【テーマ】数字遊び たりき

  • 2013.12.31 Tuesday
  • 02:33
小学生の頃、そろばんを習っていました。
習いはじめた頃どうだったかは覚えていませんが、私の記憶では結構楽しんで通っていました。
そんなこんなですから比較的順調に昇級を重ねていくことができていました。

そして、間違いなくその影響で算数が大好きでした。というよりは数字が好きだったというべきでしょうか。
そろばんをやることによって暗算の力も磨かれますから、例えば車のナンバーを見てその数字を足したり引いたり、ときにはかけたりしてキリのいい数字になると嬉しかったものです。
また当時はちょうど消費税が導入されて間もない時期でした。
今ではスーパーなどの価格表示は消費税込みのものになっていますが、その頃はまだ税抜きの価格でした。
そこで、母親の買い物についていってレジで金額が出るまでに暗算で消費税計算まで済ますということを毎回チャレンジしていました。なかなか合わないですけどね。

小学校時代の数字好きの延長で、私の数学好きは高校まで続きました。まあ高校数学は算数の延長線上と言えなくないと私は考えているのでそんなものかなあと。
ただ、そろばんをやっていたことによる暗算の力はありがたいことにそれなりに役に立ちました。三桁の足し算かけ算までは何とかなりますからね。
さらに言えば、今でも仕事上計算が必要になることがありますので暗算が必要になることは多々あります。
(ただし何桁が何千万で何桁が何億かといった計算は苦手です。)

計算以外にも数字好きだったということの延長で、何かと数字を覚えることが得意な方なんじゃなかろうかと最近では思っています。
今では携帯電話の普及で電話番号を覚えることこそ少なくなりましたが、会社でたまにかける相手先の電話番号を覚えていたときは自分でもちょっとビックリしました(一応名刺で合ってるか確認はしましたが)。
また、電話番号とまったく異なる自社のファックス番号を何も見ずにパッと答えて同僚にひどく驚かれたことがありました。自分では普通のことと思っていたのですがそんなもんなんですかね。
もちろん、ものによってはすぐ忘れてしまったりするんですけれども。

記憶力は今となっては時とともに悪くなる一方でしょう。
暗算の力は一番できていた頃に比べると格段に低くなっていることでしょう。
それでも、昔好きだったそろばんや数字遊びによって培われた力をなるべく持続していくことができるようにしたいものです。

ポール・マッカートニーについて(1) Mr.ホワイト

  • 2013.12.30 Monday
  • 08:19
先月、わざわざ博多までポール・マッカートニーを観に行ってきましたが、ポールはやはり化け物でした。

1曲目の「Eight Days A Week」が始まったとき、ポールは伝説そのもので、とんでもない存在でした。それが5曲くらい終わった頃には、ポールは近所のおもろいじいさんになっていました。音楽がどうという話ではありません。MCだったり仕草だったり、愛嬌で人を惹き付けたにすぎません(MCの和訳を適時にモニターに映すようなサービス精神旺盛なミュージシャンは初めて見ました)。しかし間違いなく、ポール・マッカートニーはその人柄でドームの数万人の観客の心をつかんでいました。

おそろしいほどの親しみやすさ。これこそがポール・マッカートニーのもつポピュラリティなのでしょう。このことは音楽でも同じことで、ポールの曲の多くは、明るく、軽く、誰でも取っつきやすい。そしてふと気がつくと、まるで昔からずっと聴いていたかのように、その曲に親しみを感じてしまったりするのです。ポップソングはすぐに飽きられるのが常ですが、ポールの異常なポップさはそれを許しません。取っつきやすいだけではなく、その人にとってずっと隣にあってよい音楽。取っつきやすいだけのポップソングならそのへんにいくらでも転がっていますが、なぜポール・マッカートニーの曲は、それらのただのポップソングと一線を画しているのか?その理由に近づくのが、この文章のひとつの目的です。

            *

ポール・マッカートニーはすでに71歳です。このことに驚いている人も多くいたようですが、実はあの世代はまだまだ元気です。ボブ・ディランはもう72歳だし、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンももう71歳です。僕はどちらもライブで観ましたが、ポールほどではないにせよ、まだまだ元気でした(ポール、ボブ・ディラン、ビーチ・ボーイズを観れたことは僕の生涯の自慢となるでしょう)。ミック・ジャガーも70歳でライブ会場を走り回っているし、クラプトンも元気です。ベンチャーズに至ってはすでに80歳ですが毎年日本に来てライブを行っています。

本当に評価すべきは元気さなどではなく、そのような老齢でも素晴らしい新作を出していることでしょう。ポール・マッカートニーの2013年の新譜「NEW」は最高とまではいきませんがなかなかの出来でした。いまだに超ハイレベルな新譜を出し続けているボブ・ディランは別格としても、ポール・マッカートニーも高いレベルでコンスタントに新譜を出しています。あらゆるアーティストについて言えることですが、過去と同じことをしていては良い作品は作れません。良い新譜を出し続けるということはすなわち、アーティストが変わり続けているということで、例えばポールの新譜を聴くとかなり現代風のビートが加わっていることがわかります(今回のライブでもビートルズの曲を演ってはいましたが、当然CDを再現するわけではなく、めちゃめちゃパワフルなドラマーをバンドに入れて、少しパンチを効かせたりしていました。)。

近年、ポールはアルバムを作る際に必ず若いプロデューサーを入れています。その中にはレディオヘッドのプロデューサー、ナイジェル・ゴッドリッチもいます。マルチプレーヤーのポールがセルフプロデュースできないわけはありませんが、彼はアルバムに現代さを取り入れるためにあえてそうしているのでしょう(これは、ボブ・ディランが近年、セルフプロデュースすることで復活してきたことと対照的です)。ちなみにナイジェル・ゴッドリッチがポールをプロデュースした際には、ポールは意見の対立からゴッドリッチぶん殴ってやろうかと考えていたと言っていますが、最終的にはその若いプロデューサーの意見を尊重してアルバムを完成させています。これも、ポールの音楽に対する姿勢をよく示すエピソードと言っていいでしょう。

            *

ポール・マッカートニーについて(2) Mr.ホワイト

  • 2013.12.30 Monday
  • 08:18
何かにつけて思うのは、ポールが「自分がどう思うか」ということ以上に、「他人がどう思うか」ということを非常に丁寧にサポートしているということです。それはライブでMCに和訳をつけたり、ビートルズ時代の曲をやりまくったりする精神に通じます。ひどく安直に言ってしまえば「ウケ狙い」を上手にやってしまえるということで、これこそがポール・マッカートニーの真骨頂であり弱点でもあります。

ジョン・レノンのファンがポール・マッカートニーをあまり好かないのはここに理由があります。ジョンの曲は、ポールの曲とはおよそベクトルが違っています。ポールの曲が「取っつきやすいだけではなく、その人にとってずっと隣にあってよい音楽」であれば、ジョンの曲は「取っつきにくいかもしれないが、その人にとってなくてはならない音楽」なのです。ジョン・レノンのファンはおよそジョンを崇拝しがちで、ジョンの真似をして丸メガネをかけたりしますが、ポール・マッカートニーのファンでポールを崇拝している人など見たことがありません。オアシス(正確な発音はオエィシス)のリアム・ギャラガーはジョン・レノン崇拝者で、非常にわかりやすく服装を真似した上に丸メガネをきっちりかけてくれています。一方、リアムの兄、ノエル・ギャラガーはむしろポール・マッカートニーを好んでいる節があり、ポールと対面した際に「俺が今日交通事故で死んでも、世界一幸せな人間として死ねる」と発言したくらいですが、彼にソングライティング以外でポールの影響を感じることはありません。

ポールの「ウケ狙い」は確かに少し度を超していることがあるかもしれません。今回のライブでもなぜかポールがバカデカい日の丸を振り回している瞬間がありました。意図はよくわかりませんが、まあちょっとやりすぎかもしれません。東日本大震災の翌月、リアム・ギャラガーが震災チャリティライブで日の丸をバックに歌ったときには日本のロックファンはその写真を見るだけで感動したものですが、今回は単にツアーで日本に来ていただけでリアムの場合とはわけが違います。このような「ウケ狙い」感は、ある意味でポールが作る曲の根幹をなしています。たとえば、僕は「Let It Be」「Hey Jude」「Yesterday」などはあまり好きではありませんが、それはこれらの曲が耳なじみばかり良くて(まあ、あまりにも良すぎるのですが)、退屈だからなのだと思います。あまりにも「みんな」のために歌いすぎているとでも言うべきでしょうか。僕が好きなのは「Blackbird」「I will」「I’ve Just Seen A Face」などの鼻歌みたいな曲です。ポールの場合、鼻歌くらいパーソナルな曲のほうが、ポピュラーさの中に人間的な生々しさが垣間見えて面白いように思います。

            *

ポール・マッカートニーについて(3) Mr.ホワイト

  • 2013.12.30 Monday
  • 08:16
話は少し逸れますが、僕がビートルズのメンバーでもっとも好きなのはジョージ・ハリスンです。もちろん僕がもっとも好きなのは4人がそろった「ザ・ビートルズ」なのですが、その中からあえてひとり選べというなら、少し迷ってジョージ・ハリスンを選びます。ジョージの曲は彼自身がそうであるように地味で目立ちませんが、魂に響くような深みをもっています。ビートルズ解散後にそれぞれのメンバーがソロアルバムを出しましたが、その中でもっとも出来が良いと思うのはジョージの「All Things Must Pass」で、このアルバムはウォール・オブ・サウンドの史上最高傑作とも言われています。その次に僕が好きなのはポール(ウイングス)の「Band On The Run」でしょうか。個人的には、ジョン・レノンのソロアルバムはあまり好みません。ジョージのソロは実に良く、上記の他にもELOのジェフ・リンと作った「Cloud 9」や、晩年に作成し死後発表された「Brainwashed」などは傑作で、さらにボブ・ディランなどと組んだバンド、トラヴェリング・ウィルベリーズもかなり良い味を出しています。ジョージの曲の特徴は、憂いと優しさ、素朴さと謙虚さ。2人の天才の背後に回った、もう一人の謙虚な天才のビートルズ時代の代表作は「While My Guitar Gently Weeps」。ビートルズの曲なのに、メインのギターを弾いたのは自分ではなくエリック・クラプトン。最高の曲を作るというエゴイズムと、プライドをかなぐり捨てる謙虚さがあって成立し得た超名曲です。

            *

元に戻しましょう。ビートルズはベートーヴェンとモーツァルトが同居したバンドだと言われます。ジョン・レノンの狂気と哀愁、ポール・マッカートニーの喜びと優しさ。ジョンが「自分」を歌ったのに対し、ポールは「みんな」を歌いました。聴衆にとっても、ジョンの曲は「自分」の曲になり、ポールの曲は「みんな」の曲になりました。面白い例があって、ふたりはソロ時代、それぞれクリスマス・ソングを書いています。ジョンは「Happy Christmas (War is Over)」を、ポールは「Wonderful Christmastime」を。前者は、「ハッピークリスマス、キョーコ、ジュリアン(ジョンとヨーコの子供)」というごく個人的なメッセージのボイスから始まり、「戦争を終わりにできる、もし君が望むなら」というクリスマスと関係があるんだかないんだかわからない、たぶんジョンが言いたいだけのメッセージを繰り返す曲です。一方、後者は、「Simply having a wonderful Chrismastime(とにかく楽しもうよ)」という、メッセージのカケラもない、一言で言ってしまえばアホなフレーズをとにかく繰り返す曲です。僕は思うのです、どっちもアホだなと。

ジョンのような狂いが好きか、ポールのような軽さが好きか。それは本来、どちらが優れているという話ではないはずです。日本酒が好きか、ビールが好きかという議論をしているようなものだと思うのです。しかし、ジョンとポール、本人達は「自分の曲のほうが絶対に上だ」と思っていたはずです。ザ・ビートルズがなぜ面白いか。それはこのバンドがエゴとエゴのぶつかり合う舞台だったからです。ポールにキレたジョンがピアノの鍵盤をぶっ叩いて始まる「Ob-La-Di, Ob-La-Da」の面白さ。ジョージにキレられながらポールがバカデカイ音でベースを弾く「Taxman」の格好良さ(大体、ポールが偉そうにするのでキレられる)。馴れ合いバンドからは生まれ得ないこの緊張感が、ザ・ビートルズを面白くしていたのです。

ポールはソロになってから、ウイングスというバンドを妻リンダなどと結成しています。僕はウイングスも好きですが、仲良しメンバーのバンドなのでやはり緊張感には欠けます。奥さんとのラブラブバンドで、ビートルズと違ってピースフルなところが良いとも言えますが。ポールといえば、最近は若い奥さんをもらったり別れたりしてゴシップネタになっていましたが、初めの奥さんのリンダとは、彼女が癌で亡くなるまでずっと仲が良かったようです。リンダはミュージシャンではなく写真家で、ポールとの結婚前に離婚歴があります。ちなみにリンダの死後、ポールが2人目の妻となるヘザー・ミルズとの交際を正式に認めた翌日、リンダの最初の夫であるジョセフ・シーは拳銃で頭を撃ち抜いて自殺しています。
            *

ポール・マッカートニーについて(4) Mr.ホワイト

  • 2013.12.30 Monday
  • 08:15
ポール・マッカートニーのあまりのポップさに、僕はいまのサブカルチャーがポピュラリティを失いすぎたことを感じざるをえませんでした。嵐にもAKBにもEXILEにも、一定水準のポピュラリティはあるでしょう。しかし足りないのです。なぜか。彼らは自分たちを好む人のために歌っているのであって、「みんな」のために歌っているようには到底思えないからです。そう、ここにこそ、僕がここ数年感じている気持ち悪さがあるような気がします。ポップシンガーには、世の中全員にオレの歌を聴かせてやる、というくらいの覚悟で歌ってほしいのです。そこには自分対世界という構図があり、世界に自分を認めさせるという緊張関係があります。ところがいまは少し違うような気がします。自分を好む者達に囲まれて、お互いハッピーになろうよ、というような弛緩した馴れ合いの関係があるように思えるのです。

よく言われるようにサブカルチャーは多様化しました。みんなが読んでる本やみんなが聴いてる音楽なんてのは、どんどんなくなっていっています。しかし注意しなければならないのは、この「多様化」が意味しているのは決して各人の「個性化」ではないということです。たとえば、ストリートファッションの雑誌をパラパラめくってみると、たくさんの人が自分の「個性的」な服で街角ファッションチェックを受けて自慢げにしている様子が載っていますが、みんな驚くほど似通った格好をしていて、驚くほど同じようにダサいのです。つまり多様化とは、カルチャーの分野(ハコ)が以前より多くなったというだけで、ハコの中の人たちはびっくりするほど同じような、すなわち「没個性」な嗜好をしているのです。ハコの中の人たちは、自分たちはハコの外の人たちに比べて個性的だと信じることができると同時に、ハコの中の人たちと同じ嗜好をしていることで「自分たち」あるいは「ハコ」への帰属意識をもつことができるという、なんとも都合の良いシステム。簡単に言えば仲良しこよしの「群れ」がいっぱいできたということで、この現象は「トライブ化(部族化)」と言われたりもします。

日本でもっともポール・マッカートニーに近づいたのは、言うまでもなくサザンオールスターズでしょう。いまヒットチャートは狂いに狂っていますが、2013年の年間シングルランキングトップ20の中にサザンはちゃんと入っています。ちなみに20位以内の内訳は、AKB系が11、ジャニーズが7、EXILEが1、サザンが1です。完全にサザンが浮いていますが、どれだけ世の中が狂っていようとしっかり売れてしまうのはさすがとしか言いようがありません。僕は桑田佳祐のブルース・ロックが好きですが、売れるのはもちろん桑田佳祐お得意の演歌ロックばかり。これがポールと同じく桑田佳祐の真骨頂であり弱点でもあります。小沢健二の「10年前の僕らは胸をいためて"いとしのエリー"なんて聴いてた」という歌詞は、まさにこのあたりを的確に表現した最高の歌詞だなあと感じます。

            *

ポピュラーであるためには、客観的でなければなりません。人が聴いてどう思うのか、人が読んでどう思うのか。他人の視点を突き詰めると自分がどこにいるのかがわからなくなってしまいがちで、それゆえにポップミュージックは短命に終わる傾向にあります。小沢健二がそうであったように。しかしこのポピュラリティは、群れが細分化され、仲間が均一化していく文化背景にあっては、これからどんどん失われていくのでしょう。わかりやすく、誰にでも受け入れやすいこと。そもそもそのハードルが以前に比べてものすごく高くなっているため、ポップさを獲得することははるかに困難になっています。それでも、と僕は思うのです。本当のポップ・ミュージックが聴きたいと。

            *

カフカの『城』のように、まわりをうろうろしただけの文章になってしまいましたが、このあたりでおしまいにします。最後に、ポピュラーについての文章をまったくポピュラーではない方法で書いたことにつき謝罪いたします。この文章を読んで、こんなわかりにくい文章ではなく、もっとポップなわかりやすい文章を読みたいものだ、と思っていただければ幸いです。

【テーマ】リバー  Mr.ホワイト

  • 2013.12.28 Saturday
  • 22:34
子どもの頃、「流れる水を見ること」が好きでした。

今もあるのかどうかわかりませんが、僕が小さい頃の阪急逆瀬川駅には小さな噴水がありました。
梅田の泉の広場にあるような泉を小さくしたようなもので、そこに時計台もあったように記憶しています。
一定の時間になると時計台から音楽が流れ、人形が動き、噴水が少し派手に噴き上げるというもので、
子どもは大抵こういうモノに弱く、僕もその水の動きにぼうっと見とれていました。
噴水の水はどこからきてどこへいくのか。どうして泉の水はあふれないのか。
水の動きには、何かしら子どもを惹き付ける不思議さがあるような気がします。

僕が住んでいたところは小さな川がいくつか流れていたようで、
両壁をコンクリートで固めたどぶ川がたくさんあり、道路の側溝には水が結構な勢いで流れていました。
もちろんこれらの川の流れも気になってしようがなく、流れを飽きずにじっと見ます。
壁に当たると水はくの字型に折れ曲がりその先へと流れていきますが、水の前には水があり、
同様にくの字型に折れ曲がって流れていくため、川面にあらわれるくの字型は消えることがありません。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

少し大きくなると、自分で川を作り始めました。
大雨が降る日に、公園の地面を水が流れるように掘っていくのです。
少しの雨だと水が流れないので、大雨の日でないと意味がありません。
あえて大雨の日に、かっぱを着て、長靴をはいて、意気揚々と公園に出かけてゆくのです。
どしゃぶりの雨に打たれながらも、大雨が降っていることがうれしく、
僕は夢中で公園の地面に水が流れる溝を掘り続けていました。
気がつくとあたりは真っ暗になっていて、いつからいたのか、母親が傘を差して待っています。
たぶん、雨の中、遊び終わるのをずっと待っていてくれていたのでしょう。

3年前の夏の日、西宮ガーデンズのスカイガーデンの噴水で子どもたちが遊んでいるのを見たとき、
自分がどうしようもなく大人になってしまったことを実感したのは、これらの記憶のせいなのかもしれません。

【テーマ】 不純な好意 by アフリカの精霊

  • 2013.12.28 Saturday
  • 01:05
昔は自分が好きになりたいと思ったことが好きになれていた。
歌手、趣味、スポーツ、テレビや雑誌をきっかけとして自分が興味を持ったものに対し能動的に活動できた。
そういう風に好きになれたものに対しては、周りが見えなくなっても良いと思えるほどのものがあった。
しかし、その好きになったものが少数派であればあるほどその面白味を共有できる人物は少なくなっていく。
例えば、将棋の話・プロ将棋界の話などは将棋をやっている人の中でだけでしか話せず、周りにそれがいなければ自分の中でしか楽しめない。
「自分が好きならばそれでいい」なんて意見もあるだろうが、それはそれ。やはり自分と同じ話をできる人物がいて同時に楽しめるのならそれに越したことはない。

そして、その寂しさから私が学んだもの。
それは、「他人の『好き』に合わせる」ということだった。
思えば、昔に自分が好きになったきっかけは友人を介してのものも多数あった。
ならば、他人の好きなものに合わせることによって会話はできるではないか!

そこから、私の「好き」は変わった。
右にあることが好きだという人がいればそれについての知識を収集し、左にあるスポーツが好きだという人がいれば知識を入れると共に実際に行うこともあった。
相手の「好き」に自分を合わせるようになっていったのだ。
その中には個人的に興味を持てたものもあり、また相手も教える嬉しさというか遣り甲斐と感じてくれ人間関係的にうまくいくことも多かった。

そしていつの間にかそれは「会話を作るための情報収集」になった。
こういうことを趣味にしている人がいるかもしれない。
会話の中でこういう話になるかもしれない。
相手が好きなことを好きとわかってから勉強して話を合わせるのではなく、話に出た時点で対応しようとしたのである。
こうした方がスムーズに人間関係を進めるに違いない。
強迫観念ではないが、様々なものに興味を持つべきだという考えに至った。
批判するにはまず知るべきとは良く言われることだが一歩進んで、興味がないから知らなくても良いではない、と思うようになってしまったのだ。

もちろんそうした情報収集の末、自分の「好き」になったものも確かに存在する。
しかし本当の「好き」ではなく、受動的な「好き」が私にとっての「好き」なったのも事実である。
昔好きだったことには、ただひたすら純粋だった。
大人になってからの「好き」は私の人生において人間関係の円滑さに多大な良い影響を与えた。
しかし同時に何か大切なものを失ったような気もするのである。

【テーマ】鼻頭鉛筆ピーナッツ回し 〜前編〜 by Mr.ヤマブキ

  • 2013.12.27 Friday
  • 00:01
 僕はつい最近まで鼻の頭に鉛筆を立て、その先端でピーナッツを回すという技を極めようとしていました。いや、極めようとしていた、というよりも極めたと言っていいでしょう。世界の誰よりもこの技を極めた自負があります。僕は、史上最強の鼻頭鉛筆ピーナッツ回しなのです。
 十九の頃、僕は無気力な大学生でした。将来に何の目標も無く、魂を燃やせるものも無く、ただ日々を安穏と過ごすことに努めていました。そんな中、キャンパス内で見かけた大道芸を思い出して、下宿でただ一人、ただ何となしに、ほんの戯れのつもりで鼻の頭に鉛筆を乗せてみました。案の定、鉛筆は滑り落ちてしまいました。何故だか全てが悔しくて、意地でも乗せてやろうという気持ちが湧いて来たのです。やけくそで二時間ほどやっていると、ほんの一、二秒乗るようになってきました。それからは、ゲームみたいなものです。一秒を二秒、二秒を三秒、三秒を四秒、と自分の記録を更新していくのが楽しくなってきたのです。
 ろくすっぽ授業にも行かず、サークルも部活もせず、ただひたすら鉛筆を鼻の頭で立てることにハマっていました。努力の甲斐あって、三か月もすればほぼ無制限に鉛筆を乗せる事が出来るようになりました。ゲームはクリアすれば次のステージへ行きたくなるもの。ボスを攻略した僕は、新たなボスを欲していました。そこで目に留まったのが、片付けられぬまま放置された晩酌のつまみの残りであるピーナッツだったのです。
 困難を極めたことは想像に難くないでしょう。本当に乗るのか疑った日もありました。一年やってとうとう、十秒乗せる事ができました。しかし、そこが壁でした。鍛錬すれども全く伸びない。自分の姿をビデオに撮って研究しました。ようやく分かったのです。敗因は体幹のブレでした。
 それからというもの、毎日二時間のトレーニング時間を取るようにしました。しなやかな筋肉を得るために、食生活はささ身中心へと変えました。甲斐あってか、徐々に乗せる事の出来る時間が伸び、ピーナッツを乗せ始めてから苦節三年、ついに安定してピーナッツを乗せられるようになったのです。

【テーマ】鼻頭鉛筆ピーナッツ回し 〜後編〜 by Mr.ヤマブキ

  • 2013.12.27 Friday
  • 00:00
 そんな生活ですから、当然授業には行けず、留年しました。しかしその頃には最早、普通の就職など眼中にありませんでした。僕はこの鼻頭鉛筆ピーナッツ回しに、無限の可能性を感じていました。この素晴らしい技を極めることで人々に感動を与え、勇気づけることができるのだと本気で信じていたのです。そのために、本当はこのままの生活をしていたかったのですが、親が許しはしないでしょう。現段階では親を説得することはできそうもない。だから、フリーターでもなんでもいいから生活を立て、その合間で修業を重ねる決意をしました。果たして、僕の生活は決意の通りとなったのです。
 次のボスは、ピーナッツ回しでした。鉛筆の先端に鎮座するピーナッツに繊細な動きで回転力を与えるのです。たゆまぬ努力の末、十年かかってとうとう、鼻頭鉛筆ピーナッツ回しを完成させることができました。初めてできた日のことは今でも覚えています。普段は絶対に飲まないコーラのあの味を。
 僕の挑戦はしかし、これだけでは終わりませんでした。やはり次のボスが欲しかったのです。二本同時に乗せるというウルトラCが頭の中に浮かび、そして十年を要しました。それは間違いなく、史上最強の鼻頭鉛筆ピーナッツ回しになった瞬間でした。
 どうして僕はこんなにピーナッツ回しに打ちこめたのでしょう。簡単なことです。好きだったのです。鼻の頭に鉛筆を乗せる事が。その上にピーナッツを乗せる事が。そのピーナッツを回すことが。好きだという感情は色眼鏡をよこして、ありもしない価値を僕に見出させます。この技の奥深さと重要性、人に感動を与えるという確信。今となっては全てが妄想です。最後の十年間、僕は徐々にアルバイトに採用されない回数が増えていました。今はもう一つもアルバイトをしていません。でも、僕にはどうすることもできないのです。全てが取り返しのつかない所まで来てしまったのです。僕の二十三年間は一体なんだったのでしょう。何の役にも立たない下らないことに人生の華やかな二十三年間を捧げてしまったのです。
 ただ、ただ……こうも思うのです。好きなものだなんて好きでなくなれば全部下らないものなのではないかと。ボウリングだなんて、球を転がすだけで一体何が楽しいのでしょう?でもそれが職業にすらなるのです。ただ少し社会の価値観と融和しなかったというだけで、僕は本当は間違っていないんだとささやかな反抗心を抱いてみたりもするのです。


 僕は今、AKB48というアイドルを応援しています。

夢競馬の人々(201)  葉山 悟

  • 2013.12.26 Thursday
  • 00:00
目の前を葦毛の馬が通り抜けて行く。馬体に浮かぶ銭形模様が実に鮮やかだ。
「どうして!?一方の当事者でしょう。それが0組に分かれば大沢もXもたちまちのうちに消されてしまうよ」
葦毛に纏わりつくのは馬体から放射される熱、湯気、エネルギーなのか。葦毛の馬体がゆらゆら陽炎のように揺らめく。しかしその歩みは力強く、下見所の外側を大きく回っていて、ともすると前の馬を追い抜かんとする。
「0組に相談するとそうなるだろうね。S場長がそうしなかったのは大崎会長の名誉を護るためだったんだ」
「名誉?故人の名誉を守るためってこと」
「S場長は大崎会長と関係のない人間によって、この件を結着したいと考えていた。こんなに卑劣でチンピラ以下の仕業に大崎会長がどんな形であれ関わることは避けたいと考えていたんだ。それがN競馬場の場長としての最大のお得意様に対する行動だった」
「そうするとS場長と若頭は繋がりがないのだから、残りは一人。K部長に相談するしか無かったということなんだよね」
「実際Sさんも何でも相談できる存在としてK部長を考えていたように思う。だから特命業者としてK部長の息のかかった企業を指名してきたのだ」 ――とまれーっ――の号令の後、騎乗命令がかかり下見所の馬に一斉に騎手が乗りかかる。
「年金さん、あなたの予想紙で13番の馬、どんな印になっています?」
「センセ、いきなり何ですか?」
「前に言いましたよね。シャガールの馬の出現は突然で、僕のそばを離れないで下さいと」
「ということは13番のリーフハンターがシャガールの馬ってことですか?この新聞では印が無いですね。二人のトラックマンが白三角を付けているだけで、単勝は万馬券ですよ」
「いやまだシャガールの馬かどうか確信が持てません。取り敢えず僕はこの馬の複勝とワイド馬券を買いますが、年金さんもまず運試しってことでリーフハンター絡みの馬券を買われたらどうですか?」
競馬に勝ちたい馬券を的中させたいと、ひたすら熱くなって馬をチェックしていてもシャガールの馬は出現しない。漠然と漫然とゆったりと広がる景色を眺めるように馬を見ていると、まるで蜃気楼のように現れるのだ。

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