鉄の海(84) by Mr.ヤマブキ

  • 2018.02.15 Thursday
  • 21:53

 正直、気乗りはしない。間質性肺炎の急性増悪は相当に死亡率が高い。治療で落ち着いたとしても酸素吸入が手放せなかったり大量のステロイドの内服を続けたままになったりする。特にTさんの画像パターンからは間質性肺炎の中でも最悪の特発性肺線維症が疑われる。人工呼吸の治療を行うくらいの特発性肺線維症の急性増悪であれば死亡率は90%とも言われている。確実な死を分かっていて死期を先送りする治療を延命治療と呼ぶのなら、今、人工呼吸器を用いることが延命治療にならないのは残りの10%にかけるからだ。そしてその10%もほとんどが茨の道なのだ。

 そうは言っても命を救うこと自体の価値も見失ってはいけない。それに、延命は必ずしも悪いことではない。延命治療に意味がないと言われれば、我々呼吸器内科が普段行う進行肺癌の治療は全て意味がない。伸びる命がたった一週間だとしても、せめて「死を整える」くらいの時間にはなるはずだ。Tさんの妻や子供たちが急にTさんの死を受け入れるのは難しいが、事実を受け止めて、Tさんの生に縋るのではなくせめて死への過程を良いものにしよう思えるくらい、それくらい、その死を整えるような時間を作れるはずだ。

 

「ミダゾラムとフェンタニル用意して。チューブは7.5で」

 

 ミダゾラムを静脈投与すると鎮静・催眠作用でTさんの意識が薄れていく。同時に呼吸も浅くなり、口元にマスクを当ててしっかりと密着しバッグを揉んで換気をする。SpO2や血圧が大きな問題がないことを確認し、マッキントッシュを受け取る。マッキントッシュはくの字型の金属で小さなライトが付いている。一方を喉奥まで差し込み、下顎から喉元までぐいと持ち上げる。すると口や喉の中が大きく開いて視野が確保される。声帯を見つけたらそこに挿管チューブを入れて正しく換気できるか確認する。上手くいけばあっさりと終わる手技だが、難しい症例やトラブルがあるとたちまち命懸けとなるので気が抜けない。挿管チューブと人工呼吸器を繋ぐと、呼吸器から肺へと空気が送り込まれる。

 落ち着いた頃にTさんの奥さんに来てもらう。呼吸器からの送気の音、モニターの規則正しい心拍音の中にTさんが眠っていて、その口にはチューブが刺さっている。豪華に飾られている。じっとその姿を見つめた後、よろしくお願いします、と言ってTさんの奥さんは帰っていった。

鉄の海(83) by Mr.ヤマブキ

  • 2018.02.08 Thursday
  • 00:00

 SpO2は経皮的動脈血酸素飽和度の略称で、文字通り皮膚の上から血液中の酸素濃度を測定するものである。一般的に90100%を正常値として扱い、それ以下であれば低酸素血症ということになる。目の前のTさんはすでにSpO2 90%を切って80%台後半の値で動いていた。ただ、90%を切ったからといって即座に死に至るわけではない。低酸素にも軽症から重症まである。80%台後半ならまだもう少し待てる。病状も間質性肺炎の急性増悪であることも加味すると、家族に説明をしてから挿管に移るほうがよいだろう。

 

「病室に来てもらって!部屋で待てるか見ながら話する!……あ、いや、奥さんだけ?」

「そう、長男、長女は遠方だから!」

 

 病室へとTさんの奥さんが看護師に連れられてくる。先日の様子や息子・娘が遠方であることも考えると、これは人工呼吸をする流れになるだろうなと腹を括りつつあった。今からする生死に関わる話は510分程度で済まさざるを得ない。まだ意識のはっきりしたTさん自身にも聞こえるように話す。

 

「前回お伝えしたように、肺炎には色々な種類があるのだすが、今回はどうやら間質性肺炎、といってかなり急激に悪くなるタイプの肺炎の可能性が高いです。それに合わせた点滴の治療を今から進めていくのですが、今問題なのは酸素不足がかなり強くて普通のマスクの酸素投与では追いつかない状態だということです」

 

 深刻で不安そうな面持ちで頷いているが来たときと表情は変わらない。どれくらい理解しているか怪しい面もある。十分に理解している人であれば、この短い説明の中でも微細に表情が変わっていくことが多い。

 

「ですので通常であれば人工呼吸の治療に踏み切る必要があります。ただし、救命の可能性は上がりますが人工呼吸を一度してしまうと良くなるまで外せないので、場合によっては機械に繋がれたままということもありえます。それを延命と考える場合、あえてこうした治療を望まれない方もいます」

「はあ、そうですか。……先生、なんとか助かりませんでしょうか。入院するまでは本当に元気だったんです」

 

 一人で車椅子にも乗れなくて認知症もある人のことを「本当に元気だった」と言えてしまうのはTさんの老化が進み死の影が色濃くなってきていることに全く気付いていないか、あるいは認めようとしていないのだろう。それに89歳の妻だ。こちらにも認知症があっても不思議ではないし、多分軽度にはある。少なくとも高度な倫理的判断ができるほどの機能は保たれていない。

 結局話をしてはみたものの、入院当初と変わらず、正直話にならない。かといって長男か長女に電話してまた同じ話をする余裕もないし、いきなり電話でそんなことを話したってまとまるはずがない。人工呼吸の治療に、踏み切るよりない。

 

「分かりました。今から人工呼吸の治療をします。しばらく控室でお待ちください」

鉄の海(82) by Mr.ヤマブキ

  • 2018.02.01 Thursday
  • 00:00

 最終的に肺癌患者との話し合いは患者自身がカタをつけた。渋る娘に、もうやめなさいと一喝したのだ。

 

「今さらそんな遠くの病院に行ってどうする。抗癌剤をやってきて段々やせてきているのは分かってる。これ以上治療をしても寿命が縮むだけかもしれないというのは本当だよ。どうあがいたって癌が治るわけじゃない。遅かれ速かれ、いずれこういうときが来るんだよ」

 遠い目をしたように思ったが、すぐに娘に向く。

 

「これまでよくしてくれた先生に失礼だろう」

「いえ、いいんですよ。セカンドオピニオンも今では当然の権利です。僕に気を遣う必要はありませんから」

「そういうことじゃないんです。本当に、先生に支えられてここまでやってこれたと思ってます。義理じゃなくて信頼です。そりゃあ大きな病院に行けば素晴らしい先生もいらっしゃるでしょうし、先生と同じように診てもらえてよかったと思えるような方がいらっしゃるかもしれない。でもその中で先生に会えたということが運命なんだと思います」

 

 抗癌剤の終了を伝えるときには見捨てられたと感じる人もいるのに、ここまで言ってもらえるのは医者冥利に尽きる。嬉しかった。でもその一方でこの話し合いがいつ終わるかを気にしている自分がいて少し嫌になる。時間は貴重な医療資源なのだ。

 

「でもお父さん……」

 

 娘は大粒の涙をこぼし、顔を伏せた。

 まとまりそうにはなかった。娘に必要なのは時間だ。患者自身の時間はすでに死まで辿り着いていて、医療者もそこまで届いている。娘の時間軸だけがずれて追いつけていない。その差を埋めるため、たった数日でいいから間を置きたい。日を改める言い訳がほしかった。最期をどこで迎えるか、心肺蘇生をどうするかまで話しておきたかったが、後者は削ることにした。

 

「もう分かっていらっしゃることと思いますが、最期のことまで考えておく必要があります。一番大きなことは、どこで過ごすかです。最後まで自宅で過ごすか、あるいはどこかでホスピスに入るか」

「それは決めているんです先生。家だと僕を看るのは大変だから、ホスピスにしようと思っています。迷惑かけられないしね」

「周りの人のことを抜きにして、それでもそう思われますか」

「本当は迷うところなんですけど、でも安心ですしね。急に痛くなっても早く対応してもらえるでしょうし」

「分かりました。もしよければ、娘様とも改めて落ち着いたときに話し合っていただいて、それからお返事をもらおうかと思っています。できるだけ皆が納得できる形で進められたらと思いますので」

 

 やや強引な形でその話を終わらせた。A病棟まで走っていくと慌ただしく看護師が挿管の用意をしていた。

 

「先生酸素もう上がらないよ!90切ってる。御家族むこう!」

鉄の海(81) by Mr.ヤマブキ

  • 2018.01.25 Thursday
  • 00:00

 入院三日目、相変わらずTさんは発熱が続いていた。必要な酸素量の変化もなかった。その午後、看護師から電話が入る。

 

「先生、ちょっと酸素の上りが悪いんです。今4Lにして様子みてます」

「分かりました。IC中なので終わったら行きます」

 

 そのときは肺癌患者の病状説明中ですぐには抜け出せそうになかった。抗癌剤治療の継続は困難なこと、最期を過ごす場所を考えていく必要があること、残された時間はそれほど長くないこと、そんなことを話す必要があった。落ち着いた雰囲気で話したいしあまり邪魔はされたくなかった。

 その患者自身は肺癌治療ができないことを静かに受け入れていた。残りの時間も数か月とか半年とか、おおよそそのくらいだろうということも理解していた。だがその娘は受け入れ難かったようだ。先生、もっと治療はできないんですか?お父さん、まだ治療頑張ろ。先生、どうして治療できないんですか。お父さん、こんな田舎の病院じゃなくてもっと大きなところで診てもらおう。先生、セカンドオピニオンを紹介してもらえますか?

 すぐには終わりそうにない話だった。部屋の扉が開き、こっそりと看護師が入ってくる。先生、A病棟のTさんが10Lの酸素投与をしていて病棟から御家族呼んでもらってます。自分がいないとダメなことが同時に起こるのが一番つらい。挿管の用意もしておいて、と耳打ちした。

 セカンドオピニオンは別に構わなかった。それで自分自身やこの病院が困ることはない。ただ、患者本人の残された貴重な時間を遠方の病院受診に費やすのはあまり望ましくないだろう。残りわずかな時間と労力を割いて治療は難しいという話を聞きに行くことになるか、あるいは治療しますよ、と甘言を囁くインチキなクリニックにひっかかってしまうのは避けたかった。難しいのは、それを説得しようとすると言い訳めいて聞こえるところで、重症患者が待っているという焦りもあって、いっそのことじゃあ紹介状を書きますよとさっさと話しを終わらせてしまいそうになる。でもそれが患者自身のためにはならないことは明白で、ありのままを伝えて真摯に粘り強く説明するしかないのだ。

 

 その間、Tさんどうかもうちょっともっていてくれよ、と祈る。

鉄の海(80) by Mr.ヤマブキ

  • 2018.01.12 Friday
  • 00:26

 Tさんは翌日、変わりなく過ごしていた。酸素の必要量は1Lのままで、悪くはなっていない。発熱は続いていて、良くもなっていない。この状態であればまずは数日抗菌薬を投与して反応を見ざるを得ないだろう。

 医療は待つことの多い仕事である。ドラマは外科や救急ばかり取り上げて緊急処置を施す。華やかなのは確かにそうかもしれないが、大手術の後だって数週間の長い入院治療が待っているし、それが癌の手術ならば何年だって戦っていくことになる。

 一分一秒を争う場面はあるが、それだけが医療ではないし、それが医療の中心でもない。治療がどの程度で効いてくるかは疾患によっても異なるが、数日、あるいは数週間ということもある。リスク軽減の薬剤も多く、それならば良くなることではなく悪くならないことでしか効果は感じられない。

 もしかすると重症の肺炎かもしれない、そんなときも投薬で経過を見るしかない。もしかしたら効かないかもしれないと思いながらもその推移を見守るしかない。冷徹な観察者の一面だ。やっていることはマウスに薬剤を投与しその反応を記録するのと変わりはない。だが目の前の苦痛を取ろうとやたらめったら何でもしてしまうのは回りまわって患者自身の首を絞めかねない。

 そうは言っても、効かないんじゃないかと思いながら抗菌薬投与を続けているときは、良くなるのを待っているのではなくて悪くなっているのを待っているような気分になる。レトリックの問題なのかもしれないが、しかし言葉は概念で、そういう側面は確かにあるのだ。悪くなっていく肺炎を見つめながらステロイド投与にいつ踏み切るか探るのは、これだけ悪くなったのだからステロイド投与のリスクも正当化される、という言い訳を探しているような気がしてしまう。

 だが、そこまで思っていても早期から踏み切らないのは人体に裏切られた経験があるからだ。医学や経験の落とし穴からひょっこりと別の疾患が顔を出している。そんな苦い経験があればこそやはり正当化する言い訳を探してしまう。これまた裏を返せば、不利益から患者を守る策略とも言える。まあ、肚の内はすでに決まっていて、このまま様子を見るしかないのだがそんな医療行為における数々の決断の中にはいくつもの逡巡がある。

鉄の海(79) by Mr.ヤマブキ

  • 2018.01.04 Thursday
  • 00:00

 肺炎って怖いでしょう、と十把一絡げに言われることもあるが肺炎は実に多様な原因がある。最も一般的なのは細菌性肺炎で、文字通り細菌が肺の一部で繁殖し生体にダメージを与える。抗生物質の無い時代は治るも八卦治らぬも八卦といった具合だったが、現代では早期に治療開始された細菌性肺炎で命を落とすことは少ない。

 では命を落とす肺炎は?一つは誤嚥性肺炎である。ただこれは分類上の死因で、誤嚥性肺炎自体で死ぬというよりも誤嚥性肺炎が落ち着いても食事ができなかったり老衰ともいうべき死が訪れたりする。

 本当に肺炎で死ぬその代表格が間質性肺炎である。間質性肺炎はさらに詳細な分類があってその性格も若干異なるのだが、概ね間質性肺炎は性質が悪い。抗菌薬は効かない。ほとんどまともに確立された治療はなく、パルス療法と呼ばれるステロイドの大量投与や免疫抑制剤の併用療法が一般的である。

 目の前に肺炎患者がいて、肺炎の原因を検査で分類して、細菌性肺炎なら抗菌薬、間質性肺炎ならステロイド投与と確実に分けて治療するのが理想ではある。ただ実際の診療はそう簡単ではない。インフルエンザの検査一つとっても、インフルエンザの診断に活かす難しさもあり、肺炎の多様な原因を絞り込むのは容易ではない。経過や検査所見からどの原因の可能性が高いか、あるいは絞れないままであっても、どの治療を早期に開始するほうがリスクが低いかを窺いながら治療と検査を同時並行していくことになる。

 Tさんの場合、画像所見や経過からは間質性肺炎の可能性は十分にある。とはいえ、間質性肺炎と言い切れる段階でもない。細菌性肺炎の可能性もまだ十分にある段階で抗菌薬治療を開始するのはリスクが少なく、その意味でのコストパフォーマンスが良い。細菌性肺炎と間質性肺炎が五分五分なら抗菌薬とステロイドを同時に始めればよいのでは、という疑問も出るかもしれないが、ステロイドは一度始めてしまうと長期間に渡って投与していく必要があり、数々の副作用が顕現してくるため気軽に始めてしまえる薬ではない。そんなときは重症度も一つの基準になる。要するに、軽症であればリスクの低いところから始めるが、今にも死にそうな人にあらゆる治療をためらう必要はない。

鉄の海(78) by Mr.ヤマブキ

  • 2017.12.14 Thursday
  • 00:00

 一人の肺癌患者を看取り、二人の肺炎患者を退院させたその日、救急外来からある一人の肺炎患者が入院してきた。施設入所中の89歳の患者で、要介護3、車椅子には介助で乗れ、食事も自分で食べるがその他は介助を要する。認知症のためやや意思疎通は困難とのことだ。その人が昨日からの発熱、咳嗽を主訴に救急搬送されてきた。

 

「レントゲンでは右下に浸潤影があって肺炎だと思います。酸素は1L吸ってます。入院よろしくお願いします」

 

 そう救急外来の担当医から申し送られて実際に画像を見てみる。レントゲンを見ると両下肺野にわずかに網状影がある。それに肺炎の影は右だけでなくうっすらと左にもありそうだ。普通の肺炎は菌が一か所で増殖して広がっていくので片側であることがほとんどだ。両側の肺炎となるとそれだけで普通でない肺炎を考える。

 CT画像はどうだろう。レントゲンだけでは捉え切れない淡いすりガラス影が両肺の一部に広がっている。背側の蜂巣肺、胸膜直下の網状影……これは、最悪かもしれない。

 

 その患者Tさんの診察に行く。

 

「こんにちは、主治医のKです」

「こんにちは」

 

 酸素は吸っているが声ははっきりしていて、低酸素を引き起こすほどの肺炎の重症さを感じさせない。隣には高齢の妻が病室の椅子に腰かけていた。

 

「今回はどうも肺炎があるようです。まずは点滴の治療を進めていきます」

「そうですか。これはなんですか」

 

 鼻につけられた酸素チューブを触る。

 

「酸素を吸ってもらっています。しんどくないですか」

「しんどくないです」

「胸の音を聞きますね」

 

 前胸部からはあまり音はしないが、背中ではバリバリと荒い音がする。胸の音と言いながら、聴診の肝は背中と首にある。前から聞いていただけでは聞き逃してしまう重要な所見がそこに隠れているからだ。

 

Tさん、今回はまずは普通の肺炎として治療を進めます。ですが、もしかしたら普通の肺炎ではないかもしれません。肺炎にも色々種類があって、もしかしたら急にかなり悪くなるものの可能性もあります」

 

 Tさん自身は頷いて聞いているが十分に分かっている感じはない。その妻も、はあそうですか、と何度も相槌をした後、先生にお任せします、と言う。柔らかい物言いで探りを入れてみたが案の定全く伝わっていない。いきなり絶望的な話ばかりぶつけるわけにもいかないが、もう少し強い表現も必要だろう

 

「悪くなるというのは、例えば明日にでも命にかかわるくらい悪くなることがあるかもしれない、ということなんです」

「こんなに元気に見えますのにねえ」

「まだどうなるか分からないですよ。今のところは重症ではないですが、そうなるかもしれないということです」

 

 その辺りであっさり話を切り上げた。何でもかんでも言えばいいというものでもない。今疑っているのは呼吸器内科の大敵である間質性肺炎の中でも、その最悪の特発性肺線維症急性増悪なのだ。ほとんど成す術なく二週間くらいで死ぬかもしれないだなんて、初対面の数分のやりとりで伝えられるわけがない。

鉄の海(77) by Mr.ヤマブキ

  • 2017.12.08 Friday
  • 00:00

 医者がその肺炎患者の病気を治療する。看護師と作業療法士、理学療法士がそれぞれの業務を通して患者を盛り立てていく。言語聴覚士が日々確認しながら安全に口から食事をとれるようにしていく。病状がある程度安定してそろそろ退院できる状態になる。

 病気が治ったら退院できるのはかなり昔の医療の話だ。病状は改善してもそのときの必要な介護量、持続的な医療介入の要否で行く先は変わってくる。その肺炎患者は、昔は妻と二人暮らしだったが、加齢とともに体力が低下して身の回りのこともできなくなり、施設に入所することになった。トイレ一つとっても、歩けないようなら頻繁にオムツを替えなければならない。痩せた老人とは言っても、老婆が尻を持ち上げてオムツを交換するのは想像以上の重労働である。その辺りが必要な介護量と揃えられる介護力の兼ね合いになる。もちろん、それでも家でみたい、看取りまで考えているという場合には、介護保険で使える限りサービスを入れて、他の家族の協力を仰ぐことでカバーできる場合もある。末期癌で最後は自宅で、と思う人の場合、幸か不幸か期間も決まっているので他の家族も協力してくれやすい。

 施設もいくつもの種類に分かれていて、ケアハウスや住宅型有料老人ホーム、介護付き有料老人ホーム、特別養護老人ホームなど、要介護度や希望に応じて細分化されている。原則として、こうした施設では医療行為がほとんどできない。日中だけ看護師がいるところや、かなり限られた施設で24時間看護師在中というところもあるが、何かしてくれるとすれば基本的に医療ではなく介護である。

 医療が必要な人は長期的に最低限の医療を受けることのできる療養型病院に転院することが一般的である。医療を受ける人は治ったと言えるのか、という問題はあるが、一般に言う病院というのは急性期病院を指すことがほとんどで、急性期の治療が終わってある程度安定すれば次の場所へと移っていく。例えば、老衰のために自分で痰を出すことができず、痰で窒息しないために吸引を受ける必要のある患者は、特に治療できる病はないものの喀痰吸引という医療行為を継続的に受ける必要がある。

 それらの選択肢の中からどれを選んでいくか、それにはMSWこと医療ソーシャルワーカーが案内や段取りを主導していく。患者・家族の病状や希望のみならず、金銭的な問題とも兼ね合いをとって行き先を決める。冗談抜きで、施設は結構いい値段なのだ。皆が皆、そこまでの支払い能力があるわけではない。家族宅からの距離も面会がしにくいとネックになることもある。近辺に現存する療養場所の中から、現実的な折り合いを探っていくよりない。

 

 その肺炎患者は幸い喀痰吸引は不要で食事も十分に取れており、元の施設が受け入れ可能であった。こちらでの病状や介護状況を伝えて、それを引き継いでもらうようにする。退院日が決まり、その患者は車椅子で病院のエレベーターを降りていく。こういう一般的な軽症患者の入院に、医者の出る幕はほとんどない。

鉄の海(76) by Mr.ヤマブキ

  • 2017.12.01 Friday
  • 00:00

「天使とは美しい花をまき散らすものではなく、苦悩するもののために戦うものである」

 

 フローレンス・ナイチンゲールはクリミアの天使と呼ばれるほどの献身的なイメージをまとうが、裏腹に統計学を駆使した戦闘的な合理主義者であったことが知られている。

 看護師の支えというと、純粋無垢で純然たる慈愛のようなイメージを喚起する。ただそれは、本人の希望をかなえていくだけではない。白衣の天使でありながら戦士でもある。患者とともに最も近い距離で病と戦うのは医師ではなく看護師である。体を休めるように献身することもあれば、回復期には時に叱咤激励し自立を促す。病をコントロールした何もできない人間を送り出すことが病院の目的ではなく、最終的には自律的に病を克服、あるいは付き合っていけるようにするのが医療者の願いなのだ。そのためには時に口酸っぱく、厳しく接することもある。

 さらに業務は多岐に渡り、専門性は高い。生活に不可欠な身の回りのことも丸腰でサポートするのは容易ではない。衛生状態を保つために全身を拭く、自力では食べられない人の代わりに匙を持って食事の介助をする、そんな基本的なことでさえいくつもの注意点がある。そうした身の回りの介助以外にも医師の処置の介助や心理的な寄り添い、退院後の生活環境への配慮といったことも一定の医療知識、看護知識に基づいて行われる。その間に事務的な処理をしたり医師の指示で動くこともあったりするために看護師を小間使いのように考える患者もいるが、そこの道を歩いている人が急にできる仕事ではない。

 また、精神的な強靭さも要求される。急性期病院で働いていれば大量の痰や糞尿、血液が日常の友である。認知症で興奮した糞まみれの老人や自分で点滴を抜いてしまいシーツが真っ赤に染まった老人を速やかに処理しなければならない。それは衛生的に必要なことなのだが、それを理解しない認知症患者は同じことを繰り返し、そのたびに看護の負担は増える。患者からの暴言やクレームもまずは接する機会の多い看護師に届くことが多い。人の死は身近で、目の前で遺体となったそれを整えてきれいにするのもエンゼルケアなどと呼ばれ、看護師が行う。必ずしも攻撃的な外敵ばかりではなくて、例えばうつ病を中心で診る精神科病棟の看護師はうつになりやすいという言い伝えがある。これは心理的な寄り添いが仇となる例で、そんなところにも看護師を削り取る要素がある。

 だから、過酷で離職率も高い。それでも続けられるのはどうしてなのだろうか。

 

 その肺炎患者に支持的にかかわることで周辺症状がうまくコントロールされ、患者は食事を食べ始める。食べる食べないが変わってくれば、それが命の期限すら決めてしまう。医者は肺炎患者を治さない。看護師やリハビリのかかわり方が患者の今後を大きく左右するのだ。

鉄の海(75) by Mr.ヤマブキ

  • 2017.11.23 Thursday
  • 14:37

 その肺炎患者にリハビリを行ってはいるが、意欲の低下があり思うようにリハビリや食事摂取が進まない。認知症のある高齢者が入院すると、意欲の低下がみられることがある。肺炎があるとその倦怠感から一時的に意欲低下が見られるのは当然だが、肺炎が治ってからも続くことがある。アパシーなどと言って、認知症の周辺症状の一つに分類される。

 認知症の中核症状は記憶障害や遂行能力の障害など知的能力の低下が主だが、そこから派生して起こるのが周辺症状で、それは認知症を持ちながら他者と関わるその困難さのことだ。一番有名なのはアルツハイマー病に起こる、物盗られ妄想だろうか。初期のアルツハイマー病では短期記憶障害が起こる。例えば帰宅して財布を玄関に置くとして、1分後にはそのことを本人は忘れてしまっている。すると、普段財布を置いているところのどこにも財布が無くて本人は財布を無くしてしまったと思う。本人が忘れているだけなのだが、すぐに忘れてしまうということに自覚的でないので、自分の中で目の前の現象に辻褄を合わせようと、家族が財布を盗んだ、という妄想が生まれてくる。これが物盗られ妄想だ。物を置き忘れるたびに同居の家族を泥棒と罵倒し、全員が疲弊する。

 その他にも徘徊、不眠、暴力などの多種多様な症状があり、その中の一つとして、無気力を主体としたアパシーがある。入院を契機とする環境の変化はこれらの症状を悪化させることがほとんどで、家では物忘れはあっても普通に過ごしていた人が、入院してから「おかしくなった」と家族に思われる。医者が変な薬を盛ったわけではない。そして、だからこそ高齢者の入院というのは、入院するだけで寿命を縮めてしまうのだ。病院の方が安心だからと入院させたがる家族も多い。が、それが命取りになり得る。入院直後に徘徊して転倒し、頭を打って脳出血・くも膜下出血という例も少なくない。あるいは大腿骨頸部骨折・腰椎圧迫骨折で動けなくなる。足の付け根である大腿骨頸部の骨折を起こした認知症患者の平均余命は1年程度とするデータもある。動けなくなることや長期の入院が及ぼす影響は計り知れない。足の骨折ですら認知症患者には命取りになるのだ。安易に入院させることだけが医者の使命ではない。

 しかしやむを得ず入院して周辺症状が悪くなる患者もいる。周辺症状への最大のアプローチは関わる人の接し方である。それ次第で周辺症状は良くも悪くもなり得る。病院で患者に最も関わる人は看護師だ。ただ簡単な投薬の指示を出すだけの医者とは違い、看護師の支持的なサポートがなければ認知症患者の入院治療は成立しえない。

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