【テーマ】都道府県の風景と私(21)岐阜県  Mr.Indigo

  • 2019.02.16 Saturday
  • 10:04

 

 

岐阜県は概ね旧美濃国と旧飛騨国から構成されている。両者の力関係については改めて言うまでもない。そもそも平地の広さが違う。進展性が大差なのは誰の目にも明らかだ。

戦国時代、織田信長が美濃国を奪取し岐阜城を拠点に勢力を広げていた頃、飛騨では小勢力によるドングリの背比べが続いていた。姉小路頼綱によって国内統一が成されたのは信長死後のことである。

頼綱が江馬輝盛を破り飛騨統一を決定づけた八日町の戦いは「飛騨の関ヶ原」と呼ばれているが、動員兵力は姉小路方が1000人、江馬方はわずか300人だったという。ほかに姉小路方2000人、江馬方3000人という説もあるが、それが多すぎるように感じられるのが飛騨である。美濃国内を二分する戦いなら何の違和感もないのだが…。

武田家、上杉家、織田家という列強に囲まれていたにもかかわらずレベルの低い争いが延々と続いたのは、飛騨を領有するメリットが乏しかったからだろう。戦国時代の英傑にとって、飛騨は魅力的ではなかったのだ。

 

しかし、旅好きの現代人にとって飛騨はなかなか魅力的なエリアであろう。

平成の大合併によって旧飛騨国は4つの自治体に再編されたが、いずれも集客力のあるコンテンツを有している。高山市の古い町並み、下呂市の下呂温泉、白川村の世界遺産・白川郷はいずれも絶大な人気を誇るスポットである。飛騨市はやや地味だが白壁の土蔵が並び、近年は映画『君の名は』の聖地としてブームを巻き起こした。

下呂は名古屋・岐阜に近いのでいささか事情が異なるが、他の3自治体はいずれも時代に取り残されたことが観光地としての魅力を向上させた。明治以降の産業革命や高度経済成長の恩恵を受けられていれば、統一感のある景観を維持することはできなかったはずだ。

もっとも、高山や古川(飛騨市)の町並みは貧しさを感じさせない。これは江戸時代の飛騨が天領だったためだろう。江戸幕府の目的は林業や鉱業による収入だっただろうから、その集積地となる都市が整備され発展したのは理解できる。

一方、山村の暮らしを知るには高山市郊外にある「飛騨の里」に行くのが良い。ここには飛騨地方に残されていた江戸〜明治時代の民家が10軒ほど移築・保存されていて、内部の見学もできる。観光地化した町並みよりもリアリティが高く、非常に面白かった。

賑やかな町並みと山村。双方に触れることによって、飛騨の魅力を満喫できるのではないだろうか。

(写真提供:高山市観光課)

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