ウィークエンド日和!!  ミスターピンク

  • 2012.08.31 Friday
  • 23:42
ハタハッハッ、みなさま、ご機嫌いかがですか?
ミスターピンクでございます。
ご覧の通り、私のご機嫌はなかなかにゴキゲンでございまして、それというのも、あ、イヤイヤ、こちらでお話しするようなことでもございませんでしたな、ハタハッハッ。

やはり週末は日曜日より土曜日、土曜日より金曜日の夜、まだまだ休めると思えば思うほどに愉快、明日と明後日とついでに今夜を含めるとたぶん何でもできるとこう思われますが、明後日の夜には、ああ、あんまり何もしなかったなってなことになる可能性はけして低からぬことも経験上覚悟の上、しかし可能性を語るなら、それこそ今まさに無限の可能性を手にしていると言うべきでしょうな。

たとえば!
夜中に目が覚める。深夜の3時であったり。
その時何を思うか、私ならこうですね。
やった、まだ3時だ!これからまだまだたっぷり二度寝できるじゃありませんか、しかも眠りにつくまでの時間は空想妄想何でもあり、誰にも邪魔のできない私のエンペラータイムと呼んで差し支えないでしょう。ありがてえありがてえ。

またたとえば!
目の前で快速電車が出てしまった。各駅停車に乗るしかない。
やはりこうですね。
乗れなかったものは仕方ない?いやむしろこれこそ僥倖、快速と普通を並べてさあどちらに乗りますかと尋ねられたらさすがに快速を選ぶにやぶさかではございませんが、こうして乗らざるを得ない機会を得たからにはガラガラに空いてる各駅停車でゆったり陸の旅、余裕たっぷりの道中は本を読むも音楽を聞くも空想妄想にふけるもよし、まさに贅沢、エンペラータイムと呼んで差し支えないでしょう。ありがてえ。

そしてたとえば!
急に雨が降ってきたのに傘がない。駅ビルで雨宿りでもするか。
もうお分かりですね。
駅ビル最高!あるいは、新しい傘が買えて最高!それとも?ずぶぬれ最高!
エンペラーありがてえ。

つまり?
これらの事例から何が分かるかと申しますと、人生って最高でございますね。
なんて話ではなくて、私がゴキゲンだってことがよく分かるでしょう、そうでしょう。
不機嫌ならそりゃあもう、シット!夜中に目が覚めるわ電車に乗り損ねるわ雨にまで降られて踏んだり蹴ったりの今日だったが、そんなことは新品のCDパッケージの包装がなかなか剥がせないってのと同じくらいどうでもいいってことにはその日に俺が家に帰ってから何が起こったかを聞いたらすぐにでも同意すると思うぜ、くらいのことは言うでしょう、そりゃあもう。

だから!
あなたもゴキゲンで週末をお過ごしください。
ハブアナイスウィーケン!

明るい悩み相談室PREMIER(46)〜キャラバンとは何か〜 がりは

  • 2012.08.31 Friday
  • 23:39
明るい悩み相談室PREMIER、本日の担当医がりはです。
こんばんは。
今日はどうされましたか?

「がりは先生にとってのキャラバンの意味を総括してもらえませんか。これからのロードバイク人生の参考にします。」

今回当番がたまたまわたしですからね、大丈夫ですけれど当相談所は個人医院ではありませんのでその時当番だった者が回答いたします。
ご了承くださいね。
とはいえ、ご指名いただいて悪い気はしません。
私も嫌いなほうではないので。

総括、というと連合赤軍かという突っ込みをしたくなりますが、まずはあなたの言うキャラバンと私のキャラバンが違っていると何の意味もなくなってしまうのでキャラバンの説明からします。
キャラバンとは、日産のバンのことでもなく、砂漠の隊商でもありません。
偉い人が全国各地を回ってキャンペーンをすることでもありません。
「香木で作った盤のうち高級なもののこと。沈丁花を加工した沈香を将棋や囲碁の盤に加工したものを沈香盤と呼び、沈香の中で高級なものを特に伽羅盤と呼ぶ。現存する最古の伽羅盤は東大寺正倉院収蔵の蘭奢待盤。」
そう、これがキャラバン。
これさえあれば国一つ買えると言われた伝説の盤ですよ。

あ、違いましたか。

キャラバンというのは簡単に言うと大阪大学将棋部に突然発生したムーブメントで、普段使っている自転車(ママチャリ)ですごく遠くまで行くものです。
大事なのは普段使っている自転車、つまり日常の延長としてすごく遠く、つまり非日常に飛び込む営みです。
私が参加したキャラバンは以下の通りです。
第一回〜猪名川の源流を求めて〜
第二回〜奈良の大仏を探して〜
第三回〜本物の伊勢を訪ねて〜
第四回〜琵琶湖の大きさを知りたくて〜
第五回〜姫路と神戸どっちが遠いか知りたくて〜
記憶が一部あいまいで、天橋立の時はなぜキャラバンで行かなかったのかが思い出せないのですが、この五回は今の私を形作る大きな要素になっています。

キャラバンは元々が無理・無茶・無駄の三拍子そろった企画です。
それでもなおやってよかったと思うのはキャラバンは人生の縮図であり、我々を短期間で成長させ、何年たっても錆びつかぬ鉄の結束を作ってくれたからです。
なぜそんなことができるのか。

1. 将棋部のひ弱な人間が集まって体力的にきついことをやる。自分の設定した限界を周囲の仲間の叱咤激励によって突破していく体験を何度もできる。
2. 真夏に行われるキャラバンでは夜に山中を走ることも多い。一列になって走るから後ろの人間は前の人間を信頼して走るしかない。根拠なく人を信じるというのは人生を豊かにする。
3. ナビもスマホもない時代のことだったので道に迷うこともある。パンクもよくある。そのような突発事態に際し各人が仕事を見つけてチームを良い方向へ導く、という体験ができる。
4. ストレスフルな環境で機嫌よく過ごす術が自然と身に付く。

ただこれはロードバイクが趣味の人がロードバイクが趣味の人を集めてやっても得られる体験ではないと思います。
同じキャラバンにいても得られたものは各人違うはずです。
十人十キャラバン。
未熟な我々は大きな怪我くらいは覚悟していました。
怪我をしないための方法を必死に考えました。
走りながら掛け声をかけあって集中力を保ち、信号ごとに「カマ」と声をかけました。
「カマ」は「構うことはねえ。突っ走れ。」の略です。

あなたはロードバイク人生を歩んでおられるということで、私の書いている意味でのキャラバンでは得られるものはほとんどないでしょう。
人は自分がある程度知っているものでは限界を超えて追い込めないものです。
あなたはあなたなりのキャラバンをあなたの仲間と探してください。
きっと見つかりますよ。

※明るい悩み相談室PREMIERではあなたのお悩みを受け付けております。
ブログにコメント、投票時にコメント、ハッガリーニにメール、電話、伝書鳩、のろし、などの手段でどうぞ。
ちなみに投票時のコメントでのお悩みには必ず回答いたします。

「それだけ」  byアフリカの精霊

  • 2012.08.30 Thursday
  • 23:07
今日は同窓会だ。
小学校卒業以来だから10年以上ぶりになるか…。
こういうことがあると、当日までの一番の楽しみはあれ以来会っていないクラスメイト達がどう変わっているかを想像することだ。
職業、容姿、結婚の有無…一部噂話で聞いているところを除いては全く知らない。
同窓会なんてそのギャップなんかを楽しみに行くことも楽しみ方の一つであろう。
仲の良かった友人、年老いてしまった先生、色々会いたい人はいる。
そんな中やはりどう変わっているか知りたい一番の人物は好きだった子ではないだろうか。
やはり想像の中では非常に美化されてしまう。
美化しすぎると、落胆が激しいとか言われるが想像してしまうので仕方ない。
そしてその想像通りであることに自信が持ててしまうので不思議な話である。

「何考えているの?」
そんな私の気持ちを読んだのか、彼女が聞いてくる。
「ああ、今日夜から同窓会があるだろ。同級生たちがどんなに変わっているかを見れるのが楽しみで…」
やましい気持ちはなかったし、間違ったことは言っていないはずだ、と自分に言い訳しながら私は自分の気持ちをぼやかして伝えた。
「わかった!当時好きだった女の子がどんな風に変わっているか見るのが楽しみなんでしょう!」
彼女としては冗談めいて言ったに違いない。
そ…そんなわけないだろ、とうろたえる自分を見たくてからかいの気持ちでいたことだろう。
しかし図星を突かれた自分は明らかに狼狽してしまった。
「ああ、そうかな。幼馴染でかわいかった子がいるんだ。どう変わっているか、楽しみで」
「…」
「…」
しまったと思った時には遅かった。
いくら強がりを言うとしてもこれはいうべきではなかった。
「そう…」
といったきり二人とも黙ってしまった。
そんな気まずい雰囲気のまま別れ、同窓会に向かうことになる。

やはり同窓会とはいいものだ。
会場に入る時こそ緊張すれども入ってしまえば、それは昔遊びあった仲間。
色々な人と話すたびに楽しい話ができる。
恰好も様々である。
普段着もいれば背広もいる。パーティドレスや和服などちょっと場違いな恰好もいるが、小学校時代には見れなかった恰好を見れるのは面白い。
そんな中、一人の女性が話しかけてくる。
「へぇ、変わっているかなと思ったら全然かわってないやん。」
昔と変わらず話しかける声には聞き覚えがあり、私が一番待ち望んでいた声であった。
「変わってないかな?お前はだいぶ変わったなぁ」
昔は、あんた⇔お前と少し乱暴に呼び合っていた仲であり、久しぶりながら失礼には当たらないだろうと思いそう呼んでみた。
いや、本当は昔の仲の良さを周りにアピールすると共に彼女にそのころを思い出してほしいという気持ちがあった。
「変わった?だいぶ綺麗になったでしょ?」
そういえばこんな軽口をいうヤツだった。
「うん。綺麗になった、綺麗になった」
2回繰り返すことでハイハイわかりました、貴方の言うとおりですよという雰囲気を醸し出し彼女と話す緊張をごまかしてみた。
ごまかしたものの、彼女は私の中で美化していたもの以上になっていたといっていい。
落胆するなんていうジンクスは当てにならないと思った。
「小学校以来連絡ないから忘れられていたと思っていたよ。声かけたけどわかってくれなかったらどうしようかと…」
少し涙目のように見えたのは気のせいだったのか。
同窓会に来て良かったと思える瞬間だった。
彼女との話も最初こそ緊張すれども話始めると昔話に花が咲く。
面白かった話、暴露話、修学旅行・運動会などの行事の話…。
誰かが卒業アルバムなんかを持って来ていて、当時は誰が誰のことを好きだったとか、実は同級生同士で結婚したなんて話もあったが、そんなみんなの輪の中にあっても二人で話していた。
そんな彼女との話がずっと続く中でも、私が敢えて聞けない話があった。
「今、どうしているの?」
この一言がどうしてもいえない。
先ほどの旧友を含めての話では「結婚しているの」「彼氏いるの」なんていう話が普通に出来たにもかかわらず、彼女との1対1の話においては不思議なほど聞けなかった。
彼女からも同様の質問はない。
同窓会においてこの質問がないことは不自然なことなのか、彼女からこの話題がないのは私と同じ気持ちがあるからなのか…
そんなモヤモヤした気持ちを抱きながら敢えてその話題を避けてとうとう会はお開きとなった。
駅まで歩く道も一緒だったにもかかわらず敢えてその話題を避けてしまった。
普通の時なら連絡先を聞くことくらい躊躇なく出来ていたし、また連絡するくらいは言えていたのにそれが言えなかった。
私の心までを小学生の恋愛のごとくチキンハートに小学生時代に戻す力が同窓会にあったのではないかと思い、苦笑した。
別れ際の彼女の表情が名残惜しそうであるように見えたのが間違いではないことを祈りながら帰途についた。

最寄駅に着くと帰りを待っていた人がいた。
「同窓会楽しかった?」
お帰りという言葉の前の第1声がこれである。
「うん。楽しかったよ」
本当に聞きたいことがあるにもかかわらず、遠まわしに聞こうとしていることに少し意地悪をしたくなり、敢えてそっけなく答えた。
「それで?それで?」
「それでって…?それだけだよ」
もちろん楽しかっただけではない。
この「それだけ」はウソだ。
はぐらかす私に業を煮やしたのか聞いてくる。
「例の小学校時代好きだった子に会えた?」
いよいよ核心をついてくる。
「会えたよ」
「綺麗だった?」
矢継ぎ早に聞いてくる。
私は余裕をもって答えた。
「うん。ものすごく綺麗になってた。想像以上に。小学生の時好きだった頃のイメージのまま綺麗になっていた。」
「ええっ…」
「でも、それだけだったよ」
今度の「それだけ」は本当だった。


竹島、五輪、天皇 その1  Mr.ホワイト

  • 2012.08.29 Wednesday
  • 23:54
竹島問題を含む一連の日韓外交問題を見ていて思うことがあったので、それを書きます。
しかし、日本はどうすべきだとか韓国はどうだとか言う気はさらさらありません。
この文章は政治を知らぬ一個人のあくまで個人的な感想でしかなく、
テーマは日韓関係ではなく、「天皇を崇拝しないわたしたちにとっての天皇」です。

さて、まずバトルの流れをあっさりまとめます。

 1.8月10日、李大統領が竹島を訪問する。
 2.8月11日未明、五輪サッカー男子日韓戦で韓国選手が竹島領有メッセージを掲げる。
 3.8月14日、李大統領が「訪韓したければ、天皇は謝罪しなければならない」と発言する。

大きく問題になっているのは、この3点と見てよいでしょう。
そして、自分でも不思議に思ったのがこの3点に対する自分自身の反応でした。
1・2については、一言で言えば「やれやれ」。ついていけないよと。これはいつもどおりの反応。
しかし、3については、我ながら驚くことに、ちょっとキレてしまったわけです。
首相に謝罪せよと言うならまだ許せるが、天皇に謝罪せよとは何事かと。これは許せんわけです。

はじめに言っておきますが、私は右翼ではありません。いわゆるネット右翼ですらありません。
むしろかなり激しい左翼教育を受けてきたほうで、高校になって初めて国歌を歌ったくらいです。
天皇を崇拝などしていませんし、正直言って天皇家に興味もありません。
そんな自分が「天皇謝罪要求発言」にキレるというのは一体どういうわけなのか。

ただ、「天皇謝罪要求発言」にキレたのは私だけではなく、多くの日本人がそうだったのではないかと思えます。
(ちなみに李大統領は、天皇は口で謝るだけでは足りず、罪人がするように「ひざまづいて」謝れと言ったようです。)
政治家達の怒りのボルテージも「天皇謝罪要求発言」で急激に上がったように感じますし、
たかが大学での講演の一部分だけを切り抜いてこれだけ報道するのですから、
非常に興味深いことに、この発言はどうしても日本人の気に障るものだったに違いありません。
多くの日本人は別に天皇を崇拝しているわけではないにもかかわらず、です。
(共感できない方、すみません。一応、周りの人に聞いてみたら共感する人ばっかりでした。)

竹島、五輪、天皇 その2  Mr.ホワイト

  • 2012.08.29 Wednesday
  • 23:53
なぜ、首相に謝罪要求ならまだ許せるのに、天皇に謝罪を要求することは許せないのか。
色々と考えてみましたが、単純化するとおそらく以下の3つがごちゃまぜになった感情ではないかと思います。

 A.天皇は神に近い存在なのに、外国のたかが大統領が命令していいわけはない。
 B.日本の象徴である天皇に喧嘩を売ることは、日本人全員(ひいては「わたし」)に喧嘩を売っているのと同じだ。
 C.天皇は何も悪いことをしていない(天皇に責任などあるはずがない)のに、なぜ謝らないといけないのか。

まず、A。
天皇が神に近い存在だという考えは古びていて、もはや一般的な感覚からは遠いと思われるのですが、
天皇には必ず敬語を使う特殊な文化の下で育った私たちの意識の底のほうで深く根付いているのかもしれません。
例えば、ローマ法王が天皇に謝罪せよと言うのと、韓国の大統領が言うのとでは、私たちのとらえ方は同じかどうか。
もしこの両者でとらえ方が違うのであれば、天皇の位の高さについて私たちが何らかの思いを抱いていることになります。
なんとなく、このような感情も多くはないにせよあるような気がしています。

次に、B。
なぜあなたはぶちギレたのですかと他人に聞くと、おそらくこのBのように答える人が多いと思います。
戦後、天皇は「神」から「象徴」へと変わったわけで、この変化は名目上は、
「私たちの神」から「私たちのシンボル(=分身)」への変化を意味します。
ですが、AとBは実質的にそれほど違うものなのでしょうか?
「私たちの神を冒涜したな!」と、「私たちの分身を冒涜したな!」と。
私にはこれは、ひどく似通ったことを言っているように思えてなりません。
どちらも、「天皇≒私たち自身」という不思議な投影が行われているのですから。
(逆に言えば、「首相≠私たち自身」ということです。)

竹島、五輪、天皇 その3  Mr.ホワイト

  • 2012.08.29 Wednesday
  • 23:52
最後に、問題のC。
実は、私がもっとも本質をついていると思うのは、このCの考え方です。
AとBはどちらも「神」とか「象徴」とか、あくまで頭で考えて出てきた理屈です。
ところが、私が強く思ったのは、今回のキレ方は理屈でキレてるんじゃないなということです。感情で怒っている。
私たちのハートが言っているのは、例えば漫画のワンピースにでも出てきそうな、こんなセリフなのではないでしょうか。
「オレらのことは何と言われても構わん、だがあいつのことを悪く言うのはオレらは絶対に許さねえ。」
私たちが自分を犠牲にしてでも守らなければならないもの。その象徴としての天皇ということ?

天皇は一体何者であったかを考えてみると、天皇はいつも中心の「空白」にいるわけです。
天皇は常に日本の国王として唯一の存在でありながら、しかし政治の実権を握ることはほとんどなく、
あるときは豪族や貴族が、あるときは武士が、あるときは平民が、またあるときは軍人が世の中を動かしてきたのです。
ここで重要なことは、彼らは必ずといっていいほど天皇を無視せず、天皇の「まわり」で動いてきたということです。
そして、歴史上のあらゆる権力者が、天皇(制)を滅ぼそうとせず(あるいは滅ぼすことに失敗し)、
天皇から権力を与えられるという構造を採用したがゆえに、天皇は王朝として世界最長の歴史をもつことになりました。
ここにあるのは「空白の中心と、そのまわりの実体」という奇妙な構造の確固たるバランスです。

このような構造は日本文化の特徴のひとつで、政治の話に限りません。
例えば、ヨーロッパの教会には十字架に磔となったキリストの像が必ず中心に置いてありますが、
日本の神社では本殿の空間そのものが神だったりするわけで、中心がないわけです。
会議好きの日本人がみんなで輪になって話し、結局のところ結論が出ないまま、
「話し合えて良かった」という感想を皆が残して会議が終わるのも、この構造にどこか似ています。

この「空白の中心と、そのまわりの実体」という構造は「輪」のかたちをなし、これが転じて「和」となります。
聖徳太子の十七条憲法の「和を以て貴しと為す」ほど、日本人の感覚を適切に表すものはなく、
偉い人が物事を決めるのではなく、話し合いで物事を決めるということを重視した日本人が、
「倭」を勝手に「和」に変え「大和」と名乗ったのもおそらくこの自意識からきたものでしょう。

竹島、五輪、天皇 その4  Mr.ホワイト

  • 2012.08.29 Wednesday
  • 23:45
話を天皇に戻すと、この「和」の中心の空白に天皇がいるということになります。
逆の見方をしてみると、絶対的な権力を持ってもいいはずの天皇が、
あえて権力を行使しない(実体を持たない)ことで、この中心の空白性が保たれているとも言えます。
いずれにせよ、この構造下では、天皇が日本の国家としての「和」を支えていると言ってよいでしょう。

政治におけるこの「輪=和」の構造のポイントは、強力な発言権をもつ中心や頂点を設けないことによって、
話し合いの場の公平性や集合性を保とうとする「話し合い絶対主義」にあります。
話し合いにおいて私たちが求めているのは「論理的に正解な解」ではなく「みんな納得する解」です。
ひとりの天才がどれだけ正しいことを言っても、みんなが納得しなければ日本では意味がありません。
みんなが納得するためには、みんなが話を聞き意見を述べる公平な機会と権利が与えられねばならず、
強力な発言権を有する存在は、話し合いという「場」の「空気」を壊すものとして敬遠されます。
まず話し合いを求めるからこそ、日本ではあらゆる意志決定が迅速に行われず、
政府の原発の対応は遅れ、経営者がリストラを始めるときにはもう手遅れという状況が常態化します。
そしてこの構造が有する問題は、意志決定の遅れだけではなく「誰が責任をとるのかわからない」ということです。

たとえば、哲学者の丸山真男は、明治憲法下の天皇制における無責任の体系を次のように述べています。
『(明治憲法下の体制は)「もちつもたれつ」の曖昧な行為連関(神輿担ぎに象徴される!)を好む行動様式が
 冥々に作用している。「補弼」とはつまるところ、統治の唯一の正当性の源泉である天皇を意思を推しはかると同時に
 天皇への助言を通じてその意思に具体的内容を与えることにほかならない。さきにのべた無限責任のきびしい倫理は、
 このメカニズムにおいては巨大な無責任への転落の可能性をつねに内包している。』

天皇は「思った」だけで、まわりの人間は天皇が「思った」ことに従って実行しただけだという論理。
天皇に大権が付された明治憲法下においてすら、天皇は「空気」であって責任が生じる主体ではない。
天皇は、「輪=和」を成立させるために必要な「空白=空気」としての巨大な中心であって、
「場」を安定させる役割を果たすものの、意思決定を行うわけではまったくありません。

竹島、五輪、天皇 その5  Mr.ホワイト

  • 2012.08.29 Wednesday
  • 23:44
まとまらないまま、ものすごく遠回りをしてきました。戻りましょう。
天皇謝罪要求がなぜ日本人を逆上させたか。先に私は次のようなセリフでその本音を例示しました。
「オレらのことは何と言われても構わん、だがあいつのことを悪く言うのはオレらは絶対に許さねえ。」
天皇のことを悪く言うことを私たちが許せないのは、まず、天皇が「和」を支える重要な存在であり、
しかもそれは圧倒的な力を持ちながらそれを行使しないといういわば献身的な姿勢が基礎となっているため、
私たちは天皇に対し何か非常な人格者のようなイメージを持ち、自己犠牲に感謝していることも要因としてあるでしょう。
さらに言えば、天皇に対し謝罪を要求するという行為は、私たちが最重要視している「和」を乱す行為に映ります。
これに加え前述のとおり、少なくとも私たちにとっては、行為主体でない天皇には責任があるはずがないのです。
一言で言えば、「あの人はホントいい人だし、何も悪いことなんてしてねえだろうが!」。

韓国人は、天皇謝罪要求によって逆上する日本人の感情をまったく理解できていません。
わかるわけがないのです。日本人にも説明できないのですから。
「非礼」とか「常軌を逸している」と非難していますが、こんな言葉で韓国に伝わるわけがない。
私がずっと興味を持っているのは、この論理的にうまく説明できない私たちの思想です。
長らく日本人の感覚の奥底にビルトインされている伝統思想がいまだに生き続けていることが、
今回の天皇謝罪要求に対する日本の反応と韓国の驚きでわかりやすく実証されたように思います。

長くなりましたので、最後に本論をまとめておきます。

・少なくとも私は、竹島上陸よりも天皇謝罪要求にキレた。
・天皇を崇拝していない自分がなぜキレたのかをうまく説明することができない。
・天皇は日本の中心にいながら実権がない。まわりの人間は天皇のまわりで世の中を回す。
・かといって天皇が不要なのではなく、天皇は中心の巨大な空白として存在する必要がある。
・天皇という中心がいることで話し合いの場が設けられ、天皇という中心が無言でいることで話し合いが機能する。
・天皇は自分を犠牲にしてみんなのことを思ってくれているいい人だ。(と日本人が思っている。)
・天皇は何も言ってないし何もやってないんだから、謝罪する責任なんてない。(と日本人が思っている。)

なお、本文はすべて私見によるものであり、自分自身が混乱しているがゆえに、
文章も混乱し、極論に走っていますが、日本人のひとりの見方として鷹揚に読んでいただければと思います。

出張の件 byたりき

  • 2012.08.27 Monday
  • 23:43
私は技術職ということもあって外に出ることはあまりないが、それでも時々ではあるものの出張がある。

まずはじめに、うちの会社では大阪から岡山に行くのは「出張」とは定義されず「外出」という扱いとなる。大阪から名古屋に行くのがギリギリ「出張」になる。
社内規定で時間、距離からそういうことになっていて、何が違うのかというと実質的には雑費がもらえるかどうかくらいなんだけど。
まあ、ここではまとめて出張ということで話を進めます。

私は技術職といっても開発をテーマとしている。
したがって、新規の開発品をお客さんに提出したとしてその評価結果を聞きに行くとか、または最近の市場の動向だったりトレンドだったりを情報交換したりするという目的でお客さんと直接会って話をするという機会があったりするわけだ。
例えば同じ技術職でも生産に関わる部署では、お客さんと話をするような機会は平社員にはほとんどないと言っていいようである。
外に出掛けるというとセミナーだったり講習会に行くくらいみたいで。

さて。
出張に行くと、実質仕事をしている時間は短いなあと思ってしまう。
営業職だったら一日に何社も予定を入れるということもあるだろうが、私の場合はそういうことはほとんどなく、話をしている2時間程度が仕事時間ということになろうか。
しかしながら、移動時間が長いためにそれだけで一日が終わるということがあったりする。
そういう訳だから、出社してやるべきことがたくさんあるときはめんどくさいなあ、時間が無駄になるなあと思うことも少なくない。

ただし、いざ出張でお客さんと話をするとなると刺激になるというのはほんとにある。おもしろいなあと思う。
というのも、自分のテーマの周辺についてはそれなりに知識もあったりするのだが、そこから少しでも離れると知らないことばかりで、出張時に聞いた話が自分の知識に上書きされたりするわけだ。
さらに、話相手も研究者だったりするとざっくばらんに話をしてくれることも多くて、ほんとにいろいろ教えてもらえたりするわけだ。

と、いうわけで。
明日は移動時間片道6時間近くの出張に言ってきます。
さすがに遠い。
ミーティング時間はおそらくは2時間程度かと思われるので、朝早いのはまあ仕方がないとして何時に帰ってこれるのか。
ま、たくさん勉強することにしよう。

この人を見よ(1)  がりは

  • 2012.08.26 Sunday
  • 12:18
「話というのはシンプルなんですが」
目の前の若造が姿勢を正して切り出した。
「私、この度会社をやめようと思いまして。」
何を言っておるのだ、こいつは。
平時ならこんな屑いなくなってせいせいするところだが、今は各人が能力の100パーセントを出し続けることでようやく職場の平和が保たれているような状態、屑どころか猫でも杓子でも借りたいところだ。
なのに辞めるだと?
ガツンと殴ってしまいそうなところをなんとか堪え
「そうなのか。気が付かなかったな。理由を聞かせてもらえないかな。」
精一杯やわらかい声で言って。
引きつってるんだろうな、顔。
「家業を継ごうと思いまして。」
家業?こいつの実家は何をしていたか。
普段の雑談で構築してきたデータベースを引っ掻き回しても何もヒットしなかった。
「ほう。こんなこと聞くとあれだけど、お父さんの具合が良くないの?」
「いえ、ただまあ歳っちゃあ歳なんで。」
「まあそんな歳か。俺の10個上くらいかな。」
「はい。技術や仕事の継承なんかを考えるとこの辺が潮時かなと。」
殴りたい。こののほほんとした面殴りたい。五七五字余りで思った。
特に「・・・っちゃあ」という語法が俺は嫌いだ。
しかし今はこの交渉を少しでもこちらに有利な方向へ持っていかなけば。
「どんなお仕事なのかね。」
「説明しづらいんですよね。」
困る。
そう言われると無理に聞こうとすればパワハラが適用されてしまうかもしれない。
夏だというのにネクタイをしてジャケットを着て相談がありますと持ちかけてきたのが辞職の話で、本人は涼しい顔して「ちゃあ」だ。
中身聞こうとすればパワハラ。
どうすればいいのだ。

「平たくいっちゃうと、フリーターです。」

のけぞった拍子に背中の筋を伸ばしてしまい平静を装うのに苦労する。
痛くて痛くて。
フリーターは家業とは言わんだろう。
「フリーターは家業とは言わんだろう。」
「そう思いますよね。その辺なんですよ、説明が難しいというのは。」
待ってましたという舌なめずりをして話し出した。
「うちのおやじはですね、ある時は巨大建造物の解体屋、ある時は水道敷設困難地域に井戸を掘る上総掘り職人、ある時は企業機密を持って東京大阪間を時間厳守で往復する運び屋、ある時はいじめ問題のカウンセラー、ある時は高名プロ野球選手の息子の野球の家庭教師とまあ他にもありますが、かなり職歴が多岐に渡るフリーターでして」
思い出すときの癖で左下を見ながら話していたやつがここで大きく息を継ぎ私の目を見据えながら言った。
「その座を倅のわたしに譲ると申しております。」
ここはペースを引き戻さなければと思い強引に割って入る。
「わかる、わかるよ君の気持も。」
目の前の影が大きくなった。
「わかるわけがないんだ!フリーターが家業であることがわからない人にわかるわけがないんだ!ああせいせいした。こんな代替可能な仕事、やってられるか!」

辞表を机に叩き付け椅子を蹴って立ち去っていく若造にもう少しだけでもこの職場に残ってほしいと思ったのは、もはや人手が足りないせいだけではなかった。

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