【テーマ】ツキ たりき

  • 2017.09.30 Saturday
  • 23:48

母親によると私はくじ引き等の引きが良いらしい。自分ではまったく自覚がなくて、ここのところ何かが当たったという記憶はない。

 

どうせツキがあるなら馬券もっと当たってくれよと思うが、自分でも博才がないのは自覚している。

麻雀でもトータルで言えば収支は結構なマイナスとなっているはずだ。麻雀ではツキに支配される部分とそうでない部分があるんじゃないかと思うのだが、ツキに支配される部分だけ抜き出すと完敗で、そうでない部分でどうにかこうにか持ちこたえているというのが麻雀での自己分析だ。

それでも、大事なところで判断ミスをしてしまったりするのがツキに関連してもそうでなくても私自身の弱いところなんだろうなあと。

 

今よりもっと馬券を買っていた頃、スランプに陥ってかなり長い期間的中できないということがあった。

その時私が考えたことは的中癖をつけることが大事じゃないかということ。的中しない時期が続くから悪循環ということになる。購入金額よりを払戻金額が下回るいわゆるトリガミでも的中することが大事なのではないかと。

そこで私が実際にやったのは複勝全通り買いである。3着以内に入ればいいという複勝を全通り買うから必ず的中するというわけ。

そのときは少しでも回収率を上げるため、どのコース、どの距離のレースを買うと一番回収率が高くなるのか、複勝の方がいいのか単勝を買うべきなのかを過去の傾向を調べて実行した記憶がある。

記録を辿るとそれは2010年のことで、複勝全通り買いを実行したレースの回収率はちょうど70%くらい。可もなく不可もなくといった感じだろうか。

効果はあったのかって?

データによると2010年は生涯最悪のなかなか悲惨な回収率となっております。

 

ちょうど昨日、事務所の1階にある当たりつき自販機でコーヒーを買ったところ見事に当たってもう1本選べることになった。

異動となって4年目、そこまでしょっちゅう買っているわけではないのに3回目か4回目の当たりである。個人的には、この自販機は当たりやすく設定されていると思っている。

ところで、あと1本選べるということでコーヒーじゃなくて他の飲み物を選ぼうとしたところ、この自販機はコーヒーが100円となっているため選べることのできる飲み物の選択肢が少なくて結局別の種類のコーヒーを選ぶことになった。

ちなみにだが、昨日は出社前の朝食時にコーヒーを飲んでいた。ついてるのかついてないのかわからない。

せっかくならもっと得を実感できる形でついてほしいものだ。

【テーマ】ツキを呼ぶ男(上) うべべ

  • 2017.09.30 Saturday
  • 23:45

インターホンの画面にスーツ姿の男が映る。
一人、か……。
玄関のドアを開けると、朝の冷たい風が吹き込んできた。
「朝早くにすみません、こういう者ですが」
男は悪びれた様子もなく、警察手帳をちらつかせた。四十代半ばといったところか。
「刑事さん、ですか。何かあったんですか?」
「この下の階に、大家さん住んでるでしょ。吉田さん。あの方が亡くなられたんですよ」
「えっ」私は声を上げた。
「奥さんから通報があったんですよ。最初は119番にね。その後でうちらが呼ばれた」
「事件だったということですか?」
「いやぁ、事故なんだけど。でも、『事故』って認めたくなくてここに来てるんだわ」
「どういうことですか?」

 

刑事は大きなため息をついた。
「あなた昨日の夜、ベランダで掃除してましたよね」
「ええ」
私は昨日のことを思い出した。夜、ベランダの落ち葉を掃いた。
「それがどうかしましたか?」
「あなた、落ち葉を片付けてたでしょ。別に落ち葉を片付けるなって言ってるわけじゃないんだよ。でも」
「でも?」
「その落ち葉が下の階にひらひらと落ちて来たんだわ。それをね。吉田さん家って犬飼ってるでしょ。柴犬の。あの犬が、その落ち葉を追いかけてね」
刑事はまくしたてるように言った。
「そのとき吉田さん、蛍光灯を替えてたみたいなんだわ。脚立に乗ってね。その脚立に犬がぶつかって、バランス崩して頭からドーーーンって落ちて。即死」
「そ、そんなことが……」
「だからここに来たの。殺人だからね」

 

「ちょっと待ってください」私は声を荒らげた。「殺人って何ですか」
「あなたがベランダを掃除しなければ、もっと言えば、落ち葉を下に落とさなければ吉田さんは死ななかったんだ」
「そんなの言いがかりでしょう。殺したのは犬だ」
「この場合、犬は道具扱いなんだよ。犬に殺意はないでしょう。あなた、ナイフで人を刺したら、ナイフが殺したって言うの?」
「それとこれとは話が違うでしょう!」
「殺意がないって言うなら認めるよ。でも、殺意なくナイフを振り回してて、運悪く人が死んだらやっぱり殺人でしょう」

【テーマ】ツキを呼ぶ男(下) うべべ

  • 2017.09.30 Saturday
  • 23:44

「でもね」刑事は遠くを見つめるような目をした。
「私は今日で定年なんだよ。最後の日くらい、平和に終わってもいいかなって。さっきはあんなこと言ったけど、実際には事故なんだよ。立件できるわけない。だけど、事実だけは伝えておきたくてね。人の命を、間接的にとはいえ奪ったということを、心の片隅くらいには置いといてほしいんだわ」
「わかりました。わざわざありがとうございました」
「おう、じゃあね」刑事は手を振って、玄関から出て行った。

 

しばらくして、再び玄関のチャイムが鳴った。
次の訪問者は、吉田さんだった。亡くなったという大家さんの、奥さんだ。
相変わらずの美貌に、思わず目を奪われた。
「先ほど、刑事さんが来られてたようですけど」
「ええ。私のせいで、ご主人が大変なことになってしまったようで」
私は頭を下げた。
「その件はいいんです。むしろ、良かったんです」
「え?」
「私は夫から暴力を振われていました。お酒を飲んだ日は特に。この事故がなかったら、いつかは私が……」
「そう、だったんですか」
「だから、不謹慎ですがとても感謝しています。今度、正式にお礼させてください。もしご迷惑でなかったら」
「そんな。恐縮です。いや、是非」
「ではまた改めて」
奥さんは深くおじぎをして、出て行った。
私は、おじぎしたときに現れた胸の谷間をしっかり見届けてから、玄関のドアを閉めた。

 

さて、と。
私は書斎に戻り、ホワイトボードをひっくり返した。
用済みとなった大量の計算式を消しながら、思わず笑みがこぼれる。
「すべて上手く行った」

 

蛍光灯の交換周期は頭に入っていた。
庭の脚立を取りに行く姿を見て、間違いないと確信した。
難しかったのは落ち葉だ。初速と角度、葉の形状、風速で落下地点はかなりばらつく。
上手く行ったのは、何度も繰り返したシミュレーション解析の賜物だ。
落ち葉には、愛犬の好物である肉の匂いをたっぷりしみこませた。

 

そして、刑事だ。
大半の刑事は、三日前に近所で起きた誘拐事件に付きっきりのはずだった。
そして、今日はベテラン刑事の定年退職の日だ。
現れたのが彼一人だったのを見て勝利を確信した。
犯人に対峙するなら、二人以上が鉄則。参考程度の聞き込みに違いなかった。

 

暴力を振い、酒を飲んでは大声を出す迷惑な男を消去。
あこがれていたうら若き未亡人を確保。
計画通り。

 

偶然を必然にするのは、綿密な計画に他ならない。
常に用意周到な私は、いつだって『ツキを呼ぶ男』なのだ。

馬券の現実(56)〜GI予想コンテスト2017年秋〜 たりき

  • 2017.09.30 Saturday
  • 22:56

今日で9月も終わり。明日から10月を迎えるのにあたって朝晩には寒さも感じられるようになってきました。

競馬界も秋シーズンに入り国内ではGIスプリンターズS、海外では凱旋門賞が明日に差し迫ってまいりました。

そこで今回は月刊誌サラブレのルールに乗っ取って私が応募した、秋のGI予想コンテストの指名馬を紹介しながら秋シーズンの展望を書いていきたいと思います。

 

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【テーマ】月に祈る  Mr.アールグレイ

  • 2017.09.30 Saturday
  • 22:27
おひさまは好きですが、お月さまがもっと好きです。
月の光に邪魔されて見えない星はかわいそうに思いますが、それでも月が好きです。
幼児の頃、母におぶさって散歩をすると、他の物には反応しないのにお月さまを見ると「おっちやま!!」と必ず指さしていたそうです。
夕方の薄い月でも、雲がかかってほとんど見えなくても探し出すほど、センサーが鋭かったようです。
今ではそのセンサーが鈍っているようで、手帳のデイリーの部分に月の満ち欠けが入っているものを使って、補完しています。
こどもの頃、マイケル・ジャクソン好きの母の影響で、擦り切れるほど彼のミュージックビデオを観ました。
(若い世代だとわからないかもしれませんが、昔は動画は見れば見るほど画質が落ちる消耗品だったんですよ!)
中でもビリー・ジーンが大好きで彼のムーンウォークに憧れ、ハットをかぶり、母のシルクの手袋をつけ、フローリングの上を靴下で後ろ歩きしたものです。
最後に軽くジャンプしてつま先で着地するムーブがあるのですが、痛みをこらえてやるほど夢中でした。
十代の頃、オーケストラ部の練習を終えて帰るころには夜で、小さな山の上にある学校から最寄りの駅まではみんなでわいわい帰るのですが、最寄りの駅に着くと人はまばらでした。
駅から15分自転車に乗って帰るのですが、その間私を見守ってくれたのがお月様でした。
いつもつかず離れずいてくれて、暗いところが怖い私もお月さまの光があればなんだか守られているような、導かれているような気持ちで進むことができました。
二十代の頃、今となってはかわいいものですが恋愛で大ダメージを負い、生きていても何の楽しみもないと思い詰めた日々がありました。
何の楽しみもないのだからできるだけ長く寝ればいいようなものですが、そういうわけにもいかず眠れない夜が続きました。
当時私は生まれ育った千葉を離れ大阪におり、相談したい相手も明るい悩み相談室もなく、孤独でした。
今から見れば孤独だと思ってただけなのですが。
窓に面した書き物机に突っ伏して寝てしまい、ぞくぞくっとして目を覚ました夜中に、満月がのぼっていました。
その時初めて涙を流すことができました。
大ダメージを負いながら涸れたように出てこなかった涙がだーだーと滝のように出て、声を上げて泣いていたのですが、途中から止まらなくなってしまい、おかしくなってきて最後には笑いながら泣いていました。
そこが底で、私は立ち直ることができました。
三十代の今、私は寝る前に祈っています。
とてもささやかな小さな祈り(「明日も気持ちよく起きられますように。」)ですが、目を閉じたときに思い浮かべているのは二十代の時に私を救ってくれたお月さまです。
お月さまに目覚めの祈りをするのはおかしいな、と今気付きましたがこれからも私は月に祈ると思います。

テレビを観る父 Mr.Indigo

  • 2017.09.30 Saturday
  • 15:37
「お父さん何番応援してるの?」
テレビで競馬中継を見ていると、長女に聞かれることがある。レースの度に私がテレビに向かって「そのまま!」とか「差せ!」とかいろいろ喋っているから、自分の父がいずれかの馬を応援していることは、ずいぶん前から理解していた。
「1番だよ。あの真ん中へんにいる白い帽子」
これは回答の一例である。馬連流しなどの場合は軸馬の番号を言う。
「が〜んば〜れい〜ちばん、が〜んば〜れい〜ちばん」
以前はこんなかわいらしいことも言ってくれていたのだが、最近はない。むしろ勝ち馬に乗るのが好きなようで、4コーナーを過ぎて先頭に躍り出た馬を応援し始めることもある。
 
さて、普段はチャンネルの選択権をほぼ放棄している私が敢えて見たいと主張する番組は勝負事がほとんどだ。だから、長女はしばしばこのような質問をしてくる。しかし、即答できるものばかりではない。
「お父さん、どっち応援してるの?」
将棋のNHK杯を見ている時に聞かれると曖昧な答えになることが多い。応援している棋士は何人かいるものの、彼らが対局者であることは稀だ。
「うーん、どっちもかな…。でも、右のお兄ちゃんの顔は覚えといた方がいいよ」
今月の初め、森内九段と藤井四段の対局の生中継を見た際にはこう言った。
しかし、よく考えてみると、藤井四段は既に将棋ファン以外にもかなり知られていて、今後さらに知名度は上がっていくはずだ。今から覚えておく必要はなかったか。
 
「お父さんどれ応援してるの?」
ある日曜の夜に聞かれた時は、私に代わって妻が答えた。
「お父さんはこの人達と勝負してるのよ」
最近、私は「東大王」という番組にハマっている。簡潔に言うとクイズの団体戦で、各チーム3人のメンバーで勝敗を競うのだが、この番組の特徴はそのレベルにある。問題の難易度も解答者の知力も非常に高いのだ。
毎回登場する東大王チームは言うまでもなく東大の精鋭。彼らと戦うのは他大学のクイズ研究会や高学歴芸能人などのチームで、団体戦ならではの駆け引きが見られることもある。雑学好きで団体戦マニアでもある私にとっては実に面白い番組である。
もちろん自分もテレビの前で参戦するが、やはり相手は強い。大半の分野ではほとんど歯が立たず、地理や歴史といった得意分野でも辛うじて勝負になるという程度である。
私にも将棋や麻雀などで培った思考力はあるはずだが、思考のスピードや正確性だと現役学生には遠く及ばない。ほとんど考えなくて良い、自分の知識の範疇に関する問題が出たらラッキーというだけだ。
さて、「わからん」とか「やっぱすごいわ」などと独り言を繰り返し、たまにドヤ顔で「よっしゃ」などと言って拳を握る私を、娘達はどのように見ているのだろうか。
6歳の長女はクイズ番組が好きなのだが、まだ大人向けの問題はあまり理解できない。おそらく、正解不正解やそれに伴う解答者の反応などが面白いのだろう。ならば、最も身近な解答者である私の姿を楽しく見てくれているのではないか。1歳9ヵ月の次女も、お父さん楽しそうだなというくらいは思っているかもしれない。
もちろん自分が楽しいから「東大王」を見るわけだが、副産物として娘達がその楽しさを理解してくれれば、親としては非常に大きな喜びである。

【テーマ】つきをつかまえろ!をつかまえろ!(1)  がりは

  • 2017.09.30 Saturday
  • 00:22

Mr.マルーンの名作「つきをつかまえろ!」をもう読みましたか?

素晴らしい。

それに「尽き」ますね。

もうね、9月のテーマコンテスト、間違いなし。

だけど、だけどね、本当にみなさんにマルーンさんのこの作品の良さが届いているのかなあ、という不安がないわけではない。

なのでおせっかいながら解説を書くことにしましたよ。

みなさんはいくつツキを見つけられましたか?

 

9月のお題が「ツキ」と聞いて私は残念な気分だった。10月であれば、美しい中秋の名月を撮影しに行ったのに。
天気も良くないし…「ツキ」がない。なんちゃって。

 

冒頭の二文でもう三つも違う意味の「ツキ」を入れて来てやがらあ!

10月・・・

言わずと知れた日付を表す「ツキ」

中秋の名月・・・

それに浮かぶ「ツキ」。その中でも特別な月ですね。今年は10月4日らしいですね。旧暦8月15日のお月様。ススキにおだんごをお供えして。

「ツキ」がない。・・・

幸運という意味の「ツキ」。ツキがない、というよりはツイてないと使われることが多いですが、テーマに合わせてきました。


とはいえどうしようかな、と空を見上げて考えていると雲がすっと切れて満月がポロリと顔を出した。コロコロ転がっていく。
あっと思っているとウサギたちがその満月を手に取って卓球を始めた。片方がスピード感のあるサービスを出すとよく切れたツッツキでレシーブしている。
なんだこりゃあ、と思っていたらすぐに飽きてしまったのか今度は玉突きを始めた。10個に分裂増殖した月が小気味よい音を立ててはじけ飛ぶと、台から一つ転がり落ちた。

 

第二パラグラフでは暗喩!がたくさん出て来て、「ツキ」だらけです。

マルーンさん、さすがです!

満「月」・・・

月の中でも一番丸い「ツキ」。話を転がすために球を強調してきました。

ウサギ・・・

月とニコイチで連想されることも多い隠れた「ツキ」。

餅「ツキ」・・・

書いてないけど月とウサギが出てきたらそのウサギは餅つきしてるんですよ。満月をよくごらんなさい。ほら、見えるでしょ。というこれも隠れた「ツキ」

卓球・・・

え?これがツキ?と思われるでしょう。世界卓球2017の公式球には☆が三つ。星と言えば月ですよね。名作漫画「ピンポン」でも主人公は星野と月本。こんなところにも隠れた「ツキ」。

ツッ「ツキ」・・・主に相手の下回転サーブに対して(普通に打つと下に落ちてしまう回転)ボールの下側をパンにバターを塗るようにこするレシーブ方法。スピードのある下回転サーブを出すのは結構難しい。という「ツキ」。

玉「ツキ」・・・

ふつうはビリヤードと呼ぶ競技。ここもテーマに合わせてきます。ちなみに10個に分裂した月・・・ナインボールというゲームをプレイしていると思われます。

【テーマ】つきをつかまえろ!をつかまえろ!(2)  がりは

  • 2017.09.30 Saturday
  • 00:21

ころころ転がるそれを追いかけていくと一面にちらばったくっつきむしの上を転がったひょうしにくっつきまくってトゲトゲの塊になってしまった。
持ち上げようにも素手じゃもてない。いてて。
仕方ないので分厚いゴム手袋を持ってきて、いがぐりみたいになってしまったそいつを手に取る。やっと月が私のものになった。フフフ、とほくそ笑むも見た目には月とは似ても似つかない。がっちりと絡み合ったくっつきむしは全然取れないので困惑しながら手でもてあそんでいると軽薄なパツキン男が話しかけてきた。ホテル?行かない。喫茶店?行かない。

 

くっ「ツキ」むし・・・

オナモミのこと、と書こうとしたら何種類もの植物の実の総称なんですね。それが一面に散らばっている状態って絶対人為的な状況ですね。地面に転がっていたら動物にくっついて拡散したいという彼らの本懐は遂げられないわけですから。誰がやったんだ!そして、山でたくさんの植物を愛でているマルーンさん、どのくっつきむしを想定してるんでしょう。

くっ「ツキ」まくって・・・

玉突きに使われていたようなつるつるの月にどうやってくっついたのか。私はね、これ引力だと思いますね。

やっと「ツキ」が私のものに・・・

月を手にしたマルーンさん。どんだけ巨大になっちまったんだ。

「ツキ」とは似ても似つかない・・・

我々は実は月の裏側を見ることがありません。月の自転周期と公転周期がほぼ一緒だからですね。本作ではくっつきむしのせいで見た目が変わっている月ですが、いつも見ていない面を見た時に私たちはそれを月とわかるでしょうか。

ほくそ笑む・・・

ほくそ笑んだ人の口の形、知ってますか?そう三日月形ですね。見落としがちな「ツキ」。

がっちりと絡み合ったくっ「ツキ」むし・・・

くっつきむしは基本的に放射状にいがいががついているので、くっつきむしどうしが絡み合うことはあまりないと思うのですが、そこは引力でカバー。

パ「ツキ」ン・・・

ぼうっとしていると見落としてしまいそうです。金髪と書くところパツキンでテーマに合わせにきます。ホテル→喫茶店の順で誘ったのがダメだったんですかね。初めから喫茶店だったら意外といけたりして。あると思います。

【テーマ】つきをつかまえろ!をつかまえろ!(3)  がりは

  • 2017.09.30 Saturday
  • 00:20

つきまとわれて面倒だったのでむーんぷりずむぱわーめーいくあっぷ!からの円月殺法からの鮮やかなムーンサルトプレスで昏倒させたのちくっつきむし付き月を秒速1.022kmで投げつけてこの上なく晴れやかな気分で立ち去った。
気が付いたらすっかり雲が晴れて、見上げる空にはまん丸な月が浮かんでいる。
うん。いとつきづきし。あ、これは冬の朝に使うのだったかな。
じゃ、そろそろネタがツキたので、つづきはまた今度。

 

「ツキ」まとわれて・・・

いつもまわりにいること。なぜか悪い意味で使われてばかり。「そばにいるよ」と言っても「つきまとうよ」と言っても意味は同じじゃないかと思うんだけどな。

面倒・・・

メン!ドウ!ときたらもちろん「ツキー!」。本当に芸が細かいマルーン先生!

「むーん」ぷりずむぱわーめーいくあっぷ!・・・

セーラームーンの変身の呪文。むーんが「ツキ」。

円「月」殺法・・・

眠狂四郎の必殺剣。眠狂四郎と言えば市川雷蔵の当たり役ですが、田村正和もテレビで演じていました。パパはニュースキャスターや古畑任三郎で観ていた田村正和からは考えられないキャラクターです。

鮮やかな「ムーン」サルトプレス・・・

プロレスでコーナーポストにリングに背を向けて上り、リング内で寝ている相手に向かって宙返りをしながらボディプレス。体操のムーンサルトとは違う。初代タイガーマスクが披露した時には「ラウンディングボディプレス」と呼ばれていたが、90年代に武藤敬司がアメリカから凱旋した時に、実況の古舘伊知郎によって名づけられました。180cm100kgを越える大男がくるりと宙返りをして降ってくる華のある技です。

くっ「ツキ」むし「ツキ」「ツキ」・・・

終盤になって畳み込んできます。

秒速1.022km・・・

「月」の公転速度ですね。マルーンさんすごく肩が強い。

まん丸な「ツキ」・・・満月ということはこれが書かれたのは9月6日でしょうか。

いと「ツキ」「ヅキ」し・・・

投げつけた月はパツキンに当たらず公転軌道に戻ったんですね。良かった良かった。冬の朝に使っていたのは清少納言ですね。私は兼好法師の方が好きですが。

ネタが「ツキ」た・・・

またまた、ご謙遜を!

つ「ヅキ」・・・

最後の最後まで緩みなく叩き込んできました。

 

アールグレイさんに憑いてもらって、丁寧にマルーンさんにつきまとってきましたが、精魂尽き果てましたので眠りに就きたいと思います。

【テーマ】月を観る心  Mr.Indigo

  • 2017.09.29 Friday
  • 22:22

〜月見れば千々に物こそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど(大江千里)〜

 

『小倉百人一首』にも選ばれている和歌だから、ご存知の方もいらっしゃるだろう。

「月を見ているといろいろと物悲しく感じられる。自分一人だけの秋ではないというのに」

現代風に言うとおおよそこのような意味である。平安時代にはそんな感性を持った歌人がいたのだ。

改めてこの和歌を読んでみる。黙読ではなく音読である。和歌などの定型詩はテンポも含めて作品なのだ。

一読して、ずいぶん贅沢な歌だなと思う。この人は月を見ながら一人で物思いにふけっている。千々のことに思いを巡らせられるのは、誰にも邪魔されない環境にあるからだ。月も隠れることなく視界に入っていると考えてよいだろう。

確かに秋は誰にでも訪れる。しかし、一人でのんびりと月を眺められる境遇にあり、そしてそれを実行しようと思える人は多くはあるまい。

ところが、この人は自分の意思に基づいて一人きりで月を眺め、どこか物悲しさが漂う秋の夜長を堪能している。それは情緒豊かで風流な平安歌人にとって、実に贅沢な時間なのではないか。

 

〜秋風にたなびく雲の絶え間よりもれ出づる月の影のさやけさ(左京大夫顕輔)〜

 

こちらも『小倉百人一首』に選ばれている月を詠んだ和歌である。現代風に改めると以下のようになる。

「秋風に吹かれて棚引いている雲の切れ間から漏れてくる月の光は、実に清らかで美しい」

先の歌がのんびりと過ごす一人の時間を詠んだものであるのに対し、この歌は瞬間的な感動を詠んだものである。秋の夜空を眺めていると、雲の隙間から月の光が差してきた。思わず「あっ!」と叫び声が出そうな情景である。

絶えず流れていく雲の動きによって、月の見た目の姿は変わってゆく。再び雲に隠れるかもしれない。だからこそ、光が差してきたその瞬間が趣深いものになるのだろう。この和歌はそれを巧みに描いた名画のような文学だと感じる。

 

平安時代の上流階級にとって、観月は秋の恒例行事であった。澄んだ夜空の月を愛でるだけでなく、舟から水面に映る月を観賞する会なども行われていたという。

その後も観月は日本の秋の風物詩として受け継がれてきたが、現代においては有名無実と化していると言わざるを得ない。ニュースや気象情報でさらっと触れられる程度で、意識的に月を見上げる人はほんの僅かだろう。そもそも、数知れぬ人工の光に照らされた今の都会では、平安の昔のように月を見ることすら困難なのだ。

 

しかし、我々に手段がないわけではない。目で見るだけが観月ではないと私は思うのだ。

視覚で観月を楽しめる環境にないならば、想像力を駆使して心で月を観てみよう。百人一首などの著名な和歌は、きっとその助けとなってくれるはずだ。

大江千里が見た物悲しさを感じる月夜はどのような情景だったのか。左京大夫顕輔が詠んだ雲と月はいかなる姿をしていたのか。明確な解答はない。そもそも存在する必要すらない。平安歌人が目にした風景やそのときの心境に思いを馳せ、情趣に浸ることができればそれでいい。

夜でなくても構わない。場所もどこだっていい。一人でのんびりと物思いにふけり、月夜を思い浮かべる。それもまた観月であり、日本の心の継承だと思うのである。

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