ある理系学生の勉強についての考察 byたりき
- 2008.04.28 Monday
- 00:09
「授業にはかばんが出ていますよ」(将棋部の某同期の金言より)
のっけからnikeさんのパクリのような出だしだが、部室で一緒にナポレオンをしていたある日、とある同期が言っていた言葉である。
読者の多くは上回生たちかもしれないが、一部の1、2回生のため、学生の勉学(理系版)について書いてみようと思う。
学部生時代、授業に臨むに当たっては適当なかばんを用意し、半出席は当たり前、講義が終わる頃に顔を出せば全然オッケー。そして、昼からは部室に居座り、次の日の授業に備えて徹マーをして講義で得られないメンタル面のトレーニングをする。
というのが、私の1、2回生の頃の生活であった。一部の専門の授業を除けば、出席率はひどいものであった。
試験に当たっては、nikeさんが理系の学生には通用しないと言った方法を使う。ただ違うことは、コピーするのがノートではなくて過去問であることが多いということだろうか。
多くの場合、数年間の過去問があればその先生の出題の傾向がわかる。下手すれば毎年同じ問題を出す先生すらいる。
すなわち、過去問さえあれば何とかなっちゃう場合が数多くあるのだ。
これは効率的な方法である。
おそらくどのクラスにも一人は過去問を集めている人がいるだろうし、少数派だろうが「試験で良い点数を取れば普段の出席がゼロでも構わない」と明言した先生だっている。
しかし、そういった他力本願の方法から得られるものはほとんどない。
というのは事実であろうが、では全出席でこまめにノートを取った授業の内容はしっかり頭の中に残っているのかというと、そういうこともないのである。
理系の学生の多くは大学院に進学する。そして、これが結構重要なんじゃないだろうかと最近思えてきた。
「そういえばこんなこと勉強したなー、覚えてないけど」とか思いながら勉強し直す。しかも、試験のように「こんなもんでいっか」という妥協点がないから必死である。
もちろん、だからといって「たくさんサボりましょう」とは言わない。
個々の考え方にもよるだろうが、私の場合、共通教育の授業についてはもう一度やり直しても同じ手法を使うだろう。自分の専門分野の授業に関しては、授業に出るんならそのときくらいはもっとマジメに授業に臨めばよかったとは思うけれども。
どれくらい参考になるかわからないが、社会人2年目を迎えて考えたことである。
のっけからnikeさんのパクリのような出だしだが、部室で一緒にナポレオンをしていたある日、とある同期が言っていた言葉である。
読者の多くは上回生たちかもしれないが、一部の1、2回生のため、学生の勉学(理系版)について書いてみようと思う。
学部生時代、授業に臨むに当たっては適当なかばんを用意し、半出席は当たり前、講義が終わる頃に顔を出せば全然オッケー。そして、昼からは部室に居座り、次の日の授業に備えて徹マーをして講義で得られないメンタル面のトレーニングをする。
というのが、私の1、2回生の頃の生活であった。一部の専門の授業を除けば、出席率はひどいものであった。
試験に当たっては、nikeさんが理系の学生には通用しないと言った方法を使う。ただ違うことは、コピーするのがノートではなくて過去問であることが多いということだろうか。
多くの場合、数年間の過去問があればその先生の出題の傾向がわかる。下手すれば毎年同じ問題を出す先生すらいる。
すなわち、過去問さえあれば何とかなっちゃう場合が数多くあるのだ。
これは効率的な方法である。
おそらくどのクラスにも一人は過去問を集めている人がいるだろうし、少数派だろうが「試験で良い点数を取れば普段の出席がゼロでも構わない」と明言した先生だっている。
しかし、そういった他力本願の方法から得られるものはほとんどない。
というのは事実であろうが、では全出席でこまめにノートを取った授業の内容はしっかり頭の中に残っているのかというと、そういうこともないのである。
理系の学生の多くは大学院に進学する。そして、これが結構重要なんじゃないだろうかと最近思えてきた。
「そういえばこんなこと勉強したなー、覚えてないけど」とか思いながら勉強し直す。しかも、試験のように「こんなもんでいっか」という妥協点がないから必死である。
もちろん、だからといって「たくさんサボりましょう」とは言わない。
個々の考え方にもよるだろうが、私の場合、共通教育の授業についてはもう一度やり直しても同じ手法を使うだろう。自分の専門分野の授業に関しては、授業に出るんならそのときくらいはもっとマジメに授業に臨めばよかったとは思うけれども。
どれくらい参考になるかわからないが、社会人2年目を迎えて考えたことである。