ガラパゴス戦記(9) サンタクルス島3 Mr.X

  • 2024.03.16 Saturday
  • 19:01

出発前日の1月5日、私はサンタクルス島の街を一人で歩き回った。
 
当初は別にやりたいこともあった。島の中心部にはロス・ヘメロスという地殻変動で生じた裂け目があるらしいので見に行きたかったのだが、自転車で一緒に行こうという人がおらず、かといって一人で向かった場合、自転車のパンク等で帰れなくなった時の連絡手段がなく(携帯電話の電波は街を離れると全然届かなくなる)、諦めざるを得なかった。この旅行での大きな心残りである。
 
そういうわけでせっかく手に入れた現金を元に、街ブラと買い物をすることにした。

観光で成り立っている島なので、もちろん土産物屋だらけである。あちこちを見て回り何を買うか吟味する。
職場に配るようお菓子も買う予定だが、「ガラパゴスぞうがめチョコクッキー」(個包装12個入り¥2,000)みたいなのがあれば買ったろうけど、そういったものはないので、帰国途中にエクアドル本土に寄った時にチョコを買うことにする。
こんな時に独り身の寂しさも感じないわけではない。何せ土産を送る先が実家くらいなのである。両親のためにちょっとしたもの買った後は、自分のために買う。これまで抑えていた物欲が止まらなくなっていた。

このデザインはガラパゴス全体でポピュラーで、これまで寄ってきた島々の土産物屋で同じデザインのものが吊るされていた。最初の最初、サンクリストバル島の街を歩いた時から、ビートルズが好きな私は気になっていたのである。ようやくそれを最後の最後に買うことができたのだった。
 
午前中、歩き回って一通り買い物をしたところで昼食を食べる。うろうろしているうちに、この島の最初の夜に食事をしたレストラン通りへ。その内の一店にはこれまでに何度か寄っており、日本人は珍しいからか店員もこっちの顔を覚えており、「セビーチェ食ってけよー」と声をかけられる。

「con arroz? (ご飯ついてる?)」と確認し、食べる。エクアドルに入って2週間弱。一切喋れないのにスペイン語を使うことに慣れ始めていた。他にも「hola (こんにちは)」「por favor (お願いします)」は口から勝手に出る。全然話せないくせに。
 
概して、ガラパゴスの人たちは働き者だ。この店の店員も、私の無料でついてくるアイスティーのコップが空になったのに気がつくと「おかわりいるか?」と持ってきてくれた。他の飲食店やホテルでも、ホスピタリティの面で不満を覚えることはほとんどなかった。「omotenashi」なんて言って日本人は偉そうにしているが、日本だけがスゴいわけではないと思う。
一方でシエスタもきちんと取り、午後の1-3時くらいは多くの店が、というか大概の店は閉まっている。ここでの食事ののち、お洒落なカフェでガラパゴスで穫れた珈琲豆を使ったコーヒーを飲んだのだが、「ごめんなさい、シエスタなのでもう少ししたら閉めます」と言われてちょっといただけで追い出された。
この辺り、ガラパゴスの人たちの人となり、みたいなことについて回を改めてまとめてみたい。
 
その後も街ブラを続ける。

「ガラパゴスまで来て生き物を見ないで何してんねん」と自分にツッコミを入れるのだが、この旅ではこれまで見たことのない生き物たちを見続け、ある意味お腹いっぱいになっていた面もある。生き物好きを自認する私だが、「生き物はしばらくいいや」となったのは生まれて初めてだった。
そして、ガラパゴス全体で治安が良く、「街を歩いて雰囲気を見てみたい」という気になったもの大きい。私が街ブラをし始めた頃にちょうど小学校の下校時間になっていたようなのだが、小学校低学年くらいの子供が子供たちだけで歩いていたし、小学生くらいの女の子が一人で歩いているのも見た。これらには正直かなり驚いた。日本だって最近は地域によってはどうかと言われる話だ。
これまでに数回だけ海外へ行ったことがある。もちろん日本人が観光で訪れるような地域は人が多く、どうしても治安が悪くなりがちなのもあるだろうけれど、街を歩くだけで少し緊張したことを覚えている。具体的に恐怖を感じる出来事があったわけではないが、街を見て、空気を吸い、人々の表情を見るだけで、何となく、周囲を常に警戒してしまうような緊張感を持ってしまうのである。
しかし、ここガラパゴスでは全てが違っている。この時の私の緊張感は、日本の地方都市を歩く時とさほど変わらないものだった。のんびりと日本とは違う風景を見つつ街を歩くのは楽しい体験だった。
  
翌朝、宿を出て空港へと向かった。
サンタクルス島南端の町からタクシーで島を縦断し、北岸の港から少しだけ離れたバルトラ島の空港へと向かう。リュックを抱えながら「本当は自転車でこの道走りたかったなあ」と思いながら風景を見ていると車が急に止まった。

泥団子3個に見えるのが野生のゾウガメである。タクシーの運転手に「ゾウガメが見えたら止まってね」とは言っていたのだが、本当にいた。普通にいた。「普通に見られる」と聞かされていても、本当に普通に見えると驚いてしまう。
 
バルトラ空港に着いてチェックインし、飛行機に乗るまで少し時間があるのでその周辺を歩く。

普通にいるのがリクイグアナである。これまでウミイグアナがあちこちで見てきたけれど、リクの方はここが初めてだった。
 
このように、動物たちが普通に歩いているのがガラパゴスという土地なのだ。これら動物たちは世界的に見ても珍しい種であり、それだけでもガラパゴス諸島が大事であることは間違いない。しかし、このように人間と動物との距離が近い地域という点でも、この地は世界的に貴重であると私は思う。今後、人間の活動如何では、これら動物たちが姿を消したり、あるいは人間を避けて森や海の奥へ隠れるようになることも十分にあり得る。しかし、どうにかガラパゴスの人たちには頑張ってほしいし、そのためにもし何か自分にもできることがあれば手伝いたいものである。
 
ゲートが開かれた。空港を歩いて飛行機のそばまで歩いて向かう。おそらくガラパゴスに来ることはもう無いだろう。そのタラップに足をかける直前、私はコンクリートで固められた地面をダンっダンっと片足ずつ、様々な感情を込めてしっかりと踏みしめた。

こうして私のガラパゴス諸島での旅は終わりを迎えたのである。
 
 
 
ここで、先日亡くなってしまった偉大な漫画家が描いた偉大な漫画の言葉を引用してこの回を終わりたい。
 
「最終回じゃないぞよ もうちっとだけ続くんじゃ」

ガラパゴス戦記(8) サンタクルス島2 Mr.X

  • 2024.03.09 Saturday
  • 16:32

 

ガラパゴス戦記(7) サンタクルス島1 Mr.X からの続きです。

 

1月3日はサンタクルス島内をうろうろした。
街中心部から歩いて30分ほどで行けるところにTortuga Bayという浜があり、そこに歩いて向かう。 どこまでも広がる青い海と白い砂浜が美しい。が、 間の悪いことにサングラスが壊れており、 目が痛くなりそうだった。


砂浜の端の岩場でウミイグアナと泳ぐことができた。 ウミイグアナはこれまでにうんざりするくらい目にしていたけれど 、陸地での彼らの仕事は日光浴と休息なので、 活動的なイグアナはあまり目にすることがなかった。 しかしここでは晴れていて彼らの体もよく温まっていたのだろう。 海の中を泳いでいる。 私がシュノーケルをつけて泳いで追いかける。 本当はその様子の写真を載せたかった。 防水コンデジが壊れたことが心から恨めしい瞬間だった。
その泳ぎ方を見たが、足は後ろ足はほとんど動かさず、 その長い尻尾だけで推進力を得ていた。昨年に見た「ゴジラ-1. 0」を思い出したが、なんとなく似ている気がする。 映画スタッフが参考にしたのかもしれない。

街中心部に戻って昼食を食べ、宿に戻って休憩する。 今振り返ると、全員の日々の活動量が減っていたように思う。 旅の疲れも少しずつ溜まり出しているし、 これだけの長逗留になるとどうしても目新しいことは減り、「 飽き」みたいなものは確実に生じていた。
夕方になって全員で街に買い物に繰り出すことに。 といっても私はお金をあまり持っていないので買い物をする気にも ならず、一人で街をブラブラするだけである。

 



ガラパゴスでは(本土のグアヤキルでもそうだったが)、 ストリートアートが盛んだった。 街のあちこちでこういったアートを見かけた。遠目には「落書き」 にしか見えないものあるけれど、 これだけ手を掛けたものを間近に見ると確かに「アート」 と思わされる。
にしても、1枚目の子供の絵、「ピンポン」 等で知られる松本大洋っぽさを感じません?

「サンクリストバル島2」で少し触れたが、 アオアシカツオドリをキャラクターにした「Patas Azules(青い足)」というブランドがあり、 その店舗がこのサンタクルス島にある。 様々なデザインの靴下を中心に、お洒落な衣料品が並ぶ。 19時にその店に集合、となっていたので街ブラののちに向かう。 この旅行に参加を希望していたがどうしても無理だった人、 あるいは不参加だったが手続き等で協力してくれた人にお土産を買 うのだと言う。(のちに聞いて驚いたのだが、 IPアドレスの関係で日本国内からアクセスできない航空会社があ り、アメリカ在住の人に協力を依頼する、 みたいな面倒があったそうである) 女性たちはすでに充分な買い物袋を下げていたが、 この店内でも物色を始めた。



決して大きくはない店だが、かれこれ30- 40分くらいお土産選びは続いた。
「買い物で悩む」というのは、男性にとっては「 面倒でなるべく早く切り上げたいこと」であるのに対し、 女性にとっては「至上の娯楽」なのだろう。「 ooさんに送る靴下のカツオドリの刺繍、緑がいい? 赤がいい?」 みたいな問いに時間をかけられることが私にはまるで理解ができな い。「最適解なんて存在しないんやから、 諦めて適当なところで決めたらええやんか」と言いたかったが、 もうこれ以上嫌われたくないので、私は店の前のベンチで、 鳴り続ける腹を抱えながら待ち続けることになった。



その翌日は、近くの島であるサンタフェ島へ向かう。同日、 日本の有名な写真家が亡くなっており、そんな日にSanta Feに向かう、それも・・・というのが果てしなくどうでもよく、 アホくさいのだが少しおかしかった。



サンタフェ島のすぐそばまで寄ることがはできたが、 私たちは上陸していない。環境保護の観点から、 観光客の上陸は色々難しいようである。 同様に上陸が難しい島は他にもいくつかあった。「環境保護」と「 経済活動」のバランスを取ることは非常に難しい。 短期的な視点ではなく、長期的に「細く長く」 観光業を続けるには環境保護をした方が良い、 ということで地域の社会的合意形成がなされたのだと思うが、 そこに至るにはずいぶん難しかったろう。 生物学者としては頭が下がる思いである。

ここではアシカと一緒に泳ぐことができた。 砂浜でグータラと寝ているときとは異なり、 海の中では非常に活動的である。水中を機敏に高速で泳ぎ続ける。 体重差もあるし、「ぶつかったら事故やん!」と焦るほどだ。 こちらは三輪車で、向こうは原付、くらいの緊張感はあった。 陸地とは逆に、「こいつら鈍臭いなー」 とアシカに思われていたかもしれない。にしても、 これまでガラス板の向こうでしか見られなかった動物たちの活動的 な姿を間近に見られたのは感動的だった。( その様子を撮れなかったのは、やっぱり悔しい!)



翌朝、さらに女性が2人、先に帰国することになっていた。 これまで買い物は続けており、 彼女たちももう十分お土産は買ったろう。もう、 現金はそれほど重要ではないはずだ。 1月2日から考え続けていた秘策を、発動する時は今だ。
ホテルでの夕食後、私は、 自分の表情や口調に細心の注意を払いつつ、話を切り出した。

「申し訳ないんだけども、もし米ドルが余りそうだったら、 両替してもらえないだろうか? ここまでほとんど買い物はしておらず、 まだ両親の分のお土産も買ってなくて。もちろん、 帰国途上で必要な分もあるとは思うけど、 それ込みで考えても余りそうなら、是非、 お願いしたいんだけども」

この日までも、 どうしても現金が必要な時は何度か両替もしくは借金を他のメンバ ーにねだっていた。その時のメンバーの「またか」という顔は、 当分忘れられそうにないほど私の心に突き刺さっていた。 あんなのは一度だって繰り返したくなかった。正直、 この交渉が最後の賭けだった。 もしこの時点で彼女たちが現金を使い切っていたならば完全に詰み だった。

「いいよ。いくらぐらい要る?」

こうして、私は200$ほど手にすることができた。 滞在は残り1日と少し。ちょっとした買い物やちょっとした飲食。 200$もあればまず問題ない。この旅で初めて、 充分なお金を手にしたと感じられた瞬間だった。 まとまった額の米ドル札を手にしたとき、深い深い溜息が漏れた。

2024年1月 MVP&最優秀賞 受賞記念 Mr.X

  • 2024.03.07 Thursday
  • 11:50

投票していた皆様、ありがとうございます。先月も会見をすっぽかしていたXです。
まさか二冠をこんなに連覇することになるとは。「ガラパゴス戦記」は題材が良いので作品賞はいただけるかなと期待していましたが、MVPとしても票をいただけたのはありがたい限りです。
 
「特大満塁ホームラン」で取るのが最優秀賞、「打率一位」に相当するのがMVPという認識でいます。
振り返ると、昨年の1月もでかいホームランを打ちました。なんといっても「羽生・藤井聡」というスーパースターを接近できたのです。(来週のNHK杯が楽しみです) ありがたいことに「王将戦(1-4)」は作品賞をいただくことができました。一方でこの時はMVPとの二冠というわけにはいきませんでした。それを考えると、「ガラパゴス戦記」は打率の面でも評価されたのだと考えています。
 
ベストコメントは butaumao さんに送ります。
「毎回、次回更新が楽しみ&米ドルを持っていないのが気になるので早くエクスチェンジしてほしい」
ありがとうございます。「次回更新が楽しみ」、本シリーズは文量が多く書くのも簡単ではないのですが、この言葉をいただけるだけで本当に報われます。ガラパゴスに行った甲斐があります!
でも少し分からないのは、米ドル? エクスチェンジ? それ、何ですか?
 
セサミさん、Mr.Indigo、がりはさん、UBEBEさんの4人にも御礼申し上げます。「今月の満足度」で高く評価した理由に、それぞれ皆さん、「ガラパゴス」「ガラパゴス戦記が面白かった。」「ガラパゴス!ガラパゴス!」「ガラパゴス」と本シリーズを挙げていただきました。こんな経験、記憶にありません! 執筆者冥利に尽きるというものです。ありがとうございます。
  
日本に帰ってきてから2ヶ月近くになり、残念なことですが旅の記憶が、少しずつですが薄れつつあります。写真を見ても「こんなことあったっけ?」という時もいつかは来るのでしょう。そう考えると、こうして皆さんの目に入る形で記録を残すということは、私自身にとって今後非常に大きな意味を持つのではないか、とそんなことを考えたりしています。
 
「ガラパゴス戦記」もサンタクルス島に入りました。(ほぼ)最後の島になります。おそらく3月中にはこの島での活動についても書き終えるはずです。が、しかし、、、。
 
今後の展開もどうぞお楽しみに!

ガラパゴス戦記(7) サンタクルス島1 Mr.X

  • 2024.03.02 Saturday
  • 23:37

ガラパゴス戦記(6) イザベラ島3 Mr.X からの続きです。

 

イザベラ島を出て、 激しく揺れる船に耐えてサンタクルス島の中心地プエルト・ アヨラに着いた頃には夕方になっていた。
このプエルト・アヨラは人口12, 000人ほどのガラパゴスで最も人口の多い町である。 郊外に宿を借りてきたこれまでと異なり、 街の住宅密集地の中の宿に泊まる。チェックインしたのち、 晩飯を食いにうろうろして飲食店が並ぶ通りにやってきた。 通りでは流しのバンド?が演奏していた。



なんとも賑やかである。 見てもらえると分かるがマスクをしている人は一人もいない。「 海外にはマスクしている人、全然いないよ」 みたいな言説を聞くが確かにその通りだった。 コロナの流行なんて日本だけの話だったんじゃないか? とか思ってしまう(もちろんそんなことはなくて、 流行がピークだった頃は私たちが寄った本土の都市グアヤキルでは 、死者が多すぎて棺が足りなくなったという恐ろしい話がある)。
世界的にはまだまだ流行が収まったとは言い難い状況だと思うが、 少なくとも「コロナは終わった」として扱われているようである。 しかしウィルスという生物(といってよいかは置いておいて) について考えると、根絶させられない限り、 どこかで進化してこれまでのワクチンが一切効かない凶悪な系統が 生まれてもおかしくはない。 グローバルな経済活動を続けつつパンデミックを抑えるためには全人類の行動様式を変える必要があると思うが、正直、それは不可能だとしか思えない。

翌朝、 メンバーの女性一人が正月明け早々にどうしても外せない仕事があ るらしくて先に日本に向けて発った。旅が始まって10日余り。 社会人が長く休むのは簡単ではない。
その女性メンバーを全員で見送ったあと、 私一人は銀行に向かった。ようやく待ちに待った両替だ。
このサンタクルス島には銀行の支店が2店もある。まずBanco del Pacíficoに向かった。 実はこの銀行の支店は最初に着いたサンクリストバル島にもあった が、両替はできなかった。 かなり小さい店舗だったから日本円を置いていなかったのだろう、 しかしこのサンタクルス島の支店はそこそこ大きい、 大丈夫だろう。そう考えていたのだが、、、 話を聞くとどうもこの銀行自体が日本円を扱っていないようだ。「 ユーロとドルだけです」 とサンクリストバル島と同じ言葉を聞かされた。
一気に不安が高まる。そんなに日本円って扱われてないの?楽天的な気分は一気に去り、祈るような思いでもう一つの銀行 Banco Pichincha に向かう。どうにか扱っていてくれ。
「ユーロとドルだけです」
銀行員のお姉さんの申し訳なさそうな言葉に、絶望に包まれる。JCBカードだけでなく、日本円さえガラパゴス諸島では一切役に立たないのだ。信じられず、混乱する。
銀行を出て、一人、宿まで歩いて帰る。ガラパゴスの太陽も自分を嘲笑しているような気がして、 朝の日差しが刺さるように痛い。重い足取りで、という表現があるが、本当に足が重くなったように感じた。筋力が無くなったかのように、一歩一歩がしんどい。
宿に戻ってメンバーに報告。その後、その他の人たちはチャールズ・ ダーウィン研究所という生物の保護と研究のための施設への観光に 出かけたのだが、私は以前のトランジット(ガラパゴス戦記(4) 参照)の合間に同施設を少し歩き回ることができていたし、何より活力というものが失われており、宿で休むことにした。

不貞寝。寝てもどうにもならないことは知っているが、 寝る以外やれることがなかった。これまで通り、他の人の支払いで外食を行い、 どうしても買いたいものがあるときは頭を下げて両替をお願いすることになる。
私は経済面で基本的に堅実で、高いものは買わず、放蕩することもなく、貯金を使い切るみたいなことは一切なく、だから借金を重ねる、という経験はこれまでの人生でなかった。しかし、この島に来てからというもの、チーム全体に現金があまり供給されないという事情のために、両替という本来なら真っ当な取引に対して、まるで借金するかのような精神的負担を感じ続けていた。慣れていないものを重ね続けるのは本当にキツい。これからも、というか、予定ではあと一週間ほど、日本に帰るまでこれが続くのである。将来の精神的負担を想像すると、 気が重いというレベルではなかった。

昼過ぎに連絡を受けて街へ出る。気分は重いままだが、だからと言って何もしないわけにはいかない。他の人のカードで昼食を食べた後、海沿いの魚市場へ向かう。

 


なんとも分かりやすい魚市場である。漁をしてきたボートから魚を引き上げ、捌いて売るだけである。シンプルなことこの上ない。にしてもおこぼれをもらいに、 御伽噺のお話かのように動物が集まっている。衛生的には問題ないのか不安にもなる。これがもし日本だったら大問題になって、ペリカンやカモメではなくて保健所が飛んでくるだろう。

この日の夜は、この魚市場で買った魚を宿のキッチンで調理して食べた。当初は「 魚市場で買った魚で刺身を作り、日本から持ち込んだ醤油で食べよう!」と盛り上がっていたのだが、実際に食卓に並んだのは煮魚になった。いや、まあ、 やっぱりいろいろ抵抗感、ありますよね。

 

ガラパゴス戦記(8) サンタクルス島2 Mr.X  に続く

ガラパゴス戦記(6) イザベラ島3 Mr.X

  • 2024.02.24 Saturday
  • 17:49

ガラパゴス戦記(5) イザベラ島2 Mr.X からの続きです。

 

12月31日の朝食には、 日本から持ってきた蕎麦を茹でて食べた。ガラパゴスと日本は時差が15時間なので、 日本でも大体蕎麦を茹で始める時間だったのである。ガラパゴスでの年越し、おそらく一生で一度のことだろう。同じようなことを考えている人は自分以外にもいて、 複数人がわざわざ蕎麦を持ち込んでいたのはおかしかった。

 
午前中はツアーで島南部を船で巡る。 市街地からそう離れないので大したことないんちゃうかと思ってい たが、いきなりいた。


ガラパゴスペンギンだ。赤道直下のガラパゴス諸島だが、 南極から寒流にのってやって来たペンギンが住み着いているのであ る。野生のペンギンを見たのは初めてなので少し感動する。 こんな暑いところにペンギンが、などと考えるが、 これまで暖かい日本の水族館で見てきたので意外なくらい自分の中 で違和感がなかった。水族館に通うのも良いが、 そういった面で感覚がバグってしまう面もあるかもしれない。

少しずつだが、この旅の終わりを意識するようになり始めていた。
旅に出る前、 見たい生き物をメンバーが皆口々に上げていたのだが、 それらほとんどを見尽くしつつあった。フィンチ、イグアナ、 アオアシカツオドリ、ゾウガメ、ペンギン、 固有種として知られる珍しい動物たちをコンプリートしつつあった 。ガラパゴスにも慣れ始め、 荒地に立つ馬鹿でかいサボテンを見ても何も思わなくなりつつあっ たのだ。

イザベラ島では年越しに向けて街では準備が進んでいた。 家で鍋を突きながら紅白歌合戦を見る、みたいな感じで「 しめやかに」迎えるのが一般的な日本の大晦日かと思う。けれど、 ここイザベラ島では全てが違っていた。「テンション爆上げ」 で迎えるのである。

 

なんだかよく分からない人形である。こういった感じのジオラマ? が街のいくつか作られていた。 おそらく何かの事件や出来事を風刺したものなのだろうと思う。 島の人たちなら「あー、あの件を描いているのか」 と分かってニヤニヤしたりするのだろう。 けれども説明がスペイン語だし、"あの件"とか知らんし、 私たちには何がなんなのかさっぱり分からないままだった。

ガラパゴスの女性たちはエネルギッシュに働く。 いろいろと細かい交渉を重ねたツアー会社のお姉さんに、 イザベラ島の大晦日についていろいろ話を伺った。
「大晦日は街をあげてのお祭りで、 最後に町長が1番のジオラマを選んで表彰するの」
「へー、なるほど」
「で、最後には人形たちを全て燃やすの?」
「燃やすんですか?」キャンプファイヤーやん、と心の中で思う。
「そう。それがフィナーレ。それで年を越すの。一晩中大騒ぎよ」
キャンプファイヤーやん、と心の中でもう一度思う。
「お正月とか、みなさん普通に働くんですか?」
キリスト教国ではクリスマスは休むが正月は働く、 と聞いていたのである。
「1月1日は、、、午前中は働かないわね」
「さすがに休み?」
「いや、大量にお酒を飲んでいるから、 大体みんな二日酔いで午前中は寝ているの。 ところであなたたちはどこに泊まっているの?」
「町外れのホテルです」
「じゃあよかったわね。一晩中、街は大騒ぎよ。 この辺に泊まっていたら、うるさくて寝られないわよ」
とホント困っちゃうわよねという感じで大げさに肩をすくめてため 息をついた。
が、このお姉さんこそ、徹夜で飲んだくれ、 最も大騒ぎをする一人に違いない、 というのが我々の一致した見解である。


確かに夜は完全にお祭り騒ぎだった。 馬鹿でかいスピーカーからは大音量の音楽が流れ続け、 街の大通りには出店が並んでいる。 通りはライトで煌々と照らされ昼のように明るく、 夜10時をすぎているのに子供たちは公園を走り回り、 大人たちは大声で喋りながら酒を飲み続けている。
私は次第に頭が痛くなってきた。 大音量のスピーカーは今まで聞いたことがないくらい大きな音を出 しており、それに耐えられなくなってきたのである。 常に音楽が流れ続けているわけではなくて小休止もあるが、「 またあの大音量を聞かされるのか」 と考えると本気でゲンナリし始めた。自分にとっては拷問だった。 その人形たちを燃やすというフィナーレを見たかったのだが、 どうにもキツくて早々に宿に戻り寝ることにした。
こうして、 私にとっては想像もしていない展開で2023年を終えた。


翌朝、新年の挨拶もそこそこに、 日本で起きた能登地震の話になる。
現代では情報はまさしく光の速度で共有される。 Twitterを見てもネットニュースの記事を見ても、 日本語の記事は地震関連のニュースで瞬く間に埋め尽くされた。 ネット環境はあるのでガラパゴスにいてももちろんそういった情報 に触れるのだが、これは私が薄情なのかもしれないが、やはり「 地球の裏側の出来事」として心的にかなり距離をとっていた。 日本にいれば我がこととしてテレビやネットニュースを見続けてい たと思うが、そうはならず、呑気に朝食を食べている。
メンバーで集まって話し合う。幸い、 メンバーの身近なところで被害を受けた人はおらず、 とりあえず旅を続けることになった。その後、 常に地震のことが話題に上る、ということはなかった。 おそらく全員自分と同じ感じではなかったかと思う。 深刻なことになっている、 と認識しているのに感情がそれについて行けていない感じだった。 少しして起きた羽田空港での事故に対しても同様だった。 理性として「母国で大変なことが起きている」という認識はある。 しかしどういうわけか「遠い国の出来事だ」 と思っている自分もいるのである。 ただ単純に地理的な距離がある、と認識するだけで、 出来事に対する緊張感は全然違うのだ。

この日の午後、イザベラ島を出て、 サンタクルス島へ向かうことになっていた。
サンタクルス島は人口は1万人以上おり、 ガラパゴス諸島の中では圧倒的に都会だ。 イザベラ島にはATMしかなく、 私はやはり現金を手にすることができなかったが、 サンタクルス島では銀行の店舗が2つ存在することはネットで調べ て確認していた。さすがに両替できるだろう、 だから少々お金を使っても問題ない。 そう考えて午前中に街の土産物屋をぶらつき、 この島で初めてお土産を買った。小さい木彫りのゾウガメ(8$) を一つだけ。

宿に戻りメンバーに見せる。すると、 メンバーの一人から思いも掛けない言葉が飛んできた。

「もう少し、お金に関して計画性を持ったら? ここまでみんなに迷惑かけているんでしょ? なのにお土産買うの?」

まさしく正論である。正論で殴る、という表現があるが、 正論が顎に当たって脳震盪を起こして意識が飛ぶ、 くらい重い衝撃だった。「常識」 というマットに自分の顔面が沈む音が聞こえた気がした。
もちろん反論したかった。
「ここまで我慢を続けてきたんだ。 この島では一切土産物を買わなかったし、みんなが10$ のランチセットを食べている時も5$ のサンドイッチを食べたりしていたんだ。そうしてこの8$ の木彫りのゾウガメを買ったんだ」
しかしどれだけ言葉を尽くしても、
「お金に関して計画性がない」
というシンプルな事実を否定できない。 どうしてこんな馬鹿げた事態に陥っているのか? この旅の間中、何度も何度も自分に問い続けていた。とはいえ、 他人から改めてぶつけられると息をするのが辛くなるくらいのダメ ージを受けた。

こうして、様々な衝撃を受け続けたイザベラ島を去り、 私たちはガラパゴス諸島で最後の停留地になるサンタクルス島へ向 かった。

 

ガラパゴス戦記(5) イザベラ島2 Mr.X

  • 2024.02.17 Saturday
  • 12:04

ガラパゴス戦記(4) サンクリストバル島3、イザベラ島1  Mr.X からの続きです。

 

この日(12月28日)から参加した女性2人は結婚しており子供もいた。そういった家族の事情で参加が遅くなったのである。というかそもそも「家族を置いてガラパゴスに行く」なんてよくやれるよなあと心から感心する。そういうわけでこの日から7人(独身男性2人、独身女性2人、既婚女性3人)で活動することになる。これがもし日本国内の旅行であれば、「この団体はいったいどういう集まりなんだ?」と怪訝な顔をされ続けたことだろう。

女性比率が高いチームで旅をする、などと言うとニヤニヤしながら「ええやん」とか言ったりする男友達もいたりする。が、もちろん、辛いことの方が多い。はるかに多い。少なくとも私の場合はそうだった。「女性のチーム」という形がカッチリでき上がっており、そこで私の存在は浮いてしまい、というか、完全な余所者になるのである。誰とでも仲良くなれるコミュニケーション能力、そんなものとは縁遠い人間でございます。

そして、このシリーズ冒頭にも書いた通り、このチームに私と親しい人はいなかった。唯一の男性同行者はこの女性チームとも交じることができる人だったのだが、私と格別親しいわけではない。そういうわけで、6人がお喋りしながら歩いている時などで、私は一人少し離れたところでボケーとあさっての方向を見ている、みたいな時間が長くなった。

しんどさもあるけれど、「自分は隣のクラスの集まりに混ぜてもらったのだ」と考えればそういうものか、という気もしてくる。無理に混ざろうとしたり自分の存在を誇示したりとかしなければ、余所者としての居場所ができるのである。孤独感もあるが、生まれてきてからこういうのは珍しくないので慣れてもいるのである。

 

ガラパゴス諸島の島全てが火山活動によって海にできた島だ。その中でこのイザベラ島は比較的若い方にある。お暇な方は、googleマップで「isabela island エクアドル 」などと検索し、レイヤを「地形」にしてこの島を見てほしい。吹出物のようなものが5つ見える。それらすべてがカルデラ式の火山であり、吹き出たのは溶岩というわけだ。 面積は4,588km2と、京都府(4,612km2)より少し小さいくらい、と結構大きく感じるが、開発が進んでいるのは南の町 Pueruto Villamil くらいで人口は2,000人ほど。田舎の小さい村、という感じだ。

29日はツアー会社を巡り、今後のアクティビティの話を進める。その後、宿周辺と街を散策した。 この島にももちろんゾウガメはおり、ゾウガメ繁殖センター Centro de Crianza Tortugas Gigantes Arnaldo Tupiza Chamaidan で多くのゾウガメを見ることができた。

ここではガイドさんの詳しい解説を聞くことができた。火山の噴火がゾウガメの分布に影響を与えたこと、さらには最新の研究の話も聞くことができて大満足、のはずだったのだが、どうにもスペイン語訛りがきつくイマイチ意味が分からないところがある。これまで英語の勉強を続け、それなりに使えるようになってきたけれども、世界の「リアルな英語」は思ったよりも多様で複雑だった。「英語は世界の共通語。話せる自分は世界のどこでも活躍できるぜ!」というわけにはいかないようである。

 

 30日には火山 Sierra Negra へ向かった。 車で一気に1,000mを近く駆け上がる。宿にいた頃は晴れていたのに、山に登ると一気に霧  に包まれた。ガイドのおじさんに連れられて少し歩くと、あるとき一気に視界が開けた。

 

 

 阿蘇山のようなカルデラである。火山の火口の縁に私たちは立っていた。緑の生い茂る山道のすぐ横は火口なのだ。固まった溶岩で薄い蓋をしているだけのように見え、「今、この瞬間に噴火したら即死だな」とか考える。 以前の噴火ではその北側に向かって溶岩が流れたらしく、そちらへ向かう。

 

 

  本当にここは地球なのか? 火星じゃないのか? そんなことを考えてしまうほど、剥き出しの火山の表皮が現れていた。Wikipediaによると最近の噴火は2018年で、今も活発に活動しているそうである。「地球の傷のカサブタが固まり始めただけ」そんなことを考える。特に日本に住んでいると山が緑で覆われているのが当たり前のように思えるけれど、地球という惑星は元々こうだったのだ。これを何億年もかけて生命が緑で埋め尽くしたのだ。脈打つ地球の素肌が空恐ろしくもなるし、生命の力に改めて畏怖の念も覚える。 サボテンが所々に生え、時折鳥やトカゲの姿が見えるくらいで生命はごくわずかである。それなのに、圧倒的な「力」を感じた。そんな光景は生まれて初めてだった。

 

その帰り道だが、この木の実をよく見かけた。

生き物に詳しいガイドさんで、グアバだと教えてくれた。 「グアバ、という商品作物だということは、人間がこの島に持ち込んだもの?」 と私は尋ねた。ガイドのおじさんは 「そうだが、こんなに生えているのには理由がある」と教えてくれた。 「元々は人間が持ち込んだわけだが、その実を鳥や農耕用の牛などが好んで食べる。それで種が撒かれることになり、結果、このようにあちこちにその木を見かけるようになった」 もちろん現在ではこのように外から持ち込んだ農作物を自由に植えられるわけではないにせよ、人間の過去の活動は明確に島の生態系に影響を与えており、そしてそれは今も進行しているのである。ガラパゴス諸島に対して「手付かずの大自然が残る秘境」みたいなイメージを勝手に持っていた。しかし確実に人間の手はあちこちに入っているのである。残念に思う気持ちもあるが、自分のように観光で行ける範囲ではそりゃそうだよな、とも思ったりする。  

 

圧倒的な自然と、そこにも確実に忍び込んでいる人間の手、その両方を強く感じた1日となった。

ガラパゴス戦記(4) サンクリストバル島3、イザベラ島1  Mr.X

  • 2024.02.10 Saturday
  • 10:27

ガラパゴス戦記(3) サンクリストバル島2 Mr.X の続きです。

 

2023年12月27日、 この日はサンクリストバル島周辺をボート船で巡り、 シュノーケリングなどを行った。
初っ端からこの景色に圧倒される。



Roca Leon Dormido (「眠る獅子の岩」)という海にニョッキリ立つ奇岩である。 ファンタジー映画の舞台のようだった。 船はこの岩の近くに停泊し、 私たちは借りたウェットスーツで海に飛び込む。

シュノーケリング(あるいは単にシュノーケル)とは、 ゴーグルと、 シュノーケルという顔を水につけたままで呼吸できるようにするた めのパイプをつけ、海の浅いところで泳ぐ遊びである。 シュノーケルをつければ下を向いたまま呼吸ができるのでゆっくり 泳いだり、あるいは数mくらいなら漂ったりもする。ただし、 ダイビングとは異なり酸素ボンベ等は付けないのでそんなに深くは 潜れない。
では漂いながら何をするかというと、 生き物や水面下の景色を眺めるのである。基本それだけ。 私は持参した防水デジカメで写真を撮りまくる。



こういった写真をシュノーケリングの未経験者に見せたことがある が、不思議そうに言われた。
「水族館でいいんじゃないの? 何が違うの?」
上手い返答をしたいが、「ええから一度やってみて。分かるから! 」と、しょうもないことしか言えない。載せておいてなんですが、 写真だけでは伝わらない。例えるなら、 好きなミュージシャンの演奏を、「ライブDVD」で見るのと「 地声が聴こえる距離での生ライブ」 で体感するのと同じくらい大きく異なっているのではないかと思う (逆に、 私はこちらの方が経験ないので完全に想像なんですけれども)。 水族館もいいけれど、 野生の生き物のフィールドに飛び込んで全身でその生の姿を体感す る快感は、他にはちょっと替えられない。
私は元々生き物が好きではあったけれど、 海洋生物に特に興味があるわけではなかった。しかし、 連れられて行ったシュノーケリングで全身が震えるような感動を覚 え、 それ以来数年おきくらいだが時間と労力を惜しまずに海に潜ってい る。仮に今、「 健康体のまま1年後にポックリ死ぬことが決定しました」 ということになってじゃあそれまでに何をするかと問われたら、 そのリストのかなり上位にシュノーケリングは来る。 おそらく数度はそのために離島へ向かう。 それくらい心底好きなものの一つになっている。
旅費を除けばダイビングと違ってそれほどお金もかからないし、 もし皆さんがある程度水泳の経験があり、 生き物に少しでも関心があればお勧めしたい、 それくらい素晴らしいものです。

とはいえ、改めて考え直してみる。
「でも、わざわざガラパゴスまでいかんと行かん? 沖縄でも良くない?」
と問われるとちょっと困る。日本国内でも綺麗な海はあり、 美しい魚たちが泳ぐ様は見られる。しかし「 行ったことのない海で、見たことない魚を見たい」となる。 欲望には限りがないのだ。

30分くらいすると船に戻る。 泳いでいるときは夢中で気がつかないが、 海水に体温を奪われるので上がってからブルブル震えることはよく ある。今回のように外洋に出た時は、 思ったより海流に流されることもあるから注意が必要だ。

場所を変えて再び潜る。今度は陸地に囲まれた浅瀬だった。


じきに姿を現した。


昨日のゾウガメに続いて、今度はウミガメだ。 その巨大なウミガメは水面をバシャバシャやっている人間のことな ど一瞥もせず、海底の藻を食べることに夢中だった。 そんな様子に私は興奮し、少し近づこうと( 一応ルールとして野生生物の2m以内には近づくなと言われている )素潜りを始め、この写真を撮った。

異変はその時起こった。
写真を撮ったはいいのだが、その瞬間にコンデジの画面が乱れ、 そしてブツっと消えたのである。
「え? 何?」
慌ててカメラ全体を見るとバッテリーを入れる蓋のところが開いて いる。仕様では15mは潜れるはずなのに。 二重ロックになっていて絶対に開かないはずなのに。
こうして、 10月終わりに購入したばかりのデジカメは完全に壊れた。 結構なお値段、したんですけれども。

その時はもちろんガックリ落ち込んだ。後日譚になるが、 一応開発元に問い合わせ、 できるわけないと思いつつ修理できないか一応調べてもらっている 。旅行保険の会社にも問い合わせており、そちらの「携行品補償」 というのが効きそうである。保険、大事です。

何はともあれ、こうしてサンクリストバル島の滞在を終えた。

次の日、船でサンタクルズ島( 先日の絵葉書で言うと真ん中らへんにある栗みたいな形の島) へ移動する。この島にも空港があり、 これを利用してやってきた後発組の女性2人と合流。全員集合。 さらに船に乗り、ガラパゴス諸島最大の島であるイザベラ島( 西にあるタツノオトシゴみたいな形の島)へと向かう。 宿についた頃には日が傾いていた。




後発組との合流は、私にとって待ち焦がれたものだった。
というのも、 役立たずのJCBと日本円だけしか持っていない事実上無一文のア ホが一人いる、 またVISA等の使えるカードを持っていてもATMで現金を限ら れた額しか下ろせない人がいる、などの情報を送っており、 できるだけたくさん米ドルを持ってくるようお願いしていたのであ る。島の観光客向け飲食店では概ねカードが使えたけれど、 現金のみの店も少なくないし、 ツアー会社だとカードを使えるが料金が数%上増しされる、 ということも多かったのだ。
手付かずだった私の福沢諭吉たちが、ついに火を噴く瞬間が来た! イザベラ島での最初の夕食ののち、 私は大喜びで両替をお願いする。しかし、 米ドル札は思ったよりもかなり少なかった。
「え? えっと、米ドル、これで全部? ...これだけ? ...なんで、もっと持ってきてくれなかったん、ですか...?
「アメリカで替えようと思ったけど、そのあとも移動は続くのに、 そんな大金を現金で持ち歩くのも不安だったから」
なるほど。現金を必要としているのは私だけではない。 全員分となると相当な額になる。 彼女たちもパナマ空港でトランジットし、 さらに治安が良いとは言えないグアヤキルを経由してくるのだ。 大金を持ち歩くのは確かに無用心である。なるほど。 私の理性は納得した。

しかし私の感情は混乱を極めた。一部両替はできたものの、 それまでの借金を返したら、 手元に残された現金はかなり限られたものだったのである。

「オレの金欠は続くのか!? まだ、これからも!?」

声には出せない絶叫を上げた。

 

ガラパゴス戦記(3) サンクリストバル島2 Mr.X

  • 2024.02.03 Saturday
  • 21:31

ガラパゴス戦記(2) サンクリストバル島1  Mr.X からの続きです。

 

この旅には英語が得意な人が多くいてツアーの交渉をしてもらえる ので、私は後ろで見ているだけのことが多かった。 自分よりも得意な人がやる気になっているのに「それでも俺が!」 と出ることはまず無く、「じゃあ、お願いします」 と丸投げして引っ込んでしまいがちなのである。私の根っこには「 末っ子」気質なところがあるのだ。

それだけならいいのだが今回は「経済面でも迷惑をかける」 というのもあって流石に引け目を感じる。
ガラパゴスでは旅費を抑えるために食事がついてない宿を予約して いた。宿についているキッチンで自炊するとき、 私は比較的率先して料理を作った。翌日( 2023年12月25日)の朝食に野菜スープを作ったのも、 私が料理好きだけだからではない。

12月25- 26日はツアー会社で借りた自転車でサンクリストバル島を巡った
25日、 美しい砂浜の間に溶岩由来の黒いゴツゴツした岩が立ち並ぶ Playa Punta Carola へ向かった。 砂浜にいる彼らの気分を味わいたくて一緒に並んだりする。

(著者近影)

岩場には可愛らしいブービーたちが鎮座していた。


ガラパゴスの固有種ガラパゴスアオアシカツオドリである。 その名の通り、足が不思議な青色をしている。 やはり距離感がおかしく、 特にカメラをズームもせずにここまで撮れる野鳥はあまりいない。 「え? なんか用事? ええけど、それ以上はこっちに来んといてや」 という表情を向けてくるだけで、 かなり近づいても慌てる様子はなかった。
アオアシカツオドリはガラパゴスの「メインキャラの1人」 と言っていいほどの人気者で、「Patas Azules(青い足)」 というお店は観光客に人気のブランドとなっている。

街の中心部へ戻って昼食を取る。レストランで「 うちはこれが自慢なんだ!」という魚介のマリネ「セビーチェ」 を頼む。


強い日差しの中自転車で走り回った体に、 酸味の効いたセビーチェが染みる。セビーチェは「 ペルーの名物フラッグ料理」とWikipediaにあるが、 ガラパゴスでもかなり一般的な料理のようでどのレストランでも見 かけた。ご飯は大体一緒に出てくるし、イモやプランテーン( 甘くないバナナ)のフライがついてくることも多かった。 それぞれお店で工夫を凝らしているようで、具材だけで無く、 浸し汁の香りも店ごとに少しずつ異なっていた。

全く期待してなかったのだが、ガラパゴスの料理は美味かった。
当然だが、魚介類が多い。 肉料理のときもあったが味付けはシンプルで、 脂と香辛料が多めで胃が重くなる、みたいなことは全くなく、 コメを頻繁に食べることもあってか、旅行中に「日本食が恋しい」 ということは全くなかった。 メシを目当てにガラパゴスへ行く人はいないだろうが、 料理面で日本人には割と馴染みやすい土地だと思う。

翌日12/26は、自転車で山越えをすることになった。
組まれたスケジュールでは、早朝に出発し東へ進み、山頂の湖 El Juncoへ見てから山を降って東岸Puerto Chinoへ、それから宿に戻って昼食。 午前中だけで島を東西に往復する計画だった。 体調がすぐれない人もおり、自分の他女性3名で向かうことに。
私には無謀な試みにしか思えなかった。街と磯の往復、 さらに山の中腹にある宿までの自転車移動を見ていた。 女性たち3人とも体力はあったが、 自転車旅行の経験が見ていて明らかだった。
「さすがに無理じゃない? 600mの山だよ? これを一度登って下ってまた登る、ということは1, 200mの山登りに近いのに、これを午前中だけでというのは、 少なくともスケジュール的に難し過ぎる。 借りてきた自転車はマウンテンバイクで未舗装路を進むのにはいい けど、重くて山登りには適していないよ」
私は主張したが、あまり強く言えなかった。 経済面で迷惑をかけ続け、 かつ交渉ごとを丸投げしているという負い目のせいで、 自分の声が弱っちくなっていることを自覚していた。とはいえ、 自転車旅行の経験がそこそこある自分が論理的に説明しているのだ 。説得力は十分にあるはずだ。少なくとも、 スケジュールは見直されるだろう。

が、 翌日になると結局自転車で午前中だけで山登りをすることになった 。ヤバい。シンプルにヤバい。
案の定、坂がきつくなると自転車を降りて押す人も出てくる。 さらには山頂に近くなると小雨も降り出した。 無理なスケジュール、経験値の不足、 雨による路面のコンディションの悪化、 気温の低下で削られる体力。 改めて考え直しても事故が起きかねない状況だった。
おそらく女性たちも無茶なことをしていることは自覚していたと思 う。しかし、 旅行中のハイテンションというものは変な判断を招くものだし、 そもそもテンションが高くなければガラパゴスまで来れない。

私の祈りが通じたのか幸いにも事故は起こらず、 東側の施設を無事訪れることができた。そこには彼らがいた。


ここ Galapaguera de Cerro Colorado で、 私は写真や動画でしか見たことのない憧れのスーパースターについ に出会えた。

「私は、紛れもなく、あのガラパゴスにいるのだ。 本当にいるのだ」

この時、 私の中ではこの旅の大きな一里塚を超えたのだと自覚できた。 ここまでの疲れとメンタルの落ち込みが吹っ飛んだ、 本当に感動的な瞬間だった。

感動はしても、自転車移動はなおも続く。
その後さらに坂を下り、東岸の Puerto Chinoという美しい砂浜までついた。 そこでも様々な生き物が見られたのは良かったが、 既に午後2時半を回っている。 ビーチで遊ぶ観光客は多いが飯を食べるところはない。 今から坂を登る気力もない。 電波状況も悪くてタクシーも呼べない。想定通りの、 かなりまずい状況だった。
がしかし、案ずるより産むが易し。 デカいスーツケースを持ち込む観光客が多いからかガラパゴスでは ピックアップトラックのタクシーが多いのだが、 ビーチまで客を運んだそんなタクシーの一台と交渉し、 宿まで載せてもらえることになったのだ。自転車ごとである。
問題はアッサリ解決した。

タクシーで、「これをまた登らなければいけないのか」 と暗い気持ちで考えながら降った600mを一気に登る。 文明の利器に感謝した瞬間だった。
とはいえ、コミュニケーションとか自らの人間性だとか、 色々な重い事柄を、私はタクシーの中で延々と考え続けていた

ガラパゴス戦記(2) サンクリストバル島1  Mr.X

  • 2024.01.27 Saturday
  • 10:22
ガラパゴス戦記(1) LA、パナマ、グアヤキル からの続きです。

  私たちがグアヤキルから飛行機に乗って向かったのは、この絵葉書の右端(東端)にあるサンクリストバル島だ。この地図では小さく見えるけれども、面積は558km2あり、淡路島(592.55km2)より少し小さいくらいである。 空港に着いたのは12月24日の午前10時過ぎ。正直言って、かなりしょぼい空港だった。田舎のバスターミナルくらいだった。しかし入島?審査は物々しく、預け荷物は麻薬犬が匂いを嗅ぐまでは受け取れなかった。植物の持ち込み等はいろいろ難しいらしく、やはりガラパゴスは「他所のもの」が入ってくることにはかなり慎重であるようだ。

  空港を出ると宿のおじさんが車で迎えにきてくれており、とりあえずその宿に向かう。宿は街から離れた田舎にあった。山荘、といった感じの宿に着くと、おじさんはウェルカムドリンクならぬウェルカムフルーツを振る舞ってくれた。庭で採れたものだそうだ。

 

  Guanabanaというフルーツだった(おじさんは「ワナワナ」と発音していた)。写真のものは熟れており、手で触るとブヨブヨとした感触だった。切り分けると白い身があるのだが、なんとも味を表現し難い。もったりとした甘さはありつつさっぱりしている。酸味は強くない。ハッサクのようなシャクシャクした感じはあるが、繊維が口の中に残らない。早速、南国っぽいものきた!と一同一気に盛り上がる。

 

  昼食はまだだったので、早速おじさんの運転する車で街のほうに向かう。海が見えたのでとりあえず向かう。砂浜でいきなり出食わした。

  全部、野生のアシカである。餌付けも何もされていないアシカが、人間を一切気にすることなく、我が物顔で街の砂浜を占拠していた。普通は子供を抱えた動物は神経質になるものだがそんな様子もない。手前に見えているのは、子供に母乳を与えながら眠りこける母親である。信じられない。このサンクリストバル島は特にアシカが多く、日中に砂浜を歩けば必ず見かけた。間違いなく、野良猫より多い。 不思議なものでその後数日経つと「海にアシカがいるのは当たり前」という感覚になった。ガラパゴスでアシカをカメラでパシャパシャ撮っている人がいたら、その人はさっき島に来たばかりだと断言できるくらいこれが日常なのである。今思い返しても、やっぱり信じられない。 少し移動すると、奴らがいた。

 

  ガラパゴスを象徴する動物の一つ、ウミイグアナである。いや、めっちゃ普通にいる。やはり人間を警戒する様子はほとんどなく、近づこうとすると鬱陶しそうな顔をしてちょっと避ける、くらいだった。 その後もフィンチ(ほぼ「人を怖がらないスズメ」と言って良い)などの野生生物と出会うのだが、基本的に人間を恐れていないのは間違いない。日本から来ると「距離感がバグっている」と言いたくなるくらい近い。捕食するような動物がほとんどおらず、人間と接した歴史が短いガラパゴスでは、「警戒する」という多くの動物が持つ形質が失われているのだ。理屈では分かる。しかし目の当たりにするとやはり摩訶不思議としか言いようがなかった。

 

  昼食後、島の両替所を探した。が、そんなものはなかった。 さすがに私も焦り始めるが、そもそもがこの日はクリスマスイブの日曜日だった。銀行も開いていない。ATMはあったが私のJTBカードはすぐに吐き出された。 愚かにも、私はJCBしかクレジットカードを持っていなかった。もちろん「JCBは海外では弱い」というのは知識として知ってはいた。しかし「田舎はともかく、都会なら、少なくとも空港なら使えるだろう」とここまでやってきていたのである、愚かにも。だがしかし、パナマ空港からATMを見るたびにJCBのマークを探したけれど一切見つからなかった。話は飛んで、帰りにアメリカに再び寄ったのだが、結果としてその時も使えなかった。JCBカードはこの旅行では最初から最後まで役立たずのただの板切れだったのである。

  昼食後は夕食まで自由行動ということになった。女性陣はさっそく土産物屋の物色を始める。しかし私は写真を撮り続けるしか何もできなかった。

  写真は、アシカのいる砂浜を夜に撮ったものである。クリスマスイブのこの日は町中お祭り騒ぎで浮かれきっていた。常夏もこの島ではクリスマスの趣もまた違っており、日本の夏祭りのように賑やかで陽気な雰囲気が町中に満ちていた。 しかし、私は1ドルも持っていない極貧の観光客だった。ただただ同行者たちに借金し続ける。見知らぬ島を進むことの高揚と不安と二つ我にあったのである。本格的に、しんどくなり始めていた。

ガラパゴス戦記(1) LA、パナマ、グアヤキル

  • 2024.01.20 Saturday
  • 10:45

ガラパゴス戦記(0) Mr.X  からの続きです。

 

ガラパゴス諸島は観光地として大きく3つの島に分けられる。 東側からSan Cristobal島、Santa Cruz島、Isabela島である。San Cristobal島とSanta Cruz島にはそれぞれ空港があるが、 もちろん日本から直行便はない。 そもそもガラパゴスが属するエクアドルに向かう直行便がない。 なのでトランジットを繰り返すことになる。

2023年12月22日の夕方、 私は羽田空港第3ターミナルに向かった。 仕事や家庭の事情で遅れて参加する人もおり、 この日集まったのは自分含め5名だった。 夕食は空港レストラン街のお混み焼き屋で。 zoom会議はあったが実際に顔を合わせるのはほぼ10年ぶりの 面々だったので、近況報告だけで時間が過ぎる。
エクアドルでは米ドルが使われているのでどこかで両替をする必要 があるが、この時私はまだ1ドルも持っていなかった。 日本円はかなり多めに持っていたけれど、 どこで円を替えるか決めかねていたのである。 もちろん羽田空港で両替できるけど、同行者が「 空港は手数料高いから、 向こうの街で両替したほうが安くつくんじゃないか?」と言われ「 確かに」とやめてしまった。
この時の判断について、繰り返し繰り返し繰り返し、 後に思い出すことになる。

夜10時過ぎ、 Delta航空のロサンゼルス行きの飛行機に乗る。 決して広くはないエコノミー席で約12時間。クソ長いが、 旅行の高揚感からか、映画を見たり( 座席にタブレットが付いている) 寝たりしているとあんまり気にならなかった。
翌朝(といっても現地では昼過ぎ)、アメリカに入る。 初めてのアメリカだが、入国審査のダルさに驚かされた。「 ディズニーランドかよ!」とツッコむほどの行列に並ぶ。
ようやく自分の番が来る。

審査官「目的は?」
X「トランジットです」
官「目的地は?」
X「エクアドルです」
官「じゃあそのチケット見せて!」
X「え? いや、まだ発券してませんし。。。同行する友人は持ってる、 かな。。。」
官「じゃあその友人今すぐ呼んで!」
X「(何でこうクソだるいねん。そうだ、 スマホにメールが来てたはず)このチケットです」
とスマホを見せてなんとか解決。会話はもちろん英語。 早口だし高圧的だし、まあまあ面倒い。

次乗る飛行機まで少し時間があるので、なぜか「海岸へ行こう!」 ということになりUberでタクシーを呼ぶ。
後に自分でも利用することになるが、Uberは非常に便利だ。 変なタクシーに捕まらずに済んで安心だし、明朗会計だし、 何よりアプリで「あと何分後にきます」 が表示されるのでイライラがない。 海外旅行に行くなら必携アプリと言って良いと思う。 日本に無いのが不思議になるほどだ。 おそらく日本を旅する外国人観光客の少なくない数が「 どうしてUber使えないんだよ!」 とまあまあ怒っていると思う。

西海岸の夕焼けは美しかった( 入国審査がダルいせいで夕方になっていた)。



日本では、海全体が夕日で赤く染まる光景はなかなか見られない。 あの向こうに日本がある、と考えるとなんだが不思議な気がする。

空港に戻り、今度はCopa航空で7時間ほどかけてパナマ・ トクメン国際空港へ。



自分の感覚ではかなり大きい空港である。 あちこちに発着口があり、ターミナルも複数あった。「 中南米の玄関口」 といった感じで北米やヨーロッパとを結んでいる。 パナマは海だけでなく空でも要衝であるようだ。
パナマについたのは22日早朝(日本では23日夜)。 機内食は食べていたがそれでも朝飯を食べることに。が、 まだ私は1ドルも持っていない。 空港なのでもちろん両替所はあるが、レートが$1=¥180。「 どんだけ手数料ボるねん!」と頭に来て両替しなかった。 なので同行者に金を借りての朝飯だった。

空港をうろうろするだけでパナマには入国せず、 再びCopa航空でエクアドル最大の都市グアヤキルに向かう。 かれこれ30時間ほど座るか立つかで横になっていないので、 疲れが出始める。腰も重い。ここで一泊することになっていた。 予約していたホテルからはグアヤス川が一望できた。


不思議なことなのだが、グアヤキルまでやってきてようやく「 外国に来た!」と実感できるようになった。 ロサンゼルスの海岸やその道中では特に感じるところが無かったの である。おそらく映画やドラマなどで「アメリカ」 というものに慣れていた面があるのだろう。 しかしグアヤキルでは街並み、匂い、人の活気、 聞こえてくるスペイン語の響き、全てが新鮮だった。
23日の昼食はグアヤキルのショッピングモールのフードコートで 食べる。 警備員が大勢うろうろしている巨大モールは安心なのである。 グアヤキル空港もやはりレートがバカ高かったのでここで両替所を 探したが、そもそも見つからない。 オーバーツーリズムを防ぐためかガラパゴス諸島は訪れるだけで$ 100取られる。したがって借金を重ね続けることになった。 がしかし、この時点では
「困ったなあ、 こりゃレートが多少高くてもガラパゴスで替えるしかないか」
とまだ呑気に考えていた。



南米で人気のフライドチキンのチェーン店Camperoを利用す る。行くまで知らなかったが、 エクアドルでは米はよく食べられるらしい。 パラパラとしており日本のものとは異なるが米は米。 不思議な安心感がある。 豆のスープはご飯とセットで出ることが多かった。 カレーかと思ったがスパイスがあまり効いていない薄味のスープだ 。日本の味噌汁のようなものかもしれない。

翌朝、グアヤキル空港からSan Cristobal島へと向かう。
最後のフライトは2時間ほど。日本から計50時間ほどかけ、 ようやくガラパゴス諸島の地を踏むことができる。 疲れよりも期待感の方が遥かに大きかった。

 

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