【リバイバル】オーロラになれなかった人のために Mr.ホワイト

  • 2017.03.16 Thursday
  • 12:00

 いま思い返せば、私が小さい頃、我が家は相応に貧しかったのだと思います。昭和が終わろうとするその頃にはすでに古くガタがきていたくすんだアパートの、その狭い一室で家具に埋もれるようにして私たち家族5人は、普段は貧しさを実感することもなくのんびりと暮らしていました。私の父は公務員で、今でこそ給料が安定した良い職業と思われていますが、バブルの当時の公務員は銀行員の半分程度の給料しかなく、物価が高騰する中そのわずかな給料で子ども3人を養っていたのですから、生活に苦労したのも当然のことでした。

 しかし、その頃の私はまだ小さな子どもでした。自分の生活が貧しいかどうかなど判断できませんし、そもそも子どもにそのような発想はありません。畳がカサカサになるような古い部屋に住んでいようと、よその家庭からもらったお下がりの服を着ていようと、少なくとも私にとってはそれらはどうでもいいことでした。

 ある日、家族で買い物に出かけたことがあります。記憶が定かではありませんが、歳は、姉が8つ、私が5つくらいの頃だったように記憶しています。父が文庫本を買い母が食料品を買うだけの、いつもと同じ買い物のはずでしたが、いつもと違ったのは、姉が服の売り場から離れなくなったことです。姉の目の前にはカラフルなスカートがあって、姉はぼうっとそれを見ています。「行くよ」と母が言っても、「うん」と返事はするものの目はスカートから離れません。見かねた母が「欲しいの?」と聞くと、「ううん」と首を横に振ります。そんなわがままを言えるはずはありません。それでも、目はスカートにはりついたままです。どうしよう、と母がため息をついて父のほうを見ると、父はスタスタと歩いて行ってスカートを手に取り、「これ、買ってくるよ」と姉に言いました。姉は「いいよ、いらないから、本当にいらないの!」と父の腕をひっぱりましたが、父は「まあ、まあ」とニッコリ笑って、そのスカートを買ってしまいました。姉は喜んでいいのかどうかわからず、渋々とそれを受け取りました。母が父に「ありがとう」と言っていたのが、子どもながら心に残っています。

 家に帰ると早速、鏡の前でスカートの試着です。姉は恥ずかしがってスカートをはこうとしませんでしたが、そこは母がきっちりとはかせました。そのカラフルなスカートは古ぼけたアパートには似合いませんでしたが、姉には不思議とよく似合っていました。姉は喜びを隠しきれず、我慢しようとしても笑みがこぼれてしまいます。そして、鏡の前でくるっとターン。スカートがオーロラのように、ふんわりと波打ちました。こんなことを私が今でも覚えているのは一体なぜなのか、自分にもよくわかりません。美しさとうれしさがないまぜになって、とても印象的だったのかもしれません。一つ言えることは、あのとき、私も涙が出そうなほどにうれしかったということです。

 昨年、姉は若くして亡くなりました。後年、姉と会う機会は減ってしまいましたが、今はただ、姉の人生があのときに見たオーロラのように、貧しくとも美しいものであったことを祈るのみです。

【推薦文】 推薦者 Mr.マルーン
ホワイトさんは一瞬の風景をセピア色の写真みたいにノスタルジックに切り取るのがお上手です。古びた団地の畳の部屋にスポットライトみたいに夕日が差し込んで、その真ん中ではにかみながら真新しいスカートを翻す少女と、それを見つめる弟の姿が、美しく浮かび上がります。

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