【テーマ】代数幾何学におけるががばば   ハッタリスト

  • 2016.02.29 Monday
  • 23:10
今月のテーマは「ががばば」ですので、早速ひとつ問題を出しましょう。

問.
1辺が4cmの正方形ABCDの頂点Aにががばばがある。
ががばばがAを出発してABCDの周上を毎秒1cmの速さで移動するとき、Aとががばばの距離が5cmとなるのは何秒後か。

ががばばって何やねんとか言う前に、まずは解いてみましょう。
言葉足らずなところは適当に補うとして、7秒後と9秒後、くらいが素直な答えでしょうか。
つまり、ががばばが何であれこの問題は解けるわけです。

よくある問題だと移動するのは点Pであったりしますが、点Pって何やねんという疑問も時々聞かれることのような気がします。
ただ、これは冗談ではなくて本質的に謎なところでもあるのです。

「点」を定義しようとすると、
 ・空間上の座標を持っている
 ・空間的な広がりがない
を満たすような何者か、といったところでしょうか。もし図を描けと言われたら黒い丸で表すのがよくある方法でしょう。
が、しかし、座標はともかく、広がりがどうとかいうのは実はあまり意味のあることを言っていません。

ががばばを描けと言われたらその時に初めてががばばって何やねんということが問題になるのであって、同様に「点」も図を描くのでなければ定義の必要すらない概念です。
数学は定義をきちんとしていくに連れて現実との対応が希薄になり抽象的になっていくことが多く、それが難しさの一因となっているように思います。

ちなみに、素粒子物理学において電子は「点」と見なされています。これは空間的な広がりがない、という意味です。
そういうことにしておけばちゃんと計算できるのでまあ良いのですが、でも内心では「点」って何やねんと思っている研究者は結構います。
分野を問わず、わからないままでも解けてしまう問題はたくさんあると思ったほうがいいのかもしれません。

それはそうと、ががばばって何やねんという話に戻りますが、どうやらががばばはぐもらごももの親戚らしいですよ。
ぐもらごももって何やねんですか?それはちょっと僕には…。
 

【テーマ】「ががばば」 by Mr.ヤマブキ

  • 2016.02.29 Monday
  • 14:07
 「ががばば」とは、2015年11月頃にネット上で流行した検索ワードで、Yahoo!検索で入力すると、検索欄は「にげてにげてにげて」と書き換えられ、「消息不明の女子高生、最後に『ががばば』と検索」というニュースが表示され、その下には「誰も助けられない、1度入ったら出られない検索の世界とは」という検索結果が表示されるようになっています。そして、画面の向こう側から女性がバンバンと画面を叩くという仕掛けになっています。Googleでも検索欄に特定のワードを入力すると様々な仕掛けが現れるのはよく知られていますが、「ががばば」が珍しいのは番宣だったことです。扉を叩く様子の後、「世にも奇妙な物語」の宣伝であったことが分かります。
 都市伝説はどうしてこれほど人を惹きつけるのでしょう。感動的な展開はほぼなく、いわゆる「奇妙な味」や「ホラー」に分類されるような作品ばかりの「世にも奇妙な物語」が25年も放送を続けてきて、ネットでも大きく騒がれるその影響力が何よりもその証左です。たびたび放映される心霊写真を特集した番組も、小さい頃誰もが口にしては怯えた口裂け女やこっくりさんも、我々の多くがそれらを無視できないことの現われなのです。
 都市化を目指して進む現代日本において、怪異への興味は統計上も増していることが知られています。

「都市生活では堆積したケガレが容易に排除されにくいという認識があり、ケガレていることを、とりわけ敏感に感じやすいのである。(中略)都市の怪異譚はつねに自然と住民との不調和を警告するために、都市の内部から滲出してきたフォークロアとしてとらえられるべき性格があるからである。そういうフォークロアを繰り返し語り出そうとしているのは、都市自身がなおケガレを回復しようとする自助の行為とみることができるのである。」(1991, 宮田登)

 「ケガレ」に敏感な都市がそれを自浄しようとする「ハラエ」としてのフォークロアこそが都市伝説であり、それゆえに怪異は私たちを惹きつけて止みません。「ががばば」はもしかするとネット空間という新たな分類での民俗学的研究がなされるのかもしれませんが、その囁かれ方は僕たちが口裂け女やメリーさんを噂するのと大差ないのではないでしょうか。今でもきっと小学生たちはネットやスマホに潜む新たな都市伝説に怯え、憧れているのだと思うのです。

【テーマ】「検索してはいけない 戦国」 byアフリカの精霊

  • 2016.02.28 Sunday
  • 21:29
 テーマの題材となっている「ががばば」はネット上の検索してはいけない言葉の一つであるらしいが、戦国時代についても検索してはいけないと言われている分野がある。

 それは、戦国武将の顔である。  
 正確には肖像画を指すのであるが、なぜ検索してはいけないのか。それは次のような理由によるものである。
 
 我々が戦国好きになる一つのきっかけとしてゲームがあるのだが、最近ではスマホのゲームをきっかけとして女性が戦国を好きになることがあるらしい。そこに出てくる戦国武将のキャラは超イケメンで、さらに声優がイケメンボイスで声を割り当てている。真田幸村はもちろん、前田慶次、直江兼続、雑賀孫一などそれぞれの武将のイメージがデフォルメされかっこよく敵を倒していく、そんなところから戦国を好きになってくれるらしい。  
 きっかけはなんであれ、戦国を好きになってくれるのは嬉しい。何かを好きになるきっかけなんて本物からかけ離れたものであってもいいと思っている。そこから本物を好きになってくれればいい。将棋を好きになってくれるきっかけが、回り将棋からでもいいし誰か好きな棋士ができたでもいいのである。  
 問題はその次である。聞いた話であるが、少し興味をもった女性が戦国武将を検索して肖像画を見た結果、愕然とするというのである。まあ当たり前であるが、戦国武将の肖像画はゲームやアニメの中の武将ほどイケメンには書かれていない。というか現代からみればほぼ全員ブサイクと言ってもいいのでないかというものである。時代が違えば絵の書き方も違うのだろうが、肖像画の絵は現代のイケメン像からはかけ離れているのであろう。  
 
 その肖像画を見て「私の好きな○○はこんな顔じゃない」と思ってしまい、あくまでゲームの中のキャラとしての武将を好きで止まり本物を好きにはなってくれない。  
 よって、戦国武将の顔は、幻滅してしまうので検索してはいけないってことになるらしい。  
 彼女たちにとって、戦国武将はゲームキャラやドラマの俳優さんの顔でありそうであるからこそ興味が持てるもので、それとは違う実物は同じ名前を持つだけの範疇外の存在なのだろう。身もふたもない言い方をすれば、イケメンだったら許されるってことなのだろうが、せっかく好きになってもらえるきっかけがあったのに本物に入っていけないのは残念で仕方ない。  

 とはいえ、昔に書いた肖像画がそうである以上どうしようもない。願わくばその武将の顔ではなく、生き様や人となりに興味を持ってほしい。  
 戦国についても「ががばば」は存在する。

明るい悩み相談室PREMIER(182)〜羽生と羽生〜 がりは

  • 2016.02.28 Sunday
  • 00:00
明るい悩み相談室PREMIER、本日の担当医がりはです。
こんばんは。
今日はどうされましたか?
 
羽生と羽生が紛らわしすぎてしょうがないです。
 
ほうほう、わっかりますわっかります。
そんなん言うてるの将棋ファンだけですやん、しかも将棋ファンもわかってて半笑いで言うてますやん、などとは言いません。
埼玉県羽生市の方々、ようやく面倒な手続きから一つ解放されますよ!
「はぶしじゃありませんよ、はにゅうしですよ!」
なんて言わなくて済むんです。
などとも言いません。
どっちが本当の羽生か勝負しろ!とか言って、チェスボクシングよろしく、フィギュア将棋を考案し、お互いの土俵で戦えばいいじゃないか、とも思いません。
いやー見たいなあ羽生の4回転トーループ。
 
さて、本当に紛らわしいでしょうか。
我々は文脈の中で生きていますので、たいていの場合「羽生」と書かれていればそれが「羽生善治」のことなのか「羽生結弦」のことなのか「羽生市」のことなのか判別できます。
七番勝負、将棋、対局、勝利、などという文字が一緒にあればそえは善治のことであるし、フィギュア、リンク、ジャンプ、回転、着氷、などの文字が一緒にあれば結弦のことでしょう。
イオンの文字と一緒にあれば羽生市のことでしょうし、ジェフ、FC東京、MF、八千代が産んだなどの文字と一緒にあれば直剛のことでしょう。
あれ、善治以外はみなはにゅうですね。
このように我々は大概の場合、文脈ではにゅうと読むべきかはぶと読むべきか判断できます。
紛らわしくないです。
 
しかし駅のスタンド売りのスポーツ紙の一面に「羽生」とでかでかと書かれていると羽生がまた偉業を成し遂げたのかと、もしかして将棋・チェスに飽き足らず囲碁の方までうっかり手を伸ばしてしまったのではないかとわくわくしてしまう気持ちはわかります。
また、「羽生」という文字を見るたびに「これははぶじゃなくてはにゅう」と訂正する己の頭の働きがうるさい、というのもよくわかります。
つまり紛らわしいのが問題ではなくて、いちいち「これは羽生じゃなくて羽生」「とか言うて漢字やったら一緒やないかい」「はぶじゃなくてはにゅう」「はにゅうってゆるキャラの鳴き声みたいやな。」「そやな。」と脳内突っ込みを入れるのがわずらわしいというお悩みなのではないでしょうか。
 
残念ながらしばらくは耐えていただくしかないと思うのです。
しかし、結弦の選手生活はそう長くはありません。
長くてあと3シーズンでしょう。
そのあとはもう羽生=「はぶ」の時代です。
はぶの復権です。
紛らわしくもわずらわしくもありません。
そして羽生市の皆さま、ご愁傷様です。
手続きからの解放は期間限定でした。
 
※明るい悩み相談室PREMIERではあなたのお悩みを受け付けております。
ブログにコメント、投票時にコメント、ハッガリーニにメール、電話、伝書鳩、のろし、などの手段でどうぞ。
ちなみに投票時のコメントでのお悩みには必ず回答いたします。
 

【テーマ】ががばば  Mr.Indigo

  • 2016.02.26 Friday
  • 00:00
がんばれ
がんばれ
ばいきんまん
ばいきんまん

今は亡きやなせたかし氏が
心血注いで描いた世界が
彼に与えられた躍動の場
アンパンマンを倒さねば

学識はかなりあるようで
ガラクタで精巧に兵器を造る
爆発物こそ造らぬが
馬鹿な奴ではけっしてない

彼なりの創意工夫が
必ず用意されているが
乾坤一擲の戦いに赴けば
そこは己の無力を知る場

頑張りはいつも報われない
鎧袖一触アンパンチ
バイバイキーンの台詞とともに
ばいきんまんは空の彼方へ

いかなる手段を使おうが
卑怯な奴と呼ばれようが
アンパンマンを倒さなければ
日頃の恨みを晴らさなければ

骸骨野郎のホラーマンは
元来は味方の気もするけれど
場合によっては敵になり
ばいきんまんに向けホネブーメランを放つ

ドキンちゃんは仲間だが
実は大好きしょくぱんまんが
頼れる奴がいないならば
己の力で勝たなければ

外傷はすぐに治癒してしまい
我意をどこまでも貫き続ける
ばいきんまんの根性は
化け物クラスと言ってもいい

たゆまざる努力の成果が
時には実りそうになるが
アンパンマンが力を失えば
新しい顔を投げるバタコの見せ場

画竜点睛を欠いてしまい
がっかりしている暇もなく
ばいきんまんは敗れ去り
バイバイキーンと空の彼方へ

何度負けてもへこたれないのが
彼の最大の魅力であるが
これだけ負けを重ねれば
己の限界を悟らなければ

外野のそんな声は聞こうともせず
臥薪嘗胆し捲土重来を期す
馬耳東風とはこのことで
倍返しを目指し努力を重ねる

どんなにパンチを喰らおうが
空の彼方へ飛ばされようが
必ず戻ってこなければ
リベンジを果たさなければ

頑固に戦い続けても
がっかりさせられてしまうが
罵詈雑言を浴びせては駄目
ばいきんまんにも哲学がある

たとえ俺様の住む世界が
勝てない定めに作られていようが
俺様は戦わなければ
俺様は俺様であり続けなければ

頑張ればいきんまんと
画面に向かい私は叫ぶ
ばいきんまんは戦い続ける
ばいきんまんであるがゆえに

善悪はっきりを好む風潮だが
幼子には彼の凄さがわかるまいが
大人が応援してやらねば
彼の戦う意義を伝えなければ

がんばれ!
がんばれ!
ばいきんまん!
ばいばいきーん!

鉄の海(5) by Mr.ヤマブキ

  • 2016.02.25 Thursday
  • 00:00
「検査の結果ですが、やはり敗血症による心肺停止だと考えられました。このままできるだけ御本人さんの苦痛の無いように見守る形とします。何かございましたら看護師の方にお伝えください」
 
 家族を病室に案内し、病棟でカルテ記載や指示出しをしていた。
 
「先生、この人DNRじゃなかったのね」
 
 看護師のYさんは夜勤のときだけ、ショートの前髪をヘアピンで上げて額を出している。十数年目だが、胸ポケットに大きなピンクのペンを入れている。
「何度も入院してて、その話もされてるみたいだけど、娘が受け入れられなかったみたいだね」
DNRとは蘇生可能性の高くない状況で心臓マッサージを始めとする蘇生行為を行わないという取り決めのことだ。高齢者の入院時には必ずと言っていいほどDNRの話が出る。そうでなければ急変したときに希望しない蘇生行為を行う可能性があるからだ。
「全介助で全然意思疎通できない人にfull CPRでどうすんのよねえ。結局体ぼろぼろで呼吸器に繋がれてるだけじゃない。娘の理解が悪いのよね」
 それには特に返事をしなかった。医者を十年やっても割り切れなさの中を逡巡しているばかりなのだ。
「まあ、親が死ぬことを真正面から見つめてこなかったのは確かかもしれないね」
「そうよ、誰がかわいそうなのよって話でしょ。それに、私たちだって夜のCPAは大変なのよ。うちの病院なんて夜に何人いるのって」
「それは分かるよ。分かる。俺だって心臓マッサージなんか二分もしたら次の日は筋肉痛だね」
「先生、歳なんじゃないの」
「うるさいよ。というか歳の話をしたら……」
「先生、それ以上言ったら怒るよ。怒るからね!」
 実際のところ、真面目な心臓マッサージは若手でも数分で音を上げるくらいきつい。
「じゃあ先生、心臓止まったら呼ぶから」
 
 結局、病棟の雑用をこなして、寝ようと思った0時過ぎごろにピッチが鳴った。モニターは脈拍が20を示していた。近くの親戚が集まったようで、病室は狭いほどの人数になっていた。視線が自分に注がれる。
「御本人さんは今何とか心臓を動かそうと頑張っておられるところです。一番最後まで残るのは聴覚だと言われているので、是非声をかけてあげてください」
 それぞれが頑張ったよ、しんどくないか、などと思い思いに声をかけている。娘は手を取って、顔を近付け、頑張ってと声をかけている。やがてモニターはけたたましいアラーム音と共に心拍数0を示す。
「先生、これって……」
「では、確認を致します」
 僕は老婆の瞼を開き、ペンライトで光を入れる。次に、聴診器を取り出して、胸の音を聞く。人工呼吸器の送気で、規則正しすぎる呼吸音が聞こえる。
「目の反射が無く、脳は動いていない状態です。心臓の音も聞こえないため、動いていない状態です。呼吸の方も人工呼吸器のおかげで保つことはできていますが、自分での呼吸は止まっている状態です。平成27210日午前025分死亡を確認いたしました」
 僕と、看護師が深々と頭を下げる。長い沈黙の後、Yさんが案内する。
「では今から、御遺体を綺麗にしますので控室の方でお待ちください」

 

最優秀作品の御礼など by NIKE

  • 2016.02.24 Wednesday
  • 22:02
昨年末は,久しぶりの投稿で最優秀作品に選ばれました。
投票していただいた皆さん,作品を読んでいただいた皆さん,ありがとうございました。
がりは氏の指摘するところと重なりますが,この作品は,ヤマブキ氏の『記憶について語るときに僕の語ること』を読みながら考えたことを書いたものです。
忘れるということをプラスの側面から眺めてみたものですが,忘年会のことといい,離婚事件のことといい,たまたまそういうことを考える機会が何度かあったので,思うままに書いていきました。
 
そして,先月はテーマで1本。
このテーマで私以外に書く人は現れないのではないかと思ったので,日ごろ思っていることを書き連ねてみました。
そういうわけで,構成から書き上げまで,20分程度のさらっとした作品です。
この作品に限っていえば,賞は二の次,一人でも世界名作劇場に興味を持ってもらえればという意識で作ったものです(負け惜しみですか?すみません)。
作品においても述べたとおり,世界名作劇場は,幅広い年齢層に支持されています。
それだけ普遍的な価値を持っているということでもありますし,子どもには子どもの,大人には大人の物の見方や楽しみ方があるということでもあります。
これをきっかけに,原作や作品の背景について知見を深めていこうと思わせる何かがあります。
ぜひ1つでも手に取っていただければと思います。
 
そうは言っても,どの作品に手をつけてみたものか…というあなた。
忘れておりましたが,最優秀作品受賞者としての願い事でした。
世界名作劇場について,いくつかの作品に寸評を加えていきたいと思います。
だいぶ前にそのようなリクエストがあって,そのときは需要の点から難色を示したかと記憶していますが,今回のテーマ投票でも少なからず票をいただいたので,書いてみようと思います。
少しでも名作に触れる機会になれば幸いです。
 

【テーマ】我が馬場  がりは

  • 2016.02.24 Wednesday
  • 00:02
プロレスがまた復興の兆しがあるという。
大変に結構。
でも、まだまだわしらがやってた頃とは比べるべくもないなあ。
 
大きくて強い外人レスラーを我々が倒す。
初めはやられても最後には必ず倒す。
大きくて強いレスラーがぶつかり合い、宙を舞う。
子供からお年寄りまでみんなが見て楽しめるプロレス。
それがわしらがやっていたプロレスだ。
 
あの頃はまだ寛ちゃん、いや猪木くんも元気だったからね。
彼とは本当にいろいろあったけれども、彼は彼なりに、わしはわしなりに一生懸命やってきた。
明るく楽しく激しいわしのプロレスと、あくまで闘いを求める彼のプロレス。
突き詰めれば同じものなんだけれども、料理の仕方が違った。
違ったから良かった。
お互いなんのかんので志を継ぐ人間が多くできて、中にはこっちが継がせた覚えがないけれども勝手に継いでるのもいるけれど、みんな頑張っているじゃないか。
頑張ってくれてるんなら継いでる継いでないなんて関係ないんだよ。
みんな継いでくれてるんだよ。
 
力道山先生の時代から受け継いできたバトンを渡す先は多ければ多いほど良い、川だってそうじゃないか、下流に行けば行くほど幅は広がっていく、それが豊かさだろう。
中にはわしの主義に反するものもあるし、わしが生きている間はそうしたものは一切認めなかった。
寛ちゃん、いや猪木くんの団体とも本当は交流しても良かったんだがね、結局はしなくて良かったんだと思うんだ。
互いを認めない、という矜持がわしのところを強くしたし、猪木君のところを強くしたんだと思う。
 
わしのプロレスを受けのプロレス、猪木君のところを攻めのプロレスと言う人がいるそうだがね、考えてみてほしいんだが、受けを鍛えるには強烈な攻めが必要だし、攻めを鍛えるには強靭な受けが必要だとは思わないかね。
将棋の大山名人は昔は相当な攻め将棋だったそうだね。
それを兄弟子の升田名人に受けつぶされて受けつぶされて、あの受け将棋になったそうじゃないか。
おっと、これ以上はもう言うべきことじゃないな。
 
動の猪木、静の馬場、なんて言われ方もしたことがあったが、血の気が多いのは実はわしのほうだったりしてね。
クーデタを起こしたり、派手なことをやるのは猪木君だったけれども、アメリカでは散々とっちらかしてきたのがわしで、後始末をするのが寛ちゃんだったからな。
見えてるところだけではなかなか判断できないもんだよ。
 
そろそろいいかな。
下で頑張ってるみんなに?
明るく楽しく激しく頑張れって。
あと、寛ちゃんによろしく。
そっちにいる間にせいぜい大暴れしてって。
言われなくてもするか。
あっちで葉巻用意して待ってるからって。
 

OWARI naki OWARI Mr.Indigo

  • 2016.02.23 Tuesday
  • 00:00
SEKAI NO OWARIにハマっている。彼らの世界観や人生観がたまらないのである。

動機は不純だった。会社の忘年会でのカラオケのネタを用意しようと思ったのだ。
前年は尾崎豊の「I LOVE YOU」でMVPを獲得したが、毎年同じ方向性では面白くない。ではどうしよう。そこで思いついたのが「RPG」だった。
おそらく社長は知らないだろうが、他の面子が乗ってくれれば、知らなくてもきっと大丈夫。36のオッサンが最近の人気バンドの曲というのも、ギャップがあって面白い。



そこで私はYouTubeで「RPG」をじっくり聴いてみた。詞がいい。こいつらは間違いなく理想主義者だ。終わっているバンド名は、インパクトだけで付けられたものじゃない。
彼らの世界をもっともっと知りたくなった私は、アルバム「Tree」を買った。そして、自分でも信じられないくらいハマった。
私には音楽はよくわからぬ。しかし言葉はわかる。歌詞カードには真人間には読めない文字で「我々はどうしようもない駄目人間である」と記されていた。

私は1人カラオケで練習を重ね、忘年会で「RPG」を歌った。迷いはあった。しかし、みっちり練習できるのは妻子が里帰り中の今回限りだ。その成果を見せてやろうと、当日になって決断した。
「そう来るとは思わなかった。Indigoさんも大変だねぇ」
歌い終えた私にそう言ったのは、以前にも登場したY氏。
そう、大変なのだよ。期待される立場だし。あと、正常な精神を持った36歳なら、SEKAI NO OWARIとか選ばないよね。
「Indigoさん見直したよ〜」
前年の忘年会を欠席したN氏にも好評だった模様。
「IndigoさんSEKAI NO OWARIとか聴くんだ。凄いよね〜」
ええ、いい歳して凄い駄目人間なんですわ。
「お前、かなり特訓してきたんだろ」
「ええまあ。週1で1人カラオケに行ってました」
「そうだよなぁ。覚悟が違うよな」
社長には前年MVPとしての矜持を褒められたようだ。この年のMVPこそ入社3ヵ月のF氏に奪取されたが、新人への配慮も社長の仕事だし、実際F氏は上手かった。私は満足だった。

年が明けて、私は1作前のアルバム「ENTERTAINMENT」を買った。笑えるくらい期待通りだった。そうだよな、奴らはそういうバンドなんだ。
しかし、彼らに残された時間はそれほど長くない気がしてならない。彼らの詞は人生に対して肯定的である一方で、現代社会に対しては否定的である。そして彼らは現代社会の魔物といえるメディアを通じて、自分達の哲学を発信している。すなわちそこには矛盾がある。
彼らが綱渡りを続けられるかはわからない。世間に迎合して面白くなくなるかもしれないし、何らかの形で消えることになるかもしれない。例えばFukaseが事件を起こして逮捕されても、私はさして驚かないだろう。

しかし、自称社会不適応者のオッサンが2010年代前半のSEKAI NO OWARIに共感を抱き、毎日のように曲を聴いたことは、永遠に変わり得ない事実である。
だから私は、思い出の曲「RPG」からの引用で本稿を締め括る。

〜煌めきのような人生の中で、君に出逢えて僕は本当によかった〜

「真田丸 感想」 byアフリカの精霊

  • 2016.02.22 Monday
  • 20:12
 今回の大河について書き始めてから数作品たちましたが、みなさんは大河ドラマを見ているでしょうか。  

 今回の大河は戦国好きの私から見て、戦国にそんなに興味を持っていない人にも面白く見られるように作られているように思えるので、好きでない人も一度見てほしいと思っています。  

 まず、なによりわかりやすい。  
 今回の大河の目玉にゲーム会社の光栄が監修しCGを提供している点があります。これにより地理的関係が非常にわかりやすくなっているのです。現在どの地域をどの大名が支配しており、今回でどう変わるかなどがCGで表現されているのです。  
 そして人物についても登場させる人数を極力少ない人数とし、登場した時にはその人が誰だがわかるようなシーンを入れているように思えます。例えば、上杉家はこれを書いている現在、当主の景勝と直江兼続という有名人物しか登場させていませんし、登場させた人物は名前が呼ばれるシーンを組み入れることによりその人物が誰だがわかるようになっていると思われます。戦国ドラマを難しくさせている原因の1つに登場人物の多さがありますが、これにより、戦国があまり詳しくない人でも今の登場人物が誰だがわかるように工夫されているように思います。  

 次にコミカルに描かれている場面が多いことが挙げられます。  
 戦国時代の大河ドラマと言うと戦闘シーンがあり、騎馬武者や足軽兵が切り合うシーンを思いうかぶでしょうが、真田丸には当然そんなシーンもあるものの、コミカルに描かれるシーンも多いのです。  
 足軽兵が女性に扇子で殴られ怯むシーンは戦国ドラマから言うと常識外れと言ってもいいくらいのもので、史実に基づいたという観点からは批判を受けるべきシーンでしょう。しかし私自身はこのようなシーンを批判的には見ず、むしろ好意的な目で見ています。大河ドラマと言うとお堅いイメージのある中それを崩そうとし、そして緊張感を持ちながら時にはフッと力の抜けるところがある部分を評価したいのです。  

 これ以外にもコミカルに描かれている部分が1話につき1カ所はあり、戦国の知識に関係なくクスッと笑える部分があるので固いドラマが苦手と言う方にも取っつきやすいのではないでしょうか。三谷幸喜の作品っぽいと言えばそうなのですが、それをNHK大河ドラマでやったところにすごさがあると思います。  

 以上のように、今回のドラマは戦国に詳しくない人や固いドラマの苦手な人にもとっつきやすく作られています。 現在、本能寺の変が起こり織田家と言う大きな後ろ盾がいなくなり弱小の真田家は北条家につくか上杉家につくか、それ以外のどこかにつくかの分かれ目に立たされています。今からでもストーリーに入るのは問題ないと思います。ぜひ見てみてください。

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