コンピュータ将棋について   ハッタリスト

  • 2013.04.30 Tuesday
  • 23:53
1.はじめに

将棋のプロ棋士とコンピュータが将棋で対局する企画である「電王戦」が行われました。
去年に第1回があり、今年の第2回は全部で5局ありました。
結果は、人間から見て1勝3敗1引き分け。
今日は将棋の具体的な内容には触れずに、コンピュータ将棋とは、みたいなことを書きます。


2.将棋の強さとは

将棋の指し方というものは、大雑把には「先を読む」「形勢判断をする」の2つの要素だけでできていると言っていいかと思います。
これはアマチュアでもプロ棋士でもコンピュータでも同じです。
他にもこういう要素があるはずだと思うことがあれば、それらは全て形勢判断の側に含めてしまってください。
そのように考えた場合、将棋の強さは、
 強さ = 先を読む能力 × 形勢判断の能力
です(イメージ)。


3.「先を読む能力」

先を読む能力が無限に高い場合、将棋のあらゆる局面から詰みの局面(ルール上の勝敗が決まった局面)までの全ての手順を瞬時に列挙することができる、ということになります。
この場合、形勢判断の能力が全くなかったとしても次に何を指すべきか正確に分かることになります。
しかしこの方法では、世界で最速のコンピュータを使ったとしても現実的な時間で計算を終えることはできません。単純に分岐が多すぎるためです。
そこで、最後まで読むという正確な方法の代わりに、途中で読みを中断してその局面の形勢判断をするという必ずしも正確とは限らない方法を用いることになります。


4.「形勢判断の能力」

先を読まなければ形勢判断はできないはずだ、と考える方もいると思います。おっしゃる通りです。
ここでは、先を読むことなくある単一の局面のみを見て行う形勢判断のことを単に「形勢判断」と呼ぶことにします。
この考え方が最も分かりやすいのは、ハンデ戦である駒落ちの最初の局面です。
将棋のルールをよく知らない人にとってでさえ、駒が相手よりも少ないというハンデを負っている状態が不利であることは明らかだと思います。
具体的に次にどう指すかという視点を抜きにして単一の局面だけで判断することができなければ、途中で読みを打ち切ることができません。
つまりここでは、先を読むべきか否か、読むとしたら何を読むべきかといった判断もこの「形勢判断の能力」に含めているのです。


5.人間とコンピュータの比較

人間とコンピュータの将棋を比較すると、先を読む能力はコンピュータの方が圧倒的に上です。なにせ、1秒間に数千万手とか数億手を読むという話ですので。
現状でプロ棋士とコンピュータのどちらが強いかはともかくとして、大雑把には大体いい勝負ぐらいだと言っていいでしょう。
すると、形勢判断の能力はプロ棋士の方がコンピュータよりも圧倒的に上である、ということになります。そうでないとつりあいませんので。
かつてのコンピュータ将棋は、主にハードウェアに依存する「先を読む能力」では既に人間を圧倒していたにも関わらず、ソフトウェアに依存する「形勢判断の能力」が低かったため人間に太刀打ちできませんでした。
ハードとソフト両方の進歩により総合力が増したためプロ棋士と互角以上に戦えるようになった、というのが近年のコンピュータ将棋の歴史です。


6.おわりに

コンピュータ将棋は総合力でプロ棋士レベルに達したとはいえ、形勢判断の能力で劣ることははっきりしているので、ソフトを改良する余地はまだいくらでもあるはずです。
コンピュータ将棋の開発者が開発しているのはソフトであってハードではないですから、ソフトの改良は今後も続くだろうと思います。
これからもいろいろ楽しみです。

吹き荒れる春の嵐!

  • 2013.04.30 Tuesday
  • 01:16
・お願い事編

 おこんばんは。最優秀作品賞を頂きましたMr.ヤマブキです。投票数が少ないと投票における執筆者の割合は上昇しますから、今回のようにその筋にウケそうな作品だったのが功を奏しましたね。先月の中で一番時間がかかっていない作品だったのですが、それが票を取るのは、作品中でも述べられていたとおりです。
 さて、お願い事なんですが、今回僕は、宇宙の始まりという作品を書きました。これは先月の投票で宇宙の始まりを教えてほしい、というコメントが付けられていたので書くことになった作品で、もしよければ依頼者さんに感想を聞きたいです。それだけです。あ、明るい悩み相談室に取り上げられた方は投票やらなんやらでコメントするといいと思います。


・最優秀コメント編

 おこんばんは。月間MVPを頂きましたMr.ヤマブキです。やたらめったら書きまくっている某氏に取られると思っていたので意外です。読者の方々がきちんと読んでおられる証左ですね、などと言うと怒られますかね。
 さて、コメント賞を選びたいんですが、いつも困ってしまいます。要は基準がよく分からないのです。それも含めてお前が決めろ、ということなんでしょうけど、独り善がりにしか成り得ないということほど恐ろしいこともありません。しかしこのヤマブキ、一筋縄でいく男ではないです。いっそその心理を逆手にとって、最もヤマブキを気持ちよく褒め称えたコメントに賞をプレゼントしようかと思います。
 今月ラストのダメともさん。
 MVPの理由に、「質・量ともに文句なし。かっこいい」
 きもちええわあの理由に、「ヤマブキさんが凄かったから」
 その他、全ての欄がヤマブキに賛同する意見です。きっとこの方、頭脳、容姿、人格を兼ね備えた素晴らしいお人に違いありません。文章から聖なるオーラを感じます。どうぞ、最優秀コメント賞を受けとって下さい。
 ちなみに、僕は葉山さんのコメントは毎回楽しみにしています。今回も格調高い寸評になっています、ありがとうございます。あと、全て該当者なしにされたダメともさん。精神状態が兼ね合いとしてある、との事ですが、物語とはそもそもそうした状態を乗り越える糧となるものだと思っていますから、物語書きとしては力不足を痛感します。申し訳ありません。前回のスカーレット旋風もそうですが、コメントを見ていると物語の貧弱さを改めて認識させられます。
 とまれ、投票して頂いた皆様、ありがとうございました。


・テーマ編

 おこんばんは。テーマコンテスト賞を頂きましたMr.ヤマブキです。大衆小説をやってみたくて書き始めたもののなかなか進まず、締め切りに追われて泣きながら書いた作品でした。時間の掛かったものが評価されると良いものですね。
 さて、テーマを決めないといけません。私見では、良いテーマというものは、大きな概念だけど、大きすぎない概念、だと思うのです。とか言ってて、特別何か言葉が想定されているわけではありません。あくまで一般論として、多分そうだと思うだけです。あと、あの人はこういう話で来るかな、と簡単に予想できると少しつまらないような気もします。普段その書き手が取り入れないようなワードを強制することで新たな化学反応を見るのが一つの醍醐味なわけですから。……御託はもういいですか?はい、では発表しましょう。

「にごり」

です。自分でもよく分かりませんが。よろしくお願いします。

 以上、Mr.ヤマブキの桜吹雪の舞でした。

結果発表!!

  • 2013.04.28 Sunday
  • 09:23
皆様、大変お待たせいたしました。
雑兵日記PREMIER2013年3月度の投票結果発表をいたします。
今回は14名の方から投票をいただき、大変ありがとうございました。
おかげ様で作家陣も一段と励むこと間違いございません。

まずはテーマ「さくら」コンテストの結果からまいりましょう。
少頭数のたたき合いを制したのは

桜 Mr.ヤマブキ

その名もシンプルな「桜」が制しました。
おめでとう、Mr.ヤマブキ。
次回のテーマを決めていいよ。

次に最優秀作品賞です。
今月も個性派が並びましたが・・・・。

今月の最優秀作品は

論理PREMIER論考

葉山、がりは、ホワイトからの3票で制しました。
書いている人により刺さる内容だったのかもしれません。
おめでとうMr.ヤマブキ!!
願い事を一つしていいよ。


そして最後になりますが、MVPを発表します。
10本書いたあの男が順当に王座に就くのか。

Mr.ヤマブキ

過半数の8票を獲得しての圧勝でした。
おめでとう、Mr.ヤマブキ!
ベストコメント賞を決めていいよ、Mr.ヤマブキ。

みなさん、Mr.ヤマブキ三冠達成です!!



投票結果


これからも雑兵日記PREMIERは続いていきます。
みなさま今後ともどうぞ永いお付き合いをお願いいたします。

頭からっぽ生活  ミスターピンク

  • 2013.04.27 Saturday
  • 23:53
みなさま、おこんばんは。
ミスターピンクでございます。

いやあ、調子はいかがですか。

そうですね、絶好調ですね。
絶好調のときって、ちょっと頭を一旦からっぽにして一休みしたくなりませんか。

私はなりますね。
元々頭は空っぽだとか、そういうのは後にしていただきましょうか。
なにせ私の場合は灰色やらピンクやらの脳細胞がね、あれですからね。

ただ、何も考えないっていうのは結構な難事業でして、ボンヤリしていてもまあ何かしら考えてしまうもの。
座禅ていう方法が一時期ピンク界隈で大ヒットしかけたこともあったんですがね、あれも面倒くさいんですよねえ、座っているだけなのにねえ。

だからそれよりはむしろ、人間の体の動き全てが功夫である、みたいな方法論でもって、禅とはこれ即ち心の動作であるからしてモノを考えること全てが禅である、とかそういうあれで行きたいですね、その方が楽ちんでしょうそうでしょう。

つまり歯磨きをしている時とか、寝床に就いたけれど眠りについていない時とか、本を読んでいても内容が頭に入って来ない時とか、この竹輪めっちゃうまいやんと思った直後の一瞬の隙とかに、我無心なりみたいなフリをすれば大体それが求めていたものであると言って良いでしょう。
あっ今の頭空っぽだったな流石は私ですねと思った時には既に黒板消しで消した後の黒板並みには心が薄汚れているのも致し方ありますまい。

ですので、おそらくは普通に生きていればZEN的な瞬間があちらこちらにあるのが普通であるのであって、それをしかと見出すことさえできれば、それが一休みとしての役割を普通に果たすであろうと、これがあれなんですね。
そのようにして普通に禅を実践することに成功しているミスターピンクとしましては、人生のあー、あれがえー、そういう風ですので、いい感じと感じますね、個人的な感じといたしましては。

ですからやはり、絶好調の方には是非ともこの頭をからっぽにする方法を試していただきたいのです。
いや、実に素晴らしいですな。

は?

絶好調じゃない?

ははあ、それはそれは。
まあ誰しも絶不調の時くらいありますからね。

そういう時は、むしろ逆にこう考えるべきでしょうね。

頭を一旦からっぽにして、一休みするべきであると。

「二宮金次郎の災難」  byアフリカの精霊

  • 2013.04.26 Friday
  • 00:10
全国の小学校から二宮金次郎(尊徳)の銅像がなくなってきているらしい。
私の見たニュースでは、ある県では2割の小学校にしかないとか…。
原因としては色々あり、昔建てたものが老朽化で倒壊し、このご時世建て替えるお金もなくそのままになっているという尤もなものもある。
しかし、主な原因として驚くべきことがあげられていた。
それは保護者からのクレームで取り壊されているというものであった。

「あんな本を読みながら歩いているのを子供がマネしたらどうするの!?危ないでしょ!?取り壊しなさい!!」
ってことらしい。

これがどこかの一つの例だったらまだいい。
しかし、全国的になくなってきている主な原因としてこれがあげられていた。
しかもわざわざ取り壊すところを見ると、それも一つの小学校で複数のクレームがあるのだろう。
私自身、二宮金次郎の銅像の必要性は必ずしもないという考えであるが、今存在しているものがクレームにより壊されるというのは腹立たしい。
ただ、私の個人的感覚ではいちゃもんだと思えるこのクレームに、反応せざるを得ない今の学校の現状は悲しいとも思える。

「二宮金次郎は本を読みながら歩いていたのでありません。」
そのテレビで報徳学園の先生が言っていた。
「これは勉学を志す者の心意気を示したもので、必ずしも本を読みながら歩くことを推奨しているわけではない。そうとしか取れない人が増えてきたことは悲しいことだ」
なるほど、確かに子供に抽象的なことはわかりずらいかもしれない。
ただ、本来子供にそれを説明しなければいけない大人すら意味がわからなくなっているのであろう。
おそらくそのクレームを入れる親はその像の示す意味を子供に説明することができず、子供がありのまま受け入れることを危惧している。
そのことは今年の入学式で新小学1年生の親に聞いていたインタビューからもわかった。
金髪、サングラスの親がガムを噛みながらインタビューに「二宮・・・?だれっすか?それ」と答えていた。
二宮金次郎の存在すら知らない人にとってはその像の持つ意味合いはもちろんわからない。
それはただ薪を背負い本を読んでいる銅像である。


「建て替えるのですが、クレームに配慮して本は閉じて右手に持たせました」
ある県の校長先生は、本を読んでいない二宮金次郎の導入を決めた。
生徒の目につかない校長室に飾ってある小学校もあった。
もちろん、金次郎ではない銅像にせざるを得ない小学校もあったようだ。
こんなにも配慮しないといけないものか…と少し悲しくなる。

現代っ子はおそらく歩きながら勉強するような子はいないであろうし、銅像を見たからと言って感化される子もいないだろう。
とばっちりで壊される金次郎の心況は計り知れない。
もし、本当に感化されるのであれば、スマホを持ちながら歩いている金次郎が事故にあっている銅像をつくればいいのではないかと考えた。
そんなクレームを入れる大人に限って歩きながらスマホをしていませんか、と。よっぽどそっちの方が教訓になる。

夢競馬の人々(143)  葉山 悟

  • 2013.04.25 Thursday
  • 08:01
今の僕は競馬が苦痛で仕方が無い。いや競馬がストレスの塊そのものになりつつある。いつだったか競馬場の常連客が大声で「競馬の無い国へ行きたいぜー」と叫んでいたが、全く同感だ。かつて競馬場で中学の数学教師を発見した時のような胸の高鳴り、大いなる共感はどこに消えたのか。頭の構造がまるで異なる異星人のような存在であった教師の、とても人間臭い一面を垣間見たような気がしたのだ。やたらと難しい顔をして黒板に僕にはまるで理解できない数式を列挙していく教師の顔と、パカパカと鼻唄交じりに競馬場を闊歩していた彼と、どちらが本当の素顔だったのだろう。
競馬は楽しいもの。胸をワクワクさせるもの。ゴール前の期待と願望が混じり合い、それはやがて絶望や後悔をも内包し大いなる混沌(カオス)へと成り果てる。混沌から光をのぞかせ、それはたちまちの内に背筋を貫くエクスタシーになるのか、脳天を走る絶望と大いなる後悔の打撃となるのか。サラブレッドの鼻づらの2センチ3センチの差が、人間を天国へ招くか、地獄へ落とすか。
0組の大崎会長が「どの馬が良いんだ」と僕に迫って来た時も強いストレスを感じていたが、五百万円を四千万円にしなければならないプレッシャーはそれとは比較にならない。それは金銭面だけに限らず不特定多数の命にすら関わっているような気がするからである。
しかし全ては僕が据え膳に手を出したことから招いたことだ。いやあれは本当に彼女が用意した据え膳だったのだろうか。今となっては判らない。ただ僕から片山さんの奥さんを抱いた事は間違いの無い事実である。その気持ちがないと手は出せない。
――逃げるヤマブキオー、激しく追うガリハユーゴー、大外から迫ってくるテンサイハッタリー――
―鼻づらを一斉に伸ばす。上げる、下げる、頑張れ!そこが見えるか、お前のゴールだ―
気が付けば第一レースに出走したサラブレッドの群れがゴールに迫っている。卵たちの実況に一層熱が入る。
その時僕の携帯がブルブルふるえた。僕はアナウンサー予備軍の実況の妨げにならないようにそこを離れた。
――センセ、今どこにいらっしゃるの?――
彼女からだった。
――お昼まだでしょう?とっても美味しいお弁当をお持ちしますから待っててください―

夢競馬の人々(142)  葉山 悟

  • 2013.04.25 Thursday
  • 08:00
人は趣味を仕事に出来ればバラ色の人生が切り拓かれたと考えるだろう。しかし心底好きなことを仕事にすれば、それは最早好きな事ではなくなり苦役でしかない。
アナウンサーの卵がいみじくも発した「こんな天気の良い日に競馬ですか」とは、その問いかけのように聞こえた。野球が好きだからプロ野球選手に。歌が好きだから歌手に。サッカーが好きだからプロサッカー選手にと、好きなことを職業にして著名人になった人間を人はスターと呼ぶ。しかしこれは極めて限られた極々少数の人間たちのことで、好きなことや趣味云々といった内容に敷衍すべきことではない。
――第一レース。今各馬一斉にスタートしました。大きな出遅れはありません――
それはまるで輪唱しているかのように僕の耳に木霊する。アナウンサーの卵達が一斉に競馬の実況を始めた。
僕は競馬が好きだった。ただひた向きに走ることだけに全身全霊を捧げるサラブレッドの姿に魅せられた。いやもしかすると僕は競馬を素材にしたギャンブルが好きなだけなのかもしれない。百という馬券における最小の数字が、千、万と大化けしていく事を切望しつつサラブレッドの宿命を追っかけているだけではないのか。それは競馬が好きと言うのではない。ただの金の亡者に過ぎない。
留年が決定的になった学生時代の最後の冬、僕はパリからスペインのバルセロナに向かっていた。どうしてもピカソやダリ、ミロの本物の絵画に接したかったからだ。パリのルーブル美術館に五日間通い詰め、バルセロナ行きを決めたのだ。その時、機内で隣り合わせた日本人の商社マンに「学生っていいですな。こういう旅も楽しいでしょう」と声をかけられた。世界を股に日本の商社マンが活躍する、と羨望の眼差しで彼らが人気職業に取り上げられていた時代がある。
「私なんか苦痛でしかない。どんなに有名で人気のある国、都市に出張しようと、感動などという言葉とはおよそかけ離れてしまっている。この仕事に就いたことを後悔しているかというと、そこがまた難しいところだ。ひとつだけアドバイス出来るとすれば、趣味はあくまで趣味としてとっておくこと。くれぐれも仕事にしないこと」
学生時代、旅行が何よりも趣味だったと語った商社マンは、苦笑いを残しながら去って行った。

4月 たりき

  • 2013.04.24 Wednesday
  • 08:53
4月になって3週間が過ぎた。
この3週間何かと忙しかったこともあって、感覚的には「もう」というよりも「まだ」の方が色濃い。
月毎の会議すらも新組織になってからまだやっていないだなんて。
それでも新しく異動してきた方や新入社員の歓迎会が先週までで一通り終わり気分的には一息ついた感じだ。

新入社員の子が研修しているのを傍観していると、若手社員が絡んでいる様子があって当たり前のことかもしれないがありがたいことだ。
ただし、ちょっと絡みすぎかなあと思ったりもする。
入社直後ということもあって、新入社員は飲み会などのお誘いがあれば特に用事がなかったりさたら断りにくいものだろう。
同じ誘うにしてもそういう配慮がある中でのものならいいのだが、見た感じにはまったくないような気がする。
自分が彼らくらいで新入社員に絡んでいたときにそこまで考えていたかというと怪しいんだけれども。

もう一つ、新入社員を見ていて思うことがある。
若手が話しかけたり飲みに誘ったりしているのだが、彼らと話すことで考えが凝り固まってしまわないかということだ。
誰かに対する評価というかを聞いてしまうとそれが固定観念として貼りついてしまわないかということ。
というのも、勤務している研究所においても派閥のようなものがあって、若手社員はその一方の派閥があるだけである。
若手たちが誰をどう評価しているかは知らないが、それは私や私が好きな人たちの評価とはおそらくは異なる。
私は、自分の考えや評価が客観的で正当だと考えている。
しかしながら重要なのはそこではなくて、誰かの評価を一方からの意見で決めてしまってはいけないということ。
二つ以上の評価や考え方を聞いて、でも最終的には実際に接して自分がどう考えるかを決めるべきだと思う。
相性とかもあるだろうし。

さて業務の方はというと、わかってはいたことではあるが芳しくはなく、これもわかっていたことだが今回の組織改編がいい方向に進むとは到底思えず。
開発のスピードアップということはずっと言われていることだが、混乱を招いているばかりで何かがいい方向に進みそうという話は聞かない。
聞こえてこないだけかもしれないけれども。
まあいいか。
まだ3週間、これからどうなっていくかが楽しみだ。

夢競馬の人々(141)  葉山 悟

  • 2013.04.20 Saturday
  • 14:39
僕のショルダーバッグの中に片山さんから託された五百万円が入っている。そのせいだろうか、周囲の見慣れない人間が何となく怪しく感じられてしまう。全てが自分の金だったら無条件に、なおかつ闇雲に馬券を買っていた。他人のお金。しかもそれを八倍の四千万円にしなければならないというプレッシャーのせいか、かろうじて危ない欲望を抑えられている。これまでの経験で言えば、競馬での勝利は我慢をどれだけ出来るか、いわば忍耐の遥か彼方に幻のごとく存在しているように思う。
僕はスタンド最上階の高見席から下級条件のレースを眺めることにした。ここは人が少ない。吹き曝しの上に、本館はエスカレーターやエレベーターに直結しているが、無料のスタンドは何段もある階段を上らなければならない。
――このくぎはひきぬきにくいくぎだ――男が口を大きく動かして声を張り上げ、何か叫んでいる。その男から少し離れた所でも――あおまきがみ、あかまきがみ、きまきがみ―と別の男が連射するように発声している。その斜め前の女性が――なまむぎなまごめなまたまご――と繰り返しているのを聞いて、すべて早口言葉だと理解できた。思わず笑ってしまったのは、リズムを取るように拳を突き上げ怒鳴るように同じ言葉を繰り返していた少し肥満気味の男のこと。自分の容姿を省みることなく――ブス、バスガイド、バス、ガスバクハツ――と何度も繰り返しているのである。
僕が笑いを堪えきれずにいると「いいですね、こんな天気のいい日に競馬ですか」と話しかけてきた。バリトンの良く響く声である。僕は「シャドウボクシングで減量ですか」と茶化してみせた。早口言葉を練習していた他の連中から笑い声がもれた。
「アナウンサー養成校の課題なのです」
そういえば彼ら彼女達の持ち物が全て同じだ。双眼鏡に蛍光ペンで色とりどりに塗り潰された出走表と競馬専門紙。マークしてあるのは出走枠の色。1枠は白、2枠は黒、3枠は赤、4枠は青、5枠は黄色、6枠は緑、7枠は橙色、8枠は桃色という具合に。そして自分の声を録音するためのテープレコーダー。まさか早口言葉を録音するのではと思ったが、そんなことは学校で済ませるか、自宅でも出来ることだ。アナウンサーの卵達は1レースから実際に競馬の実況中継を行ない始めた。

夢競馬の人々(140)  葉山 悟

  • 2013.04.20 Saturday
  • 14:35
今日は一ヵ月に一回巡って来るN競馬場の本場開催日だ。
現在地方競馬場は日本全国に15場あって、毎日何処かで開催されている。僕の住んでいる地域では四つの競馬場が一つのブロックを編成していて、相互の馬券を販売している。本場開催以外の競馬場が場外発売所になるわけだ。年金さんなどの話を聞くと、昔は25以上もの競馬場があったという。
開門されると通路両側に警備員の姿と共に競馬場職員の顔が見える。
「今日は随分早い出勤ですね」
いきなりポンと肩を叩いてきたのは警察官あがりの警備室長だ。室長は僕にファンサービスで配布しているスピードくじを差し出すと、「きっと良い事がありますよ」とウィンクして見せた。手の中を見ると一人一枚のスピードくじが5枚も入っていた。
出迎えの列の真ん中辺りに場長の姿も見える。大崎会長が亡くなって以来久々にその顔を見る。もっとも僕がこんなに早い時間に競馬場に来ることは無いから当然だ。
入場者数は三千人から五千人の間。これも年金さんの記憶によると、バブル絶頂期には二万人近くの客が入ったという。場内はまさに芋の子を洗う混雑ぶりで、馬券を買うのも一苦労だったらしい。どこの窓口も長蛇の列で、販売締切時間を延長するのは当然の事だったのだ。
入場して50メートルあまりの所にパドックがあって、背景に電光掲示板がそびえたつ。少し前までは、大きなボードに作業員が書き込みをして、レースの度ごとに書き直しをしていたものだ。野球場の得点ボードや選手名の掲示板に数名張り付いていて、ボードを入れ替えたり、書き直しをしていたのと同じである。
客の多くが本館スタンドに吸い込まれて行く。五階建てのスタンドに直結しているエスカレーターがあるからだ。レストラン<服部>がある最上階の特観席は、本場開催日に限り二千円もとる。一ヵ月に一度の開催日は月曜日から金曜日までの五日間開催。土、日の週末は中央競馬が開催されるためお休みだ。
一周1600メートルあまりのダートコースは、楕円形で直線が長い。コースを隔てた向う側に青い屋根の家が密集している。厩舎をはじめ競馬関係者の住居となっているエリアだ。いわば一大競馬村なのだ。ダートコースとそうした家々の境界には桜や欅の並木が広がり緑が絶えることが無い。

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