医療の常識、世間の非常識〜引き算編〜 by Mr.ヤマブキ
- 2015.01.31 Saturday
- 22:22
医者の仕事はいくつもドラマが作られていて世間に十分に理解されているように見えて、実は大きな無理解の壁があります。仕事内容などではなく、そもそもの考え方が大きく違うことに気付きます。今回は医者の常識世間の非常識ということでご紹介したいと思います。
・救急外来は引き算思考
読者の皆様が夜間の救急外来を受診される機会はあまりないのかもしれませんが(むしろ子供や両親の関係で付き添うことはあるかもしれません)、あらかじめ了承頂きたいことがあります。それは、夜間の救急外来ではできる検査に限りがあるということです。また、受診の契機となった疾患に対応できる専門医がいない可能性もあります。
ではそんな状況で我々が一体何をしているのか。それは、緊急性のある疾患の除外です。例えば、吐き気がして胃が痛い、と言って救急外来を受診する人がいたとしましょう。この地点で医師の頭の中では
「最悪な疾患は心筋梗塞、急性膵炎、大動脈解離(大動脈って裂けるんです)などで、さらに虫垂炎(いわゆる盲腸)や腸閉塞も否定できないし、胃潰瘍で出血があっても怖いし、痛みの場所は少し違うけど腎炎や女性なら婦人科系の疾患も考える必要があるなあ、そして極めて可能性は低いけど急激に発症した糖尿病やくも膜下出血といったこともあり得る」
などと考えています。話を聞き身体診察をしたうえで、必要なら採血やレントゲン・CT検査などを進めていきます。そうしてすぐ死に至る疾患・入院の必要がある疾患を除外したうえで、結局結論が付かない場合にだけ、胃腸炎かもしれません(+初期の盲腸は否定できないので様子を見ておかしかったらまた来て下さい)、と言って診療を終えます。
分かるように、診断を付けるということにはこだわっていません。診断をつけて欲しがる人というのはよくいるのですが(原因を知りたいという気持ちはよく分かります)、腹痛などは結局診断がつかないことも多い訴えで、ここは発想を転換して、要するにまずは死ななければ良い、そして何か分からなくとも治れば良い、という考え方になります。
じゃあもしこの人が初期の盲腸で、家に帰ったはいいものの翌日お腹の痛みが強くなって緊急手術になったとしたらどうでしょう。その場合、残念ながら前日の受診で何かできたとは思えません。もし手段を問わずに何か行うとすれば、お腹を切り開いて盲腸に炎症があるかどうか見てみないといけないでしょう。リスク-ベネフィットを考えるとお腹を切り開いて確認するという選択肢は考えにくいです。
さて、もう一つ。ここでは簡単に危険な疾患を「否定する」と言っていますが、これも恐らく皆さんの感覚とはだいぶ違うと思われます。医療は、常に確率で動いています。否定というのはあくまで、極めてその可能性が低いと考えられる状態のことを指しています。検査の値がいくらより下だったから100%この病気は有り得ない、などという診療モデルではないのです。加えて、事前確率も重視されます。吐き気がして胃が痛いという人が町医者を受診したとして、ろくな診察も受けずに胃腸炎として帰されたとしましょう。それでもその町医者が心筋梗塞を見逃して患者が死んでしまったと訴えられることはまずありません。それは吐き気で受診する人の中で心筋梗塞である人より胃腸炎の人の方が圧倒的に多いからです。医療が確率で動いているという意味が何となく分かるでしょうか。
もし救急外来を受診されたなら「何かは分からないが、少なくとも緊急性のある疾患ではないと思います」と言われるかもしれません。冷たく聞こえるかもしれませんが、こういうことを考えながら診療をしているのだと思っていただければ幸いです。
・救急外来は引き算思考
読者の皆様が夜間の救急外来を受診される機会はあまりないのかもしれませんが(むしろ子供や両親の関係で付き添うことはあるかもしれません)、あらかじめ了承頂きたいことがあります。それは、夜間の救急外来ではできる検査に限りがあるということです。また、受診の契機となった疾患に対応できる専門医がいない可能性もあります。
ではそんな状況で我々が一体何をしているのか。それは、緊急性のある疾患の除外です。例えば、吐き気がして胃が痛い、と言って救急外来を受診する人がいたとしましょう。この地点で医師の頭の中では
「最悪な疾患は心筋梗塞、急性膵炎、大動脈解離(大動脈って裂けるんです)などで、さらに虫垂炎(いわゆる盲腸)や腸閉塞も否定できないし、胃潰瘍で出血があっても怖いし、痛みの場所は少し違うけど腎炎や女性なら婦人科系の疾患も考える必要があるなあ、そして極めて可能性は低いけど急激に発症した糖尿病やくも膜下出血といったこともあり得る」
などと考えています。話を聞き身体診察をしたうえで、必要なら採血やレントゲン・CT検査などを進めていきます。そうしてすぐ死に至る疾患・入院の必要がある疾患を除外したうえで、結局結論が付かない場合にだけ、胃腸炎かもしれません(+初期の盲腸は否定できないので様子を見ておかしかったらまた来て下さい)、と言って診療を終えます。
分かるように、診断を付けるということにはこだわっていません。診断をつけて欲しがる人というのはよくいるのですが(原因を知りたいという気持ちはよく分かります)、腹痛などは結局診断がつかないことも多い訴えで、ここは発想を転換して、要するにまずは死ななければ良い、そして何か分からなくとも治れば良い、という考え方になります。
じゃあもしこの人が初期の盲腸で、家に帰ったはいいものの翌日お腹の痛みが強くなって緊急手術になったとしたらどうでしょう。その場合、残念ながら前日の受診で何かできたとは思えません。もし手段を問わずに何か行うとすれば、お腹を切り開いて盲腸に炎症があるかどうか見てみないといけないでしょう。リスク-ベネフィットを考えるとお腹を切り開いて確認するという選択肢は考えにくいです。
さて、もう一つ。ここでは簡単に危険な疾患を「否定する」と言っていますが、これも恐らく皆さんの感覚とはだいぶ違うと思われます。医療は、常に確率で動いています。否定というのはあくまで、極めてその可能性が低いと考えられる状態のことを指しています。検査の値がいくらより下だったから100%この病気は有り得ない、などという診療モデルではないのです。加えて、事前確率も重視されます。吐き気がして胃が痛いという人が町医者を受診したとして、ろくな診察も受けずに胃腸炎として帰されたとしましょう。それでもその町医者が心筋梗塞を見逃して患者が死んでしまったと訴えられることはまずありません。それは吐き気で受診する人の中で心筋梗塞である人より胃腸炎の人の方が圧倒的に多いからです。医療が確率で動いているという意味が何となく分かるでしょうか。
もし救急外来を受診されたなら「何かは分からないが、少なくとも緊急性のある疾患ではないと思います」と言われるかもしれません。冷たく聞こえるかもしれませんが、こういうことを考えながら診療をしているのだと思っていただければ幸いです。