【テーマ】借り物競走 がりは
- 2017.10.31 Tuesday
- 12:00
いい気なものだ、今年の運動会も終わりだ、俺はかれこれ運動会に何年参加してないのだろうか、と思っていた俺の耳元で
「よーい!」
誰かが大声を張り上げる。
受ける暇もなく耳がきいーんとなる。
「ドン!て言ったらスタートな。」
おっさんの声だ。
右肩に小さなおっさんが乗っている。
赤地に白の2本のラインが入ったジャージを着て、下はピタピタで股間がもっこりするほど上に引っ張っている。
スポーツ刈りで四角い顎に髭が青い。
「よーい!」
俺は何のレースに参加するのだ、と頭を素早くめぐらす。
そうか、借り物競争か?
「ドン!」
言われた瞬間に走り出す。
自分の部屋に入りながらパジャマを脱ぎ、アーガイルの靴下、薄い黄色のワイシャツ、こげ茶のスラックス、エンジのネクタイ、濃紺のジャケット、左手にハミルトンの馬蹄型、マッキントッシュのくすんだオレンジのコートを身に着けて部屋を飛び出す。
玄関に用意してあった茶色の皮のトートバッグを左手で拾い上げながら、定期券、財布、ケータイ、鍵を右手で集めて靴を履く。
鋭いホイッスルが鳴る。
「しまった!」
妻と二人の子供に行ってきますのキスをするのを忘れていた。
忘れられたのを察知したのか下の子がキスをさせてくれない。
半ば強引におでこに刻印すると今度は首ったまにかじりついて放してくれない。
妻の人形遊びによるアシストでようやく解放され、ようやく靴を履き、家を出る。
「行ってきます!」
ピッピ―!
再びファウル。
ごみ捨ては俺の当番だった。
腐っても仕方ない。
肩のおっさんの顔は厳格さを増している。
階段を駆け上がり、家のドアを開けると妻がごみをまとめておいてくれた。
「ありがとう。あいしてる。」
ときつく抱きしめて、二つのごみ袋を手にして再出発。
次の関門まで五分を切っている。
それはきっと徒歩十分の場所にある駅で乗るいつもの電車なのだろう。
俺は何人もの人を置き去りにし、いくつかの信号を無視して(これはファウルにならなかった。)駅の階段を駆け上がり、何とか乗ることに成功した。
次は二駅先のターミナル駅での乗り換えか。
しかし五分ということは階段を2本駆け上がって運が良ければ乗れるあの電車に乗れというのか。
おっさんを見ると力強くうなずいた。
お前誰だよ。
汗をぬぐいながら息を整える。
階段に最も近い戸口に移動しなければ。
満員の車内を移動するわけにもいかず、駅に止まったタイミングでホームに降り、戸口を移動した。
するとやはりというべきか、そこはすでに押しくら饅頭状態で、すでに車体から人がはみ出ている。
鞄を肩にかけた俺は雄たけびを上げながら両手を広げてでかい饅頭に突進した。
一度目は跳ね返されホームに転げた。
二度目は重心を下げ押し込んだのだが饅頭の反感を買ったのか先ほどよりも強い力で弾かれた。
発車ベルが鳴り終わりかけたラストチャンス、饅頭と饅頭の間にソイソイソーイと掛け声をかけながらスライドして入っていくと何とか入り込むことができた。
おっさんはそっぽを向いている。
ドアが開いたら中央に近い右足を出し、車内から押し出される圧力を利用して加速、二番手で階段を上がり、二つ目の階段の後半で、電車から降りてくる群れに呑まれる一番手を交わす形で俺がトップに立つ、とシミュレーションを重ねる。
隣の若者の肘が痛い。
業腹だがこいつを先に行かせるか。
列車がターミナル駅に進入する。
ホームでは人がごった返している。
全員が俺を止めようとしている。
止められるなら止めてみろ。
電車が止まる。
エアーが抜ける音がする。
残りは26秒。
ドアが開く。
おっさんが笑う。