カモンナウ

  • 2010.11.01 Monday
  • 00:36

少し年を取った程度で失踪癖は治らないと思い知りました。
どうもすみません、ミッチーです。

さて、今年の夏は大変暑くて「温暖化の影響か!」と苛立ったりしましたが、そんなとき思い出すのは漫画『機動警察パトレイバー』で読んだセリフです。
「1年でちがいのわかるような温暖化だったら大変だろが!来年にゃ海面が上昇して東京は水没しちまわあ」

確かにそうだろうと思うのですが、しかし実際海面上昇は結構な速度で進んでいるとも聞きます。
その一方で、そもそも地球温暖化という話は営利目的のでっち上げだ、という過激な反論もあるようですね。
何だかよく分かりません。
いずれにしても、地球規模の話は日常生活にとってスケールが大きすぎやしないでしょうか。
ビニール袋の使用を控えるとか冷房の設定温度を下げるといった活動を受け入れながらも、僕たちは自分がどれほど地球温暖化に影響を与えているのか実感できっこないわけです。
今日の「あつい」と明日の「あつい」の何が違うというのか。

でも、これが今と100年後なら随分違ってくるのでしょう。
今世紀中には水没して無くなると言われるような島々は沢山あります。

経済的な利害がしつこく纏わりついてくるのは如何ともし難いものがありますが、それでも水没で被害を被る人々に対する同情が、環境問題をリアルなものにし、眠っていた関心を呼び覚ますのです。

「100年後の事なんて知らねーよ、どうせ俺もういないし」と突き放すのは簡単だし、多分そうなんでしょう。
けれども、以前書いたように我々は未来を想像するときには現在の延長としか見られないし、むしろ将来への責任ということを考えるならすすんでそのように見るべきではないかと思います。

あなたは、今より10度高い平均気温の中で生活できますか?
呆れるほどに単純なこの問いこそが、環境問題・温暖化問題を支えています。
「ここではないどこか」のことだと考える態度を無関心と呼ぶのだとしたら、例えば100年後のことを文字通り明日のこととして考えるのが関心なのだと思います。

僕らが生活するのはいつでも今日であり、せいぜい明日までだ、ということを否定する必要は別にありません。
問題は、普段遠くに置かれている「ここではないどこか」の中から何を「ここ」へ引っ張ってくるか、なのです。

画家にとっての抽象画は僕にとっての100年後ですが、誰かの訴えによってそれが明日になることもきっとあり得るのでしょう。

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