日常 Mr.マルーン
- 2017.05.31 Wednesday
- 12:00
朝目が覚めると、世界が裏返ってしまったような強烈な違和感に襲われた。
そんなときも普通に起きて、シャワーを浴び、着替え、朝食にジャムをたっぷり塗ったトーストを食べ、昨日の残り物と冷ごはんを弁当としてタッパーに詰め、歯を磨きながら朝のニュースを見て、スマートフォンを充電器から引き抜き、鍵をかけ、出勤するところまで、いつもと変わらずにできる。しかし、私の手が行っていることなのに、奇妙に現実感がない。
世界と私の間には不可視の膜があって、その膜に阻まれて感覚が鈍くなっているみたいだ。そのくせ、妙にコントラストが強くてちかちかする。
もちろん、世界が裏返るわけはないし不可視の膜なんてものは馬鹿にしか見えない。おかしいのも馬鹿なのも私だ。
いつからおかしくなってしまったんだろう、今朝見た夢の所為だろうか(ストーカーに高所から突き落とされて半身不随になったうえ声を失った少女がその男にレイプされる夢だった)、と吊革に揺られつつ考えているうちに、違和感はイヤホンから流れる音楽とともに日常生活の中に溶けていって徐々に元に戻ってくる。
そうそう。いい調子だ。世界はいつだって当たり前のものだけでできている。
バーコード状に禿げたサラリーマンが生臭い息を吐きかけてきながら私の尻をしきりと撫でまわしている。最悪だ。私はしかたなく、彼の顔の真ん中にぎょろりと一つある血走った目玉にアイスピックを突き刺し、車両を移動する。
乗ったときにはそれぞれ人の形をしていただろうにぎゅうぎゅうに詰め込まれるうちに全部一緒くたにくっついてしまったらしい紙粘土人間たちがにゅるにゅるとホームに塊で出てくるのを横目に職場へ急ぐ。駅員が一人ずつちぎって成形してやっている。みんな大変だ。
イヤホンは無駄に陽気な音楽を垂れ流している。私はハイヒールを高らかに鳴らして極彩色の街を歩く。蛍光ピンクの空がまぶしい。今日はいい天気だ。
視界がぶれて灰色がかった街と似たような顔と似たような格好の人間たちが無表情にぞろぞろと歩く世界が一瞬重なる。
まだ消えないか。私はどれだけおかしくなってしまったんだ。
めまいがする。頭も痛い気がしてきた。
ちょっと病院に行った方がいいのかもしれない。いい医者がいるって話を最近聞いたから、会社帰りに行ってみようか。
しかし本当におかしくなってしまっていたとしたらどうだろう。あの蓋のある建物に私も入るんだろうか。
それも悪くない気はする。衣食住は保たれるらしいし。
巨大なタケノコが職場のある辺りに落下してにょきにょきと天を衝く竹に成長していくのが見える。あーあー、と思っていると上司から電話がかかってきて、今日の仕事は休みだと告げられた。ちゃんと日当出るんだろうな。これで連続178回目の出勤失敗だ。採用されてからまだ一度も出勤したことがない。私はいつになったら仕事ができるんだろう。歓迎会だけはやってもらった。
仕方ないから帰って寝なおすことにする。次に目が覚めたときにどっちに転んでいるかはまだわからない。まあ、どっちでも似たようなもんだし、どっちでもいいか。