そこにやまがあるから  ATM

  • 2011.07.31 Sunday
  • 00:56
「みんなで山、登りたいな」


仕事終わりの飲み会。仕事が終わりリラックスしているはずの飲み会。しかしボスの鶴の一声で、副支店長・課長達に、電流走る・・・っ!!!!
(バカなっ・・!!!なぜっ!なぜ・・・・っ!!なぜいまどき支店みんなで日帰り旅行っ!!しかも山登りなんて・・・っ!!!)

こうして、山の会プロジェクトは始動した。

山の会・・・支店長と支店のみんなで山に登る会。強制参加ではない。あくまで。強制参k(大切なことなので2回いいました)。今回は金剛山にのぼり、山頂付近のキャンプ場でBBQをやるらしい。荷物ハンパない。


幹事長「じゃあ野村君、打ち合わせどおりに準備を頼む。今回の成功は君にかかってるから」
ATM 「わかりました。がんばります(やかましーわボケ^^;)」


幹事長・・・今回支店長に幹事長に任命された隣の課の課長。最近よく支店長に詰められている。部下に僕の同期がいるがなぜか僕に仕事を振ってきた。マジ勘弁してくれよ・・・

ATM・・・・・僕。今回の副幹事長的存在。買出し、物品の輸送、ゴミの廃棄、その他もろもろ現場の処理全てを指揮する。ガソリン代はでるんだろうか・・


本番まで2週の間に打ち合わせ3回、休日をつぶしての買出し2回を行い、いざ当日。

幹事長「当日は君と2年目と1年目とでロープウェーで上がってもらってBBQの準備してもらうから」

朝6時起床し、氷やら何やらの準備をして全て車にぶち込み、出発。
到着後、山登りに来て、山に登らずロープウェーで山頂まで物品を運び、ひたすらBBQの準備をする。

後輩 「野村さん、火が起きません!」
ATM 「なんとかしろ!がんばれ!」

トゥルルル トゥルルル

幹事長「あ、幹事長です。どんな感じですか?」
ATM  「ロープウェー降り場からかなり距離があったので今から火をおこしてBBQの準備するところです!」
幹事長「そうか。今6合目まできてるからあと40分くらいで着くな」
ATM  「できるだけ休憩は多めでおねがいします」

ATM  「と、いうことらしい。死ぬ気でがんばろう」
後輩  「ぼくたちはもう死にそうです」

なんとか準備は間に合い、BBQも無事終了。みんなそれなりに楽しんでたみたいだしよかったよかった。ふぅ、やれやれだぜ。









支店長「ふぅ、食った食った。おっ、まだ時間も早いな。山下りたらカラオケにでも行くか」

ざわ・・・ざわ・・・・

ATM  (バカなっ・・・!!!なぜっ!なんで・・・っ!!!俺の、俺の仕事は・・・っ!!!もう、終わったはずなのにっ・・・!!!)


こうして、ゴミを車にぶち込んで寮に帰って全部捨てたら終わりだったはずの僕の任務は、まだまだ続いた。


〜3時間後〜

支店長 「3時間も歌っちゃったな。今日はほんとみんなおつかれさん」

ATM 「ふう、やっと終わったか。これからが俺の休日の始まりだぜ!」








支店長 「じゃあよかったら晩飯ないやつは飲みにでも行くか」

ざわ・・・ざわ・・・

ATM  (バカなっ・・・!!!なぜっ!なんで・・・っ!!!ていうか俺・・・車っ!!!車で来てるのに・・・っ!!!ここにきてっ!この期に及んでっ!ウーロン茶で乾杯なんて・・・っ!!!)


こうしてみんながマッコリで乾杯してる中1人ウーロン茶で乾杯するハメに。
まぁ、今日で終わりだし、勘弁してやろう。幹事長も大変そうだったし何より後輩はよく働いてくれた。それだけで十分だ。みんなに感謝しないと。ほんとうにありがとう。いい一日でした。












支店長 「今回は楽しかったな。毎月やろうよ。こんどは大台ケ原がいいな」

ざわ・・・ざわ・・・

ATM   (バカなっ・・・!!!なぜっ!なんで・・・っ!!!もう俺無理!絶対っ!!!無理無理無理!!!無理だって!毎月こんなのなんか!俺の休日!休日がっ!!!)

幹事長  「俺もう幹事やったし次野村君やってよ(ボソッ」

ATM   「ちょ・・勘弁してくださいよ、こういうのはいろんな人に幹事を・・・」

支店長  「泊まりでキャンプとかでもいいな」

幹事長  「おっ、いいですねぇ〜!」

ATM   (何がじゃボケェェェェェェェ!!!!いらんこと言うなァァァァァ!)

支店長  「今度また企画決まったら教えてよ。来週中に」

幹事長  「はい、わかりました!」

幹事長  「・・・そういうわけだからまた野村君いろいろ頼むよ(ボソッ」

ATM   「・・・わかりました。了解です(満面の引きつった笑み)」







こうして、僕は山の会幹事継続がほぼ決定した。
幹事長になったらなったでもうこうなったら好き放題企画してやります。
パトラッシュ、僕はもう疲れたよ。何だか眠いんだ・・・

「精霊、Mを憂う」 by アフリカの精霊

  • 2011.07.30 Saturday
  • 21:42
 

今日は谷崎潤一郎の春琴抄について語ります。

簡単に言うと「Mな小説」です。

自分の将棋がM将棋とか調子に乗っていたとき、この小説のMさに驚いた記憶があります。

 

主人公は佐助と呼ばれる少年。ある商家で丁稚として働き、その商家の娘で盲目の美少女、春琴の世話役となります。

我がままに育った春琴は佐助に高圧的で無理難題を突き付けます。

風呂の世話までを要求する春琴に佐助が断ると、「家畜に裸を見られて何が恥ずかしいのか」などと罵詈雑言も言いたい放題。(この辺の耽美的な描写が谷崎の特徴ともいえます)

わがままな春琴に振り回されることに初めは戸惑いながらも、そのうちに佐助はそれを心地よく感じるようになります。

 

二人が大人になるに従い、惹かれあっていきます。

子供が出来ても互いの関係は否定し続けます。

この辺は常に「主」でありたい春琴と、「従」で有りたい佐助が「夫婦」という関係を拒んだ結果ともいえるでしょう。

 

しかし、ある日事件が起きます。

春琴が熱湯をかぶってしまい、美しい顔が台無しになってしまうのです。

「佐助にはこんな顔を見られたくない!」

春琴は部屋にこもってしまいます。

そんな落ち込んだ春琴を見て、佐助は自らの目を針で突き、自分も春琴同様盲目となり、生涯春琴に突き慕うのでした。

 

これが物語の全てです。

問題は佐助が自分の目を突いた理由です。

1 自分の好きな春琴が「佐助にはこんな顔を見られたくない」といったので、その要望にこたえた。

2 自分自身が醜くなった春琴の顔を見たくなかった。

3 自分も春琴と同じ境遇になることにより春琴への愛を示した。

普通に読めば、これらが想定されるでしょうが、どれも違います。

答えは

4 そんな弱いことという春琴を拒絶し、昔の自分をいじめていた春琴に戻ってほしくて目をみえなくすることにより、春琴のコンプレックスをなくそうとした、です。

つまり、佐助は春琴への献身的な世話や愛が目的ではなく、自分のことを行動や言葉で虐めてくれ、自分のMな要求を満たしてくれる女性が欲しかったのです。佐助にとって春琴は強い女性でなければならず弱い春琴は春琴ではなかったのです。

 

Mを通り越した耽美な世界と表現されることもあり、賛否両論のあるこの作品ですが、何か面白い文学作品をお探しの方には、お勧めです。

ただ、句読点が全くといっていいほどなく、10行以上ないことも良くあるのでそのような文章に読みにくさを感じる人にはあまりお勧めできませんが、内容的には私の絶賛作品と言えます。

 

 

「精霊、日本語を憂う」 byアフリカの精霊

  • 2011.07.30 Saturday
  • 21:35
 

「先生、トイレ!」

「先生はトイレではありません!」

 

「先生、落し物!」

「先生は落し物ではありません!」

こんなやりとりにイラッとしたことはないだろうか。

先生に言わせると、正しい日本語を学ばせるためだという。

題名に「憂う」と付いている以上、今月は自動販売機に続き、私が思い悩んでいること=憂うことを書いてみたいと思う。

 

日本語の乱れというものが騒がれていると言われてから久しい。

ら抜き言葉、バイト敬語、全然おいしいなどの文法的におかしいと言われている言葉、など批判の的になっている言葉はたくさんある。

実際、今ワードで書いているが、「全然おいしい」と書いた場合、文法的におかしいことを示す波線が「全然」の下につく。

しかし、私個人の意見としては、こんなものを議論すること自体、おかしいことだと思っている。単に頭の堅い大人たちが自分にわからない日本語を使いだした若者に対して、上から目線で言いたいだけだと考えている。

少なくても「見られる」(正)「見れる」(間違い)どっちを使ったとしても、私には意味がわかる。

言葉が人間の意思を伝えるものである以上、意味が伝わればいいのではないか。

「見れる」を使うことにそこまで目くじらを立てるデメリットがあるのであろうか。

「こちらがハンバーグ定食になります」に対して「なにっ!これが将来ハンバーグになるのか!!では、これは今は何なのか!」なんていう突っ込みもしない。意味が伝わるからである。

これは日本人なら年代を問わず、意味を理解できるレベルの言葉であり、日本語として意思を伝達できるものになっていると思われる。

日本語の乱れを主張する人達の意見の中には、昔から続いてきた美しい日本語と違うことを指摘する人や文法的な正確さを要求する意見の人もいる。

では、その人達に問いたい。「貴方が想定している美しい、正しい日本語とは何か?」

明治の言葉なのか、江戸か、はたまた平安か?

この文章で度々使われている「おかしい」という言葉、平安時代は「もののあはれ」同様、「趣深い」という意味で美的概念のプラスイメージの言葉として使われた言葉である。しかしいつの間にか「滑稽だ」という意味で使われるようになり、マイナスイメージの言葉にまでなってしまった。

これは意味すらも変わってしまった日本語として「日本語の乱れ」とは言わないのだろうか?

もし日本語を元々使われていた意味で使うことを美しいと定義するのであれば、「おかしい」を滑稽だという意味で使うことすら、日本語の乱れとは言わないのだろうか。

平安時代の人からみれば、今の日本語なんて乱れまくっているに違いない。

方言も乱れた日本語である。

なぜなら方言は意味的に、また文法的にもおかしいことが多いからだ。

またスラングも乱れた日本語となる。

「部室がリムい」

「レポートが詰んだ」

日本語の使い方をまちがっているとしかいいようがない。

正しい日本語の存在を肯定する人はこのような方言などの存在も認めないのであろうか。

言葉という物は、その時代において人と人との意思伝達に使われてきたものである。

それを文法的に間違っているから、意味の使い方が間違っているからと言って、間違った日本語だからやめろ!正しいものを使え!というのはおかしい。

互いが同じ意味を共有し、意味が通じるのであればそこに言語としての意味があるのだ。

 

「正しい日本語」「乱れた日本語」なんてものは存在しない。

これが私の持論である。

 

「精霊、自動販売機を憂う」 byアフリカの精霊

  • 2011.07.28 Thursday
  • 21:25
 

今日、自動販売機で110円の水を買った。

財布に10円玉がなかったので200円を入れた。

おつりは90円。

しかし、10円玉が9枚出てきた。

そういえば以前にも同じ自販機で同様のことがあったことを思い出した。

理由を考えたが、どう考えても回収する人の手間を考えたものとしか思えない。

この自動販売機は常に50円玉や500円玉を用意していないわけではないだろう。

それなのに顧客に10円玉を9枚も出すわけは、明らかに回収する人が売り上げの計算が楽になる、または重さが軽くなるからであろう。

また、10円玉を大量に出した結果、釣銭がなくなる危険性もはらんでいるにも関わらず、こんなことをする理由は限られている。

もちろん自動販売機の全てがこんなものではない。

家の近くの自動販売機は同じメーカーでありながら90円のおつりは50円玉を交えて出てくるし、むしろそういった自動販売機の方が多いだろう。

 

コンビニで買い物した時もそうだ。

まさか90円のおつりを10円玉だけで出すコンビニはないだろうし、もしその場合には店員が一言、その旨を謝ることもあるだろう。

10000円札で買い物した場合、1000円札だけで返されることはあってもその場合には、よく「細かくなってすいませんが…」なんて断る店も多い。

「金は金だから90円の価値に変わりはないから良い」と豪語できる人もいると思う。

でも少なくても私は店員にもし10円を9枚渡されたらあまりいい気分はしない。

 

ちなみに買う側には「20枚ルール」という法律(?)が存在する。

例えば300円の物を買うとしよう。もし買い手が10円玉を30枚出した場合、売り手は拒否できる法律がある。厳密には21枚以上になった場合に売り手は断れるらしい。

つまり買い手には100円玉や50円玉、もしくは札による払いをしないといけない義務があるのだ。

おそらく売り手にはお釣りをどのように渡すかの法律はないだろうし、自販機だからその場限りで終ってしまうことも多いだろう。

だから気にしない人も多いし、財布が重くなることを気にする人自体、少ないかもしれない。

 

しかし、私はこの自販機で買うことは2度とない。

もし1000円を入れて110円のジュースを買った場合、100円玉8枚と10円玉9枚、合計17枚のお釣りが出てくると思うとゾッとする。

機械の設定さえ変えれば500円玉や50円玉を出すことも可能だろう。

そんな簡単な企業努力もしないで、自分の都合だけで顧客に迷惑(少なくても財布は重くなる)をかける売り手はダメだと思う。そのような売り手の態度が私の2度と利用しない理由である。

 

顧客の評判を気にする職種のせいであろうか?

みなさんはこんな自動販売機にイラッとすることはありませんか?(1080字)

【テーマ】なまえ  がりは

  • 2011.07.27 Wednesday
  • 23:54
あだ名をつけるのが好きだ。

仲良くなるとあだ名がつく。

あだ名がつくと仲良くなる。

どっちが本当かわからないが、どっちも本当なのだと思う。

新入社員などを見ていると、俺の周りの二十代前半の人達は下の名前を呼び捨てで呼び合っているように見える。

俺には下の名前の呼び捨てで呼んでる友達は多くない。

大抵あだ名で呼んでいる。



あだ名のオーソドックスなつけ方は、姓名の一部を改変するものだと思うが、このタイプだと「マーシー(=まさし)」「オマッキン=(おまつ)」「ミッチー(=みちひと)」「ゴットゥーゾ(=ごとう)」「ミッシェル(=みやざわ)」「ムカイダー(=むかいだ)」「おけいはん(=けいこ)」「モリー(=もり)」「トリガー(=しらとり)」「ロン(=諭)」「はまQ(=「はま」だ「ひさ」いちろう)」「ジーコ=(こじま)」「ハッピー(=幸○)」「エムソン(=えむら)」「マーベラス(=まべ)」「キノピン(=きのした)」「オカチェンコ(=おか)」などがいる。(敬称略ですみません。)

このタイプはまだ仲良くなる前でもあだ名がつけやすく、あだ名の由来も理解しやすい。

また、会社ではこのタイプ以外のあだ名がつくことはほとんどない。



また、容姿や住所などからつくあだ名もある。

「観音様=(南観音という土地出身)」「Q2(=はまQにそっくり)」「Q3(=はまQにそっくり」「リムコ(=リムコというアパートに住んでいる)」「オジー(=おじさんぽい)」

など。

この辺までは納得のできるレベルである。



それとは別に全く姓名に関係ないあだ名がついている友達も多くいて、「ハッタリ」「全荘(ぜんちゃん)」「ローラン」「大王」「たりちゃん」「ポン」「サタジ」「リジー」「電池」「リム平」「ATM」「監督」「ニコラ」「塾長」「野獣」「たぴ」などがいる。

このタイプのあだ名がつくとまず知らない人からは理由を聞かれるし、それが面白いことが多い。

またそのエピソードはコミュニティで共有されていることが前提となる。

エピソードがあって、面白がって呼んでいるうちに定着してしまう。

まじめに説明すると、一人一人千字くらいの物語が立ち上がってしまう。

PREMIERの執筆陣のペンネームで実際に使用されている名前は「ハッタリ」と「たりき」と「電池」であるが、この名前にももちろん由来がある。

それはそれぞれが書いてくれるのを楽しみにしたいと思う。



また特殊な例として姓名のようなのに本名とは全く関係ない友達もおり、「シンジ」「ショージ」「横山」などがいる。

シンジは「新人王の略」。

ショージは「なんとなくショージっぽい」。

横山は「間違って呼んだのをそのまま押し通した」。

俺がつけてないあだ名も混じっているが、混乱を招くこと必至のあだ名である。





俺はあだ名をつけるのが好きだ。

名前はその人を縛る呪文で、簡単に呼んだり呼ばれたりしてはいけない、という古の教えを守っているからではなく、あだ名がお互いについている状態が好きなのだ。

仲がよさそうじゃないか。

しかし、俺自身はあまりあだ名がつかない方で、時々寂しい思いをする。

本名が珍しいのでそっちに引っ張られているのかもしれないのだが、みんなにあだ名がついて輪になって踊っているのに、その輪の真ん中で体育座りしている心持がする時がある。

昔は「ガリ」とか「ガリクソン」とか「がりっちょ」とか「会長」とか呼ばれていたのに。

願わくば所属しているコミュニティごとに違うあだ名がつくような生き方をしてみたいものである。

そして、名前に関係ないあだ名が増えるようなそんなコミュニティを増やしたいと思う。



みなさんの周りのおもしろいあだ名も教えてもらえたら幸いです。

今後のあだ名付けの参考にしたいと思います。

巡り来る夏  Mr.ヤマブキ

  • 2011.07.24 Sunday
  • 03:29
 皆さんは、原爆を投下された直後の状況を撮った写真や映像をご覧になったことがあるでしょうか。あるいは、沖縄戦でも東京大空襲でもミッドウェーでも、もはや全く他国の戦争でも構いません。モザイクなしの、生の写真、映像です。

 僕の中学校の図書室には、原爆資料集がいくつか置いてありました。中学校は人権学習に力を入れていましたから、戦争に関する授業というものも少しは受けましたし、その関連で資料集を開いたことがあります。

 今でも数点の写真のイメージは鮮明に残っていますが、当時は真面目に戦争の悲惨を学ぶ気持ちと共に、どこか怖いもの見たさの様な気持ちもあってその写真を見ました(そうでなければ見る勇気は起きなかったでしょう)。ですから、グロい、気持ち悪い、ひどい、といった感想で終わり、思考を止め、やはり戦争は悪いな、とすぐに結論づけました。

 それから5年以上が経ち、去年、沖縄戦の新たなフィルムが発見された、というニュースが流れ、NHKではそのフィルムの特集が組まれました。普段はテレビを見ませんが、その日はたまたま深夜にNHKをつけていました。

 そこで流れて来た映像は、日本人の死体が累々と折り重なっている上を、アメリカ人が邪魔な死体を蹴って転がしながら進み行くというものでした。死体は凄惨を極め、手足の無いようなものもざらにありました。それらがありのままに写されていました。

 他にもいくつか映像が流れてきましたが、そこから実際の戦争の様子を少しでも想像してみると、私たちが戦争に反対するのと、戦争を経験された方々が戦争に反対しているのはやはり違うのだろう、と思いました。

 それは経験の重みが違うということではありません。往々にして私たちは、戦争は絶対悪であるか、などと論じるようなことがあります。論じなくとも、戦争=悪だと主張することは大いにあります。もはや信念ですらあります。しかし、そこでは戦争=悪であり、だからこそ戦争は反対されるべきものという意識があるように思えるのです。

 僕が映像を見て思ったのは、戦争を経験された方々は戦争の善悪などを飛び越えているのではないだろうか、ということです。凄惨を極めた凄惨を目の当たりにした圧倒的な狂気と恐怖を体験したなら、もはやただ単に戦争が止むよう、起こらないよう祈るしかないのではないでしょうか。叩きのめすような恐怖と絶望を体験された方々の戦争反対は、私たちのそれとは全く異質なのではないかと思います。

 そしてまた、栄養失調の子供らが集まって床に伏している映像や、若い男がどんどん消えて行って徐々に静寂と死臭が立ち込めるという証言をされていた方もおり、どこを見渡しても戦争の困難が纏わりつくような状況を果たして想像できるのか、という疑問も抱きました。戦争、と言われて栄養失調で苦しむ孤児たちを想像できるでしょうか。そうした二次的な事も全て、思いを馳せるというのは不可能ではないでしょうか。そう考えると、実体験の有無から来る異質どころか、そもそもどのような苦しみであったかなんて、ほんのひとかけらしか分からないのでしょう。

 戦争を経験された方々は、上記のことを鑑みると、我々の世代に恐怖を全て伝えるということは難しいのかもしれませんが、我々がそれに少しでも寄り添って行くことは可能ですし、何より、それを知る特殊な人々として、その語りは大変貴重なものです。この世代の方々も御高齢で、語りが閉ざされる前に、彼らの特殊の意味を考える必要があるような気がします。

 今年もまた、夏がやってきました。

宇宙の外には何がある?  ハッタリスト

  • 2011.07.23 Saturday
  • 23:55

第一部 宇宙の外には何がある?

「宇宙の外には何があるか」と問われれば、「宇宙の外とはどういう意味か」と聞き返すのが、僕にできる真摯な回答です。
そうでなければ、「そんなものはない」と答えるのが精一杯です。

第二部で書きますが、この内容は僕にとって専門外であり、この質問に答えるのに適任な人は他にいるはずです。
そのことを了解した上で読んでください。

「宇宙は広がっている」という話はよく聞きますが(聞きますよね?)、これを「宇宙である領域が、宇宙でない領域に向かって広がっている」と考えるなら、それは僕の解釈とは異なります。
そのように考えるならば確かに、宇宙でない領域、すなわち宇宙の外とは何なのかと問うことはできるでしょう。
この解釈をゆるやかに否定するために、しばらく例え話にお付き合いください。

地球は丸いという認識が一般的でなかったころ、「世界の果てには何があるか」という問いがあったはずです。
(ここでいう世界とは、世界地図で表現されるような2次元の面としての広がりを持つものと考えて、高さのことは忘れてください。)

世界の果てには滝があって海の水が流れ落ちているとか、あるいは山が連なっていて海をせき止めているとか、そのような話はよくあります。
ならばその向こう側、「世界の外」には何があるかという想像もあったはずです。

この問いに我々は簡単に答えられます。
「世界」は確かに無限に広がっているわけではないけれど、どこかに「果て」があるわけではありません。
世界に「外」などないのです。

地球の絵を描いたビニールボールを膨らませると「世界」は広がりますが、世界が世界ではなかった領域を塗りつぶすのではありません。
宇宙もこれと同様であると考えるのがよいと僕は解釈しています。

ビニールボールの例えに対しては「ビニールボールの外側があるから膨らむことができるのではないか」との反論はありそうですが、宇宙の場合は外側に相当するものはありません。

我々の観測の対象となるものは常に空間の中にあり、観測可能な相互作用の場のことを空間と呼んでいるわけですが、「宇宙」がその「空間の広がり」に付けられた名前であるからには、「宇宙以外」のものは観測不可能であることになります。
もう少しましな言い方をするなら、(原理的に)観測できないものを「宇宙以外」と呼んでいるのです。
よって、「宇宙以外」「宇宙の外」などというものは(観測および理論の範疇には)ない、ということになります。
これは結論というよりも、「宇宙の外」という言葉に(かろうじて)与えられた解釈であると言うべきでしょう。

「宇宙が広がる」とは、宇宙以外という白紙をどこかから持ってきて継ぎ足しているのではなく、空間そのものがゴムのように伸びているのだと、僕は解釈しています。



第二部 専門外を語る是非

第一部ではもっともらしいことを書きましたが、全部ウソだと思ってくださってもかまいません。
繰り返しますが、僕はこの内容に関して知識があるわけではなく、個人的な解釈を書いただけです。
こういった話を書くなら本当に知っている人が書くのが望ましい、というのが当然でしょう。

第二部で書きたいことは、「専門外の人間は書くべきではない」と言えるかどうかについてです。
個人的に話を交わす程度ならともかく、こうして人目に付く場所でよく知らないことを書くことには多少なりとも問題はあると僕は思っています。
ウソかもしれないことを、ウソかもしれないという注釈を無視して覚えてしまう人がいる可能性がある、という問題です。
では、それを補って余りあるだけのメリットはあるのでしょうか?

それはわかりませんが、今日の内容を読んで面白いと思う人がどれだけいるかということと、こういった内容に触れる機会が世の中にどれだけあるかということがカギであると思います。
ウソくさい内容ですら語る人が少ないのなら、専門外の人間がそれをすることにも意味はあるのかもしれません。

「文章を意図の通りに読んでもらえるか」という点に関して僕は読者を全然信用していませんが(あるいは、全然信用しないという前提で書いていますが)、あるべきバランスについてもう少し考えても良いのかもしれません。
この話はここまでです。
結論は特にありません。

夜を更かしてフカシイモ  ミスターピンク

  • 2011.07.22 Friday
  • 22:19

みなさま、おこんばんは。
ミスターピンクでございます。

一昨日も眠かったし、昨日も眠い。
今日はもちろん眠いし、明日はきっともっと眠い。

朝起きたときに何が辛いかって、それはもう、眠いのが何よりも辛いのです。
眠いけど、起きなければならない、この、なければならない感じが、押しつけが、義務が、辛い…眠い。

あと一時間眠れば眠くなくなるのか?
あと二時間眠れば眠くなくなるのか?

答えはどちらもノー。
三時間ならどうにか違ってくるものの、そこまでしてしまうと、今度は寝すぎてもったいないような気がしてくるから困りもの。
どれだけ寝ても眠いなら、いっそ早起きしてしまえ、寝ぼけ眼で見渡す世界は意外にも幻想的で、朝の光も美しく、まるで夢を見ているよう…、グーグー。

はい、実はそういう夢うつつの時間は嫌いじゃないのです。
ずっとこうしていられればいいのに、でも顔を洗うとそんな時間にも終わりがやってきます。
決定的に睡眠が不足していない限り、顔を洗ったら結構シャキッとしてしまうので、残念無念、もったいない、あのまどろみを返せ。

(中略)

あ〜あ、そろそろ寝る時間ですね。
もう寝ないと、明日の朝もやっぱり眠いんだから。

でも寝てしまったら、今日が終わってしまう。
今日という日にはもう二度と会えないのに、もったいない。

だからあと二十分、いやそれはキリが悪いからあと三十分、それだけ経ったら寝ることにしましょうか。

(中略)

もう寝ようって言ったのに…
いつもより早く寝るどころか、むしろいつもよりだいぶ遅くなってしまった…

今日のところはもはや後悔しても致し方ございません。
今後同じ過ちを繰り返さぬために、この事態を反省し、行いを改めることこそが肝要かと存じ奉りまする。

まず第一に、何故このように遅くなってしまったかと申し上げまするに、それは、日中眠かったがために、物事が上手く運ばず、それゆえ今日はいまひとつ面白くなかったという気分を抱えたまま眠りにつくのが、これ不愉快と考え、そこで何か、こう気分を愉快たらしむる、そのような何かはござらんかと、こう考え、然れども当にこれというべき何かがござらず、徒に時間だけが過ぎる事態と、こう相成ったのでございます。

故に、気持良く床に就くためには、今日は一日よく頑張ったと、このように満足とともに終わりを迎えるべきであって、それにはともかくも心身の健康が不可欠、睡眠不足などはもっての他と心得まする。

即ち、早寝に必要なのは、十分な睡眠であると、これこそが結論でございます…??

よくわかりませんが、もう寝ましょう。

次回テーマ決定  A.ハッガリーニ

  • 2011.07.19 Tuesday
  • 23:41
テーマコンテスト「天国」の勝者、DENCHからさっそく次回のテーマが届きました。

以下彼からのメールを貼り付けます。



(ここから)



勝者のでんちです。

自分でも反則気味かなと思いつつ書かせてもらったのですが、何で勝っても勝ちは勝ち。

という訳で次のテーマは…。



「名前」です。



今回も参戦いたします。

いざ勝負。



(ここまで)





短い。

短すぎる。

しかし何やらものすごい決意も感じられます。



さらなる大作の予感・・・。



レギュラー落ちしたDENCHにレギュラーも負けている場合ではないです。

新しいテーマ「名前」の締切は来月15日、飛び入りも認めます。

希望者は作品を

gariha@gmail.com

まで送ってください。



これからも雑兵日記PREMIERをよろしくお願いいたします!

テーマコンテスト結果発表!

  • 2011.07.19 Tuesday
  • 07:34
結果


今回の勝者は

「○○天国」  DENCH

でした!!

おめでとう!!

DENCHは次のテーマを決めてください。

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