ガラパゴス戦記(4) サンクリストバル島3、イザベラ島1 Mr.X からの続きです。
この日(12月28日)から参加した女性2人は結婚しており子供もいた。そういった家族の事情で参加が遅くなったのである。というかそもそも「家族を置いてガラパゴスに行く」なんてよくやれるよなあと心から感心する。そういうわけでこの日から7人(独身男性2人、独身女性2人、既婚女性3人)で活動することになる。これがもし日本国内の旅行であれば、「この団体はいったいどういう集まりなんだ?」と怪訝な顔をされ続けたことだろう。
女性比率が高いチームで旅をする、などと言うとニヤニヤしながら「ええやん」とか言ったりする男友達もいたりする。が、もちろん、辛いことの方が多い。はるかに多い。少なくとも私の場合はそうだった。「女性のチーム」という形がカッチリでき上がっており、そこで私の存在は浮いてしまい、というか、完全な余所者になるのである。誰とでも仲良くなれるコミュニケーション能力、そんなものとは縁遠い人間でございます。
そして、このシリーズ冒頭にも書いた通り、このチームに私と親しい人はいなかった。唯一の男性同行者はこの女性チームとも交じることができる人だったのだが、私と格別親しいわけではない。そういうわけで、6人がお喋りしながら歩いている時などで、私は一人少し離れたところでボケーとあさっての方向を見ている、みたいな時間が長くなった。
しんどさもあるけれど、「自分は隣のクラスの集まりに混ぜてもらったのだ」と考えればそういうものか、という気もしてくる。無理に混ざろうとしたり自分の存在を誇示したりとかしなければ、余所者としての居場所ができるのである。孤独感もあるが、生まれてきてからこういうのは珍しくないので慣れてもいるのである。
ガラパゴス諸島の島全てが火山活動によって海にできた島だ。その中でこのイザベラ島は比較的若い方にある。お暇な方は、googleマップで「isabela island エクアドル 」などと検索し、レイヤを「地形」にしてこの島を見てほしい。吹出物のようなものが5つ見える。それらすべてがカルデラ式の火山であり、吹き出たのは溶岩というわけだ。 面積は4,588km2と、京都府(4,612km2)より少し小さいくらい、と結構大きく感じるが、開発が進んでいるのは南の町 Pueruto Villamil くらいで人口は2,000人ほど。田舎の小さい村、という感じだ。
29日はツアー会社を巡り、今後のアクティビティの話を進める。その後、宿周辺と街を散策した。 この島にももちろんゾウガメはおり、ゾウガメ繁殖センター Centro de Crianza Tortugas Gigantes Arnaldo Tupiza Chamaidan で多くのゾウガメを見ることができた。
ここではガイドさんの詳しい解説を聞くことができた。火山の噴火がゾウガメの分布に影響を与えたこと、さらには最新の研究の話も聞くことができて大満足、のはずだったのだが、どうにもスペイン語訛りがきつくイマイチ意味が分からないところがある。これまで英語の勉強を続け、それなりに使えるようになってきたけれども、世界の「リアルな英語」は思ったよりも多様で複雑だった。「英語は世界の共通語。話せる自分は世界のどこでも活躍できるぜ!」というわけにはいかないようである。
30日には火山 Sierra Negra へ向かった。 車で一気に1,000mを近く駆け上がる。宿にいた頃は晴れていたのに、山に登ると一気に霧 に包まれた。ガイドのおじさんに連れられて少し歩くと、あるとき一気に視界が開けた。
阿蘇山のようなカルデラである。火山の火口の縁に私たちは立っていた。緑の生い茂る山道のすぐ横は火口なのだ。固まった溶岩で薄い蓋をしているだけのように見え、「今、この瞬間に噴火したら即死だな」とか考える。 以前の噴火ではその北側に向かって溶岩が流れたらしく、そちらへ向かう。
本当にここは地球なのか? 火星じゃないのか? そんなことを考えてしまうほど、剥き出しの火山の表皮が現れていた。Wikipediaによると最近の噴火は2018年で、今も活発に活動しているそうである。「地球の傷のカサブタが固まり始めただけ」そんなことを考える。特に日本に住んでいると山が緑で覆われているのが当たり前のように思えるけれど、地球という惑星は元々こうだったのだ。これを何億年もかけて生命が緑で埋め尽くしたのだ。脈打つ地球の素肌が空恐ろしくもなるし、生命の力に改めて畏怖の念も覚える。 サボテンが所々に生え、時折鳥やトカゲの姿が見えるくらいで生命はごくわずかである。それなのに、圧倒的な「力」を感じた。そんな光景は生まれて初めてだった。
その帰り道だが、この木の実をよく見かけた。
生き物に詳しいガイドさんで、グアバだと教えてくれた。 「グアバ、という商品作物だということは、人間がこの島に持ち込んだもの?」 と私は尋ねた。ガイドのおじさんは 「そうだが、こんなに生えているのには理由がある」と教えてくれた。 「元々は人間が持ち込んだわけだが、その実を鳥や農耕用の牛などが好んで食べる。それで種が撒かれることになり、結果、このようにあちこちにその木を見かけるようになった」 もちろん現在ではこのように外から持ち込んだ農作物を自由に植えられるわけではないにせよ、人間の過去の活動は明確に島の生態系に影響を与えており、そしてそれは今も進行しているのである。ガラパゴス諸島に対して「手付かずの大自然が残る秘境」みたいなイメージを勝手に持っていた。しかし確実に人間の手はあちこちに入っているのである。残念に思う気持ちもあるが、自分のように観光で行ける範囲ではそりゃそうだよな、とも思ったりする。
圧倒的な自然と、そこにも確実に忍び込んでいる人間の手、その両方を強く感じた1日となった。