レディーファースト ハッタリスト
- 2012.03.31 Saturday
- 23:41
この国にはレディーファーストの精神が足りないとか聞いたことがあるような気もしますが、たぶん気のせいでしょう。
今日は、文化がどうこうという話をちょろっと書きます。
僕がアメリカ東海岸側の地方都市に行ったときに、こういうことがありました。
ABCDEの5人くらいでおおよそ縦に並んで廊下を歩いていたとき、先頭のAさんがドアを手で押さえ先にどうぞと言って、後の4人に先を譲りました。歩く順番はBCDEAになります。
次にまたドアがあって、今度はBさんがドアを押さえて、順番はCDEABになりました。
そうやってぐるぐる先頭が後ろへ回るのを見て、自転車のロードレースみたいだと僕は思いました。
「先を譲る」というのはひとつの文化であると思うのです。
どうしてドアを手で押さえるかと言うと、押さえないと勝手に閉まるドアだったからです。
日本の伝統的なドアはスライディングドア、つまりふすまであり障子であるわけで、それも開けっ放しであることも多かったはず。手で押さえておく必要はありません。
時代による違いもあるはずだとは思いますが、あちらに「先を譲る」文化が存在する一因としてドアのことを挙げるのは、こじつけだとしてもそれほどひどいものではないのではないかと。
その某地方都市は自動車の運転も行儀が良くて、車同士でも相手に先を譲る人が多かったです。(車の運転に関しては日本は圧倒的にアジアだと僕は思います。偏見ですけど)
本屋に行ったときには3歳くらいの小さい女の子がドアを開けて押さえてくれて、サンキューと言ったら「ゆあうぇるか〜む♪」と歌うように返してくれました。
これ全て文化です。
レディーファーストという美徳も、この文化が下敷きにあることが前提だと思います。
相手が女性であろうとなかろうと先を譲ることは美徳である、そういう認識が共有されていてこそ、「特に相手が女性である場合は」という注釈に意味があるのではないでしょうか。
例えば「目上の人には礼儀正しくする」という儒教的文化も、相手が誰であれ礼儀正しいに越したことはないからこそのものでしょう。
日本でレディーファーストが普及(?)していないという説が仮に本当だとしても、相手が男性だと譲らないけれど女性なら譲るといった歪な形で今後広まっていくということはないだろうと思います。
別に、先を譲るのが偉いとかいう話でもないと思いますけどね。文化は文化です。
今日は、文化がどうこうという話をちょろっと書きます。
僕がアメリカ東海岸側の地方都市に行ったときに、こういうことがありました。
ABCDEの5人くらいでおおよそ縦に並んで廊下を歩いていたとき、先頭のAさんがドアを手で押さえ先にどうぞと言って、後の4人に先を譲りました。歩く順番はBCDEAになります。
次にまたドアがあって、今度はBさんがドアを押さえて、順番はCDEABになりました。
そうやってぐるぐる先頭が後ろへ回るのを見て、自転車のロードレースみたいだと僕は思いました。
「先を譲る」というのはひとつの文化であると思うのです。
どうしてドアを手で押さえるかと言うと、押さえないと勝手に閉まるドアだったからです。
日本の伝統的なドアはスライディングドア、つまりふすまであり障子であるわけで、それも開けっ放しであることも多かったはず。手で押さえておく必要はありません。
時代による違いもあるはずだとは思いますが、あちらに「先を譲る」文化が存在する一因としてドアのことを挙げるのは、こじつけだとしてもそれほどひどいものではないのではないかと。
その某地方都市は自動車の運転も行儀が良くて、車同士でも相手に先を譲る人が多かったです。(車の運転に関しては日本は圧倒的にアジアだと僕は思います。偏見ですけど)
本屋に行ったときには3歳くらいの小さい女の子がドアを開けて押さえてくれて、サンキューと言ったら「ゆあうぇるか〜む♪」と歌うように返してくれました。
これ全て文化です。
レディーファーストという美徳も、この文化が下敷きにあることが前提だと思います。
相手が女性であろうとなかろうと先を譲ることは美徳である、そういう認識が共有されていてこそ、「特に相手が女性である場合は」という注釈に意味があるのではないでしょうか。
例えば「目上の人には礼儀正しくする」という儒教的文化も、相手が誰であれ礼儀正しいに越したことはないからこそのものでしょう。
日本でレディーファーストが普及(?)していないという説が仮に本当だとしても、相手が男性だと譲らないけれど女性なら譲るといった歪な形で今後広まっていくということはないだろうと思います。
別に、先を譲るのが偉いとかいう話でもないと思いますけどね。文化は文化です。