【テーマ】監督の卒業 がりは
- 2018.03.31 Saturday
- 23:09
「ごめんなあ、おまえら。監督はもう、おまえたちとサッカーできなくなっちゃった。」
今年七十三回目の春を迎えた男の片目は真っ白になって動かず、人工透析を受けるようになって一年経った体はすっかり縮んでいた。
普段は一瞬たりとも静かにしていられない六人の小学生と五人の大人は、お互いがごくりと唾を呑む音が聞こえるほど、静かに監督の言葉を聞いていた。
それはキッカーズの解散の日。
体調を崩しグラウンドに来ることができないキッカーズの代表兼監督のご自宅へ、OBやOBコーチを呼んで盛大に行った最後の練習の後、現コーチ三名、OB三名、選手六名で最後の挨拶に伺った。
かつては浦和FCを率い、全国制覇をするなど浦和の少年サッカー界を牽引する存在だった監督は15年ほど前にキッカーズを引き受けた。
キッカーズは「サッカーが一番好きなわけではない子」がサッカーを楽しめるチームだった。
練習は日曜日の早朝だけ。
サッカーが大好きな子は土日練習ができる他のチームに行く。
浦和には強いチームがたくさんあるから。
早朝だけなら他の習い事にもいけるから、という配慮だと聞いた。
私の息子は去年入団し、二年間お世話になった。
初めの一年はサッカーの後に将棋の教室に行っていた、まさに「サッカーが一番好きなわけではない子」だった彼が、自己紹介カードの得意なことの欄にサッカーと書くまでになった。
息子が連れてきた友達が最後の入団者であり、私が最後のコーチとなった。
我々が加わった時にはもう監督は体調不良でグラウンドには姿を現さなかった。
運営は息子さん娘さんがキッカーズにいた頃からコーチに就いていたお二人がボランティアでやっており、そこに誘われる形で私も加わった。
チームは去年が9名、今年が6名。
全学年合わせてその人数なので大会出場など望むべくもない。
一般的なサッカーチームとは事情が大きく違った。
休憩になると喜んでボールを放り出し水場に走る姿が見られたり、日本代表の試合も観ていなかったり、「なんでサッカーやらなきゃいけないんですか。」とプリミティブな疑問をぶつけられたりと普通のチームでは想像もできないような状況に何度もなったけれども、卒団式の時に一人ひとりの胸の内を聞いたところ、皆少しずつ違った角度でサッカーを好きになったみたいで安心した。
監督は本当にたまにグラウンドに来ると、びっくりするくらい大きな声で「シュートはしっかり振りぬけ!」「パスを手加減するんじゃない!!」と怒鳴った。
保護者とコーチが集められた運営会議では、監督の体調の悪化と後継者がいないことを理由に今年度いっぱいでチームを畳みましょうと提案するコーチを叱りつけ、
「今所属している子供たちが卒業するまでは存続させるんだ。子供たちがかわいそうじゃないか!彼らからサッカーを奪ってはいけない!私は死んでもキッカーズを守る。死ぬ場所はグラウンドと決めているんだ!!」
と衝撃の発言をした。
想いとは裏腹に後継者は見つからず、先輩コーチお二人もボランティアで続けられる範囲をはるかに超えて尽くされてきたので、今年でチームを閉じることになった。
私もコーチをしていて多くの気づきがあったが、エリートをさらにストレッチすることに心血を注いできた監督もキッカーズを引き受けて考え方が大きく変わったらしい。
五十歳を超えて新しい価値観を築いたのはさぞかし楽しい経験だったでしょう、といつか聞いてみたいと思っていたが、それは叶わなそうだ。
監督は補聴器をしていても耳が遠く、コミュニケーションが段々難しくなってきている。
一緒に挨拶に伺ったOBのうち二人は今二十歳でとてもサッカーが上手い。
現役のプレイヤーだ。
監督が彼らの在籍していた頃の思い出話をしているうちに、記憶が混線して全く知らない世代の話になったり、話が突然終わったりするさまを彼らは必死に受け止めていた。
彼らは小学校六年間みっちり監督の指導を受けた世代で、その時の話をたくさん聞かせてくれた。
「おまえたち、サッカーは続けるんだよ。」
監督はかすれた声で言った。
「監督はもう、サッカーを卒業しなきゃいけなくなったけど、そうなるまで続けていいんだから。自分で卒業するんじゃないよ。」