「合戦と季節の関係について」 byアフリカの精霊

  • 2015.03.30 Monday
  • 22:05
戦国について書こうとするときには何かをきっかけとしてあるテーマについて書いたことが多かった。
昔テレビで釈由美子を見た時に彼女が蜂須賀小六の子孫だったことを思い出し現代人と戦国武将の関係について書いたこともあったし、最近では大河ドラマや検定を受ける事をきっかけに真田幸村について書いた。
中でも時期的なものがきっかけになることは多く、6月だから本能寺について書こうかとかその出来事が起きた日にそれについて書いてみようかということも多かった。
ということで今日は戦国時代と戦いが起きる時期について書いてみたいと思う。

まず結論から書きたいのだが、現代における戦国時代のイメージである年がら年中ドンパチやっていたというものが間違いであるということを知ってもらいたい。
戦国とは言え、戦争をやっていたのはほんの一部の時期だけなのである。

戦国時代には原則として農作業が忙しい時期(田植え・稲刈り)には戦いが起きにくいというルールがあり、みなさんの知っている戦国時代における戦いは殆ど全てがこの時期を避けたものである。
戦国時代における兵隊は一部を除いて農民であり、この時期に戦争に駆り出すと農民の不満も溜まってしまうわけである。
加えて戦争をやっている途中でこの農作業が忙しい時期に突入すると農民兵は自分の田んぼが気になってしまい士気が上がらなくなってしまう。
つまり兵隊の大部分を占める農民に気を使っての出陣となるため戦争時期が限られてしまうわけである。
逆に言えばこれを逆手に取り、農民兵の割合を減らし金で雇った兵(つまり兵隊を職業にできる)を使って戦争をあらゆる時期で可能にした点は織田信長があそこまで勢力を拡大することができた要因の1つであると力説する学者も多い。
以上のことから、現代の暦で言う5月・9月は戦争が起きにくい時期となります。

次に考慮しなければいけない要素が雪・寒さです。
ストーブもエアコンもない時代の雪や寒さは死活問題で、万一籠城戦にでもなれば攻める側は大変です。
兵の士気も上がりませんし雪で動けなくなったらどうしようもありません。
信長の後継者争いである賤ヶ岳の戦い(羽柴秀吉vs柴田勝家)では柴田軍が雪の残る4月の福井県から雪をかき分けながら滋賀県まで出陣したエピソードがありますが、結果は知っての通りで雪が敗因の一因になったともいえるでしょう。
つまり11月〜4月までは攻める側が敢えて出陣したがらない時期であり、この時期に戦争は起きにくかったのです。

以上2点をまとめると戦国時代において11月〜4月・5月・9月は戦争が起きにくかったのです。
もちろん南の国ほど寒さの影響は受けにくいですし、戦争ですから時期を選ばないこともあったので例外は沢山ありますが、戦国大名は6月7月8月10月に選んで戦争をしていたといっても間違いはないと思います。
桶狭間の戦い 6月12日
姉川の戦い  8月9日
長篠の戦い  7月9日
関ヶ原の戦い 10月21日
賤ヶ岳の戦い 6月10日
川中島の戦い(1番有名な第4次) 10月
手元にある中学生用の歴史の教科書に載っている戦国時代の戦いを挙げましたがすべてが上記の該当時期に入っています。
ちなみに江戸時代になり兵農分離が進むと大阪冬の陣(11月12月)や夏の陣(5月)のように時期外れに戦争ができるようになったようです。

よく絶え間なく合戦に明け暮れていたように言われていますが、その実は農民や寒さに気を使いながら1年の内の4ヵ月に絞って戦争しようとしていたのではないでしょうか。

明るい悩み相談室PREMIER(151)〜梅田で2時間暇つぶし〜 がりは

  • 2015.03.30 Monday
  • 01:00
明るい悩み相談室PREMIER、本日の担当医がりはです。
こんばんは。
今日はどうされましたか?

「梅田で2時間くらい時間をつぶしたいとき、どうしたらいいでしょうか。」

ほうほう、それは大変お困りでしょう。
2時間あればいろいろできますもんね。
私が世を忍ぶ仮の姿で学生だった頃は、阪急梅田駅のビッグマンの下の紀伊国屋で立読みをしていました。
これなかなかつぶれます。
立読みいや?
貧乏くさい?
そうですかー。
他にはHEPの観覧車に一人で乗るという荒技を繰り出したこともあります。
大抵すっと乗れるんですね。
特に雨の日、お勧めです。
世間と隔絶した空間、そうそうありません。
まあ二時間で10回くらい乗れるでしょう。
嫌?
やってもないのに?
本当に解決する気あります?

じゃあ、ホワイティの中にある喫茶店行きましょう。
カフェなんか行っちゃいけません。
店内薄暗くて、がっしりしたテーブルが並んでる喫茶店。
そこでね、ぼーっとしましょ。
本なんか読んだら台無しですよ。
仕事さぼりのおっさんがそういうところにはいます。
店に置いてあるスポーツ新聞を穴の開くほど丁寧に読んでいます。
観察しましょ。
これも嫌ですか。
理由教えてくださいよ。
なになに?
出た!
ただ泣きたくなるのby中山美穂 ということですよね。
当時は中山も年を取ったのね、と思っていましたが、そうではなかったようです。

梅田から阪急で十三に向かってください。
で、十三から梅田まで歩いてください。
淀川を強い風にあおられながら越えてください。
中津を軽蔑していた自分を恥じてください。
中津にも中津なりの存在意義があることをあなたの足で確かめてください。
梅田に着いたらホワイティの地下で中津について考えたことをノートに書いてください。
書き終えたらHEPの観覧車に乗ってクールダウンです。
クールダウンしながら推敲してください。

梅田で二時間余る度にこれをやってください。
そのうち、その成果がビッグマンの下の紀伊国屋に平積みされることでしょう

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よくわかる銀行用語〜取立〜  Mr.ATM

  • 2015.03.29 Sunday
  • 22:02
全国のATMファンの皆さんこんにちは。
PREMIERの谷間にちょこちょこ銀行小ネタをはさんで行きたいと思います。
好評なら不定期で続けるかもしれません。
それでは第一回目を始めます。

「ATMくん、今月も取立頼むわ」
「今月は45件2億円ですか。随分増えましたね」
「うちもだいぶ大きくなってきたからな。ただA社最近やばいみたいやから
様子はみなアカン思てんねん」
「回収するまでが商売ですもんね」
「そうや。まあ一つよろしく頼むわ」

別にヤクザの会話ではありません。今回のテーマは取立です。
「代金取立手形」略して「取立」または「代手」といいます。
(昔トリ○アの泉でネタにされていましたね)
法人が商品を売った場合、支払いを約束手形で受けるケースがあります。
約束手形とは決められた期日に決められた支払を約束する証券のようなものです。
本当であれば会社が自分で支払人のところに持っていけばいいのですが、上記の会社のように45件もあるとそうも行きません。そこで銀行の出番です。
あらかじめ銀行に手形代金を支払人に請求するよう依頼しておくと、銀行が期日に合わせて請求を代行してくれます。これが「取立」です。

取立依頼を受けた銀行は、期日になると若手の中でも選りすぐりの体育会系軍団を率いてカチコミをかけ、支払人に有無を言わさず支払いをさせます。銀行が体育会系を取りたがるのはそういうわけなんですね。すみません、嘘です。

期日に合わせて手形交換所という機関を通じて支払人の取引銀行に手形を送り、支払人の取引銀行にお金を支払ってもらう形で請求をかけます。銀行はスマートなところであり怖いところじゃありませんから。
ちなみに、万が一支払人の口座にお金が足りず支払ができなかった場合、「不渡り」となり全金融機関にその事実が公表されます。6ヶ月以内にまた「不渡り」を出すと銀行取引が2年間できなくなり、事実上倒産となってしまいます。手形交換所の規則で決まっていることとは言え銀行容赦ないですね。

いかがでしたか?
今日お伝えしたことを活かして、みなさんが手形を受け取る機会があればぜひ取立に出してみましょう。
メガバンクでは1件600円〜、一部金融機関ではさらに安い手数料で忙しいアナタに代わってガンガン取立をしてくれます。

さあみんなでレッツ取立!

マスク たりき

  • 2015.03.24 Tuesday
  • 00:02
4年前の1月のある日曜日の昼、体調が悪くて熱を測ってみると38℃近くあった。
インフルエンザ。
普段風邪をひいても熱発することはなかったので、また記憶の中ではインフルエンザにかかったことはなかったので、こんなに熱が上がるものなのだなあとむしろ感心したものだ。
そのときは車通勤から電車通勤になってまだ1ヶ月であり、予防という考えはまったくなかった。

さすがにその次の年からは予防接種を受けるようになった。
自分がインフルエンザにかかって高熱が出てしんどいのは別にいいのだが、それで仕事が遅れたりするのは避けなければならない。
予防接種を受けたところでインフルエンザにかからない訳ではなく、かかっても症状が軽くて済むだけということらしいのだが、何もしないよりかはマシなのである。

また、外出時は常にマスクをするようになった。
予防のためのマスク。
以前は風邪ひいててもマスクなんかしないもんねーといったスタンスだったのではないかと思うのだが、今では電車での移動では常時着用、忘れてしまったら駅の売店で購入するくらいである。
物の考え方というものは変わるものである。

この冬は年末からバタバタと忙しかったこともあ、実はインフルエンザの予防接種を受けることができなかった。
その代わりというかマスクだけはちゃんとすることを心がけた。
そのおかげなのか、今のところはインフルエンザにはかかっていない。
もうそろそろ時期も終わりかな、などと考えていたら今日になって社内で二人がインフルエンザで休んでいることを知った。
まだ油断できないようである。

また数年前から春先になると花粉症のような症状が出るようになった。
私の場合はとにかく目がもやもやする。その他の症状がまったくないのは幸いだが目薬は欠かせなくなった。
症状が軽いから特に対策等はしていなかったのだが、そういえば予防としてマスクをしたりするんだなということをつい最近考えている。まあ私の場合は目にくるのだから関係ないのかもしれないが。

春はもうすぐそこまで近づいていますが、私がマスクなしで出勤するのはもう少し先になりそうです。

明るい悩み相談室PREMIER(150)〜違いがわかる〜 がりは

  • 2015.03.22 Sunday
  • 22:32
明るい悩み相談室PREMIER、本日の担当医がりはです。
こんばんは。
今日はどうされましたか?

「ペットボトルの水やお茶においてこの銘柄しか飲まないという人を見かけますが、この人たちは水やお茶の味の優劣が自分の中で分かっている人なのでしょうか。自分は味の違いが良くわからないので好みがないのですが、舌が他人より劣っているのではと不安になります。」

ほうほう、それは大変お困りでしょう。
いるんですよね、違いのわかる男的な顔をする人。
テレビCMでも本当に入れたお茶とペットボトルのお茶をそれと知らせず飲ませて、本当に入れたお茶よりもより本当のお茶らしいというアピールをしたり、ミネラルウォーターより水道水の方がよりおいしいというようなアピールをしていますね。
一般に味を感じる味蕾は年を取るごとに減っていくと言われています。(Mr.ヤマブキ、間違っていたら訂正して。)
つまり物理的には赤ちゃんの時が一番敏感で、あとは鈍くなっていくばかり、あとは「この組み合わせがうまい。」「この時期のこれはおいしい」というような情報や、「あの時の桃はうまかった。」というような経験をブレンドして、舌が受け取った刺激を解釈するのが上手になるのです。

特定の銘柄しか飲まないと言っている人の根拠が味にあるとするとかなり薄弱な根拠と言わざるを得ません。
ちゃんと色んなコンディションで飲んで言うてるのかと、君のその利き茶はどれほどのもんやったのかと、聞いてみたいところであります。
まあ、理由を聞かないで基準を「味」に求めているあなたにもいろいろ聞きたいことはありますが。

ただ、当然味以外の基準があるのではないかと疑えるのではないでしょうか。
1.その人にとってお茶や水は贅沢財
贅沢財というのは所得の増加率を需要の増加率が上回る財のことで、例えば高級ワイン、高級時計なんかがそうですね。
金持ちになるとほしくなる。
こういう財は裏の特性もあって、高級ワインを飲んでる私は高級、高級時計を着けている俺は高級、という意識が芽生えやすいです。(梅田―三宮間の住人における「阪急高級俺高級理論」は有名ですね。)
つまり一点豪華主義の一点に指名されやすいんですね。
これは、持っているなら金持ち、という先程の理屈の逆ですね。
命題が真であっても逆は真ではないのですが。
あなたが気にしているその人の飲むお茶は一番高いお茶ではありませんか?
もしそうならその人は、いいお茶飲んでる私高級、と思っているもしくは思ってもらいたい可能性があります。
2.その人にとってはパッケージが大事
ペットボトルも微妙に形状を工夫しており、各社趣向を凝らしています。
ラベルの意匠も違いますし、もちろんネーミングだって違います。
味ではなくてその辺がその人にとって差別化されている可能性があります。
3.その人にとっては味もパッケージもどうでもいいが、おまけが大事。
たまにありませんか、小さいストラップなどがおまけで付いてくるペットボトル。
実はあれだったりして。
ビールではよくそういうことが起きているようですが。

考え出したらいくつでも出てきそうです。
あなたが味音痴でないということを示すことは難しいですが、世の人が皆味で飲む物を決めているかどうかは疑わしい、くらいの線で今回は勘弁願えないでしょうか。

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語学 たりき

  • 2015.03.09 Monday
  • 01:45
中学の授業で英語を習いはじめてから20年にもなるが、英語力のなさにあきれる日々である。
日本の英語教育方法が良くないという話が話題になったりするのが実際どうなのだろうか。

大学時代、英語の論文を読むことは多々あった。
専門的な単語はあったりするがそれは調べればいいこと。読むのに苦労することは、まあたまにはあったけどそれほどでもなかった。
読むことはできるけど書いたり話したりはできない。ほんとそれだと思う。

仕事で、英語でメールのやり取りをしなければいけないことが多くある。
定型の内容であれば問題ないのだが、例えばこちらからちょとした質問をしなければいけないときにどのような表現にすれば誤解なく相手に伝わるのかとかを考えると本当に難しい。
上司がユーザーに宛てて書いたメールを見てほんとに読みやすいし難しい表現なんてまったく使ってないのに言いたいことが適切に書かれていて、ほんとにすごいなあと思う。
話すことができれば書くこともできるはずで。まず書くことができなければ話すことなんてできるわけもない。

最近では小学校から英語教育をはじめるようになったのかなるのかわからないが、そんなことで日本人が英語できないというのが解消されるのだろうか。
日本が住みやすい島国というのが根本的だが大きな問題なのだろうと思う。
外国語を勉強しなくてもおそらく一生不自由することもない。そんな環境だから英語の勉強に身が入らないというわけ。
将来絶対に必要と言われながら勉強してきて、それでも今のこのできなさ加減に至っているわけなのである。

韓国や中国では、特に大学を卒業しているような人たちは母国語以外の言語をしゃべれることが当然のこととして認識されているような気がする。
もちろん、私が知る限りで上手い下手は結構あるけれども。
大陸だからというのもあるだろうし、その方が仕事の幅が広がるからということで一生懸命勉強しているからなんだろうなと思う。

今からでも、英語くらいは何とかしなくちゃだなあと思う次第です。

さて忙しさにかまけて、2月は投稿を休ませていただきました。
事後になってすみません。
今後ともよろしくお願いします。

「目に見える物、耳に聞こえる事」 byアフリカの精霊

  • 2015.03.08 Sunday
  • 21:07
未成年の事件が話題になる昨今ですが、大学院の入試において出題された小論文を思い出したのでそれを基に今日は日記を書きたい。

最近話題になっているのは「未成年が」起こした犯罪ですが、その小論文のテーマは「未成年に対する」犯罪だった。
小論文にありがちな次の文章を読んで自分の考えを書けというシンプルなものだったのが、そのテーマになった文章が簡単に言うと次のような内容である。

「最近、未成年が犯罪に巻き込まれている件数が多くなっていると言われている。物騒な世の中になったという世論により様々な地域活動や犯罪に巻き込まれないようにする対策などが講じられていることを聞くが、本当に物騒になったと言えるのだろうか…」

以下、統計的には凶悪犯罪や軽犯罪も含めて全てにおいて件数が減っているにも拘わらず物騒になったというのは間違いであるという筆者の考えが書かれていたのである。
小論文の試験である以上、理由さえはっきりしていれば結論などどっちでもいいのであろう。
あとから同級生に聞いてみたところ、理由の多さとその強さが基準だったようである。

筆者のいうように単に騒ぎすぎだという考えも可能であろう。
少子化の影響で子供を過保護に思う親が、目の前の石ころを全て取り除いて道を進ませるかの如く子供に危険なことをさせたくないという気持ちから描いた妄想かもしれない。
インターネットなどの普及により全国でどんな事件が起こっているかを瞬時に数多く知ることができるようになったので、実感できる事件数というのが多くなった=物騒だと感じるということもできる。
統計的に事件数が減っておりそれが事実であることを強調すればこういう結論でもおかしくない。

逆に物騒になったことを肯定することもできるだろう。
昔の子供は夜出歩くことなんてなかったのだが、今の子供は塾での勉強や遊びで夜遅くまで外にいることが多くなった。
子供を取り巻く生活環境が変わったせいで、犯罪に巻き込まれやすくなった。
犯罪の絶対数が変わらないのはそれに対する警戒もしているからであり、物騒になったという表現に間違いはないという考えである。

先ほど結論はどちらでも良いと述べたが、数はともかく犯罪の種類が増えたのは全員が否定しない事実であろう。
今の子供は昔に比べ巻き込まれる可能性のある犯罪の種類が多くなってきている。
親からの虐待、犯罪といっていい度を過ぎた学校でのいじめ、先生からの犯罪、少なからず昔からあったではあろうが数は増えているように思う。
また登下校中などの犯罪を防止するためにいつでも連絡をとれるために持たせた携帯電話もそれが原因で新しい犯罪に巻き込まれるという皮肉な結果にもなっている。
とりあえず警戒すべき物が多すぎるのである。
その点をとって「物騒になった」と言うならば正解であろう。

統計的に事件数が減っている=安全な世の中になった
世間がそう言っているのだから間違いない=物騒な世の中になった
こういう短絡的な考えが一番悪いのだなとテスト中に感じたことを覚えている。
テストだけではなく実際の物の考え方もそうであろう。
目に見える物、耳に聞こえる事が全てと思うな、背景を感じろということか。

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