【リバイバル】竹島、五輪、天皇 その2 Mr.ホワイト

  • 2017.03.18 Saturday
  • 13:49

なぜ、首相に謝罪要求ならまだ許せるのに、天皇に謝罪を要求することは許せないのか。
色々と考えてみましたが、単純化するとおそらく以下の3つがごちゃまぜになった感情ではないかと思います。

 A.天皇は神に近い存在なのに、外国のたかが大統領が命令していいわけはない。
 B.日本の象徴である天皇に喧嘩を売ることは、日本人全員(ひいては「わたし」)に喧嘩を売っているのと同じだ。
 C.天皇は何も悪いことをしていない(天皇に責任などあるはずがない)のに、なぜ謝らないといけないのか。

まず、A。
天皇が神に近い存在だという考えは古びていて、もはや一般的な感覚からは遠いと思われるのですが、
天皇には必ず敬語を使う特殊な文化の下で育った私たちの意識の底のほうで深く根付いているのかもしれません。
例えば、ローマ法王が天皇に謝罪せよと言うのと、韓国の大統領が言うのとでは、私たちのとらえ方は同じかどうか。
もしこの両者でとらえ方が違うのであれば、天皇の位の高さについて私たちが何らかの思いを抱いていることになります。
なんとなく、このような感情も多くはないにせよあるような気がしています。

次に、B。
なぜあなたはぶちギレたのですかと他人に聞くと、おそらくこのBのように答える人が多いと思います。
戦後、天皇は「神」から「象徴」へと変わったわけで、この変化は名目上は、
「私たちの神」から「私たちのシンボル(=分身)」への変化を意味します。
ですが、AとBは実質的にそれほど違うものなのでしょうか?
「私たちの神を冒涜したな!」と、「私たちの分身を冒涜したな!」と。
私にはこれは、ひどく似通ったことを言っているように思えてなりません。
どちらも、「天皇≒私たち自身」という不思議な投影が行われているのですから。
(逆に言えば、「首相≠私たち自身」ということです。)

コメント
コメントする








    
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< June 2019 >>

カウンター

ブログパーツUL5

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM