ロングインタビュー(上)〜執念しかないから〜 Mr.Indigo

  • 2019.03.18 Monday
  • 06:44

 

 

 

―まずは二冠おめでとうございます。

「ありがとうございます」

―久々のタイトル獲得ということで、ロングインタビューの機会を設けさせていただきました。よろしくお願いいたします。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

―今回はやはり『都道府県の風景と私』について伺う必要があると思うのですが、まず47本という大作に取り組んだ理由を教えてください。

「簡潔に言うと、追い詰められていたからです」

―と言いますと?

「昨年8月から今年1月まで6カ月連続で無冠でした。これは自己ワーストタイです。都道府県というテーマが発表された時点ではまだ5カ月連続でしたが、1月も手応えは悪く、厳しいだろうという感じはありました」

―なるほど。

「都道府県に関してはPREMIERの主力執筆陣で最も詳しいという自信はありました。大チャンスなんですが、それゆえに絶対に落とせないというプレッシャーもあったんです。では何を書けば良いのか、いろいろ考えてみたけれど、どうやっても自分の幅広い知識と経験を生かす形にならない。それならばということで47本書くことにしたんです。馬鹿力で勝負するのが最も自分の個性を生かすことができ、そしてタイトルを確実に獲得できる策だったわけです」

―47本書くのは途方もないことだと思いませんでしたか?

「そりゃあ思いますよ。でも、程々に頑張って結果を出せていない、存在感を出せないまま無冠に甘んじているという現状がありましたから。その状況を打破するために、1カ月必死でやってやろうということです」

―47ではなく半分程度にして、残りは3月に…という手もあったと思うのですが。

「それは全く考えませんでした。中途半端だとタイトルが危ない。確実に取るためには47本書くしかないと思っていました」

―そこまでしてタイトルが欲しかったのですか?

「はい。それだけ追い詰められていたんです。12月にタイトルを取ったとか、1月のタイトル獲得が確実だとかいう状況なら絶対にやってませんよ」

―それにしても凄い執念ですね。

「私には執念しかないんです」

―そんなことはないでしょう。

「いやいや、今は執念しかないんです。自分の個性や長所を生かそうとしていろいろ考えていますが、結果が出ていませんから」

―とはいえ、多様な作者の多様な作品が集まるPREMIERという場をジャックすることに抵抗とか罪悪感はあったんではないでしょうか。

「いや、ありませんでした。とにかく必死でしたから。やれることは何でもやるということです。しかし、ジャックするからには読みごたえのある作品にしなければならないという思いはありましたね」

ロングインタビュー(中)〜47本を書き終えて〜 Mr.Indigo

  • 2019.03.18 Monday
  • 06:41

 

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―では作品の内容についてお伺いします。先程読みごたえのある作品にしなければとおっしゃいましたが、そのために心がけたことは何でしょう?

「まず風景写真を入れることです。手持ちの写真でこれといったものがない都道府県は、無料で利用可能な画像を探しました。一部例外はありますが、基本的には私が実際に見た風景です。あと、単体でエッセイとして読める内容にすることを心がけました。自分の体験談や感想をちゃんと入れないと、単なる紹介文になってしまいます」

―それで47本というのは大変ですよね。

「大変ですよ。でも最低限のクオリティを維持することは常に意識していました。時間の関係で妥協するということはありましたが、やっつけ作業で書いた県は1つもありません」

―各都道府県で取り上げる場所はどうやって決めたのですか?

「基本的には、それぞれの都道府県でしか見られない風景を選びました。ほとんどはすんなり決まったんですけど、どの候補も記憶がはっきりしないというような県もありましたね」

―20年ほど行っていない県もいくつかありました。

「はい。まあ行ったことがあれば体験談はなんとかなるだろうと思っていたのですが、石川県だけはどうにもなりませんでしたね。ただ、仕事を通じて関わっていたのは幸運でした」

―そして終盤は時間との戦いでしたね。

「はい。でも、あと少しのところで諦めたら後悔するに決まっているので、自分のために頑張りました。終盤の宮崎県が良かったという感想をお2人からいただいたのは嬉しかったですね。時間がない中でも良い作品ができたということですから」

―そういえば投票フォームで印象に残った都道府県を聞く項目がありましたね。ハッガリーニ統括本部長の粋な計らいでした。

「そうですね。47本の原稿に対応してくれましたし、本当に感謝しています」

―あの項目の回答をご覧になってどう思われましたか?

「群馬や宮崎は自分でもうまく書けたつもりだったので、自分の感性は悪くないなと思いました。2人の方が北海道に入れたのは意外でした。47本書こうという姿勢に衝撃を受けたんですね」

―そりゃあ驚きますよ。28日で47本書くとか正気の沙汰ではないですからね。

「確かに落ち着いて考えてみればそうですよね。ただ、私はずっとできるはずだと思っていました。実際できたんです」

―ヤマブキさんは「神戸以外の兵庫も見たかった」とコメントしていらっしゃいますが。

「姫路城とか城崎温泉とか、私も書きたかったんです。ただ、私にとって神戸は青春時代を過ごした特別な街で、神戸を外す手はありませんでした。神戸とあと1つだと長くなりすぎるので、神戸に絞ったんです」

―なるほど。

「ただ、書きたいという気持ちに変わりはないんで、続編で紹介したいですね」

―続編ですか?がりはさんはもう1周とおっしゃってましたが、ホントにやるんですか?

「いや、石川県や山梨県、鳥取県などはもう書く材料がありません。順不同、不定期になるでしょう」

―具体的な計画はありますか?

「これから考えます。まだ1周終わったばかりですから」

ロングインタビュー(下)〜未来へ向かって〜 Mr.Indigo

  • 2019.03.18 Monday
  • 06:40

 

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―投票結果についてはどう思われますか?

「MVPの12票は自己ベストです。ただただ皆さんに感謝というほかありません。しかし、テーマコンテストも過半数の票が取れると思っていたので、そこは残念です」

―三冠は惜しくも逃しました。

「ホワイトさんのサウジアラビア紀行シリーズは最優秀にふさわしい作品です。都道府県シリーズも最優秀に値する作品だとは思いますが、今回は相手が強かった。それだけです」

―最優秀作品賞は長らく遠ざかっていますが。

「2〜3票いただくことはあるんですが、破壊力が足りないですね。今後の課題です」

―どのようにして課題をクリアしていこうとお考えですか?

「それは秘密です。まあ見ていてください。執念だけの男ではないということをいつか証明しますから」

―さて、MVPとテーマコンテスト制覇の二冠ですので、ベストコメントと来月のテーマを決めることができます。どちらから発表なさいますか?

「まず来月のテーマからいきましょう」

―では発表をお願いします!

「4月のテーマは『遺伝子』です。皆さん頑張りましょう!」

―遺伝子ですね。理由は何かありますか?

「Mr.Xの土俵のように思えますが、実は歴史や医学、文学でもいけるテーマだと思うんです。みんなが得意分野で勝負するのも面白いじゃないですか」

―わかりました。では続いてベストコメントを発表して下さい!

「Blackさんの『1本ずつ丁寧に書かれての47本が素晴らしいと思いました。1/20にテーマが決まってから、どんな想いを持たれて47本書ききられたのかお聞きしてみたいです。』がベストコメントです」

―理由は何でしょう?

「このコメントを見て、ロングインタビューもいいかなと思ったんです。短く済ませる手もありましたが、せっかくの機会なので、しっかりと記録を残しておこうということですね。1カ月に47本書いた奴の思いが目に見える形で残るのは、価値のあることだと思います」

―そうですね。最後にぜひ言っておきたいことなどありましたらお願いします。

「はい。実は今回、これまでPREMIERとは縁がなかった方々から反響がありました。私はTwitterで自作を紹介しているのですが、都道府県シリーズでは山形県の致道博物館さんや京都のカフェいっぷく+さんなどから『いいね』をいただきました。本当に嬉しく、ありがたいことです。今後も外部の方々に興味を持っていただける作品を出していきたいと思います」

―本日はありがとうございました。続編期待しています!

光と影 Mr.Indigo

  • 2019.03.12 Tuesday
  • 22:13
最近、通勤中にウォークマンで音楽を聴くことが増えた。理由は単純明快で、SEKAI NO OWARIのニューアルバムを入手したからである。
2月末にリリースされたアルバムは「Lip」と「Eye」の2作で、彼らにとっては4年ぶりのニューアルバムである。待ちに待った、という表現がしっくりくる。
彼らがこのアルバムでどんな方向性を示すのか、私は興味があった。理由は3年ほど前に書いた。
 
〜(前略)彼らに残された時間はそれほど長くない気がしてならない。彼らの詞は人生に対して肯定的である一方で、現代社会に対しては否定的である。そして彼らは現代社会の魔物といえるメディアを通じて、自分達の哲学を発信している。すなわちそこには矛盾がある。
彼らが綱渡りを続けられるかはわからない。世間に迎合して面白くなくなるかもしれないし、何らかの形で消えることになるかもしれない。(以下略)〜
 
昨年、彼らは「サザンカ」という曲を発表した。NHKの平昌オリンピック・パラリンピックのテーマソングだったから、ファン以外にも広く知られているだろう。
いい曲だとは思ったが、しっくりこない感じもあった。NHKとかオリンピックとか、極めてメジャーなものと結びついたことに違和感があったのだ。先の文章でいうところの「世間に迎合して面白くなくなる」方向に向かっているような気がした。
ニューアルバムはこの疑念に対する答えになるはずだ。私はそう思っていた。
 
彼らの出した答えは、テイストの異なる2枚のアルバムを出すことだった。すなわち「Lip」は「サザンカ」や「RAIN」といったおなじみの曲が入っていて、他も軽い感じの曲が多く万人向けの内容である。一方の「Eye」は重い曲が多く、ファン向けと言えるだろう。それは発売前の情報でも明らかにされていて、前者はポップ、後者はダークという表現が用いられている。
実際に聴いても、この表現は的確だと思った。先程の「人生に対して肯定的」という一面は「Lip」に、「現代社会に対して否定的」という一面は「Eye」に集約されているように感じた。
「Eye」は1曲目のスタートから過激である。
 
〜いつの時代もいるんだ。「大人はいつも矛盾ばかり」とか「嘘ばっかり」って言うkid。今の君はどうなんだい。そんなに子供は純粋だったかい?(SEKAI NO OWARI『LOVE SONG』)〜
 
初めて聴いてどきりとした。このノリが小一時間続くのかと思うと気が重かった。実際は重い歌詞ばかり続くわけではないのだが、油断していると12曲目で不意打ちを食らうことになる。
 
〜人が生まれて何万年?それは信じる光によって違う。光が生み出す強烈な影。正しい道を指す光はやがて、魔女を探すサーチライトへ(SEKAI NO OWARI『Witch』)〜
 
こうした曲を聴いていると、現代社会に対する彼らの見方は変わっていないように感じられる。少なくとも面白くなくなってはいない。
ただ、物足りなく感じる部分もある。光と影が完全に分割されているために、両者の共存というこのバンドの個性が削がれている面も否定できないと思うのである。
似たテイストの作品をまとめるのも、過去のアルバムのように多様な作品を混在させるのも、ともに有力な手法である。しかし、メンバーのパーソナリティの中に光と影が混在しているのであれば、作品集においても混在させるのが理想なのではないか。メンバーのコメントによると今回は早い段階から2枚出すと決めていたようだが、それが自然かというと、そうでもない気がする。
ともあれ、彼らの綱渡りはこれからも続いていくようだ。

習い事と適性 Mr.Indigo

  • 2019.03.05 Tuesday
  • 21:13
昨年の秋、小学1年生の長女が習い事を始めた。近所のスポーツクラブの体操教室で、保育園時代からの親友Bちゃんと一緒である。
時間帯は毎週土曜日の午前中で、初めのうちは妻が付き添っていたのだが、最近は私が連れて行くことが多い。基本的にはB家の都合に合わせていて、母親同士、父親同士になるようにしている。
スポーツクラブに連れて行けば、保護者の出番はしばらくない。体操教室が行われている間は自由に過ごせるので、たいていは見学しながらPREMIERの原稿を書いている。
 
親としてはまず教室に馴染んでくれるかどうか心配するわけだが、そこはうまくクリアしてくれた。親友のBちゃんのほかにクラスの友達もいて、機嫌よく通っている。保育園で体操を少しやっていて、ゼロからのスタートではなかったのも大きいだろう。内気な性格なので並ぶときは後方待機、行動は他の子の動きを見てからだが、そのあたりは仕方あるまい。
ただし、この教室は1〜3年生が対象なので、1年生の中でもかなり小柄な長女は体格のハンデがある。マット運動などはしっかりできているが、鉄棒は大変そうだ。例えば逆上がりは学校や近所の公園の鉄棒ならできるが、教室の鉄棒は高すぎてできないらしい。
もっとも、適切な高さならできるというのはコーチもわかっているようで、教室ではコーチに支えられながらもっと難しいことに挑戦している。私が小学生の頃は逆上がりすらできなかったから、我が子ながら大したものだと思う。
 
一方で、体操が苦手な男の子も数人いる。大多数の子とは別メニューで、鉄棒であればひたすら逆上がりの練習をしている。
私も運動が苦手で男子では最低レベルだったから、こういう子は自分の子よりも親近感が湧いてくる。率直に言えば可哀想だなと思う。彼らの保護者も見学しているはずだが、どのように考えているのだろうか。
この体操教室は楽しみながら心身を鍛えようというようなコンセプトで、飛び抜けて上手な子はおらず雰囲気は緩い。だから下手な子でもしっかり面倒を見てくれる。ただ、私が気になるのは、他の子や保護者に見られるのがつらくないのかということである。私などは学校の体育もつらかったのだ。
苦手を克服するのは大切だし、ルールを守ってスポーツを楽しむことを学ぶ意義は大きいと思う。しかし、それなりに適性があることを習わせた方が成長が早く、本人も楽しいのではないか。
とはいえ、小学校低学年の段階で適性を把握するのは無理だ。ウチの長女が体操に向いているとも思わない。家から近く親友がいるなど、条件が整っているから通わせているというのが実状である。
本人が頑張れる環境かどうかというのは、この時期の習い事では重要なポイントだろう。順調に伸びるに越したことはないが、やる気があるのなら不向きなことでも続ける価値はありそうだ。
結局のところ、全ては本人次第と言うほかない。機嫌よくやっているようなら保護者は口を出さず、子供に任せるのが良いように思う。遅かれ早かれ自分の適性について考える時は来るのだし。

【テーマ】都道府県の風景と私(21)岐阜県  Mr.Indigo

  • 2019.02.16 Saturday
  • 10:04

 

 

岐阜県は概ね旧美濃国と旧飛騨国から構成されている。両者の力関係については改めて言うまでもない。そもそも平地の広さが違う。進展性が大差なのは誰の目にも明らかだ。

戦国時代、織田信長が美濃国を奪取し岐阜城を拠点に勢力を広げていた頃、飛騨では小勢力によるドングリの背比べが続いていた。姉小路頼綱によって国内統一が成されたのは信長死後のことである。

頼綱が江馬輝盛を破り飛騨統一を決定づけた八日町の戦いは「飛騨の関ヶ原」と呼ばれているが、動員兵力は姉小路方が1000人、江馬方はわずか300人だったという。ほかに姉小路方2000人、江馬方3000人という説もあるが、それが多すぎるように感じられるのが飛騨である。美濃国内を二分する戦いなら何の違和感もないのだが…。

武田家、上杉家、織田家という列強に囲まれていたにもかかわらずレベルの低い争いが延々と続いたのは、飛騨を領有するメリットが乏しかったからだろう。戦国時代の英傑にとって、飛騨は魅力的ではなかったのだ。

 

しかし、旅好きの現代人にとって飛騨はなかなか魅力的なエリアであろう。

平成の大合併によって旧飛騨国は4つの自治体に再編されたが、いずれも集客力のあるコンテンツを有している。高山市の古い町並み、下呂市の下呂温泉、白川村の世界遺産・白川郷はいずれも絶大な人気を誇るスポットである。飛騨市はやや地味だが白壁の土蔵が並び、近年は映画『君の名は』の聖地としてブームを巻き起こした。

下呂は名古屋・岐阜に近いのでいささか事情が異なるが、他の3自治体はいずれも時代に取り残されたことが観光地としての魅力を向上させた。明治以降の産業革命や高度経済成長の恩恵を受けられていれば、統一感のある景観を維持することはできなかったはずだ。

もっとも、高山や古川(飛騨市)の町並みは貧しさを感じさせない。これは江戸時代の飛騨が天領だったためだろう。江戸幕府の目的は林業や鉱業による収入だっただろうから、その集積地となる都市が整備され発展したのは理解できる。

一方、山村の暮らしを知るには高山市郊外にある「飛騨の里」に行くのが良い。ここには飛騨地方に残されていた江戸〜明治時代の民家が10軒ほど移築・保存されていて、内部の見学もできる。観光地化した町並みよりもリアリティが高く、非常に面白かった。

賑やかな町並みと山村。双方に触れることによって、飛騨の魅力を満喫できるのではないだろうか。

(写真提供:高山市観光課)

【テーマ】おもちゃレビュー Mr.Indigo

  • 2019.01.31 Thursday
  • 19:32

 

世の中には無数のおもちゃがある。それらは多種多様かつ玉石混淆であり、どれを選べばよいのか迷うということもあるのではないだろうか。

中でも、知育玩具は長い間使うものであり、子供の発達に影響を与える可能性を秘めている。知育玩具を通じて子供の適性に気づくこともある。子育てにおいて避けて通れないアイテムと言えるだろう。

そこで、子育て中の方や今後子育てをする方のために、我が家にある知育玩具をいくつか紹介させていただく。ぜひ参考にしていただきたい。

なお、各項目の後半には我が家の家族との関わりを記載している。詳細は以下の通りである。

[姉]7歳。なぞなぞ、クイズ、しりとりを好む。飛行機が飛ぶ原理や雪が降る理由など、理系的な質問を繰り出すことも。

[妹]3歳。記憶力にすぐれ、物の名前や歌詞はあっという間に覚える。既に20程度までの数を理解している模様。

[父]39歳。大卒の頭脳労働者。昔は賢いと言われていたらしい。

[評価]父の独断と偏見による短評。

 

◼にほんごえいご なまえずかん(推奨年齢0〜6歳)

いわゆる「音の出る絵本」。専用のペンが付いていて、絵をタッチすると単語が読み上げられる。ジャンルは自然や日常生活など多岐にわたり、動物の鳴き声や乗り物の走行音などもある。単語は日本語と英語が併記されていて、設定を変えると英単語の勉強も可能。クイズ機能もあり。

[姉]1歳の頃に買い与えるも、今一つ食いつかず。妹がはまってからたまに遊ぶようになった。

[妹]1歳半くらいで猛烈にはまり、1人で黙々と遊んでいた。

[父]面白いとは思うが、すぐ飽きた。

[評価]機能が多く非常に完成度が高い。物の名前を理解する必要があるので、楽しめるのは1歳半くらいからか。英単語も勉強できるので、小学生も役立つはずだが、表紙に「0さい〜6さい」とあるのはマイナス。もったいない。

 

◼ミッフィー キューブもじあそび(推奨年齢3歳〜)

立方体の積み木。6面のうち1つには単語と絵(例えば「う」は「うさぎ」)、が入っていて、残りの5面にはその行の文字(「う」なら「あ」〜「お」)が大きく記されている。濁音、半濁音なども対応。なぜかサイコロもある。

[姉]しりとり遊びをするなど楽しんでいたが、特別に好きというほどではなかった。

[妹]まだこれから。ひらがなを覚えてきたので、そろそろはまるかもしれない。

[父]マニアックな固有名詞を作るなど楽しみはあるが、実家と違い理解者がいないので、積極的に出すことはない。

[評価]1つのひらがなが複数の積み木に入っているので、子供が知っている言葉ならほとんど作れる。言葉遊びが好きな子供には特におすすめ。平仮名が読めないと面白くないので、3歳〜というのは妥当。

 

◼ピタゴラスつみき(推奨年齢1歳〜)

マグネットが付いたプラスチック製の積み木。立方体、直方体、円柱、三角柱など形のバリエーションが豊富で、さまざまな形を作ることができる。

[姉]2〜3歳の頃はいろいろ作っていたが、5歳くらいから遊ぶことが減った。

[妹]あまり遊ばない。姉がめったに出さないからかも。

[父]大人が楽しむには単調過ぎる。

[評価]シンプルながら多様な形を作れるし、色が原色主体でカラフルなのも良い。しかし立方体のブロックは6面中3面しかマグネットが付いていないため、一目作れそうなのに作れない形もある。ひたすら縦に積み上げることができないのはマイナスポイント。

 

◼ハンナブロック(3歳〜)

平面図形の辺にマグネットが付いていて、くっつけて平面立体問わず多様な形を作ることができる。似た商品は多数あるが、我が家が買ったのはこれ。制作例が入ったテキストもあり。

[姉]面白い形を考えるのが好きなようで、いろいろと組み立てている。

[妹]立方体や正4面体など単純な立体は作れる。

[父]正20面体を作って1人で喜んでいる。

[評価]平面を組み立てて立体を作るので「ピタゴラスつみき」よりも奥が深い。しかし、マグネット部分が小さく磁力も弱いので、大きなものを組み立てるのは難しい。他社の似た商品の方がクオリティは良かったかもしれない。


 

◼立体パズル(4歳〜)

15種類の部品を使ってさまざまな多様な図形を作ることができ、全部をうまく使えば大きな立方体になる。テキストが付いていて、易しい平面から難しい立体まで多彩な問題が用意されている。

[姉]平面、立体ともテキストに載っている形は全てクリアした。

[妹]簡単な平面問題はできるが、難しい問題は手を出そうとしない。

[父]置いてあると立方体を作りたくなる。

[評価]部品が15種類あるので組み合わせが無数にあり、飽きることなく楽しめる。ブロックが大きく飲み込む心配もあまりないので、3歳でもおそらく大丈夫。それぞれ色が違い、どれを使うか色で指定できるのもありがたい。

 

◼カラフルキャビン404(6歳〜)

12種類の部品を組み合わせていくパズル。平面・立体とも完成形は決まっていて、テキストの問題にある配置をまず作り、残りの部品を使って完成させるというシステムになっている。問題は計404も用意されていて、易しいものから段階を踏んで理解できるようになっている。

[姉]4歳の時に買ったがさすがに難しかった。今はたまに遊ぶ程度。

[妹]まだ仕組みを理解していない。

[父]良い頭の体操になる。難しい立体問題はできないことも。

[評価]易しい問題なら5〜6歳でも大丈夫だろうが、基本的には小学生以上向け。図形が好きなら間違いなく面白いはずだが、そうでなければ厳しいかも。これは相手をする大人も同様。

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最後に私の考えを述べておくと、知育という目的があるとはいえおもちゃはおもちゃである。したがって、最も大切なのは楽しく遊ぶことであろう。

食い付かないようなら、しばらく置いておけばよい。時間が経てば遊ぶようになるかもしれないし、そうならなくても問題はない。そのおもちゃでなければならない理由など全くないのだ。

そのことを踏まえたうえで、知育玩具を使って楽しい時間を過ごしていただけると幸いである。

発達障害について考える Mr.Indigo

  • 2019.01.29 Tuesday
  • 00:00
仕事などでメールを送る時、ファイルの添付を忘れることがある。添付漏れのメールを受け取ることもあるが、頻度でいうと送ってしまうことの方が圧倒的に多い。
こういう失敗をするのは、たいてい何かに気を取られている時である。例えば、メールの文面を作成している時に誰かが話しかけてきたとする。
「Indigoさん、ちょっといい?」
「すんません、メール1本送ってからでいいですか?」
「了解」
そして手早くメールを打って送信。それでファイル添付を忘れてしまうわけだ。
どうも私はこうしたミスが多いようだ。ほかにも物をなくしたり必要な手続きが抜けていたりというようなことも少なくない。
 
近年になって、大人の発達障害という言葉がしばしば用いられるようになった。そのひとつにADHD(注意欠如・多動症)と呼ばれる発達障害があり、先述のような傾向はADHDの典型的な症例として知られている。
ADHDの特徴としては、不注意のほか多動性と衝動性が挙げられる。この2つも思い返せば身に覚えがある。子供の頃から落ち着きがないとか他人の話を聞かないとか指摘を受けてきたし、衝動的に金や時間を使うこともしばしばある。
また、ADHDの人はミスで叱責を受けるなどして人間関係に齟齬をきたすことが多く、抑鬱状態になりやすいらしい。これも思い当たるところは少なからずある。
しかし、自分がADHDであるか否かを調べてもらいたいとは思わなかった。自分の職場で「私ADHDなんです」などと言い出しても意味がない、むしろマイナスに作用する可能性が高いと予想されたためだ。下手をすると退職勧告といったことにもなりかねない。
もう1つ、自分の個性を否定したくないという思いもあった。確かに短所はあるが、それらは長所と表裏一体であり、感受性や独創性がなければ自分が自分でなくなってしまうように思えた。
ただし、妻はそう思ってはいなかったようだ。
「発達障害かどうか検査してもらったら?」
強く勧められたことがある。現代日本社会との折り合いに苦しみ抗鬱薬が手放せない私を見かねたのだろう。違う職業を模索してはどうかという思惑もあったらしい。先述の理由から気は乗らなかったが、そのあたりも含めて主治医の先生に聞いてみることにした。
「まさにおっしゃる通りです」
私の疑問に対する先生の答えは明快だった。やはり発達障害であることが判明してもこれといったメリットはないのだ。先生はこう付け加えた。
「そもそもこういう検査は正常な状態でやらないと正確な結果は出ないんです」
そりゃそうだ。抑鬱状態になると気力が落ちるから、人付き合いは億劫になるし何事でもケアレスミスが増える。
「まあ、Indigoさんは発達障害ではないですよ。仕事で発達障害の方をたくさん見てますからわかります」
そうだろうなと思った。長い付き合いで私のことをよく知っている先生だから説得力があった。
もちろん、社会生活に支障があるのなら発達障害であることを周囲に伝えた方が良いだろう。しかし私の場合はそこまでではない。確かに不注意が多く多動性や衝動性も有しているが、ごく軽度でADHDと診断されるほどではないというのが今の自己分析である。
 
そういう結論に達したにもかかわらず、最近『発達障害』(岩波明著)という新書を読んでいる。自分ではなく、子供たちのことが気になったからである。
我が家の子供たちも、発達障害である可能性を秘めている。特に、知性は高いがマイペースで落ち着きがなく、他人の話を聞くのが苦手な次女は気がかりだ。
もっとも、大切なのは発達障害であるか否かを知ることよりも、個性を理解しじっくりと問題点の改善に取り組むことであろう。発達障害かどうかに関係なく、落ち着きはほしいし他人の話はしっかり聞く必要がある。なるべく自然な形で、長所を潰さないように留意しつつ、改善を促していくのが良いだろう。
ある事象を知るというのは、その事象への対応力を身につけるということである。過剰反応するばかりが対応ではない。発達障害という言葉に踊らされず、親としてやるべきことをやっていくつもりだ。

宗教と歴史(上) Mr.Indigo

  • 2019.01.22 Tuesday
  • 08:30
はじめに
 
なぜイスラム国家やイスラム教徒は野蛮で攻撃的だというイメージを持たれがちなのか。歴史をかじった人間として、私なりの見解を述べていくことにしたい。
その前に頭に入れておきたいのは、我々日本人が持ちうるイスラム教のイメージは、欧米のキリスト教世界の影響が大きいということである。そして、キリスト教世界とイスラム教世界は中世から現在にいたるまで、長い戦いの歴史を有している。まずはその歴史を追ってみよう。
 
第1章 エルサレムとユダヤ人
 
中東にエルサレムという都市がある。この街はキリスト教、イスラム教、そしてユダヤ教という3つの宗教で聖地とされており、何度となく争奪戦が繰り広げられた。現在はユダヤ教徒(ユダヤ人)の国家であるイスラエルが支配しているが、それまでの経緯は非常に複雑だ。
ユダヤ人というのは簡潔に言うと「戦争は弱いが商売は上手い」民族である。今から2000年近く前、他民族の圧迫によってエルサレム周辺を追われたユダヤ人は世界各地に移住した。彼らの中には金融業などで成功する者が多く、たびたび迫害を受けながらも、やがて欧米諸国で侮れない勢力を持つようになった。そして、故地に自分たちの国家を建設しようという運動が19世紀以降強まり、紆余曲折を経て1948年にイスラエルが建国された。この土地には長らくイスラム教徒(パレスチナ人)が住んでいたので、エルサレムはイスラエルとヨルダンで分割すると取り決められた。
ところが、イスラエルは1967年以降エルサレム全域を実効支配している。仲裁にあたるべき欧米の先進国はユダヤ人が多く居住しているから、イスラエルに対して強硬な姿勢はとれない。かくしてイスラエルはイスラム教徒が住んでいたエリアを切り取ってきたのだ。
一部のイスラム教徒が欧米諸国を憎んでいるのには、こういう経緯がある。
 
第2章 オスマン帝国とヨーロッパ
 
しかしながら、長い歴史の中では、イスラム教国家がキリスト教国家に対して優位に立っていた時代が長い。例えば、バルカン半島の大部分は19世紀までイスラム教国家の支配下にあった。
当時イスラム世界の覇権を握っていたのはオスマン帝国である。東ローマ帝国など多くのキリスト教国家を打倒してヨーロッパへと勢力を伸ばし、1529年にはオーストリアのウィーンを包囲した。陥落させることはできなかったものの、その強さをヨーロッパ全土に知らしめた。
この関係が逆転するのは18世紀のことだ。宗教改革、ルネサンス、アメリカ大陸への進出といった変革を経て、ヨーロッパ諸国が強くなったのだ。その一方、オスマン帝国はイスラム世界で圧倒的に強かったがゆえに進歩が乏しく、17世紀以降は徐々に弱体化していった。
とはいえ、ヨーロッパのキリスト教徒にとって、イスラム国家は恐ろしい敵であるという認識に変わりはあるまい。現在も人々の意識に染みついているのではないだろうか。

宗教と歴史(下) Mr.Indigo

  • 2019.01.22 Tuesday
  • 08:29
第3章 十字軍とローマ教皇
 
キリスト教側がイスラム世界に攻め込んだこともあった。11世紀末から13世紀にかけて何度か実施された十字軍である。
十字軍は東ローマ帝国の皇帝がローマ教皇に救援を求めたことに端を発する。これに対し、ローマ教皇は聖地エルサレムの奪還を大義名分として掲げ、領主たちに十字軍への参加を促した。かくしてイスラム勢力を敵とする遠征軍が結成された。
この頃は両陣営とも強力な国家は存在しなかった。そのため初めの十字軍は一応の成功を収めエルサレムを奪取したものの、キリスト教側も一枚岩ではなく、エルサレム支配は長続きしなかった。
ちなみに、エルサレムは7世紀からずっとイスラム教国家の支配下にあった。ゆえに、イスラム教側からすれば、キリスト教国家による侵略と捉えられるだろう。こうした歴史も、互いを敵視する見方を醸成したに違いない。
もう1つ重要なポイントとしてローマ教皇の地位が挙げられる。先述のように当時の西ヨーロッパはドングリの背比べのような状況だったため、勢力拡大のためにしばしば教皇の権威が利用された。カトリックの守護者として教皇に従わぬ者を討伐するという図式を作るわけだ。
その結果、教皇が領主たちに対して優位に立つことになり、教皇の意向に逆らうことのリスクが高まった。教皇には破門という切り札がある。これを使われてしまうと、それに乗じた周辺勢力によって袋叩きにされてしまいかねない。
西ヨーロッパ社会の頂点にあった教皇は、イスラム教徒との戦いで命を落としても死後の贖罪は免除されると主張し、十字軍への参加を呼びかけた。ここだけ見れば、言っていることは現代のイスラム過激派の指導者と変わらない。中世ヨーロッパというのは、そういう社会だったのである。
 
第4章 歴史に基づく考察
 
先にも述べたが、十字軍の遠征以前もエルサレム周辺を支配していたのはイスラム教徒であった。イスラム教が興る前はゾロアスター教を国教とするササン朝ペルシア帝国が支配していた。実は、キリスト教国家がこの地を支配した時代はほとんどない。
ではなぜエルサレムがキリスト教の聖地なのか。それはイエス・キリストが十字架にかけられたのがエルサレムの郊外だったからである。彼の教えは当時この地を支配していたローマ帝国の各地に広まり、いつしかローマが最大の拠点となったのだ。
それを踏まえて考えると、キリスト教世界の主張に無理がある感は否めない。ただ、19〜20世紀の力関係でキリスト教側が優勢だったから、それが通ってしまったということだ。
その背景には、第2章で述べたキリスト教社会の変革がある。宗教改革の過程で大きな犠牲を出したものの、その結果として宗教の束縛から解放され、政教分離の方向へ突き進んだ。
一方、オスマン帝国などイスラム世界の大国は、多数の民族・宗教を内包しているエリアを統治するため、穏健な宗教政策で領土を拡大してきた。ローマ教皇のような強力な宗教指導者がおらず、君主は自分の都合に合わせて教義を解釈できた。
ところが、こうした現実主義的な国家が凋落すると、教義に関して厳格さを求める理想主義勢力が台頭し、両者の対立が生じる。今のイスラム世界はこの状態にあるのではないだろうか。
逆に、西ヨーロッパはローマ教皇が強大な権力を有していた。中世では教皇の意思がすなわち神の意思であり、異教徒や異端者は殲滅しても何ら問題はなかった。アメリカ大陸やアフリカでの先住民の扱いも考慮すると、この思想は宗教改革後も19世紀半ばまで残っていたのではないか。野蛮で攻撃的なのは、むしろキリスト教側だったのである。
結局のところ、宗教というのは野蛮で攻撃的な要素を内包していると言えよう。それは一神教も多神教も同じで、イスラム教が特別なのではない。世界的に情報化が進んだ現代でテロが起こったから、それが一部の過激派による行為であるにもかかわらず、全体に対して不適切なイメージ付けがなされてしまうのである。
このように、世界各国の歴史を幅広く知ることで見えてくることは少なくない。世界史を学ぶ意義は、こんなところにあると思うのである。

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