続・宇宙の外には何がある?   ハッタリスト

  • 2013.02.28 Thursday
  • 23:59
2011.07.23 宇宙の外には何がある?  ハッタリスト
の続きです。

偶然、
「宇宙に外側はあるか」松原隆彦
という本を見つけたので読んでみました。

感想は、なんか知りたかったことと違う、です。

なんでなのかと思って考えてみたところ、どうも僕の問題設定があいまい過ぎるせいだという気がしました。
僕は宇宙宇宙ってやたらと書いていますが、おまえの言っている宇宙とは何のことなのかと。
僕が前回自分で書いた通り、僕が言うところの「宇宙」は「空間の広がり」と同じだと見なされているようですが、そういう定義でいいのかと。

専門の人にとっての「宇宙」とは、おそらく構造を持ち誕生して時間発展して消滅したりしなかったり、そういう何かだと思われます。
僕がなんとなく言っている宇宙よりもずっと具体的なものを指しているから、必ずしも僕の問いとは対応しておらず、よって「知りたかったことと違う」という感想へ至る。

この感じはわかります。
これも前回の内容ですが、「観測可能な相互作用の場のことを空間と呼んでいる」と僕は書いています。
「空間」とは何かと聞かれると困るという人は多いかもしれませんが、この言葉は物理用語として具体的な意味を与えられているので、僕には「空間」のイメージがはっきりあるのです。
だから、僕にとってよくわからない「宇宙」を「空間」に寄せて類推しようとしたのではないでしょうか、僕は。

より具体的な「宇宙」に対して「宇宙の外には何があるか」と問うならば、それは「宇宙として存在しうる構造はどのようなものがあるか」という問いと「観測可能か否か」という問い、さらに「観測とは何か」のミックスになるようです。
これが僕の知りたかったこととは違うというなら、一体僕は何を知りたいのでしょうか?
それがよくわからないのです。

「求めるものを明らかにすることすら他人にゆだねて今すぐ自分を納得させろというのはないものねだり」であると、誰かが言っていました。
何を知りたいのかわからないけど、この本さえ読めば全部答えてくれるに違いない、などと考えてもそうはいかないのです。

そういうわけなので、僕やあなたの問いは、たぶんもっと違うかたちに設定できるのではないかと思います。
いずれそれができた時にこそ、解くべき問題を解きましょう。

【テーマ】本との出会いっていうのは一期一会なんですよ   ハッタリスト

  • 2013.02.28 Thursday
  • 23:06
僕の本棚にあるけど、まだ読んでない本。

「快感回路」デイヴィッド・J・リンデン
「百舌谷さん逆上する(8)」篠房六郎
「原発訴訟」海渡雄一
「外国人労働者新時代」井口泰
「市場を創る」ジョン・マクミラン
「最新音楽の科学がよくわかる本」岩宮眞一郎
「『アラブの春』の正体」重信メイ
「コンピュータ将棋の進歩(6)」松原仁

読めよ。

買ったのではなくて借りている本も混じっていますが、なんで買うばっかりで読まないかといえば、それはやはり保護とか予約とか、そういう感じですね。

本屋でこれ読みたいという本に出会ったとしても、そこで買わないともう二度とその本を手に取る機会は訪れないに違いない、と思うことがしばしばあるわけで。
ならば、本屋から自宅の本棚へ移動させてしまえば、後はもういつ読むかの問題であって、読むか読まないかの問題にはならないであろうと、そういうつもりです。

そういった出会いの中でも、これは自分のために書かれた本だ、みたいに思うこともあったり。

「宇宙に外側はあるか」松原隆彦

これやん。

このこれやん感が伝わらない人は、
2011.07.23 宇宙の外には何がある?  ハッタリスト
を読んで出直すべきですね。

そういう本を見つけたら、値段がいくらだとか内容がどうだとか、もうそれはいいんじゃないですか。
買ってから考えればいいことです。

ついでに言うと、「宇宙の外には何があるか」っていうのは元々僕の問いではなかったわけですが、それを問われたときから僕の問題になったわけです。
それを問うた人がどういうつもりだったのか僕にはわかりませんが、たぶんその人にとってよりも僕にとってのほうが重要な問題になっています。
興味からではなくて、意地とか見栄とか、そのようなものです。
むしろ、僕に質問をしたその人はとっくの昔に関心を失っているくらいでも構わないのですが、そういう人にこそ、どうだ調べてやったぞと言いたいような。

だから、本との出会いっていうのは一期一会なんですよ。
そっかあ。

【テーマ】本  がりは

  • 2013.02.28 Thursday
  • 03:50
学生の時からの付き合いだからもう十年以上になる。
あいつとは他に何をするわけでもないが随分色々と話をしてきた。
他の奴とはビリヤードをしたり飲みに行ったり麻雀をしたりのたりのたりしてきたが、あいつとはそんなことは一切ない。
コーヒーと話だけ。
博覧強記傲岸不羈。
がりがりに痩せて紙のように白い男。
圧倒的な知性と自信でほとんど人を寄せ付けないあいつと俺以外の誰かが話しているのをほとんど見たことがない。
机が広くて平らだからという理由でファミレスを好み、いつも何冊もの本と紙の束をそこに広げていた。
読んでいる本は雑多で、いわゆる古今東西のクラシックを始めとして医学・物理・化学・数学・経済の専門書から純文学、ミステリ、官能小説、漫画、果ては料理本や写真集や絵本まで。
言語も日本語だけでなく英語はもちろんフランス語、中国語、ドイツ語、ヒンディー語。
面白くもなさそうな顔で読みふけっている。
読みながら何かを紙束に書きつけている。
「僕はね、世の中の理を知りたいんだよ。知らないなんて我慢ならないんだよ。」
あいつの口癖だ。
高校の時から天才と呼ばれ、大学では哲学をやっていたようだ。
大学院に進学すると思っていたらさにあらず。
かといって就職もせず。
朝から晩までファミレスで本を読んでいる。
俺が前に座ると
「世間の話をしてくれ。ここからじゃなかなか見えない」
と言っては俺の本当に他愛もない話をほうほうと聞いてくれる。
相槌は「ほうほう」だけなのだが、数十種類の「ほうほう」を使い分けるあいつと話すと不思議と自分の話が面白く思えた。
ファミレスなので俺はパンケーキやチョコサンデーなどを頼むのだが、あいつはコーヒーだけ。
腹はすかないのか、と聞くといつも曖昧に笑っていた。

「今読んでいる本の話をしてくれよ。」
いつも俺はせがんだが
「もうちょっと、もうちょっとで咀嚼できるから。」
といつも話してくれなかった。

俺が就職してあいつの前に座る時間も随分減った。
その間もあいつがファミレスで本を読みふけっていたこと容易に想像がつく。

仕事中に病院から突然連絡があって、あいつが倒れたという。
紙束に俺の連絡先がダイイングメッセージのように書かれていたらしい。

あいつはベッドの上に座って本を読んでいた。
「何があったんだよ。大丈夫か。」
「大丈夫だ。ちょっと咀嚼できなかっただけだ。」

あいつは読んだ本を1ページ1ページ食べていたらしい。

「昭和の苦学生じゃあるまいしやめろよ。腹壊すぞ。」
「俺には時間がないんだ。一度読んだものを忘れている暇はないんだ。もうちょっとでわかるんだよ。」

衰弱しきったあいつは強制的に入院させられた。
俺は一週間後にお見舞いに行った。

病室のベッドには細かい字がびっしりと書かれた紙の束だけがあった。
あいつは今朝突然姿を消してしまった、と看護婦が怒っていた。


紙束を持って帰ってきた。
読んでしまうとあいつのことはもう二度と見つからない気がして、もう何か月も机の上に置いたままだ。
時々俺の身の上に起こった話をその紙束に向かってすることがある。
ほうほう、という相槌を期待して。
まだ返ってきたことはないが。

夢競馬の人々(127)  葉山 悟

  • 2013.02.27 Wednesday
  • 23:43
「そのギャンブルに引きずり込んだのが僕だとおっしゃりたい訳ですね。それは絶対に違います」僕は少し気色ばんで、声が高くなっていた。
「僕が競馬をやる事は誰も知りません。プライベートな自分と競馬場の僕とでは全くの別人です。僕は競馬をやる事、つまりギャンブルにとりつかれた人間を恥だと考えています。
その恥ずべき行為を他人に押し付けたり紹介するような事は間違ってもしません。それを前提にして競馬場には匿名のギャンブルという病にとりつかれた人間が吸い寄せられてくるのです。人間は額に汗してコツコツ働いて、今日そして明日の糧を稼ぐのが一番です。その簡単な、しかしすごく奥の深い原理原則が見えてきたのは、競馬にのめり込んでどうしようも出来なくなった時でした。最近ようやくこうした病に対するアプローチが施されるようになってきましたが」
片山さんが我が意を得たとばかりに大きく頷くと、ぽつりと言った。
「何とか依存症、そうギャンブル依存症という精神的な治療のことでしょう?」
毎日同じようなどぶ鼠色の背広を着用し、ひたすら黒板に向かって難解な数式を解いていた中学の数学教師が、競馬をやることを知っていた人間はいたのだろうか。文字通り肉体を駆使して無数のアルミ缶を収集し、コツコツ稼ぎ出したお金で馬券を購入していたホームレスがいたことを覚えている人はいるのだろうか。対立する組織ばかりか警察権力からも狙われているヤクザの大親分が、三度の飯より競馬が好きだったと言う事実を信じる人はどれぐらいいるのだろう。人は競馬場に来ると誰もが別人になり、通常の自分から解放される。全く別の視点からいえば、病膏肓にいるとはこの事を指すのだろう。
「叔父様、たしか佐藤さんは病を患って間違って私たちに投資したとおっしゃってましたね。よろしければその病について、もう少しお話いただけませんか」
「なにが切っ掛けか原因が分からんのですが、物事を深く突き詰めることや、理論だてたり原理原則に基づいて何かをしようとする事が出来なくなったのです。仕事で幾つかのミスが重なり、会社から半ば強制的に病院に連れて行かれ休職を余儀なくされたのです。いわば精神科の領域の病だと思います」

夢競馬の人々(126)  葉山 悟

  • 2013.02.27 Wednesday
  • 23:42
「あなたがHさんでいらっしゃいますか?秀隆から天才的な人がいるって聞いていました。何でも馬の言葉や馬が発するオーラを理解することが出来るらしいですね」
佐藤さんの叔父は開口一番、柔和にあくまで友好的に語りかけてきた。僕の経験ではこういうタイプが一番油断がならない。満面に笑みを見せているのに眼だけ笑っていないのだ。
「秀隆に競馬を教えたのはHさん、あなただったのですか」
「いえ、佐藤さんと知り合ったのはF競馬場です。佐藤さんと僕とは年齢も離れてますし、教える立場になんかありません」
ファミリーレストランに片山さんの奥さんと僕、そして佐藤さんの叔父の三人が集まった。
叔父は少し周りの席を気にするように見渡すと声を落として続けた。
「あなた方だから本当のことをお話します。いわば佐藤家の恥をさらけ出すのですから、どうかあなた方も誠意を持って受け止めていただきたい。私の口から言うのもなんですが、
秀隆は優秀なエンジニアでした。過去形でお話しなければならない点が悲しくもあり、悔しいのです。実は休職中だと思っていた会社は既に退職していました。一部上場企業の一級建築士として30年近く勤めた会社でした。その会社も辞め退職金も全て使い切り、佐藤家に代々伝わる土地まで売却して、その代金まで競馬につぎ込んでいたのです。私が気付いた時は既に手遅れで、今や住まいも賃貸アパートの有様です。今日こうして御足労頂いたのは二つのことが知りたかったからです。最初はサラリーマンが一生かけて稼いだお金、それに一族が守り伝えてきた土地の莫大な売却代金の行方が分からなかったのです。秀隆を問い詰めても、株だ、ファンドだ国債だなんて口から出まかせで本当の事を言わないのです。ふとしたことから片山競馬サークルへの出資債権が見つかったものですから。これを問い詰めて、ようやく競馬で使ったって事が分かった訳です」
片山さんが卓上のベルを押しウェイトレスにコーヒーのお代わりを依頼した。僕は少し目眩にも似た途方もない虚脱感に沈んで行くような感じにとらわれていた。退職金と土地の売却代金を合わせると一体幾らになるのか。叔父は決断したようにきっぱりと言い放った。「今更、やってしまった事についてとやかく云々しても仕方ありません。一つ目は酒どころか煙草すらやらなかった人間がどういう事で、何が原因でギャンブルにはまって行ったのか、と言うことです」

明るい悩み相談室PREMIER(79)〜プロとして結果を出し続けるために〜 がりは

  • 2013.02.26 Tuesday
  • 08:06
明るい悩み相談室PREMIER、本日の担当医がりはです。
こんばんは。
今日はどうされましたか?

「レギュラーをやってみて大変さを感じました。二週間に一回をこなしていく秘訣はありますか?あるいは、もっと小説のアイデアが浮かぶように、頭の柔軟さを得たいです。」

ほうほう、それはお困りですね。
いまとなってはもう慣れたでしょうけれど、答えないのも不人情ですし、お答えしましょうね。
二週間に一回を「こなす」と書いているあたり、まだ根性が据わっていない雰囲気が感じられますね。
毎回毎回真剣勝負ですよ。
二週間に一回とは言わず、ここでは継続して結果を出していく方法に関して考えてみましょう。
爆発的にいいものができた時に参加する、これがゲストの参戦の仕方です。
タレントでいうところの一発屋と呼ばれるジャンルの人たちと似てますね。
ゲストの強みはこういうところにあります。
水準以下だとハッガリーニが掲載を許可しないでしょうし、何より読者にとっての新鮮さが違います。

レギュラーはというと初期メンバーを除くと皆ゲストの時代があり、そこで目覚ましい活躍をしたのちにハッガリーニのお願いをきく形でレギュラーに就任しています。
始めはその目覚ましい活躍のイメージがあり、書きさえすればいくらででも最優秀作品賞が取れると思っています。
だって実際取ったかそれに準ずる成績を収めているわけですから。
でも難しいんですよ、そこからが。
あまりの難しさに天才ハッタリストが「最近は自分の書きたいことを書くことにしています」と言い出す始末。

レギュラーに求められているのは継続的に質の高い作品を送り出すことです。
それは爆発的なサムシングではなく、もっと静かで鈍いサムシングです。
天啓があって書くから天啓が降りてくる方法を考えるアプローチではなく、天啓がなくても何とか書いていくアプローチが求められています。
好不調関係なく一定レベル以上の仕事をするにはひたすら書くしかありません。
書いて書いて書いて、書かないと体の調子がおかしくなる、というレベルにまで達すれば結果的に書けているわけです。

最初の一文が出てくればかけるのに最初の一文がどうしても・・・と悩んだ時期が私にもありましたし、今でも時々書けないなあ、と弱気になることもあります。
そんな時はこう思うことにしています。
天啓なんかねえよ。
神は死んだ。
カミュも死んだ。
俺たちは人間のできることをやるだけだ。
さっさと書け。

※明るい悩み相談室PREMIERではあなたのお悩みを受け付けております。
ブログにコメント、投票時にコメント、ハッガリーニにメール、電話、伝書鳩、のろし、などの手段でどうぞ。
ちなみに投票時のコメントでのお悩みには必ず回答いたします。

【テーマ】好きな女性キャラとか byたりき

  • 2013.02.25 Monday
  • 23:53
マンガの登場人物のランキングとかってよくありますよね。
かっこいいとか、かわいいとか、それだけではなくて兄弟姉妹にしたいとか。
そんな記事を見かける度に、自分が知っているマンガの登場人物が出てくるか世間の意見が自分のものと同じかどうかと気になって見入ってしまいます。

ということで、今回は私がこれまでに読んだマンガの中で特に好きな女性キャラについて書いてみようかと思います。
人に比べてどれくらいマンガを読んでるかとか、どんなジャンルを読むかとか、まあいろいろ意見はあるでしょうがそれは一個人の意見ということで。
ほんとははじめは勝手にトップ10とかにしようかと思っていたんですが、結局は2人だけ紹介することになりました。
いろんなマンガを思い浮かべて「あのマンガならこのキャラかなあ」とかは考えたりはしたんですが、このテーマで書くことにしてぱっと浮かんだのがこの2人だけだったので。
それだけ、今回の2人が私の中でぶっちぎりで好きということになるかと思います。

まず1人目はめぞん一刻の音無響子さんです。
主人公の五代裕作が下宿するアパート「一刻館」に管理人として働く未亡人。
作中で五代くんが言っている「いくつになっても年上の女性にあこがれます」というのはほんとに納得。
(余談ですが、先日飲み会で「男はいくつになっても子どもだよ」といったことをある先輩言ってて。その人は3人の子どものお母さんであり、10歳くらい年上の旦那さんがいる人のため説得力がすごかったです。)
しかし、年上なのにやきもち焼きで天然で、でも年上らしい優しさも当然持っている響子さんに惹かれてしまうのは仕方がないですよね。

2人目はサザンアイズのパイ。響子さんよりもさらに好きな女性キャラです。
見た目は10代の少女に見えるけれど、実年齢は300歳を超える妖怪。額に第3の眼があってその眼が開いているときは別人格となります。
個人的にはその人格を分けて考えるのはおかしな感じがするのですが、ここでは第3の眼が閉じてる状態の人格についてとします。
脳天気で無邪気で優しくて、人の懐にすっと入っていけるという彼女のその性格というか性質が好きなんですよね。

響子さんとパイの魅力についてまったく語れていない説明になってしまったかもしれませんが、先に書いたように女性の登場人物としては圧倒的なのがこの2人です。
もし興味を持ってこれらのマンガを読んでみてくれたらありがたいですね。当然ながら、他にもたくさん魅力的な登場人物がいますし。

最強のサンダル その4  Mr.ホワイト

  • 2013.02.24 Sunday
  • 23:54
私はあまり服を持っていないが、たまに良い服を買うときは音楽的な服を買う。
仕事で着ているスーツのうちの一着はティモシー・エベレストというブランドのものだが、
このブランドのテイラー、ティモシー・エベレストはトミー・ナッターの弟子である。
トミー・ナッターはビートルズやローリング・ストーンズのスーツを手がけた人物。
そういうわけで、私はブリティッシュロックな気分で日々仕事をすることができる。

ファッションが機能だけではない、と書いたのはこの「気分」のことである。
さらに言えば、ファッションは単に格好つけるためのものでもない。
ファッション好きは格好良く見られたいから良い服を着ているというよりも、
そういう服を着ている「自分」を作りたいがゆえに良い服を着ているのではないかと思う。
つまり重要なのは他人の目ではなく、自分の「気分」がしっくりくるかどうかなのだ。
間違ってはならないのは、服は自分の外にある何かではなく、自分の一部だということである。
あなたはシャツを着て、その上にジャケットを着ているとしよう。
想像してみてほしい。他人があなたのジャケットの肩をポンと叩く場合と、
他人があなたのジャケットの内側に手を入れ、内のシャツの肩をポンと叩く場合の気分の違いを。
後者の場合、まるで「自分」の内側に入られたように気分が悪くなるはずだ。
意識の外延性は、自分の肉体から服を含めた「からだ」へと自意識を拡大させる。
この意味で、服を着るということは「自分」をつくることに他ならない。
ファッション好きは、寒さを我慢してでも自分の好きな服を着る。
それは、彼が彼であるために、彼女が彼女であるために必要なことなのだ。

ファッションに興味がない人は多いが、服を着ていない人はいない。
服の特殊性はここにある。誰もがファッションの問題に無関係ではいられないのだ。
服は安ければそれでいいというのも、服に対するひとつの姿勢となってしまう。
服は毎朝、私たちに問いかけてくる。今日のお前はそれでいいのかと。
一生終わらない問答を楽しむのも、人生のひとつの面白さかもしれない。

小さなブリッジも封鎖できませーん! byアフリカの精霊

  • 2013.02.23 Saturday
  • 22:46
「このはし、わたるべからず」
「はしがダメなら真ん中を通ればいいじゃん!」
「さすが一休さんだ!」
本物の一休さんは言っていないだろうが、少なくても日本人はこの話などを聞いて「一休さんって賢い人なんだろうな…」
と思っている人が多いのではないだろうか。

現代においても橋の通行を封鎖することは難しく、警察の力をもってしてもレインボーブリッジが封鎖できないことはみなさんもご存知だろう。
この一休さんにおいても時の将軍様が書いた立て札を持ってしても不可能だったのだ。

しかし、かの嘉門辰夫さんの言われるように、この話には疑問がないわけではない。
つまり、これは屁理屈でしかないということであり、現代において同様のことを言ったとして評価に値するだろうかということである。
こんな話を聞いて「さすが一休さんだ!」と評価する大人もマズイのではないだろうか。

仮に立入禁止の看板があるところに子供が
「立ってはいるのがダメなら座って入ったらいいじゃん」
と言って侵入したとしてその子供を
「さすが、この子は賢い子だ!」
と評価するだろうか。
もし評価する大人がいたとすれば相当な親馬鹿と言われるのだと思う。

権力に逆らいすぎているところも戴けない。
確かに権力に逆らうことが一部においてカッコイイと評価されうる。
しかし相手は将軍である。
「またぐなよ。またぐなよ」と先輩に言われたラインを簡単に踏み越えることができるだろうか。
社長の名前入りで「立入禁止」と書かれている会社の部屋に平然と平社員が入れるだろうか。
この時代の場合、将軍の命令で書かれた立て札の言葉に逆らうことは命に関わる重大な反抗と言える。
権力に逆らうということはあらゆるリスクも考えないといけないことである。
それを何も考えずにすることを評価することができるのだろうか。

なんだか、一休さんって周りにすごいすごいと言われているうちに、刷り込まれてしまった評価なのではないでしょうか。
実際に現代でやると屁理屈でしかないし、権力に逆らうことが面白く思えるみたいであり、アニメ自体は児童福祉の推薦番組みたいになっていたようだが、あれを見て子供の成長に役立つのかはものすごく疑問に思える。
逆に屁理屈を言ったり、権力に逆らうことを良しとする児童福祉には適さない番組なのではないだろうかと思う。

もちろん、子供のアニメだからそこは大人が子供にやり込められる場面を面白く見て、大人であろうとも子供に意地悪をしようとすると報復を受けることになるということを教訓めいて主張したいとも取れる。
しかし史実でないにしろ、この主人公一休さんが「このはしわたるべからず」の話から偉大な人間だと評価されることがあってはいけないと思うのだが、いかがであろうか。

Soul station by Mr.ヤマブキ

  • 2013.02.22 Friday
  • 00:00
 暗転したパソコンは電源のライトを青く明滅させている。いつの間にか眠っていたらしい。歯を磨いて、ベッドに入る。夜の闇が僕を包む。深い闇は僕の魂をゆっくりと溶かし出して、捉えて離さない。闇は死ぬほど深いが、その先にあるのは死では無い。何も無いのだ。空虚。広がる空虚に襲われて、ベッドに潜ってうずくまる以外にやり過ごす方法が分からない。そして、ようやく眠りが追いついてくれる。

 昼に目覚める。差し込む日光の変わらなさで体が気怠い。夕方からのバイトはあるが、シャワーを浴びるのすら面倒だ。床に落ちた参考書を取る。公認会計士の資格を取る、そのための生活だ。普通なら働いている年齢だとしても、僕はこれでいいはずだ。勉強のための正当な日々。この参考書を開けばいい。

 何度も線を引かれた参考書を読んでみるが、三十分もすれば飽きてしまう。気分転換に外を眺める。風景の真ん中に駅があり、線路は東西に伸びている。今出た電車で、誰かはこの街を出る。今来た電車で、誰かはこの街にやって来る。線路の果てには何があるのだろう。

 風景と参考書を交互に眺めているうちに、夕方になっている。線路の向こうに夕陽が沈んでいく。一日が終わりを告げる。次の試験までの時間が一日、また一日と減っていく。とろけるような真っ赤な夕陽は希望と共に沈んでいく。

 バイト先では誰とも話さない。客との形骸化したフレーズを口にするくらいだ。時間が過ぎるのをただ待つ。友人と会うことも無く、だから、ほとんど誰とも話さない。唯一、彼女だけと言っていい。バイト後に電車で彼女の家に向かう。仕事が終わってさっき帰ったばかりの彼女が簡単なご飯を作ってくれる。

「今日は勉強したの?」
「ん?うん」
「ちゃんと勉強しないと」
「だから勉強したって言ってるだろ!」

 つい声を荒げてしまう。

「なによ。もう何回目?今度は受かるんじゃないの?ねえ、しっかりしてよ」
「うん、分かったよ。大丈夫だってば」

 そのうち、気まずい沈黙をどちらかがほどいて、甘い匂いに包まれる。心に燻りかけた火は付かない。

 スーツの彼女と坂を下って駅へ着く。彼女は東へ、僕は西へ乗る。降りるべき駅が来てもこのまま乗っていたかった。だが三駅ほど過ぎた所で時間の浪費だと思い、真っ直ぐ家に帰る。手も洗わず、ただ参考書と電車の行方を交互に眺め、夕陽が沈むのを待つ。

 一週間後、うちに来た彼女が別れようと言う。

「会社の人と前から付き合ってたの」

 僕はベッドで背を向け、何も言わない。

「なんで?どうして怒らないの?……もう、どこにも行けないわ」

 空っぽになった部屋に電車の音が響く。その方を向く。夕陽は沈もうとしていた。僕の魂。あんな風に真っ赤に溶けて、どこかへ流れだそうとしている。耳元がざあざあと煩い。魂がもがいている。あの電車の行きつく果て、どこかにあるはずのSoul stationへ向かおうとして。だがもう、切符はない。彼女は去った。僕が彼女ごと世界を台無しにしてしまったのだ。もう遅い。僕の魂は僕の言う事しか聞かない。そして夜の闇が訪れる。

 誰にも救えない。
 どんな神様にも救えないのだ。

 誰も救えない。
 誰も救えない。

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