1面コラム たりき

  • 2015.08.31 Monday
  • 23:41
営業に配属になって困ったことの一つに、社会情勢や経済情勢に疎いことが挙げられる。
例えば打ち合わせ前の雑談や、それよりも飲み会の席の話題などでそういった話になったとき、ほうほうと相槌を打つしかなくなってしまう。
教養のなさ。
残念ながら、私の日本史や三国志の知識程度では役に立たないことの方が多いようだ。
そんなこんなで新聞を読む習慣をつけた方がいいのかなあと思いはじめてからもう1年近くが経過している気もする。
どうしようもない。
 
中学校時代、社会の宿題か何かで新聞の切り抜きをして何か一言二言の感想を書くというものがあった。
それまでテレビ欄とスポーツ欄しかほとんど読まなかった私が目を付けたのは1面コラムだった。
もしかしたら「さるさる日記」から続くこの雑兵日記もその源流は1面コラムにあるかもしれない。
一つや二つのテーマに関して、淡々と綴られているという印象だ。
 
会社で回ってくる専門紙にも1面コラムがあって、他の記事の場合は仕事に関係なさそうな内容だったら読み飛ばすもののそれだけは目を通すようにしている。
専門紙だからギョーカイのことだけ書いているかというとそうではなくて、実に様々なことが書かれている。
 
エントロピーの増大について書かれていたことがあった。
曰く、エントロピーが増大するのが自然の摂理なのだと。部屋だったかデスクだったかがなかなか片付かないのは仕方ないことなのだと。
こっそりとPDFに取り込んで近くに座る同僚に送り付けた。
 
飛行機に乗ると機長の「私事ですが」という聞きなれないアナウンスがはじまったというものがあった。
40年間パイロットを勤めた機長のラストフライトだということだった。
アナウンス終了後、機内のどこからともなく拍手がはじまった。降り立つとき、客室乗務員の目がはれていたとか。
そういう節目に遭遇できた作者をうらやましく思うとともに、その記事を読むことができたことを喜ばしく思った。
 
今日読んだのは悲しい記事だった。
仕事帰りに野良猫にいじめられているヒナドリを見つけて保護して連れ帰った。
翌朝様子をうかがうと起きてきたので食事を与えると食べはじめた。ちょっとでも生活環境を整えようと遅刻覚悟で買い物に出かけて戻ってくると動かなくなっていた。
 
誰かが何かを発信しようとして、もしくはただ何とはなしに文章を書く。
それを他の誰かが読んでその体験だったり考えだったりを共有していく。
PREMIERはまた改めてそういう存在として発信していければいいなと思うし、私自身もそれを目指してまた言葉を紡いでいきたいと思う。

頑張れニッポンの皆様 by NIKE

  • 2015.08.30 Sunday
  • 22:18
8月も末,暑さも少し落ち着いてきた頃,皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私が自宅から職場に向かう途中には,陸上競技場や体育館,野球場が見えるのですが,そこには朝早くから,高校球児や陸上部など運動部の生徒たちが毎日のように集まっています。
土日も関係なく,体操服姿の生徒たちがごったがえしています。
 
自分が文化系で自由放任的な部活に所属していたからでしょうか。
顧問の先生が大会の日と卒業アルバムの写真撮影の日しか部活にやってこないような部活でしたから,あまりにギャップがありすぎて驚くところです。
 
そう思ってネットを調べてみると,夏休みはどうやったら休めるかといった子どもたちの赤裸々な悩みが綴られているほか,家族旅行に行くために夏休みの部活を休むのは肩身が狭いというような書き込みもありました。
先生がそのような指導を好きこのんでしているのかというと,プリミエールにも記事があったかと思いますが,顧問の学校の先生も休みがなくて大変だそうです。
休暇をとるのも気を遣う日本社会は,下部組織である学校の運動部から徹頭徹尾鍛え上げられているのかも知れません。
 
基本的に,休日をどう使うかは本人の自主性に委ねてよいのではないかと思います。学校に来て集団で群れなければトレーニングができないというものでもないでしょう。
実際,自分たちの将棋部の場合でも,土曜の午後に活動したり,夏休みに道場行ったり友達の家で指したりということはままあったことでしたが,いずれも自主的にやっていたことです。詰め将棋の本なら,家で休日にでも読めます。
 
もちろん,団体競技であれば,チーム全体の連携やレベルアップや士気を高めるために,全体練習が欠かせないということもあるでしょうが,それも四六時中全体で練習しなければならないというものでもないでしょう。
盆正月しか休みのない全体練習漬けのチームが,それなりに休日をとるチームに比べて成績がいいのかどうか,知る由もありませんが,仮にそうであるとしても,勉強や家族関係など個々の生活への影響も考えなければならない。
 
 結果があってこその世の中で,結果を出すには努力が必要であることも事実です。
労基法もそっちのけで人件費カットに血道をあげて,従業員の犠牲の上に安く提供されている某牛丼チェーンも,未だに根強い支持層がいる世の中です。
しかし,競争社会に勝つ必要があるから,どこの会社もやっていることだから,ルールは二の次だと考えていいのかどうか。
現在の国際社会の変化に対応する必要があるから(本当に必要があるかどうかはさておき),憲法なんて二の次だと考えていいのかどうか。
 
話はそれましたが,中高生には実りの多い学生生活を送ってほしいものです。

医学小ネタシリーズ 〜貧血〜 by Mr.ヤマブキ

  • 2015.08.28 Friday
  • 00:00
 小学校や中学校の頃、朝礼で立たされていて、色白で華奢な女の子がどんどん気分が悪くなり、しゃがんでしまったり、倒れてしまったりして医務室に運ばれることがあります。これを皆さんは、「貧血を起こした」と言います。我々はこれを「起立性低血圧」、「迷走神経反射」、あるいは「神経調節性失神」と呼びます。
 貧血とはなんでしょう。貧しい血と書く通り、血の成分が足りないことを言います。血液の成分には重要なものがあまりに多いですが、ものすごく簡略化すると赤血球、白血球、血小板の三種類が特に重要と言えます。赤血球は酸素を全身に廻らせる働きを、白血球は体外から侵入した異物と戦う働きを、血小板は血を止める働きを行っています。この中で、例えば白血球が減っていることを貧血とは言いません。貧血で貧しいとされているのは赤血球です。特に赤血球の中で直接酸素と結合するヘモグロビンという成分の低下によって定義されます。
 では、朝礼で気分の悪くなった彼女はどうでしょう。貧血の可能性は確かに否定できません。若年女性では生理のせいで本当に信じられないくらいの貧血状態になっていることがあります。ですが、採血ではヘモグロビンの減少を認めない場合でも同様に朝礼で気分が悪くなることがあります。
 そのとき起こっていることはこうです。人間が立っているとき、重力によって血液は下に落ちようとします。すると当然、脳へ運ばれる血液は減ってしまいます。運ばれる血液が0であれば、それは一時的に心臓が止まっているのと同じことです。そんな恐ろしい状態を避けるため、あたかもホースを強く握ると勢いよく水が出るのと同じように、血管を締める事で血圧を調節して、脳に血流を送れるようにします。しかしそうした血圧の調節機構による代償が追いつかないような貧血、脱水がある場合や、あるいは次に述べる迷走神経反射によって血管が拡張した場合には脳へ送られる血液が減少して、気分不良や失神といった症状が現れるのです。
 迷走神経反射では、ストレスなどの刺激によって一時的に迷走神経が働き、血管が広がり、心蔵の動きが緩慢になります。これは痛みでも起こりますから、あまりに強い痛みでショック死するのはこの迷走神経反射が原因となります。ですが、基本的には横になって休んでいれば自然に回復してきます。
 まとめましょう。彼女に起こったことは「起立性低血圧」という脳への酸素の運搬が上手くいかない病態です。その原因として貧血や脱水、迷走神経反射があります。迷走神経反射で意識を失ってしまえば、神経調節性失神と呼ばれます。よって、一般に呼ばれる「貧血」は医学的には妥当でないことが多いのです。

違いのわかる男 byアフリカの精霊

  • 2015.08.27 Thursday
  • 22:43
 実は2週間以上、食べられないお菓子がある。
 ダイエットをしているわけでもなく、他に食べる物がたくさんあるわけもない。
 実はグランドカルビーというものを貰ったからである。
 

 
 ご存知の方もいるとは思うが、百貨店で整理券を貰って並んでしか買えないカルビーが出している超高級ポテトチップスである。
 申し訳ないと思いながらネットで値段を調べると160グラム入りで540円也。
 ちなみに今日の私の昼食の値段とほぼ同じであり、そして今日の帰りに買ったポテトチップス関西だししょうゆ味が58グラムで約90円。
 同じ会社が出してほぼ同じ量で実に6倍の値段もする超高級品である。
 
 貧乏性な私はこの高級品の理由をさがそうとしてしまうのだ。
 まずは裏の製品表示を見比べる。
 表示は両者ともじゃがいも(遺伝子組み換えでない)と書いてある。どうやらこの表示を見る限りじゃがいもに違いはないようであった。
 しかしカルビーのホームページを見ると土からこだわって作った契約農家さんによる安全安心なじゃがいもを使っているらしくイモからのこだわりが見える。
 続く原材料品は通常品が10行に渡り書いてあるのに対し高級品は5行で終わっておりむしろ通常品の方が多い。これはたくさん材料を使っているから美味しいという考えではなく、少ない添加物で素材の味をシンプルに表現してなおかつ美味しいということであろう。
 高級品の味は様々あるようであるが私が貰ったのはトマト&バジル味。
 なるほど今までない味で確かに高級感はある。
 イモの切り方にも季節感が表現されているらしく食感にこだわり、さらに上記のようなおいしさを追及した結果の高級品ということであろう。
 
 こうなると食べられないのである。
 食べ物は食べるとなくなる。当たり前だなんていうツッコミはしないで欲しい。1つには高級品だから食べるのがもったいないという気持ちがある。しかしもう一つ自分はこの味の違いを理解できる人間なんだろうかと思ってしまい、食べた結果美味しさを理解できなかったら人間的にダメではないだろうかという怖さがあるのである。
 実に6倍の値段の違いのあるものを見分けられない自分。テレビ番組で高級品を見分けられない芸能人を面白おかしく見る番組があるがあれに近い感覚であろう。
 高級品を見分けられないというのは誰も見てなくても自分自身の中でなぜか悔しい気持ちになるのだ。
 どうせなら「違いのわかる男」になって味わってみたい。それでこそ高級品を食べる価値があるというものではないかという考えなのである。
 
 もちろんここ数か月で「違いのわかる人間」になれるはずもなく、私が食べないことはただの先延ばしに過ぎない。
 だけど食べられないのである。
 賞味期限は9月の下旬くらいまで。
 さあ、私はこのお菓子をいつたべるのであろうか。

 

ロマンティックあげるよー再掲ー byアフリカの精霊

  • 2015.08.27 Thursday
  • 21:33
私の好きな高速道路は「夏の夜の高速道路」である。
 
盆正月の時期以外は深夜近くにもなると交通量が少なくなる。
もちろん法定速度内で走るのであるが、普段より少し余裕ができ、周りの風景などを楽しみながら走れるわけである。
 高速道路というのはたいてい地面から高い位置を走るのでかなり遠くの風景まで見まわたせるのであるが、その風景を見るとなんとも不思議な気持ちになるのである。
 よく100万ドルの夜景とか夜景のすばらしさを表現する言葉があるが、そういった言葉で言い表している夜景は全て静止画である。しかし私はなぜか移り行く動画的な夜景に美しさを感じるようである。
 おそらく車を止めて降りて同じ風景を見てもこのような感慨に耽ることはできないのであろう。車で進んでいるからこその数秒後には見えなくなる風景のその瞬間しか感じられない気持ちというのが重要なのだと思う。
 
 特にマンションを見るのが最高である。
 高速道路から正面が見えるマンションの場合、各ドアの前にある常備燈が規則正しく見える。あぁ、あの光の下、各家に家庭があり、人が住んでいるのだなぁ、今何をしているんだろう、なんてどうでもいいことを考えるのである。
 運転中、前から見えてくるマンション。その常備燈1つ1つの下に人それぞれの生活があり、人生がある。それに思いを馳せているうちに見えなくなりまた新しいマンションがみえてくる。そしてその新しいマンションの常備燈の下にもそれぞれの人の生活があるのだ。
高速道路からマンションの裏側が見える場合はまだ別の楽しみがある。
 裏から見ると電気がついている部屋、ついていない部屋がわかる。時間帯にもよるが11時ころだと半々ってとこである。あの部屋の住人はもう寝ているのか、別の部屋の住人はこの時間に起きていて何をやっているのだろうって思いを馳せることができるのだ。
 
 なんと表現すればいいのだろう。言葉を間違えているかもしれないが、マンションにロマンティックを感じるのである。マンションの常備燈や生活している光をみるだけでなぜか切ない気持ちになるのだ。
冬だと切なさが上にきてしまい夏限定の感情であるが、夕日にロマンティックを感じるように夜の高速道路からの風景にロマンティックを感じるのである
 
もうロマンティックと言う言葉がいいたいだけの文章になってしまったが、だれかこの気持ちに共感してもらえないかなと思う今日この頃である。
 

明るい悩み相談室PREMIER(160‐1)〜報道ってなに?〜 がりは

  • 2015.08.18 Tuesday
  • 00:29
明るい悩み相談室PREMIER、本日の担当医がりはです。
こんばんは。
今日はどうされましたか?
 
「テニス全米オープンの準決勝に日本人が挑むのにそのテレビ中継がなく、車椅子テニスで日本人が4大大会制覇しようとしているのに報道も見ません。テレビ中継ってなんなんでしょうか?」
 
ほうほう、それはお困りですね。
お気持ちわかりますよ。
報道とは知らないことを教えてくれるものかと思っていたのですが、なんだかそうじゃなさそうですね。
 
私もアラブの春の始まりの時にアルジャジーラの放送をインターネットで見ていて、カメラがエジプトのデモの民衆を捉えているところに官憲のラクダ隊が突っ込んでいくというショッキングな事態に遭遇し、慌ててテレビをつけたら深夜でどこもろくな放送をしておらず、すがるようにNHKをつけたら剣道の全日本選手権を放映して「もう!!」と思ったことがあります。
 
でも、身も蓋もない言い方をするならば「見る人が多いから」放映するんでしょうね。
そして見る人が少ないので放映しないのではないでしょうか。
 
日本のマスコミがテニスの往年の名プレイヤーに「どうしたら日本のテニスは強くなるでしょうか。四大大会を制覇できるようなプレイヤーを輩出できるでしょうか。」と質問して「もういるじゃないですか。」と切り返されて恥をかいたというエピソードを聞いたことがありますが、あなたが悩んでいる事象の根底には、この事に象徴されるように日本でスポーツが文化としてまだ浸透していないことがあるように思えます。
 
日本におけるスポーツで一番見られているのは大相撲、次がゴルフだと思われます。続くのはサッカーの代表戦、高校野球、一年に一回だけど箱根、国内のマラソン、プロ野球、バレーの代表戦、世界陸上、世界水泳、という感じでしょうか。
 
相撲、ゴルフ、野球くらいまではみんな一家言持っており、わいわいと話せますと。
そこから先になるとどうでしょうか、論じられるほどの何かがあるかというと難しい気がします。
論じられないとそのスポーツの人気は一過性のものになるんでしょうね。
バレーやマラソンはだいぶまずいように見えます。
サッカーも。
野球もそろそろ貯金を食いつぶしてしまうような。
 
最近錦織のおかげでここにテニスも入ってくるようになりました。
しかし、サッカーのJリーグが見られないように、錦織の出ない試合はきっと見られないのだと思われます。
(バドミントン、オグシオいなくなってから取り上げられてます?)
試合のレベルと観客の魂を揺さぶることの間には相関があまりないので(我々はドーハで号泣し、ジョホールバルで歓喜しています。)、ニュースバリューが視聴者に何事かを残すことで測られるものだとするならば、国枝の快挙はそれに能わずと報道側は判断をしているということですね。
 
日本人競技者が世界レベルにあると思われる競技でも随分放映されていないですね。
たとえば柔道、たとえばプロレス、たとえばUFC。
プロレスは日本で活躍した選手がアメリカで活躍する流れや、日本人選手の必殺技をアメリカの選手がパクる流れや、世界のファンの投票で三年連続日本人選手がMVPに選ばれていることなどから、世界トップクラスだと考えられます。
観ると面白いんですけど、ほとんど地上波で放送されません。

明るい悩み相談室PREMIER(160‐2)〜報道ってなに?〜 がりは

  • 2015.08.18 Tuesday
  • 00:28
また、錦織の試合に関してはWOWOWでは放映されていたと記憶しています。
金になるから地上波では流れなくなっている、という流れもありそうですね。
新日本プロレスも月額999円で見放題のサービスを始めており、加入者が順調に増えているようです。
あなたが錦織の試合で感動したければ、それなりの対価を払えば良い時代になりました。
 
いや、わかっているんですよ。
ニュースとしてのバリューがあるだろうと。
伝えるべきものでしょうと。
それが放送事業者としてオークションもなく使いやすい周波数帯を寡占している連中の仕事だろうと。
おっしゃる通り!
僕も国枝の快挙はもっと報じられるべきだし、彼をもっと称えるべきだと思いますが、中継するべきかどうかは別の問題だと思っています。
スポーツ全体に関してニュースバリューは低いと考えており、さらにスポーツニュース内での不均衡にも辟易しているからです。
そりゃ巨人のキャンプ情報よりは錦織の活躍、ゴルフのツアーの結果より国枝のウィンブルドン、と思いますよ。
でもスポーツ自体ニュースで報道する時代は終わりつつあるのではないかと、知りたい人がインターネットで追えばよいのではないかと思っているのです。
競技に順番つけられないし、競技の数は本当に多いですからね。
その中で優先順位をつけていくなら、興味をそそる順にならざるを得なくて、テレビを積極的に見る世代に合わせた情報提供をすることが一つの解としてまともに機能してしまうと。
それこそが現状なのではないかというループにはまりそうで。
 
ところで、あなたは錦織や国枝の快挙を知っていて、報道や中継されていないということを嘆いておられますがなぜでしょうか。
もっといろんな人に知ってもらいたいから?なぜ?
錦織や国枝の社会的地位を向上したいから?なぜ?
テレビのコンテンツが錦織の試合や国枝の試合よりつまらないから?なぜまだテレビを見るんですか?
 
ちょっとずるいですが、たまにはこんな終わり方も。
 
※明るい悩み相談室PREMIERではあなたのお悩みを受け付けております。
ブログにコメント、投票時にコメント、ハッガリーニにメール、電話、伝書鳩、のろし、などの手段でどうぞ。
ちなみに投票時のコメントでのお悩みには必ず回答いたします。

ルンバール 前編 by Mr.ヤマブキ

  • 2015.08.16 Sunday
  • 13:54
 その日は2カ月の麻酔科研修の最終日で、僕は腰椎麻酔(ルンバール)をすることになりました。腰椎麻酔というのは背中から脊髄近くに針を刺し、麻酔薬を入れることで、全身麻酔と比べて身体の負担を減らしたまま手術ができるという方法です。
 二件の全身麻酔を終えた後、大腿骨頚部骨折、つまり太腿の骨の付け根あたりの骨折の手術に入りました。ラストの症例に相応しく、100歳で背骨が横に曲がった女性でした。周術台まで運ばれて来た彼女を傷まない様慎重に、どうにか真横に寝かせました。
 ルンバールでは、いくつも連なって竹の節のようになった脊椎の、その節の間を上手く貫かなければなりません。難易度を決める要素はいくつかあるのですが、まず何より痩せている人は容易です。超高齢者の多くは身体の機能が衰え、十分すぎる程に痩せているのですが、さすが、未だ一人暮らしをしているほどの元気な人で、意外と背中に肉がついていました。また、背骨が横に曲がる側弯という状態では脊髄を取り巻く骨の三次元的な配置がずれるために、難易度が上がります。この女性も側弯が強く、かなり難しい症例だろうと予想されました。
 刺すべき位置を指で十分に確認した後、おもむろに背中を消毒し、清潔な手袋をはめ、局所麻酔をして、脊椎麻酔用の細長い針を刺していきました。案の定、目標に達する前に骨に当たってしまいました。何度か角度を変えて進めていくのですが、なかなか脊髄腔に当たりませんでした。通常、安全な範囲で何度か挑戦して無理だった場合は、指導医に交代するのですが、その日は僕が何度交代して欲しい素振りを見せても、指導医は頑として代わろうとしてくれませんでした。仕方なく微調整を繰り返しながら何度も刺し直すのですが、それでも入りません。一発で入れば五分もあれば十分に終わる手技なので、そろそろ麻酔が終わって手術ができるだろうと整形外科の先生方も集まって来られ、待たせているというプレッシャーが僕の身体に纏わりつき、指の動きの繊細さが失われていくのが分かりました。

ルンバール 後編 by Mr.ヤマブキ

  • 2015.08.16 Sunday
  • 13:53
 正直、半ばやけくそになりつつありました。この症例の難度に対して自分の技量が足りていないのだから、これはもう無理なんじゃないかと諦めつつありました。もう30分以上は経過していて、まだルンバールを続けていると他の麻酔科の先生も集まってこられました。人が集まる程に、上手く刺さらない申し訳なさとどうして代わってくれないのかという怒りにも似た勝手な感情が交差して、それが一層自分の技量を下げるのです。
 
「当直中で自分しかいないと思ってやり遂げろ」
 
 そのとき、指導医から一言声がかかりました。来年から、僕はこの病院の夜間救急に上級医の立場で参加することになります。入院・帰宅の最終的な判断も、外科や循環器内科への相談も、そして、研修医ができなかった手技を絶対に成功させる責任も、その晩だけは僕が背負う事になるのです。
 細菌性髄膜炎という非常に緊急性の高い疾患の患者が夜間救急に来れば、麻酔こそしませんが、脊髄腔に針を刺す、ほぼ同様の手技を行う必要があります。それは、患者の治療効果に大きな影響を及ぼしかねないものです。そのときにはいくら難しくとも代わってくれる指導医はいません。
 もう45分は経過していたでしょうか。整形外科医の早く手術を始めたいという圧力を、麻酔科の先生方が受けとめてくれているようでした。それを僕はいっそう申し訳ないと思いながらも、本気で入れるつもりでルンバールに再挑戦しました。そうです、指導医に交代させようという甘えから、いつの間にか本気で入れようとしていなかったことに気付いたのです。気持ちを切り替え、さらに5分ほど経った頃でしょうか。ついに、針を通って透明な髄液が返ってきました。針がずれないよう慎重に麻酔薬を入れ、やっとのことでルンバールを成功させました。
 麻酔科の先生からはよかったねと声をかけてもらいました。40分以上は余計に待たせてしまった整形外科からは何を言われるかと思っていたのですが、若手の先生からは、麻酔科全体が絶対にお前に入れさせようと見守っていた温かさを感じられたよ、麻酔入って良かったな、と言われて救われるような気分になりました。
 研修医というのは未熟な存在であるが故に守られがちで、何か上手くいかないとなれば上級医が責任を負い、上級医が肝要な部分をやり遂げます。でもそれは親と子の関係であって、いつかは巣立ち、親になる必要があります。どんなに泥臭くても、美しく無くても、完璧とは程遠くても、必要な目的を何としてもやり遂げる根性が上級医には必要です。陳腐な表現にはなりますが、僕のルンバールは大人になるための通過儀礼だったと言えるでしょう。整形外科医との関係も顧みず、そのような場を根気よく用意して下さった先生にはすでにお伝えしたのですが、改めて、ネットの海にひっそりと浮かぶこのブログで感謝の気持ちを述べたいと思ったのです。ありがとうございました。

課題図書「七帝柔道記(増田俊也著)」  がりは

  • 2015.08.16 Sunday
  • 08:05
世間では夏休みで、いろいろと余暇を楽しんでいる人も多いと思う。
世間は夏休みだが、大学生という人生の夏休みを謳歌している人も多いと思う。
勉強せい、勉強。
と己がやってもこなかったことを、「名コーチは名選手である必要はない。見てみろモウリーニョを!」などと詭弁を弄しておしつけることはしないが、もしあなたが現役の将棋部員ならば読んでほしい本がある。
その本の名は「七帝柔道記」という。
「なぜ木村政彦は力道山を殺さなかったのか」を書いた増田俊也の自伝的小説。
応援団を目の仇にしていた僕は七帝戦を一度も見に行かなかったが、この本を読んで七帝戦の柔道を観に行かなかったことを後悔している。

そんなに近くにこんな世界があったなんて。

カバー見返しの文章を拝借。
「寝技中心の七帝柔道に憧れて北海道大学柔道部に二浪して入った主人公。北大、東北大、東大、名大、京大、阪大、九大の七校で年に一度戦われる七帝戦、そこは若者たちが己の尊厳をかけて肉体の限界に挑む崇高なる場所だった。」
 
ここに描かれているのは「七帝戦」「柔道」という題材であるが、僕らのことだ。
僕らより純度の高い僕らのことだ。
王座戦の舞台に立ちたいと願い、王座戦で優勝したいと励んだ僕らのことだ。
 
昔、僕が将棋部にいた頃、本当に昔になってしまったが、阪大将棋部はこの本の北大柔道部と同じような状況だった。
公式戦の人数も足りない、人数をかき集めて出てもB級から落ちないようにするのがやっと。
この本の北大柔道部と違うのは負けてもへらへらしてる人が多かったことだし、将棋以外の楽しみを知っている人が多かったことだ。
そこから将棋部がどう変わっていったのかは現役将棋部員たる君たちなら諸先輩たちから聞いていることだろう。
僕らはとにかく将棋部という場から人数を減らさない仕組みを最優先した。
将棋が強い奴も弱い奴も何らかの形で息がつけるような場所を作ることを最優先した。
王座戦を目標にしながらも、将棋部後の長い人生で支え合うなんてとこまでいかなくても、関わりあっていけるような関係が将棋部で築けるように、部を運営した。
師弟制度はその最たるものだ。
僕らがそれを最優先したのにはもちろん理由がある。
僕らのやり方はもちろん矛盾を孕んでいたし、勝利のための一番の近道ではなかった。
何が正解かは判断できない。
僕らは僕らの代では王座戦に出られなかった。
そして僕らの代を含めて僕らの代以降でも王座戦で優勝はしていない。
それが事実である。
卒業後十年経っても、阪大を冠につけたチームで団体戦に出ている。
人生で困った時に相談できる人が、将棋部での関係性の中で何人もいる。
それも事実だ。
 
七帝柔道記に記されているのは七帝戦で勝利を上げるために全てを注ぎ込んだ北大柔道部の話だ。
僕らがそうしなかった世界の話。
読んでいると彼らには僕らのような決断はできなかったように思う。
僕らが彼らのような決断をして血便出るまで追い込んで将棋をしていたら、七人残ったかどうか。
僕は当時「追い込んで将棋をする」という選択肢を手にしていたように思っていたが、それが本書にあるような特訓であるとリアルに想像はしていなかった。
部を改革して、王座戦優勝から逆算してこういうトレーニングを積んでいきたい、と当時一番将棋の強い先輩に相談した時に、音が出るほどじろっと睨まれて
「あんた、自分で言うてることわかってるんか?」
と問われた。
彼はそういうトレーニングを積んできた人だったのだ。
 
現役の将棋部の諸君、読んでほしい本はたくさんあるけれど、「七帝柔道記」を読んでみてほしい。
きっと得るものがある。
もちろん将棋部の人でなくても、なにかの「現役」であれば響くものがあると思う。
 

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