【リバイバル】竹島、五輪、天皇 その4 Mr.ホワイト

  • 2017.03.18 Saturday
  • 13:47

話を天皇に戻すと、この「和」の中心の空白に天皇がいるということになります。
逆の見方をしてみると、絶対的な権力を持ってもいいはずの天皇が、
あえて権力を行使しない(実体を持たない)ことで、この中心の空白性が保たれているとも言えます。
いずれにせよ、この構造下では、天皇が日本の国家としての「和」を支えていると言ってよいでしょう。

政治におけるこの「輪=和」の構造のポイントは、強力な発言権をもつ中心や頂点を設けないことによって、
話し合いの場の公平性や集合性を保とうとする「話し合い絶対主義」にあります。
話し合いにおいて私たちが求めているのは「論理的に正解な解」ではなく「みんな納得する解」です。
ひとりの天才がどれだけ正しいことを言っても、みんなが納得しなければ日本では意味がありません。
みんなが納得するためには、みんなが話を聞き意見を述べる公平な機会と権利が与えられねばならず、
強力な発言権を有する存在は、話し合いという「場」の「空気」を壊すものとして敬遠されます。
まず話し合いを求めるからこそ、日本ではあらゆる意志決定が迅速に行われず、
政府の原発の対応は遅れ、経営者がリストラを始めるときにはもう手遅れという状況が常態化します。
そしてこの構造が有する問題は、意志決定の遅れだけではなく「誰が責任をとるのかわからない」ということです。

たとえば、哲学者の丸山真男は、明治憲法下の天皇制における無責任の体系を次のように述べています。
『(明治憲法下の体制は)「もちつもたれつ」の曖昧な行為連関(神輿担ぎに象徴される!)を好む行動様式が
 冥々に作用している。「補弼」とはつまるところ、統治の唯一の正当性の源泉である天皇を意思を推しはかると同時に
 天皇への助言を通じてその意思に具体的内容を与えることにほかならない。さきにのべた無限責任のきびしい倫理は、
 このメカニズムにおいては巨大な無責任への転落の可能性をつねに内包している。』

天皇は「思った」だけで、まわりの人間は天皇が「思った」ことに従って実行しただけだという論理。
天皇に大権が付された明治憲法下においてすら、天皇は「空気」であって責任が生じる主体ではない。
天皇は、「輪=和」を成立させるために必要な「空白=空気」としての巨大な中心であって、
「場」を安定させる役割を果たすものの、意思決定を行うわけではまったくありません。

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