3月振り返り Mr.ホワイト
- 2009.04.30 Thursday
- 07:09
3月の振り返りをしろと言われたので、言われたとおり振り返ります。
3月はなぜか、暗い月でした。
今月はどうなってしまうのだろうと不安になるくらい、無性に暗かった。
「死」あるいは「無限の繰り返し」を思わせる作品が異常に多かったように思われます。
■03/14 (土) モルグ うべべ
暗すぎます。
死体安置所へ引きずられるだけの自分。
我々の毎日は、あまりにも同じで、あまりにも平坦だ。
変わらない毎日。終わりなき日常。
延々と同じことを繰り返していると、ふと思う。
「私は、ただ死ぬためだけに生きているのではないか?」
我々の進む道に「小石」があれば、棺が傾くこともあるだろう。
問題は、その「小石」すら見つからないことだ。
ジャック・クリスピンいわく、「死んでるみたいに生きたくない」。
■03/23 (月) 途方に暮れる Mr,ホワイト
拙作ですが、暗すぎます。
まるで「モルグ」のパクリのような文章ですが、誓ってパクリではありません。
実は個人的にものすごく怖かったのが、この「途方に暮れる」と「モルグ」の奇妙な符合。
モルグがアップされたのが3月14日、
私がハッガリーニ氏にこの文章を送ったのが同じ3月14日。
同じようなテーマの日記を、ふたりが同時に書いていたものと思われます。
■03/27 (金) 道はつづく by NIKE
テーマが「繰り返し」。
明るい文章ですが、私は明るくは読めなかった。
我々が生きていることはまさにルーティンそのものだが、
我々は「好きだから」生きているのだろうか?
ということを考え出すと私はまた、沈んでゆく。
■03/30 (月) 旅立ちの日に byたりき
水槽の中で生かされている我々。
恐ろしすぎるイメージ。
■03/31 (火) ホットコーヒー ハッタリスト
やはり繰り返すしかないのだ。
どれだけ嫌でも、繰り返すしかないことがあるし、
好きなことでも、繰り返していれば嫌になることもある。
それでも、繰り返さないといけない悲しさと、
悲しさから目を背けて生きていくしかない切なさと、
視点を変えることで世界が彩りに満ちていく面白さを、
サッと軽く写し取っていて、なんだか救われた気になりました。
この作品が3月中に発表されて本当に良かったと思います。
大人になったらクラス替えがない。
3月に無性に暗くなったのは、誰も変えてはくれない、
そして永遠に続きそうな「いま」の自覚だったのかもしれない。
3月はなぜか、暗い月でした。
今月はどうなってしまうのだろうと不安になるくらい、無性に暗かった。
「死」あるいは「無限の繰り返し」を思わせる作品が異常に多かったように思われます。
■03/14 (土) モルグ うべべ
暗すぎます。
死体安置所へ引きずられるだけの自分。
我々の毎日は、あまりにも同じで、あまりにも平坦だ。
変わらない毎日。終わりなき日常。
延々と同じことを繰り返していると、ふと思う。
「私は、ただ死ぬためだけに生きているのではないか?」
我々の進む道に「小石」があれば、棺が傾くこともあるだろう。
問題は、その「小石」すら見つからないことだ。
ジャック・クリスピンいわく、「死んでるみたいに生きたくない」。
■03/23 (月) 途方に暮れる Mr,ホワイト
拙作ですが、暗すぎます。
まるで「モルグ」のパクリのような文章ですが、誓ってパクリではありません。
実は個人的にものすごく怖かったのが、この「途方に暮れる」と「モルグ」の奇妙な符合。
モルグがアップされたのが3月14日、
私がハッガリーニ氏にこの文章を送ったのが同じ3月14日。
同じようなテーマの日記を、ふたりが同時に書いていたものと思われます。
■03/27 (金) 道はつづく by NIKE
テーマが「繰り返し」。
明るい文章ですが、私は明るくは読めなかった。
我々が生きていることはまさにルーティンそのものだが、
我々は「好きだから」生きているのだろうか?
ということを考え出すと私はまた、沈んでゆく。
■03/30 (月) 旅立ちの日に byたりき
水槽の中で生かされている我々。
恐ろしすぎるイメージ。
■03/31 (火) ホットコーヒー ハッタリスト
やはり繰り返すしかないのだ。
どれだけ嫌でも、繰り返すしかないことがあるし、
好きなことでも、繰り返していれば嫌になることもある。
それでも、繰り返さないといけない悲しさと、
悲しさから目を背けて生きていくしかない切なさと、
視点を変えることで世界が彩りに満ちていく面白さを、
サッと軽く写し取っていて、なんだか救われた気になりました。
この作品が3月中に発表されて本当に良かったと思います。
大人になったらクラス替えがない。
3月に無性に暗くなったのは、誰も変えてはくれない、
そして永遠に続きそうな「いま」の自覚だったのかもしれない。