明るい悩み相談室PREMIER(155)〜引越〜 がりは

  • 2015.04.29 Wednesday
  • 22:49
明るい悩み相談室PREMIER、本日の担当医がりはです。
こんばんは。
今日はどうされましたか?

「もうすぐ引っ越すのですが、何か知っておいた方が良いこととかありませんか?」

ほうほう、それは大変お困りでしょう。
わっかりますわっかります。
もう引っ越された頃でしょうか。
いかがでしたか、お引っ越しは。
今頃感想戦も終わって、次の引越に向けて構想を練り闘志を燃やしておられる頃でしょうか。

私は引越や模様替えが大嫌いです。
席替えも嫌い。
そんな私ですが相談医としてはプロですのでご安心を。

まず私の話からしましょう。
何故引越や模様替えや席替えが嫌いかというと環境順応性が高くないからです。
まあ、環境最適化能力が高いとも言えるかもしれません。
ある程度馴染んでしまうとその場所は私にとって最適な場所になります。
そしてそこから動くことは最適という言葉の定義上、必ず効用が下がることを意味します。
昔GLAY(彼らは本当に英語ができない人たちでしたね。)というバンドが「ここではなどこかへ」と唄っていましたが、私は今いる場所が最高、だから動く動機がなかなか見つかりません。
環境を変えると常に快適さが下がってしまう。

そんな私が環境を変える時、何をするかというと定義を疑います。
この場所が本当に最適なのかと、自分の中のリトルがりはに問うんですね。
私は何をしたかったんだっけと、それはこの環境で実現できるんだっけと。
そして出てきた答えと現状のギャップを埋める、その手段として環境を変えるという解が導けた時に初めて動きます。

え?
そんなことをしなくても引っ越せます?
そうでしたかー。
そこが一番の難関だと思っていたのですが、早とちり早とちり。

引越や模様替えの時にわたしが使っている呪文を取り急ぎお教えしておきましょう。
「使ってないものは使わない。」
「捨てたものが必要になれば買えばよい。」
「家のサイズが変われば入れられるものは変わる。」
これだけで随分楽になると思うんですけどね。

使ってないけど二度と買えない物(自分の日記など。)に弱いという弱点はあるものの、この呪文で対応できる範囲は広いと思います。
もし良かったら使ってみてください。

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俺も死んでるように生きていたくはない   がりは

  • 2015.04.28 Tuesday
  • 01:00
「死んでいるように生きたくない」
この言葉に見覚えがあった。
最初に思い浮かんだのは中村一義のこんな曲だ。
「そんなにさ、しゃべんなくたって
 伝わることもあんだろ?
 僕は死ぬように生きていたくはない。
 僕は死ぬように生きていたくはない。
 そこで愛が待つゆえに。
 愛が待つゆえに。」
キャノンボールという曲だ。
俺はこの曲が好きで好きで一時期はこれを一日中リピートしていた。
聞いていない時は歌っていたし、唄えない時は頭の中を流れていた。

暗示的な歌詞。
どんなシチュエーションなのかまったくわからないけど、だからこそ全局面的に沁みる。
20歳の頃の俺にも刺さるし、鈍くなった30歳の俺にも刺さるし、涙もろくなった36歳の俺にも相応に刺さる。
いつだって俺は死んだように生きているのではないかという問いの前で茫然と佇んでいる。
両手をだらりと下げて。
Mr.ホワイトの文章を読んで、中村一義の唄を連想して、とても強烈に誰かが両手をだらりと下げて立っている後ろ姿を思い浮かべた。
肩を落としているわけではなく、ことさらに哀しみをたたえているわけでもなく、ただだらりと。
長くは立っていない。
彼はタイミングを掴んで歩き出す。

もう少しあったはずだ。
ホワイトのようなインテリは引用も正確だ。
ボリス・ヴィアンは「北京の秋」という自らの小説のタイトルについて聞かれた時に「北京にも秋にも関係ないから北京の秋なんだよ。」と嘯いたというが、ホワイトもそんなことを言うのだろうか。
確かに文章の全体を通して死の気配が漂っていて、特に先頭車両に誰も乗りたがらないという段落のリアリティがすごい。
俺も同時代に生きていたはずなのに。
俺が大阪を後にし東京再進出をした直後だったとはいえ、このリアリティは持っていなかった。
写真や映像を何度も見たはずなのだが。
風化どころか刻まれ方が薄かったのかもしれない。
幽遊白書で浦飯幽助は桑原和真が死んだことで真の力に目覚めるが、友人が死んでたかもしれないということと、死んだということの間にある幸運な壁になかなか俺は気付くことができない。
ホワイトのおかげで少し気付けた。
ありがとう。

話がずれた。
少し考えて、また思い当った。
なんだったかなと思ったらあのジャック・クリスピンではないかと思い当った。
あの乾いた小説からホワイトが引用してきた理由はなんだろうか。
読み直して考えてみることにする。
いまちょうどマリアビートルを読んでいるところだったし、復習の意味でも。

死んでるように生きたくない Mr.ホワイト

  • 2015.04.27 Monday
  • 23:01
10年前のある朝、私はいつものように6時30分発の電車に乗り、いつものように一番前の車両の真ん中の席に座り、いつものようにポータブルМDでビートルズのホワイト・アルバムを聴きながら眠りに入った。電車が揺れると一瞬でうとうとしてしまう私は大抵、次の駅に到着するかしないかのところでもう眠ってしまっていて、ハッと目が覚めるともう終点ということばかり。電車に乗っている50分間は私にとってはワープのようだった。

大阪駅を出て、朝のゴミのにおいのする街をテクテク歩いて専門学校へ行った。部活の朝練みたいなもので、朝型のリズムをつけさせたいのか、毎朝ミニテストをやらされる。勉強内容はつまらないし、いくら勉強しても良い点が取れない。ああ、またダメだ、と朝の恒例行事のように少し落ち込んでから、ポータブルМDでストロークスのファーストアルバムを聴きながら自習室で勉強していた。一日中、あまり興味のないことをただ覚えるのは気が狂いそうな作業なので、音楽でも聴いてなければやってられない。

昼頃、いっしょにバイトしていた友達からケータイにメールがきた。「おーい、生きてるか?」。カチカチカチ、返信。「久しぶりやね、まあそれなりに元気にやってるよ」。ブー、ブー、受信。「いや、そうじゃなくて、尼崎あたりで事故あったらしくて。おれもいま宝塚で足止めくらってんねんけど」。「また人身事故?」「いや、なんか大変らしいで。今日は早く帰ったほうがいいかもな」。いくらなんでも夜には復旧するだろう、と思って私は勉強を続けた。当時はスマートフォンなどなかったし、私はケータイでインターネットをするのが嫌いだったのでニュースも見なかった。

しばらくするとまたメール。今度は別の人から「大丈夫?」と。ここで初めて、私は何か大変なことが起きたのだと理解した。そうこうしているうちにまた別の人から安否確認のメールがくる。さすがに嫌いだとも言っていられず、ケータイのインターネットでニュースを見ると、「脱線」「死者多数」の文字が並ぶ。そのときのある友人からのメールが記憶に残っている。「生きててよかった。死んだら全部、終わりやからね」。

大変なことが起こったのはわかってもどうにもしようがない。騒ぎが収まるまで勉強しとこうと思い、結局、夜まで勉強した。帰りはJRが動いておらず、阪急電車で宝塚まで代替輸送で帰った。そのときはまさかその後数か月阪急に乗り続けることになるとは考えてもいなかった。

家に帰ってテレビでニュースを見て愕然とした。死者の多さに?現場の悲惨さに?脱線するなんて想像さえしていなかったことに?頭がぐちゃぐちゃして言葉にはならない。私はあのたった2時間前の電車の一両目に乗っていたのだ。おそらく福知山線を使っている人の誰もがそうしたように、私は自分がぺちゃんこに押しつぶされて死ぬシーンを想像せざるをえなかった。目の前が真っ暗になった。そして誰もがぞっとしながらこう思ったに違いない。あのとき死んでいたのは、私だったかもしれないと。

次の日からの電車は悲惨だった。当然だが誰も一両目に乗りたがらない。後ろの車両ではみんな立っているのに、一両目と二両目は席がガラガラ。誰もが電車に乗ることに恐怖を覚えていたし、電車の中の雰囲気も異様に暗かった。みんな死を想像してしまったからだろう。夜、帰りの電車に乗るともっとつらい。毎日どこかでお葬式が開かれているから、1週間くらいは沿線の駅は喪服の人が多い。喪服の黒は、他の黒とはまったく違うなと思った。なぜか雨の日が多かった。

事故や災害については「教訓」が語られることが多い。あの事故を忘れないようにと。だが私たちは何を忘れてはいけないのだろうか。JR西日本は人殺しの会社だと私は今でも思っているが、事故の教訓を活かせるとすればJR西日本だけだろう。そして彼らは教訓を活かしてなどいない。相変わらず守れないダイヤを設定し続け、遅れと混乱が常態化している。そのことが事故の温床だと気づいているのかどうかもわからない。事故が起きた直後、ありもしない置石のせいにしたことにJR西日本の企業文化は明瞭に表れている。

思うに、福知山線の脱線事故に教訓なんてない。あるのはトラウマだけだ。このトラウマこそが忘れてはいけないものなのかもしれないが、忘れなければいつまで経っても安心して電車に乗ることはできない。私個人についていえば、あの事故があっておそらく少し生き急ぐようになった気がする。確実に「私は明日死ぬかもしれない、死んでも何らおかしくない」という意識が強くなった。だが年々少しずつ、しかし確実に、この思いすらも風化していっているような気がする。

あれから10年、か。

サギ たりき

  • 2015.04.20 Monday
  • 23:38
先日、会社メールをチェックしていると某大手銀行よりメールが入っていた。
曰く、個人情報漏えい事件が起こったためシステムをアップデートしたので登録作業をするようにとのこと。
はい、怪しい。
調べるまでもないのだが、まあということで当該銀行のホームページを確認したところ同様の詐欺メールに注意するようにとの記載があった。
そりゃそうだよね。

こういう類の詐欺メールがあることニュースにもなっていたし知ってはいたのだが、実際に届いたのは初めてのことであった。
ましてや会社メールである。
うちの会社では社員に届くメールは一度すべて一所に集められてからそれぞれの社員の手元に届く設定になっているらしい(ちょっと違うかもしれないが、たしかこんな感じ)。スパムメールがあったら基本的にはその時点ではじかれることになっている。
今回はその網をかいくぐって自分の手元に届いたわけだ。よく届いたものだなあという想いもあった。

個人的には、メールを見てすぐに怪しいよねと思った。
それは当然のことである。
テレビなどでこういうメールがあることは何度も放送されているわけだし、また銀行からこういうメールが送られることがないということも同時に広く紹介されているのだから。

とはいえ、実際そのメールが届いて思ったことは、もしかしたら引っかかる人がいてもおかしくないかもしれないなということだ。
銀行から送られることがないとは言われても、実際に送られてみるとそれが本当に偽物であると確信できないかもしれないなあと。
今どきの若い子ならば、私がしたようにインターネットであっさり調べてみてその真偽を確かめるであろう。それでそういう詐欺メールが流行っているのを知ってなるほどと思うだろう。

情報があふれた世の中だからこそ、それらの情報を適切に集めて使用しなければいけないということなんですかね。

とにもかくにも、皆様くれぐれもご注意を。

明るい悩み相談室PREMIER(154)〜微小言〜 がりは

  • 2015.04.19 Sunday
  • 12:25
明るい悩み相談室PREMIER、本日の担当医がりはです。
こんばんは。
今日はどうされましたか?

「ひとの良くない所に対して陰で”微”小言を言う先輩を上手に諭したいです。」

ほうほう、それは大変お困りでしょう。
あいつのああいうところが、あいつ自身の伸びを止めちゃってるんだよなーみたいなことを本人に言わないタイプの人いますね。
あれはプロ野球の解説の見過ぎだと思うんですよ。
解説を聞いた親がそれを真似して、その親を子供が真似して、子供が実践を積みながら育ってあなたの先輩になっているわけです。
なので、あと10年もすればプロ野球がテレビで放送されていない世代を親とする世代に替わりますので、微小言もなくなるんじゃないでしょうか。
お疲れ様でした。

あ、そういう総体論を話したいわけではない?
そうですかそうですかわかりますわかります。
ご相談の「ひと」と言う部分ですが、もしかしてあなたのことですね。
陰口が耳に入ったと。
そしてそれが自分でも良くないところだったので言い返しづらいと、そういうことですか。
先輩が指摘したことのレベルでは戦えないので、言い方というメタのレベルで戦いたいと、そういうことですね。
戦上手!
さらに戦を優位に進めるための戦術を授けましょう。

最近、我らがキングカズこと三浦知良選手がJリーグ最年長ゴールを決めたことに対して、サッカーを知らないプロ野球解説者の張本勲が「年なんだから引退しろ。」「J2なんて二軍みたいなもん」とテレビで公言して問題になりました。
まあ、問題にしたのは番組の視聴者であり、そのうちソーシャルメディアに投稿した人ですが(なんであの人たちはカズでもないのにカズの代わりに激怒するんでしょうか。)、ここでカズは
「もっと活躍しろ!と言われているんだな、と思いました。長嶋さんが引退して張本さんが巨人に来た。背番号は10だったよね。王さんと組んで活躍したことは覚えているし、憧れていました。そんな方に言われて光栄です。激励だと思って頑張ります」
とコメントをして、レベルの違いを見せつけました。
張本もカズの器の大きさを認める発言をし、騒ぎは収まりました。

あなたが微小言でなにを言われたのかはわかりませんが、うるせえなという思いを飲み込み
「もっと○○しろという激励ですね。ありがとうございます。」
と大きな声で言ってみてはいかがでしょうか。
もしくは小言を伝えてくれた人に、小声で伝えてみてはいかがでしょうか。
ご飯くらいおごってもらえるかもしれませんよ。

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明るい悩み相談室PREMIER(153)〜ルンバ〜 がりは

  • 2015.04.16 Thursday
  • 11:34
明るい悩み相談室PREMIER、本日の担当医がりはです。
こんばんは。
今日はどうされましたか?

「ルンバを買うべきかどうか悩んでいます。やつは本当に役に立つものなのか。」

ほうほう、それは大変お困りでしょう。
買い物をする喜びは迷う喜びですよね。
これを買おうか、いやこれもいいな、限られた予算の中で最大の効果のある投資をすべく思いを巡らす、その瞬間こそプライスレスです。
営業として駆け出しだった頃、「これがベストの提案です!」というものを用意してお客さんというオーディエンスの前で最高のパフォーマンスを!と勢い込む私に先輩はこんなことを教えてくれました。
「営業の仕事はね、お客さんに気持ち良く迷ってもらうことなんだよ。」
確かにどれにしようか迷ってもらって、決めてもらう方が体験として贅沢だよなー、と妙に納得してプレイスタイルに少し変化が出ました。

まあ他の先輩からは
「営業の仕事はお客さんを迷子にしないことだ。」
などと教わったので、さすが営業言うことが適当やなあ、と言うところではあるのですが。

問題というのは問題の形になった時には解けていると言われます。
大学に入学した時に学長がよく話すことですね。
「これから皆さんは答えのある問題を解くのではなく、答えのない問題を見出していってほしい。」
聞いたことありますね。
見出した時には答えが出るんですよと。
会社の入社式でもよく言われます。
「学生の時は答えのある問題を解けばそれで良かったでしょう。しかし社会で働くとなるとそれでは十分ではありません。答えのない問題を見つけて解いていく力が求められます。」
逆に言うと問題見つけた時には答えが見つかってるということですね。

また、病気というのは病識を持った時に回復に向かうと言われます。
「あ、俺病気なんだな。」
と自覚した瞬間に体からふっと力が抜け、楽になるという経験をしたことはありませんか?
病識を持つ⇒寛解と言う流れについてはいつかMr.ヤマブキが解説してくれるでしょう。

買い物も買おうと思った(問題の発見)(病識を持った)時には既に喜びを得ている(問題が解けている)(寛解に向かっている)と言えるのではないでしょうか。
じゃあ、買わなくてもいいんじゃないですか?

往年の名レスラー、ニック・ボックウィンクルはプロレスの極意をこう説きました。
「相手がワルツを踊れば私もワルツを踊り、ジルバを踊れば私もジルバを踊る」
まあ、相手がルンバを踊ればニックもルンバを踊ると思うんですよね。
また、往年の名レスラーアントニオ猪木は言いました。
「戦う前に負けることを考える奴がいるかバカヤロー!!」
そうです。
買う前に役に立つかどうか考えるやつがいるかバカヤロー!!
そういうことなんです。
金さえあれば何でもできる。
迷わず買えよ、買えばわかるさ。

と、二つの結論、どちらを選びますか?

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明るい悩み相談室PREMIER(152)〜浴衣の着付け〜 がりは

  • 2015.04.13 Monday
  • 23:39
明るい悩み相談室PREMIER、本日の担当医がりはです。
こんばんは。
今日はどうされましたか?

「浴衣の着方が分からないのですが、本を見て折り紙を折れない自分には、ネットを見て画像や動画を見て理解するとか非常に難儀です。ほとほと困っております。」

ほうほう、それは大変お困りでしょう。
私も折り紙が本の通り折れない派です。
今は少し折れるようになりました。
気付いたんです。
本に書いてあることは、線の通り真っ直ぐ折れる人用のことばかりで、私のように角を合わせて二つに折れという指示に忠実に従ったつもりでも、どうしてもぴたりと重なってくれない人用のことは書いてありません。
線の通り真っ直ぐ折れる人は、実は爪の先を使ったりする微細な作業や、ちょっとした魔法のようなコツを無意識に実行しているようなのです。
それがないまま折り紙の本を何冊読んでも空しいだけ。
どこにも行けません。

ある書道家がスランプに陥った時に「一」の字を毎日毎日千枚書いたというエピソードがあります。
我々折れない組も二つ折を毎日千枚するところからかもしれません。

あ、折り紙が問題ではない?
そうですか。
こういう時は金で解決しましょう。
着付けてもらえばいいんですよ。
自宅に呼んで、プロに着せてもらう。
あなたはプロの着せられ屋として振る舞う。
プロとプロがプロの仕事を通じて交流するような素振りで行きましょう。
ちゃんとお金は払ってくださいね。

ん?
着付けに払う金はない?
いるんですよね、そういう人。
コンテンツに対価を払う癖は着けておいて損はありませんよ。
人生が幸せで豊かなものになると思います。

今年の名人戦の挑戦者は行方尚史ですね。
私は彼が大好きで、竜王戦の挑戦者決定戦に出た頃のイケイケのパリパリの頃も酒と怠惰に溺れていた頃(言うほど溺れていないし落ちぶれてもいなかったけど。)も己の心の弱さと向き合い己の将棋の強さと向き合った今もずっと応援しています。
その彼が若い頃、小沢健二のファーストアルバムのライナーノーツからの引用で「まあ、せいぜい堂々といこうじゃないか」と書いたことがあります。
そういうことなんじゃないでしょうか。
間違った着方であろうがせいぜい堂々と着ていれば、その足跡が道となるのです。
十年もすれば「間違った着付け」が「間違っていたとされていた」くらいのことは起こり得ます。
グッドラック!

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「ああ、面倒くさい」 byアフリカの精霊

  • 2015.04.08 Wednesday
  • 22:21
エイプリルフールが面倒くさいイベントになってきている。
仲間内でも職場でも。
嘘をついても許される日、嘘を真実だと信じることでバカだと言われる日ですよね。
普段から冗談を言い合える仲やネット上の話題などならいいんですよ。
けどこの日だけは世間自体がウソを許容しているせいで、どこから嘘が降ってくるかわからない。
その中には結構深刻そうなものもあったりで…
ウソをウソとして放置してよいものか、いや放置したせいで何かさらに事件が起きたらどうしようなんて考えたりします。

民法的にはウソを言うことを心裡留保といいます。
民法93条
「意思表示は表意者がその真意ではないことを知ってしたときであってもそのために効力を妨げられない。」
つまり、ウソと分かって言ったことでも本当にしなくてはならないというのが民法の原則。
民法で規定されている売買などの契約については全てこれが適用されます。
但し身分に対するものに関しては適用されません。

(本気じゃないのに)車あげるよ→本当にあげなくてはいけない
(本気じゃないのに)俺の時計売るよ→本当に売らなくてはならない。
(本気じゃないのに)結婚しよう→本当に結婚しなくてもよい(身分上の行為だから。ただし相手に怒られます)

では、ウソをついた人は何が何でも責任を取らないといけないかというとそうでもありません。
民法93条但書
「ただし、相手方が表意者の真意を知り、又は知ることができた時は、その意思表示は無効とする」
つまり、車をあげるよとウソをついても相手が「あ、これはウソだな」とかウソと知ることが当然できた場合は本当にあげなくても良いのです。
エイプリルフールに「車あげるよ」なんて言っても相手がウソだと分かっていたり、もしくはエイプリルフールだからウソとわかるべきと判断されるならば本当にあげなくても良いのです。

一般的にエイプリルフールに言うことはウソとわかるべきと言うならば法律的には民法93条但書を適用して4月1日に言うウソは履行しなくてもよいことになりますね。
あくまで民法が適用される内容のウソをついた場合ですが、ウソをついた人が保護され言ったことを履行しなくてもいいような気がします。
気がすると断言できないのは、こんなことで裁判になった前例を聞いたことがないからですが。

もしウソをつく人が法律的に保護されるのであればこれからもこのエイプリルフールの制度がなくなることはないでしょうね。
ただ日頃なら、話を聞く→行動に移す、という2つの作業でいいのに、なぜかこの日だけ、話を聞く→本当かどうか悩む→本当だと判断する→行動するという余計な作業を間に挟むことになるので面倒な日だなと思うのです。

「ユーモアを理解する気持ちがないんだよ」
「心に余裕がないから騙されるんだよ」
本当にそうかなと思ったここ数年の4月1日でした。

桜の時 たりき

  • 2015.04.06 Monday
  • 23:16
つい先日までコートを羽織っていたと思ったら先週は暑いくらいの陽気で一気に桜が咲いた。
ところが、私の住む地域ではやっと満開になったと思った次の日に雨が降り、さらには先週末の雨。今週も雨降りが続き明日からはまた一気に冷え込むという予報である。
まだ今のところは散ってしまった花びらはあるけれどまだ葉桜にはなっていないけれども、すべて散ってしまうのも時間の問題だろうなあ。

花見といえば愛知にいるときに会社の若手メンバーでしたことが思い出される。
社宅の近くの公園を適当に陣取り、新入社員の歓迎会を兼ねて花見をしたものだ。あまり桜を見ていた記憶はないけれども。
どんな話をしたのかも覚えていない。お互いのことをおっかなびっくり話したのだろうか。

そういえば大学の頃、五月山公園に花見に行ったような気がする。
どうやって行ったのかもどんなメンバーなのかも覚えていないけれども。

桜の季節に阪神競馬場に行ったこともあった。
あのときはいい天気だったことを記憶している。重賞レースがあった日だったのかどうか覚えていないが、4角のゴールからは離れた芝生に陣取り、馬券は買うものの遠くから競馬を眺めていた。
そういえば、今週末は桜花賞だ。
桜花賞と桜といえば、テレビ観戦だったがキストゥヘヴンが勝ったときの阪神競馬場はほんとに桜がきれいだったなあ。

こうやって考えると自分より思っているよりも多く花見をしている。
まあ、花より団子で花見に行ったとしてもただ飲んでいるだけであり、場所が外なのか居酒屋なのかの違いがあるだけである。
桜を見るということに関しては、普段の通勤やドライブのときの方がよく見ている気がする。

年度末や年度はじまりで飲み会も多くなる季節。
寒暖の差が大きな日が続くけれども、体調を崩さないようにしないといけないなあ。

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