何もかも百回も言われたこと

  • 2011.01.31 Monday
  • 17:18

今こそ強調しておきたいと思います。
こんな機会でもないと一生公表しないでしょうから。

僕は実は根気がある方なんです。
ほら、みんな興味ない。
でもいいんです。
今回はみんなにとって重要でないことがテーマなわけで、そらみんな興味ないのは当たり前です。
で、なぜ僕に根気があるということを今さらアピールするのかというと、根気がないと言われることがたまにあるからです。
これはねえ、正直かちんとくるんですよ。
みんな興味ないでしょうけれども。
あるっちゅうねん、根気。

すみません、つい言葉が粗くなってしまいました。

僕に根気がないという人たちの論法は決まっています。
たとえば僕は何度かダイエットを開始して、しばらくしてまた開始して、ということを行っています。
根気ない論者はうれしそうに
「三日坊主!」
「続けないと意味ないんだ!」
などといいます。
これらを枕詞に「根気がない」と言ってくるわけです。
僕は何度もダイエットをしています。
継続的に。
年単位で見たら確実に毎年ダイエットをしています。
根気の塊だと思いませんか?
え?
興味ない?
そうかもしれないですね。

もうひとつ例を挙げましょう。
僕は今ジョギングをしていますが(GRH=ガリーズ・ランニング・ハイと名付けています。)これも批判を受けることが多いです。
今年はシーズン7で、お正月から開始しており、今その5なのですが、
「週3回以上走らないと意味ない。」
「たまたま走ってるだけじゃないの?」
「そもそもシーズン7て何やねん。」
などと散々です。
これらから「根気がない」を係り結びのようにつなげてくるわけです。
一人一人パイルドライバーしてやりたいところですが、僕ももう32歳、大人なのでぐっとこらえましょう。

僕の反論は二つです。
まず、僕には長く続いている物があります。
毎日三度三度ご飯を食べてますし、寝てます、というのはありがちなボケですが、それは将棋であったり、文章を書くことであったり、サッカーであったり、プロレス観戦であったり、会社勤めだったり(5年も続くとは想像もしなかった。)どれもかなり続けています。
なぜそっちを見て「本当に根気があるねえ。」と言わず、むしろパレート最適が滞ったりすると罵ったりするのでしょうか。

さらに、やめたとしても一回もしないよりましです。
ここを勘違いしている人が多いようですが、減点でなく加点方式で人には接してもらいたいものです。

僕であるために

  • 2011.01.31 Monday
  • 17:17

先日、久しぶりに大阪ブリッジセンターに行きました。
昨年末から関西勤務となり、これからは月に一回くらいは顔を出すようにしたいなあと思っていて、とりあえず挨拶がてらに向かったものです。
緊張や不安がいくらかある中で向かいましたが、まったく心配することはありませんでした。
みんな、大学時代とまったく変わらない雰囲気で、快く迎え入れてくれました。
3年振り近くになるブリッジの内容は案の定ボロボロでしたが、非常に楽しい時間を過ごすことができました。もうちょっと上手くなりたいなあと思いました。
その後、軽く飲みに行ったのですが、いつもの店に、いつも行っていたメンバーで行きました。
私がトリカラを頼もうとすると、みんなクスッと笑います。すべて昔のままです。

気が向いたとき、売店にあればですが、将棋新聞を買います。本屋さんで見かければ、将棋世界を買うこともあります。
それらの記事を読んでいると、今でも、強くなりたいなあと思うことがあります。
さしあたっては、詰将棋くらいは高いレベルを維持していたいなあと思っています。

麻雀は、転勤前は面子が社宅で集まりましたしセットを持っている人がいたのでたまに打っていましたが、これからは機会は少なくなるでしょうね。
もちろん、その面子の麻雀に満足はしていなかったんですけどね。

競馬は、最近はすっかりレートを下げてしまいましたが、相変わらず毎週買い続けています。
だんだんと、これまで以上に、予想をすることを楽しむようになってきました。
レースによっては、買おうと思ってちょっと馬柱を眺めてみたけどまったく当たる気がしなくてケンする(馬券を買わない)ということもあります。
結果を見て「やっぱり外れてたなー」「この配当なら買わなくて正解だなー」などと回顧することも楽しいです。時には、狙いをつけていた穴馬が馬券圏内にくることもありますけどね。
仲間と一緒に競馬場に行ったときは、たくさん馬券を買いたい気になりますしたくさん買うでしょうが、基本的には、細く長く続けていきたいと思います。

これらはすべて、部室で覚えたことです。将棋は小学校のときから知っていましたが、本格的にはじめたのは大学に入ってからですからね。
多くの人にとって興味がないであろうこともあるでしょうが、私にとっては、これからもずっと長く付き合っていくであろう大切な趣味です。

あなたにとって重要なことを知りたい

  • 2011.01.31 Monday
  • 17:16

以前、美術館で抽象画を見てどうでもいいと思った、ということを書きました。
そこにあった絵は、生前か死後かはともかく評価されたからそこにあったわけです。
その一方で世の中には、「どうでもいい」絵を誰に評価されることもなく描き続けている人がいます。
誉められることが目的なら違うやり方もあるはずですが、そうはしない。
その人にとって重要なことだから、それを続けているのです。

髪型は僕にとっては重要でない、ということも書きました。
「人間にとって髪型は重要なのだ」と言われたとしても僕は大して関心を示さないだろう、といった内容がありました。
Mr.イエローにごめんなさいした後で考えたことなのですが、人間にとってではなく「私にとって髪型は重要なのだ」と言われたとしたら、おそらく僕は関心を持つはずです。
なぜ、どのように、どれくらい、いつから、どんなときに髪型が重要なのか、その人に尋ねたいと思うでしょう。
もちろんその理由が、僕にとっても髪型が重要であると思える理由となるかどうかはわかりません。

僕は新聞で映画の紹介欄を毎週読んでいます。
映画が好きで読んでいるというのとは少し違います。
高校の時の友人が映画好きで映画の話をよくしたため、その時に身につけた習慣で今も読んでいるのです。
僕にとって映画が重要であるという理由ではなく、たまたま僕の友人となったその人にとって映画が重要であったという理由で、僕は今でもそのような行動をさせられているのです。

僕にとってはどうでもよかったことが、「あなたにとって重要である」というだけの理由で、僕にとっても重要なことになりえます。
多くの人にとって重要なことは多くの人が考えていますが、あなただけにとって重要なことはあなたしか考えていないかもしれません。
誰からも理解されなくても重要だと思えることはどんなことで、それはどうしてなのか。
それを知りたいと思ったので、今回のテーマを「他人にとっては重要じゃないけど、自分にとっては重要なこと」に決めました。

ちなみに僕にとって重要なことは、この世界のことをもっと知って納得することです。
手段じゃないです、目的です。

トマトは焼けているか

  • 2011.01.30 Sunday
  • 17:15

僕は生トマトが嫌いです。
こう言うと世のトマト好きの人々は、

「トマトのいったい何が嫌いなのか?」
「あんなにおいしいのに。」
「嫌いだと思うから嫌いなのよ。」
「いっぺん目をつぶって食べてみなよ。」

と、ここぞとばかりに僕を滅多打ちにする。
馬鹿め、そんなことで僕を打ち負かしたつもりか?

「トマトの味が嫌いなのである。」
「自分がおいしいものは他人もおいしいはずだと信じるのは単なるエゴである。」
「嫌いだから嫌いだと思うのである。」
「暗闇で誤ってトマト入りサンドを食べたことがあるが、やはりまずかった。」

そもそも、味の好みについて分かり合うことは不可能だと思うのです。
「甘い」「辛い」など、味については分かり合うことは可能だろう。
だが、「おいしい」「まずい」など、味についての判断は分かり合えない場合もある。
ヘビメタを聴いてそれをヘビメタであるとほとんどの人は理解できるが、
それを「うるさい」と感じる人もいれば「美しい」と感じる人もいる。
ヘビメタを美しいと感じる人を否定しちゃいけない。トマト嫌いも同じだ。

だが、僕はトマト嫌いでありながら、同時にケチャップ好きでもある。
ピザの上に乗っかってるトマトも大丈夫だし、トマトプリッツも好きだ。
こう言うと世のトマト好きの人々は、

「何が違うのか、理解できない。」
「ピザの上のトマトはトマトでしょ。」
「トマトプリッツは関係ないと思う。」

などと、口々に自分に理解できないものに対する不満を口にする。
そう、何のことはない、彼らは自分に理解できないということが不満なのである。

「焼いているか、焼いていないかの違いなんじゃないか。」
「ピザの上のトマトは生トマトではなく焼きトマトである。」
「トマトプリッツは関係ありませんでした。」

そりゃあ、トマトが焼けているかどうかなんて、トマト好きの人間にとってはどうでもいいことだろう。
しかしね、それは僕にとっては、食べ物か食べ物ではないかの境目なのだということを、
いくら言っても、みんなわかっちゃくれないんだよなあ。

「精霊、テーマコンテストを憂う」

  • 2011.01.29 Saturday
  • 17:13

タイトルの欄にテーマ名をそのまま入れると「タイトルが長すぎます」って

注意されました。


私にとって重要なのに他人に理解してもらえないことは「好み」である。

いや、浮気をしないことと表現すれば面白いか!?

簡単な例をあげると家にある電化製品は全てシャープである。

正確にはシャープが発売していない電化製品は違うメーカーの物もあるが、

シャープの製品が有る物は全てシャープである。

別に家にシャープ関連の仕事をしているわけでは全然ないのだが。

ちなみにそのシャープ製品を買う店も球団のスポンサーにもなっている

某関西資本の家電量販店と決まっている。

読者の中にも「そのこだわりなら自分も持っている」と思われる方が

いらっしゃると思いますが、これが意外と他人には理解されないものなので

ある。

多くの人は家電のメーカーの統一性や店の統一性は気にしないのであろう

か。


「携帯はシャープ製しか使わない」と携帯ショップで言ったら必死に他メー

カーの新製品を紹介されたことがある。

「携帯のメーカーにこだわる人はいない」「他メーカーの方が今キャンペー

ンで安い」とかいう妨害にも負けず押し切ったが、店員の必死さは心に残っ

ている。

他人に理解されないと言えば、好きな芸能人も長い間好きになるわりには他

人に理解されることが少なかった。

小学生時代は西田ひかるが好きだった。

長い間好きだったが、理解されることは少なく、当時仲間はずれにされる恐

れから、みんなが細川ふみえがいいと言えば、それに従っていた思い出があ

る。

中学生、高校生時代は菅野美穂だった。やはり少数派だった。

多感な年ごろ、みんなが華原朋美や安室奈美恵などと言っている間もずっと

継続していた。

そういえば「あみ」も少数派だったなぁ・・・。

好きといってもひたすらテレビに出ているのを見るだけであったが、ドラマ

を欠かさず見ていたのを覚えている。そういえばあれ以来連続ドラマって見

ていないなぁ・・・。

菅野美穂がイグアナになってしまい失恋するまでそれは続いた。

たまに雑誌なんかを使ってやる

「どの子がかわいい?せーの!で一斉に指さそうぜ!」

っていう遊びでも見当違い、もしくは小数派を選ぶことが多かった。

うーん、なぜだろう・・・

沈みゆく家(前編)

  • 2011.01.27 Thursday
  • 17:12

この間もワイドショーのテレビカメラが入ってきて私の家を『ゴミ屋敷』とよんだので怒鳴りつけてやりました。
「あんた達にゴミに見えても、私にとってはなくてはならないモノだ。他人が棄てるようなモノでも、それを必要とする人が必ずいる―それが人生の真理ちゅうものではないですか。」と。
例えば私が幼い頃は、スリ切れて穴があいた靴下を、別の布を継ぎ接ぎして履いていました。
尾籠ながら昔は糞尿が農作物の肥料でもありました。

この家は祖父の代からのもので、親父には「ものを粗末にするな」と厳しく育てられました。
一応大企業と言われるような会社にいて、妻と息子の三人家族でした。
その息子が事故で亡くなって今年で八年になります。
家内は永患いの末、二年前に死去。

それからです。
何のために生きているのか、何をやっても無意味なような気がして…。
かと言って自殺することも出来なくて。
できれば熱い鉄板の上で水滴が一瞬のうちに蒸発して消えていくように、この身体が消滅しないかななんて考えるようになりました。
当然会社も辞めました。
何か胸の奥にポッカリと穴が空いたようになって、いわゆる廃品、不要なるモノに出合ったのはその頃です。

旧式の足踏みミシンが棄てられてまして、懐かしさのあまり家に持ち帰ったのがきっかけでした。
ミシンでよく母親がコトコト音を鳴らしていろいろなモノを作ってくれていました。
その夜は何か心の中のジグソーパズルの大きな穴が埋まったような気がしました。

それからです。
いろいろなモノを集めて家に持ち帰りました。
竹製の麻雀パイや壊れた蓄音器、フライパン等々。
これらは決して不用品でも粗大ゴミでもありません。
ミシンは母親のぬくもりを感じるし、麻雀パイを見るたびに親父の煙草をくゆらしながら麻雀をしていた姿を思い浮かべることが出来ました。
まだまだ使用可能な竹馬やグローブなども両親や子供との絆を連想させる重要なアイテムです。

人間様よりそうしたモノの方が暖かみがあって決して裏切ることはありません。
当然近所付き合いも少なくなっていきますし、町内会の活動も参加しなくなりました。
人様となるだけ関わりを持たないで生きていこうと考えたのですが、他人様の方が私にではなく、私の家にコンタクトを求めてくるようになりました。
ある日のこと、私の家の庭に突然大きな袋が投げ込まれたのです。

沈みゆく家(後編)

  • 2011.01.27 Thursday
  • 17:10

それがゴミだと理解できるまで三日かかりました。
なぜなら最初一個だった袋が、翌日には三つ、三日目には七個となって、その時初めて袋の中身を見たのです。
生ごみを中心に紙くず、空き箱などまさに廃棄すべきもので溢れていました。

私はそれら一つ一つを所定のゴミ集積所に持って行くようにしたのですが、棄てたらまた新しいゴミが投げ込まれる、これの繰り返しで、ほとほと疲れてました。
他人様との関わりを拒否しているのに、なぜ他人からこうした仕打ちを受けるのか私には理解できませんでした。

私は投げ込まれるゴミをそのまま放置することにしました。
きれいにするから、存在していたものが無くなるから新たに投げ込まれるのだと考えたのですが、まるで違っていました。

ゴミ袋は庭から徐々に家の中を侵蝕し始め、私の集めた思い出の品々にまで食い込みだしたのです。
当然生ゴミは臭くって家の中は悪臭ふんぷんたる状態です。
防臭スプレー、殺虫剤を何本も噴射して家を出るのですが、帰ってみるとまた再び新しいゴミ袋が投げ込まれています。
家はどんどんゴミの中に沈んでいきます。
ゴミと、例えば私の大切な思い出の品々との境界線がなくなり、おかしなことに今ではこの家に存在するすべての者に愛着を感じるようになっています。

私は地球温暖化で溶け行く氷河の中をさ迷うホッキョクグマのように、両親や息子、妻たちとの絆を感じ取れるモノを探し求めて知らない街を漂っています。
そうしている間も氷河が海に侵食されるように、私の家も新しいゴミで沈みつつあるのです。

いやそれらは最早ゴミではありません。
他人様の業そのものです。
人間とは何か、それはいかなる動物なのか、を如実に示すものとしてそこに存在し続けなければなりません。

幼い頃、金魚鉢の金魚が数珠繋ぎになった自分の糞を引きずりながら泳ぎ廻るのを眺めるのが好きでした。
現在の私はまさにそれです。
家の中を沈めつつある無数の袋は、金魚の糞さながら私の分身となってどこまでもくっついてきます。
私は自分の人生だけでなく他人の負の人生までをもズルズル引きずって生きています。

だからお願いです。
私の家を決して『ゴミ屋敷』などとはよばないで下さい。

がりはの気まぐれ振り返り(7)

  • 2011.01.26 Wednesday
  • 17:09

12月の振り返りを続ける。
今回は自作を簡単に振り返る。

「がりはの時間の使い方」

リクエストに応えて書いた。
アマチュア将棋と時間との関係はもう少し深めて改めて書きたい。
仕事の時の時間の使い方は書いた通りに使いたいが、実際はなかなかうまくいかない。
人と仕事をするというのはなかなか難しい。

「ダイアローグ40〜年末チャンネル権争い〜」

これ、割に出来がいいと思っていたのだが、あまり評価されなかった。
会話文は人数を絞る方が楽なのだが、年末だし全員出そうと思って、しかもうまく使いきったなあと自賛していたのだが、その辺が鼻についたか。
後で確認したら、レコ大って30日に移ったのね。

「紅白歌合戦にかける想い」

これは将棋部の桑田佳佑と呼ばれた俺にしか書けない作品だろう。
なんか着地が決まらなかった。
悔やまれる一品。
着想は良かったんだけどなあ。

「がりはの気まぐれ振り返り(5)」

振り返りを振り返る。
そして振り返り(5)には振り返り(3)の振り返りが含まれており、こういうのは時間の無駄のような気もするが、気にしない。
著作権についてはまとめて書きたい。

「がりはの気まぐれ振り返り(4)」

しかし、自分の作品を振り返るというのはつくづく恥ずかしいことである。
懲りもせず今月もやっているのだが。
まだ寡聞にして椅子に縛り付けられてPREMIERを読み聞かせられた人の噂はまだ聞いていない。

「MVPによるベストコメント賞発表」

40%くらいが期間外投票なので選定が難しい。
投票するのに質問がいっぱいあるのは、投票を妨げる効果があるのだろうか。
コメントを読むのは大きな喜びなのだが。

「ぼくたちの正義の話をしよう2」

正義を考える時に歴史的経緯というのはどれくらい影響があるんだろうというのは中学生くらいから気になっていた。
中学生の頃はその瞬間においての理路で判断する男であった。
あらゆる犯罪に情状酌量の余地を認めなかった。
原理的には全ての犯罪に厳罰を望む中学生であった。
その後様々な経験を経て、正義の相対化、物語(歴史的経緯)の重視など価値観の変容があり、今に至っている。

この辺のことを精緻に書いていくと、日本のマイケル(サンデルの方ね)と呼ばれるようになるのだろうか。

次回は他の人の作品を振り返る予定。

がりはの気まぐれ振り返り(6)

  • 2011.01.25 Tuesday
  • 17:08

すこし間が空いてしまったが気にしない。
気まぐれなだけに。
今回は12月を振り返ってみたいと思う。

先月の戦いで俺の胸を打ったのはやはり葉山悟とハッタリストの友情物語である。
葉山は「年末ジャンボ宝くじ狂詩曲」で、テーマ「年末」に絡めてオーバーアクションで笑いを取りながら、ハッタリストへのラブレターを書いた。
掲載されたのは12月30日。
それを受けてハッタリストは12月31日、むしろもう元旦だというタイミングで快作を返した。
内容もさることながら、あれを返すか、というその一点に俺はいたく感動した。
A.ハッガリーニが万感の思いを込めて昨年を締めくくった後に、強引に幕を上げてアンコールをしたハッタリストの業、そのハッタリストを慕う葉山の愛情に打たれた。

生きるということはずるいということです。

と、行定勲が俺に言ったことがある。
ハッタリストは葉山に「少しはずるくなれ」と諭しているように見えます。
「買いたければ買え、言い訳はいくらでもできるぞ!」
もう少し読むと、
「買って無間地獄を味わえ!」
と言っているようにすら思える。

さて、葉山悟は本当に宝くじを買うのをやめたかったんだろうか。
そして、買うための理由を探すのに困るほど純粋なのだろうか。

そう考えるとハッタリストがうまくまとめたかのように見える現在の局面は実は葉山の誘導によるものだ、とも思える。
その後二人の間に目立った動きはないが、今後の展開を注視したい。

この月のテーマは大問題だった。
「年末」だったのだが、大概おもいつくようなこととして、提唱者のアフリカの精霊が七つほどメジャーな?年末の話題を先に書いて潰したのである。
ほぼテロ。
我々は殺し合いをしているんじゃない、という藤波辰巳の名言を思い出す。
しばらく考えているうちに、挙げられたシチュエーションを逆に全部ひねって書いてやればおもしろいんじゃないかと思いついた。
紅白、チャンネル争いは七部作の一環として書いたのだが、他は完成しなかった。
完成していれば本数はハッタリを超え、最優秀作品はさらに混迷を極め、テーマコンテストは7つ揃って一つの作品とみなしてもらえばまあ間違いなく取れただろう。
つまり逆に三冠のチャンスを俺はこの手に握りながら、手放してしまったのである。
相手の手に乗って指すのは得意なはずなのだが。

負けてしまったが、面白いテーマ設定だったと思う。

ダイアローグ41〜年間最優秀作品?〜 がりは

  • 2011.01.24 Monday
  • 17:06

「年間最優秀作品何になるんやろな。」
『なんの?』
「なんのて!雑兵日記PREMIERに決まってるやんか。」
『だからそれなに?』
「知らんの?嘘やー。」
『なんやのん、それ。』
「知らんわけないやん。日本人やろ?え?まじで言うてるの?」
『だから何やのんそれ。』
「うわ信じられへん。じゃあハッタリスト知ってる?」
『しらーん。』
「うわっ!ほんまに?あのパーフェクト三冠王のハッタリストしらんの?」
『知らんわ。でもハッタリストって雨降ってなくても常に傘持ち歩いてて、雨降って来た瞬間に物すごい大きめの傘を高々と天に向かって差しそうな名前やね。』
「お前ほんまは読んでるんちゃうん?」
『え?何の話?』
「いや、傘うんぬん言うてるから。」
『そんな感じの人ちゃうか、という俺の想像やってんけど。』
「あ、想像ね!びっくりするわー。じゃあ、Mr.ホワイト知ってるの?」
『しらんよ。なんやねんそのレザボア・ドッグスのボスみたいな名前。』
「えっ。しらんの?去年一番月間最優秀作品賞とったあのMr.ホワイトも?終わってるな。」
『知らんわ。Mr.ホワイトってなんか中三の時の塾の夏期講習の先生の家に卒業してからお呼ばれしてワイン飲んだ、ていう思い出がありそうな名前やなあ。』
「お前知ってるやろー!!」
『知らんしらん。』
「なんかさっきから細かすぎるねん。おかしいなあ。ほなNIKEは?」
『知ってる知ってる。』
「ほほう。ヘリクツァーのNIKEやで?」
『はぁ?なんやねんそれ。JUST DO ITのNIKEやろ?』
「ちゃうちゃう。PREMIERの良心と呼ばれる書き手やで。」
『知らんわ。でもどうせ将棋するたびに持ち時間切らしてるんやろ、そのNIKEは。』
「当たってる!お前すごいなあ。天才っちゅうか。」
『当たってるんや。おもろいね。』
「ほな葉山悟は?」
『競馬ばっかりやってそう。』
「ミッチーは?」
『砂漠の真ん中で幻の動物の化石発掘してそう。ヒッポッポタマタマね。』
「うわ。なんか恐ろしくなってきた。アフリカの精霊は?」
『恋の授業してるね。』
「うわあああああ。最後に一応聞いておくけど、がりはは?」
『知らんなあ。でもプロレスラーになったらコーナーポストには素早く上りそうな名前ではあるね。』
「なんやねんお前!ほんまは全部読んでんねやろ!!」
『知ってると言えるほどやないねん。読めば読むほどわからなくなるからさ、雑兵日記PREMIERって。』

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