ダイアローグ32 byたりき

  • 2009.07.31 Friday
  • 23:19
ジャラジャラジャラジャラ・・・。
た「今年は梅雨が長いよなあ。」
お「なんか梅雨っぽくないけどね、降り方が。」
り「しとしとって感じではないですよね。」
た「一度降りはじめたら、即警報って降り方するもんね。」
り「そうそう。おっと、リーチ!」
た「ロン!」
り「はあ。」
た「七対子、1600。」
り「のみ手ですか。」
た「のみ手です。」

ジャラジャラジャラジャラ・・・。
た「もう7月も終わりやなー。」
り「学生のときと違って関係ないけどね。」
お「ただ夏休みで学生が少ないと通勤のときに楽だけど。」
た「ぱすかる。あ、それ、ロン!タンヤオ七対子、3200。」
り「またですか!」
た「はっはっは、才能だよ、対子の・・・。」
お「安いけど。」
た「ここで一句。気がつけば、だんだん対子が、増えていく、才能信じて、目指す七対子。字余り。」
お&り「はいはい。」

ジャラジャラジャラジャラ・・・。
た「なんか、5年前の今頃もこうやっていたような気がする。」
り「それは言っちゃいけない約束でしょう。」
お「そうだったの?そう言えば、今と違ってこの時期もう夏休みだったこともあったね。」
り「今の子たちは知らないですけど。てゆーか何であんな変な日程だったんだろ?」
た「そういや今ってもう通天閣杯やってなかったよね?」
お「そんなんあったなー。」
た「まあ、ほとんどがうちの将棋部の人間だったから微妙な部分もあったけどね。」
お「とか言ってるところを、ロン!七対子ドラ1、3200・・・。」
た「いやん。」
り「お前もか!」
お「うん。残念ながら。」

ジャラジャラジャラジャラ・・・。
た「それにしてもそっきから七対子ばかりだよね。」
り「あんたらのせいだ!」
た&お「いやー。」
り「二人して照れるな!」
お「とか言ってるところを、今度は、ツモ!四暗刻!!8000、16000。」
た「おいおい。」
り「ひでー。」
お「才能、才能。」
り「てゆーか、あんたらが二人そろったらそりゃー対子場になるよ!」
お&た「まあまあ。」
り「もうやだー。」

ジャラジャラジャラジャラ・・・。

注意;この内容はほぼフィクションです。

おまえらに優秀な人間の気持ちがわかるか ハッタリスト

  • 2009.07.31 Friday
  • 01:25
学校のテストで100点をとった。むろん100点満点のテストである。
成績優秀な私のこととはいえ、いつでも満点をとれるわけではないので、先生にも褒められた。
いわく、彼は今回100点だった、みんなも見習いなさい、と。
友達もスゲーと言ってくれた。
平均点は50いくつとのことなので、確かにこれはスゲー点と言ってよいだろう。
だから、私もスゲーと返事したのだ。

うれしかったのは事実だが、一方でしばしば感じることのあった違和感が今回は特に強かった。
私が努力しなかったとは言わない。
しかしそれは決して人並み外れた努力ではなかった。
人並みの努力で人並み以上の点をとり、褒められたのだった。
私以上に努力している人間を私は知っている。
褒めるという行為が「彼を見習え」という意味ならば、そのような人間をこそ褒めるべきだと私は思うが、不幸にして彼の成績は人並み以下だ。
してみると、「彼のように行動しろ」ではなく「彼のような結果を出せ」が褒めることの意味なのかもしれない。
私が褒められた理由が私の行いではなく私の遺伝子や環境にあるなら、私は今回のテストの結果に関して両親や周囲の人々に感謝をするべきだろう。

いつからか、他人から「おまえは頭がいい」と言われても何とも思わなくなった。
かつてはそのように言われるたびに反論していたのだ。
私は成績が良いだけであって、それは頭が良いこととは違う、と。
私と私の友達というごく限られた集団の中ではあったが、私の成績が良いのは事実と言ってよかった。
それを否定するのはただの謙遜であって無意味だと思っていたし、今もそう思っている。
だが今では、私の頭が良いことを否定するのもただの謙遜である、と思うようになってしまっている。
与えられた環境で自分にとって最大の利益となる行動を選択できることが頭が良いということだ、と私は解釈している。
今の私は十分に幸せだと思っているので、それはおそらく私の頭が良いということなのだ。

これでも既にうぬぼれていると評されるべき状態なのかもしれない。
しかし数年もすれば、私は自らが天才であるなどと思い込むようになってしまうのではないかと、そのほうが心配なのだ。
おだてられて木に登った豚はその後どうするのか、それを想像できない人間は安易に人をおだてるべきではない、と私は思う。

「メインイベンターと必殺技」を読んで by Mr.M

  • 2009.07.30 Thursday
  • 09:41
<a href=http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=534309&log=20090128 target=_blank target=_blank target="_blank">
■2009/01/28 (水) メインイベンターと必殺技 がりは</a>

僕はニュースとスポーツ中継くらいしかテレビを見ないのですが、最近のスポーツ中継はとにかくキャッチフレーズ流行りです。選手一人ひとりに大層な称号が付くのはもはや常識になった感があります。
典型的なのは王子や姫のたぐいです。そこまで露骨でなくとも、画面上に一言二言の紹介文が付くことは少なくありません。選手紹介だけでなく、現在の状況を表すテロップも増えてきました。
一体なぜなんでしょう。

テロップの起源は聴覚的ハンディへの配慮だったのでしょうが、いま画面上に咲き乱れているキャッチフレーズの数々は、明らかに違います。それらは、番組のコンテクストを共有できていない人への配慮なのです。

ネットに代表されるオンデマンドの情報社会では、総合チャンネルの在り方が変わってくるのは避けられないと言えます。僕はニュースとスポーツにしか興味がないのですから、本来なら専門チャンネルと契約するところなのです。地上波を見ているのは、ただお金がないからにすぎません。

そうしたライトな視聴者を取り込むには、番組内容がキャッチーでなくてはいけません。ザッピングしていた人がふと手を止める、そういうキャッチーさが必要です。
お笑い番組はネタの短時間化が進んでいるそうですが、さもありなんという印象を受けます。たまたま途中から見た人は、今何が起こっているのか分からなければすぐにチャンネルを変えてしまうのです。だったら常に初めから見せれば良いという発想に至るのは当然でしょう。

しかしスポーツ中継の場合、それができません。
ザッピングしていて何となく行き当たった人に、今から起こるワンプレーがなぜ見るに値するのかを一瞬で伝えなくてはいけない。この試合に至るにはこういう因縁があって、この選手はこういう個性があって……といった説明を長々としている暇はありません。ところがそのコンテクストこそはスポーツ観戦を楽しむ必要条件なのです。

そこでキャッチフレーズの出番となるのでしょう。
初めからその試合が目当てだった人には、それは全く不要な、むしろ無粋なものに感じられるのかもしれません。コアなファンほど前座試合や二軍の試合にこだわる理由も、そこにあるのかもしれません。

サウナキング(第7幕) がりは

  • 2009.07.30 Thursday
  • 00:03
三人の男がやってきて、二人は白い男をうつぶせのまま、ちょっとしたベッドを運ぶみたいに、運び出した。
入口まで黒い斑点が点々とつづく。
もう一人は何枚も持っている大きな雑巾で水たまりを手際よく拭いていく。

「なんだか、妙な綾がついてしまいましたね。今日はいったんお開きにしましょう。どうですかDENCH君、仕切り直しというのは。」
「いいですよ。俺もゲンが悪いと思っていたところですから。」
「では、明日の七時、この場所で。」

どこをどうやって来たのかは覚えていないが、俺は脱衣所の籐椅子でコーヒー牛乳を飲んでいた。
危なかった。
あのまま続いていたら間違いなくあの中年にやられていた。
パンチ、大男、白い男と続いた戦いを見届けた上であの余裕。
白い男の動きに対して、冷静かつ致命的な一撃を加えた。
尋常ではない修羅場度胸と言わざるを得ない。
どうやったら勝てる。

コーヒー牛乳の瓶を置き、服を着替えようとロッカーに。
俺のロッカーには開けた痕跡がない。
誰だ、俺にコーヒー牛乳を持たせたのは。
脱衣所内を見渡す。
誰もいない。

番台の窓のところに俺の服が畳んで置いてあった。
乾燥機の熱気をはらんで気持ちいい。
番台に「ありがとう」と声をかけたが見向きもしない。
オールバックの三白眼が座っていて、客が入ってくると思っているんだろうか。
26番の下駄箱からサンダルを出す。
まだ湿ってやがる。

雨は上がっていた。
街は無色のまま指数関数的にいかがわしさを増していた。
どんな黒服も、女達も俺には声をかけない。
俺は色のない街の中で、もっとも透明な存在なのかもしれない。

ビルとビルの間に赤い光が見えた。
路地というにも狭すぎるその道、都会にけもの道があるならまさにこんな感じだろう。

ははっ。
空笑いをしてから、踏み出す。
赤い光の中に文字が見えてくる。
「アルデバラン」
アルデバラン?
ブルズアイのことか。
ビルの間を抜けてたどり着くと、旅館だった。
素泊まり2200円。
右を見ても左を見てもベニヤ板でとうせんぼしてあり、アルデバランにたどり着くにはあのビルの間を抜けてくるしかない。
ここはとても静かだ。
さっきまでの喧騒が嘘のようだ。
もしかして、と思って真上を見ると星がいくつも見える。
もちろんビルによって視界はかなり狭められているのだが。
首が痛くなるまで星を見て、俺はアルデバランに入った。

「学会にて」を読んで by Mr.M

  • 2009.07.27 Monday
  • 23:17
<a href=http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=534309&log=20081213 target=_blank target=_blank target="_blank">
■2008/12/13 (土) 学会にて ハッタリスト</a>

「意味不明なことを言われた」と思っていても、実はそうではなかったと後から気付くかも知れない。

子供のころ親に言われたことは、大抵大人になってからその意味に気付かされるものです。
あるいはどんな物語でも、あからさまに伏線だと分かる伏線は、後のドラマチックさを演出できないでしょう。
何だかトリヴィアルな話に聞こえますが、ハッタリさんの場合は学会で起こった話なので興味深いものになっているのですね。

ところで、本当に意味不明なこととそうでないことはどうやって区別したら良いのでしょうか。
例えば「bk2@yf<]enw@r>」という意味不明な文に実は意味があった、ということが発覚する可能性はあるのでしょうか。

もちろん「意味不明」という言葉は聞き手(読者)にとって意味不明、ということですから、話し手(筆者)が意味を込めた文であればそれが発覚することはあり得るでしょう。
暗号や古代文字などがその典型です。これらは確かに意味不明だけれども、何らかの意味が込められていることだけは分かっているのです。
しかしそこが曖昧だったり確かめようがなかったりする場合は、ややこしいことになってきます。
遺産を巡る争いで臨終間際のうわ言が争点になる場合や、ミステリーサークルなどがそれです。

また、逆のパターンも考えられます。多分『はてしない物語』だったと思うのですが、子供のころ読んだ話です。
ダイスを振ってランダムにアルファベットを選び、記録していくという作業をはてしなく続けている人たちがいました。理由を尋ねると「文字列の中に、偶然単語ができることがある。ということは長い時間をかければ文ができることもあるはずで、そうするといつかはこの『はてしない物語』がすべて記述されることもあるだろう」というのです。
話し手は意味を込めていないことが分かっているにもかかわらず、そこに意味が生じると言えないでしょうか。

意味を決定するのは誰なのか。話し手か、聞き手か。あるいは客観的な意味は存在しないのか。
ハッタリさんの相手は、適当に知ってる単語を並べてみたお茶目さんだったのかも知れません。

ちなみに上の「bk...」は、日本語入力したものです。

将棋のカミサマ ハッタリスト

  • 2009.07.25 Saturday
  • 23:53
将棋の神様、一局教えてください

「えー将棋すんの、イヤだけど、どうしてもっていうんならいいよ」

じゃあ、振りますね

「あっ振り駒するんだ」

俺が先手ですね、お願いします

「…お願いします」

指しましたよ?7六歩です

「なな…ろくふ…だと…?……負けました」

えっなんでですか

「必敗の局面で指し続けるなんて、そんなみっともないことできないよ、神様だし」

じゃあ、もう一局教えてください

「こっちが先手ならいいけど」

はい、それでお願いします



負けました。完敗でしたけど勉強になりました、ありがとうございます

「まあねー神様だしねー」

ときに神様、俺の先手でもう一回指しませんか?

「えっやだよ、負けるのいやだし」

いえ、悪い局面でも気にせず指し続けてほしいんです。ダメでもともとと思って

「しょうがないな、一回だけだよ」



まっ、待ってください、なんで飛車を捨てるんですか

「ケチつけんなよー、ダメもとで指せって言ったじゃんか」

いや、それにしたって明らかに駒損ですよね

「駒損?」

え?

「駒損?」

あの、駒が一枚減りますよね

「減るよ」

それって損ですよね

「損?」

えっと、勝ちにくくなるじゃないですか

「どうせ何やっても負けだよ」

俺が間違えるかもしれません

「可能性は否定しないけどさ」

だったらその可能性が大きくなるように指すべきでしょう

「は?」

駒損したら俺が間違える可能性が低くなりませんか?

「なんで?」

ああ、いや、じゃあとにかくあんまり駒損しないように指してみてください

「注文多いなー、いいよ、そうするよ」



「今の手さ、なんでそう指したの?」

なんでって…、そちらからは速い攻めはないので、次の4五香が厳しいと思ったんです

「香をとって駒得だからそっちがいいってこと?」

まあ、そうですね

「ふうん、でもそれ悪手だよ」

あっそうなんですか

「駒得だからいいはずだと思って間違えたわけだ」

そういうことになります

「そっかー、そういう考え方をしてるわけね。ちょっと分かってきた、思ってたよりおもしろいのかもね、将棋って」

はい、おもしろいですよ、すごく…

放電いたしまshow! by DENCH

  • 2009.07.22 Wednesday
  • 23:36
もーいーくつねーるーとー
でーんーちーのーひー♪

111です。
ただし、徹夜麻雀で当日を迎えるものとします。
ここで1首。

11月11日は電池の日
1飜アップで接待しろよ

これはMVPの願い事ではなく、毎年恒例の行事です。
願い事は昔なら「部室に全自動卓を設置」でしたが、もう私にメリットがありません。
「11飜アップで接待」を希望します。

気分が乗ってきたので、先月度の読者の声に放電いたします。

その1;
アホなので鏡の話がよくわからなかった。
なんでスプーンのときは上下逆になる(「錯覚」が起こらない)の?

>○○さん
私も自分が正しいのか不安なまま書いていました。
まだ完全には納得できていません。
さて、スプーンの凹面の話ですね。
凹面鏡では物体が焦点の外側にある時、倒立実像ができます。
像は上下だけでなく左右も逆ですが、左右逆だと感じないのであれば、それも錯覚と言えるのかも知れません。
平面鏡と同様の錯覚が起こらない理由は、前後と上下の両方向が逆なので、残りの左右の方向については意識し難いため、と私は考えます。

その2;
DENCHさんのおかげで楽しかったですけど、そのせいで他はあんまり印象に残りませんでした。

>××殿
筆者冥利に尽きます。
書くのが嫌なことはしばしばありますが、貴殿のような読者が1人でもいらっしゃるのなら、楽しんで頂けるよう精進します。

その3;
報告なのですが、メンバー紹介のページが、会社からだとアクセス規制ページに指定されてます。

>△△さん
共感できます。
私はもっと不憫です。
PREMIERのページが、会社からだとアクセス規制ページにほぼ指定されています。
「ほぼ」としたのは、稀に規制されずにトップページだけ見られる時があったからです。
しかし精進に精進を重ねた結果、「PREMIER 作戦掲示板」で毎回検索すれば見られることを、つい最近発見しました。
トップページ以外は規制されたままなので、残念ながら勤務中に投稿はできません。

おまけ(先々月度分);
更新が日付が変わる前後なのは勘弁してほしい。
ケータイで更新お知らせを受け取っているので。

>□□!
は?
携帯電話が鳴らないことを望む時間帯には、電源を切れば済むだろ。
冷やかしのコメントは勘弁して欲しい。

以上、電気を使い切りました。
来月からも、ビリビリしびれるような文章を目指します。

多謝 byたりき

  • 2009.07.20 Monday
  • 22:57
中学生くらいの頃、使っていたチャリがパンクをしてしまったので自転車屋さんに持って行って直してもらうことになった。
そのとき、よく覚えていないがほんのささいな理由から、ぼくはろくにお礼も言わずにいたことを覚えている。
後で母に叱られたものだ。職人さんには礼を尽くさなきゃだめだよ、と。
いま工場で働いているぼくは、それを体感している。
職人さんというものは、自分の技術にプライドを持っているところがあるように思う。そして、気難しいと言っては言葉が悪いが、そういったタイプの人が多いのではないだろうか。
先日ぼくはフォークリフトの免許を取った。それでたまに運転したりしているのだが、ちょっとした仕事ならともかく自分の年収の数倍の機器を移動させたいとは決して思わない。ぼくには到底その技術はない。
そういうときは、その道のプロである人の力を借りるのが良いのだろうと思う。なんだかんだ言っても、礼を尽くせばやってくれるのだから。

小学生の頃、いくつかの少年野球チームが集まって合同チームで大会に出たことがあり、ぼくもそれに参加した。
そのときどんなメンバーだったか、誰々がいたなどについてはまったく覚えていないのだが、ひとつだけ覚えていることがある。
それは、そのチームの監督さんに言われた言葉である。その合同チームではほとんど試合に出れなかったのであるが、そんな中で言われたものである。
「お前はベンチに置いておきたいんや。」
今思えば「いやいやいやいやいや、試合出たいですから」ってなもんなのだが、当時のぼくは妙に納得してしまったのを覚えている。
たしかに、当時から無駄に元気だけはあったので、そういうことを言っていたのだろう。
中学生に入ってからもずっと補欠だったものの、背番号だけはいつももらえていた。声出し、雑用要員だったのだが、当時のぼくがそれをわかっていたのかどうかは、はっきり言って覚えていない。
それでも、無駄に元気であるという基本的なところは今も変わっていない。しかもそれが、先の職人さんたちから受けが良さそうなのだからありがたいことである。

こうやって心の奥に残っている言葉たちが今のぼくを構成している。いろんな人に支えられて今のぼくがあるということだ。
そして、それを思い出しては懐かしんでいるというのは、年とったなーということなのかもしれないということにもまた気づいている。

JAPANESE CHESS うべべ

  • 2009.07.18 Saturday
  • 22:53
▲First hand 76 Walk △Later hand 34 Walk
▲First hand 75 Walk △Later hand 84 Walk
▲First hand 78 Flying car △Later hand 62 Silver
▲First hand 48 Ball △Later hand 64 Walk
▲First hand 38 Ball △Later hand 63 Silver
▲First hand 28 Ball △Later hand 42 King
▲First hand 38 Silver △Later hand 32 King

JAPANESE CHESSという呼び方はたしかに気に食わないが、
そういう僕達だって中国将棋という呼び方をしたりするのだ。
立場が変われば見方が変わる。
希望の数だけ失望は増える。
それでも明日に胸は震える。

▲First hand 16 Walk △Later hand 14 Walk
▲First hand 76 Flying car △Later hand 88 Edge becomes
▲First hand same Silver △Later hand 85 Walk
▲First hand 78 Gold △Later hand 52 Gold right

先手は僕で、後手はショートカットで活発な女の子だ。
そういう設定で見て欲しい。

▲First hand 77 Kma △Later hand 22 Silver
▲First hand 79 Silver △Later hand 33 Silver
▲First hand 68 Silver △Later hand 44 Walk

そろそろ飽きてきただろうか?
少なくとも僕は飽きた。
飽きたので即興で短歌を作ろうと思う。

飽きたけど
中途半端に
なるからと
やむなく続ける
インチキ英語

▲First hand 56 Flying car △Later hand 43 Gold
▲First hand 76 Edge △Later hand 86 Walk
▲First hand same Walk △Later hand same Flying car
▲First hand 43 Edge becomes Thus, First hand won by 35 hands.

<Playback game>
Later handは「やられちゃったぁ〜」と言いながら舌をぺろっと出した。
今回は上手く決まりすぎたが、この戦法は僕が編み出した必殺技である。
この戦法で僕はアマチュア名人やら、アマチュアHigh段者やら、
Middle段者やらヒグマ〜brown bear〜やらを倒してきた。
決して君が弱いわけではない。ただ僕がstrongerだっただけだ。
ショートカットで活発な女の子は、じっと盤面を睨んでいる。
自らの過ちをじっと胸に刻み込むように。

暇な方はどれだけ文法ミスがあるか調べてみるといいかもしれない。
少なくともI井さんには『same』が間違いだと指摘された。

ただでさえ、ただなのに Mr.Pink

  • 2009.07.17 Friday
  • 23:56
石垣の中の一つに
組み込まれず
何百年も居る、何百年も。

大坂城。

日本に、いくつ城が現存するのか。
それにしても、天下無双の大城。
難攻不落の、構えであったと言い伝えられるが、その石垣は大層立派なもので往時の威厳をそこに偲ばせる。

しかし、何故、私が今こんなところに立っているのか。

よく考えると、これほど間抜けな話もない物で、大坂人が大坂城に、平日の半休を使って遊びに来ているのである。
随分と、ベタなものをご所望で・・・と、半ば呆れて見返す後ろに居るのは我が親友である。

関東から来ている。
女工哀歌の舞台から、わざわざ、大阪くんだりまでやってきて、開口一番「大坂城!大坂城!」と、騒ぐから来たのである。
「通天閣は?」と聞くと「私に会ったからもう、いい」ということである。

それにしても。
一時は、北浜に居て、梅田で待ち合わせしようと云う手はずだったから歩いて大阪駅に着いたら、「大坂城!大坂城!」である。

たぶん、この分では、箕面も泉南も大方すぐ近くだと思っているに相違ない。関西人が、鎌倉と横浜ってすぐ近くですよね?というのに、似ている感覚かもしれない。

さて、それはおき。
大坂城について、石垣を見たら、もう、飽きてしまったらしい。
天守閣には入らなくていいと云う。
けったいな物だと、豊国神社の方面から降りて谷町方面へ行って、NHKのスタジオ見学である。合成映像を作って、私がニュースを読みあげたり、お天気おじさんをしたりしたのを見てはしゃいで居る。
朝ドラの舞台セットを見て、はしゃいで居る。
今度は、天神祭り前の天満宮に行って、祭の準備をしているのを見てはしゃいで、上方落語の寄席を外から見てはしゃいで、天六商店街を見てはしゃいで、とにかく、はしゃいでは、すぐ飽きて、歩いて、また、はしゃぐ・・・ということを繰返していた。

それにしても、この子は同い年なのに、小学生のようなはしゃぎ方をする。
見ていると、小学生である。今にも泣きだしそうな顔で破面で笑うのである。
あまりにも、天真爛漫にはしゃぐので、はしゃぐのを見るのが嬉しくて、思わず知らず、結構な距離を歩いてしまった。
彼は大阪を体感して、はしゃいで、はしゃいで、動いた。
私はそれを見て、満足であった。

それでいい。
それで。

それにしても、いずれも、おそろしく金のかからない、一日同行だったなと、帰りの電車の中でようやく、気がついた。

足の筋肉痛は、その、お土産である。

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