【リバイバル】竹島、五輪、天皇 その3 Mr.ホワイト

  • 2017.03.18 Saturday
  • 13:48

最後に、問題のC。
実は、私がもっとも本質をついていると思うのは、このCの考え方です。
AとBはどちらも「神」とか「象徴」とか、あくまで頭で考えて出てきた理屈です。
ところが、私が強く思ったのは、今回のキレ方は理屈でキレてるんじゃないなということです。感情で怒っている。
私たちのハートが言っているのは、例えば漫画のワンピースにでも出てきそうな、こんなセリフなのではないでしょうか。
「オレらのことは何と言われても構わん、だがあいつのことを悪く言うのはオレらは絶対に許さねえ。」
私たちが自分を犠牲にしてでも守らなければならないもの。その象徴としての天皇ということ?

天皇は一体何者であったかを考えてみると、天皇はいつも中心の「空白」にいるわけです。
天皇は常に日本の国王として唯一の存在でありながら、しかし政治の実権を握ることはほとんどなく、
あるときは豪族や貴族が、あるときは武士が、あるときは平民が、またあるときは軍人が世の中を動かしてきたのです。
ここで重要なことは、彼らは必ずといっていいほど天皇を無視せず、天皇の「まわり」で動いてきたということです。
そして、歴史上のあらゆる権力者が、天皇(制)を滅ぼそうとせず(あるいは滅ぼすことに失敗し)、
天皇から権力を与えられるという構造を採用したがゆえに、天皇は王朝として世界最長の歴史をもつことになりました。
ここにあるのは「空白の中心と、そのまわりの実体」という奇妙な構造の確固たるバランスです。

このような構造は日本文化の特徴のひとつで、政治の話に限りません。
例えば、ヨーロッパの教会には十字架に磔となったキリストの像が必ず中心に置いてありますが、
日本の神社では本殿の空間そのものが神だったりするわけで、中心がないわけです。
会議好きの日本人がみんなで輪になって話し、結局のところ結論が出ないまま、
「話し合えて良かった」という感想を皆が残して会議が終わるのも、この構造にどこか似ています。

この「空白の中心と、そのまわりの実体」という構造は「輪」のかたちをなし、これが転じて「和」となります。
聖徳太子の十七条憲法の「和を以て貴しと為す」ほど、日本人の感覚を適切に表すものはなく、
偉い人が物事を決めるのではなく、話し合いで物事を決めるということを重視した日本人が、
「倭」を勝手に「和」に変え「大和」と名乗ったのもおそらくこの自意識からきたものでしょう。

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