空が見えるところ

  • 2009.10.31 Saturday
  • 00:04
 

今日も神のお告げがあった。

人生はあなたが思っているよりもっともっとすばらしいものなんですよ

というものだった。

よって、旅に出ることにした。
徒歩で。
トホホである。

ふだん持ち歩いている手提げカバンは私をしばりつけるシガラミの象徴であるが、今日はそれがない。
わずかに2キログラム程度の足かせではあったが、たったそれだけのものから解放されるだけで私は驚くほど自由である。
もはや携帯電話の電波ですら私を捕えることはできない。
ポケットの財布が現世への唯一の未練である。

とりあえず目標と定めたごく低い山の頂に歩きついて、そこで夕日をながめたことはそれなりに感慨のあるものだった。
毎日昇ったり沈んだりしている太陽なのにこれを観察する機会がないのはもったいないと、神様もいつだったかにそうおっしゃっていた。
今日は楽しかった人生はやはりすばらしい明日からまたがんばろう、

と言っておうちに帰るのではただの散歩である。
私は旅に出たのだ。
すでにあたりは暗くなってきたが、まばらながらも街灯はあるし月もある。
未練のおかげでコンビニで買ったパンもある。
私はまだ歩ける。
ここからが本番である。

次の目標を街灯のない場所までたどりつくこととして街明かりとは反対の方向へ歩き始め、それから6時間程度が経過したであろうことを月の高さが教えてくれた。
もう歩けないと最初に思ったのがおそらく4時間くらい前なので、人間は神の創造物だけのことはあってなかなか丈夫にできている。
その間、街灯のない道がいくつもあったがそのたびに暗すぎて怖いからムリだとあきらめた。
そんなことをくり返していたが、地形の具合で月がよく見えるようになるとそれは街灯よりもむしろ明るいくらいであり、歩くことに何の支障もなくなった。
さきほどから人工の光は見えないので、つまり私は目標を達成したようである。
もう歩けない。
私は地面に寝転がった。

平らに見えた地面はゴツゴツしていて背中が痛い。
が、空があまりにも多くの星に覆われていることに驚いて、背中どころではなかった。
ついさっきまで世話になっていた月の光が邪魔に思えるくらいだった。

ここが私のゴールだ。
だからもう二度と朝は来ない。
すばらしい人生でした、ありがとう。
 
 
そう思ったのに、いつもと変わらず朝が来た。
神様、ここはどこですか?

ABOの話

  • 2009.10.31 Saturday
  • 00:03
 

会社に入ってよくするようになったことに、血液型トークがある。
面識の浅い人との飲み会だけでなく、いつものメンバーといった飲み会であっても同じような話を何度もするのだから、私の周りが少し特殊なのかもしれないが。

このように血液型占いといったものが巷にあふれているのは、日本だけが特殊だという向きもあるかもしれない。しかしながら、日本だからこそなのではなかろうかと私は考える。
それは、例えばイギリスでとりあえずの話題として天気の話をするのと同じようなものだと思うからだ。
日本人の特徴としてよく言われることのひとつに、協調性といったものがある。世間体といったものを気にするのは、日本人の血に植え付けられた性質であると言えるかもしれない。
そしてその反動か、自分を守るための手段か、分類することは相当好きである。血液型だけでなく、干支だったり星座だったりで分類をしようとする。もちろんこれらは、それによってどうこうしようという分類の仕方ではなくて、それこそ飲み会の話といったような軽い話であることが多いと思うのだが。
そしてだからこそ、イギリス人がする天気の話のように、当たり障りのない話としてそういった分類の話をするのではないか。それも、12種類ある干支や星座での分類ではなく、わずか4種類の血液型の分類の方が話としてわかりやすい。

血液型の違いというのは、血液中のタンパク質によって分けられるらしい。ある二つのタンパク質があり、一方だけ持っていればA型、もう一方だけならB型、どちらも持っていればAB型、どちらもなければO型となるらしい。
もちろん、そのタンパク質のあるなしで困ったことが起こったりするようなものではない。大昔にどうだったかは知る由もないが。

私は、血液型の分類というのはある程度は正しいのではないかと思っている。体中を巡る血液にそういった違いがあるのだから、まったくのゼロだとは思えないのだ。
しかしもちろん、それだけで済むものだとも思っていない。根っこの部分としての性質とは異なり、主にその人の性格を決めるのは後天的な影響であろうと思う。

それをもってその人のすべてをわかったように扱うのは良くないことだと思うが、アルコールの入った頭で話をするには、たった4種類のこの分類はちょうどいいのではなかろうか。
そうやって、私はまた血液型の話で盛り上がることだろう。

返事がない Mr.Indigo

  • 2009.10.31 Saturday
  • 00:02
 

返事がない。またしても返事が来ない。慣れたことではあるが、気分の良いものではない。

数週間前にも、同じようなことがあった。10日以上返事を待った。帰宅していの一番にOutlookを開いては、「くっ」と呟く日々が続いた。

私は催促をした。ダメ元でメールを送ってみたところ、幸運にも返信が来た。「こちらの方が連絡を取りやすいかも」とのメッセージとともに、携帯電話のアドレスも付いていた。

私は幸運を喜び、携帯電話から返信を出した。当座、携帯メールのキャッチボールは順調に進んだ。しかし、先週木曜の深夜を最後に、彼女からのメールは途絶えた。


昨春からネット婚活をしている。複数の婚活サイトに登録し、運命の出会いを探している。

ネット婚活は、始めるだけなら簡単だ。必要なものは身分証明書とクレジットカード。あとは月々2000〜5000円(運営会社やコースによる)の会費を払うだけ。そうすれば会員検索で条件の合う異性を探し、アプローチできる。

しかし、そこからは簡単ではない。返事が来ないことも多く、来るにしても運営側が用意した「ごめんなさい」の定型文がほとんど。まっとうな返事が来るのは1〜2割である。

その中で、実際に会えるのはさらに1〜2割。返事が来なくなったり、他の男と付き合うことにしたと言われたりで、なかなか続かない。

そして、最大の難関は会ってから。結婚相手を探しているため、基本的に相手が設定するハードルは高い。返事が来なくなったり、1〜2回会っただけで「ごめんなさい」だったり。結婚を視野に入れての交際には、1度として至っていない。



数日前に催促がてらメールを送ってみたが、返信はない。彼女が忙しくしているのは過去のメールから窺えるのだが、携帯メールの返信をする時間すらないとは考えづらい。つまり、私はその程度の存在でしかない。

そう、私は負けたのだ。ライバルは他の男か、仕事か、あるいは5分長く眠りたいという欲求か、それはわからぬが、とにかく負けたのだ。結婚へと至る蜘蛛の糸は、音もなく切れてしまったのだ。

いったいどうしてこうなるのか。自分の不徳の致すところか。もっと魅力的なメールを送信しなければならなかったのか。

悔恨の思いは尽きない。しかし、私は前を向くしかない。独り身で生きられるような強い男ではないから、地にたたきつけられる可能性が高くとも、糸を見つけて上るしかない。

さあ、サイトへアクセスしよう。会員検索をしよう。待ち受ける運命に向かって、堂々と突き進んでいこう。

立憲桃友會民主主義大演説會其ノ壱

  • 2009.10.30 Friday
  • 00:01
 

さて、諸君。

この度、この演説を以って本員の選挙論戦の区切りを付けたいと思う。

まず始めに本員が当該論議に於いて「何を」論じておきたかったかと云う事を明確にしなければならない。というのは、角方面から非難がなされているように個々の発言にはそれぞれに重く重要な意義を見出せるものの「論争」という点で見た時には議論を抑揚し建設的な結論を導いていないからである。結果、単なる筆者それぞれの個別の意見の羅列が続き読者諸兄の関心を遠のかせているという問題を抱えているからである。

本員が思うに、それは、そもそもこの一連の現象は議論に似て議論にあらず。一見には同じことを語ると見せてその実、論点と捉えたフィールドが各人に異なるからである。

振り返るに、当該議論はでんち君の投票に関する発言から端を発し本員がそれを受け、ハッタリ君に助言を求め、NIKE君がハッタリ君の総論をまとめたところへ、うべべ君が選挙制度のあり方について論じて議論が広がっていったと言うことが流れであると解するものであります。

しかし、それぞれの論点とする所はバラバラでありました。

端的に申しまするに、でんち君は自らの行動に非難する世論に対する復讐にも似た反論を主題とし、本員は当該演説において傍論とされる消極的な棄権行為について疑問を投げかけ、ハッタリ君は選挙の制度的解釈を行いNIKE君は普通選挙の善悪に議論を踏み込み、それに対し、うべべ君は選挙制度のあり方に対して疑問を呈するといったそれぞれに異なる主題を持ち出していたのであります。

読者諸兄から「揚げ足取り」と非難されたように、実は確信犯的に傍論であるはずの消極的な棄権行為を取り上げこれを非難したのであります。

本件は当該作品に於いては傍論ではありますが、しかしながら、本員に取りましては、現在の我国で国家の主権者たる国民の存在価値が度々軽視されていることに対し異議を唱える為にも、でんち君の消極的棄権説を絶対に看過することの許されざる問題と考え、問題提起する価値が充分にあるものと確信したのであります。

公式には「政治問題」を持ち出さないという自らの信条を破ってでも言わなくてはならない重大な問題だったからであります。

後日、非公式に当人と会い意見を交わしましたが、この件に関しては平行線を辿ったままでありました。

しかし、其の中で新たに本員の心中で問題の構造が明確になりこれを発することで議論の締めと致したいのであります。

(続く)

はなし四編 Mr.レッド

  • 2009.10.29 Thursday
  • 23:59
 

思いつくままに、はなしを書いてみる。

落花生のはなし。
僕はよく、見た目はいかついがおしゃべりのお兄さんがいる床屋さんに行っている。
そのお兄さんには、お金持ちの家の生まれの義理の妹さんがいるそうだ。不自由なく
育ったため、料理などしたこともない。「『えー、うそー、大根って細切りのやつが
そのまま生えてるじゃないの』と言われたときには驚いたよ。」とか話してくれた。
アカンやつがおるなぁと思った。
この間、千葉に出かけることがあった。畑に落花生がたくさん実ってた。木に実ると
思っていた落花生が、土の中で実ってた。アカンやつは自分だった。

電車のはなし。
自宅への帰り道、電車の中は混んでいた。パーティの帰りらしい青年グループが、ドア
付近でぺちゃくちゃと楽しくおしゃべりしている。次の駅で、赤ちゃんを抱えた夫婦が
乗り込んできた。青年グループが立ち塞がって、中に入れない。世の中、腐ってんなと思った。
夫婦はなんとか人ごみをかき分け、奥へと進んでいく。数秒後、夫婦の向かった方向から、
座席に座っていたはずの若者が、こちらに向かって歩いてきた。世の中、捨てたもんじゃないなと思った。

おもちゃのはなし。
今年の夏、親戚の家にお邪魔したとき、部屋の隅にあったブロックのおもちゃが目にとまった。四角や丸の形をしたブロックを組み立てて、車なんかにして遊ぶというやつだ。手持ち無沙汰だったので久々にやってみた。
こどもの頃は、見た目がかっこいい車をつくっていた記憶がある。しかしこのときできたのは、梁を通したりしてガチガチに頑丈にした、構造にこだわった車だった。おもちゃは、人の移りかわりを形にして映してくれると分かった。

フットサルのはなし。
金曜日の定時後、僕はフットサルに参加している。ベンチに腰をおろしている間、一週間分のごちゃごちゃが頭を駆け巡る。しかもなぜ疲れるだけであるこれに自分は参加しているんだろう。そう思いながら、ピッチに足を運ぶ。
10分後、プレーを終え、ベンチに腰を下ろす。そこには、ハアハアと息を切らし、疲れ果てて何も考えられない自分がいる。人間の思考なんて、「ボール×10分」のパワーで吹っ飛ぶような、てんでちっちぇものだ。フットサルはまだまだ続く。今夜の酒はうまそうだ

サウナキング(第14幕)

  • 2009.10.28 Wednesday
  • 23:58
 

人っ子ひとりいない大浴場を歩いて行くのは不思議な気分だった。
ぺたぺたという俺の足音と、かすかなボイラーの音が聞こえる。
サウナに向かう階段が妙に長く感じた。
足元に注意しながら登っていく。
階段を上る時は階段を上ることしか考えてはいけない。
薄い水色のタイルの最上段に足をかけようとしてぎょっとした。
それは横たわった大男だったからだ。
昨日ゴリラで俺と戦った大男が全身を薄い水色に塗られ、仰向けに寝かされている。
ドングリ眼は開かれ、俺を色のない目で見つめている。
「どけよ。昼寝していい場所じゃねえぞ。」
「踏めよ。俺は動けないんだ。」
「甘ったれてるんじゃねえ。俺はそういう趣味はねえぞ。」
「本当に動けないんだ。腕も足も筋を切られちまった。おまけにこんな色にされちまって。」
ぽろぽろとつまめるくらいの大粒の涙が流れてきた。
「ドラえもんとしては大分いい線突いてるぞ。じゃあな。」
と飛び越そうとした。
「ポケットの中に鍵が入っている。これが俺の役目だ。」
「ポケット?」
よくみると大男の腹に半月上の切り込みが入っている。
「そこにサウナの鍵が入っている。それがないとサウナに入れない。」
「逆にいえば奴らも出られないということか?」
「七時を過ぎれば彼らは出てきて、お前を殺すよ。いや、殺さないかな。」
俺はポケットに手を入れた。
生温かいものの上に固い鍵があった。
それを大男を傷つけないようゆっくりと引きずり出した。
鍵には丈夫なナイロン糸がついており、その先に万国旗が続いて出てきた。
俺はうんざりしながらそれを手繰った。
ご丁寧に200カ国くらいの旗がついていた。
ソーセージが続いて出てきた。
こいつの腸なのか。
そう思わせたいのか。
これにどんな意図があるのかさっぱりわからない。
8連のソーセージの後、名刺大のプラスチックケースがついていた。
ぬるぬるするそれを開けると、手紙が入っていた。

「逃げるなら今」

こんなメッセージを送るためにこんな手の込んだことをしたのか。
大男は気を失っている。

狂っている。
完全に狂っている。
今この場所でこいつを救ってやることはできない。
逃げられるとは思えない。
しかし俺が勝ったとしてもこいつは助からないだろう。

大男を飛び越し、鍵を持ってサウナに急ぐ。
鍵のあるサウナなんて聞いたことがねえぞ。
俺はサウナの鍵を開け、ドアを引いた。

You are what your blood type is. Mr.ブラウン

  • 2009.10.27 Tuesday
  • 23:56
 

血液型トークはどうも苦手だ。
面識の浅いヒトが多い飲み会の席なんかだと、よく話題になるんじゃないかと思う。
いくら苦手とは言っても適当に話を合わせはするが、どうにも気持ちが悪い。

世界から見ると日本だけが異常だって話もよく聞くが、少なくとも日本では簡単に笑い飛ばせない空気を持ってることがあるし、冗談で済んでないようなケースも耳にする。

この手の話題が尽きない背景には以下のような理由があるように思う。
・科学として信じてる
・性格分類を楽しんでいる
・皆がやってるから
・ぶら下がってる業界の存在

まず、遺伝との関連で科学的に根拠があると思ってるヒトが意外に多くて驚く。
直感としてはありそうだし、だから当然それを疑って検証したヒトがいるわけだが、結局、現在の科学的な知見は「血液型から性格が判断できるほど、両者の関連は強くない」という状況のようだ。
真実を知ることが幸せに繋がるとは限らないし、そういう意味で科学は時に余計なこともする。
しかし、血液型を就職や人員配置の判断基準に使ってる事例なんてのを聞くと、もはや個人で信じるかどうかの問題ではなくなってるように思う。

性格の分類を楽しむってのが、盛り上がる話題になる最大の理由だろう。
自分と関わるヒトがどんな性格なのか気になるのは当然だし、血液型による分類の単純さは、面識の浅い間柄での話題として受け入れられやすいのだろう。
こういう分類ってのはヒトへの興味の強さが表れてるワケで、心理としては分かりやすい。
ただ、今の血液型での分類は出来上がってしまったイメージが強すぎるし、先天的な属性であるだけに、無意識にそのイメージを演じようとする心理が働いてるような気がして、それが怖い。
それに、分類する楽しさは理解できるが、基準は別に血液型じゃなくてもいいはずで、後天的な性質を取り入れたほうがもっと皆が楽しめると思う。
AB型なんて「分類不能なその他」みたいに扱われてて、つまらんのだ。
もしかしたらこれが血液型トークが苦手な最大の理由かもしれないが・・

ここまで定着した要因の一つは「皆がやってるから」だろうが、これだって別に血液型である必要はないはず。
他の分類として、CSIやらソーシャルスタイルといった面白そうなのが提案されてるんだが、如何せん知名度が足らん。
この際、細部は捨てて取っ付き易くした上で、業界がくっついて来やすいような仕掛けが必要だろう。
血液型じゃつまらんと思ってる方、ひとつ考えて見ませんか。

シアワセについて本気出して考えてみた

  • 2009.10.26 Monday
  • 23:55
 子どもの頃から僕は周りの目を気にするタイプの人間であった。周りの誰かが哀しんでいないか、怒っていないか、大げさに言えばいつもびくびくしていた。
そして、それは今でも本質は変わっていないのではないかと思う。
例えば、子どもの頃と異なり自分の思ったことはなるべく言うようにしようと心がけているが、それでもその発言に対する反応に関しては気になって仕方がない。
しかしながら残念なことに、周りを気にすると言っても飲み会の席で誰かの杯が空いていることになかなか気づかなかったりするけれども。

どういったいきさつだったか覚えていないが、シアワセについて深く考えようとしていた時期があった。しかし当然のことながら、答えらしきものなどは結局何も浮かんでこなかった。
幸福というのは不幸でなくなることだと言われても、不幸ありきの幸福なんでほんとに幸福なのだろうかと考えてしまう。

そんな中で僕がよく思うのは、周りをハッピーにしたいなあということである。その際、自分が犠牲になっても構わないと考えるときもある。嫌だけど。
こういった自己犠牲の精神というものは、自己満足のようなところもあるかもしれないが、それでも僕は縁の下の力持ち的な役割を担うことができれば良いと考えることがある。
すべての人に認めてもらえなくてもいい。もしも、誰かひとりでもそれに気づいてくれる人がいるならば、それだけで僕はどのような苦労だっていとわない。

昔聞いたことばに、ギブアンドギブというものがある。ギブアンドテイクではない、ギブアンドギブである。
こんな時代だから、見返りを求めるような親切ではハッピーは訪れないのではないだろうか。

僕がシアワセを思い浮かべるとき、それは部室であることが多い。もしくは、やたらと散らかっている文化荘の一室。
10秒将棋を眺めているだけだったり、夜中にワイワイ麻雀をしていたり、ナポレオンをしながらじゃれ合っていたりする。
ただいつも同じなのは、その時間がいつまでも続けばいいのにと切に願っていたこと。

これからも、シアワセな時間は訪れることであろう。しかし当然のことだが、それが永遠に続くなんてことはあり得ない。
残念だけれども、せめて、そういったシアワセな時間を無駄にすることのないように、日々を過ごしていきたいと思う。

選挙権は国民の主権か?

  • 2009.10.25 Sunday
  • 23:53
 

もしそうなら、全ての国民に選挙権を与えればよいと思う。
現時点では2000万人以上の国民に選挙権が与えられていない。

まず未成年から問答無用で権利を剥奪している。
そして公職選挙法により、成人からもある条件で選挙権が剥奪されている。
禁錮刑以上の刑に処せられその執行を終わるまでの皆様。
さらに成年後見制度によって、成人かつ罪を犯していない人からも剥奪されている。
また、住民票がないという理由で選挙権を行使できない例も数多くあった。
他にもまだまだある。
これだけの制限がありながら、普通選挙と呼ばれているのが実情である。

まず「有害といえない限りそれを排除すべきではない」というNIKEさんには、どのような理由で19歳の投票が有害で20歳になったらそうでなくなるのか明確に根拠を示す義務があると思う。しかし18歳以上という条件に引き下げられたとたん、やっぱり有害とは言えなかったと言い換えるのだろうか。
正直くだらないと思う。

そこで「マニフェスト当てクイズ」である。
現行法での普通選挙という名の制限選挙に毒されてきた読者は気付かなかったかもしれないが、うべべの提案する選挙法には年齢その他による制限は一切無い。全ての国民にクイズ参加権を与え、通過者には全て選挙権を与える。マニフェストが重大な意味をもつため、政党はもしマニフェストに添えない場合は相当のペナルティを課されることになるだろう。「マニフェストを読んだ上で投票した方がベター」であるなら、クイズの内容がマニフェストであることに文句はないと思う。何しろ「ベター」なのだから。

さて、もう一つ別の話をしよう。
議論が「不毛」などという事は、少なくとも議論に付いて来れない人に言う資格はないと思う。羽生と谷川が感想戦で真理を追究している様を、駒の動かし方しか知らない人は何て不毛なのかと思うだろう。しかし羽生と谷川にとってはふっさふさの議論である。

ということでMVPからのお願いである。
「言いたいことがある奴はリングに上がって来い!」
意見をぶつけ、研ぎ澄まし、ひしめき合い、ひきしめ合い、互いを高めて行こうではないか。

僕はいつでも赤コーナーで待っています。

男子学生のための料理ガイド(3)

  • 2009.10.24 Saturday
  • 23:52
 がりはの「男子学生のための料理ガイド」第三回です。
どうですか?
自炊、順調ですか?

そろそろ飽きてきませんか?
終わることのない日常を生きろ、と説いたのは宮台真司ですが、毎日ご飯とみそ汁とさんま。
味はいいんです。
栄養も取れている。
でも満たされない。
わかりますよ。

そう、もうあなたには向上心が芽生えているのです。
この一月ほどのブランクはその向上心の芽を踏んで強くしている過程だったのです。
もしかしてネットで料理サイトを覗いたりしませんでしたか?
料理本を立ち読みしたりしませんでしたか?
私の役割はもう終わりかもしれません。

今日は向上心養成の回として、涙が出るほど簡単な卵料理をご紹介します。

凍っているネギは用意してありますか?
ネギをみそ汁サイズより細かく切ります。
山積みして、上から包丁でたたく感じでいいです。
さらに冷蔵庫にあるハム、ソーセージ、ベーコンの類を小さく刻みます。
これをまずフライパンで炒めます。
あ、フライパンを持っていない?
お近くのスーパーで600円程度で売ってます。
買いましょう。
サラダ油をちゃっと入れて、多いなと思ったらティッシュで拭きとってください。
箸でティッシュを動かしてくださいね。
ネギとハム的なものを叩きこんで、中火でちゃっちゃと炒めます。
この作業と並行して、冷ご飯を温めます。
ネギのいいにおいがしてきたら、ごま油を鍋肌から回しいれます。
「ごま油を鍋肌から回しいれる」という表現を使うためだけに、ごま油を買ってください。
悦に入ってください。
ご飯があったまったら茶碗にあけます。
そこに生卵を割りいれた後塩を振り、醤油をたらし、かき混ぜます。
「え?卵かけごはんの完成やん!」
と思った人、卵かけご飯を料理とは言いません。
これをそう、フライパンに叩きこみます。

ここからはひたすらにかき混ぜる作業です。
上級者になると左手でフライパンの柄を持ち、手首を返すとともに右手のヘラと連動して小気味よく混ぜていくのですが、ここではヘラで丁寧に焦げ付かないようにフライパンの底面をこそげていく方法を進めます。
これをやりながら、コショウをふります。

さて、コメがパラパラになってきたところで火をとめ、お皿にあけます。
ウスターソースがあればさらさらさらと素早く三往復させます。

チャーハンの完成です!

お好みでピーマンの刻み、グリンピースなども入れてください。

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