鉄の海(60) by Mr.ヤマブキ

  • 2017.08.10 Thursday
  • 00:00

 入院してきたMさんは前回の入院よりも確実に弱っていた。外来では部屋に入って出るまでの間だけなので、どうしても余所行きの顔になってしまうので気付かなかった。入院中でも完全に自分の家にはなるわけではないが、多少なりとも余所行きが崩れるから初めて分かる。肺炎治療などで癌治療に入れていなかったのだから仕方ない。

 そうなると悩ましいところではある。通常の抗癌剤というのは癌細胞も正常な細胞も殺してしまう。ただ、癌細胞をより多く殺す薬なのでうまく量を調整すれば、癌細胞をそこそこ殺す割に正常な細胞はそんなに殺さない、という状況を作り出すことができる。ではもし正常な細胞が弱っていればどうだろう。癌細胞を殺しても正常な細胞も耐え切れず、抗癌剤で命を縮めてしまうことになる。まだ癌細胞を殺すメリットの方が正常な細胞を殺すデメリットを辛うじて上回るだろうが、それを下回る時期がいつきてもおかしくない。

 

 予定通り、Mさんには次の抗癌剤投与を行った。メリットが上回るといっても、重大な副作用が出てしまえば命を縮めてしまう危険はある。抗癌剤治療をしない方がより長く楽に生きられたのに、ということもある。その責任は主治医が取るのだ。でも責任について考えるとき、どうやって責任を取ればいいのか分からなくなる。抗癌剤をしたことで、結果的に抗癌剤をしないよりも命が縮んでしまった場合、何をどうやって取り返せばいいのだろう。どんな方法で責任を取ることができるのだろう。例えば取締役が引責辞任をする。それは本当に責任を取ったことになるのだろうか。経営不振の責任は再興でしかありえないし、もっと言えば経営不振の間の苦痛は再興しても消えることはない。過去は無しにはならない、という意味で本質的に責任を取るということなどできはしないのではないだろうか。

 だがしかし、責任を取られる側の納得ということが本質だというのなら、こうやって信用関係を築いて悩んでその治療を行うことに合意が得られたなら、すでに責任問題というのは消失しているに違いない。医者はそれを信じるしかない。ガイドラインがそう言っているから、論文ではそうなっているから、といくらでも言い逃れることはできるし、たとえ副作用によって死に至ったとしても、それでも非のある医療とは言えないだろう。ただ、咎める。その意味では責任は自分自身への責めであり、その咎と真摯に向き合うことでしか果たされないのかもしれない。

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