【リバイバル】死んでるように生きたくない Mr.ホワイト

  • 2017.03.19 Sunday
  • 11:59

10年前のある朝、私はいつものように6時30分発の電車に乗り、いつものように一番前の車両の真ん中の席に座り、いつものようにポータブルМDでビートルズのホワイト・アルバムを聴きながら眠りに入った。電車が揺れると一瞬でうとうとしてしまう私は大抵、次の駅に到着するかしないかのところでもう眠ってしまっていて、ハッと目が覚めるともう終点ということばかり。電車に乗っている50分間は私にとってはワープのようだった。

大阪駅を出て、朝のゴミのにおいのする街をテクテク歩いて専門学校へ行った。部活の朝練みたいなもので、朝型のリズムをつけさせたいのか、毎朝ミニテストをやらされる。勉強内容はつまらないし、いくら勉強しても良い点が取れない。ああ、またダメだ、と朝の恒例行事のように少し落ち込んでから、ポータブルМDでストロークスのファーストアルバムを聴きながら自習室で勉強していた。一日中、あまり興味のないことをただ覚えるのは気が狂いそうな作業なので、音楽でも聴いてなければやってられない。

昼頃、いっしょにバイトしていた友達からケータイにメールがきた。「おーい、生きてるか?」。カチカチカチ、返信。「久しぶりやね、まあそれなりに元気にやってるよ」。ブー、ブー、受信。「いや、そうじゃなくて、尼崎あたりで事故あったらしくて。おれもいま宝塚で足止めくらってんねんけど」。「また人身事故?」「いや、なんか大変らしいで。今日は早く帰ったほうがいいかもな」。いくらなんでも夜には復旧するだろう、と思って私は勉強を続けた。当時はスマートフォンなどなかったし、私はケータイでインターネットをするのが嫌いだったのでニュースも見なかった。

しばらくするとまたメール。今度は別の人から「大丈夫?」と。ここで初めて、私は何か大変なことが起きたのだと理解した。そうこうしているうちにまた別の人から安否確認のメールがくる。さすがに嫌いだとも言っていられず、ケータイのインターネットでニュースを見ると、「脱線」「死者多数」の文字が並ぶ。そのときのある友人からのメールが記憶に残っている。「生きててよかった。死んだら全部、終わりやからね」。

大変なことが起こったのはわかってもどうにもしようがない。騒ぎが収まるまで勉強しとこうと思い、結局、夜まで勉強した。帰りはJRが動いておらず、阪急電車で宝塚まで代替輸送で帰った。そのときはまさかその後数か月阪急に乗り続けることになるとは考えてもいなかった。

家に帰ってテレビでニュースを見て愕然とした。死者の多さに?現場の悲惨さに?脱線するなんて想像さえしていなかったことに?頭がぐちゃぐちゃして言葉にはならない。私はあのたった2時間前の電車の一両目に乗っていたのだ。おそらく福知山線を使っている人の誰もがそうしたように、私は自分がぺちゃんこに押しつぶされて死ぬシーンを想像せざるをえなかった。目の前が真っ暗になった。そして誰もがぞっとしながらこう思ったに違いない。あのとき死んでいたのは、私だったかもしれないと。

次の日からの電車は悲惨だった。当然だが誰も一両目に乗りたがらない。後ろの車両ではみんな立っているのに、一両目と二両目は席がガラガラ。誰もが電車に乗ることに恐怖を覚えていたし、電車の中の雰囲気も異様に暗かった。みんな死を想像してしまったからだろう。夜、帰りの電車に乗るともっとつらい。毎日どこかでお葬式が開かれているから、1週間くらいは沿線の駅は喪服の人が多い。喪服の黒は、他の黒とはまったく違うなと思った。なぜか雨の日が多かった。

事故や災害については「教訓」が語られることが多い。あの事故を忘れないようにと。だが私たちは何を忘れてはいけないのだろうか。JR西日本は人殺しの会社だと私は今でも思っているが、事故の教訓を活かせるとすればJR西日本だけだろう。そして彼らは教訓を活かしてなどいない。相変わらず守れないダイヤを設定し続け、遅れと混乱が常態化している。そのことが事故の温床だと気づいているのかどうかもわからない。事故が起きた直後、ありもしない置石のせいにしたことにJR西日本の企業文化は明瞭に表れている。

思うに、福知山線の脱線事故に教訓なんてない。あるのはトラウマだけだ。このトラウマこそが忘れてはいけないものなのかもしれないが、忘れなければいつまで経っても安心して電車に乗ることはできない。私個人についていえば、あの事故があっておそらく少し生き急ぐようになった気がする。確実に「私は明日死ぬかもしれない、死んでも何らおかしくない」という意識が強くなった。だが年々少しずつ、しかし確実に、この思いすらも風化していっているような気がする。

あれから10年、か。

 

推薦者  うべべ

 

memento mori ――死を想え――

 

私がかつていた戦場では、五秒後に自らが死んでいることを

覚悟しながら生きていた。
それは限りなく死に近く、生きているとはいえない生き方だった。

 

作中での白と黒の対比のように、黒い海に浮かんでいるだけの我々は

器用に白の部分にフォーカスして生きていかなければならない。

 

それでも、八年前のホワイトデーのように、たまにはこうして

黒い海に飛び込んで、浮上して、息継ぎする機会も必要なのだろう。

 

なるべく暗くなりすぎないように。 

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