将棋部昔話8
- 2010.04.30 Friday
- 05:59
今から十年くらい前の話だ。
当時年を食った一年生だった俺は、忘年会の幹事をすることにした。
当時の先輩方は大人が多く、部室で忘年会なんてもってのほか、ちゃんとしたうまい酒を飲ます店を選んで来いと仰せつかった。
俺は当時蛍池に住んでいたのだが、学校に向かう道の途中に「飛車角」という立派な看板があって、将棋部の忘年会やしこういう名前の所でやったらかっちょええんちゃうんと思い、先輩を連れて下見に行った。
今もそそっかしくてポカが多い俺だが、当時はもっとアレで、価格表が表に出てない店に下見に行くんだから、財力に自信のあるメンバーをアサインするべきだったのだが、うっかり食べ盛り飲み盛りなメンバーばかりになってしまった。
山海の美味が並び、八人位でさんざん飲み食いしてお勘定、という時にどうしようもない敗勢であることに気がついた。
みんなで財布を逆さにしてもまったくお勘定に届きません。
ザワザワ。
ザワザワ。
て、言うてる場合か!ということで、当時M2の先輩に電話。
この時すでに11時を回っていたのだが、逆転するにはこの手しか見えなかった。
「すみません、今蛍池の『飛車角』でみんなで飲んでるんですけど、先輩も是非来てくださいよ!」(いかにもこれから飲む体で。)
「今寝るとこやってん。歯磨いてパジャマ着て。」
「そこを何とか!先輩来ないと始まりませんよ。」(ほんとは終了している。)
「うーん、よっしゃわかった。なんぼ持っていったらええねん。」
「片手くらいで。」(でかい方でお願いしたい。)
「ええー!わかった。待っといてくれ。」
恐らく全てを了解してくださった先輩は十分後に駆けつけてくださり、締めの乾杯と引き換えにお勘定の不足分を持ってくださった。
先輩の二つ名「観音様」は伊達ではなかった。
その印象が強すぎて、その年の忘年会のことは覚えていない。
次の年から忘年会は部室を活用したものになっていった。
鍋を持ちこんだり、王将やマクドに買い出しに行ったりして安価路線を歩み、僕らは将棋盤と時計があれば何時まででも過ごせるわけでどんどんエンドレスになっていったのであった。
先輩方の送別会でも面白いことがあったのだが、それはまた別の話。
当時年を食った一年生だった俺は、忘年会の幹事をすることにした。
当時の先輩方は大人が多く、部室で忘年会なんてもってのほか、ちゃんとしたうまい酒を飲ます店を選んで来いと仰せつかった。
俺は当時蛍池に住んでいたのだが、学校に向かう道の途中に「飛車角」という立派な看板があって、将棋部の忘年会やしこういう名前の所でやったらかっちょええんちゃうんと思い、先輩を連れて下見に行った。
今もそそっかしくてポカが多い俺だが、当時はもっとアレで、価格表が表に出てない店に下見に行くんだから、財力に自信のあるメンバーをアサインするべきだったのだが、うっかり食べ盛り飲み盛りなメンバーばかりになってしまった。
山海の美味が並び、八人位でさんざん飲み食いしてお勘定、という時にどうしようもない敗勢であることに気がついた。
みんなで財布を逆さにしてもまったくお勘定に届きません。
ザワザワ。
ザワザワ。
て、言うてる場合か!ということで、当時M2の先輩に電話。
この時すでに11時を回っていたのだが、逆転するにはこの手しか見えなかった。
「すみません、今蛍池の『飛車角』でみんなで飲んでるんですけど、先輩も是非来てくださいよ!」(いかにもこれから飲む体で。)
「今寝るとこやってん。歯磨いてパジャマ着て。」
「そこを何とか!先輩来ないと始まりませんよ。」(ほんとは終了している。)
「うーん、よっしゃわかった。なんぼ持っていったらええねん。」
「片手くらいで。」(でかい方でお願いしたい。)
「ええー!わかった。待っといてくれ。」
恐らく全てを了解してくださった先輩は十分後に駆けつけてくださり、締めの乾杯と引き換えにお勘定の不足分を持ってくださった。
先輩の二つ名「観音様」は伊達ではなかった。
その印象が強すぎて、その年の忘年会のことは覚えていない。
次の年から忘年会は部室を活用したものになっていった。
鍋を持ちこんだり、王将やマクドに買い出しに行ったりして安価路線を歩み、僕らは将棋盤と時計があれば何時まででも過ごせるわけでどんどんエンドレスになっていったのであった。
先輩方の送別会でも面白いことがあったのだが、それはまた別の話。