将棋部昔話〜その5〜 Mr.Violet

  • 2010.03.31 Wednesday
  • 21:25

将棋部は入部当初からかなり特殊な環境だった。というか今も恐らくそうだろう。
通常の部では基本学部1〜3回生で構成され、4回生が重鎮としてたまに顔を見せる。さらに上になるとあまりにめずらしすぎて誰だかわからない、とそれは言い過ぎにしてもそういった部が多いのではないかと思う。

私が入部したころの部室では将棋部に限らずD、M、社会人からMへ戻ってこられた方もおり、近い回生にも学部を卒業していておかしくない年齢の先輩方がいた。
そういった方々は自分たちよりも、社会的に豊富な経験を持ち様々なアドバイスを頂くことができた。また何か問題のある行動をする度に適切なお叱りを受けたことを思い出す。

一例として、私は人の話を聴かないとよく注意を受けていた。人の話を聴かないということは、理解していないということでも有り、正しい議論をできないということでもある。それは結果的に自分の意見を聴いてもらうことができなくなることでもあるし、その議論から正しい結論を導けないということでもある。その点を注意されてから、できるだけ人の話を聴くことを心掛け、まだまだ至らない部分はあるにせよ段々と改善してきていると思う。

こういった相手とのコミュニケーションであったり、社会礼儀であったり、ストロングスタイルであったり、立ち回り方であったり、状況は様々であるが、指摘を受ける一つ一つが非常にはっとさせられるものであり、身にしみて自身の成長につながっていると感じている。

自分が起こした行動について考えられる環境があるということは非常に幸せで、何を間違ったか、どうすれば良かったか、今後どうするべきかなどを考える機会というのは同回生や年齢の近い回生でわいわい騒いでいる中からはなかなか見出せないものである。
また、圧倒的な経験値の重みがある言葉はそれだけで未熟な部分を補っていただいたような気になる上、考え方の一規範として参考になることが非常に多い。

諸先輩方が卒業された後、こういったことを後輩に伝えていける先輩であろうとしたが、自身の未熟さゆえ、その結果はあまり上手くいかなかったかもしれない。それでも後輩たちが、私が感じたものと同じような何かを感じてくれていれば、それがさらに後輩を育てることに繋がるのではないかと思う。
そういう将棋部でこれからもあり続けて欲しいと切に願う。

プリミエールについて

  • 2010.03.30 Tuesday
  • 21:22
どうも、A.ハッガリーニです。
いつも雑兵日記PREMIERはをかわいがっていただきありがとうございます。
今後ともなにとぞごひいきに。

先月分の投票の中で要望の欄に「雑兵日記PREMIERの存在意義の再定義・明確化。」に挙げていただいておりますので、ZPGP統括本部長のこの私が、雑兵日記PREMIER編集長のこの私めが応えたいと思います。
きっと各プレイヤーも私に続いてモチベのありかを書きつづってくれることと思います。

雑兵日記PREMIERは当初七人で始まりました。
こういうことを始めるのは例によってがりはです。
昔阪大将棋部のHPのコンテンツ「雑兵日記」を盛り上げていた面々に声をかけ、「今のだらけきった「雑兵日記」にカツを入れたる!」くらいの心持ちで始めました。
我々が決めたルールというのは明文化していませんが原則的に一つです。

「読んだ人の心の琴線をかき鳴らす文章を書く」

付則として
「一回千字程度で書く。」
「ローテーションを決め、それを守る」
というものもあります。

レギュラー陣の入れ替えがあったり増員したりましたが基本的にこのスタンスは変わっていません。
どんな手を使っても琴線をかき鳴らせればいい。
写真だけで勝負するメンバーがいたり、音楽をつけたメンバーもいました。
漢詩を綴ったもの、古文調で書いたもの、対話編、モノローグ、小説、論説文、評論、ええ話。
限られた時間内に結果を残すための最善の努力を惜しまないその姿勢を我々は「プロ」と呼び、「プロの仕事をする」とことあるごとに言ってきました。

投票制度が始まり、ゲスト参戦が始まり、オープントーナメントがあったりしていわゆる「仮面者」が増殖していきました。
私から彼らにお願いしていたのは「読んだ人の心の琴線をかき鳴らす文章を書く」ということだけでしたし、私の心が揺さぶられなかったものは掲載をしていません。
仮面者に最優秀作品賞が多く出るのは九割は本人の努力と天分だと思いますが、一割はそもそも仮面者の作品に設けられているこのハッガリーニというハードルが高いせいだと自負しております。
今後このハードルが上がることがあっても下がることはありません。
レギュラー陣の投稿についてもレベルが下がれば方法を見直します。

これからも雑兵日記PREMIERは読者のみなさんの心の琴線をかき鳴らします。
それが存在意義の全てです。

お気づきかと思いますが、既に私は幾つかの手を打っています。
今後の我々に期待してください。

おばあちゃんの梨の木

  • 2010.03.29 Monday
  • 21:21

ずっと昔まだ大阪に住んでいた頃、おばあちゃんちに行くことは毎週末の楽しみであった。

覚えているのは、プラレールでよく遊んだなあということ。
週中には友人宅でテレビゲームをして遊んだりしていたのだが、おばあちゃんちでは、高速道路に乗ってて思いついたアイディアなどを元にプラレールの超大作を作るのが楽しくて仕方なかった。
そのなかでもうまいことできたと感じたときだったのだろう、「来週来るまでくずさんといてや」なんて無茶なお願いをしたりしたことも覚えている。
遠い、遠い記憶の話。

秋になれば、梨を食べるのが楽しみで仕方なかった。
当時、おばあちゃんちの裏には二十本以上の梨の木があり、おばあちゃんやおじいちゃんが一年かけて作った梨は本当に甘くて、世界一のおいしさであった。
夜になると懐中電灯を持って、梨の木まで梨をもぎにいく。大抵は高くて届かないのだが、届きそうなものの中で手頃な大きさのものを持って帰っては、むいてもらったりたまには自分でむいたりして食べていた。

小学校2年生のときに亡くなったおじいちゃんのことはあんまり覚えていないのだが、小学校6年のときに引っ越してそれから約4年間一緒に住んでいたということもあり、おばあちゃんのことはよく覚えている。
とにかく、優しかったことを覚えている。

いつか、大きな台風が来たときのことだったと思うが、母親に「(離れに住んでいる)おばあちゃんのとこに行ってあげ」と言われ、当時は渋々、おばあちゃんの部屋に行ったことを覚えている。
いつもと同じように、「好きなテレビ見たらいいよ」と言ってチャンネルを渡してくれたんだと思う。
今なら言われるまでもなくそうするであろうなあ、なんて。

そんなおばあちゃんも中学校3年生のときに亡くなってしまった。もうすぐ高校入学、というときであったが、高校の制服姿を見せることはできなかった。
それからまた年月が経って高校を卒業した頃のある日、おばあちゃんが亡くなってからほったらかしになってしまった梨の木を切ってしまうと聞かされ、改めて梨の木々の中に入ってみた。
その木たちの、低いこと。
幼い頃、高い高いと思っていた梨の木は今ならかがまないといけないくらい背の低いものだったのだ。
今もまだ生きていてくれたら、こうやって成長した姿を見てどういってくれるだろうなあ、おばあちゃん。

冒険

  • 2010.03.28 Sunday
  • 21:20


■2010/03/13 (土) 「少年易老」と「保健」を読んで by Mr.M


幼年時代、俺はそれほど活発な坊主だったわけではなかったが、放課後は外で遊んでいた。
埋立地の高層マンションのなかにある公園や計画的に造成された広い公園で、鬼ごっこをしたりドロケイをしたり、テニスボールで野球をしたりした。
マンションの中でカラーバット野球をした。
3階に放り込むとホームランだった。
もちろん、意味なく走ったり、木と見るや登ったり、何故か二階から飛び降りたり、16階建てのマンションの非常らせん階段を駆け下りたりはしていたし、長じては人工池の鯉をつかんだり、公園の東屋の屋根を集合場所にしていたりしたのだが、大人になった今と最も際立った違いは他にある。

俺の幼年時代、とにかく柵に囲まれたところ、塀の向こう、鉄条網の先のようなものを放っておくことができなかった。
そこに立ち入り禁止などと書いてあればもうバッチリだ。
絶対に俺はそれを放置しない。
工事現場だろうが、川だろうが、集会場だろうが、容赦なく入っていく。
規模の大小に関わらずだ。
冒険、それは何よりも魅力的だ。

マンションの下にはボイラー室的なところがあった。
そこはフェンスがいい感じに破れており、その先は薄暗く、冒険者の挑戦を待ち受ける難攻不落の要塞的な雰囲気を醸し出していた。
恐る恐る入っていくとききききききと鳴きながら蝙蝠がぶわああああと飛び出してきた。
逃げ出そうとしてもうまく体が動かない。
蝙蝠はそんな俺を相手にすることなく、夕闇の街へ飛んで行ってしまった。

今、家の近くに大きな公園が造成されている。
遊具は既に設置され、芝生を植えたり、木を移植したりしているところだ。
ここにぐるりとフェンスが張り巡らされている。
俺はこの公園予定地の周囲を時々ジョギングしているのだが、中に入っている子供の姿を見たことが無い。
大人の大群がフェンスを乗り越えて中の人工川で釣りをしているのは見かけるのだが、子供はそこにはいない。
この地域に子供がいないかと言えばそうではなく、正規の公園やら児童館には子供がいっぱいいる。

早くフェンスの中に入れ。
急げ!歩くな!走れ!

そしたらお兄さんがとびっきり怖い大人として怒鳴りつけてやろう。
冒険には怖い敵が必要だ。

夢競馬の人々

  • 2010.03.27 Saturday
  • 21:19
競馬が何より好きな友人がこういった。
 ―予想をハズしてしまうと、金銭的なマイナスだけでなく、何か自分の生き方まで否定されたような気持ちになって落ち込んでしまう―。
 けだし名言である。競馬にはそれほど人生を狂わせる魔力、魅力、磁力がつきまとう。
 成人して間もない頃、競馬場で中学校の数学教師を発見した。トレードマークだったヨレヨレのねずみ色の背広姿。すれ違った時、薄ら笑いを浮かべ「パカパカ、パカパカ」という馬の蹄でハミングしていた。実に楽しそうであった。濃いヒゲ面に陽の光があたり、まさに人生の至福ここに極まれり、という表情だった。
 
僕の通っていた中学校は一風変わっていて教師の掃き溜め的な存在であった。例えば整列が乱れているという理由で、その列に並ぶ全員をビンタする自衛隊出の体育教師、毎年出品している国連平和デーの記念ポスターを自分の思想信条に合わないからといって取りやめさせた美術教師、中学生相手に毎授業ものすごく高度な物理学を展開する白衣の女教師等々。その数学教師は頭脳明晰で、板書に次から次に数式を展開し、それを自ら解いてしまう一人授業の名人だった。
 どの教師にもどこか欠落した部分があってそれぞれの学校のPTA や教育委員会などで指弾されて、その挙句に落ち武者のように僕らの中学校に流れ着いたのだ。まだ中学生を『金の卵』と称して企業が大歓迎で受け入れた時代のことだ。
 PTAの存在もない、ましてや教育委員会の目の届きにくい特殊な中学校でそうした今でいう問題行動の教師たちはいかに生きていこうとしたのか。

 三連複や馬連単、三連単などの出現により競馬はまさに様変わり。それは単にギャンブラーとしての選択肢が増えたのではなく、人生の負のドラマが天文学的数字に増加していることに他ならない。当然マイナス面もあればわずかだがプラス要因もある。中央競馬会は競馬はロマンだとPRするが、何より競馬とはギャンブルである。それなくては成り立たない。そうした競馬ギャンブルにのめり込む様々な人々を炙り出しの画のように描くことができたら幸いである。なぜならあれほど苦手で嫌いだった数学教師が、競馬場で会って以来、とても身近な存在として受け入れられたからである。しかし今でも数学は嫌いだ。

五輪の陰

  • 2010.03.26 Friday
  • 21:18

MVPからのお願いということで、他人の文章に乗っかって書くようにという要望があったので、先月少し触れた五輪と政治経済の話について、Mr.Mとは少し違った角度から書いてみたいと思う(幼少時代については、もうしばらくお待ちください)。

どこかの知事が、
「銅メダルで狂喜する馬鹿な国はない」
「国家を背負わない者がいい結果を出せるわけがない」
というようなことを言ったとか言わないとか。
さすが「愛国者」として日本人の「品格」を感じさせる言葉ではあるが、今回はそういう話ではない。

ドーピング問題が時々オリンピックでも取り沙汰される。
ハンマー投げの室伏の順位が繰り上がった事件などはまだ新しい。
なぜ薬に頼ってまで勝ちたいのか考えてみると、成功を収めれば将来が安泰だからとか、失敗すれば帰国してどんな目に遭うか分からないとか、諸々の外的要因による場合が多いのではないだろうか。
一方、日本人がドーピングで処分されるということはあまり聞いたことがない。
それは、日本人の規範意識が高いからというのもあるだろうが、自分の名誉(周囲の評判ではなく、自分の心の中の名誉感情)のために参加しているからという面もあるのではないかと思う。
自分の心を満たすためであれば、ドーピングでいい記録を出しても、あまり納得できる人はいないはずである。
世界は広いもので、金メダルを取れば一生の生活が保障されるとか、負ければ命を狙われるとか、様々な国があるようだが、それらは後押しになる反面、誘惑に負ける動機にもなる。

しかし、お金は不要だというわけではない。
橋本団長は、帰国会見で、選手強化には国の支援が必要だと訴えていたが、確かに、各国とも自国の得意種目の選手強化には、国家レベルで人的物的環境を整えている。
選手に国を背負わせるのも結構なことだが、背負わせるには相応の支えも必要になってくる。
そこまでスポーツや文化に投資しても仕方ない、というならば、それ相応の結果しかないだろう。

五輪は選手の面を見ても政治や経済と繋がらざるを得ないのであり、それは五輪が国ごとに競い合う競技である以上避けられないものであるが、運営サイドなどの利害の絡み合いと比べると、まだ健全なものではないかとも思う。

サウナキング〜第23幕〜

  • 2010.03.24 Wednesday
  • 21:16
「簡単なことさね。」
小人は言った。
「お前はセンターの返り血を浴び過ぎたんだよ。あいつの血は粘着質だからね。お前さんの皮膚呼吸が止まったというわけだ。」
「くそおおお!!それだけじゃねえだろ!!」
「あたしに生意気な口をきいたんだ、ただで済むわけがないだろう。もうお前は達磨なんだよ。」
「意味が、わからねえ・・・。」
パイナップルはそれからピクリともしなくなった。
小人は手を叩いた。
顔の無い奴らがまた現れて、パイナップルだったものを外へ運び出した。

「毒か?」
「よーくわかったね。さすがはDENCHを名乗るだけのことはある。」
「どうやって中年の体に仕込んだんだ。」
「普通にやってあんなに体がでかくなるわけがないだろ。体がでかくなるブツ使ってるんだよ。」
「で、その中に毒を仕込んだのか。」
「副作用というやつだよ。説明はしてないけどね。目の前の勝負に勝ちたいという一心でそこまでやるんだよ、センターは。あたしはフェアネスの塊だからね、そういうことしないけども。あんたはどうなんだい。」

俺は返事をしなかった。

「人が話している時は、話している人の顔を見るって教わらなかったのかい?」
ゆっくりと小人が言う。

「教わらなかった。師匠は寡黙でね。」
「そうかい。あんた面白いね。面白いことを言っている風でもないのにユーモアがある。」
「どうも。あんたはパイナップルが生意気な口を利く前から中年に毒を仕込んだんだよな。」
小人がにやりとした気配があった。
「あんたたちの関係はどうなってるんだ?」
「おっと、道徳の時間はもうおしまいだ。お前のような若造にはわからない世界なんだよ。そして一生わからないままだ。なぜならお前もパイナップルと仲良く俺には分からない世界にいっちまうからだよ。」
「日本語をもう少し勉強したらどうだ。」
乾いた音がパンとなった。
音の鳴る方に一瞬向きかけたが、踏みとどまった。
今はサウナから出ることに集中しなければ。

「こっち向いたら命はなかったよ。」
「武力を背景とした脅しは俺には通じない。」
「なあに、本当のことだよ。そうそう、うちの『氷』はちょっと変わってるよ。」
「なんだっていい。」

俺はお前に勝って、その次も勝ってここから出て行くだけだ。
氷の中で気を失った時のことを思い出しかけて頭を振る。
この物理的、原始的な方法は意外なことに有効だ。
今は集中しなくてはならない。

ダーツ Mr.ブラック

  • 2010.03.23 Tuesday
  • 21:15
少し前から洋裁を習っている。
 きっかけは、裁縫が好きなことと、もう1つ、今の自分への燻ぶり、である。今の仕事も、広い視野では社会に貢献しているかもしれないが、私が見たいのは身近にいる人の笑顔で、以前、それを自分の裁縫で得られる経験にめぐまれたこともあり、それならば、この技術をしっかり習得するのも良いかもしれないと思ったのだ。
 
教室では、始めからミシンは扱わせてもらえるのかと思えばそんなことはなく、ひたすら型紙を描くレッスンが続いている。先週はブラウス、今週はスカート、という具合だ。この製図の作業が想像以上に難しい。採寸した数値を基に、衿ぐり、肩線、袖ぐり、と体の上部から描いていくのだが、製図用の定規に刻まれた8種の目盛を使い分けるために、定規を縦、横、表、裏と動かしながら線を引く。先生が描くのを見ているとその所作が一連の流れになっていて美しい。さらに興味深いのは「ダーツ」の概念である。もとは平面の布に、三角の切込み(これが矢の形に似ているから「ダーツ」)を入れて縫い合わせることで、胸や肘、腰周りの立体を造り出すのだ。この「ダーツ」を描いているときに、ふと、昔のことを思い出した。

小学低学年の頃、図工で身近な物を材料に衣装を作ってファッションショーをする授業があった。当時の担任の先生が、美大卒の、通勤時はシルクハットを被っていらっしゃるようなお洒落な先生だったので、おそらくオリジナルの授業だったのだろう。
クラスの多くの生徒が、ビニル袋や段ボール等、機能的な材料をうまく選択し、手や頭を出す穴を開けて衣装を作成している中、私は模造紙を前後2枚貼り合せただけの、実に平面的な衣装を作成した。他の皆が衣装の装飾に取組み和気あいあいとしている中、私は、その2次元の服の着用に四苦八苦、着用後も真直ぐな姿勢ではいられないので、猫背でウォーキングの練習をしていた。

今の私があのときの私に声をかけられるなら「ダーツ」を教えあげたい。紙以外の材料にしてみたら、とも言うかもしれない。でも、同時に思うのだ。当時の自分はそれを聞き入れないだろう。あのとき、私は、あの厚みのない服に十分に満足していた。薄っぺらく空虚な気持を抱えているのは今の自分の方だ。

ファッションショーでは、先生が1人ひとり写真を撮って下さったのだが、その写真の中の猫背の女の子は、控えめに、しかし誇らしげに笑っていた。

「ノンフィクション」を読んで

  • 2010.03.22 Monday
  • 21:14

■2008/09/28 (日) ノンフィクション Mr.グレー


ノンフィクションとはどういうものなのでしょうか。
たぶんそれは報道記事や論文や公的文書と違って、芸術に属するものでしょう。
しかしフィクションとノンフィクションは明確に分けられるのか、と改めて尋ねてみると、なかなか難しい問題のようにも思えます。

現実に起こったことを題材にするのがノンフィクションだ。
これだけでは全く説明になっていません。
多くのフィクション作品が現実に起こったことを題材にしているし、以前書いたようにフィクションは現実と非現実の合成物なのです。
歴史上の大事件でノベライズされていないものを探すだけでも一苦労ですし、もし発見できたなら恐らくその人にとって何らかのチャンスになるでしょう。

現実に起こったことだけを描くのがノンフィクションだ。
果たしてそうでしょうか。

近頃ではマスメディアの脚色・演出が盛んに非難されていますが、仮にそれぞれの報道機関が心から誠実であったとしても、HowでなくWhatのレベルで演出はせざるを得ません。
つまり「どう伝えるか」以前に、「何を伝えるか」もまた演出であり主張なのです。
新聞には「社説」欄というものがありますが、原理的には一面から最終面までのすべてが「社説」に属するとも言えます。
歴史年表にしてもそうです。
「歴史は勝者が作る」などと言われますね。
まして芸術作品であるノンフィクションが「現実に起こったこと」の淡々とした記録である、などということはあり得ないでしょう。
要するに、ノンフィクションもまた創作であり、その点ではフィクションと変わらないのです。

ストーリーや登場人物に関してはなるべく創作色を薄め、現実に起こったことを描く。
これならまあまあ納得できる感じでしょうか。もちろんこの場合の「現実に起こったこと」と言うのは平凡な日常ではダメです。小説よりも奇なる事実でなければ、取り上げる意味は無いのです。

HowのレベルよりもWhatのレベルの創作を重視するのがノンフィクションだ。これも結構スマートな表現と言えそうです。
このとき重要なのは、Howの解釈が鑑賞者と共有されていることでしょう。さもなければそれはフィクションです。

ノンフィクションとは常に特定の読者にのみ訴えかける芸術なのかも知れません。

将棋部昔話〜その4〜

  • 2010.03.21 Sunday
  • 21:10
全荘(ゼンチャン)という人がいた。
彼は一般の将棋部員のなかではたぶん結構珍しく、ストレートで修士課程を修了した。しかしながら、部室にいる時間が短い幽霊部員だったのかというと別段そういうわけでもなくて、下級生の頃は部室にいる時間は少なかったようであるが、学部卒業前後くらいからの部室滞在時間はそれなりには多かった。

彼は普通の指し将棋はそんなに強くなかった。
しなしながらその分というか、ゲーム将棋が強かった。ついたて、安南、取る一手、王手、などはどれも部内最強クラスであった。どれかのゲーム将棋の定跡がある、なんて話をしているのを聞いたこともあった。
さらに将棋以外でも、囲碁の腕は当時の将棋部内最強クラスであったし、ナポレオンのゲーム数も多かったし、麻雀にもたまには参加していた。部室を出ても、カラオケ、ボウリングと何でもござれで、何に誘ってもそれなりに上手かった。
お酒は弱い方だったけど、それはご愛敬。

そうやっていろんなイベントに参加しているから、そこそこ程度の彼の部室の滞在時間の割には、先輩後輩を問わずいろんな人が彼のことを知っていた。さらには彼の愛されるべきキャラクター性が加わり、多くの人を引き寄せた。
彼のそのニックネームの由来は麻雀からきたものだった。彼は麻雀はほとんど4人打ちしか参加しなかったのだが、彼が入ると場が重くなり西入どころではなく北入することもよくあった。そこから半荘(ハンチャン)2回分で全荘(ゼンチャン)というニックネームが生まれた。
みんな、親しみを込めて「全荘さん」と呼んでいた。そうやって場が重くだるくなっても、彼が「いやあ」なんて照れ笑いを浮かべると「仕方ないなー」なんて気に毎回なってしまうから不思議なものである。

指し将棋があまり強くないということもあって、リーグ戦に入ることも少なかったし、一軍戦に応援に来ることもほとんどなかった。
だから、一軍戦での勝ち星という意味では、彼が阪大将棋部に貢献したという証拠はないのかもしれない。
しかしながら、彼は当時の阪大将棋部にとってはいなくてはならない存在であった。

指し将棋を強くなってレギュラーを目指し一軍戦で勝ち星を挙げるのとは別に、こういう貢献の仕方もあるってことなんですね。

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