鉄の海(63) by Mr.ヤマブキ
- 2017.08.31 Thursday
- 00:00
救急外来の当番医から電話がかかってくる。
「先生、入院のお願いがありまして。Fさんという72歳男性です」
電子カルテを開いて仕事をしていたところなので、Fさんのカルテを開く。話を聞きながらレントゲンを見る。
「定期的な医療機関受診をされていない生活保護の方で、半年前から歩行時の息切れがあり、三日前からかなり症状が増悪していたようで、本日受診されました。来院時SpO2は82%と低値で現在酸素3L吸入でSpO2 92%程度です。レントゲンでは……」
「あーこれは」
「そうです、おそらく肺癌かと」
「CTもあるんですね。……そうでしょうね。右上葉原発の肺癌でしょうね。ご家族はいらっしゃってますか?」
生活保護なのに頼れる家族というのはおかしな話だが、別におかしい話ではない。
「ご本人は身寄りがないとおっしゃっています」
「分かりました。まあこっちでも詳しく聞いてみます。ご本人には病状はどの程度説明されてますか」
「『肺の病気』で酸素不足に陥っているので入院してまずは体を休めましょう、という感じです。入院してからは肺の専門の先生にお任せします、とも」
「助かります」
「よろしくお願いします」
治療どころかまともな検査もできないかもしれないので、入院で調べましょう、治療しましょうという言い方を避けて「体を休めましょう」と言ってくれたのだ。些細なことだが、今Fさんが得ている医者からの言葉は、たった百文字程度しかないのだ。だからこそ、こだわらなければならない。救急担当ならその人を診るのは一度限りかもしれないが、Fさんにとっては病院との付き合いの始まりだ。普通の癌患者のケースでも、安心させようと良かれと思って癌でないと嘘をつくと後々医師-患者関係が崩れてしまうように、Fさんとの関係だってそうなのだ。上手いパスだと思う。
「初めまして」
「ほーう、若い先生やのう」
Fさんはリクライニングのベッドで軽く頭を上げて横になっていた。軽口を叩いて元気なようだが呼吸は早い。SpO2が90%を超えれば酸素不足はある程度解消されているはずだが、それでも呼吸が早いということは、それだけ状態が悪いということだ。
「鼻から吸ってもらっている酸素でちょっと楽になりましたか?」
「ちょっとはまし。でもまだ息苦しいよ」
「お家でよく過ごされてましたね。前から結構しんどかったんでしょう?」
「三日くらい前からかな。ほんとにきつい。歩けないし飯も食ってない」
「そうですよね……。点滴しておきましょう。……さて、早速なんですけど病気のこと、説明してもいいですか」
病室に持ち込んだ病棟のノートパソコンからレントゲン画像を開く。
「先生、癌だろ」