やまがある日記〜道迷いについて 五頭連峰親子遭難を受けて Mr.マルーン

  • 2018.06.02 Saturday
  • 00:02

五頭連峰で行方不明になっていた親子の遺体が、3週間たってようやく発見されました。死因は低体温症とのこと、薄々わかっていたことではありますがとても残念です。捜索隊の方々の尽力に敬意を表します。

2人は寄り添うように亡くなっていたそうで、いつまで生きていたのか、どっちが先に亡くなったのか、残された側はどんな気持ちで動かなくなった家族のそばで自らの死を待っていたのか、考えると胸が締め付けられます。
親子は道に迷ったからビバークすると家族に連絡、翌朝下山すると再び連絡があった後行方がわからなくなったそうです。家族が交番に届けた際、そこの駐在員が情報を留めおいたため捜索の初動が遅れてしまったということも話題になりました。
ビバークを決めた時点ですぐに救助要請をしていれば。初動が遅れていなければ。もちろんそれで命が助かったかどうかはわかりませんが、少なくとも携帯電話が通じている時間があった以上、ひょっとしたらと思わずにはいられません。


現場はまだ雪が残る山中で、松平山山頂から1.7kmほど離れたコクラ沢という場所だそうです。ニュースを見て、ああ、やはり沢か、と思いました。
道迷い遭難には一つのパターンがあります。道を見失ってさまよった挙句、沢に降りていく。そして滝や砂防ダム、堰堤にぶつかってそれ以上進むことも登り返すこともできず、身動きが取れなくなる。結果として滑落や低体温症による死を招きます。谷間に入り込むとヘリコプターからの発見も難しくなります。
羽根田治氏のドキュメント遭難シリーズ、道迷い遭難は遭難者たちがどういうプロセスで沢に迷い込んでいくのかがリアルに追体験できます。「迷ったら戻れ」「迷ったら登れ」は登山の鉄則としてわかっているはずなのに、皆総じて吸い込まれるように沢に降りて行ってしまうのです。
羽根田氏は山岳遭難の統計上最終的に滑落死であれば滑落遭難とされるが、そのうちのかなりの割合が道迷いに端を発しているのではと言っています。
かなり怖い本ですがとても面白いのでおすすめです。

 

ドキュメント 道迷い遭難

 


こちらのブログ記事では鈴鹿の御池岳で遭難し6日間さまよった本人がその壮絶な体験について書いています。このブログ作者はその1年後同じく鈴鹿の御在所岳で遭難し亡くなっています。読む限り若干問題のある登山スタイルなのは間違いなく、反省がなかったのか、せっかく生還したのに残念です。

 

山岳遭難記録 〜鈴鹿 御池岳ゴロ谷での6日間〜

 


私は山に入る際は電波が通じなくても使える登山用GPSアプリを入れ(ヤマレコ・YAMAP等)、電池切れが怖いので予備のモバイルバッテリーを持ち、紙の地図とコンパスも持っていくようにしています。紙の地図はバックアップの意味もありますが広域のルートを確認するには小さなスマホ画面よりも便利です。
万が一夜になってしまう可能性を考慮してヘッドライトとエマージェンシーシートは必須です。また、登山届の提出はもちろん、近しい友人には行先と予定コースを告げ、下山報告までするようにしています。
これらは登山スキルが高いか低いかは関係なく、山に入る以上当然のリスクマネジメントだと思っていますが、残念ながらここまでする人はそれほど多くないというのが現状のようです。
私自身、道を見失っておや?と思うことはよくあります。その時にすぐにGPSで確認できれば、深みにはまる前にリカバーできます。地図読みには高度なスキルが要求されますが、GPSで一目瞭然に現在地が分かれば道迷いをする人もきっと減るでしょう。
道迷いに高山低山は関係ありません。高尾山や京都の大文字山ですら年間何件も遭難事例があります。むしろ、里山の方が作業者用の踏み跡が縦横にあって迷い込みやすいという場合もあります。


今回の親子がどの程度の準備をして山に入っていたのかは今後検証されていくでしょうが、6歳の子供が雪の残る山中に置かれてはあっという間に行動不能になってしまうことが想像できます。あるいは、父親1人であれば生き残る道があったかもしれませんが、子ども一人をかついで登り返せるような状態ではきっとなかったでしょう。詳細は今となってはわかりません。


私は登山者としてはようやく中級者に片足突っ込んだ程度であまり偉そうなことをいう身でもないですが、少しでもこういった遭難事故が減ればと思い書かせて頂きました。
長くなりましたが、今回発見された2名のご冥福をお祈りいたします。

やまがある日記〜大台ケ原山(1695m)

  • 2018.06.01 Friday
  • 18:03

2018年 5月初旬 晴

 

GW後半、私は一人三重県南部にいた。大阪から近鉄とJRを乗り継いで3時間半。さらに満員の登山バスに揺られること1時間半、ようやく登山口にたどり着く。
既にスマートフォンが圏外になっていることに気付き、GPSだけつけて機内モードにした。ここから先、明日着く大台ヶ原山頂の日出ヶ岳まで知り合いとは誰とも連絡を取れない。
宿泊を伴う山行での単独行は初めての経験だ。気を引き締めて臨まなければ。
しっかりと靴ひもを結んで歩き始める。
予報では天気の急変に気を付けるようにとのことだったが、今のところは晴れていた。
歩き始めるとすぐに、岩盤をダイナマイトでくりぬいて作られた水平歩道が現れる。似たような登山道だと黒部の下の廊下が有名だ。
登山道は峡谷に沿って斜面をトラバースしている。こういう場所では急激な沢の増水が恐ろしいため、水面から高い位置に道が作られる。
数々の名瀑を擁する美しい谷だが、ひとたび谷間に滑落すれば大怪我では済まない。過去にも何件か死亡事故が起こっている。
私が山に入る前日にも滑落があったそうだ。幸い、命は助かったらしい。
とはいえ以前から歩いてみたいと思っていた大杉谷に来られて私の心は浮足立っていた。新緑はつやつやとみずみずしく、風が心地よい。

狭い水平歩道を歩いていく


時折河原へ下りたりいくつも吊り橋を渡ったりしながら進んでいく。
気持ちよく歩いていくと対岸に大きな滝が現れた。千尋(センピロ)の滝だ。落差は200mほどあるだろうか。稜線上から筋状に滝が流れ落ちている。あんなところからたくさんの水が流れているなんて不思議だ。滝を眺められる位置に小さな休憩所が設けられていたので、座って少し休憩し、先に進む。
細かいアップダウンを繰り返しながら谷を遡上していくと、谷がぐっと狭まった場所に出る。シシ淵と呼ばれる、この日のハイライトとして楽しみにしていたポイントだ。
誘われるように河原の大きな石を越えていくと、なんとも美しい光景に目を奪われた。
ゴルジュの向こう側から差し込む光で水面がエメラルドグリーンに輝いていて、奥には滝が見える。水の音がする以外は不思議に静かだ。旧い教会にも似た神秘的な雰囲気で、今にも光の筋の向こうに、天女だか山の神だかの姿を見つけてしまいそうだった。
大杉谷周辺の地形は太平洋プレートによって押し上げられた砂岩とチャートの硬い岩盤でできており、日本有数の降水量がもたらす豊富な水によって浸食された深いV字谷が形成されている。頭では理解しているが、これが自然の造形であるとはにわかには信じがたい。

シシ淵
水面


シシ淵をじっくり堪能したら、また谷を巻いて登山道を進む。
大きな吊り橋の向こうに巨大な岩壁が迫っている。平等瑤澄9發300mの一枚岩である。巨大すぎてカメラの画角に入りきらない。
シシ淵は繊細で神秘的な印象だったが、こちらは何ともダイナミックな造形で圧倒される。吊り橋を渡る登山者と比べればその巨大さがわかるだろう。

平等


平等瑤鯣瓦韻襪箸發山小屋はすぐそこだ。30分ほど歩くと、吊り橋の向こうに谷間にへばりつくようにして赤い屋根の小屋が建っている。桃の木小屋だ。今日はここで宿泊する。

思ったより早く着いたので、談話室でビールを飲んだり本を読んだりほかの登山者と話したりしてのんびり過ごした。

夜も一人一枚清潔な布団があてがわれぐっすり眠った。

やまがある日記〜大台ケ原山(1695m)

  • 2018.06.01 Friday
  • 18:02

2日目 晴

 

どうせ皆朝食に合わせて同じ時間に起きるだろうと目覚ましもかけずに寝ていた。4時45分に周りの宿泊客が一斉に動き出したので私も目を覚ました。
朝食を食べ終えて弁当を受け取り、荷物をまとめて外に出た。準備運動をして6時過ぎ、出発する。
2日目の行程はしばらくは1日目と同じように大杉谷峡谷に沿って進み、途中から尾根への急登が始まる。標高差は1400mほど、最高峰の日出ヶ岳までコースタイムは6時間程度だ。時間にはかなり余裕があるが、ビジターセンター発のバスに乗り遅れると帰れないので、絶対にそれまでにはたどり着かなければならない。
早朝の谷の空気はひんやりと清々しい。湧き水で岩が湿っている場所は滑りやすいので気をつけなければならないが、コケが雫で濡れてきれいだ。
小屋から歩いて30分ほど、いくつもの滝壺が連なる滝が現れる。日本の滝百選にも選ばれる名瀑、七釜の滝だ。水がどうどうと流れ落ちている。今まで見てきた滝も素晴らしかったが、確かに個性のある美しい造形と迫力であった。

七釜の滝


七釜の滝を過ぎさらにしばらく歩くと、大崩落地にさしかかる。2004年に崩れたこの場所が通れるようになったのはそれから10年もたってのことだという。かなりの規模で岩盤が崩れている。3m以上はある巨岩の隙間を縫うように越えていく。岩に描かれた道しるべをきちんとたどれば岩場としての難易度はさほど高くないが、もしもさらに崩れてきでもしたら私など一瞬でぺちゃんこになってしまうだろう。場合によっては遺体も上げられないかもしれない。転ばないよう気をつけつつ足早に通過する。
崩落地を抜けると平らな河原に出る。緊張感のあるルートを抜けてきたので、少し休憩、とザックを枕に河原に寝そべってみた。砂利の地面が冷たく気持ちいい。谷底から見上げる細い空は青く澄んでいる。深呼吸すると、身体の中の悪いものが出ていくような感じがする。

崩落地
岩の隙間に咲くモチツツジ


まだまだ気を抜けない道は続く。いくつかの滝と吊り橋を越えると、古い水門が見え、それを抜けると堂倉の滝だ。落差は20mそこそこだが、豊富な水量が絶えず流れ落ちることでできた滝壺は深い。少し時間が早くまだ薄暗い。滝壺に太陽が差すまで待つことにした。
30分ほど待つと滝を囲む岩壁の上から太陽が顔を出した。早速カメラを構えるが、せっかく待ったというのに滝の水しぶきがレンズについて中々思うように撮れない。根気の足りない私は諦めて先に進むことにした。

堂倉の滝と光芒


堂倉の滝からは谷筋を離れて、標高差1000m以上の本格的な登りが始まる。
休憩ポイントの少ない細い急登を一歩一歩登っていく。振り返ると新緑の山々を朝日が照らしている。
息を切らせて登っているといきなり視界が開けて自動車が通れる林道が現れた。大杉谷林道だ。秘境感を楽しんで歩いてきたのでちょっと興ざめする。
林道からまたすぐに山に入る。新緑のブナの明るい森を抜け、シャクナゲの咲く尾根を登る。杉の大木の幹の腐れた部分から直接シャクナゲが生えていた。前編で言った通り大台ヶ原周辺は固い岩盤でできており、表面の土壌が薄い。どんな場所でも苗床にしてしまうのだなあと感心する。杉にはいい迷惑だろうが。

杉から生えたシャクナゲ


ラストスパートの急登はきつかった。山頂で昼食をとるつもりだったので行動食を軽くつまむ程度だったが、空腹で仕方なかった。
ミヤコザサの生い茂る開けた尾根に急な階段がついている。ふ、ふ、と息を吐きながら黙々と歩を進める。
ようやく登りつめると最高峰の日出ヶ岳だ。ついたぁ、と歓声をあげた。
山頂は観光客や登山者でにぎわっていた。写真は後にしてとりあえず昼食にする。桃の木小屋名物のちまき弁当だ。大きな角煮が入っていておいしい。ようやくスマホの電波が入ったので友人達に無事登頂の報告をしつつ、シャリバテ寸前だったのであっという間に平らげてしまった。
山頂展望台からの景色は雲一つなく、東には熊野灘が迫り、西には大峰山脈が壁のように脈々と連なる。まさに近畿の屋根だ。
南に目を向けると周回コースの木道をたくさんの人が歩いていく。正木ヶ原では伊勢湾台風の影響でトウヒの立ち枯れた独特の景観が見られるし、大蛇瑤任詫邵800mのスリル満点の絶壁に立つことができる。ふうむ、と少し考える。
バスの時間的にはそっちに行ってしまってもよかった。しかし大台ヶ原自体は2回も来たことがあるし、最後のシオカラ谷からの登り返しが辛いのをよく知っていたので、今回はやめておくことにした。もう十分満足だ。大杉谷を歩かずに大台を知った気になっているそこらの人々よ、私が歩いてきたのが本当の大台ヶ原だぞ、という気分でいる。
ビジターセンターでアイスでも食べながらバスを待つことにしよう。

大峰の山々

やまがある日記〜蒜山(1202m)

  • 2018.05.12 Saturday
  • 00:00

2018年4月下旬 晴れ

 

GW前半は岡山に帰省するついでに両親と蒜山に登ることになった。岡山県が誇る高原リゾート、蒜山高原を山麓に抱く風光明媚な山である。
東側の下蒜山登山口に車を停め、下蒜山、中蒜山、そして最高峰上蒜山と3つのピークを縦走していく。
登山口からいきなり急登が始まる。もとは鎖場だったらしい急な階段が続く。息が切れない程度のペースを維持する。両親は私よりペースが遅いため、先に歩いて写真を撮りつつ待つ。ブナの新緑が日の光に透けてまぶしい。車を降りたときは肌寒く感じたがあっという間に気温が上がってきていた。今日は暑くなりそうだ。
樹林帯を抜けると笹の稜線が現れる。下蒜山のとがった山体が目の前に鎮座していた。笹がまだ伸びていないから展望は良好だ。草原には清々しい初夏の風が吹く。

 

下蒜山への稜線


蒜山はほとんどの登りが急な直登で、冬の間近場の里山ばかり歩いていた身には堪える。
息を切らせながら登りきるとようやく下蒜山山頂にたどり着いた。山頂の展望はすばらしく、南側には蒜山高原、北側には一昨年登った大山がまだ雪を少し残した姿でどっしりと鎮座している。遠景は霞んでいて日本海は空との境目をなくしていた。
両親が登ってくるのを待ち、3人で昼食をとる。母は少しへばっているようだ。
体力を考慮して両親は中蒜山から下山し私だけ上蒜山まで行く予定だったため、ゆっくり休むよう言って一足早く出発することにした。中蒜山までは一旦稜線を300mほど下って登り返す。美しい尾根だがなかなか大変そうだ。
道の脇は美しい春の花に彩られていた。カタクリ、キバナスミレ、ツボスミレ、イカリソウ、ショウジョウバカマ、キクザキイチゲ、チゴユリ、ミヤマカタバミ、イワカガミ等が競うように咲き誇っている。特にカタクリとイカリソウは稜線のいたるところで咲いていて目を楽しませてくれた。

登山道脇は人の手によって下草が刈られて日当りがいいため花が多く咲く。ある意味自然な姿ではないが、こういう形ならばいいかもしれないと思えた。植物はどんな隙間でも抜け目なく生き抜ける場所を探している。
カタクリは種が芽吹いてから花を咲かせるのに7年から10年もの年月がかかるという。繊細で強かなその花はあまりにいたるところに咲いているので、狭い登山道ですれ違う際は踏みつけてしまわないようにするのに難儀した。

カタクリ

 

イカリソウ

 

しゃがみこんで花々の写真を撮りながら歩いていたためか自分で思ったよりもペースは遅かったようで、下り切った鞍部で日焼け止めを塗りなおしつつ休憩していると両親が追い付いてきた。母も思ったより元気そうで安心した。
ここからは標高400mを1時間ほどで登り返す。黒土の滑りやすい登山道を、一定のペースを保ちゆっくりと登っていく。
この日は4月末とは思えないほど気温が高かった。風があるのでまだ涼しいが稜線上は直射日光を遮る場所がほとんどなく、木々で風が遮られるとかなり暑い。水分補給を心掛ける。
ようやっと目の前に山頂が見えたと思ったところで、中蒜山登山口からの道から軽装の親子連れが出てきた。少年は元気そうだったが、帽子をかぶっていない。あれでは日射病の危険がある。気をつけてほしいなあと思うが、要らぬ世話か。
登り切った中蒜山からは上蒜山に隠れて大山は見えない。
既にそこそこ疲れていたし暑いしで、下蒜から中蒜ほどではないにせよそれなりに急登のように見える上蒜山への登り返しにうんざりした気分になる。とはいえここまできてやっぱり下山しますなどと言えるはずもないしそんなつもりもさらさらない。
消耗して座り込んでいる両親にくれぐれも気をつけて下山するよう伝えて、一人で歩き始めた。
標高100mほど軽く下ってから最後の急登にさしかかる。暑さと疲労で少し歩いては立ち止まり息を整えなければならなかった。
急登を上り詰めると3つ目のピーク、最高峰の上蒜山に着く。下蒜、中蒜と違い樹林帯の中で展望はない。ただもうこの後登りはないのだという事実だけが私を安堵させた。
上蒜山から少し下ると展望のいい場所に出た。今日歩いた蒜山三座のピークがすべて見渡せる。あれを全部歩いたのだ。大山も下蒜山から見たときよりもずっと目の前に迫って見えた。
まだ小さな若葉が芽吹いたばかりの山肌は、春霞と相まって印象派の絵のように黄緑色の柔らかい色彩に染まっている。風が気持ちいい。
私はようやく今回の登山に満足した気分になって、一人うなずき下山を再開した。
さっさと下山して蒜山ジャージーミルクのソフトクリームを食べなくては。

 

大山はまだ少し雪を残している
奥から下蒜山、中蒜山、上蒜山

【テーマ】やまがあるよもやま話〜であいの不思議

  • 2018.04.28 Saturday
  • 00:32

山を歩いていると、「出合(であい)」という地名がときどきある。「出合」とは谷、沢などの地形が合流する場所を指す。私が実際訪れた場所で思い出すのは白山の別当出合、八経ヶ岳の奥駆出合、御在所岳のコクイ谷出合等だが、持っている登山地図で他にもないか探してみた。笹ヶ峰の二股出合、雨乞岳のツルベ谷出合、これらは谷間の合流地点だ。八経ヶ岳の北西にある高崎横手出合は尾根の合流地点である。奥駈出合はこれは地形というより縦走路への合流点という意味が強そうだ。
例えば白山の別当出合周辺の地形図を見ると、谷とそこに流れる沢の合流地点であることがよくわかる。

GoogleMappsより


川が合流する場所であれば「川合」などと言われたりもする。川合さんや河合さんは川の合流点にもともと住んでいたのだろう。
落合という地名もある。落ちが合う…おそらく深い谷の合流だろうか。よくわからん。
要するに「合う」とは合流し混じりあうという意味だ。その性質から異なる方面からの道の結節点になっていることも多い。山の中でのチェックポイントのような場所である。登山道であれば少し開けていて山頂を示す標識があったりするかもしれない。急登を登ってきたあとであれば少し一息ついてやれやれ地図でも確認してみようかというような、そんな場所だ。
ところで一般に山というのは上に登るほど、山頂に近づくほどどんどん登山道が合流し減っていく(これは山の形を考えたら当たり前のことだ)。例外も当然多々あるが、そういうものだとして話を進めると、山頂を目指して登る際には一本道に見えていても下山の際にはいくつもの分岐があり、一つ谷筋を間違えればあらぬ場所に出てしまうことになる。来た道をまっすぐ戻っていたつもりが気が付いたら「あれ、こんな道だったっけ」ということはままある。そのまま暗くなってしまえばあっという間に遭難だ。「行きはよいよい帰りは恐い」とはまさにそういうことである。
山で道に迷ったら下るのではなく登れという教訓も、単純に見晴らしの良い尾根から見たほうが方角が確かめやすいというのももちろんあるが、登れば道が見つけやすいというのも大きいだろう。
人が道に迷わずに生きるためには山に限らず出合=何かがまじりあう場所=交差点というのがおそらく古来重要であったはずでだからこそチェックポイントとして名前が付けられているわけだが、危険なのは分岐していることであって合流していることではない。分岐と合流は一見対義語だがその場所に立って見たときに起こっていることは同じである。視点をどこに持ってくるかだけだ。
なぜ「出合」と呼んだのか。「別れ」ではダメだったのか。そんなこと言ったら「登山道」じゃなくて「下山道」でもいいだろうとか言われてそんなわけあるかふざけるな登山道に決まっておろうと取っ組み合いのけんかが始まってしまうし、考えてみれば「○○の別れ」のような地名だって存在していてもおかしくない気もする。たぶんある。
川であれば水の向かう先を考えれば「合う」が正しいような気もするが、はて河川の右岸と左岸を区別するにあたっては下流から上流を見て判断する。
人の出会いも別れと表裏一体とか安っぽく教訓めいたことを言えば話がうまく合うのかなあと思うが、何とも落ちのない話になってしまった。
せっかくなら「別れ」よりは「出合」の方がいいと私も思うけれども。
登山地図を眺めていたら山に登りたくなってきた。

そろそろ夏山登山に向けて計画を立てる時期だし、今年はどんな山に出会えるだろうか。楽しみだ。

【テーマ】ありがとう、さよなら  Mr.マルーン

  • 2018.03.31 Saturday
  • 10:45

ざっ、ざっ。
満開の舞い散る桜の下、佐野は一人シャベルで穴を掘っている。
ざっ、ざっ。
記憶を頼りに手当たり次第に掘っているせいで、周囲は穴だらけだ。
どこからか仰げば尊しが聴こえる。今朝も「各地で最後の卒業式」というニュースが繰り返し流れていた。それにしても、この期に及んで仰げば尊しとは。悪趣味な回顧主義者の校長がいるらしい。
ふう、とため息をついて見上げると、ちょうど佐野の上空を巨大な円盤状の”建造物”が通り過ぎていく。軌道上に浮かんでいるはずなのにディティールすらも把握できてしまうほど巨大で不気味なそれは、宇宙船地球号から移乗するための人類の新たなマザーシップ。あんなに巨大なのに、佐野には理解できない不可思議な光学技術のために日照は遮られない。
人類が地球という美しい星をすっかり食らい尽そうとしていた頃どんな侵略的外来生物よりも破壊的な生物は人類であるというのはもはや世界的な共通認識だった。そんな中、一つの提案が国連で採択された。人類の完全地球外退去−グラジュエーション・フロム・ジ・アース。
今まで締結されてきたどんな議定書よりも突拍子もないそれは採択から15年、それまでの宇宙開発の歩みからは考えられない驚異的なスピードで成し遂げられようとしていた。
その母艦は全ての人類をその胎内に収めたら、間違っても地球に墜ちてしまわないようにあてどない宇宙の旅に出ることになっている。らしい。その頃には佐野もカプセルの中で凍り付いた夢の中だ。
あの忌々しいナチュラリストどもが、やってきたどこの星とも知れぬ宇宙人どもの口車に乗せられなければこんなことにはならなかったはずだ。なんだ、宇宙的倫理って。
もうすぐこの星からは誰もいなくなる。母なる青い星からの、人類が産まれて400万年以来の親離れだ。その先のことは、もう誰もわからない。数百万年たって、ひょっとしたら、また新しい「侵略的生物」が生まれるかもしれない。
ざっ、ざっ。
早く見つけなければ。くそ、ここもだめか。
絶対にこの辺のはずなんだ。
ざく、と思い切り突き刺したシャベルの先がこつんと何かに当たった。
「…あった」
慎重に土をどかすと、錆びついた四角い缶がそこにあった。
卒業式のあの日、すばると埋めたタイムカプセル。やっと見つけた。
取り出してふたを開けようとするも、錆びついていて簡単には取れない。ドライバーでこじ開けていく。錆がぱらぱらと落ちた。
最後は力任せに開けると、中には色褪せた写真が数枚と、星図と、取るに足らないおもちゃがいくつか入っていた。
満面の笑みで写真に写っている少女。
「…すばる」
タイムカプセルを埋めながら、いつか一緒に宇宙に行こうと約束した。彼女の名前の付いた星まで、いつか行こうと。
それがまさか、こんな形で叶うことになるとは。
奴らに魅せられてあっという間に向こうに行ってしまった親友を想う。
佐野はもとあった場所にそっとタイムカプセルを置いた。
いつしか歌は蛍の光に変わっている。もはや卒業の歌というより、誰かを追い出すための歌というイメージの方が強いのが、何とも皮肉だ。
佐野も明日、この星を出ることになる。明日が日本人の強制退去執行日だ。
マッチを擦って、缶に投げ入れた。ぱちぱち、と弱い音を立て、中のものが燃えていく。
全ての抵抗は無意味だった。誰もいなくなるこの世界に、思い出だけ置いていくなんて馬鹿げている。
桜が散っている。誰かが泣いている。
「ありがとう、さよなら…」
そして、こめかみに銃口を当て引き金を引き

やまがある日記 初日の出

  • 2018.01.07 Sunday
  • 19:10

母校の中学の裏に、30分もかからず登れる、200mにみたない低山がある。日の出の時間は7時11分。
大晦日特番を見ていたから睡眠時間が足りていないが、目をこすりながら起きだして、出発する。
駐車場に車を停め、まだ暗いなかをヘッドライトのあかりをたよりに歩き始めた。
出発前にあわてて食べた雑煮のせいでわき腹が痛まないか心配しつつ、霜の降りた芝生を抜け、ハイキングコースに入る。
少し登って振り返ると、地元の町の控えめな夜景がそれなりにきれいだ。
途中、山中の寂れた神社に手を合わせる。人混みは苦手だから、初詣はこんなもんで十分だ。
さくさくと歩いていく父を見失わないよう、かつ後ろの母を置いてきていないか振り返りながら、徐々に明るくなってくる山道を歩く。
少し出発が早かった。日の出の15分前ぐらいに山頂の展望台について、淹れてきたコーヒーを飲みながら待つ。そうこうしているうちに地元の人たちがぽつぽつ登ってくる。見ず知らずの相手と「おめでとうございます」とあいさつし合う。
たなびく雲がオレンジ色に染まり、東の地平線当たりが明るんで、まだ見えないがすでに太陽の気配がする。もうじきだ。
山際からつぷ、と弓のような太陽が顔を出した。ああ、きた、と口々に言い合う。
太陽は数分のうちにあっという間に空を押し上げるように登り、ついにすべて地面から離れた。
人々がおのおの手を合わせている。
ご来光はいつでもありがたいものだが、なぜ1年のはじめというだけで特別に見えるのだろう。
人間が勝手に分節した時間の流れの区切りが一体何の意味を持つというのか、何がめでたいのか、毎年不思議だ。それでももちろん新年はめでたいと思うしハレの華やぎを感じる、おそらくそれが文化の中で生きている、ということだ。
今年もいい年になりますように。どんな登山ができるかな。楽しみだ。

 

日の出を待つ

 

今年もよろしくお願いします。

【テーマ】奪われる男 Mr.マルーン

  • 2017.11.29 Wednesday
  • 23:25
背中に穴が開いて半年がたった。
最初右の肩甲骨の下あたりに空いた小指ぐらいの小さな穴は今や広がって背中のおおよそ半分がなくなるに至っている。
僕は困惑しながらも痛みもないのでそのままにしている。
もう1年も待たないうちにすっかりなくなってしまいそうだ。
そのあとはどうなるんだろう。
腹がなくなるんだろうか。
僕の隣に横たわった彼女は穴に手を入れて中をするすると撫でている。
油断して好きにさせていたら深く入り込んで奥の軟骨を真っ赤な爪で引っかかれた。
得体のしれない感触にぞわりと鳥肌が立つ。
振り向いてやめてくれよと訴えたら曖昧に笑って手を引っ込めた。
一体僕の背中はどこへ行ってしまったんだろう。
こんな何もかもむき出しの無防備な有様では海にだって行けやしない。
いいじゃない別に、私は海になんて行きたくないし、と彼女は嘯いた。
君の水着が見たいな、と言ってその美しい肩甲骨に手を伸ばすとくすぐったそうに身をよじって、キスをせがんでくる。
僕は丁寧にそれに応じながら、すべすべした肉付きの薄い背中のラインをたどってその下に向かって手を伸ばしていく。
やれやれ、また減ってしまうな、と思いつつもやめない。
背中に穴が開いたのはちょうど彼女と出会ったころからで、彼女に触れられるたびにその穴が少しずつ広がっているのもとうに気付いていた。
あなたの背中が好きよ、と笑いながら彼女は言った。
穴が空いているから好きなのか、元々好きなのか、それとも。
そんな野暮なことは僕は聞かない。
全て終わって彼女が帰るのを見送って、僕は風呂場の鏡で背中を映してみる。
ぽっかりと空いた虚はまた少し大きくなっていた。
今日はそんなに長くなかった割には一段と減りがひどくて随分持っていかれたものだとため息をついた。
そりゃあ分かってて好きにさせている僕も僕かもしれないが、この関係はいつまで続くのだろうという不安は僕にだってある。
最近は随分機能が落ちてしまったが、まだどうやらしばらくは動けそうなので、ひょっとしたら僕の頭と下半身が支えを失ってぽっきり外れてしまうぐらいまではなんとかなるかもしれない。
残念ながら替えは効かないのだけれど。
それまでにはどうにかして彼女にプロポーズをしたいと思っているのだが、なかなか踏ん切りがつかない。
僕は意気地なしだ。
背中は大切だよ、とかつて忠告してくれた人のことをぼんやり思い出す。
あの人は今どうしているだろう。
優しい人だった。
ごめんなさい、忘れたわけではないんだ。
今会えばきっと怒られるだろうなあ。
せっかくなので、会って怒られたい。
今どこにいるんだろう。
そんなことを考えていたら穴からポロリと一個こぼれてしまった。
おっと。
慌てて拾って付け直した。
やっぱりこのままでは不便だ。
風呂に入ると水がたまるし。
この際布でも包帯でも樹脂パテでも何でもいいからそろそろふさぐべきだろうか。
嫌がるだろうから、次に彼女が来るまでに簡単に取り外せる仕組みを考えておかなくちゃ。
僕はそっとベッドに横になる。
開けっ放しの窓から風が入り込んでいる。
背中がすうすうする。
少し眠ろう。

やまがある日記〜武奈ヶ岳(1214m)登り

  • 2017.11.11 Saturday
  • 12:01

2017年11月初旬 晴

 

10月は仕事と台風で鈴鹿以降は山に登れなかった。たまたま休みが取れたので、やっと得られた快晴の休日、どこに登ろうかな、と考えたときに、思い出したのは武奈ヶ岳だった。
去年のほぼ同じ時期に登ったときは京都側の登山口までバスで行ったが、平日はバスが出ていないため、今回はJR湖西線比良駅から登山口までタクシーで連れて行ってもらう。1人で1200円はちょっと痛いがしかたない。
イン谷口から大山口を経て、右に行くとダケ道、左に行くと青ガレだ。左のコースは落石の危険があるため推奨されていない。迂回推奨の看板も出ている。でも今日は左に行く。
沢沿いにいくつもの堰提を越えていく。台風の影響か倒木が多い。
30分ほど歩くと大きな岩がごろごろしたガレ場に出る。これが青ガレか。上が見えない。
落石の危険があるためガレ場の縁のあたりに登山道の目印がある。足場はしっかりしているので両手も使いつつどんどん登る。軽いが久しぶりの岩場だ。楽しい。開けたポイントで振り返ると紅葉した木々の間から琵琶湖が見えた。

「青ガレ」と呼ばれるガレ場


青ガレを抜けてもしばらくはえぐれた崩落地を横断したり気が抜けない。危険な場所に長居は無用ということで、金糞峠まで1時間半はほぼ休憩なしで一気に登り切った。
暖かい日だったが峠はひんやりとした風が吹いて、さっきまでかいていた汗があっという間に引いていく。体を冷やさないように上着を羽織った。
少し休憩して出発する。ここから先は金糞峠からいったん下って中峠、更にもう一度小さな登り返しがあってワサビ峠、そして西南稜を経て山頂へ至る。
中峠までは沢を何度も渡りながら登っていく。雨乞と御在所の間の谷に近いが、飛び石のように岩があるのでずっと渡りやすい。

足元ばかり気にしていたら倒木にしたたか頭をぶつけた。登りの最中は斜面に身体が向いているせいでどうしても視界が狭いので、ちょくちょくやってしまう。私がどんくさいのだが。
中峠からは少し下って登り返す。明るい谷間の道は落ち葉がふかふかに積もってクッションみたいだ。気持ちいいが、踏み跡が隠れているから気を付けないといけない。こまめに現在地とルートを確認しながら進む。台風でずいぶんと散ってしまっていたが、紅葉はまだ十分きれいだった。今年は去年よりも黄色が強いようだ。
足元にはどんぐりや木の実がたくさん落ちていて、山の生きものたちはこれらを食べて冬支度をするのだなあと想像する。積もった落ち葉は小さな生き物たちによって分解されて豊かな土壌となり、森に水を貯え、新しい命を育てる。植物は偉大だ。無駄がない。
青ガレで老夫婦を追い抜いて以降は誰とも会わなかったが、不安はなかった。身体も3週間ぶりの割にはよく動いているし、山の空気がそのまま自分の活力になっている気がした。

黄色
鮮やか


ワサビ峠について、ツツジの葉が真っ赤に染まった稜線をゆく。低木の中をくぐるように歩いていくと視界が開けて西南稜から続く武奈ヶ岳の山頂が見えた。ちょうど一年ぶりだ。「お久しぶり!」と声が出た。
去年登って以来武奈ヶ岳のことはずっと頭の片隅にあって、また会いたいと思っていた山だった。相変わらず美しい山容だった。
道中誰とも会わなかった割に、山頂にはそれなりに人がいた。平日とはいえ、これだけ気持ちの良い日なのだから誰も来ないということもあるまい。
今まで登った関西の山であれば武奈ヶ岳が最も素晴らしい展望を持っていると思う。ここまでの山はそうない。
琵琶湖の反対側に伊吹山、鈴鹿の山々、南には蓬莱山とその先に大峰山や金剛山が雲の上に顔を出している。北には雪をまとった白山まで見えた。もう、ここから見える山で名前がわかるものは登った山の方が多いぐらいかもしれないぐらいだ。
昼食をとりながらも飽きずに景色を眺めていた。1時間ほどゆっくりと山頂でくつろいだ。
立ち去りがたかったが、暗くなる前に下山しなければならない。明日も仕事だし。

西南稜を振り返る
琵琶湖の向こう側に左から伊吹山、鈴鹿の山々

やまがある日記〜武奈ヶ岳(1214m)下り

  • 2017.11.11 Saturday
  • 12:00

下山も琵琶湖側に下る。来た道とは違う道で、イン谷口まで3時間弱の下山コースだ。とかく武奈ヶ岳はどのコースを通っても山頂が遠い。

途中広い尾根の道で、分岐点から進んですぐに道を見失った。おや、と思ったが前回の鈴鹿でルートファインディングにはだいぶ慣れていたので、焦ることはなかった。一旦分岐の標識まで引き返し方角があっていることを確認する。よく探せばきちんと道があった。ついでに地図でルートを確認しておく。

このあたりのブナの森はもうほとんど葉が散ってしまっていたが、明るく日が差し込む尾根は青空がよく見えてそれはそれで気持ちがいい。機嫌よく歩いていく。

 

 

尾根を抜けるとスキー場の跡地に出る。2004年まではロープウェイやリフトも運行していたというが、今となっては寂しいものだ。スキー場の地面にはプラスチックの養生がたくさん残されている。プラスチックを分解できる微生物はいないから、これらは風化するまでずっとここにあって地面にふたをし続ける。これでは木々が新しく生えてくることも難しかろう。立ち去るのであれば全てきれいにして出ていけばいいのに。全く人ってやつは、と苦々しい気持ちになる。
スキー場を下りきると八雲ヶ原に出る。以前蓬莱山の小女郎が池も紹介したが、比良にはこの標高の山としては珍しく高層湿原が点在する。池の中にはイモリが何匹も泳いでいた。初夏には水芭蕉が多く咲くのだという。ぜひ来年は撮影に訪れたい。
八雲ヶ原を抜けると琵琶湖の展望が素晴らしい北比良峠に着く。かつてのリゾートの名残か、朽ちかけたハイキングコースの看板がある。遠くに武奈ヶ岳の山頂が見えた。武奈ヶ岳の山頂は奥まっているため、下からは見ることができない。直接の対面はこれが最後で、ここからはひたすら下るだけだ。


下山は行きに使わなかった方のダケ道を下っていく。
登山道には台風で落ちた木の枝が散乱し歩くたびにパキパキと鳴る。杉の巨木が何本も倒れているのを慎重にかわしていくと、登山道が一部大きくえぐれていた。真新しい露出した地面が生々しい。これも、2度の台風の影響だろうか。落ちないように、登山道の上の斜面を慎重に巻いていった。足を滑らせたら痛いではすまないかもしれない。何とか渡りきって胸をなでおろした。

大自然のエネルギーは恐ろしい。

倒木
えぐれた登山道


淡々と下ってイン谷口にたどりついても、今日の山旅はまだ終わりではない。行きは贅沢してタクシーに乗ったが帰りは比良駅まで歩く。
この最後のひとがんばりがきつかった。足が痛い。

比良駅の近くまできて振り返ると比良の山々が青空に映えていた。堂満岳のピラミダルな形がよく目立っている。

ああ、今日もよく歩いた。
くたくたに疲れていたが、何とも満ち足りた幸せな気持ちで、私は電車に揺られて帰った。

 

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