【テーマ】東京五輪に向けて  がりは

  • 2016.08.31 Wednesday
  • 08:33

オリンピックが終わった。

俺の夏休みも終わった。

会社に入って一番長く続けて取った夏休みだった。

 

俺はあまり国別対抗ということに興味がなく、どこの国の人でもいいからその競技の強い人がみたいので、オリンピックにそこまで純粋に入り込めないのだが(卓球だったら中国の国内予選の方がよほど熾烈そう。どこの国のお家芸でもそういうことあるよね。)、それでもやはり人が人生を賭けて打ち込んでいるものの成果が見えるというのは素晴らしいことだ。

何度も何度も感動した。

自分の生活を全てつぎ込んで磨いた技術が圧倒的な肉体の前に粉砕される残酷。

トップを倒すために研究を重ねてきた者に稀に与えられる大番狂わせの歓喜。

 

高校の友人と久しぶりに会って話した。

子供のサッカーの練習の面倒を見ているうちに、高校サッカー部でやってた頃よりリフティングがうまくなった話をしたところ、高校陸上部の彼は今テニスを始めたところなのだが、そこに陸上の経験も大学で始めたラクロスの経験も働き始めてサークルでやっていたバレーやスカッシュの経験も生きて、めっぽう飲み込みが早いという話をしてくれた。

スポーツの見方は年々上手になっていき、ラグビー、レスリング、柔道についてはかなり細かいポイントで見るようになってきた。

歳を取り、経験を重ねることによって、スポーツを多面的に捉えたりより実感を伴ったものとして捉えることができるようになった。

一度の経験から得られるものがどんどん豊かになっていく。

そんなことを実感した今回のオリンピックであった。

 

歓喜の瞬間の表現の方法は人それぞれ、国それぞれである。

その昔日本人は、特に武道など伝統的な競技において、喜びを表に出さないことが美しいとされてきた。

柔道など顕著でしたね。

勝っても負けてもポーカーフェイスで、しっかり礼をして畳を去ると。

俺は今でもこっちの方がかっこいいと思うし、日本のオリジナリティをアピールできると思う。

女子レスリングでは時間ぎりぎりで逆転勝ちする展開が続いたが、勝った瞬間に喜びを爆発させていた。

いいと思うのです。

俺もとても感動した。

しかし、ここで淡々と相手を起こして礼をしてその後微笑むといったアクションを取っていたらどうだろうか。

相手へのリスペクトも感じられ、すがすがしさをかんじられるのではないだろうか。

 

もしかして、試合後のパフォーマンスまで想定していたのでは?という。

さらにもう一枚二枚、相手より上手な感じがしないだろうか。

 

団体戦では喜んだ選手たちが自然と輪になって踊っているシーンを何度か目にして、ああいいなあと歓喜と連帯を同時に表現しているなあと思ったのだが、東京オリンピックに向けて日本チームはここの部分を強化できないだろうか。

ダンスが身についている国の人々と違って日本では喜んだ時に踊り出す習慣はない。

喜ばず整列して礼をして相手を称えて去る。

これでも良い。

もちろん良い。

 

しかし、東京オリンピックであり、真夏の祭典であることを考えるともう一段仕掛けがほしい。

 

そう、盆踊りですよ。

自然と輪になって盆踊り。

国を超えて、人種を超えて、勝敗を超えて。

生者のためだけでなく、死者のための五輪という広がりまで持つ。

この四年でしっかり盆踊りを強化して、スタジアム一体となって踊れるようなそんな五輪がどうせなら見てみたい。

思春期の苦しみと救い  Mr.Indigo

  • 2016.08.30 Tuesday
  • 00:00

「お母さん大変だったね〜」

「自業自得ですよ」

今までにいったい何人とこのような会話をしただろうか。おそらく10人や20人では済まない。100人にはさすがに届いていないと思うが。

何度か書いたことだが、私には弟が3人いる。そして、雑談の中で家族構成を聞かれて、男ばかり4人兄弟だと言うと、かなりの確率で冒頭のやり取りになるのだ。

子は親を選べない。しかし、親の側には子供を授かるための行為をするかどうかの選択権がある。冗談半分で返す言葉ではあるが、紛れもない真実だ。

 

もちろん両親も大変だっただろう。言うまでもなく、とても感謝している。しかし、子供の側も大変だったのだ。

少し年の離れている末弟はともかく、3人年子で物心ついてから大人になるまでお互いを意識せざるを得なかった我々の苦しみもまた、筆舌に尽くし難い。

「しばらくは家族計画を考えなあかんな」

妻の第1子妊娠が判明した1カ月ほど後、単身で帰省した私は、1歳下の弟にこう言って少し笑った。もちろん両親が部屋にいない時のことだ。

「せやな」

彼も口元を緩めたが、目は笑っていなかった。そう、今でこそ頼りになる兄弟だが、思春期の頃は年子が嫌で仕方がなかったのだ。我が子には自分と同じ苦労をさせたくない。その切実な思いは間違いなく伝わっていた。

 

何年か前に、私が高校生の頃に撮られた1枚の写真を見せられたことがある。入院した祖父(私が大学生の時に死去)を見舞いに行った際の写真だった。

写っているのは祖父と兄弟4人なのだが、我々3人は恐ろしく不景気な表情を浮かべていた。病気の祖父を見舞いに行くのだから、カラ元気でも明るく振る舞わなければならないのに、当時の我々はそれができなかったのだ。3人の顔には、人生に何の面白みも感じられないと書いてあった。

仲が悪かったわけではない。喧嘩もせず、毎日くだらない会話を楽しんでいた。3人で旅行に出かけることもあった。

しかし、心安らぐこともなかった。

 

〜放課後街ふらつき俺達は風の中、孤独瞳に浮かべさみしく歩いた。笑い声と溜め息の飽和した店で、ピンボールのハイスコア競い合った(尾崎豊「卒業」)〜

 

シチュエーションは違うが、そんな雰囲気だったのではないだろうか。

 

我々3人は皆、大学に入ると人が変わったように躍動を始めた。親兄弟という束縛から解放されたのもひとつの大きな要因だろう。

上2人が進学した大学は、ともに実家から通えなくもない場所にあった。しかし、両親は敢えて我々を追い出した。後々に備えて一人暮らしを…というような話を聞かされた記憶はあるが、それが真の狙いだったかはわからない。言い換えると、兄弟を引き離すことの測り知れないメリットを感じていたのは我々3人のみだったのか、両親もだったのかは不明である。

ただ、いずれにせよ、我々は水を得た魚のようにキャンパスライフを謳歌することができた。

それは紛れもなく、我々を追い出してくれた両親のおかげである。家族の増産は無計画だったが、学費の捻出は計画的だったようだ。

我が子が幼いうちから中学〜大学生活を想像できるはずがない。ゆえにあくまでも結果論だが、我々を必要以上に苦しめたのも両親であり、苦しみから救ったのも両親だったと言えるだろう。

 

【テーマ」】盆に会う人  Mr.Indigo

  • 2016.08.27 Saturday
  • 00:00

今年はスケジュールの都合で会えなかったが、概ね年に1度、盆にだけ会う30代半ばの男がいる。

彼は8月15日の午前中に私の実家にやって来る。だいたい30分ほど滞在して、そそくさと去っていく。

この約30分という時間の大半を、私は彼の後頭部から背中を見て過ごす。会話を交わすのは最初と最後の5分程度だ。

では彼は約20分の間何をしているのか。もうお気づきだと思うが、仏壇に向かっているのである。そう、彼は大和郡山市のとある寺の住職なのだ。

 

さて、私もなかなかの田舎育ちだが、両親はそれを上回る田舎者だ。どちらの地元にも寺院と檀家の繋がりが色濃く残されている。

そして、親父の出身地は高野山の麓にある小さな町だ。今も祖母と叔母、従兄弟が住んでいる。言うまでもなく高野山真言宗に染まったエリアで、祖父の葬式も近所の真言宗寺院で行われた。

父方の仏壇はそちらにあり、親父は盆の時期の大半を自らの育った家で過ごす。孫に会うために(ツンデレなので口には出さないが)ひょっこり戻ってくることがある程度だ。

一方、大和郡山の家には母方の祖母が同居していて、母方の仏壇が設置されている。すなわち、前出の住職氏は母方の盆のためにウチの実家にやって来るのだ。

話がややこしくなったが、要するに我が一族は二手に分かれて盆を迎えるわけである。

 

仏壇があり故人の位牌が並んでいる一般家庭にとって、盆とは生ける者と死せる者の交流の機会である。しかし、ウチの実家にある母方の仏壇の中で、私と面識があった人は24年前に他界した祖父しかいない。他の人々は、祖母や母から在世時の話をいくらか聞いたことがある程度だ。

自分が物心つく以前に亡くなった人に思いを馳せるのは難しい。しかし、思い出すのは母方の祖父だけというわけでもない。

父方の祖父だったり、かつての恩人だったり、若くして逝った友人だったり。住職氏の通りの良い声を聴いている間、いろいろな人との思い出が頭をよぎる。そして、今を生きる自分や家族の存在を改めて認識する。

位牌がそこになくてもいい。盆とは亡き人を思い出すことに意義がある。普段は会えない懐かしい人に心の中で会う機会であると、私は考えている。

 

さて、私にとって盆の意義はそれだけではない。特殊な家業を継ぐことを選んだ同年代の男の生き方に触れる機会でもあるのだ。

住職氏は亡くなった父上の跡を継ぐべく高野山などで修行し、副住職として生家の寺に戻り、数年後に住職となった。

この生き方は、気安く選べるものではない。修行生活も大変だっただろうし、故郷に戻ってからもいろいろあったはずだ。

盆などは恒例行事だが、葬式の依頼などは急に来るものである。そして、悲しみに満ちた非日常の空間、ほとんどの参列者が年長という状況で、堂々と振る舞わなければならない。精神的な強さが求められることは、容易に想像できる。

そして、放り込まれた環境の中で、それに適応するように人は実力をつけていく。思い返せば、住職氏はずいぶん前から貫禄があった。

このようにして私は、彼の背中を見ながら、人生の多様性や不条理さ、不可思議さを改めて実感するのである。

【テーマ】お盆のテーマソングに存在する戦国時代

  • 2016.08.25 Thursday
  • 22:15

 お盆になると先祖が帰ってくるといいます。それに乗じるかのように増えるホラーをテーマにしたテレビ番組。そんなテレビ番組でまず間違いなく使われる曲が「かごめかごめ」でしょう。本来子供遊びのわらべ歌の一つとして使われていたのに、いまやこの歌を聞くと何故か怖い感じを受けてしまいますね。

 実はこの「かごめかごめ」、単なる童歌ではなく実はある深い意味を持った歌だということを唱える人もおり、多数の解釈が存在します。そんな中ある一つの説に戦国時代に関する説が存在するのですが、主流の考えではなくかなりマイナーな説なので、チンギスハンは実は源義経だった、上杉謙信は実は女性だったという説を聞くくらいのつもりで見てください。

 

 さて、かごめかごめの歌詞が表す戦国時代、それは明智光秀は実は生きており、天海僧正であった、ひいては本能寺の変は光秀と家康が組んで起こしたという説である。

 実は現代において光秀の肖像画は1つしか残っておらず、みなさんが教科書などで見たことのある光秀は大阪府岸和田市(戦国時代にはその横の貝塚市)にあった本徳寺にある肖像画である。裏切者である光秀の肖像画が少ないのは仕方ないにしても何故そんな光秀に関係のない場所に光秀の肖像画があるのか、これがカゴメカゴメの歌詞が指し示すものなのである。歌詞を追いながらいきましょう。

 

1 かごめかごめ

 光秀と江戸幕府に関係ある地、佐渡金山(新潟県)、江戸城(東京都)、日光(栃木県)、明智神社(福井県敦賀市)、駿府城(静岡県)、土岐(岐阜県)を結ぶとちょうど六芒星の形になります。これが昔の籠の網目に似ていたことから、籠目籠目ということになります。

 

2 籠の中の鳥は

 ここがかなり苦しいのですが、鳥を土岐と読み替えて、この六芒星の籠目にゆかりのある地域にいた土岐氏を先祖とする明智光秀は、という意味にします。

 

3 いついつ出やる

 天海僧正という名前に変えた光秀がいつ本当の名前で世の中に出てくるのだろう

 

4 夜明けの晩に鶴と亀がすべった

 ここは様々な解釈が成り立つのですが、夜明けに本能寺の変を起こし、敦賀(鶴)と亀山(亀)に縁のある光秀が天下を統べた(すべた=統治するの意)とする人もいますし、夜明けの晩は日光東照宮を指すという人もいます。

 

5 後ろの正面だあれ?

 前項の続きとして、天下を統べた人は後ろの正面にいるんですがそれは誰でしょう。という意味にします。

 ここで、冒頭の知識が役立ちます。光秀の生まれた岐阜県土岐あたりから日光東照宮を見ます。そこから真後ろを見ると……なんと大阪府岸和田市(貝塚市)になるということです。

 

 まとめますと

かごめかごめ(籠目の形にゆかりの地を持つ)

籠の中の鳥は(土岐氏を先祖に持つ人は)

いついつ出やる(今は天海と名前を変えているけど、いつ世の中に出てくるのだろう)

夜明けの晩に鶴と亀が(夜明けに信長を本能寺で倒した敦賀と亀山に縁のある人が)

すべった、後ろの正面だあれ(天下を統べたのだけど、それは日光の後ろの正面にいるんだけどだれだろうな=唯一肖像画のある本徳寺に祭られてる人ですよ)

ってことになります。

 つまり、この短い歌詞で本能寺の変は光秀と家康が組んで信長を倒したものであり、その後光秀は天海僧正として江戸幕府中心的な役割についたということを示していることになります。

 

かなり苦しい解釈もあるので信じる人は少ないですが、みなさんの知っている歌にも戦国時代に繋がるところがあるということを知ってもらいたくて紹介しました。

ベストコメント&これから  Mr.Indigo

  • 2016.08.25 Thursday
  • 01:09

嬉しい。

前月の何倍も嬉しい。

 

6月のMVP争いは、投票が始まる前から自分の勝利を確信していた。そして、次点に7票の大差をつけてぶっちぎった。

しかし、7月は結果が出るまで気が気でなかった。他の執筆陣の奮起を促しつつ自らの趣味について熱く語った手強い男がいたからである。この強敵をなんとか退けられたことが、私はとても嬉しい。

そして、自分の作品群が読者諸氏に高い評価をいただいていることを、改めて実感した次第である。本当にありがたいことだ。

では各氏のコメントを見ていこう。

 

●ヤマブキ氏

「単品の方が重いとみました。」

●ともとジェリー氏

「数こそ正義とはあまり言いたくないが、そういうことである。」

この見方の違いは面白い。プロレスシリーズを1作とみなすか、4作とみなすか。私は前者ととらえ、やや前振りが長すぎると判断して最優秀作品賞に投票しなかったのだが、こういった感性の違いにコメントの意義があるのだろう。

 

●ダックスフンド氏

「1発の破壊力。プリミエールの長い歴史で占いを書いた人っていなかったような気がします。そうやっていつも新たな刺激を与えてくれるPinkさんをMVPに選びました。」

これも面白い見方である。ただ、7月末に7月の運勢を言われても…という気がしたが、そこはどうなのだろう。

 

●ハッタリスト氏

「自分の見てきたものが自分のやり方になるというか。良かったと思います。」

●うべべ氏

「プロレスを探しにいけたから」

私はプロレスに関しては門外漢である。ただ、傾倒する趣味に自らの生きざまを投影するということは、私の日常にもしばしばあることだ。多くの読者の支持を得たのも納得できる。

 

●がりは氏

「傑出した作品のない地味な展開の中でじわりと良さを発揮した私小説に一票。」

傑出した作品がないというのは、なかなか耳が痛い見解だ。MVPは5連覇中だが、最優秀作品賞は長らく獲得できていない。これに関しては思うところがあるので後述したい。

 

●精霊氏

「1つのジャンルにはまることなく、色々なテーマの文章を書いている。その幅広さが評価できる。」

●みしぇる氏

「作品数の多さ」

両氏は私への投票が非常に多く、たいへん感謝している。ファンを大切にすることも執筆者として重要なことだろう。

 

●ホワイト氏

「子を持つ親として共感することしきり。」

7月は私にしては家庭ネタが少なかったのだが、共感いただけたのはありがたい。家庭ネタは今後も自分の軸となっていくだろう。

 

さて、MVP争いは団体戦である。すなわち、その月に発表された作品全ての総合力の勝負だと私は思っている。

一方、残り2つの賞レースは個人戦である。特に最優秀作品賞は毎回20以上の作品がエントリーする。名作を1本出せば誰でも獲得できる反面、確率的には獲得が最も難しい賞でもある。

ちょうどリオ五輪が終わったところだが、今のIndigo国にはボルトも内村もいない。バラエティに富んだそこそこの選手を揃えて起用法を工夫し、団体金メダルを守り続けてきた。

私は20年近い年季を持つ団体戦マニアである。ゆえに、PREMIERの最大の栄誉はMVPだと思っている。

しかし、傑出した作品がないという指摘を受けて、王者が黙っているわけにはいくまい。既存のファン層を守りながら新境地を開拓するべく、月に1作はこれまでと毛色の違う作品に挑戦することにしよう。

 

最後になったが、ベストコメントはがりは氏に進呈させていただく。

8月はもう終わりが近づいているが、9月のIndigoワールドにもご期待いただきたい。

 

鉄の海(19) by Mr.ヤマブキ

  • 2016.08.25 Thursday
  • 00:00

「治しても仕方ない、という意図で言ったつもりはなかったのですがそう思われてしまったのは大変申し訳ありません。ただし、治療しないという選択肢を提示したのも事実ですから、どういう意味でその選択肢を提示したか説明させてください」

 

 息子がこちらを睨む。看護師は我関せずと書記の役目を黙々と果たしている。

 

「まずはこのレントゲンを見てください。こちらが右の肺で、こちらが左の肺です。右肺の下の方に、本来なら黒く映る肺の中に白くなっている部分があります。これが肺炎です。

今回の誤嚥性肺炎という病気は、食べ物を飲み込むとき、我々健常者であれば気管に食べ物が入らないようにする機能が働くのですが、お年を召されることでその機能が衰えて気管に食べ物が入ってしまうことで起こります。食べ物は重力に従って落ちていきますから、肺の下の方、特に右側が多いと言われています。このレントゲンの画像だけでも誤嚥性肺炎だと分かるような典型的な画像です。施設ではお食事を取られていたようですが、職員に聞くとやはりむせることも多かったようですから、気づかないうちに徐々に飲み込む力が衰えてきたのだと思います。

 幸い、肺炎に対しては抗生物質の点滴治療でよくなっています。すでに採血でも体内の炎症は落ち着いていて、治療を終了しています。ですが、現在は食事量が1割程度とほとんど食べられておらず、このままでは栄養が足りていない状態です。今の問題は肺炎から食事が食べられないことへと移行しています。

食べられない原因はいくつかあります。まずは肺炎を起こすほどに飲み込む力が落ちていること。ただこれは飲み込む機能などを専門的に診ている言語聴覚士というものが評価したところ、誤嚥のリスクは避けられないものの、全く食べられないというほどでもないようです。もう一つ、これが最大の問題なのですが、そもそもご本人が食事を召しあがらないという問題があります。食事を介助していると、スプーンを口に入れても、口の中で食べ物を転がした後、まるで異物が入ったように吐き出してしまわれます。これは食べ物を食べ物だと認識されていないからです。認知症のために食べること自体忘れてしまわれていると言ってもいいでしょう。これが最大の問題です」

 

 黙ったままこちらを睨み付けていた長男が視線を逸らし腕組みをする。

明るい悩み相談室PREMIER(197)〜ベテラン〜のスピンオフ がりは

  • 2016.08.24 Wednesday
  • 00:00

197でお答えしたベテランの晩節の話でも少し触れましたが、トップクラスで戦ってきた人にはいつかそこから去る日が来ます。

この間亡くなりましたが千代の富士の引退は見事でしたね。

誰もが覚えている「体力の、限界。」というあの間。

貴花田という後継者を得て引退するという出来過ぎたシチュエーション、そこに持ってきてあの話し方、あの表情、見事としか言いようがありません。

良き後継者を得た、と引退した木村義雄十四世名人の引退シーンとも重なります。

 

国民的スターの引退という意味では長嶋茂雄でしょうか。

 

今だとイチロー、羽生の引退の仕方は気になります。

(武も同世代の天才ですが、話がややこしくなるので今回は割愛。)

相撲界には大関までは成績不良なら降格をしてやり直すことができるが、横綱はふさわしくない成績を取ったなら自ら出処進退を明らかにすべしという掟があります。

相撲の強さだけでなく、興業団体としての相撲協会を背負った千代の富士の引退はこの掟がなければかなり難しいものになったのではないでしょうか。

(例えば興業面での責任がもっと露骨に問われるプロレスではトップ選手は余程のことがないと引退できません。三沢光晴もそのような事情で、慢性的な故障を抱えながら引退できず、あのような事故につながったと考えられます。)

将棋も名人にはそんなことが言われていた時代がありました。

一度名人になったらA級は良いけれどB級に落ちてまで指すのは恥ずかしいというような論調です。

それに沿ったのは升田・米長でしたし、抗っているのは最下級クラスであるC級2組で全敗しても、40連敗しても指し続ける加藤を始めとして佐藤・丸山・谷川・中原などがB級に落ちても指し続けています。

 

少し前ならイチローだと年間200本打てなくなった時に引退するべきだとか、羽生だとA級から降級した時が潮時かとか言われていたのでしょうが、先人たちの努力の甲斐があってベテランにはベテランのドラマがあり、引き際はその人に任せましょうという気運が高まっているように思えます。

イチロークラスの選手が第四の外野手という位置付けで現役を続行するなんて、以前の常識では考えられないことだったでしょう。

それが認められるためには、イチローが自分の能力を証明し続けてきたことに加えて、バックアッパーの役割の重要性(162試合ハードなスケジュールで移動しながら戦うことの過酷さ込み)や外野手の守備の重要性(私が野球を見始めた1985年には外野の人が守備で評価されることなんかほとんどなかった気がします。打力を生かすために外野にコンバート、なんて普通に言ってましたよね。)が認知されたことが大きいのではないかと思うのです。

 

イチローの打率が下がってきたように、羽生の勝率やタイトル獲得数も下がってきました。

イチローの引退が取り沙汰されるように、羽生の引退も当然取りざたされます。

その羽生が今、ソフト(人工知能)との頂上決戦を目指して叡王戦に出場しています。

叡王戦はエントリー制の人間同士のトーナメントで人間代表を決定し、ソフト同士のトーナメントを制したソフトと決着戦を戦うというユニークな趣旨のタイトルです。

今回は第二回で、第一回には羽生は出場しなかったため、今回の参戦は非常に注目されています。

将棋界にとっては対世間の最終兵器=羽生がついに(遅すぎる気がするけど)参戦です。

キャリアのピークを過ぎた羽生がまず人間代表になれるのか、羽生がなれなかった時羽生以外の人間代表が戦うことが世間に届くのか、羽生が代表になったとしてもソフトが強くなりすぎており「3年前に出てればな。」という誰しもが抱く感想の確認作業にならないのか、そして何よりも羽生の負け=人類の人工知能に対する敗北=プロ棋士の価値の否定という短絡的な反応が起こらないか、というような懸念は数々あるものの、よくぞ決断してくれました。

羽生が羽生である限り勝ち続けなきゃならない。

そう期待している我々、そう縛られてしまっているのではないかと心配する我々、をよそに羽生にはいつも通りひょうひょうと自分の興味の赴くままにという風情で勝ち続けてもらいたいです。

吉田が吉田である限り勝ち続けなきゃならなかった吉田を観て感動した我々は、そんなことを微塵も感じさせない羽生にも感動するでしょう。

敵はもっと強大ですし。

 

叡王戦は予選を終え、羽生は順調に勝ち残っています。

本戦は九月、人工知能との対決は十二月です。

※明るい悩み相談室PREMIERではあなたのお悩みを受け付けております。

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滑り台  Mr.Indigo

  • 2016.08.23 Tuesday
  • 00:00

子供というのは、たいてい滑り台が好きだ。

規模の大きい公園の趣向が凝らされた滑り台には、幼児のみならず小学生も集まる。小さな公園にあるシンプルな滑り台でも、幼児は何度も繰り返し滑る。

ここ数年、私もあちこちの公園でさまざまな滑り台を滑ったが、なかなか楽しいものだ。スピード感とスリルを安全に楽しめる、優秀な遊具だと思う。

 

さて、私が子供だった頃に比べて、滑り台のバリエーションはかなり増えたように思う。埼玉という都会に移り住んだのも、そう感じさせる一因であろうが。

我々の世代が思い浮かべる金属製の一般的な滑り台もまだ活躍しているが、全体に占める割合は少なくなった。年を経て雨風に打たれることで滑りが悪くなるのが難点というのが私の見解だ。

3歳くらいの幼児が中心のシンプル系は、プラスチック製が増えた。庭のある家なら置けそうな小さいものも少なくない。しかし、大きくなるとこのような滑り台では満足できなくなるだろう。

そこで、滑り台を造る側に工夫が求められる。よく見られるのは、滑降部を螺旋状にしたり、傾斜の異なる2つの滑降部を設けたり、滑降部の横幅を広げたりといったところだろうか。

例えば、滑降部の幅を広げると、複数の子供が同時に滑れる。単独で滑るのが心細いという幼児は、親と一緒に滑ればいい。遊び方の幅は広がるし、待ち時間も短くなる。

 

しかし、よほど地理的条件に恵まれるか予算をかけるかしない限り、滑る時間はせいぜい数秒に過ぎない。

ゆえに、造る側の真価が問われるのは、滑るまでのプロセスなのではないだろうか。単に並んで階段を上って滑るだけではそのうち飽きてくる。ゆえに、滑るまでの過程にバリエーションが欲しいいうことだ。

我々兄弟が幼い頃、たまに連れて行ってもらっていた公園に通称「山滑り台」という遊具があった。山という言葉が示すように、円錐状で大型の滑り台だ。

その「山滑り台」に、先日別の用事のついでに足を運んだ。25年ぶりくらいだろうか。長女を連れていたので、私も一緒に滑った。

この滑り台は相当なベテランだが、今見てもよくできている。普通に正面から坂道を上る(ただし足場が悪いので幼児単独では少々きつい)だけでなく、斜めから鎖を伝って上ることもできる。また、中央部を貫くトンネルが掘られていて、その真ん中に縦穴があり、手足を掛けて垂直に上ることもできる。ただ、安全性に関しては近年の滑り台の方が優れており、対象年齢も広いように思われる。

滑るまでの過程の工夫と言っても、基本的にはアスレチックの要素をいかに盛り込むかだろう。しかし、意外に単調でがっかりすることも稀にある。やはり、造る側の腕の差は出るものなのだ。

 

滑り台の構想を練ったり、設計に取り組んだりしている人々も、昔は1人の子供として滑り台で遊んでいただろう。近年の面白い滑り台には、当時の思い出がきっと込められているに違いない。素敵なことだと思う。

そして、今いろいろな滑り台で遊んでいる子供達の誰かが、将来さらに個性的で楽しい滑り台を生み出してくれるだろう。

いつの日か、そんな滑り台で孫と遊べたらいいな。

 

日々を丁寧に(1)  Mr.アールグレイ

  • 2016.08.22 Monday
  • 00:00

こんにちは。

Mr.アールグレイと申します。

初めまして。

ハッガリーニさんからチャンスを頂いて、しばらくのスペースをお借りできることになりました。

とても嬉しいです。

書くにあたって色にちなんだペンネームを、というお話でしたので私の大好きな紅茶にかけて「Mr.アールグレイ」という名前を選びました。

 

こんな素敵な場に好きなことを書いても良いという喜びもつかの間。

書くからには皆さんに少しでも楽しんでいただきたいと思うのですが、私はアウトラインをお話ししただけで皆さんが目を丸くしてくださるような特別な経験をしてきたわけではないですし、文章を書いて褒められた経験も残念ながらまだありません。

お話を読むのは昔から好きですが、私にとって小説は読むものであって書くものではありません。

ですので、書くことはどうしても身の回りのことになるかと思います。

お話を頂いてからしばらく考えてみたのですが、この十年ほど私の生活を支えてる言葉「日々を丁寧に」をテーマにして言葉を綴ってまいりたいと思います。

 

今の生活が身の回りのもの、ことについて人さまよりも長く考える時間があるもので、そういったところで少しでもお役に立つようなことが書ければと思います。

 

さて、第一回ということで何を書きましょうか。

最初なので一日の始まり、目覚めについて書きましょう。

 

皆様は毎朝、どんな目覚めをお迎えですか?

また、どんな目覚めをお迎えになろうとしておられますか?

 

たとえば前日の疲れがすっきり取れて、今日という日に何をしようかとわくわくしながら、念のためかけていた目覚まし時計より早く目が覚める、そんなお目覚めはいかがでしょうか。

そんな目覚めを迎えることができたら、一日がどこまでもスムーズで力の満ちたものになると思いませんか?

一日、大人ですから楽なことばかりではありません。

辛いこと、大変なこともたくさんあるでしょう。

そのような経験の一つ一つが私たちの生活というパッチワークキルトを彩る一片となるのですが、辛いものは辛い、大変なものは大変です。

クリアしていくためには気力と体力を欠かすことはできず、そのおおもとに良い目覚めがあります。

 

前日にあったあれこれを感謝とともに前日に置いてくる、今日に持っていかない。

寝る前にストレッチをしながら、そんなシンプルなお祈りをします。

最後に胸の前で手を合わせつぶやきます。

「明日も気持ちよく起きられますように。」

 

いつもそんな目覚めができれば良いと思っていますが、なかなか思うにまかせません。

大人っていろいろありますよね。

私は弱い人間なので良い目覚めが難しいかもしれないと思う夜にはずるをします。

そんな時のためにコツコツと買い集めておいたチョコレートを翌朝食べてもよいことにするのです。

ピエールマルコリーニ、ジャンポールエバン、ガレー、もちろんゴディバも悪くありません。

レオニダスのオランジェを置いてあるだけ買ってくるのは人生における大きな喜びですが、今回の趣旨からは外れてしまいますので、また改めて。

 

どんなに辛かった日でも、明日の朝に大好きなチョコレートが待っているなら忘れられると思い込むこと。

もしかするとそれが良い目覚めのこつかもしれません。

 

それでも目覚めが悪かった時のことはまた次の機会に。

それではまたお目にかかりましょう。

さようなら。

明るい悩み相談室PREMIER(198)〜パチ屋のCM〜 がりは

  • 2016.08.21 Sunday
  • 02:02

明るい悩み相談室PREMIER、本日の担当医がりはです。

こんばんは。

今日はどうされましたか?

 

最近、CMを見て5秒くらいでパチンコのCMかどうかが分かるようになったのですが、この能力を何かに活かせないでしょうか?

 

ほうほう、わっかりますわっかります。

最近パチンコ屋のCMもCSR的な内容にシフトし始めていて、一目見ただけではこれがパチンコ屋のコマーシャルなのかと疑うようなものが増えてきています。

パチンコ業界の宣伝活動に関しては元々平成14年に警察庁から出されたいわゆる「14年通達」が全く効果がないことに業を煮やした警察庁が平成23年に「ぱちんこ営業における広告、宣伝等について(通知)」を通知して、業界が自主規制をしたという経緯だと私は認識しています。

この当時は消費者金融とパチンコのCMが非常に多く流れていて私が不愉快に思っていたこと、東日本大震災のあとの自粛ムードの中でこの通知が出たのをよく覚えています。

ちなみにこの通知の趣旨はむやみに射幸心をあおるような表現をするべからずというもので、たとえば出玉の設定が緩くなる日をイベントと称し集客をするための表現(出玉の設定をいじってはいけないと法で定められており、今年に入って大きな摘発がありましたね。二重の過ち。)を規制しています。

最近増えているパチンコCMは人生の充実のお手伝い、笑顔が触れ合う場所、的な抽象的な表現を続け最後に企業名を入れてくるパターンだと思うのですが、これなら通知に触れないんでしょうね。

私はパチンコ・パチスロなんてはやく無くなってしまえばよい、と思っていますので「なんやのこのコマーシャル、やたらメッセージ性強いやないの。」というCMが最後にパチンコメーカーのものだったりするとネガティブな感情がぐわっと沸いてきます。

口ではええこと言うてもやっとることは・・・・となるわけです。

あなたのような能力をわたしも持っていたらと思わなくはないですが、パチンコのCMと分かっただけで腹が立つでしょうからあまり役に立たないように思います。

ちなみに規制の対象になっているのはキー局だけで地方局やラジオではガンガン流れています。

 

似たようなトーンのCMといえばタバコのCMですね。

いまやタバコを楽しんでいるCMは皆無です。

私はタバコも早くなくなった方が良いと考えていますし、重税を課した方が良いと思っていますが、政治はなかなか難しいですね。

タバコへの規制が「大人のマナー講座」のようなユーモラスな作品につながっていると考えるとネガティブな感情がやわらぎます。

また、同じく嗜好品で体に悪いにも関わらずタバコ程規制されていないお酒に関しても以前と比べると露骨な表現が減ってきているように思います。

ローラが踊りまくったりしてますが、ご愛嬌ということで。

 

ただいいことを並べるのではなく、そこに何か一味二味ついていると、パチンコのCMについてもネガティブな感情がやわらぐのかもしれません。

 

 

わたしとしたことが、あなたのお悩みにたどりつく前に随分回り道をしてしまいました。

あなたの能力をもう少し磨いて、そのCMに入る直前に察知するレベルにまで行けば、少なくとも私にとっては役に立ちます。

また、もし応用が利いてエロに対してセンサーが働くのであれば、2時間ドラマの濡れ場(今もあるんでしょうか)を子供から遠ざける効果も期待できます。

まあ、多くの道具と同じく逆の使い方もできるわけですが。

 

CMから離れて、人が話し始めて5秒程度でその話が嘘かどうかわかるという能力にまで進化したなら、世界が手に入るかもしれませんよ。

頑張ってください。

 

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