明るい悩み相談室PREMIER(22)  がりは

  • 2012.01.31 Tuesday
  • 23:52
明るい悩み相談室PREMIER、本日の担当医がりはです。
こんばんは。
今日はどうされましたか?

「毎月のように合コンに顔を出しているものの、一向に彼女ができません。こちらからモーションをかけても、相手が気がなさそうで脈無しのまま終わってしまいます。何かコツのようなものがあれば教えて下さい。」

ほうほう、それはお困りですね。
ざっくばらんにいって女の子に「モーション」をかけているようではだめでしょう。
死語です。
ここは漢らしく「仕掛け」「歩の突き捨て」などと表現してみましょう。
というのは冗談ですが、冗談には付き合うものです。
あなたの悩みはこんな感じになります。

毎月のように対局をしていますが、いっこうに勝てません。
気になる女の子に歩を突き捨てたのですが、手抜かれてしまいました。
こつのようなものをおしえてください。

毎日詰将棋を解き、棋譜並べをし、実戦に励むべし。


仕掛けを手抜かれたら、次に待っているのは相手からの厳しい攻め、のはずですがそれがないということは、そもそも相手が盤の前に座っていない可能性があります。
そも、合コンなどで対局相手を捜しているようではすでにあきません。
その辺の話を説明しましょう。
以前の患者さんにご説明しましたが、貨幣には三つの機能があります。
すなわち価値尺度、流通、価値貯蔵の三機能です。
この中の価値尺度の部分に着目してください。

合コンをする、婚カツをする、というのは恋愛市場という市場に自分を出品するということです。
自分で選ぶ気で入っているのかもしれませんが、自分を出品しているのです。
ショーウィンドーに並んでいるということです。
並んでいる物には当然値段がつきます。
必然的についてしまうんですね。
値段が付いてしまうということは当然価値を測られてしまいます。
価値を測られた上で流通します。
流通する際には等価交換するのが基本ですから、誰かが作った基準の上に並べられた男女が等価同士で結ばれます。

しかし考えてみてください。
この世で一番高い物はなんですか?
これも以前の患者さんにお伝えしたことですが、宝くじにガンガン当たったらいろんな物が買えそうです。
しかし、値札がついていないもの、ショーウィンドウに並んでいない物は買えません。
買えない物は高いものです。
一番よいお米は市場に出回りません。
買うことはできないでしょう。
ただのものももちろん高いものです。
あなたは合コンに何を求めているのですか?
自分を安売りしてどうするのです。
そこで安い相手を見つけてどうするというのです。

今いるところに出会いがないのなら、今まで自分がいったことのないところ、やったことのないことをしたらどうでしょう。
今いるところでも、違う時間に行ってみてはどうですか?


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明るい悩み相談室PREMIER(21)  がりは

  • 2012.01.31 Tuesday
  • 08:02
明るい悩み相談室PREMIER、本日の担当医がりはです。
こんばんは。
今日はどうされましたか?

「いい男になりたいです。いい男の条件とは何でしょうか?」

ほうほう、それはお困りですね。
いい男になりたいと思っていい男の条件を聞く、というのはどういう意味かおわかりですか?
私なら素直に自分のことをいい男と思ってほしい、と願います。
あなたはそうではない。
誰かが思ういい男像を聞いてそれにアジャストしていく覚悟をお持ちだ。
これはもう修羅の道です。
仮に誰かの思ういい男像を聞いて、アジャストしたとあなたが思ったとしましょう。
さて、その誰かのところに行って見てもらいます。
すると何ということでしょう、その人のいい男像はあなたがアジャストしている間に変容しているではありませんか!
またアジャスト、また変容、またアジャスト、また変容、そうアキレスと亀状態。
違うのはアジャストしている限り、先にいい男像ありき。
さらに言うならば、完全にその人が「いい男」だと認めてくれたとしましょう。
しかしその発言の信憑性をどう保証するのでしょうか。
あなたがあまりに必死なのでしかたなく「いい男」と言ったのかも知れない。
もっとも不幸なのはその人が本心から「いい男」だと認めていたとしてもそれをあなたが信じるのはかなり難しいということです。
その無限地獄に身を投じる覚悟。
すばらしい。
その姿勢がすでにいい男ですよ、あっはっは。

だまされねえよ、というその目、合格です。
確かに今、私はあなたを試しました。
真剣に考えてみましょう。
いい男というのは誰かに言われたいい男像など聞かないのではないでしょうか。
MEN'S NON-NOを読んでその通りにする人を私はいい男だと思いません。
週刊プレイボーイの北方謙三のハードボイルドな人生相談を読んで目から鱗が落ちるような人をいい男だと思いますか。
思春期に少年から大人に変わる課程で尊敬する誰かに大きく影響を受ける、小説を読んで感動して次の日から別人のようになる、ということはあるでしょう。
というかそれは成長の必須条件にも思えます。
大人になってからどうするかは自分で決めるのではないですか。
そんなに自分を虐待しなくても良いのではないですか?
なぜ自分はいい男じゃないんです?
あなたがそう決めているんじゃないですか?

という私の言葉に従うことはいい男の条件なんでしょうか。
ああ、難しいですね。
古典的なパラドックスから二つ、ご紹介いたしました。
ここまで読んでくれたあなたは、いい男です。
私はそう思います。

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【テーマ】ハネムーンその2(食事篇)  Mr.ホワイト

  • 2012.01.30 Monday
  • 23:55
ハネムーンから帰ってきてよく聞かれたことは、イタリアのご飯はおいしかったかどうかということですが、これに対しては「海外の料理としては非常に美味しいが、全体的には日本のイタリアンのほうが美味い」と答えております。何度か海外に行きましたが、どこもたいてい大味です。香港だけは例外的に美味しかったですが、あれは日本人は現地の高級店に行けるからであって、本当に現地人が食べてるお粥は食えたもんじゃありませんでした。思うに、海外での食の楽しみは、美味しいものを探すのではなく、食べたことのないものを食べるという点にこそあります。

ところで、イタリア料理もご多分にもれず、毎回とんでもない量が出てきます。普通のランチで、前菜、パン、パスタ、肉料理、デザートくらいは出てくるのです。イタリア人にとってのパスタはどうも、日本人にとっての茶碗一杯の白ご飯程度のようです。白人はとかく食いすぎですね。肉料理の前に出てきたラザーニャなど本当に見たことがない大きさで、まるで国語辞典のようだったのには笑えました。

イタリアでもっとも美味しかったのは、「ビステッカ・フィオレンティーナ(フィレンツェ風ステーキ)」です。バカデカい赤身肉を丸ごと炭火で焼いて、岩塩をぶっかける豪快なステーキです。要はTボーンステーキなのですが、これはフィレンツェでしか食べられません。フィレンツェの夜、私たちはいかにも昔から続いてるふうのトラットリアに入りました。「トラットリア」とは大衆向けのレストランのことで、イタリアでは高級レストランを意味する「リストランテ」とは区別されています。店に入るとスキンヘッドの肥えたおじさんが一人で給仕しています。イタリアでは晩御飯は遅い時間に食べるようで、暗い店内には私達以外誰もいません。「どこから来たの?日本?」とおじさんが英語で尋ねます。イエスと答えると「(震災の影響は)大丈夫か?何か変わりはないか?」と尋ねられましたので、オーケー、特にノープロブレムだ、と答えました。自分の英語力の無さに嫌気が差す瞬間です。これは昨年の6月の話ですが、その当時イタリアでは原発の是非を問う国民投票が行われ、結果、原発は否定されました。自国では発電量をまかないきれないため、イタリアは多くの原発を保有するフランスから電力を買っているのです。閑話休題。メニューを見てもよくわからないので、注文はガイドブックを指差して「これはありますか?」方式で行っていましたが、おじさんはいちいちこれに付き合ってくれて「それはない」「それはある」などのやり取りをしてくれましたが、それにとどまらず、注文してもいないのに「これはその本のスープとちょっと違うけど、このあたりの典型的なスープだ」とサービスしてくれたり、なんとも優しい方でした。その店で食べたビステッカ・フィオレンティーナは、今まで食べた肉料理で一番うまいステーキでした。最低1キログラムからしかないと言われたのですが、脂身がなくしつこくないのでふたりで1キロなら楽に食えてしまいました。味は塩とコショウのみで、肉の旨みだけで勝負する潔さも素晴らしい。狩猟民族の料理の本質をそこに見たような気がしました。

食のついでに酒について言うと、イタリアはやはりワインを飲むことが多いようです。ワインの違いなどわかりませんので、イタリアのワインがどうだということは語れませんが、とにかく彼らは昼間から平気でワインを飲んでいます。ビールもよく飲まれているようですが、イタリアのビールは薄いビールです。モレッティなどは日本のイタリアンにもよくありますが、味はまあ青島ビールみたいなもんです。ビールには完全にその土地の気候が影響するもので、寒いところは濃いビール、暑いところは薄いビールです。イタリアは地中海のおかげでかなり暖かいようなので、確かに薄いビールがよく似合います。ちなみに日本のビールも同じようなもので、蒸し暑い国なので爽快感を出すために薄く辛くしています。これに対し、イギリスやらドイツやらベルギーやらは寒いので、もっと濃くて甘いビールを飲んだりします。

それにしても、ヨーロッパ人は本当に食べることが好きなようです。腹が空くから食べるのではなく、食べるのが好きだから食べているといった風です。食という生活の基本を楽しむスタイルは、ヘルシーだのなんだのと食に機能を持たせたがる風潮からは程遠く、うまいものを食って死ねばそれでいいじゃないのという思想があって潔いと思ったのでした。

ハネムーンその1(風土篇)  Mr.ホワイト

  • 2012.01.30 Monday
  • 23:50
フィレンツェからローマへ向かうアウトストラーダ。日本の高速道路はこのイタリアの高速道路を参考に設計されたため、日本のものと違いは感じません。私達が乗るバスは、その制限速度時速130キロのアウトストラーダを南下しています。眠っている奥さんの隣で私は、片肘をついて窓から風景を眺めていました。

空は高く青く、しかし南国のように青すぎず、カラリとした楽観的な青さと言えばいいでしょうか。気温は非常に高く、平気で35度くらいにはなるようですが、湿度が低いためあまり暑くはありません。しかし同時に、湿り気のない空気は日の光を遮らず、日光は肌に刺さってくるかのようです。ジリジリと直接的に肌を焼き、まぶしさに目がくらむ、まさに「突き刺すような日光」。白人はやたらとサングラスをかけているイメージがありましたが、その理由がやっとわかりました。夏のヨーロッパは日光がまぶしすぎて、本当に目も開けられないほどなのです。

バスはちょうどペルージャのあたりを通っているようですが、あたりには民家すら見当たりません。これはイタリア全土について言えることですが、街と街のあいだは超田舎なのです。小麦畑なのかオリーブ畑なのかブドウ畑なのかわかりませんが、とにかく畑しかありません。この極端さは本当に驚くほどで、都市はそれほど広くない面積にぎゅっと凝縮していて、都市と都市の間は本当にずうっと畑が続いています。日本はここまで都市と田舎が分かれていません。イタリアはまるでドラクエのマップのように、町と町との間にはただ広野があるのみです。このような町のあり方はおそらく、イタリア半島が戦争ばかりしていたという歴史と関わっています。都市は町であると同時に要塞でもあったわけです。普通なら町の中心から外に向けてグラデーションのように密度が低くなり田舎になっていくはずですが、城壁を作ってその中にすべての機能を閉じこめるイタリアの町の場合、壁の内外でくっきりと分かれてしまうのでしょう。

そしてここに、イタリアという国を眺めるときのひとつの重要な観点があります。イタリアはそもそも一つの国家ではないのです。自分のことをイタリア人という人はいなくて、彼らは自分たちをフィレンツェ人とかローマ人とか言うのだそうです。しかし、行ってみて初めてわかったことですが、確かにイタリアは都市によってユニークというか、人々の暮らし方が全然違うのです。「都市国家」という言葉の意味を、私はこの歳になってようやく理解したのでした。

このように都市によって特徴のあるイタリアですので、都市を周遊しなければ面白くない。荷物を持ちながら自分たちだけで回るのは大変ですので、イタリアは自分たちで計画して行くよりもツアーで勝手に連れていってもらうことにしました。ハネムーンツアーという類のものが世にありまして、せっかくハネムーンなのでこれを選んだのですが、やはり1組、おっさん2人組が混じっておりました。戦前生まれのおっさん達に失うものはありません。


Cと私 byたりき

  • 2012.01.30 Monday
  • 21:47
私は平凡なサラリーマンですが、それと同時に研究者でもあります。
毎日、スーツを来て電車に揺られて職場に向かっていますが、会社に着くと基本作業着に着替えて実験をします。まあ、最近は薬品を使う頻度が少し減ったんですけどね。

そんな私の有機化学の原点は、これまでも何度か書いたことがありますが高2のときの放課後の勉強会です。
仲が良かった3年生に混じってその勉強会に参加していたのですが、そのときに初めて有機化学を勉強して「おもしろいなあ」と思ったのが最初です。
当時、進学することは決まっていたもののどの学部に行くかまったく決まっていなかった私に、有機化学という一つの選択肢が生まれたのでした。
紆余曲折を経て、いま私は有機化学の一分野の研究者として仕事をしています。いつかは転勤することもあるかもしれませんが、今の会社にいる限りは少なからず有機化学に関わった仕事をすることになるでしょう。

有機化学のおもしろさはそのほとんどが炭素原子「C」からきている言っても過言ではないでしょう。
中学のときに、様々な元素の結合をわかりやすく説明するために「結合の手」という考え方を習ったかと思います。酸素には2つ、水素には1つの手があって、例えば「水」は酸素の2つの手がそれぞれ水素とつないでできる、と。

そのときにはもしかしたら習わなかったかもしれませんが、それと同じように考えると炭素には4つの手があります。
そしてこれが炭素原子を有機化学の主役たらしめているわけです。
例えば酸素ですと2つしか手がありませんから、片方がつながれてしまうとあと1つしか手が残っていません。
それに比べて4つの手がある炭素は1つの手が埋まってもまだ3つの手が余っています。ですから、多種多様な化合物を作ることができるのです。

さらに、炭素の4つの手にそれぞれ別のものが手をつないだとすると、不思議なことが起こります。まったく同じのはずなのにどうやっても重なり合わない2種類の化合物ができるのです。
これが右手と左手の関係というやつですね。もう何年前になるかわかりませんが、日本人がこの不斉反応についてノーベル賞をとったときに一時期話題になったはずです。

私はあまり複雑な反応を扱うことがありませんが、全合成をやる研究者にとってとても重要な反応の種類について話を聞いたことがあります(ここで全合成というのはとても複雑な天然物を実験室で合成しようという試みのことです)。
その重要な反応というのは、炭素−炭素結合を生成する反応です。
例えば、炭素が5つつながった化合物から6つつながった化合物を合成するのは並大抵のことではないのです。
そういえば、最近ノーベル賞をとった日本人の研究はこの炭素−炭素結合を生成する反応についてでしたねぇ。

残念ながら、私は不斉合成(右手と左手の化合物)をすることも炭素−炭素結合を生成することもありませんが、それでも有機化学の反応は難しくてわからないことだらけです。

【テーマ】ごはんの神様  Mr.ヤマブキ

  • 2012.01.30 Monday
  • 01:08
 ついこの間、風邪を引いてからというものの、どこか調子がおかしい。もちろん、体調はすっかりよくなってこの通り、万全だ。休んだおかげで仕事にも精が出て気分もいい。要するに、悪い所はどこもない。調子が狂うのは、変な能力がついてしまったせいだ。言っても信じてもらえないかもしれないが、僕には、ごはん一粒一粒に宿ると言われる神様が見えるのだ。

 例えば、僕は今、妻と二人で夕食だ。この茶碗を見てほしい。ご飯粒の中に蠢く物が見えると思う。これは全て神様だ。八十八人いる。米粒に宿る神様の数には七人やら八人やら百八人いるといった説もあるようだが、八十八だ。思うに、僕と同じ能力の持ち主が「米」という漢字を考えたのだろう。

 一般に、茶碗一杯に入っている米粒はおよそ三千と言われている。となると八十八を掛けて、目の前には二十七万ほどの神様がいるはずだ。人だと二十七万もいればとんでも無い騒音になるが、神様ともなると落ち付いていそうなイメージがある。実際、その通りなのだが、何事にも例外はつきもので、姦しい女の神様や、飲んだくれてくだを巻いている神様もいて、なかなかに騒々しい。

「あなた、もうすぐ…」
「あーっ、おめえさん、わしらを食べちまうつもりかよぉー、カミサマなのによー」

 とまあ、終始この調子で碌に妻の話も聞けやしない。

「もうすぐ…、何だって?」
「耳でも遠くなったの?いやね。もうすぐ…」
「はー、よいさっ、よいさっ、よーいさっせ」
「ちょっとうるさいな、静かにしてくれよ!」
「え…」
「ごめんごめん、ちょっとその、耳鳴りがしてね。明日病院にでも行くよ」
「そう、だったらいいけど。びっくりしたわ。わたしは結婚記念日だって言ったのよ」

 海外の神様は全知全能らしいが、日本の神様は平気で家庭内不和をもたらしうる。どうにかしたいのだが、困ったことに、その口を黙らせる手段がない。

 普通なら、食べてしまえばおしまいだと思われるだろうが、それは生き物に限っての話である。噛んだからと言って神様が死ぬわけでもなく、胃で米粒が完全に消化されるまでは、腹の中から声がするのだ。

 妻に聞こえないように、こっそり話す。

「なあ、お腹の中でくらい静かにしてくれないか」
「おうおう、最近の人間は冷たいねえ、こんな年寄りに向かって」
「神様なんだろ。もっとしっかりしろよ」
「おうおう、なんて口利くんだ、神様に向かって」
「全くいらいらしてくるな」
「かっかすると血圧が上がってよくないよ、坊っちゃん」
「分かった分かった。なあ、頼むから黙ってくれよ。ノイローゼを持ってくる神様なんてそういないよ」
「そいつはあ、気の毒だが無理だ。もうすぐわしらはごはんの神様からトイレの神様になっちまうんだからよう…。こんな悲しいときに騒がずにはいられるかってんだ」
「でもどうせ水の神様になって巡り巡ってまたごはんの神様になるんだろう?」
「なんだい、ばれてるのかよう」
「ばかにするな。もういい加減黙れよ」
「へっ、向こうで溶けかかった米粒にはいいねえちゃんがいるんだ。まだまだどんどん騒ぐさ。…なあ、ねえちゃん、ちょっとこっち来て遊ばんかい?楽しい踊りもあるしの。はー、よいよい、よいさー、よいさー…」

 もう我慢ならなかった。

「あなた、記念日はあそこの新しいレストランで食事に…」
「あーもう知るか!いい加減黙ってろよ!」

 妻と目が合った。見る間に顔が鬼になっていく。

「何よ、せっかく色々考えてるのに!どうせ記念日だって忘れてたんでしょう!だいたいいつもあなたは…」

 こうして、厄介な能力のせいでこちらの「カミ」さんからも責められる羽目になってしまったのである。

 さて、まだまだ困難な日々は続くのだが、この辺りで一旦話し終えるのも、「おあとがよろしい」のかもしれない。

明るい悩み相談室PREMIER(20)  がりは

  • 2012.01.29 Sunday
  • 17:06
明るい悩み相談室PREMIER、本日の担当医がりはです。
こんばんは。
今日はどうされましたか?
「自宅のインターネット(光)と携帯の料金を合わせると10,000円/月を超えます。 情報を得たり遊んだりと、いろいろと便利なこともあるわけですけれど、 それが10,000円の価値があるのかどうか、分かりません。」

ほうほう、それはお困りですね。
お金というのはいつも我々庶民を悩ます不倶戴天の敵です。
通信は世の中を便利にします。
雑兵日記PREMIERの執筆陣は日本各地に点在しています。
それでいながら一つのサイトを運営しているのですから、便利ですよね。
この間も日本各地に点在している私の仲間と阪大将棋部の現役部員で将棋の対抗戦をしました。
通信がなければ大阪近郊に住んでいる仲間を手間をかけて集め、これまた手間をかけて集めた現役部員と対戦することになったでしょう。
準備だけで三ヶ月はかかりそうです。
今回準備にかかった期間は一週間です。
いやー、便利。

お金は価値尺度、流通、価値の保存、の三つの役割があります。
現代社会においては、価値の保存や流通に目がいくあまり、価値の表示について目配りが利いていないおそれがあります。
つまりこういうことです。
あなたが汗水垂らして働いて生み出した価値は賃金となって保存され(価値の保存)、通信を使うことで通信費として交換されます(流通)。
あなたが通信の便利さに対して今払っている価格よりも多くの便益を感じているなら、もっと払ってもよいです。
あなたの通信に対する評価を貨幣を通じて示すことで、通信を提供している人の経営基盤をサポートできるのです。

実際、それに近いことは本の世界では起きています。
本の価値は書かれている内容に負うところが大きく、その内容はデジタル化されやすく、デジタル化されれば(通信に乗って)流通しやすくなります。
本や雑誌の内容の多くは少し手をかけて探せば無料でインターネットや図書館で手に入ります。
そんな状況で本を買うことは、本を書いた人、本を作った人に対しての応援メッセージの意味を持っています。
私の先輩は「コンテンツに金を払えない奴はバカだ。」と言い放ちましたが、受益したものに対して価値付けできないのは確かに不見識でしょう。
課金の仕組みがうまくいっているかは別で、これは気持ちの問題です。

いいものに相応の金を払う、悪い物は金を払った上で批判するという健全な仕組みが失われて久しいですが(アマゾンには買っていないのに酷評するレビューが溢れています。企業はいいものを安く、という広告しかしません。)、あなたもお金を払う際に私はこのサービスを鑑定しているという心構えで臨んではいかがでしょうか。

※明るい悩み相談室PREMIERではあなたのお悩みを受け付けております。ブログにコメント、投票時にコメント、ハッガリーニにメール、電話、伝書鳩、のろし、などの手段でどうぞ。ちなみに投票時のコメントでのお悩みには必ず回答いたします。

「精霊、注意書きを憂う」 by アフリカの精霊

  • 2012.01.28 Saturday
  • 23:03
最近、テレビのテロップや広告において、過大とも思える注意書きが見られる。

「これは番組上の演出であり、実際は…」
「これはCMです。本当にやると…」
「実際の製品は見本と違うことが…」

わかってるわ!と言いたいくらいの注意がある。
「アニメを見る時は離れて…」なんていうテロップは以前あったピカチュウの光により子供が倒れた事件もあってから流れ出したもので、私が小さいころにはなかったものである。
こういうものならまだ許せるが
「このあと、この食べ物はスタッフがおいしく…」
「良い子はマネしないでね…」
なんてものになると、もう注意を通り越して笑いのネタともとれるようになっているものもある。

これもそういうことを注意なしにやってしまうと苦情や相談の電話をかける人がいるからなのであろう。
ただ、おむつの宣伝をみて
「うちの子は青いおしっこではないんですけど、身体がおかしいのでしょうか?」
とある主婦が電話をかけたせいで、少しの間そのメーカーは
「商品の紹介のため青い水を使っております」なんて注意書きをCM中に小さく書くようになったことなどをきけば
そこまでテロップを書かないとダメか!?って気持ちになる。

あらゆるものの説明書もそうなのかもしれない。
医薬品の注意書きはまだいい。
電化製品ともなると、こんな使い方するか!?っていう使用方法が注意されていることもある。
まあ、これこそ見なければ済むことだが、いきすぎる注意書きに嫌気がさすこともある。

あ、そうそう。
アメリカの話で、ネコを風呂に入れたあと、電子レンジで乾燥させようと入れた結果ネコが死んでしまったことでその主婦が「ネコを電子レンジに入れてはいけない」って説明書に書いていないメーカーが悪い」って裁判に訴えた結果、多額の賠償金が認められたっていう話、ウソらしいですよ。アメリカの訴訟にそんな話はないようです。
でも、ここまでの説明義務を求められるとさぞかし禁止事項ばかりで面白くない世の中になりそうですね。

法律を勉強していて、一番気になる注意書きが
「この駐車場に許可なく駐車したものには3万円の罰金を戴きます」
と言った町の月極駐車場でよく見るものです。
これって、法律的には相手の言いなりの金額を払わなくていいんですね。
罰金って個人で勝手に金額を決めていいわけじゃないんです。
じゃ、10万円なら10万円払わないといけないの?100万なら1億ならって話になるじゃないですか。

他人の土地に許可なく(駐車代を払わず)駐車した場合には民法709条の不法行為となり、相手に損害賠償をしなくてはなりません。
では、許可なく駐車したことによって相手にどんな「損害」を与えたのでしょう。

まあ、せいぜいその時間帯有料で貸せていたにも関わらず、その金が入らなかったってことくらいでしょう。
つまりもし、駐車していた人が「有料でいいから貸してください」と言われた時にはまあ、1時間300円くらいで貸すかもしれません(実際は月極なので不可能でしょうが)。
地主としてはその金が入らなかったとして、それが「損害」となるのです。
まあ、実際に認められるのはそれに慰謝料をプラスして3倍くらいじゃないですか?
つまり1時間停めたことによる賠償金はせいぜい1000円といったところだと思います。
それを初めから3万円なんて金額を提示していても、実際払う義務はないと言えます。

もちろん、こちらが3万円という金額に納得して払ってしまうのであれば、問題はありませんが、実際法律的にいえば到底認められないような金額を事前に不法行為をした場合の損害賠償金として示しておくというのは、何か法律を知らない人に対しての脅しのような気がして精霊自身この駐車場の注意書きには見るたびに嫌な思いをしています。

でも違法駐車も多いと聞きますし、こうでも書かないと減らないのであれば仕方ないんですかね?

夢競馬の人々(53)  葉山悟

  • 2012.01.25 Wednesday
  • 23:11
「待ってくださいよ」彼女が僕の腕を取って引き止めた。卓上の札束を夫が掴み、差し返した。「予想会社の件と、あなたに対する御礼は関係ありませんから」
「片山さん、はっきり言います。お約束は1回限りでしたよね。個人的な予想と組織のそれとは違うと言いたいのでしょうが、予想を立てるという意味では、僕にとっては全く同じ事なんです。それにしても貧し過ぎませんか。そのまま行けば際限がありません。今日は10回に1度の僕の予想が的中したラッキーな日という事で、このまま豊かな気持ちでお開きとしませんか」
それまで沈黙気味だった夫の片山氏がボソッと言い放った。
「貧し過ぎるって・・・一体どういう意味なんだ。もしかして私達の現状を、店や退職金まで失いかけているという現状を、単なる貧しさを超えて貧し過ぎるって皮肉っているのか」
彼の憤りは突っけんどんな語尾に表れている。“貧し過ぎる”という言葉が彼のプライドに触れたのだろう。しかしそれ以上に片山夫妻を形容する言葉を思いつく事は出来なかった。
「僕はお金や物があることを真の豊かさだとは認めません。同様にお金や物が無いことを貧しいとも思いません。本当の貧しさとは青天井の貪婪さ、手に入れてももっと欲しい、まだ足りないという気持ちにあると思います。少し前の日本のバブル経済がそうでした。日本国中お金や物で溢れていたのに、まるで豊かさを実感できなかった。土地は投機の対象となり、びっくりするような値段で取引され、国中の土地が買い漁られた。もっと上がるだろう、まだ高騰するということで取引や駆引きにされた。その結果どうなりました。いまだ日本はバブル期の後遺症から抜け出せないでいる。僕はあなた方に説教じみた事を言うつもりも、言えた義理でもありませんが、自戒の言葉として聞いてください。現状をいかにありのままに受け入れることが出来るか。満足って、満ち足りるってことですよね。満ち足りることを知らないってことはとても哀しい、とても不幸なことだと思っています。どうか今日のラッキーな日を再興の契機としてください。このお金は僕は確かに受け取りました。そして改めて再出発の御祝いとしてプレゼントします」
そこまで言い切ると僕は居酒屋の席を立ったのである。

夢競馬の人々(52)  葉山悟

  • 2012.01.25 Wednesday
  • 23:09
自殺という言葉に片山夫妻がピクッと反応した。まるでボクサーがジャブを喰らったかのように。
「他人の人生を背負うってことはそういうことだと思います。つまるところお金や物で片付けられない、それこそ一生涯、生きている限り引き摺って行かなければならない心の澱(オリ)みたいなもの、それを抱え込むことだと思います」
夫はどこか沈み込んだ表情で遠くを見つめている。しかし妻は素早く反応し、強烈な右フックを打ってきた。
「いいえ、それは絶対に違います!!たかが競馬じゃないですか。人生を背負うなどという大袈裟な事ではないでしょう。仮にあなたの予想が10回に1回的中するとします。その1回を楽しみにお客さんはあなたの予想を待っているのです。あなたの予想が全て当たるとは考えていません。期待値は一割。その程度に気楽に考えていただければいいのではないかしら。あのワクワク感、馬込みの中から意中の馬のゼッケン番号が飛び込んでくる。
仕事のストレス、人間関係のもつれ、生活のモロモロの厭な事、こういったものがきれいさっぱりどこかに吹っ飛んでしまいます。そのワクワク感や、日常生活やストレスから開放された瞬間をセンセの予想で味わうことが出来るのです。それを実感出来た時にしか代金は頂きません。それのどこが詐欺なんですか。詐欺どころか人様に感謝されるべきことでしょう」
競馬を愉しむ。ギャンブルのスリル、ワクワク感を味わう。それはあくまで個人レベルでのいわば自己責任に止まる話だ。
しかし<馬と会話できる男の競馬予想。サークル入会のご案内>となると、まるで宗教団体の勧誘そのものではないか。御布施は馬券の予想を購入する事だ。この女性の強かさは新聞記者の夫をはるかに凌駕している。「センセ」と「あなた」を使い分け、僕を巧みに選択肢の無い隘路へと追いやろうとしている。おそらく競馬予想サークルの企ては彼女が中心になって生まれたものに違いない。
僕はおもむろに、受け取っていた御礼の帯封が付いた札束を夫妻に差し出した。それはまるで諸悪の根源がその札束に集約されているかのようであった。
「やはりこれは受け取ることは出来ません」
僕はそれだけ言うと席を立ったのである。

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