死亡診断書 Mr.ヤマブキ

  • 2018.09.27 Thursday
  • 18:54

 当直のことを夜勤と言われてささくれだってしまうのは、当直の前後も働いているのにそうでないみたいに聞こえてしまうからだろう。朝、夜、朝と来て、そろそろ連続で35時間くらい働いていることになるのだが、長く自分が診てきた人が亡くなりそうで帰るに帰れない。当直医に任せればいいのだが、忍びない気持ちになる。

 最終的に、一時間後にその人は亡くなった。最期を看取り、家族に挨拶をした。そこは何とか気力でもったが、死亡診断書、死亡届を書くところは朦朧としていて、とにかく早く終えたかった。振り返ってみれば、正直、乱雑な字になっていたように思う。後になって申し訳ない気持ちが湧いてきた。

 

 三日後、亡くなった某さんの担当に、とのことで病院に電話がかかってくる。

 

「そちらで発行いただいた某さんの死亡診断書の件ですが、誤ってKさんという別の方の名前と生年月日が記載されていました。ですので死亡診断書の再発行をお願いできますでしょうか」

 

 朦朧としていたせいで、何と自分の名前を書いてしまったらしい。書類関係で、つい自分の名前を書いてしまいそうになることは確かにあるが、本当に書いたまま出してしまうとは恥ずかしい。

 

「すみません、それは私です。間違えてしまいました」

「そうでしたか。実は、こちらの死亡診断書については今しがた受理されたところです」

「え、はあ。キャンセルしていただけるんですよね」

「申し訳ありません、こちらで処理することはできかねます」

「そんな。……つまり、死んだことにされているわけですか?そちらが受理したことですから、どうにかしてもらえませんか」

「一度受理されましたら恣意的な運用はできません。法治国家の根源に関わる問題です。大変お手数ですが、死亡診断の解除は所定の手続きをお願いします」

 

最終的に受理したのは役所のほうなのだからあまりに理不尽だと思ったが、元を正せば自分にも非があるので、その負い目を解消する方向に心は動いた。

 

「仕方ないですね、分かりました」

「最後に先生のお名前を伺ってもよろしいですか?」

「最初に言ったじゃないですか。Kですよ」

「いえ、K先生は亡くなられておられます。先生は、どちら様でしょうか?」

 

 それを聞いて一気に鳥肌が立った。不気味なやりとりだった。死んだことにさせられている。単なる書類上の定義が現実の僕自身の生死を規定しようとしている。頓珍漢な職員だという印象は、一気に暗い沼に潜む得体の知れない何かという印象に移り変わった。思わず電話を切ってしまった。

 

 

 本人でないと死亡を覆す手続きができないということだったので、それからすぐに市役所に向かった。窓口に出たのは中年の女性だった。

 

「所定の用紙ですね。お預かりいたします。ご本人を確認できるものはありますか?こちらの運転免許証ですね。分かりました、少々お待ちください」

 

 奥に下がった彼女は主任と思われる男性としばらく話し込んで、書類を持ったまま戻ってくる。

 

「申し訳ありません。こちらの運転免許証に登録されていますKさんはすでに亡くなられていますので書類の受付はできません」

「いや、だから間違って死亡で登録されてしまったので、それを訂正するための手続きですよね。それを死んだことになっているから本人じゃないって扱われてしまったらどうやっても死亡を覆せないじゃないですか」

「大変申し訳ございませんが、決まりですのでお納めください。恣意的な運用は法治国家の根源に関わる問題ですから」

 

 きっと奥のあの主任が電話の主なのだろう。ここで引き下がっては生き返るチャンスが二度と来ないかもしれない。主任を呼ぶように言って、直接交渉することにした。

 結局、全く埒が明かなかった。向こうが言うには、死亡診断を覆す正式な手続きが必要で、かつKは死亡扱いなので僕はKではない、ということだった。だがそうなると本人しか申請ができないため論理的に申請ができない。そこはルール通りの運用をするのが仕事だと突っぱねられてしまう。じゃあ僕を死体だと思っているのか?と聞くと、そうではないが、誰だかは分からないと言い切る。

 とうとう根負けして、マスコミにでも訴えるつもりで、その日は一旦引き下がることにした。

 

 

 病院に戻って、仲の良い同僚に愚痴を言う。

 

「聞いてよ。間違って書いた死亡診断書が受け付けられてしまって、死人扱いされてるんだ。間違った診断書だって言っているのに僕は死んだことになってるからキャンセルは受け付けられないんだと。訳分かんないよなあ」

「え、それは大変ですね……、ところで先生、お名前を伺ってもよろしいですか?」

 

 冗談だと思ったが、目があまりに真剣で、嘘が苦手な彼にそんな芸当ができただろうか。とても確かめる勇気などなかった。返事もせずに彼のもとから逃げ去る。

 

 仕事に戻っても、正体不明の医師として見られているのではないかと思うと全く進まなかった。電子カルテはIDとパスワードさえ入力すればK医師として扱ってくれるので、よっぽど暖かみを感じた。機械の方が平等で公正で、それだけがわずかな救いだった。何とも情けない話だ。

 そのまま電子カルテ上で、処方や点滴などの入力だけでも済ませていると、看護師が声を上げ始める。その向こうにはあの某さん夫婦が立っていたのだ。

 

「主人が大変お世話になりました」

「これは……一体?」

「自宅に連れて帰って葬儀を待っていたんですけれども、突然主人が目を覚まして棺から出てきました。もう本当に嬉しくて嬉しくて。皆様方によくしていただいたおかげで起こった奇跡だと思います。本当にありがとうございます」

 

 某さんも言う。

 

「皆さん本当にありがとうございました」

 

 某さんの死亡診断書をまだ書いていなかったことを思い出した。もう書く必要はないだろう。仮死とともに生前付けられていた末期癌の病名も捨て去られ、きっと某さんの体からは病さえ消え去っただろう。驚きと共に絶望的な気分になる。

 

 今、私の周りには銀蠅が舞っている。

やまがある日記〜富士山(3776m) 1日目 Mr.マルーン

  • 2018.09.14 Friday
  • 20:01

2018年8月下旬 晴

 

富士山は国民的な山である、と深田久弥は言った。
どんなに山に関心がなくても日本人であればあの偉大な山の名前を知らない人はいまい。日本を象徴する山である。
登山が趣味でない人にも、富士山には登ってみてもいいとよく言われる。
個人的にはこの山は登るより見るほうが有意義な山だと思っているのだが、友人2人が登ってみたいというのでしかたない、私自身は人生3度目の富士登山へ臨むこととなった。
2人は登山初心者であるため、一応私がパーティのリーダーということになる。必要な装備が書かれたWebサイトを紹介し、スプレッドシートで全体の行程表を作成し、短期の山岳保険にも加入してもらった。

 

河口湖駅からバスで走ること50分。富士登山のベースであるスバルライン五合目に着く。ここまでは観光地だ。既に標高は2300mを越え、西日本のどの山よりも高い。
見上げると青空に富士山の端正な円錐形の姿が映えている。外国人のツアー客が大勢、歓声をあげながら写真を撮っている。いい天気でよかった。
高地順応のため1時間ほど休憩する。レストランで早めの昼食を摂り、小御嶽神社で登山の無事を祈る。
うっかりいつもの帽子を忘れたので土産物屋で富士山キャップを購入した。浮かれた観光客みたいだがやむを得ない。

しかも顎紐がないためこの後の強風で飛ばされそうになり、キャップの上から手ぬぐいをほっかむりすることになる。大分ダサい。

 

富士山だ

 

五合目の吉田口を11時ごろ出発し、1時間ほどは河口湖や山中湖を見下ろしながらほぼ高度を稼がず歩いていく。
赤茶けた荒涼とした大地が広がる。見上げると美しい彩雲が浮かんでおり、なんとなく幸先がいい。
本格的な登りに入る。見上げるとつづら折りの長い長い登山道のわきに何軒もの山小屋が立ち並んでいる。まるで街道沿いの宿場町のようで、吉田ルートからの富士登山が初心者向けと言われるゆえんだ。
火山性の礫が転がるゆるい斜面を登っていくうちはほぼコースタイム通りだったが、岩場になってから友人の一人が遅れ始めた。ふらふらと足元がおぼつかない。高山病ではないが、単純に体力的にきついようだ。
10分20分ごとにある山小屋の前で毎回小休憩を挟みながら進む。

いつもならもっと一気に登ってしまうところだが、スケジュールに余裕を持たせておいてよかった。

 

登山道わきに山小屋が並ぶ
見下ろす

 

今日泊まる山小屋は本八合目よりも上で、まだまだ遠い。疲れ切った様子の友人を励ましながら歩く。

九十九折を延々繰り返すだけなので絶景と言ったって景色は代り映えしないし、人が多すぎて思ったペースで歩けない。

以前も登っているのでわかってはいたものの私自身うんざりした気分だ。こんな山に3回も登っているのは誰だ。私か。
この日は雲が面白く、遠くでむくむく育っていく雄大積雲を観察しながら登った。
日が傾き始めると急に気温が下がってくる。風が強く、時折強い突風が吹いた。レインウェアを羽織って体を冷やさないようにする。
下界に目を向けると三角形の大きな影が落ちている。影富士だ。当たり前だがこんなにくっきり三角形になるものだなあと面白い。
17時、ようやく今日の宿の御来光館にたどり着いた。吉田ルートで最も標高が高い3450mに位置する。

ここから山頂はコースタイムで1時間ほどと目と鼻の先だ。

 

遠くで育つ雄大積雲 4000mぐらいありそう
影富士


3年前に登ったときは7合目の小屋しか空いておらず、2日目の登りがかなり長くきつかった。

そのため今回は2日目の負担を軽減しようとこの小屋を選んだが、この日だけで1000m以上の標高差を稼いだことになる。初心者2人には厳しかっただろう。私もさすがに少し疲れた。

難しいことは何もないので初心者でも登れる山ではあるが、体力的にも精神的にもイメージ以上にタフな山だ。

夕飯を終えるころには雲がかかり、断続的に雨が降り始めた。時折霧が晴れると河口湖方面の夜景が美しい。

遠くの空で稲光が走っている。

夜景と稲妻の共演を撮りたかったがタイミングがうまくいかず、そのままガスに隠れてしまった。
明日はご来光を見るために3時には出発のため、天候の回復を祈りつつ早めに寝る。

 

山中湖を正面に夜景 三脚がないので小屋前のベンチに置いて撮影した

やまがある日記〜富士山(3776m) 2日目 Mr.マルーン

  • 2018.09.14 Friday
  • 20:00

2018年9月初旬 曇り時々雨

 

2時半に目覚ましをセットしていたが、2時には周りが動き始めたので目が覚めてしまった。
用を足しに出ると強い風が吹きガスで視界がほぼきかない状態だ。体感気温はさほど低くない。
もともとこの日は秋雨前線の南下で予報はあまりよくなかった。ガスはともかくこの強風ではどうしたものか、と思いつつとりあえず荷物を用意する。
大部屋ではツアーガイドがご来光登山を取りやめてしばらく様子を見るとツアー客に宣言していた。また、どうしたものかと考える。
とはいえ下からは続々登山者が登ってきて、富士山の名物ともいうべきヘッドライトの列が霧の中にぼんやり伸びている。なんだ、皆登っているのならば我々も、という気分になってくる。


迷いながらも予定通り3時に出発した。真っ暗なうえにこの霧の中でははぐれるといけないので、一番ペースの遅い友人を先頭にし、私がしんがりを歩くことにする。
ヘッドライトの明かりだけ頼りに皆が黙ってうつむいて歩いていく様は、死者の行進のようだ。神の住まう山へ登るのに、少し人は生から離れるのかもしれない。
霧と雨の中間のような天気で、あっという間に眼鏡に水滴がつき、前髪がぐっしょりと水を含んだ。時折体を持っていかれそうな突風が吹く。気温が恐れていたほど低くないのでまだましだが、どうもこれはよくないんじゃないか、と思えてくる。しかし山頂まではもうあと1時間もない。前にも後ろにも大勢の人が歩いている。あと少しなのに、ここで私たちだけ撤退する必要があるのか。せっかくお金をかけて装備をそろえ、ここまでがんばって登ってきた2人を山頂に立たせてあげるべきじゃないのか。
20分ほど歩いたところで、私はついにあきらめて2人に呼びかけた。
「いったん小屋に戻ろう」
下から登ってくる人たちのヘッドライトの明かりが拡散し、視界が効きづらい。足元だけ注意しながら慎重に下り、山小屋に戻った。
小屋の中は大勢でごった返している。休憩だと料金がいるが私たちは宿泊客なので入れてもらえた。このまま明るくなるまで様子を見ることにする。
小屋に入ってずぶぬれの髪を拭いていると、屋根に強い雨が打ち付ける音が響き始めた。

 

5時になっても天候回復の見込みは立たず、このまま下山しよう、と伝えると2人もうなずいた。
視界は霧で真っ白、雨もぱらついている中、言葉少なに下っていく。
下るにつれて少しずつ雨は弱まっていった。霧が切れて眼下には雲海が広がった。雲海は太陽に照らされて金色に波打っている。雲海の切れ目には山中湖の三日月型の湖面が覗く。思いもよらない絶景に私たちはしばし見とれた。
吉田ルートの下山道はブルドーザーで整備された広々とやわらかい砂地で歩きやすい。落石を起こさないようにだけ注意してざくざく下る。登りはあんなに大変だったのに、たった3時間でスバルライン五合目まで戻ってきた。

 

波打つ雲海
山中湖ものぞく


山頂は相変わらず雲に隠れている。
バスで河口湖駅まで戻り、駅前の店であたたかいほうとうを食べているとやっと人心地ついた。
そのころには富士山頂はすっかり雲が切れてその立派な姿をあらわにしていて何とも恨めしい。それでも流れていく雲で風が強いことが分かる。
あのまま登り続けていれば山頂には立てたはずだ。でも、撤退のタイミングはあれがぎりぎりだったし、私のできる範囲で最善の選択だった。無事に下山できてよかったと素直に思う。
とはいえ、山頂を踏まないまま撤退をしたのは私自身初めてのことで、取りに戻るのを諦めた忘れ物のことを考えているみたいでどうにも落ち着かない。


あんなしんどくて面白みのない、あれは見るほうが有意義な山だと今も思っている。
でもまたいずれ来るだろう。あの国民的な山。
次こそはプリンスルートに挑戦したい。

 

ほうとう
また来る

教育 がりは

  • 2018.08.24 Friday
  • 00:00

大学にいた頃、三回生の三月くらいからゼミに来ない学生がいて、理由を聞くと就活です、と答える。

しゃーしゃー、と音がしそうなすまし顔で。

いやいや、週一のゼミぐらい来いよ、と思うのだが。

早い人はもっと早くから就活していることを会社に入ってから俺は知ったのだが、三年の八月くらいから長いと四年の八月九月くらいまで就活している。

勉強せえ、と思うのだけどいかがでしょう。

 

高校にいた頃、高三の夏から受験勉強に勤しみ、文化祭やら化学のレポートやらという類の時間はかかるわ受験に貢献しないわというイベントを敬遠する集団がいた。

俺は高三の時が人生で一番忙しいんじゃないかと思うくらい(無論今のほうが何倍も忙しいのだが。)全力でいろいろやっていたように思う。

高三の夏は一度しかないんだぞ!と青臭いことも言った。

彼らの胸には一切響かなかった。

分かり合えねえな、高校にいる時くらい高校生しろ馬鹿と思ってたら高校卒業して、彼らの中の一人(女子)からお手紙を頂いた。

そこには

「去年がりは君に何で地理の勉強をさぼるのかを問われて、受験の科目にないからと答えたけれどそれが引っかかっており、あなたが言っていたことが正しかったと思う。気づかせてくれてグラシャス。アディオス。」

と書いてあった。

彼女はもちろん現役で大学に行き、俺は代ゼミの津田沼校で高校四年目を送っていた。

表とか裏とか慎重に点検したのだけれど、好きとか付き合ってとかは書いていなかった。

もしかしたらあぶり出しだったのかもしれない。

ブラックライトもあてなかった。

愚かだったな。

 

そんな話はどうでも良い。

大学にしても、高校にしてもその中にいる時間のうち少なくない時間を、次のステップに行くための選考やその準備に充てて、それが当たり前になっているのは大きな損失なのではないかと俺は考える。

採用活動で会う学生の中には大学三年生からインターンでタダ働きさせられ、貴重な経験をさせていただきました(させていただく、て気持ちの悪い日本語!)などと言っている。

いやいや、貴重な経験は大学でせえよ、と俺は言うのだけれど。

自分の今いる場をしっかり照らせなくて次にいけるのかね、とも思うし。

教育機関にいるうちはちゃんと勉強してほしいし、大学や高校でしかできないことを経験してほしい。

 

ということで、大学入試は高校を卒業した年の7月に行い、10月入学。

大学は9月卒業になるので、それからの半年間で就職活動とする。

それぞれ卒業要件を厳しくして、青田買いを抑制する。

入学、入社要件を緩くして、試験のコストを下げる。

というようなことをやりませんかね。

みんなもっと大学や高校で学ぶことを大切にすると思うし、大学や高校の側も自分たちが与える価値に自覚的になるのではないかと思うのです。

 

早くから働くのが好きなら高校出てすぐ働けばいいと思うのです。

バイトでの経験を就職活動で語るのなら、大学いかなくていいじゃないかと思うのです。

なので採用の面接官をするときには

「大学で学んだ概念の中で一番感銘を受けたものについて説明してくれ。」

と聞いたりしていたのだが、そういう選考が一般的にならないかなあ。

 

こどもが減っていく中で一人一人を丁寧に育てていく方向に社会はシフトしていっているのだから、教育からの出口の部分についてもその方針でお願いしたいものです。

被災からの避難はホテルでどうですか  がりは

  • 2018.07.12 Thursday
  • 00:15

数多くの地震災害、大雨による災害を経験してきて、確実に我々日本人の防災意識は高まり、少しずつ受け身が取れるようになってきた。

払っている犠牲が大きすぎるが。

そんな中でもっと何とかならんかなあと思っていることがある。

避難所の話だ。

 

今教育委員会と協力して千葉県の小中学校のICT環境の整備を進めているのだが、その中で体育館を避難所とする構想によくぶつかる。

あくまで一時避難所であるべきだと思うし、そのつもりの構想だと思うが、東日本大震災は言うに及ばずその他の大きな災害でも体育館が長期の避難所になり、その中で避難されている方の心身の健康を保つことが大変難しいことが課題となった。

そりゃそうですよね、学校の体育館て体育の勉強をしたり全校集会をしたり部活動をやるところですもの。

私がワールドカップ観戦に備えて数日フローリングで寝ただけで体がバキバキになっているくらいなので、避難生活のストレスの中で体育館で何日も過ごすのは本当に大変だと容易に想像できる。

 

移動手段もなく、取り残された場合ならそこでしのぐのはわかるのだが、もう移動手段ができてから体育館や公民館で避難生活をするのは百害あって一利なしなのではないかと思う。

金がある人は自己解決で親族なりホテルなりに行ってください、それができない人は体育館で寝てください、というのは天災を受けた人に対してあまりに冷たいと思う。

たとえば近場の都市のホテルを国が借りて復旧までそこで暮らしてもらうわけにはいかないだろうか。

避難所からバスで移動してもらって、ホテルでしばらく生活してもらう。

心身のダメージが癒えるまでそこにいてもらって、癒えたら通いで生活を復旧してもらうなり、次の生活に移行してもらうなりする。

ホテルや旅館のキャパシティの問題はあると思うけれど、トリアージしながら、また範囲を広げていきながらやれないだろうか。

生活の場所を変えるのは本当に大変だと思うのだけれど、人口が急減しそうで困っている自治体が受け入れに手を挙げてほしい。

少なくともそこの社会インフラはダメージを受けていないわけで、被災規模が大きかったところほど元気な人たちにある程度復旧を任せてやっていく方が健康的なのではと思う。

 

災害からの復旧の観点でも、生活拠点としてあまりに脆弱な避難所での生活をサポートするのは、本当に大変だと思う。

そこに物流網へのダメージがあればなおさら。

サポートしなければならない人をサポートしやすい場所に移し、復旧させなければいけない場所については作業をする人の健康に気をつけながら、息長く活動してもらえるようにする。

 

やってるよそんなのやってるよ、というもあるのだが、まだまだ足りないしこれって県や一部の協会の動きでやるべきではなく、それこそ政治の仕事だと思う。

国が買って、サービスレベルは落としても良いので清潔で文化的な生活ができる宿を日本全国から手配する。

閑古鳥が鳴いている宿も喜ぶのではないだろうか。

人が来ない小売業はまず接客スキルが伸びないので衰退する一方になってしまうものだ。

最低限の儲けを出してもらいつつ、人を癒してもらいたい。

 

今回倉敷の方が美観地区は大丈夫なので観光しに来てください、とSNSで呼び掛けておられた。

熊本地震の時、近くの温泉は無事だったがキャンセルが相次ぎ大変だったそうだ。

なかなか被災地のすぐそばで観光する気分にはならないというのはとてもよくわかる。

だからその浮いている宿泊を国が買って被災者支援をしてほしい。

体育館にクーラーを付けている場合ではない。

クーラーがついているところに移動させてあげてくださいよ。

 

近畿の大地震や30年7月豪雨で現在も心身にダメージを負っている方々、さぞかし大変かと存じます。

一日も早く平和な生活になりますようお祈りいたします。

 

頑張れ日本代表 がりは

  • 2018.06.30 Saturday
  • 13:36

サッカー日本代表のグループリーグ突破おめでとうございます。
素晴らしい戦いぶりです。
アジア予選を突破し、ワールドカップ本戦への準備を進めていたハリルホジッチ監督を大会二か月前に更迭するというおよそ文明国では信じられない愚挙に出た日本サッカー協会に派遣された日本代表ですが、そんな逆境の中見事ノルマを達成しました!
おめでとう!!

それでも、第三戦の戦い方が少し物議を醸しているようなので私の意見を書きます。

 

後半のアレについての意見はFIFAとご自身にどうぞ、と。

 

意見は端的に、とかいう人が増えてきましたがあえての長文です

大会の前にルールを確認していたのは真剣に戦っている選手と監督くらいだったのではないでしょうか。
ワールドカップの1次リーグの順位は、各チームの勝ち点、得失点差、ゴール数の順で決まり、複数のチームが並んだ場合は該当するチームどうしの対戦で比べ、それでも差がつかない場合は、今大会から選手の反則や退場など警告のポイントの差で決めることとなっていました。
このルールはFIFAが決めたものです。
文句があるならFIFAへ。
これを頭に入れていて、日本代表は取りうる選択肢の中で一番グループリーグ突破の可能性が高いものを選択したわけです。
また選択肢はあっても試合の中でピッチ上にいる全員に統一した意識を与えるのは至難の業です。
負けているシーンでの長谷部投入は強いメッセージであるとともに、ピッチにいる全員がしっかりとその選択肢を表現に落とし込んだことは称賛に値します。

 

選択肢については、今回の選択肢のほかに、一点負けている状態から追いつくために攻撃的にプレーするというものももちろんありました。
しかしこの試合に臨んだ西野監督のコンセプトからするとその選択肢はあまりイケていないと考えられます。
この試合のコンセプトは「グループリーグ突破(引き分け以上)とベスト16でコンディションが落ちてしまうこと防ぐターンオーバー」であり、先発メンバーを6名替え、リスク管理を厳密にしながらのシンプルな攻撃、フレッシュかつ前から追えるFW2名を中心とした粘り強い守備を展開しました。
将棋でもそうですが、攻める側は創意工夫が必要です。
サッカーにしてもそうで、攻撃のアイディアはそうそう用意できません。
アイディアはなくても高精度の連携があれば、という「ティキタカ」的な攻撃も個人の高いスキルと長い時間かけて醸成されるコンビネーションが必要とされます。
先発を六人入れ替えてそれが実現できるかというと難しいでしょう。
コロンビアが勝ち越したというニュースが入り、そのままであれば2着という既得権益がある状態で、リスクを負ってその既得権益を拡大する選択肢にどれほどの意味があるのかわかりません。
サッカーというのはとにかく点が入らないゲームですし。(ポーランドのレバンドフスキ―は9分で5点取ったことがありましたけどね。。。)
決定力不足が課題!とみんなみんな嘆いていたはずなのに、なぜあの試合だけ己の決定力を信じられるのか、ご自身の発言の一貫性もチェックしてほしいものだと思います。

 

さらに「日本らしいサッカー」「侍らしく」などと雰囲気だけで意味のわからない負けてもいいから勝ちに行けという論調も見られますが、世界であんなサッカーができるのは日本だけだと評されていますよね。
日本らしさ以外の何物でもないではないですか。
統一された意識のもとにミッションを遂行し、結果を出した。
日本のイメージそのものでしょう。
二戦目に往年の市立船橋ばりのオフサイドトラップを見せて話題になっていましたが、同じ特徴が違った表出をしただけです。

「あんなのは最低だ。」「つまらなかった。」
他の国の人がいうならいいんです。
うらやましいんでしょう。
またニッポンに思い入れがなくて、純粋にサッカーを楽しみたかった人ならわかるんです。
私だってボール回しが始まったらコロンビアーセネガル戦を観ました。
でも代表でやっていることはエンターテインメントの提供ではありません。
日本代表のサポーターなら言い返してやってほしいんです。
君たちはミッションを理解しているのか?
学生気分で仕事してんじゃねえと。
責任感を持って仕事をしている人の仕事の仕方にケチをつけるんじゃない。
エンターテインメントを観たいならプロレスを観なさいプロレスを。

日本代表が初めてワールドカップ出場を決めた1997年ジョホールバルでのイラン戦。
立ちはだかるアベドザディ、襲い掛かるダエイ、アジジ、マハダビキア、それを操るゲームメイカーのバゲリ。
今でも鮮明に覚えていますが、これでもかと決定機を外しまくる凡戦でした。
でも僕らは手に汗を握り、声を嗄らして応援しました。
こと代表戦に限っては内容がなんであれアツくなるんです。
この三試合は20年前のあの戦いよりもはるかに高度、はるかに豊かな試合です。
でも面白さ、アツさは変わらないと思うんですよ。
応援してればね。


フェアプレーポイントは合理的だと思います。
過去名選手が何度となくけがでピッチを去りました。
また、ジダンやベッカムは言うに及ばず感情をコントロールできない未熟な暴力行為でレッドカードをもらい試合をぶち壊しました。
そんなシーンは誰も見たくありませんよね。
実際、警告は直近のチャンピオンズリーグと比べて減っているという指摘もあり、効果が出ています。
問題はこのルールを我々観戦者が知らなかったこと、慣れていなかったことです。
なのでサッカーの本質でないことでとても大切なことを決められたような気になりますが、そんなことはありませんし、単に慣れてないので混乱しているのではないでしょうか。
良い制度なので定着してほしいです。

また、ワールドカップに関していうとクラブチームの試合とは違い、エンターテインメントは求められません。
観客動員数やらグッズの売り上げなどが監督や選手の報酬に連動するわけではないのです。
代表に召集されると一万円の日当がでます。
試合に勝利をするとワールドカップの場合一試合につき百万円の報奨金がでます。
真剣に勝つことを求められているチームなので、その観点以外の批判は当たらないです。


もうここまでくるとおわかりいただいているかと思いますが、あの試合だけ切り出してどうこう言うのは不毛で、グループリーグ三試合、いやこのワールドカップの今後の展望まで含めて戦略を観ていくと違った地平が開けます。
日本代表の中でも目標は統一されていないようですが(ケイスケ・ホンダと同じ強度で目標は優勝!と言ってませんよね。)それでも日本サッカー界初のベスト8だったり、韓国に追いつく意味でベスト4だったりするわけで、少なくともグループリーグで敗退してもいいから美しいサッカーをすることが目標であると言っている人はメンバーにはいなかったと考えています。
私は西野監督が好きですが(ガンバファンです。)、いくらなんでも今回のタイミングでチームを任されてグループリーグを突破するのは難しいだろうと思っていました。

第一戦のコロンビア戦の冒頭でハンパナイ大迫がロングボールに対して体を張り、潰れながらPKにつながるプレーをしました。
その後香川のシュートでレッドカードを稼いだ(あれはPK+イエローが標準的だと思いますが・・・)のは偶発的なプレーだったと思いますがその後も相手の焦りといら立ちを誘うプレーで二枚のイエローカードを稼ぎます。

第二戦のセネガル戦で若くて精神的に未熟そうなニヤンに密着マークをし動揺を誘った昌子は、見事彼の暴力を誘いイエローカードを引き出しました。
コロンビア戦でもセネガル戦でも乾、香川のセレッソコンビはペナルティエリア周辺で仕掛けるだけでなく、ハーフライン付近でも体を張ってキープをし、何度も潰されることでファールを誘っていました。
私はそれを不思議に思ってたのですが、その試合を優位に進める意味も大いにあったと思いますが(日本には良いキッカーがいるので)フェアプレーポイントを稼ぐ意図もそこに含まれていたのではないかと考えます。

まっとうにサッカーをして勝てないなら、様々な手段で優位性を築いていくのは勝利の鉄則です。
メンバー選考の時点で危険察知能力が高い選手、粘り強く相手に体を寄せる選手、ボールキープに長けた選手の方を、スピードがある選手や突破力のある選手よりも優先したように思えます。
もちろんそれを最優先の基準に選んだわけではないと思いますが、描いているゲームプランが何となく見えます。
戦術を浸透させるのに使える時間、彼我の実力差を考えた末に選んだゲームプランと考えられるシチュエーションを考え抜いてメンバーを選んだのでしょう。

西野監督はベスト16で勝つことを考えて三戦目はターンオーバーしているわけです。
ターンオーバーしている時点で戦術が狭まった状態でリスク管理をしたわけですし、それは前二戦で勝ち取った成果に基づいて可能になった選択肢なんですよ。

 

初戦、二戦目、三戦目で戦略が変わっているわけでもなく、どれも日本らしい良い試合だったと思います。

日本代表は三試合素晴らしい試合をして、大きな成果を出しました。
おめでとうございます!ありがとうございます!
ベルギー、僕はとっても好きなチームですが、西野監督はまだ秘策を用意していると思います。
楽しみに3日の朝3時を待ちたいと思います。

おかあさん  Mr.アールグレイ

  • 2018.05.11 Friday
  • 00:00

母の日にお墓参りするようになったのは五年前のことです。

 

母が亡くなったのは八年前ですが、三年間は情けないことにお墓に行くことを受け入れられずにいました。
今までお仕事で関わりのある方のご不幸にはいくつもあっていて(幸せにも同じくらいの数めぐりあっていますけれど。)、私はある程度慣れているつもりでいました。
母はお医者さんにかかった時にすでに余命が幾ばくも無いという状態でした。
末期の肺がんで生きているのが不思議だと言われました。
心安くなった看護師さんが「ほとんど癌が人の形をしているようなものよ。」と言ってくれました。
書いてみるときつい表現ですが、その時はなんとも頼もしく感じました。

 

母はその死の淵から半年間家族に時間をくれました。
元々年齢よりも随分若く見られることが多かった母は、病院に入ってから急激に老け込み、白髪がみるみるうちに増え、頬はこけ、しわが増えました。
だから病院に来るのは嫌だと言ったのよ、と冗談のように言うのですが、目には涙が浮かんでいました。

父は二十年前に母と別れ、新しい生活をしていました。
娘として連絡先は知っていたので連絡を取りました。
一度病室に来たようでしたが、母は何も語らずふてており、手をつけられていないチョコレートケーキが椅子の上にありました。
私が食事に制限があることを伝えなかったために、父としては母の好物を買ってきたつもりだったのだと思います。
仕事の時はあまり手抜かりがないタイプなのですが、プライベートはからきしです。
友人が来てくださったり、私が実家を離れてからの母の彼氏が来たり、小学校以来見かけなかった伯母さんや叔父さんが来たり、大学院生で研究が忙しかった弟や、私が仕事で病室に行けない間も何かとにぎやかだったようでした。
部屋に残るにぎやかさの名残を見つけるたびに、私の知らない母が開かれている気配を感じ、少しまぶしいような気持になりました。

 

あまり立ち入った話を家族ですることが長いことなかったせいで、まぶしい気持ちをまぶしいまま持て余し、母が私の見ていない時にどんな人だったのかわからないまま、本人が死んでいくことに焦りを感じ、外泊の許可を先生に頂いて、仕事を調整して母の日に合わせ、二泊三日で海を見に行くことにしました。
土曜日に出発して月曜日に帰ってくる予定でいました。
私は死に物狂いで働いている時期で、その勢いを三倍くらいにして何とか金曜日の夜半に仕事を終わらせ、服は買えばよい、車の運転は弟よ頼む、という感じで病院近くまでタクシーで向かい、空いてたホテルに潜り込みました。
気力だけで目を覚まし、全身に重りをつけられたような状態で自分で自分を引きずりながら病院に向かうと、母はこと切れていました。
夜明けに急変してそのままだったと聞きました。

 

それからのことはほとんど覚えていません。
気が付くと三か月経っていた、というのが実感です。
母を代々の墓に納骨した時に目が覚めました。
母は死んでまでお墓に入るのは嫌だなあと言っていたのではなかったか、中学生の時に母方の祖父が亡くなった時にそんな話をした記憶が蘇り、とんでもない間違いを犯しているような気になって目が覚めたのです。
弟にそれを急いで伝えたところ、彼は私が過ごしたよりもはるかに長い時間を病室で過ごしており、その中で代々の墓に入れてほしいと言われていた、と静かに教えてくれました。

それでも私は三年間、お墓に行くことができませんでした。
弟には合わせる顔もありませんでした。

 

仕事ではマネージャーになり、より忙しい生活に進んで自分の身を置きました。

丸三年が経つひと月前の三月末で仕事を辞めることにしました。
先を決めずに辞めて、昼間は部屋の中で寝ていました。
夜になると晴れていれば桜の木に登りました。
雨の日は濡れながら外を走ったり歩いたりしました。
四月の一か月間そのように過ごし、私はすっかりボロボロになってしまいました。
ものすごく母が好きだった、という生き方をしてきたわけではありません。
しかし本当は大きな存在だったという当たり前のことをボロボロになった生活と引き換えに体で理解しました。

 

五月に入りある朝、たまたま、本当にたまたま、朝目が覚めました。
前夜に降った雨が上がり、世界中がキラキラと輝いて見える、そんな朝でした。
母の日でした。
母は母の日のカーネーションを理由もなく高いと言って憎んでいましたので、お花屋さんでカーネーション以外のなるべく色々な色のお花で花束を作ってもらい、お墓参りをしました。
どのような状態であるか想定していなかったのですが、周りのお墓から浮いて見えるほど美しく保たれていました。

 

それから毎年母の日にはお墓参りをしています。

夜型人間の正体 〜HSP(繊細なタイプ)の紹介〜   Mr.イエロー

  • 2018.04.18 Wednesday
  • 00:57

もしあなたが自分のことを夜型人間だと思っていたら、HSPについて知ってもらいたいと思います。

夜型人間とは、一般的には朝はだるくモチベーションが上がらず、夕方から夜の方が頭が冴えて遅い時間まで活動するタイプのことを指します。

しかし、考えてみると夜型の生活は、自然の摂理に反しています。

人間は自然の一部と考えると、日光を浴びながら活動し、日が沈んだら頭と身体を休めるのが自然ではないでしょうか。

 

夜型人間と言っている人の多くにHSPの層がかぶっているように思えます。

HSPとは、5人に1人いると言われる、「Highly Sensitive Person: ひといちばい繊細なタイプ」のことで、アメリカの心理学者、アーロン博士が提唱した概念です。

日本ではADHD等の発達障害の考え方はだいぶ広まりましたが、まだHSPについてはやっと書籍が何冊か出たくらいでほとんど知られていません。

HSPは発達障害と同様に「少数派」なので、自分が他の人と比べて生きづらいことに悩むことが少なくありません。

HSPという概念を知っていると、自分への対処、他人への説明、また家族や同僚にHSPがいる場合の対応方法という点で役に立つので、ぜひこの機会に知ってください。

 

HSPは「ひといちばい繊細タイプ」と定義づけられますが、何に対して繊細さを発揮するかは人それぞれです。

音に敏感で、小さな音にもびっくりしてしまう。

環境の変化に敏感で、家の中の何かの場所が変わったらすぐに気づく。初めての場所に行くと落ち着かない。

機嫌の悪い人が近くにいると、その人のイライラをまともにくらってしまい落ち着かない。

また、匂いに敏感、肌触りに敏感なタイプもいます。

 

HSP共通に言えるのが、自分と周囲の「膜」が薄く、刺激を受けすぎて、疲れやすいことが挙げられます(睡眠8時間以上+お昼寝必須!)。

学校の教室、大勢の飲み会など、不特定多数が騒いでいるような環境は、HSPには過酷です。

 

そして・・・場面の転換が苦手。

子どもだと顕著に現れます。たとえば、公園で遊んでいて、じゃ、帰るよ。と言った時に気持ちを切り替えるのが苦手なので、なかなか帰れない。(子どもの中でも、これが得意な子と苦手な子ははっきり分かれます)

大人では、ゲームやネットの使用を始めると、だらだら続けてしまいやめられない。

土日休んで、月曜日仕事や学校に行くのにものっすごいエネルギーが要る。(みんなそうかもしれませんが、HSPの場合は特に負担がかかります)

動物で例えると、HSPはネコです。気分屋なのです。

 

初めの夜型人間の話に戻りますが、睡眠が長めに必要なのに、つい「寝る」という変化がおっくうで、遅くまで起きてしまう。その結果、朝だるい。

これが夜型人間の正体かなと思います。すべてをHSPで説明できるとは思いませんが、経験上かなりあてはまる気がします。

 

何かと生きにくい感じのするHSPですが、繊細さを発揮して、芸術方面、学者、または集団のリーダーとしても活躍する人もたくさんいます。(活動的なエンジンを持ち合わせているHSPも存在します)

負の感情も深く感じる反面、喜びや感動も深いのがHSPです。

濃い人生を歩み、世の中を彩り豊かにする存在と言えます。

自分がHSPにあてはまるかも、と思ったら、疲れやすいことを忘れず、自分が居心地の良い環境に身を置くことに尽力してください。

 

参考文献

『ひといちばい敏感な子』エイレン・N・アーロン著 明橋大二訳

『敏感すぎる自分を好きになれる本』長沼睦雄著

【テーマ】1997年のピンボール  Mr.アールグレイ

  • 2018.03.09 Friday
  • 21:08
放課後街ふらつき俺たちは風の中
孤独瞳に浮かべ寂しく歩いた
笑い声とため息が飽和した店で
ピンボールのハイスコア競い合った
(尾崎豊 卒業)

卒業、というと私にとってすぐに思い浮かぶのは尾崎豊の「卒業」です。
私が高校生の頃にはもう尾崎豊は亡くなっていて(すごくセンセーショナルな亡くなり方でした。)、コンテンツとして消費し尽されて、カラオケで男子が尾崎を入れれば「ああ尾崎の物まねをするんだな」と思いそれにおなかを抱えて笑っていましたし、高校の文化祭のコントの大会で彼の歌の歌詞を下敷きにした万引き犯のコント「尾崎部」があったくらい、正面から取り上げられなくなっていました。
それが成立するくらい彼の代表的な曲の歌詞は頭に入っていましたし、どんな歌い方をするのか、少し油断したら尾崎で感動してしまう、というくらいの魔力まで知っていました。
高校生の時に仲が良かったのは男子ばかりで、放課後街ふらつきピンボールのハイスコアを競い合った時期があります。
高校三年の夏でした。
ゲームセンターはビデオゲーム全盛でしたし、対戦型格闘ゲーム(鉄拳やスト供砲筌轡紂璽謄ングゲーム(怒首領蜂)に行列ができていました。
でも私たちはピンボールだったのです。
一棟全部がゲームセンターの三階のトイレの前にあったそのピンボールマシンはAero Smithのマシンでした。
メンバーを一人一人仲間にしていくゲーム、初めに役を作ると「Welcome to the Jungle」が流れてきます。
皆ボールをトラップしてホールドし、狙いを持って打つのでなかなかゲームオーバーになりません。
私を含めて七人いたので、皆が一回ずつプレーすると三時間は軽く潰れました。
ハイスコアの五人は当然私たちでした。
文化祭が終わって夏が終わり(夏を9月の末にある文化祭終了までと定義していました。)、私は受験モードに入ることにし、髪を切り(肩甲骨まであった髪をボブにしました。)、彼と別れ(なんだかうまく両立できなかったので。)、勉強しました。
彼らとももちろん一緒に遊ばなくなったのですが、ピンボールだけは週に一回続けていました。
私の数少ない息抜きです。
息抜きというと勉強が苦しいみたいですね。
私は勉強が好きで、特にベンゼン環が大好きだったので、特に息抜きを求めていたわけではないのですが、ピンボールは不思議とやりたかったのです。
その週に一回でハイスコアに名前を残すこと。
一週間後、私の名前が残っていないハイスコア欄を確認すること。
高校三年生後期の私の青春です。
彼らは全員浪人し(今は浪人する人は珍しくなってきたそうですが、当時は多かったです。私の高校は四年制と言われてたくらいでした。)、私は大学に入り都内で一人暮らしを始めました。
ピンボールはふっつりとやめました。
お盆に帰省する途中で、ふと思い立ちゲームセンターに寄りました。
ハイスコアに私の名前が五つ残っていました。
尾崎の暑苦しい歌詞にはほとんど共感できない私ですが、彼のおかげで卒業シーズンには5つの私の名前が並んだピンボール台を思い浮かべることができます。
この前のお正月にゲームセンターに行ってみたのですが、そこは100円ショップになっていました。
三階のトイレ前は文具コーナーでした。

2016年12月を丁寧に過ごす(完) Mr.アールグレイ

  • 2017.09.22 Friday
  • 00:00

半年くらい前、プロレスを観るためにテレビを久しぶりに買いました。

さすがにプロレスだけ観るのではもったいないので、ニュースと岩合さんの猫の番組だけ観るようになりました。

スポーツにも政治家にも興味はないのに(政治には興味があります。)、ニュースにはそれらばかり出てきます。

違うと思ったら事件の報道で被害者だけが実名で報じられているのを見て面食らったりします。

もっと必要なことをショッキングな形でなく編集して伝えてほしいものです。

雑兵日記PREMIERはほとんど役に立たないですが、役に立つ振りをしない分だけテレビニュースより随分良きものだと思います。

 

2016年11月の振り返りを丁寧に(2) Mr.アールグレイ

 

自作なので紹介だけ。

改めて、この時は前の月の振り返りをしていたのだなあ、としみじみ思います。

 

【テーマ】若返りの魔法  Mr.ターコイズブルー

 

いよいよ、2016年最後の作品です。

と盛り上がっているのは私だけだと思いますが。

随分お待たせして申し訳ありませんでした、とターコイさんにお詫びしながら丁寧に読んでいきたいと思います。

 

白雪姫とシンデレラをデフォルメしたようなストーリーで、色々な物語が読める雑兵日記PREMIERの中で異彩を放っています。

若さに嫉妬するのではなく、しなやかな所作、思慮深さ、知性と年相応に積み重ねられた美しさに嫉妬した魔女が、老婆を若返らせるという筋はどうやったら思いつくのでしょうか。

すごい作品だと思います。

 

よくよく読んでみて考えたのですが。。。

若さを与えると言われて、老婆はそれを受諾するのですが、この受諾自体は本人の意思において行われなければ、魔女の意地悪は起動しないと考えられます。

魔女の力をもってすればもっと頭の悪いことや恥ずべきことを老婆にさせることもできるでしょうが、嫉妬に燃えてもそれをやらないのはそれでは魔女にとって意味がないからなのだと思います。

しかし本当に思慮深く聡明な老婆が若さを手に入れたいと思うでしょうか。

しかも見ず知らずのおばさんにそそのかされて。

もう少し手間をかけてうまく引っ掛けないと聡明な人を転ばせることができないのではないでしょうか。

アンチエイジングに努めている人なら転びそうですが、そういう人は魔女から見て魅力的ではないのでしょう。

若さを希求する老婆を転ばす、というプロットは時々みるのですが、本作はそこではなく、恐らく善く生きておられる老婆を転ばすというかなりの意地悪なのですよね。

それだけに恐ろしいし、それだけに転ばすまでをもう少し書いてほしい気もしました。

女性の「若くありたい」という気持ちが強い、という人間観なのかもしれませんが私はそこと老婆の聡明さ、自分の年齢と上手く付き合っている感がマッチしていないように思いました。

千字でこんなに色々考えさせてくれるなんて、素敵な作品をありがとうございました。

ターコイさん、また作品が読みたいです。

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