やまがある日記〜富士山(3776m) 1日目 Mr.マルーン

  • 2018.09.14 Friday
  • 20:01

2018年8月下旬 晴

 

富士山は国民的な山である、と深田久弥は言った。
どんなに山に関心がなくても日本人であればあの偉大な山の名前を知らない人はいまい。日本を象徴する山である。
登山が趣味でない人にも、富士山には登ってみてもいいとよく言われる。
個人的にはこの山は登るより見るほうが有意義な山だと思っているのだが、友人2人が登ってみたいというのでしかたない、私自身は人生3度目の富士登山へ臨むこととなった。
2人は登山初心者であるため、一応私がパーティのリーダーということになる。必要な装備が書かれたWebサイトを紹介し、スプレッドシートで全体の行程表を作成し、短期の山岳保険にも加入してもらった。

 

河口湖駅からバスで走ること50分。富士登山のベースであるスバルライン五合目に着く。ここまでは観光地だ。既に標高は2300mを越え、西日本のどの山よりも高い。
見上げると青空に富士山の端正な円錐形の姿が映えている。外国人のツアー客が大勢、歓声をあげながら写真を撮っている。いい天気でよかった。
高地順応のため1時間ほど休憩する。レストランで早めの昼食を摂り、小御嶽神社で登山の無事を祈る。
うっかりいつもの帽子を忘れたので土産物屋で富士山キャップを購入した。浮かれた観光客みたいだがやむを得ない。

しかも顎紐がないためこの後の強風で飛ばされそうになり、キャップの上から手ぬぐいをほっかむりすることになる。大分ダサい。

 

富士山だ

 

五合目の吉田口を11時ごろ出発し、1時間ほどは河口湖や山中湖を見下ろしながらほぼ高度を稼がず歩いていく。
赤茶けた荒涼とした大地が広がる。見上げると美しい彩雲が浮かんでおり、なんとなく幸先がいい。
本格的な登りに入る。見上げるとつづら折りの長い長い登山道のわきに何軒もの山小屋が立ち並んでいる。まるで街道沿いの宿場町のようで、吉田ルートからの富士登山が初心者向けと言われるゆえんだ。
火山性の礫が転がるゆるい斜面を登っていくうちはほぼコースタイム通りだったが、岩場になってから友人の一人が遅れ始めた。ふらふらと足元がおぼつかない。高山病ではないが、単純に体力的にきついようだ。
10分20分ごとにある山小屋の前で毎回小休憩を挟みながら進む。

いつもならもっと一気に登ってしまうところだが、スケジュールに余裕を持たせておいてよかった。

 

登山道わきに山小屋が並ぶ
見下ろす

 

今日泊まる山小屋は本八合目よりも上で、まだまだ遠い。疲れ切った様子の友人を励ましながら歩く。

九十九折を延々繰り返すだけなので絶景と言ったって景色は代り映えしないし、人が多すぎて思ったペースで歩けない。

以前も登っているのでわかってはいたものの私自身うんざりした気分だ。こんな山に3回も登っているのは誰だ。私か。
この日は雲が面白く、遠くでむくむく育っていく雄大積雲を観察しながら登った。
日が傾き始めると急に気温が下がってくる。風が強く、時折強い突風が吹いた。レインウェアを羽織って体を冷やさないようにする。
下界に目を向けると三角形の大きな影が落ちている。影富士だ。当たり前だがこんなにくっきり三角形になるものだなあと面白い。
17時、ようやく今日の宿の御来光館にたどり着いた。吉田ルートで最も標高が高い3450mに位置する。

ここから山頂はコースタイムで1時間ほどと目と鼻の先だ。

 

遠くで育つ雄大積雲 4000mぐらいありそう
影富士


3年前に登ったときは7合目の小屋しか空いておらず、2日目の登りがかなり長くきつかった。

そのため今回は2日目の負担を軽減しようとこの小屋を選んだが、この日だけで1000m以上の標高差を稼いだことになる。初心者2人には厳しかっただろう。私もさすがに少し疲れた。

難しいことは何もないので初心者でも登れる山ではあるが、体力的にも精神的にもイメージ以上にタフな山だ。

夕飯を終えるころには雲がかかり、断続的に雨が降り始めた。時折霧が晴れると河口湖方面の夜景が美しい。

遠くの空で稲光が走っている。

夜景と稲妻の共演を撮りたかったがタイミングがうまくいかず、そのままガスに隠れてしまった。
明日はご来光を見るために3時には出発のため、天候の回復を祈りつつ早めに寝る。

 

山中湖を正面に夜景 三脚がないので小屋前のベンチに置いて撮影した

やまがある日記〜富士山(3776m) 2日目 Mr.マルーン

  • 2018.09.14 Friday
  • 20:00

2018年9月初旬 曇り時々雨

 

2時半に目覚ましをセットしていたが、2時には周りが動き始めたので目が覚めてしまった。
用を足しに出ると強い風が吹きガスで視界がほぼきかない状態だ。体感気温はさほど低くない。
もともとこの日は秋雨前線の南下で予報はあまりよくなかった。ガスはともかくこの強風ではどうしたものか、と思いつつとりあえず荷物を用意する。
大部屋ではツアーガイドがご来光登山を取りやめてしばらく様子を見るとツアー客に宣言していた。また、どうしたものかと考える。
とはいえ下からは続々登山者が登ってきて、富士山の名物ともいうべきヘッドライトの列が霧の中にぼんやり伸びている。なんだ、皆登っているのならば我々も、という気分になってくる。


迷いながらも予定通り3時に出発した。真っ暗なうえにこの霧の中でははぐれるといけないので、一番ペースの遅い友人を先頭にし、私がしんがりを歩くことにする。
ヘッドライトの明かりだけ頼りに皆が黙ってうつむいて歩いていく様は、死者の行進のようだ。神の住まう山へ登るのに、少し人は生から離れるのかもしれない。
霧と雨の中間のような天気で、あっという間に眼鏡に水滴がつき、前髪がぐっしょりと水を含んだ。時折体を持っていかれそうな突風が吹く。気温が恐れていたほど低くないのでまだましだが、どうもこれはよくないんじゃないか、と思えてくる。しかし山頂まではもうあと1時間もない。前にも後ろにも大勢の人が歩いている。あと少しなのに、ここで私たちだけ撤退する必要があるのか。せっかくお金をかけて装備をそろえ、ここまでがんばって登ってきた2人を山頂に立たせてあげるべきじゃないのか。
20分ほど歩いたところで、私はついにあきらめて2人に呼びかけた。
「いったん小屋に戻ろう」
下から登ってくる人たちのヘッドライトの明かりが拡散し、視界が効きづらい。足元だけ注意しながら慎重に下り、山小屋に戻った。
小屋の中は大勢でごった返している。休憩だと料金がいるが私たちは宿泊客なので入れてもらえた。このまま明るくなるまで様子を見ることにする。
小屋に入ってずぶぬれの髪を拭いていると、屋根に強い雨が打ち付ける音が響き始めた。

 

5時になっても天候回復の見込みは立たず、このまま下山しよう、と伝えると2人もうなずいた。
視界は霧で真っ白、雨もぱらついている中、言葉少なに下っていく。
下るにつれて少しずつ雨は弱まっていった。霧が切れて眼下には雲海が広がった。雲海は太陽に照らされて金色に波打っている。雲海の切れ目には山中湖の三日月型の湖面が覗く。思いもよらない絶景に私たちはしばし見とれた。
吉田ルートの下山道はブルドーザーで整備された広々とやわらかい砂地で歩きやすい。落石を起こさないようにだけ注意してざくざく下る。登りはあんなに大変だったのに、たった3時間でスバルライン五合目まで戻ってきた。

 

波打つ雲海
山中湖ものぞく


山頂は相変わらず雲に隠れている。
バスで河口湖駅まで戻り、駅前の店であたたかいほうとうを食べているとやっと人心地ついた。
そのころには富士山頂はすっかり雲が切れてその立派な姿をあらわにしていて何とも恨めしい。それでも流れていく雲で風が強いことが分かる。
あのまま登り続けていれば山頂には立てたはずだ。でも、撤退のタイミングはあれがぎりぎりだったし、私のできる範囲で最善の選択だった。無事に下山できてよかったと素直に思う。
とはいえ、山頂を踏まないまま撤退をしたのは私自身初めてのことで、取りに戻るのを諦めた忘れ物のことを考えているみたいでどうにも落ち着かない。


あんなしんどくて面白みのない、あれは見るほうが有意義な山だと今も思っている。
でもまたいずれ来るだろう。あの国民的な山。
次こそはプリンスルートに挑戦したい。

 

ほうとう
また来る

やまがある日記〜立山(3015m) 2日目

  • 2018.07.21 Saturday
  • 21:30

2018年7月中旬 晴

 

2日目の朝も晴天だった。テントから這い出ると日の出前で空気はひんやりしている。ぐっと伸びをして深呼吸する。意外と良く寝た。
別山の肩あたりから現れる太陽を見たい気もしたが、待っていると遅くなるので菓子パンとコーヒーで簡単な朝食を済ませ出発した。昨日と同じく不要なものはテントにデポする。
最初の一ノ越までの1時間半は、立山の箱庭の真ん中を突っ切るゆるやかな登りだ。整備された良い道で景色もいいのに、道迷い注意が効いているのか登山者もほとんどおらず静かだった。
振り返ると奥大日岳から順番に光が差し込んでいく。とても爽快だ。
途中何度か雪渓を渡りながら高度を上げていくと、一ノ越山荘についた。強い風が吹いていきなり視界が開け、北アルプスの展望が広がる。

朝日に照らされる奥大日岳(奥の高い山)


一ノ越から雄山までは足場の悪い急登で標高差300mを一気に上がる。崩れやすい岩と砂の道を登っていく。登山者の多い山の割にルートがわかりづらいが、とりあえず上を目指す。
落石に注意しつつ1時間ほど登ると、1つ目のピーク雄山(3005m)に着いた。立山という山は存在せず、雄山・大汝峰・富士の折立の3つのピークと室堂を含む広いエリア全体を総称して立山と呼ぶ。地図では便宜上雄山山頂が立山となっている。北アルプスの大展望とともに奥には富士山も顔を出す。
富山側は雲海に包まれ、遠くには雲海に浮かぶ白山の頂も見えた。
南側には薬師岳から鷲羽岳、三俣蓮華岳、双六岳などを経て槍ヶ岳へ至る長大な縦走路が見渡せる。折立を出て雲ノ平を通り上高地まで、私の足では5日かかるだろうか。黒部の山賊を読んでからあの縦走路に憧れてやまない。いつかテントを背負って歩いてみたいものだ。

 

薬師岳、笠ヶ岳、槍ヶ岳など
真ん中あたりに富士山

雄山山頂には雄山神社がある。御朱印を頂いて、山頂の社へ参拝した。500円を払って入れてもらうと、宮司がお祓いをしてくださる。黒部の山々に太鼓の音が響くと何とも言えず荘厳だ。社の下には丸い石がたくさん転がっている。これらは元々ここにあった石ではなく、麓の河原で石を拾ってここに納めるという信仰があり参拝者が持ち込むのだそうだ。
雄山を出て高度感のある荒々しい岩場の尾根を20分ほど歩くと富山県最高峰、大汝峰(3015m)だ。ストックを登山道のわきに置いてよじ登ると真下に黒部第4ダムと黒部湖を見下ろせる。以前観光で訪れた際も感じたがよくもまあこんなところにあんな巨大なものを作ったものだ。
東側には鹿島槍ヶ岳や白馬岳といった後立山連峰の山々が迫る。そしてなんといっても北側正面に堂々そびえる剱岳である。荒々しい岩稜は見る者を圧倒する迫力がある。いつか登ろうと思うが、まだその時ではない。来年とか。

 

剱岳を望む

大汝峰を抜け冨士の折立のピークを過ぎると後は下るだけだ。急な岩場の下りを終えると登山道の風景はがらりと変わり、真砂岳へ向かう穏やかな印象の尾根になる。東側の巨大な雪渓に雲が影を落とし通り過ぎていく。旅も終わりが近づき、名残惜しい気分だ。
真砂岳から大走りを一気に下り雷鳥沢へ戻る。ほとんど夏道が出ていたので私たちはそっちを通っていたが、スキーを背負った人が単独で雪渓を登ってきた。クラックをかわし、ピッケルで足場を確かめながらアイゼンでどんどん登っていく。かっこいいなあとしばし見送った。

 

室堂を見下ろす
真砂岳への稜線
雪渓を登る人


雷鳥沢にたどり着いたのはちょうど12時だった。カップ麺で簡単な昼食を済ませ、テントを撤収する。解体するのはいいのだがフライシートはすべすべした素材でうまくたためないし付属の袋は小さくてどうやって入っていたんだか見当もつかない。仕方なく無理やり詰め込んだ。私は何かをたたむという作業がとにかく苦手なんである。
何とかパッキングを終え、さてここから室堂に戻るには重いリュックを背負って長い階段を登り返さねばならない。一歩ずつが重く、照り付ける太陽が容赦なく体力を奪ってくる。周りのテント客も死にそうな顔をして歩いている。
ようやく室堂について、立山玉殿の冷たい水を飲んだ時は生き返った心地だった。
見上げる立山は相変わらず雄大で、見飽きることがない。大阪はさぞかし暑いのだろうなあと想像するとうんざりする。あと3日位山にいたい気分だったが、仕方がない。またいずれ必ず来よう。

富山駅で白エビ天丼を買ってサンダーバードでビールを飲むのだ。

 

みくりが池に映る立山


 

やまがある日記〜立山(3015m) 1日目

  • 2018.07.20 Friday
  • 23:00

2018年7月中旬 晴

 

バスを降りて室堂ターミナルから出ると素晴らしい天気だった。
青空の中、目の前に雄大な立山の姿が迫っている。ハイマツの緑の間にまだたっぷりと雪渓が残っている。まぶしいほどのコントラストで、長い移動での疲れが吹き飛ぶようだ。
立山の碑の前で記念撮影をしてから出発する。
たくさんの観光客の間を抜けながら遊歩道を歩いていく。みくりが池は、深い碧色の水面に立山の姿を映している。ポスターでよくみるやつだ、と陳腐な感想を持つが確かに美しかった。

 

快晴


風に乗って硫黄の香りが漂ってくる。地獄谷から流れてくる火山ガスだ。以前は遊歩道を通れていたがガスの濃度が高いため現在は通行止めになっている。みくりが池温泉から見下ろすと、緑豊かな周囲の風景と違って荒涼とした大地に水蒸気が勢いよく吹き出している。ハイマツも火山ガスにやられて立ち枯れてしまっていた。

 

地獄谷で噴き出す水蒸気


ちまちまと1年半ほど500円貯金をしてようやく買ったばかりのテント装備を詰め込んだリュックはいつもよりかなり重い。バランスを崩さないようにゆっくり歩く。血の池や火山ガスで黄色く染まった雪渓を横目に、雷鳥荘の横の階段を下りると、雷鳥沢キャンプ場に着く。所狭しと並んだカラフルなテントが鮮やかだ。見上げると奥大日岳から雄山までの稜線が一望できる。
初めてのテント泊ということで、登山口から近く、温泉があり、ベースキャンプ型の登山が可能、平らな砂地で設営しやすく景色も最高、という三拍子も四拍子も揃ったこのキャンプ場を選んだ。立山も以前観光で訪れてからずっと登ってみたいと思っていた。しかも最高の天気だ。心が浮き立つ。
受付を済ませて、家で何度も動画で確認したようにテントを設営した。初めてにしては首尾よく設営できたように思う。2人分のマットを敷くとかなり狭いが、夜行バスの車内よりは寝られそうな感じだ。

まだ正午前、おにぎりをかじりながら明日の縦走ルートを地図と実際の景色で確認していく。あまりに山が近くて距離感がつかみづらい。
この日はもうここからフリータイムだがテント場にいても暑いばかりなので、雪渓の下見がてら少し山を歩くことにした。
サブザックに水と行動食を詰めて後はテントに置いていく。雷鳥沢を渡り、奥大日岳方面に足を進める。
雪解け水があちこちで小さな沢を作っている。雪が消えたところから高山植物は我先に花を咲かせる。チングルマにコバイケイソウ、ハクサンイチゲ、イワカガミ等が競うように咲き、蜂たちは忙しく飛び回っている。

 

チングルマとイワカガミ
コバイケイソウ


それにしても暑い。太平洋高気圧が張り出し日本全国で記録的猛暑、山の上ならそれなりに涼しいんじゃないかと期待していたが甘かった。もちろん下界ほど気温は高くないがその代わり強烈な日差しに直接焼かれている感じだ。
尾根に出るための登りは一部雪渓を歩く必要があった。雪はこの暑さでザラメ状に緩んでいる。先行者のトレースを辿り、キックステップで登っていく。20分程度だが直登で息が上がった。
尾根に出るとやっと風が吹いて少し涼しい。別山を背に歩いていく。
室堂乗越という鞍部に着くと視界が開け、今まで別山に隠れていた剱岳が姿を見せてくれた。
少し休憩する間に富山側からの上昇気流で雲がわきあがり、剱岳もあっという間にガスに覆われてしまった。奥大日岳まで登ってもよかったが、長旅で疲れているのもあり、今日はここまででキャンプ場に戻ることにする。

 

 

室堂乗越への途中
雷鳥沢の雪渓とわきあがる雲


キャンプ場についてからはヒュッテでアイスを食べたりコーヒーを入れたり温泉に入ったりとのんびり過ごした。雪渓で冷やしていたビールは素晴らしくよく冷えて美味かった。夕方には立山がアーベントロートに赤く染まり美しかった。
夜は冷えるがシュラフに潜り込んでテントの小窓から満天の夜空を見上げるとこれ以上の贅沢があるだろうかと思う。
去年の常念小屋などよりよほどゆっくりと眠ることができた。

 

アーベントロートとキャンプ場

やまがある日記〜道迷いについて 五頭連峰親子遭難を受けて Mr.マルーン

  • 2018.06.02 Saturday
  • 00:02

五頭連峰で行方不明になっていた親子の遺体が、3週間たってようやく発見されました。死因は低体温症とのこと、薄々わかっていたことではありますがとても残念です。捜索隊の方々の尽力に敬意を表します。

2人は寄り添うように亡くなっていたそうで、いつまで生きていたのか、どっちが先に亡くなったのか、残された側はどんな気持ちで動かなくなった家族のそばで自らの死を待っていたのか、考えると胸が締め付けられます。
親子は道に迷ったからビバークすると家族に連絡、翌朝下山すると再び連絡があった後行方がわからなくなったそうです。家族が交番に届けた際、そこの駐在員が情報を留めおいたため捜索の初動が遅れてしまったということも話題になりました。
ビバークを決めた時点ですぐに救助要請をしていれば。初動が遅れていなければ。もちろんそれで命が助かったかどうかはわかりませんが、少なくとも携帯電話が通じている時間があった以上、ひょっとしたらと思わずにはいられません。


現場はまだ雪が残る山中で、松平山山頂から1.7kmほど離れたコクラ沢という場所だそうです。ニュースを見て、ああ、やはり沢か、と思いました。
道迷い遭難には一つのパターンがあります。道を見失ってさまよった挙句、沢に降りていく。そして滝や砂防ダム、堰堤にぶつかってそれ以上進むことも登り返すこともできず、身動きが取れなくなる。結果として滑落や低体温症による死を招きます。谷間に入り込むとヘリコプターからの発見も難しくなります。
羽根田治氏のドキュメント遭難シリーズ、道迷い遭難は遭難者たちがどういうプロセスで沢に迷い込んでいくのかがリアルに追体験できます。「迷ったら戻れ」「迷ったら登れ」は登山の鉄則としてわかっているはずなのに、皆総じて吸い込まれるように沢に降りて行ってしまうのです。
羽根田氏は山岳遭難の統計上最終的に滑落死であれば滑落遭難とされるが、そのうちのかなりの割合が道迷いに端を発しているのではと言っています。
かなり怖い本ですがとても面白いのでおすすめです。

 

ドキュメント 道迷い遭難

 


こちらのブログ記事では鈴鹿の御池岳で遭難し6日間さまよった本人がその壮絶な体験について書いています。このブログ作者はその1年後同じく鈴鹿の御在所岳で遭難し亡くなっています。読む限り若干問題のある登山スタイルなのは間違いなく、反省がなかったのか、せっかく生還したのに残念です。

 

山岳遭難記録 〜鈴鹿 御池岳ゴロ谷での6日間〜

 


私は山に入る際は電波が通じなくても使える登山用GPSアプリを入れ(ヤマレコ・YAMAP等)、電池切れが怖いので予備のモバイルバッテリーを持ち、紙の地図とコンパスも持っていくようにしています。紙の地図はバックアップの意味もありますが広域のルートを確認するには小さなスマホ画面よりも便利です。
万が一夜になってしまう可能性を考慮してヘッドライトとエマージェンシーシートは必須です。また、登山届の提出はもちろん、近しい友人には行先と予定コースを告げ、下山報告までするようにしています。
これらは登山スキルが高いか低いかは関係なく、山に入る以上当然のリスクマネジメントだと思っていますが、残念ながらここまでする人はそれほど多くないというのが現状のようです。
私自身、道を見失っておや?と思うことはよくあります。その時にすぐにGPSで確認できれば、深みにはまる前にリカバーできます。地図読みには高度なスキルが要求されますが、GPSで一目瞭然に現在地が分かれば道迷いをする人もきっと減るでしょう。
道迷いに高山低山は関係ありません。高尾山や京都の大文字山ですら年間何件も遭難事例があります。むしろ、里山の方が作業者用の踏み跡が縦横にあって迷い込みやすいという場合もあります。


今回の親子がどの程度の準備をして山に入っていたのかは今後検証されていくでしょうが、6歳の子供が雪の残る山中に置かれてはあっという間に行動不能になってしまうことが想像できます。あるいは、父親1人であれば生き残る道があったかもしれませんが、子ども一人をかついで登り返せるような状態ではきっとなかったでしょう。詳細は今となってはわかりません。


私は登山者としてはようやく中級者に片足突っ込んだ程度であまり偉そうなことをいう身でもないですが、少しでもこういった遭難事故が減ればと思い書かせて頂きました。
長くなりましたが、今回発見された2名のご冥福をお祈りいたします。

やまがある日記〜大台ケ原山(1695m)

  • 2018.06.01 Friday
  • 18:03

2018年 5月初旬 晴

 

GW後半、私は一人三重県南部にいた。大阪から近鉄とJRを乗り継いで3時間半。さらに満員の登山バスに揺られること1時間半、ようやく登山口にたどり着く。
既にスマートフォンが圏外になっていることに気付き、GPSだけつけて機内モードにした。ここから先、明日着く大台ヶ原山頂の日出ヶ岳まで知り合いとは誰とも連絡を取れない。
宿泊を伴う山行での単独行は初めての経験だ。気を引き締めて臨まなければ。
しっかりと靴ひもを結んで歩き始める。
予報では天気の急変に気を付けるようにとのことだったが、今のところは晴れていた。
歩き始めるとすぐに、岩盤をダイナマイトでくりぬいて作られた水平歩道が現れる。似たような登山道だと黒部の下の廊下が有名だ。
登山道は峡谷に沿って斜面をトラバースしている。こういう場所では急激な沢の増水が恐ろしいため、水面から高い位置に道が作られる。
数々の名瀑を擁する美しい谷だが、ひとたび谷間に滑落すれば大怪我では済まない。過去にも何件か死亡事故が起こっている。
私が山に入る前日にも滑落があったそうだ。幸い、命は助かったらしい。
とはいえ以前から歩いてみたいと思っていた大杉谷に来られて私の心は浮足立っていた。新緑はつやつやとみずみずしく、風が心地よい。

狭い水平歩道を歩いていく


時折河原へ下りたりいくつも吊り橋を渡ったりしながら進んでいく。
気持ちよく歩いていくと対岸に大きな滝が現れた。千尋(センピロ)の滝だ。落差は200mほどあるだろうか。稜線上から筋状に滝が流れ落ちている。あんなところからたくさんの水が流れているなんて不思議だ。滝を眺められる位置に小さな休憩所が設けられていたので、座って少し休憩し、先に進む。
細かいアップダウンを繰り返しながら谷を遡上していくと、谷がぐっと狭まった場所に出る。シシ淵と呼ばれる、この日のハイライトとして楽しみにしていたポイントだ。
誘われるように河原の大きな石を越えていくと、なんとも美しい光景に目を奪われた。
ゴルジュの向こう側から差し込む光で水面がエメラルドグリーンに輝いていて、奥には滝が見える。水の音がする以外は不思議に静かだ。旧い教会にも似た神秘的な雰囲気で、今にも光の筋の向こうに、天女だか山の神だかの姿を見つけてしまいそうだった。
大杉谷周辺の地形は太平洋プレートによって押し上げられた砂岩とチャートの硬い岩盤でできており、日本有数の降水量がもたらす豊富な水によって浸食された深いV字谷が形成されている。頭では理解しているが、これが自然の造形であるとはにわかには信じがたい。

シシ淵
水面


シシ淵をじっくり堪能したら、また谷を巻いて登山道を進む。
大きな吊り橋の向こうに巨大な岩壁が迫っている。平等瑤澄9發300mの一枚岩である。巨大すぎてカメラの画角に入りきらない。
シシ淵は繊細で神秘的な印象だったが、こちらは何ともダイナミックな造形で圧倒される。吊り橋を渡る登山者と比べればその巨大さがわかるだろう。

平等


平等瑤鯣瓦韻襪箸發山小屋はすぐそこだ。30分ほど歩くと、吊り橋の向こうに谷間にへばりつくようにして赤い屋根の小屋が建っている。桃の木小屋だ。今日はここで宿泊する。

思ったより早く着いたので、談話室でビールを飲んだり本を読んだりほかの登山者と話したりしてのんびり過ごした。

夜も一人一枚清潔な布団があてがわれぐっすり眠った。

やまがある日記〜大台ケ原山(1695m)

  • 2018.06.01 Friday
  • 18:02

2日目 晴

 

どうせ皆朝食に合わせて同じ時間に起きるだろうと目覚ましもかけずに寝ていた。4時45分に周りの宿泊客が一斉に動き出したので私も目を覚ました。
朝食を食べ終えて弁当を受け取り、荷物をまとめて外に出た。準備運動をして6時過ぎ、出発する。
2日目の行程はしばらくは1日目と同じように大杉谷峡谷に沿って進み、途中から尾根への急登が始まる。標高差は1400mほど、最高峰の日出ヶ岳までコースタイムは6時間程度だ。時間にはかなり余裕があるが、ビジターセンター発のバスに乗り遅れると帰れないので、絶対にそれまでにはたどり着かなければならない。
早朝の谷の空気はひんやりと清々しい。湧き水で岩が湿っている場所は滑りやすいので気をつけなければならないが、コケが雫で濡れてきれいだ。
小屋から歩いて30分ほど、いくつもの滝壺が連なる滝が現れる。日本の滝百選にも選ばれる名瀑、七釜の滝だ。水がどうどうと流れ落ちている。今まで見てきた滝も素晴らしかったが、確かに個性のある美しい造形と迫力であった。

七釜の滝


七釜の滝を過ぎさらにしばらく歩くと、大崩落地にさしかかる。2004年に崩れたこの場所が通れるようになったのはそれから10年もたってのことだという。かなりの規模で岩盤が崩れている。3m以上はある巨岩の隙間を縫うように越えていく。岩に描かれた道しるべをきちんとたどれば岩場としての難易度はさほど高くないが、もしもさらに崩れてきでもしたら私など一瞬でぺちゃんこになってしまうだろう。場合によっては遺体も上げられないかもしれない。転ばないよう気をつけつつ足早に通過する。
崩落地を抜けると平らな河原に出る。緊張感のあるルートを抜けてきたので、少し休憩、とザックを枕に河原に寝そべってみた。砂利の地面が冷たく気持ちいい。谷底から見上げる細い空は青く澄んでいる。深呼吸すると、身体の中の悪いものが出ていくような感じがする。

崩落地
岩の隙間に咲くモチツツジ


まだまだ気を抜けない道は続く。いくつかの滝と吊り橋を越えると、古い水門が見え、それを抜けると堂倉の滝だ。落差は20mそこそこだが、豊富な水量が絶えず流れ落ちることでできた滝壺は深い。少し時間が早くまだ薄暗い。滝壺に太陽が差すまで待つことにした。
30分ほど待つと滝を囲む岩壁の上から太陽が顔を出した。早速カメラを構えるが、せっかく待ったというのに滝の水しぶきがレンズについて中々思うように撮れない。根気の足りない私は諦めて先に進むことにした。

堂倉の滝と光芒


堂倉の滝からは谷筋を離れて、標高差1000m以上の本格的な登りが始まる。
休憩ポイントの少ない細い急登を一歩一歩登っていく。振り返ると新緑の山々を朝日が照らしている。
息を切らせて登っているといきなり視界が開けて自動車が通れる林道が現れた。大杉谷林道だ。秘境感を楽しんで歩いてきたのでちょっと興ざめする。
林道からまたすぐに山に入る。新緑のブナの明るい森を抜け、シャクナゲの咲く尾根を登る。杉の大木の幹の腐れた部分から直接シャクナゲが生えていた。前編で言った通り大台ヶ原周辺は固い岩盤でできており、表面の土壌が薄い。どんな場所でも苗床にしてしまうのだなあと感心する。杉にはいい迷惑だろうが。

杉から生えたシャクナゲ


ラストスパートの急登はきつかった。山頂で昼食をとるつもりだったので行動食を軽くつまむ程度だったが、空腹で仕方なかった。
ミヤコザサの生い茂る開けた尾根に急な階段がついている。ふ、ふ、と息を吐きながら黙々と歩を進める。
ようやく登りつめると最高峰の日出ヶ岳だ。ついたぁ、と歓声をあげた。
山頂は観光客や登山者でにぎわっていた。写真は後にしてとりあえず昼食にする。桃の木小屋名物のちまき弁当だ。大きな角煮が入っていておいしい。ようやくスマホの電波が入ったので友人達に無事登頂の報告をしつつ、シャリバテ寸前だったのであっという間に平らげてしまった。
山頂展望台からの景色は雲一つなく、東には熊野灘が迫り、西には大峰山脈が壁のように脈々と連なる。まさに近畿の屋根だ。
南に目を向けると周回コースの木道をたくさんの人が歩いていく。正木ヶ原では伊勢湾台風の影響でトウヒの立ち枯れた独特の景観が見られるし、大蛇瑤任詫邵800mのスリル満点の絶壁に立つことができる。ふうむ、と少し考える。
バスの時間的にはそっちに行ってしまってもよかった。しかし大台ヶ原自体は2回も来たことがあるし、最後のシオカラ谷からの登り返しが辛いのをよく知っていたので、今回はやめておくことにした。もう十分満足だ。大杉谷を歩かずに大台を知った気になっているそこらの人々よ、私が歩いてきたのが本当の大台ヶ原だぞ、という気分でいる。
ビジターセンターでアイスでも食べながらバスを待つことにしよう。

大峰の山々

やまがある日記〜蒜山(1202m)

  • 2018.05.12 Saturday
  • 00:00

2018年4月下旬 晴れ

 

GW前半は岡山に帰省するついでに両親と蒜山に登ることになった。岡山県が誇る高原リゾート、蒜山高原を山麓に抱く風光明媚な山である。
東側の下蒜山登山口に車を停め、下蒜山、中蒜山、そして最高峰上蒜山と3つのピークを縦走していく。
登山口からいきなり急登が始まる。もとは鎖場だったらしい急な階段が続く。息が切れない程度のペースを維持する。両親は私よりペースが遅いため、先に歩いて写真を撮りつつ待つ。ブナの新緑が日の光に透けてまぶしい。車を降りたときは肌寒く感じたがあっという間に気温が上がってきていた。今日は暑くなりそうだ。
樹林帯を抜けると笹の稜線が現れる。下蒜山のとがった山体が目の前に鎮座していた。笹がまだ伸びていないから展望は良好だ。草原には清々しい初夏の風が吹く。

 

下蒜山への稜線


蒜山はほとんどの登りが急な直登で、冬の間近場の里山ばかり歩いていた身には堪える。
息を切らせながら登りきるとようやく下蒜山山頂にたどり着いた。山頂の展望はすばらしく、南側には蒜山高原、北側には一昨年登った大山がまだ雪を少し残した姿でどっしりと鎮座している。遠景は霞んでいて日本海は空との境目をなくしていた。
両親が登ってくるのを待ち、3人で昼食をとる。母は少しへばっているようだ。
体力を考慮して両親は中蒜山から下山し私だけ上蒜山まで行く予定だったため、ゆっくり休むよう言って一足早く出発することにした。中蒜山までは一旦稜線を300mほど下って登り返す。美しい尾根だがなかなか大変そうだ。
道の脇は美しい春の花に彩られていた。カタクリ、キバナスミレ、ツボスミレ、イカリソウ、ショウジョウバカマ、キクザキイチゲ、チゴユリ、ミヤマカタバミ、イワカガミ等が競うように咲き誇っている。特にカタクリとイカリソウは稜線のいたるところで咲いていて目を楽しませてくれた。

登山道脇は人の手によって下草が刈られて日当りがいいため花が多く咲く。ある意味自然な姿ではないが、こういう形ならばいいかもしれないと思えた。植物はどんな隙間でも抜け目なく生き抜ける場所を探している。
カタクリは種が芽吹いてから花を咲かせるのに7年から10年もの年月がかかるという。繊細で強かなその花はあまりにいたるところに咲いているので、狭い登山道ですれ違う際は踏みつけてしまわないようにするのに難儀した。

カタクリ

 

イカリソウ

 

しゃがみこんで花々の写真を撮りながら歩いていたためか自分で思ったよりもペースは遅かったようで、下り切った鞍部で日焼け止めを塗りなおしつつ休憩していると両親が追い付いてきた。母も思ったより元気そうで安心した。
ここからは標高400mを1時間ほどで登り返す。黒土の滑りやすい登山道を、一定のペースを保ちゆっくりと登っていく。
この日は4月末とは思えないほど気温が高かった。風があるのでまだ涼しいが稜線上は直射日光を遮る場所がほとんどなく、木々で風が遮られるとかなり暑い。水分補給を心掛ける。
ようやっと目の前に山頂が見えたと思ったところで、中蒜山登山口からの道から軽装の親子連れが出てきた。少年は元気そうだったが、帽子をかぶっていない。あれでは日射病の危険がある。気をつけてほしいなあと思うが、要らぬ世話か。
登り切った中蒜山からは上蒜山に隠れて大山は見えない。
既にそこそこ疲れていたし暑いしで、下蒜から中蒜ほどではないにせよそれなりに急登のように見える上蒜山への登り返しにうんざりした気分になる。とはいえここまできてやっぱり下山しますなどと言えるはずもないしそんなつもりもさらさらない。
消耗して座り込んでいる両親にくれぐれも気をつけて下山するよう伝えて、一人で歩き始めた。
標高100mほど軽く下ってから最後の急登にさしかかる。暑さと疲労で少し歩いては立ち止まり息を整えなければならなかった。
急登を上り詰めると3つ目のピーク、最高峰の上蒜山に着く。下蒜、中蒜と違い樹林帯の中で展望はない。ただもうこの後登りはないのだという事実だけが私を安堵させた。
上蒜山から少し下ると展望のいい場所に出た。今日歩いた蒜山三座のピークがすべて見渡せる。あれを全部歩いたのだ。大山も下蒜山から見たときよりもずっと目の前に迫って見えた。
まだ小さな若葉が芽吹いたばかりの山肌は、春霞と相まって印象派の絵のように黄緑色の柔らかい色彩に染まっている。風が気持ちいい。
私はようやく今回の登山に満足した気分になって、一人うなずき下山を再開した。
さっさと下山して蒜山ジャージーミルクのソフトクリームを食べなくては。

 

大山はまだ少し雪を残している
奥から下蒜山、中蒜山、上蒜山

【テーマ】やまがあるよもやま話〜であいの不思議

  • 2018.04.28 Saturday
  • 00:32

山を歩いていると、「出合(であい)」という地名がときどきある。「出合」とは谷、沢などの地形が合流する場所を指す。私が実際訪れた場所で思い出すのは白山の別当出合、八経ヶ岳の奥駆出合、御在所岳のコクイ谷出合等だが、持っている登山地図で他にもないか探してみた。笹ヶ峰の二股出合、雨乞岳のツルベ谷出合、これらは谷間の合流地点だ。八経ヶ岳の北西にある高崎横手出合は尾根の合流地点である。奥駈出合はこれは地形というより縦走路への合流点という意味が強そうだ。
例えば白山の別当出合周辺の地形図を見ると、谷とそこに流れる沢の合流地点であることがよくわかる。

GoogleMappsより


川が合流する場所であれば「川合」などと言われたりもする。川合さんや河合さんは川の合流点にもともと住んでいたのだろう。
落合という地名もある。落ちが合う…おそらく深い谷の合流だろうか。よくわからん。
要するに「合う」とは合流し混じりあうという意味だ。その性質から異なる方面からの道の結節点になっていることも多い。山の中でのチェックポイントのような場所である。登山道であれば少し開けていて山頂を示す標識があったりするかもしれない。急登を登ってきたあとであれば少し一息ついてやれやれ地図でも確認してみようかというような、そんな場所だ。
ところで一般に山というのは上に登るほど、山頂に近づくほどどんどん登山道が合流し減っていく(これは山の形を考えたら当たり前のことだ)。例外も当然多々あるが、そういうものだとして話を進めると、山頂を目指して登る際には一本道に見えていても下山の際にはいくつもの分岐があり、一つ谷筋を間違えればあらぬ場所に出てしまうことになる。来た道をまっすぐ戻っていたつもりが気が付いたら「あれ、こんな道だったっけ」ということはままある。そのまま暗くなってしまえばあっという間に遭難だ。「行きはよいよい帰りは恐い」とはまさにそういうことである。
山で道に迷ったら下るのではなく登れという教訓も、単純に見晴らしの良い尾根から見たほうが方角が確かめやすいというのももちろんあるが、登れば道が見つけやすいというのも大きいだろう。
人が道に迷わずに生きるためには山に限らず出合=何かがまじりあう場所=交差点というのがおそらく古来重要であったはずでだからこそチェックポイントとして名前が付けられているわけだが、危険なのは分岐していることであって合流していることではない。分岐と合流は一見対義語だがその場所に立って見たときに起こっていることは同じである。視点をどこに持ってくるかだけだ。
なぜ「出合」と呼んだのか。「別れ」ではダメだったのか。そんなこと言ったら「登山道」じゃなくて「下山道」でもいいだろうとか言われてそんなわけあるかふざけるな登山道に決まっておろうと取っ組み合いのけんかが始まってしまうし、考えてみれば「○○の別れ」のような地名だって存在していてもおかしくない気もする。たぶんある。
川であれば水の向かう先を考えれば「合う」が正しいような気もするが、はて河川の右岸と左岸を区別するにあたっては下流から上流を見て判断する。
人の出会いも別れと表裏一体とか安っぽく教訓めいたことを言えば話がうまく合うのかなあと思うが、何とも落ちのない話になってしまった。
せっかくなら「別れ」よりは「出合」の方がいいと私も思うけれども。
登山地図を眺めていたら山に登りたくなってきた。

そろそろ夏山登山に向けて計画を立てる時期だし、今年はどんな山に出会えるだろうか。楽しみだ。

【テーマ】ありがとう、さよなら  Mr.マルーン

  • 2018.03.31 Saturday
  • 10:45

ざっ、ざっ。
満開の舞い散る桜の下、佐野は一人シャベルで穴を掘っている。
ざっ、ざっ。
記憶を頼りに手当たり次第に掘っているせいで、周囲は穴だらけだ。
どこからか仰げば尊しが聴こえる。今朝も「各地で最後の卒業式」というニュースが繰り返し流れていた。それにしても、この期に及んで仰げば尊しとは。悪趣味な回顧主義者の校長がいるらしい。
ふう、とため息をついて見上げると、ちょうど佐野の上空を巨大な円盤状の”建造物”が通り過ぎていく。軌道上に浮かんでいるはずなのにディティールすらも把握できてしまうほど巨大で不気味なそれは、宇宙船地球号から移乗するための人類の新たなマザーシップ。あんなに巨大なのに、佐野には理解できない不可思議な光学技術のために日照は遮られない。
人類が地球という美しい星をすっかり食らい尽そうとしていた頃どんな侵略的外来生物よりも破壊的な生物は人類であるというのはもはや世界的な共通認識だった。そんな中、一つの提案が国連で採択された。人類の完全地球外退去−グラジュエーション・フロム・ジ・アース。
今まで締結されてきたどんな議定書よりも突拍子もないそれは採択から15年、それまでの宇宙開発の歩みからは考えられない驚異的なスピードで成し遂げられようとしていた。
その母艦は全ての人類をその胎内に収めたら、間違っても地球に墜ちてしまわないようにあてどない宇宙の旅に出ることになっている。らしい。その頃には佐野もカプセルの中で凍り付いた夢の中だ。
あの忌々しいナチュラリストどもが、やってきたどこの星とも知れぬ宇宙人どもの口車に乗せられなければこんなことにはならなかったはずだ。なんだ、宇宙的倫理って。
もうすぐこの星からは誰もいなくなる。母なる青い星からの、人類が産まれて400万年以来の親離れだ。その先のことは、もう誰もわからない。数百万年たって、ひょっとしたら、また新しい「侵略的生物」が生まれるかもしれない。
ざっ、ざっ。
早く見つけなければ。くそ、ここもだめか。
絶対にこの辺のはずなんだ。
ざく、と思い切り突き刺したシャベルの先がこつんと何かに当たった。
「…あった」
慎重に土をどかすと、錆びついた四角い缶がそこにあった。
卒業式のあの日、すばると埋めたタイムカプセル。やっと見つけた。
取り出してふたを開けようとするも、錆びついていて簡単には取れない。ドライバーでこじ開けていく。錆がぱらぱらと落ちた。
最後は力任せに開けると、中には色褪せた写真が数枚と、星図と、取るに足らないおもちゃがいくつか入っていた。
満面の笑みで写真に写っている少女。
「…すばる」
タイムカプセルを埋めながら、いつか一緒に宇宙に行こうと約束した。彼女の名前の付いた星まで、いつか行こうと。
それがまさか、こんな形で叶うことになるとは。
奴らに魅せられてあっという間に向こうに行ってしまった親友を想う。
佐野はもとあった場所にそっとタイムカプセルを置いた。
いつしか歌は蛍の光に変わっている。もはや卒業の歌というより、誰かを追い出すための歌というイメージの方が強いのが、何とも皮肉だ。
佐野も明日、この星を出ることになる。明日が日本人の強制退去執行日だ。
マッチを擦って、缶に投げ入れた。ぱちぱち、と弱い音を立て、中のものが燃えていく。
全ての抵抗は無意味だった。誰もいなくなるこの世界に、思い出だけ置いていくなんて馬鹿げている。
桜が散っている。誰かが泣いている。
「ありがとう、さよなら…」
そして、こめかみに銃口を当て引き金を引き

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