非共感とか〜「精霊、蛍光ペンを憂う」を褒めちぎる ハッタリスト
- 2012.07.31 Tuesday
- 23:45
今日のテーマは非共感です。
共感なんてどうでもいい、共感でも反感でもなく非共感の価値を認めてもっとありがたがれ、という主張です。
2012.07.29 MVPの俺が振り返る(3) がりは
の中で、
2012.06.12 「精霊、蛍光ペンを憂う」 by アフリカの精霊
が星ひとつの評価であり、共感できないことがその理由のひとつとして挙げられています。
今回は反論の意味で「蛍光ペン」を褒めちぎりたいと思います。
僕は蛍光ペンをほとんど使ったことがないので、「蛍光ペン」の内容に共感したわけではないです。もちろん、反感もありません。
非共感という言葉で表したいのは、「そういう点が重要だと思っている人がいるなんて考えたこともなかった」という感覚です。
この感覚に対して、「自分にとっては重要でないことだから無価値である」という判断の仕方をしてほしくないのです。
法律分野での蛍光ペンの色の使い分け、
蛍光ペンでアンダーラインを引く人がいること、
蛍光ペンの細いペン先の使い道に疑問を持つ人、
しかし細いペン先のある蛍光ペンが売られているという事実、
これら全て僕にとっては非共感の対象です。
つまり、それが重要だと思っている人がいることを、僕は初めて知ったのです。
それは共感によっては得られない新しい情報です。
最近、ヘッドホンのコードや電源ケーブルなどのゴチャゴチャした部分が好きな人がいるらしい、ということを知りました。
僕はそれまでうっとうしいとしか思っていませんでしたが、それが好きな人がいるのなら、あのゴチャゴチャには意味があり価値がある、ということです。
新たな視点をひとつ手に入れることができたのですから、非共感万歳です。
とはいえ、例えば「蛍光ペン」に投票でたくさん票が入って最優秀作品に選ばれるということはないでしょう、それはかまいません。
好き嫌いはもちろんありますし、文学的に見てどうという視点など、評価の基準もいろいろあるのが当然です。
しかし、「蛍光ペン」のような文章がなくなれば、僕がPREMIERを読む意味はひとつ減ります。
共感は共感でいいでしょう、しかし共感しか得られない場はあまりに狭い。
僕はもっと、「他人にとっては重要じゃなくても自分にとっては重要なこと」を求めています。
そういうわけで、「蛍光ペン」は良かったです。ありがとうございました。
共感なんてどうでもいい、共感でも反感でもなく非共感の価値を認めてもっとありがたがれ、という主張です。
2012.07.29 MVPの俺が振り返る(3) がりは
の中で、
2012.06.12 「精霊、蛍光ペンを憂う」 by アフリカの精霊
が星ひとつの評価であり、共感できないことがその理由のひとつとして挙げられています。
今回は反論の意味で「蛍光ペン」を褒めちぎりたいと思います。
僕は蛍光ペンをほとんど使ったことがないので、「蛍光ペン」の内容に共感したわけではないです。もちろん、反感もありません。
非共感という言葉で表したいのは、「そういう点が重要だと思っている人がいるなんて考えたこともなかった」という感覚です。
この感覚に対して、「自分にとっては重要でないことだから無価値である」という判断の仕方をしてほしくないのです。
法律分野での蛍光ペンの色の使い分け、
蛍光ペンでアンダーラインを引く人がいること、
蛍光ペンの細いペン先の使い道に疑問を持つ人、
しかし細いペン先のある蛍光ペンが売られているという事実、
これら全て僕にとっては非共感の対象です。
つまり、それが重要だと思っている人がいることを、僕は初めて知ったのです。
それは共感によっては得られない新しい情報です。
最近、ヘッドホンのコードや電源ケーブルなどのゴチャゴチャした部分が好きな人がいるらしい、ということを知りました。
僕はそれまでうっとうしいとしか思っていませんでしたが、それが好きな人がいるのなら、あのゴチャゴチャには意味があり価値がある、ということです。
新たな視点をひとつ手に入れることができたのですから、非共感万歳です。
とはいえ、例えば「蛍光ペン」に投票でたくさん票が入って最優秀作品に選ばれるということはないでしょう、それはかまいません。
好き嫌いはもちろんありますし、文学的に見てどうという視点など、評価の基準もいろいろあるのが当然です。
しかし、「蛍光ペン」のような文章がなくなれば、僕がPREMIERを読む意味はひとつ減ります。
共感は共感でいいでしょう、しかし共感しか得られない場はあまりに狭い。
僕はもっと、「他人にとっては重要じゃなくても自分にとっては重要なこと」を求めています。
そういうわけで、「蛍光ペン」は良かったです。ありがとうございました。