【テーマ】東京五輪に向けて がりは
- 2016.08.31 Wednesday
- 08:33
オリンピックが終わった。
俺の夏休みも終わった。
会社に入って一番長く続けて取った夏休みだった。
俺はあまり国別対抗ということに興味がなく、どこの国の人でもいいからその競技の強い人がみたいので、オリンピックにそこまで純粋に入り込めないのだが(卓球だったら中国の国内予選の方がよほど熾烈そう。どこの国のお家芸でもそういうことあるよね。)、それでもやはり人が人生を賭けて打ち込んでいるものの成果が見えるというのは素晴らしいことだ。
何度も何度も感動した。
自分の生活を全てつぎ込んで磨いた技術が圧倒的な肉体の前に粉砕される残酷。
トップを倒すために研究を重ねてきた者に稀に与えられる大番狂わせの歓喜。
高校の友人と久しぶりに会って話した。
子供のサッカーの練習の面倒を見ているうちに、高校サッカー部でやってた頃よりリフティングがうまくなった話をしたところ、高校陸上部の彼は今テニスを始めたところなのだが、そこに陸上の経験も大学で始めたラクロスの経験も働き始めてサークルでやっていたバレーやスカッシュの経験も生きて、めっぽう飲み込みが早いという話をしてくれた。
スポーツの見方は年々上手になっていき、ラグビー、レスリング、柔道についてはかなり細かいポイントで見るようになってきた。
歳を取り、経験を重ねることによって、スポーツを多面的に捉えたりより実感を伴ったものとして捉えることができるようになった。
一度の経験から得られるものがどんどん豊かになっていく。
そんなことを実感した今回のオリンピックであった。
歓喜の瞬間の表現の方法は人それぞれ、国それぞれである。
その昔日本人は、特に武道など伝統的な競技において、喜びを表に出さないことが美しいとされてきた。
柔道など顕著でしたね。
勝っても負けてもポーカーフェイスで、しっかり礼をして畳を去ると。
俺は今でもこっちの方がかっこいいと思うし、日本のオリジナリティをアピールできると思う。
女子レスリングでは時間ぎりぎりで逆転勝ちする展開が続いたが、勝った瞬間に喜びを爆発させていた。
いいと思うのです。
俺もとても感動した。
しかし、ここで淡々と相手を起こして礼をしてその後微笑むといったアクションを取っていたらどうだろうか。
相手へのリスペクトも感じられ、すがすがしさをかんじられるのではないだろうか。
もしかして、試合後のパフォーマンスまで想定していたのでは?という。
さらにもう一枚二枚、相手より上手な感じがしないだろうか。
団体戦では喜んだ選手たちが自然と輪になって踊っているシーンを何度か目にして、ああいいなあと歓喜と連帯を同時に表現しているなあと思ったのだが、東京オリンピックに向けて日本チームはここの部分を強化できないだろうか。
ダンスが身についている国の人々と違って日本では喜んだ時に踊り出す習慣はない。
喜ばず整列して礼をして相手を称えて去る。
これでも良い。
もちろん良い。
しかし、東京オリンピックであり、真夏の祭典であることを考えるともう一段仕掛けがほしい。
そう、盆踊りですよ。
自然と輪になって盆踊り。
国を超えて、人種を超えて、勝敗を超えて。
生者のためだけでなく、死者のための五輪という広がりまで持つ。
この四年でしっかり盆踊りを強化して、スタジアム一体となって踊れるようなそんな五輪がどうせなら見てみたい。