAのことが気になって

式の内容に全然集中できなかった。
結局、トイレに行くふりをして僕は卒業式を抜け出した。

 

教室に戻るとAと目が合った。
「卒業式サボっちゃった」と言うと、Aは笑った。

 

お気に入りで着ていると思っていたアロハシャツが、
本当は嫌で嫌でたまらなかったのだと気づく。
せめて卒業式くらい……というAの気持ちを
僕は何気ないつもりの言葉で傷つけてしまったのだ。

Aの泣き腫らして赤くなった目を見て、心臓がきゅんと鳴いた。

 

しばらくすると担任が戻ってきて、二人分の卒業証書を読み上げてくれた。

親にこっぴどく怒られたが、とくに後悔は無かった。


こうして僕達は卒業した。

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