La men au riz ハッタリスト
- 2008.10.31 Friday
- 02:44
ラーメンを久しく食べていない。
ラーメンを食べたい。
ラーメンを食べよう。
何のあてもなかったが、犬も歩けば棒に当たる。駅前でラーメン屋はたやすく見つかった。
注文したのは、ご飯セットだ。
ラーメンと白い飯、炭水化物と炭水化物をセットにした神をも恐れぬ組み合わせ。栄養価の側面を一切顧みることなく味覚的な欲望のままに考え出された、堕落を自覚しなければ決して選ぶことのできない悪魔のメニューだ。
あえてそのことに触れる店員もいなければ、客もいない。我々は共犯者だ。
想像通りのラーメンは瞬く間にその量を減らしていく。
白飯もまたそれと同調している。ここでラーメンとのペースを合わせられないような飯であれば、ご飯セットを名乗る資格などない。
全ては美しい調和の中にある。
そのはずだった。
食べ終わってなお空腹だったというわけではない。
味にも値段にも何ら不満はなかった。
それなのに。
なぜ、思い通りになった、やり遂げた、夢がかなったという満足がないのか?
カツ丼ならカツ丼を食い尽くしたという達成感が、カレーならカレーを打ち負かしたという充実感が、コンビニ弁当ですら空になった容器からは自分がこれをやりおおせたという自負が感じられた。
その満足が、今はない。あるのはむしろ寂寞感。
ただのラーメンではない。
カップ麺でもない。
ご飯セットだ。
ご飯セットだ。
満ち足りた腹の中に満ち足りぬ思いを抱えたままラーメン屋を後にした、その記憶が今日再びラーメン屋へと足を運ばせた。
注文は。
チャーハンセット。
落ち着け。まだギョウザはついていない。
しかし後戻りのできない道をまた一歩進んでいるのは確かだった。
チャーハンは油でギトギトだ。
ラーメンも油でギトギトだ。
こんなにギトギトなのにこんなにおいしいなんて。
こんなにおいしいのに。
こんなにおいしかったのに。
どこに不満があるというのか?
仮に次の機会があるとすれば、その時は最悪の選択することになるだろう。
ラーメン、チャーハン、ギョウザ。
注文すれば間違いなく地獄に堕ちる、禁断のメニューだ。
それでもなお足りなければどうする?
どうする?
ラーメンを食べたい。
ラーメンを食べよう。
何のあてもなかったが、犬も歩けば棒に当たる。駅前でラーメン屋はたやすく見つかった。
注文したのは、ご飯セットだ。
ラーメンと白い飯、炭水化物と炭水化物をセットにした神をも恐れぬ組み合わせ。栄養価の側面を一切顧みることなく味覚的な欲望のままに考え出された、堕落を自覚しなければ決して選ぶことのできない悪魔のメニューだ。
あえてそのことに触れる店員もいなければ、客もいない。我々は共犯者だ。
想像通りのラーメンは瞬く間にその量を減らしていく。
白飯もまたそれと同調している。ここでラーメンとのペースを合わせられないような飯であれば、ご飯セットを名乗る資格などない。
全ては美しい調和の中にある。
そのはずだった。
食べ終わってなお空腹だったというわけではない。
味にも値段にも何ら不満はなかった。
それなのに。
なぜ、思い通りになった、やり遂げた、夢がかなったという満足がないのか?
カツ丼ならカツ丼を食い尽くしたという達成感が、カレーならカレーを打ち負かしたという充実感が、コンビニ弁当ですら空になった容器からは自分がこれをやりおおせたという自負が感じられた。
その満足が、今はない。あるのはむしろ寂寞感。
ただのラーメンではない。
カップ麺でもない。
ご飯セットだ。
ご飯セットだ。
満ち足りた腹の中に満ち足りぬ思いを抱えたままラーメン屋を後にした、その記憶が今日再びラーメン屋へと足を運ばせた。
注文は。
チャーハンセット。
落ち着け。まだギョウザはついていない。
しかし後戻りのできない道をまた一歩進んでいるのは確かだった。
チャーハンは油でギトギトだ。
ラーメンも油でギトギトだ。
こんなにギトギトなのにこんなにおいしいなんて。
こんなにおいしいのに。
こんなにおいしかったのに。
どこに不満があるというのか?
仮に次の機会があるとすれば、その時は最悪の選択することになるだろう。
ラーメン、チャーハン、ギョウザ。
注文すれば間違いなく地獄に堕ちる、禁断のメニューだ。
それでもなお足りなければどうする?
どうする?