世界史人物探訪PREMIER(9)〜(13)補足と解説 Mr.Indigo

  • 2020.03.31 Tuesday
  • 22:04

3月は学術や文化の発展に寄与した人物が続きました。日本における知名度は高くありませんが、彼らの成し遂げたことは今の日本人の暮らしにも確実に影響を及ぼしています。
では、各人について補足と解説をしていきましょう。

9.ゲラルドゥス・メルカトル(1512〜1594)
http://zpgp.jugem.jp/?eid=5327
メルカトル図法で有名な人物です。図法自体は彼の考案ではないようですが、今日に至るまで広く用いられている背景に彼の地図の優秀性があるのは間違いありません。
メルカトルが生きた82年の間に、世界地図に載せられる情報は飛躍的に増えました。地図の空白部分が埋まっていくのは、地理学者として非常に嬉しいことだったのではないでしょうか。
死の翌年に出版された地図帳のタイトルである『アトラス』はやがて地図帳という意味を有する単語になりました。クリストファー・コロンブスやフェルディナンド・マゼランと同じように、彼も大航海時代を代表する偉大な人物だと思います。

10.アブラハム・オルテリウス(1527〜1598)
http://zpgp.jugem.jp/?eid=5329
メルカトルの友人で、世界初の近代的な地図帳である『世界の舞台』を編纂した人物です。
オルテリウスが生涯の大部分を過ごしたアントウェルペンは、当時のヨーロッパでは有数の国際都市でした。ヨーロッパ各国が商館を設置し、無数の交易船が行き交っていたといわれています。アップデートされていく世界地理の情報を入手するにはまたとない場所だったわけです。また、裕福な貿易商が多く住んでいたことは、資金や資料の調達に役立ったでしょう
『世界の舞台』は改訂が重ねられ、1595年には日本の地図も追加されています。


11.クリストフ・プランタン(1520〜1589)
http://zpgp.jugem.jp/?eid=5350
当時のヨーロッパを代表する出版業者です。活版印刷の発明から100年ほど経ち、少ない経費で書物の大量生産が可能になっていただけでなく、ルネサンスや宗教改革を経て書物の需要が伸びていた時期でもありました。
なかでも最も需要があったのは聖書です。プランタンの工房ではさまざまな言語に翻訳した聖書を出版し、大きな利益を挙げました。ほかにもさまざまなジャンルの書物を手がけており、その総数は1500以上といわれています。

ちなみに、彼の自宅兼工房はアントウェルペンの街に今も残されていて、世界遺産に登録されています。

12.カロルス・クルシウス(1526〜1608)
http://zpgp.jugem.jp/?eid=5366
近代的な植物学のパイオニアとされている人物で、スイセンやチューリップなどの球根植物をヨーロッパに紹介したことで知られています。
彼の研究は園芸の発展に大きく貢献しました。少し後の時代に建設されたヴェルサイユ宮殿などの庭園にも影響を及ぼしたと考えられます。
今回のインタビューは1589年という設定にしましたが、この数年後にクルシウスはライデン大学に赴任し、新しい植物園の造成に携わります。そこで彼が栽培したチューリップはヨーロッパの富裕層を熱狂させ、17世紀には球根の価格が暴騰し、チューリップ・バブルといわれる現象が発生しました。

13.オージェ・ギスラン・ド・ブスベック(1522〜1592)
http://zpgp.jugem.jp/?eid=5371
クルシウスの友人で、神聖ローマ帝国の外交官として活躍しました。また、皇帝マクシミリアン2世の子女の教育に携わった時期もありました。
彼はトルコでの経験をまとめた著書を残しており、その中にはチューリップについての記載もあります。ただ、出版されたのは彼の晩年で、トルコを離れてから20年以上過ぎていることから、後出しで自慢したという見方もできるようです。
そのほか、現在は失われているクリミアゴート語について調査した人物でもありますが、彼の時代はまだ話者がいたので功績の評価が難しく、本シリーズでは割愛しました。

 


〜今後の展開〜
さいたま市の図書館が休館中のため、手広く資料を収集することができません。予定変更が利かないので、18人目で日本人に回るのはまず間違いないでしょう。
なるべく多様な人物を紹介したいと思っていますが、状況が状況だけに、しばらくは資料を入手しやすい日本の武将が続くかもしれません。

世界史人物探訪PREMIER(13)オージェ・ギスラン・ド・ブスベック Mr.Indigo

  • 2020.03.31 Tuesday
  • 07:00

 

−こんにちは、平賀千兵衛です。世界史に名を残したさまざまな方々のインタビューをお届けする当チャンネル、今回はカロルス・クルシウスさんのご紹介でオージェ・ギスラン・ド・ブスベックさんにお話を伺います。よろしくお願いします。
「うむ。よろしくな」
−まずはブスベックさんの経歴について教えてください。
「わしは片田舎の小領主の息子で、若い頃はあちこち遊学しておったが、30歳くらいの時にウィーンの宮廷に仕えるようになった」
−官僚になられたわけですね。
「うむ」
−何をご担当されてたんですか?
「メインは外交じゃ。一番の実績は1554年からコンスタンティノープルの駐在大使をしたことじゃ」
−トルコですか。敵国ですね。
「左様。わしが子供の頃にはウィーンが包囲されて陥落寸前まで追い込まれたこともあった。神聖ローマ帝国としてはまさに宿敵じゃ」
−そんなところに少人数で放り込まれてると、関係が悪化したら命が危ないんじゃないですか?
「まあな。しかし、奴らにもヨーロッパを一息で攻め潰すほどの力はない。交渉の余地は必要じゃから、いつ殺されるかとびくびくするようなことはなかったな」
−なるほど。
「むしろ向こうの臣下の方が危ないぞ。スルタンの気分ひとつで絞首刑になることもあるからな」
−ヨーロッパに生まれて良かったですね。
「そうかもしれん」
−ところで、トルコでの外交交渉はいかがでしたか?
「なかなか大変だったぞ。国境線を定めようとしておったのだが、長年にわたって戦い続けてきた両国だけに、簡単には話がまとまらぬ」
−そうですね。
「ただ、先方の大宰相が死んで話がわかる奴に代わり、なんとか成果を出すことができた。それで1562年に帰国したのじゃ」
−素晴らしい。
「まあ8年も頑張ったからな。あと、外交だけでなくトルコの文化をヨーロッパに伝えたのも、わしの功績と言えるじゃろうな」
−例えばどんなことでしょう?
「うむ。あちらにはヨーロッパにはない草花がいろいろと咲いておって、宮廷の装飾などにも描かれておる。わしはそういった草花の球根をウィーンに送ったのじゃ」
−それでカロルス・クルシウスさんにも送られたわけですね。
「そうじゃ。ゆえにあいつが植物学者として名を上げたのは、わしのおかげなんじゃよ」
−わかりました。ちなみに帰国されてからは何をされているのですか?
「皇子・皇女の家庭教師を務めたり、トルコでの体験を本にしたりといったこともやったが、今はフランスの駐在大使じゃ」
−フランスも大変ですよね。ずっと内戦が続いていますから。
「ああ。しかし内戦の状況を本国に報告するのは重大な任務じゃ。それで経験豊富なわしが選ばれたんじゃろう」
−そうでしょうね。では最後にどなたかお知り合いの方をご紹介していただけますでしょうか。
「仕事柄、顔は広いが…誰がよい?」
−うーん、もしいらっしゃるならトルコの方が…。
「すまぬが、トルコにいたのはもう25年以上前でな。当時の知り合いはもうこの世におらん」
−わかりました。では…このところ男性が続いていますので、女性の方をお願いします。
「ならば皇帝陛下の妹君にあたるエリーザベト殿を紹介しよう。くれぐれも粗相のないようにな」
−承知しました。今回はオージェ・ギスラン・ド・ブスベックさんにお話を伺いました。ありがとうございました!
(1589年秋、フランス王国パリにて)

久々の連覇 Mr.Indigo

  • 2020.03.27 Friday
  • 22:46

1月に続きMVPに選んでいただくとともに、世界史人物探訪PREMIERについて多くのコメントを頂戴し、たいへん嬉しく思っています。今回はまずがりはさんのコメントをピックアップしたいと思います。

「書きたいことを書いているというのは最強だ。倒すのはもっと書くやつなのか、一本しか書かないやつなのか。今月、試練ですね。    」

前半部分を読んで、確かに今の自分は最強の状態にあるような気がしてきました。自分が書きたいことを書いて、読者の皆さんに楽しんでいただき、常時タイトル争いに参戦する。世界史人物探訪PREMIERは、この3つを満たす理想的なコンテンツになっています。
MVP争いに関していうと3月は強力なライバルがいるわけですが、それが試練だとは思っていません。PREMIERには実力者が揃っていますから、誰かが質量ともに優れた作品群を出してくれば、連覇に黄信号が灯るのは当然のことです。ゆえに、3月のMVPを逃しても焦ることはないでしょう。同じようにやっていれば4月はまたMVPの有力候補になれるはずです。結果に一喜一憂せず、今のペースを崩さないことが大切だと考えています。
また、気力の充実ぶりを指摘された方も何人かいらっしゃいました。

「ノッておられる」(ヤマブキさん)
「世界史人物探訪を始められてからの勢いに圧倒されます。」(Blackさん)
「この熱量はすごいなと思います。        」(ほわいとさん)

歴史上の人物に関する作品で多大な時間と労力をかけたものは、これまでにも何作かありました。それらはMVP獲得の原動力にはなりましたが、その勢いが続くことはありませんでした。達成感はあっても、次の月はまたゼロからのスタートになってしまいます。実際、MVPの連覇はここ2年近くありませんでした。
しかし、世界史人物探訪はいくらでも続けられます。したがって、情熱を維持したまま次の月へ進むことができるわけです。
ベストコメントはハッタリストさんに進呈します。

「ティコ・ブラーエの人となりなんていうのは初めて知りました。知らないことばっかりです。」

読み物を発表している以上、読んで良かったと思っていただくのは何よりの喜びです。自然科学を専門とするハッタリストさんは、ものの見方や考え方が私とは全く異なります。しかし、自然科学者を人文科学の視点から紹介することによって接点が生まれたわけです。
王侯貴族や軍人、科学者、実業家など、ここまで十数作の中でもさまざまな人物が登場しましたが、今後は文学者や芸術家、宗教家、探検家なども紹介する予定です。地域もヨーロッパだけでなく中国や日本にも広げていきます。中東やインドに回していく手段も考えているので、いずれは取り上げることになるでしょう。
そうして長く連載を続けていけば、あらゆる方の知識や関心と何らかの接点が生じると思っています。できるだけ多くの方々に歴史の面白さを感じていただけるように、幅広い人物を紹介していく所存ですので、今後ともよろしくお願いいたします。

世界史人物探訪PREMIER(12)カロルス・クルシウス Mr.Indigo

  • 2020.03.24 Tuesday
  • 07:00

 

−皆さんこんにちは、平賀千兵衛です。世界史に名を残したさまざまな方々のインタビューをお届けする当チャンネル。今回はカロルス・クルシウスさんとお送りします。よろしくお願いします。
「こちらこそ」
−クルシウスさんは高名な植物学者でいらっしゃいますが、まずは経歴を簡単に教えてください。
「うむ。わしは若い頃あちこち遊学して法律や哲学、医学、薬学などいろいろ学んでおったが、その中で植物の面白さに気付かされた
−でも、植物学だけで生計を立てるのはなかなか大変ですよね。
「確かにそうじゃ。それで、30代の頃は富豪の息子の家庭教師をしながら、植物の研究をしておった。スペインに行かせてもらったりもしたし、本当に助かったな」
−なるほど。クリストフ・プランタンさんとのお付き合いもその頃からですか?
「いや、もっと前じゃな。翻訳もやっておったから、もう30年くらいいろいろと仕事をもらっておる。アブラハム・オルテリウス氏の地図の翻訳もやったのう」
−ヨーロッパ各地の大学で鍛えた語学力が生かされていますね。
「ああ、わしは7つの言語を使いこなせるから、いくらでも活躍の場はある。あと大事なのは人脈じゃ。ウィーンの宮廷で雇ってもらえたのも大学の先輩の紹介だったしな」
−そうだったんですね。ウィーンでは何をされていたんですか?
「薬草園の管理、要するに植物の栽培をしておった」
−それは植物好きにはたまらない仕事ですね。
「うん、楽しかったな。高山植物の研究でアルプスの山に登ったこともあったし」
−アルプスだと本格的な登山ですね。どうでしたか?
「面白かったぞ。見たこともない植物がたくさん見られたから」
−未知の植物と出合うのが楽しみなんですね。
「そうそう。ウィーンにいた頃は世界各国からの外交使節が珍しい植物を持ってきてくれるのも楽しみじゃった」
−それは楽しそうですね。どんな植物があったんですか?
「うーん、一言だと難しいが…特に面白かったのは球根を植えて育てる植物じゃ」
−例えばどんなのでしょう?
「スイセン、チューリップ、ヒヤシンス、アネモネ、他にもいろいろある」



 

−すごいですね。これらは全部クルシウスさんがヨーロッパに普及させたんですか?
「もちろん植えたのはわしだけではない。しかし、神聖ローマ皇帝お抱えの植物学者というステータスや国際的な知名度を考えると、わしが普及の第一人者と言ってもよいじゃろう」
−そうですね。ちなみにこれらの植物に薬効はあったんですか?
「たぶんない。チューリップの球根は砂糖漬けにするとなかなかうまいんじゃが…」
−そうなんですか?
「ああ、わしは実際に食べたからな。もっとも、栽培するのは観賞用としてじゃ」
−薬効がなくてもいいんですか?
「ああ。効き目も大事だが、植物の魅力はそれだけではない。珍しい花がたくさん咲いておると、誰もが興味を示すじゃろう。観賞の楽しさも伝えていきたいと思って、ずっと取り組んでおる」
−いいですね。
「最近は花を栽培する人も植物の研究者も増えてきた。嬉しいことじゃ」
−はい。これからも頑張ってください。
「おお、ありがとう。頑張るよ」
−最後にお知り合いの方のご紹介をお願いします。
「では、わしをウィーンに呼んでくれた先輩、オージェ・ギスラン・ド・ブスベックさんを紹介しよう」
−今回はカロルス・クルシウスさんにお話を伺いました。ありがとうございました!
(1589年夏、神聖ローマ帝国フランクフルトにて)

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世界史人物探訪(11)クリストフ・プランタン Mr.Indigo

  • 2020.03.17 Tuesday
  • 07:00

 

−皆さんこんにちは。タイムトラベル系動画職人の平賀千兵衛です。世界史を彩るさまざまな方々にお話を伺う当チャンネル、今回はクリストフ・プランタンさんとお送りします。よろしくお願いします。
「よろしくお願いします」
−プランタンさんはアントウェルペンで出版業をなさっているんですね。
「はい、そうです」
−きっかけは何だったんですか?
「若い頃は製本職人をやってたんですが、ある時強盗に襲われて腕を怪我したんです。それで製本を諦めざるを得ませんでした」
−そんなことがあったんですか…。
「はい。でも、この仕事で成功しましたからね。まさに怪我の功名です」
−確かにそうですね。
「当時のアントウェルペンは景気が良くて、出版の需要が伸びていました。運が良かったですね」
−いやいや、運だけではないでしょう。ところで、非常に多くの本を出版されていると伺いましたが、代表的なものをいくつか教えていただけますか。
「はい。まずは聖書ですね。いろいろな言語のものを手がけましたが、中でもスペイン王室の支援で作った多国語対訳聖書は3年くらいかけた壮大なプロジェクトでした」
−すごいですね。他に何かありますか?
「そうですね、今は亡きミシェル・ノストラダムスさんの『化粧品とジャム論』もよく売れましたね」
−アブラハム・オルテリウスさんの『世界の舞台』もですよね。
「はい。初めはよそから出していたんですが、最近の改訂版はウチでやっています。これも人気がありますよ」
−16世紀の文化を支えていると言っても過言ではないでしょう。
「ははは、それは褒めすぎですよ。でも、社会のため、工房の仲間たちのために頑張らないといけないとはいつも思っています」
−職人さんとかスタッフの皆さんの生活もありますからね。
「はい。戦乱があって最近は少し減りましたが、多いときには100人以上働いていました。印刷機も20台ほどあったんです」
−ものすごい規模ですね。
「おかげさまで、この街では最大です」
−アントウェルペンで最大ならヨーロッパでも最大じゃないですか
「そうかもしれませんね」
−やはり著者の方々との交流も多いんでしょうか。
「そうですね。アントウェルペンにお住まいの方はもちろん、各地の文筆家さんや学者さん、聖職者さんとか、さまざまな方とお付き合いがあります。商売ですから、ご縁は大切にしなければなりません」
−そうですね。では、どなたかお知り合いを紹介してください。
「では植物学者のカロルス・クルシウスさんを紹介します。いろいろ面白い話が聞けると思いますよ」
−ありがとうございます。今回はクリストフ・プランタンさんとお送りました!
(1589年初夏、スペイン領ネーデルラント・アントウェルペンにて)

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世界史人物探訪PREMIER(10)アブラハム・オルテリウス Mr.Indigo

  • 2020.03.10 Tuesday
  • 07:00

 

−こんにちは、平賀千兵衛です。世界史に名を残したさまざまな方々のインタビューをお届けする当チャンネル、今回はゲラルドゥス・メルカトルさんのご紹介でアブラハム・オルテリウスさんにお話を伺います。よろしくお願いします。
「よろしくお願いします。どんなことでも聞いてください」
−そう言っていただけるとありがたいです。
「いえいえ、遠方から私を訪ねてきてくださったのだから、当然のことですよ」
−こんなに丁寧な応対をされる方は初めてです。
「私は商売人ですから、誠意のある応対が命です。私が編纂した地図帳『世界の舞台』が売れたのも、各地の地図を作ってくれた方々のおかげです。ですから、感謝の気持ちとして『世界の舞台』では100人を超える協力者のお名前を掲載しています」

−メルカトルさんもその1人というわけですね。
「そうです。メルカトルさんの地図は細部までしっかりと検証がなされているから、たいへん助かります」
−そのメルカトルさんも世界全体の地図帳を制作していらっしゃるようですが…。
「もちろん知ってます。どんな完成品になるのか楽しみですよ」
−でも、オルテリウスさんの地図帳の売れ行きが…。
「それは気にならないですね。私はもともと地図の装丁が専門ですから、地理の研究についてはメルカトルさんの方がはるかに上です。こういう方がいらっしゃるから私が地図帳を作れるわけですし、学者の方々にも『世界の舞台』を買っていただきましたから」
−わかりました。ではオルテリウスさんの強みはどこでしょう?
「装丁の美しさと情報量ですね。ここアントウェルペンはヨーロッパ随一の港町で、あちこちから船がやってきます。ですから、最新情報をなるべく早く皆さんにお伝えするのが私の役割なんです」
−なるほど。
「そのため『世界の舞台』は何度も改訂を繰り返していますし、さまざまな言語に翻訳しています」
−すごい情熱ですね。
「好きでやってますから。歴史地図とか地名事典にも取り組んでいます」
−ではなぜ地図に興味を持たれたんですか?
「若い頃、地図の装丁のほかに骨董商もやっていました。それで見本市などを訪ねてヨーロッパ各地を旅行したんです。それで地図を収集していくうちに、装丁だけじゃなくて編纂もしようと思うようになりました」
−そういうきっかけなんですね。
「メルカトルさんと知り合ったのも旅先でのことです。一緒に旅行したこともありますよ。30年近く前ですけどね」
−長いお付き合いなんですね。
「はい。親友であり人生の恩人です」
−では、最後にどなたかお知り合いの方をご紹介していただけますでしょうか。
「わかりました。では、もう1人の恩人をご紹介しましょう」
−どなたでしょう?
「アントウェルベンの出版業界の長老で、長年お世話になっているクリストフ・プランタンさんです」
−承知しました。今回はアブラハム・オルテリウスさんにお話を伺いました。ありがとうございました!
(1589年春、スペイン領ネーデルラント・アントウェルペンにて)

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コロナの影響 Mr.Indigo

  • 2020.03.06 Friday
  • 22:22

長女が通う小学校が休校になった。言うまでもなく、新型コロナウィルスの影響である。
休校要請に対し、さいたま市は共働きなどで自宅待機が難しい児童は学校で受け入れるという対応をとった。これは我々にとっては非常にありがたい。
しかし、全ての市町村がそれをやってくれているわけではない。会社で育児中の方々に聞いたところ、対応は以下の3種類に分かれた。

1)学校で児童を受け入れてくれる。
2)学校は開けないが、学童が朝から受け入れてくれる。
3)学校、学童とも受け入れなし。

そのほか、低学年のみ学校で預かるところもあるらしい。確かに4〜5年生になるとだいたい1人でも大丈夫だろう。
いずれも一理あって善悪をどうこう言うつもりはないが、共働きで祖父母が両方とも遠方という我が家のような家庭は、まだまだマイノリティなのかなという気がする。令和の時代を迎えても、社会の仕組みには昭和から変わっていない部分が多々あるのだろう。
それはさておき、長女はいつもと同じように学校へ通っていて、自習や読書をしている。人数は普段の半分以下らしいが、学童や出身保育園が一緒の友達がいるから、楽しくやっているらしい。
数日経つと学校側も慣れてきたのか、工作をしたりDVDを鑑賞したりといった 工夫もなされているという。まだ小学2年生だから、自習や読書だけだと午後まで退屈せずに過ごすのは難しい。先生方の気遣いに感謝である。

一方、私の職場にも変化があった。所属する部署が時差通勤を実施することになり、出社時刻が1時間遅くなったのだ。毎朝の満員電車にうんざりしているしている私としては、非常にありがたい話である。
朝の時間に余裕ができたので、4歳の次女を保育園に送るという任務を引き受けることにした。1〜2歳の頃はほぼ毎日送っていたのだが、一昨年に転職してからは勤務時間の関係で行けなくなっていた。子供好きの私としては、こちらも好都合だ。妻の負担を減らすこともできるので、一石二鳥である。
それで数日連れて行ったのだが、以前に比べると歩くのがずいぶん速くなり、道草も減った。保育園まで1km弱の道のりを20分くらいで行ける。このくらいのスピードで歩いてくれたらイライラすることもない。
問題は出発するまでだ。マイペースでテレビや絵本が大好きなので、どうしても支度が遅くなる。とはいえ、着替えなど自分でできることが増えてきたから、2年ほど前に比べるとずいぶん楽になった。
保育園に寄ってもまだ余裕があるので、時間はかかるが混雑が少ない経路で会社に向かう。たいていは座れるので、睡眠を補充したり本を読んだりできる。ほんの1週間前までは携帯電話の操作すら難しい状態で通勤していて、会社に着くまでに疲労感を覚えるほどだったから、まさに雲泥の差だ。
時差通勤は3週間限定ということになっているが、元の生活リズムは戻りたくない。ゆえに、これからしばらく継続的な実施に向けた多数派工作をしていく所存である。

世界史人物探訪(9)ゲラルドゥス・メルカトル Mr.Indigo

  • 2020.03.03 Tuesday
  • 07:00

 

−皆さんこんにちは、平賀千兵衛です。世界史に名を残したさまざまな方々のインタビューをお届けする当チャンネル。今回はゲラルドゥス・メルカトルさんにお話を伺います。よろしくお願いします。
「どうも、よろしく」
−今回はジョン・ディーさんからのご紹介なんですけど、ディーさんとは長いお付き合いなんですか?
「もう40年くらいかな」
−どんな方なんですか?
「真面目でストイックな男だよ。大学で一緒だった頃、あいつは毎日4時間くらいしか眠らず、食事と睡眠以外はひたすら勉強だった。今はわからぬが…」
−すごい生活ですね。最近はウィリアム・ケリーという男と組んで魔術のようなことをやっていたようですが…。
「まあ、あいつらしいという気はするよ。真理の追求こそがあいつの全てなんだ」
−なるほど。
「ただ、これだけは間違いなく言える。ディーがいなければ、わしの地図はこれほどの精度にならなかったはずじゃ」
−そうなんですか?
「ああ。あいつの航海術の研究は本物だ。船乗りが持ち帰った情報がないと、精密な世界地図は作れぬ」
−確かに…やはり偉大な方なんですね。
「うむ。しかし誰しも年には勝てん。老いを感じ、自分が生きているうちに真理にたどり着きたいと強く思ったことが、判断を狂わせたのかもしれぬな…」
−なるほど。ところで、ディーさんもかなりご高齢ですが、メルカトルさんの方が先輩ですよね。失礼ですけど、おいくつですか?
「今年で77歳じゃ」
−すごいですね。
「なんのなんの。まだやるべきことはある」
−やるべきことって、地図のことでしょうか?
「ああ。世界全体の地図を集めた地図帳を制作しておるが、まだヨーロッパの一部しかできておらん」
−世界の地図帳ですか。すごいですね。
「確かになぁ…わしが子供の頃は、地球の裏側のことなどほとんどわかっていなかったからな」
−いろいろなことがわかってくると、地図もどんどん進歩しますね
「ああ、地図の制作に携わってもう50年じゃが、ずっと刺激がある。いい時代に生まれたもんじゃよ」
−そうですね。ちなみに50年間で特に印象深い作品は何でしょう
「1569年に出した世界地図かな。自分で言うのもなんだが、あれは画期的で評判も良かった」

−どこが画期的だったんでしょう?
「緯線と経線を垂直に交わるようにしたことじゃ。こうすれば航海の時に進むべき方角が簡単にわかる」
−それまでの地図はそうなっていなかったんですね。
「そういうことじゃ。この方法だと緯度が高い地域と低い地域で縮尺が違うことになるが、狭い範囲での移動なら問題ない」
−そうですね。
「あれを出した時にはもう57歳だったから、研究の集大成のつもりだったけれど、なぜか寿命をしっかりいただいたようでな。ならばもう1つ大仕事をしてやりたいと思うのだよ」
−体に気をつけて頑張ってください。さらなるご活躍を期待しています。
「ああ。まだまだ頑張るよ」
−それでは、どなたかお知り合いの方を紹介してください。
「わかった。盟友のアブラハム・オルテリウスを紹介しよう」
−本日はゲラルドゥス・メルカトルさんとお送りしました。ありがとうございました!
(1589年早春、ユーリヒ=クレーフェ=ベルク連合公国デュースブルクにて)

世界史人物探訪(5)〜(8)補足と解説 Mr.Indigo

  • 2020.02.29 Saturday
  • 23:51
5.フレゼリク2世(1534〜1588)
15世紀のデンマークはノルウェーおよびスウェーデンを支配下に置くヨーロッパ屈指の大国でした。しかし、16世紀に入ってからスウェーデンに独立を許し、王室の内紛もあったため、フレゼリク2世が即位した頃には勢威はかなり衰えていました。彼は再びスウェーデンを屈服させるべく戦いを挑みましたが、双方が多大な犠牲を出す痛み分けに終わりました。これが北方七年戦争です。
一方で、経済や文化は彼の治世に大きな発展を遂げました。近海を航行する商業船舶の積み荷に税金を課したことで国家収入は大幅に増加し、首都コペンハーゲンは大いに繁栄しました。
フレゼリク2世は陽気で豪快な国王だったといわれています。ゆえに本シリーズでも明るく前向きな人物として描きました。
6.ティコ・ブラーエ(1546〜1601)
デンマーク出身の天文学者で、フレゼリク2世の援助によってヴェン島に巨大な観測施設を建設し、研究に励みました。観測の精度は素晴らしく、望遠鏡が発明される以前としては最高レベルとされています。
彼は気性が激しい人物で、若い頃に決闘で鼻の一部を失い、その後は生涯付け鼻を装着していました。また、重税や労役で領民を苦しめたといわれており、宮廷での評判も悪く、フレゼリク2世の死後はデンマークを去ることになります。
ちなみにブラーエの最晩年にはヨハネス・ケプラーが彼のもとを訪れ、助手として1年半ほど働きました。ケプラーの業績のベースには、ブラーエが蓄積した観測データがあったとされています。
7.ルドルフ2世(1552〜1612)
神聖ローマ帝国の皇帝で、ヨーロッパ随一の名家ハプスブルク家の出身です。治世は30年以上に及びましたが、統治者としてはこれといった実績がなく、無能な皇帝だったといわれています。
一方、文化の保護者として並外れた活躍を見せ、プラハには各地から著名な学者や芸術家が集まりました。彼のコレクションの多くは現代まで伝わっており、数年前には日本でも「神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界展」という展覧会が行われました。アンチンボルトの『ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像』はご存じの方も多いのではないでしょうか。
ルドルフは生涯独身を貫きましたが、庶子はたくさんいたようです。宗教や政略結婚のような束縛を嫌い、自由に生きようとした人物だと思います。
8.ジョン・ディー(1527〜1608頃)
エリザベス1世に重用されたイングランドの学者で、かなり優秀な人物だったようです。また、エドワード・ケリーと組んで天使と交信しようとしたことでも知られています。
ディーとケリーは1583年にイングランドを離れ、ルドルフ2世などヨーロッパ各国の君主のもとを訪れました。しかし彼らの活動は成功に至らず、やがてコンビ解消となりました。この経緯や理由についてはわかっていません。妻を共有せよというご託宣は、ケリーがディーから離れるために出したという説もあります。
ディーは帰国後エリザベス1世によって学校の校長に任命されましたが、女王の死後は生活に困るようになり、晩年は貧窮していたといわれています。一方のケリーはルドルフ2世に疑われて投獄され、そこで世を去りました。
ケリーは本当に天使と交信できたのか、ディーを利用していただけなのか、あるいは2人で悪事を企んでいたのか。真相は闇の中です。
〜今後の展開〜
当初は3月中に日本人へ回すつもりでしたが、もうしばらくヨーロッパで繋いでいくことにします。宣教師や日本からの遣欧使節など東洋・西洋の双方に知人がいる人物は貴重で、数百回にわたって連載を続けることを考えると、序盤で消費するのは避けたいからです。
※今後、補足と解説は毎月末に公開します。よろしくお願いいたします。

世界史人物探訪PREMIER(8)ジョン・ディー Mr.Indigo

  • 2020.02.28 Friday
  • 07:01

 

−皆さんこんにちは。タイムトラベル系動画職人の平賀千兵衛です。世界史を彩るさまざまな方々にお話を伺う当チャンネル、今回はジョン・ディーさんとお送りします。よろしくお願いします。
「うむ、よろしくな」
−ディーさんは学者として、さらには錬金術師としても高名でいらっしゃいますが、まずは経歴について教えてください。
「わしは15歳でケンブリッジ大学に入り、数学や占星術などさまざまな学問を身につけた。そして24歳でイングランド王室お抱えの占星術師になったのじゃ」
−お若い時から優秀だったんですね。
「そうじゃ。その後もエリザベス1世陛下の信頼を受け、イングランドの統治を支えてきたのじゃ」
−ではなぜプラハ在住のルドルフ2世さんと面識があるんですか?
「あぁ、それはじゃな…話せば長くなるんじゃが…」
−長くなってもいいんで教えてください。
「50歳くらいの頃かな、積み重ねてきた学識をさらに深め、真理に近づくために、わしは天使と交信したいと思うようになった。しかし、残念ながらわしには無理じゃった」
−まあ、普通そうなりますよね。
「ところが、エドワード・ケリーという男が現れてな。自分は天使と交信できると言うのじゃ」
−はい。
「実際にやらせてみると、確かにこの男は大天使ウリエルと交信しているように見えた」
−それはびっくりしますね。
「そうじゃろ?わしは古文書などを徹底的に調べて、ケリーが言うところの天使が発する言葉を理解しようとした。そして、神が人間を創造なされた頃に用いられていたという太古の言葉にたどり着いたのじゃ」
−凄いですね。それからどうなったんですか?
「しかしながら、この話はイングランドで受け入れてもらえず、わしらは大陸に渡り何人かの有力者に会った。そこでルドルフ2世と知り合ったわけじゃ」
−そういうことだったんですね。その後の経過も教えてください。
「うむ。ところが、そのうちにケリーが変なことを言い出してな…
−どんなことでしょう?
「天使から『お前たちの妻を共有せよ』というご託宣があったとか言うのじゃ」
−はぁ…なぜそんなことになるんでしょうか。
「わからん」
−それでディーさんはどうされたんですか?
「…まあ、それからしばらくいろいろあって、奴とは袂を分かつことになり、わしはイングランドに帰った」
−いろいろって、例えばどんな…。
「それは言えん」
−わかりました。
「それが、わしが怪しい魔術に手を染めていたという噂が流れておってな。家は荒らされ、見るも無惨な状態じゃった」
−まあ、それは仕方ないのでは…。
「何を言う。怪しいのはケリーだけで、わしは何も悪いことはしておらん」
−さすがにそうはいかないでしょう。2人で何年もあちこち回ってたんだから。
「いや、奴が天使と交信できると言うから連れて行っただけで、わしはただ学者として真理を追求しただけじゃ」
−客観的に見て、説得力はないかと…。
「学のある者ならわかるはずじゃ。聞いてみるがよい」
−わかりました。では、どなたかお知り合いの方を紹介してください。
「よし。では旧友のゲラルドゥス・メルカトル氏を紹介しよう。わしが本当に怪しい奴かどうか、彼に聞けばわかる」
−はい、楽しみにしておきます。今回はジョン・ディーさんにお話を伺いました。ありがとうございました!
(1590年春、イングランド王国モートレイクにて)

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