【テーマ】ファック・オフ・マネー うべべ
- 2023.11.30 Thursday
- 23:58
「先輩。おれ、会社やめるっす」
そいつは私が一番かわいがっていた後輩だった。
正直に言うと、うちの会社ではパワハラが蔓延っていた。
セクハラ、マタハラ、アルハラ――。〇〇ハラシリーズはすべて出揃っていた。
新人は各種のハラスメントに耐え切れずほとんどやめてしまうのだが、そいつは耐えた。
やめたやつらの仕事はやめられたやつが背負うしかないのだから、
その中を耐え抜くことはとてもえらいことなのだ。
「どっか転職すんの?」
「いや、もう働かないっす」
「……は?」
「先輩、これ知ってますか」
彼は手をパーの形にしてこちらに向けた。
「ファック・オフ・マネーっす」
「ファック・オフ・マネー?」
※【ファック・オフ・マネー(名)】
いつでも「ファックオフ!」と叫んで会社をやめられるだけの蓄えのこと
そのパーの形を見て私は言った。
「5って、まさか5千万ってこと?」
「5億っす」
「マジすか」
どうやらそいつは、株で大儲けしたらしかった。
私もかつて株に手を出したことがあるが、チャートの行ったり来たりに目をうばわれて
けっきょく少し損をして終わった。
5億の大儲けなんてとても信じられない。
「だから、今から部長に『ファックオフ!』してやめてくるっす」
「おい、マジか」
「超マジっす。先輩も見届けてほしいっす」
うちの部長は、ハラスメントオブハラスメントと呼ばれる元凶で、
私も後輩もコテンパンにやられてきたのだった。
後輩は部長室のドアをノックもせずに開けた。
「部長、いる?」
一緒に入室すると共犯に思われそうなので、ドアの近くにさりげなく立ち、
偶然そこにいるだけですよ感を出しつつ中の様子をうかがうことにした。
彼はいきなり部長の顔面に向けて中指をつきたてた。
「ファック・オフ!!」
その動きに合わせて、私もさりげなくズボンのポケットの中で中指を立てた。
部長はあっけに取られたように固まっていたが、やがてふっと笑った。
「いくらだ?」
「……はい?」
「いくら儲けた?」
後輩はすこし躊躇したように見えたが、ぽつりと言った。
「5億っす」
それを聞いた瞬間、部長はガハハと大声で笑いはじめた。
「俺は20億ある」
「え?」「え?」
思わず私も声をあげてしまった。
部長はまだ笑いが止まらない様子で、肩をひくひくさせながら続けた。
「俺は株でたっぷり儲けたよ。ちょうどお前くらいの歳だった。
もう働いてなんかいられない、そう思ったさ。
うちは株式会社だろう?
株ってのは動かす人間と動かされる人間がいる。俺は前者だった。
でもよく考えてみてくれ。会社はいつ倒産するかわからない。
うちなんて特にそうだ。だろ?
だから社員は必死で働く。心身に不調をきたすものも多い」
部長はニヤリと笑った。
「でも、俺には金がある。沈みゆく船で、俺にだけ浮き輪がある。
他の奴らはどんどん沈んでいく。俺だけが助かる。
分かるか、その快感が!! 俺だけが、助かる!!
そんな気持ちいいことが、他にあるだろうか?」
後輩はがっくりと肩を落とし、無言のまま部長室を出てきた。
「おい、大丈夫か?」
手を差し伸べようとした私は、その異変に気づいた。
彼の目は、異様なほどギラギラしていたのだった。