2018年9月度三冠受賞記念 Mr.ヤマブキ

  • 2018.10.12 Friday
  • 00:00

 三冠は本当に久しぶりで嬉しいですね。いつ以来でしょうか。多分三、四年くらいは前な気がします。特に驚いたのはMVPで、本数で言えばMr. Indigoやはがりさんには遠く及ばない本数だったのですが、やはり鉄の海が百回を達成したということで、皆さんが気をつかってくれたのだと思います。確かに鉄の海はなかなか票に繋がりにくいですし、それを分かって書いているとはいえ、たまにはこういうこともいいのかもしれません。

 最優秀作品賞に選ばれたのは死亡診断書でした。まあ正直、以前に書いた非存在否定証明書の焼き直しみたいな作品でしたから、それほど票を集めないのではないかと思ったのですが、こちらもまあ何かの熱気に後押しされたという感じですね。文学的な要素というよりもホラー漫画みたいなテイストにもなっていて、伊藤潤二などの影響かもしれません。

 伊藤潤二といえば、奇想のホラー漫画家として名を馳せていますが、グロテスクな描写も多くその辺りは少し苦手です。考えてみればホラー漫画家を思い浮かべてみると、どうしてもグロテスクな描写が思い浮かんできます。僕自身はグロテスクな描写をあまり好まないのですが、恐怖漫画は割と好きなので、何かこの間に純粋な恐怖というものがあって、恐怖漫画からグロテスクさを引いたところにそれが見えるのではないかと考えます。

 しかし、純粋な恐怖とは何なのでしょう。もし全ての恐怖が死や痛みに繋がるものであるとするならグロテスクさとは不可分なのではないでしょうか。そのとき思い当たるのは暗闇の恐怖です。暗闇に何がいるわけではないが、暗さが怖い。それこそが純粋な恐怖なのかもしれません。いつかそれを実現する作品を書ければ、きっとそれも今回のように最優秀作品賞をとることができるのでしょう。

 少し話が離れましたね。テーマコンテストに移りましょう。今月は本当に激戦でした。良い作品がいくつもあって、なかなか勝ち抜くのは難しそうでした。ここで受賞できたのは本当に幸運としかいいようがありません。自分でも何が良かったのかはよく分からないのですが、最後の場面の奇想と恐怖の融合がうまくいったのかもしれません。……え、テーマを書いていない?そんなまさか。連絡を繋ぐことに疲れた連絡網人間が海に入水をする「海辺の連絡網」が受賞したじゃないですか。あの最後、「完璧な連絡網などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」と言って入水したシーン。……ふーむ、なるほど。どうやらこれは隣の世界の話だったようです。こちらはテーマを書かなかった世界のようですね。失礼しました。皆さん、投票はお早めに。

 

(Mr.ヤマブキは颯爽と四次元に帰っていく)

死亡診断書 Mr.ヤマブキ

  • 2018.09.27 Thursday
  • 18:54

 当直のことを夜勤と言われてささくれだってしまうのは、当直の前後も働いているのにそうでないみたいに聞こえてしまうからだろう。朝、夜、朝と来て、そろそろ連続で35時間くらい働いていることになるのだが、長く自分が診てきた人が亡くなりそうで帰るに帰れない。当直医に任せればいいのだが、忍びない気持ちになる。

 最終的に、一時間後にその人は亡くなった。最期を看取り、家族に挨拶をした。そこは何とか気力でもったが、死亡診断書、死亡届を書くところは朦朧としていて、とにかく早く終えたかった。振り返ってみれば、正直、乱雑な字になっていたように思う。後になって申し訳ない気持ちが湧いてきた。

 

 三日後、亡くなった某さんの担当に、とのことで病院に電話がかかってくる。

 

「そちらで発行いただいた某さんの死亡診断書の件ですが、誤ってKさんという別の方の名前と生年月日が記載されていました。ですので死亡診断書の再発行をお願いできますでしょうか」

 

 朦朧としていたせいで、何と自分の名前を書いてしまったらしい。書類関係で、つい自分の名前を書いてしまいそうになることは確かにあるが、本当に書いたまま出してしまうとは恥ずかしい。

 

「すみません、それは私です。間違えてしまいました」

「そうでしたか。実は、こちらの死亡診断書については今しがた受理されたところです」

「え、はあ。キャンセルしていただけるんですよね」

「申し訳ありません、こちらで処理することはできかねます」

「そんな。……つまり、死んだことにされているわけですか?そちらが受理したことですから、どうにかしてもらえませんか」

「一度受理されましたら恣意的な運用はできません。法治国家の根源に関わる問題です。大変お手数ですが、死亡診断の解除は所定の手続きをお願いします」

 

最終的に受理したのは役所のほうなのだからあまりに理不尽だと思ったが、元を正せば自分にも非があるので、その負い目を解消する方向に心は動いた。

 

「仕方ないですね、分かりました」

「最後に先生のお名前を伺ってもよろしいですか?」

「最初に言ったじゃないですか。Kですよ」

「いえ、K先生は亡くなられておられます。先生は、どちら様でしょうか?」

 

 それを聞いて一気に鳥肌が立った。不気味なやりとりだった。死んだことにさせられている。単なる書類上の定義が現実の僕自身の生死を規定しようとしている。頓珍漢な職員だという印象は、一気に暗い沼に潜む得体の知れない何かという印象に移り変わった。思わず電話を切ってしまった。

 

 

 本人でないと死亡を覆す手続きができないということだったので、それからすぐに市役所に向かった。窓口に出たのは中年の女性だった。

 

「所定の用紙ですね。お預かりいたします。ご本人を確認できるものはありますか?こちらの運転免許証ですね。分かりました、少々お待ちください」

 

 奥に下がった彼女は主任と思われる男性としばらく話し込んで、書類を持ったまま戻ってくる。

 

「申し訳ありません。こちらの運転免許証に登録されていますKさんはすでに亡くなられていますので書類の受付はできません」

「いや、だから間違って死亡で登録されてしまったので、それを訂正するための手続きですよね。それを死んだことになっているから本人じゃないって扱われてしまったらどうやっても死亡を覆せないじゃないですか」

「大変申し訳ございませんが、決まりですのでお納めください。恣意的な運用は法治国家の根源に関わる問題ですから」

 

 きっと奥のあの主任が電話の主なのだろう。ここで引き下がっては生き返るチャンスが二度と来ないかもしれない。主任を呼ぶように言って、直接交渉することにした。

 結局、全く埒が明かなかった。向こうが言うには、死亡診断を覆す正式な手続きが必要で、かつKは死亡扱いなので僕はKではない、ということだった。だがそうなると本人しか申請ができないため論理的に申請ができない。そこはルール通りの運用をするのが仕事だと突っぱねられてしまう。じゃあ僕を死体だと思っているのか?と聞くと、そうではないが、誰だかは分からないと言い切る。

 とうとう根負けして、マスコミにでも訴えるつもりで、その日は一旦引き下がることにした。

 

 

 病院に戻って、仲の良い同僚に愚痴を言う。

 

「聞いてよ。間違って書いた死亡診断書が受け付けられてしまって、死人扱いされてるんだ。間違った診断書だって言っているのに僕は死んだことになってるからキャンセルは受け付けられないんだと。訳分かんないよなあ」

「え、それは大変ですね……、ところで先生、お名前を伺ってもよろしいですか?」

 

 冗談だと思ったが、目があまりに真剣で、嘘が苦手な彼にそんな芸当ができただろうか。とても確かめる勇気などなかった。返事もせずに彼のもとから逃げ去る。

 

 仕事に戻っても、正体不明の医師として見られているのではないかと思うと全く進まなかった。電子カルテはIDとパスワードさえ入力すればK医師として扱ってくれるので、よっぽど暖かみを感じた。機械の方が平等で公正で、それだけがわずかな救いだった。何とも情けない話だ。

 そのまま電子カルテ上で、処方や点滴などの入力だけでも済ませていると、看護師が声を上げ始める。その向こうにはあの某さん夫婦が立っていたのだ。

 

「主人が大変お世話になりました」

「これは……一体?」

「自宅に連れて帰って葬儀を待っていたんですけれども、突然主人が目を覚まして棺から出てきました。もう本当に嬉しくて嬉しくて。皆様方によくしていただいたおかげで起こった奇跡だと思います。本当にありがとうございます」

 

 某さんも言う。

 

「皆さん本当にありがとうございました」

 

 某さんの死亡診断書をまだ書いていなかったことを思い出した。もう書く必要はないだろう。仮死とともに生前付けられていた末期癌の病名も捨て去られ、きっと某さんの体からは病さえ消え去っただろう。驚きと共に絶望的な気分になる。

 

 今、私の周りには銀蠅が舞っている。

2018年7月度テーマコンテスト受賞記念 Mr.ヤマブキ

  • 2018.08.23 Thursday
  • 00:00

 全くひどい目に遭いました。どうやら戻って来られたようですが、もう二度とこんなことは懲り懲りです。命懸けで投稿したわけですから、テーマコンテストを獲れて本当に良かったと思います。そうでなければ拗ねていたところでしょう。実際には同着でしたし、僕はIndigoさんに投票しませんでしたがIndigoさんは僕に投票していましたから、実質的にはIndigoさんが優勝という気がします。選挙で立候補したらら普通は自分に投票しますから。でもまあとにかく結果が大事というのも今風の見方でいいですよね。同着が続いてあまり三連覇という実感はないのですがが胸を張りたいと思います。

 しかし最近のテーマは難ししすぎると思います。たまたまこんな事故があって投稿できたからよかったですが、誰がこんなテーマにしたんでしょう。以前の「かんげき」もそうですし、次の「宇多田ヒカル」なんてどうしていいいか分かりません。これを使ってください、と目の前にドラゴンフルーツを置かれた和食料理人の気持ちです。つまり、やってやるぜという気持ちがないわけではありません。ただだ、実際に自分の手持ちのカードを数えてみますと、多分次はテーマの選択権がないと思思いまます。今のうちに難しそうなテーマにしておきます。。断末魔の叫びというわけけです。というわけで、「連絡網」を次回のテーマにしたいと思います。

 ……確か、これでよかったですすすよね。なんだか自信んんがありません。何となしに全てに確信が持てなくて、存在してしていること自体が浮遊してていいるような落ち着かない感覚ばかりなななのですす。もしかかすると、ここも似て非なる世界なのでしょょょうか。帰ってきたと思ったら無限にあるパラパラレルルワードルドルルドの一つにままm迷い込んだだけだっtたのかもししれまsせん。そうなののでしょうか?本ん当にそううなのでしょうかか。認めたたああくありりmませnnn。だたただ、何とととなく勝っっt手がが違うkことだけけけけは分かかりrりかりmまああすす。。。だとととsすすrrrれば私たしたしは本当ははどこののの誰なんなんんででしょうううう。ここここkkkここはああどここなんんんdeでしょしょうう。誰kかわわ私を連れれd出ししてくさい。早、おおお願いsしまますす。こおおこのまmmまでははも、はやどここにににも行けなあ行けな行けなああくなってしままっままうででではaああぁありせんんんかかかk、、、。。ddだあれk

全ての狂気は正常です Mr.ヤマブキ

  • 2018.08.04 Saturday
  • 23:58

 仕事終わりにコンビニで発泡酒を買うのが日々の大きな楽しみです。冷えた棚には金や銀に輝く缶ビールや発泡酒が所狭しと並べられています。一つ取り出すと一つ押し出され、無限に広がるようでつい嬉しくなってしまうのです。

 そのうちのさほど高くない銀色のラベルの発泡酒と、おつまみの柿の種を買って会計に向かいました。273円でしたから、100円玉を3枚並べてカウンターに置きました。一瞬の間がありました。端数の小銭を出さないか待っているのだろうと思い、伏し目で通していたのを起こし、店員の顔を見ました。すると、若い男性店員に困惑の表情が浮かぶのです。

 

「これでお願いします」

 

 そう言うと彼はますます困惑し、恭しく尋ねます。

 

「すみません、273円になりますので……」

 

 誤って50円玉を出していないか、思わず確認してしまいました。

 

「なので300円を出しているんですけど」

「273円ですから、500円なら分かりますが、300円では足りないですよね?」

 

 明らかに店員は苛立ち始めていました。しかし、それはこちらも同じでした。273円を払うのに300円を出したら、足りないから500円を出せというのはどういう料簡でしょうか。

 

「300という数字は273より37だけ大きいですよね。だから僕が300円を出したら商品を貰って、さらに37円のお釣りをもらうべきでしょう」

 

 店員の顔にはミルクティーみたいに苛立ちと困惑が混ざり合っていました。後ろを見ると缶ビールを持った中年男性が怪訝な表情でこちらを見ていました。それらの表情が一層僕を苛立たせます。

 

「小学生でも分かる計算でしょう!早くレジを済ませてよ!」

 

 店員は一歩あとずさりしました。後ろの客が声をかけてきます。

 

「お兄さん、落ち着いて。悪いことはしないから。落ち着いて」

「聞いてくれますか?273円のものを買おうとして300円を出したら500円じゃないとだめだって言うんですよ?」

「お兄さん、その、多分、疲れているんでしょう。落ち着いて考えてみてください。273円のものを買うなら500円は要りますよ。店員さんの言う通り、500円を払いましょうよ。悪いことにはなりませんから。ちゃんとその発泡酒も飲めますよ」

 

 訳が分かりませんでした。普段は落ち着いている方だと思うのですが、あまりに衝撃的で混乱して叫んでしまいました。怯えた店員にすかさず警察を呼ばれてしまいました。店員と客と、行ったり来たりの押し問答を繰り返しているうちにパトカーが到着して、興奮しすぎたことに気づきました。

 

「お客さんが暴れていると聞きまして。あなたですか?」

 

 全ての視線は僕に向けられていました。でも、これはチャンスだと思いました。やっと外からまともな人間が来た、これでようやく分かってもらえるだろうと安堵しました。

 

「少し声を荒げたのは確かですけど、事情も分かってください。僕が273円の品物を買おうとして300円を出したら、足りないから500円を出せと言うんです。この人たちがおかしいんですよ。だからそれを正そうと言い合いになってしまって……」

 

 二人の警察官のうち、上級と見える警官が言います。

 

「事情は分かりました。まあ、とにかくこちらで話をよく聞かせてください。店は逃げませんから後でどうにでもなりますよ」

 

 そうして僕はパトカーの後部座席に乗せられました。話を聞くと言ったのに、その前に車は発進しました。その間、隣の下級の警官が話しかけてきました。

 

「大変だったでしょう。273円のものが300円で買えないなんて。いや、本当に。全くですよ……」

 

 てっきり警察署に連れられると思っていた僕は病院に着いたことに驚きました。また怒りがこみ上げてきました。彼らは理解者を装う裏で、僕を頭のイカれた奴だと笑いものにしていたのです。

 

「こんなところへ来てどうするんですか!警察署でしょう!いやもうここで事情聴取をしてください!」

「いいから早く降りて」

 

 冷たくて、有無を言わせぬ高圧的な物言いでした。警察を相手していることを嫌でも思いおこします。従わざるを得ませんでした。

 真っ白な病院の奥には簡易的な診察室があって、屈強な男性看護師がいました。すぐに医師もやってきました。

 

「先生、僕は何も悪いことはしていません。至って正常です。話を聞いてもらえますか?」

「もちろん。どうぞ」

 

 先ほどのことがあったので慎重になりました。友好的に見えますが、精神科医は疑り深いに違いありませんから。ただ、精神科医であれば自分の正常さを証明してもらえるという期待もありました。

 

「コンビニで発泡酒と柿の種を買おうとしたんです。合わせて273円です。だから僕は300円を出したんです。そうしたら、足りないから500円を出せと言うんです。おかしいでしょう。僕はただそこで商品と37円を貰って帰ればよかったんです。なのに店員さんも他のお客さんも僕がおかしいというので、それで驚いて、パニックになってしまって、少し大声を出してしまったんです。ただそれだけです」

「よく分かりました。買えると思っていたものが買えないと驚きますよね」

「そうなんです。本当に困ります。こんなとこまで連れてこられて先生にまでご厄介になるなんて」

「いえいえ、いいんです。ところでKさん、興奮して疲れたでしょう。ここで休んでいきませんか。しばらくの間ですよ。心を静める薬もありますから」

「先生、それは、入院しろということですか」

 

 先生の眼光は鋭いままでした。

 

「そうです。少しお疲れのようですから」

 

 危険を感じました。このままでは、訳の分からぬまま入院させられ、隔絶され、精神異常だと診断させられてしまうではありませんか。やはりこの精神科医も信用ならない男だったのです。誰も彼もが共謀して陥れようとしてきます。権威に真っ向から挑んでも負けるのが目に見えていますから、ここは逃げるしかありません。僕はすっと立ち上がり、突然走り出しました。こうすれば着いてこれないだろうと思ったのです。しかし、診察室の出口には警官が待機していて、あえなく御用となりました。

 

「放してくれ!助けてくれ!」

 

 相手が警官だということも忘れて何とか逃げおおせようと力任せに暴れました。

 

「緊急入院だ!」

 

 精神科医がそう叫んだあと、僕はあの肉体派の看護師に取り押さえられたまま、ズボンを脱がされ臀部に注射を打たれました。そして眠りにつきました。

 

 目が覚めると独房にいました。むき出しの和式便所が部屋の隅に置かれていて、それ以外何もない部屋でした。扉は固く閉められていてとても空きそうにはありませんでした。ちょうどそこにあの精神科医が来ました。

 

「Kさんご気分はどうですか」

「ご気分はと言われても、こんなとこに入れられて……」

「昨日のことは思い出せますか?ここに来るまでのいきさつです」

 

 昨日は看護師に捉えられて注射を打たれて、その前は確か警官に連れられて、というのもそれはそもそもコンビニであの店員が訳の分からないことを……。

 

「発泡酒と柿の種を買おうとしたんです。273円だったのに300円を出したんですよ。そうしたら店員さんが500円じゃないんですかって親切に聞いてくださったんです。なのに僕は300円で買わせろと叫んでいたんです。おかしな話ですよね。273円なんだから300円で買えるはずがないじゃないですか。あのとき僕はどうかしてたんです。よく分かりました」

 

 話しているうちに頭の霧が晴れていくような思いでした。

 

「分かっていただけましたか。妄想状態にあったようですね。この薬を飲んでください。また妄想状態にならないように薬でコントロールしていきましょう」

 

 医師から赤い錠剤を渡されました。

 

「ありがとうございます。でも本当に笑っちゃいますよね。店員さんもびっくりしたと思います。273円なのに300円しか出さないなんて。ああおかしい。でもこれでようやく僕も”まとも”になりました。この薬で狂気から解放されました。先生、本当にありがとうございました」

【テーマ】24時 Mr.ヤマブキ

  • 2018.07.30 Monday
  • 00:00

 私の表の顔はしがない内科医ですが、病院を出ればいざ、ヤマブキという名の覆面作家に変身します。仕事が終わると喜び勇んで我が家に戻り、せっせと鉄の海を書きます。ショートショートも発想の種を蓄えて書いています。このプリミエールという素敵な場で皆様にお会いできること、ましてや講評までいただけることは私にとっての無上の喜びです。この場を与えてくださったA・ハッガリーニなる正体不明の編集長に感謝したいと思います。

 さて、2018年7月のテーマは「24」ということでしたので、私はとびっきりのショートショートを用意して、7月24日の24時丁度に投稿してやろうとパソコンの前に陣取っていました。24進法による時刻表示で面白いのは、1日は24時間と表現するのが一般的であるにもかかわらず24時という時間があり得ないことです。テレビの時刻表で24時半、26時などという表現は散見されますが、それは厳密には24進法ではありません。矛盾した言い方にはなりますが、厳密な24進法では24時という時間は存在しません。24時を示そうとすると、すでに0時0分になってしまうからです。

 そこで私は、7月24日23時59分59秒からまさにその1秒後を狙って投稿ボタンを押すことにしました。要するに7月25日0時0分なのですが、端からそう投稿するのでは意味がありません。7月24日23時59分から連続する時間の数直線上を自分自身が流れ、その流れの中で投稿するという行為こそが7月24日24時という時間を切り開くと考えたのです。

 意味不明だと考える人もいるかもしれません。でもあながち間違いでもないように思います。24時という時間は23時59分の続きにしかあり得ない数字なのです。どうにかして連続性を保つのに思いついたのがその方法でした。まあアマチュア作家のちょっとした趣向ですから、理論的な瑕疵は大した問題ではありません。とにかく24時を意識したパフォーマンスであれば何でもよかったのです。

 私は23時50分にはトイレを済ませ、投稿手順と作品の確認を行い、あとは投稿ボタンを押すだけというところでパソコンに向かい合いました。正直、退屈でした。せっかくのチャンスですから逃してはなるまいと思いながらも、実際に何もやることがないので暇な10分と言えたでしょう。ですが、23時58分くらいになってくるとさすがに緊張感が高まりました。さあ、23時59分です。57秒、58秒、59秒、……24時。

 うまくボタンを押せたのでほっとしました。今日はよく眠れそうだと思い、水を一杯飲んで、一息ついてパソコンの前に座りなおしました。本当にびっくりしました。モニターの右下に表示された日時には、2018/7/24 24:01と書かれていました。24時1分?

 それが0時1分と同義に見えて全く異なる事態だと気づくのに時間はかかりませんでした。0時1分は24進法の中に、普通の1日の中に埋め込まれていますが、24時1分はすでに24進法をはみ出しています。日付も25日ではなく24日ですから、要するに私は25日へと渡ることができなかったのです。24日と25日の狭間にある24日24時に迷い込んでしまったというわけです。おそらく、23時59分から24時0分に連続した結果、当然の帰結として、24時01分に連続したのでしょう。時間の連続性を体現するという私の理論は実証されたようですが、嬉しさよりも圧倒的に不安が勝りました。この狭間から抜け出す方法があるのか。私はどこへ向かうのか。そんなとりとめのない疑問が湧いては消え、消えては湧きました。

 手がかりを探すため、家の時計を見てみることにしました。結果、アナログ時計には変化はなく、デジタル時計の0時が24時に代わっているばかりでした。アナログ時計は12進法を我々が読み込んで24進法で扱っていますから、これも当然のことでしょう。長針が1を、短針が12を差すこの文字盤を、きっと24時5分と読まなければならないのだと思います。

 デジタル時計の方は電子機器類とは別に、目覚まし時計として使っている小さなものが一つありました。それをよく見ると4桁しか表示ができないようになっています。普通のことです。しかし、それが普通ではないのです。連続性の議論を敷衍するならば99時の後はどうなるのでしょう。いや、99時まで行くのかどうかも分からないのですが、本来なら99:59の後に100:00と表示されるはずです。ですがこの時計は4桁しかないのです。ということは、100時に移ることはできません。アナログの文字盤であれば意味さえ付与すれば無限に数えることができますが、デジタル時計はそうはいきません。すると、100時が来るとき、何かが起こるはずです。楽観的に考えれば0時に戻るのだと思います。終わりが来れば元に戻るだけの話です。悲観的に考えれば?……時は刻むのを止めます。全てが静止し、この世界は無に帰します。私もこの世界で静止し実質的に無に帰します。

 ああ、まさかプリミエールに投稿するちょっとした趣向がこんな危険な冒険になってしまうとは。趣向を凝らしたテーマ作品など投稿せず、高階などという女性に幻想なんとかを案内してもらえばよかったのです。あるいはいつものように罪のない人間をどん詰まりに追い込むような作品を書けばよかったのです。それがまさか私自身になるとは、因果なものです。結末はもう分かっています。100時を待つしかありません。99時59分の後、私が再び戻って来れるか、あるいはこのパラレルワールドで世界静止に巻き込まれるか。それすらも分からぬままこの話は終わりを迎えるのです。これはヤマブキの世界です。でも、ヤマブキの世界だって、たまにはハッピーエンドを期待してもいいでしょう?

【テーマ】眠りを丁寧に Mr.ヤマブキ

  • 2018.06.29 Friday
  • 00:04

良き眠りを求めましょう。

良き眠りを与えましょう。

 

良き眠りは良き覚醒から始まります。

木漏れ日の降り注ぐ時間に体を動かしましょう。

激しく運動する必要はありません。

ミケランジェロのように肉体を躍動させましょう。

 

良き眠りには良き準備が求められます。

夕食はたっぷりと時間をかけましょう。

スープを多めに、肉は少なめに。

最後の晩餐のように噛みしめて食べましょう。

 

入浴の際は浴槽にお湯を張りましょう。

熱すぎても温すぎてもいけません。

卵が固まるか固まらないかくらいの温度にしてください。

きっかり半刻浸かったなら、しっかり体を拭き、髪を乾かしましょう。

 

照明を一つ落として本を読みましょう。

カズオ・イシグロや川端康成のように美しい風景の描かれた作品を選びましょう。

ヴェルヴェットの如き時間を揺蕩うのです。

 

眠る前にココアは欠かせません。

鍋に引いたミルクを弱火でじっくりと温めてください。

たっぷりの砂糖とシナモンを足して温かいうちに飲んでしまいましょう。

 

パジャマは漆黒のシルクを着ましょう。

引っ掛かりのないパジャマが闇と同化することでしょう。

そこにあなたが溶け、あなたという存在者を抜け出した裸の存在が浮かび上がるでしょう。

そこでは意識が時空となり、あなたは全てで、全てはあなたです。

 

祈りましょう。

祈りましょう。

 

無宗教でも祈りましょう。

超越的な存在への根源的な畏怖を捧げましょう。

あなた自身を開放し、超自己的な存在全てにあなたを委ねましょう。

大いなる自然と、超自然が心に去来することでしょう。

心に石碑を建ててください。

去来した全てに言葉を刻ませなさい。

石碑の前で跪き、恐れ戦き、祈りましょう。

 

それでも眠れないとき、誰かが邪魔をしているかもしれません。

外に騒ぐ人がいれば静かにさせましょう。

あなたの神秘を妨げる者を許してはなりません。

その手に付いた血を洗いましょう。

それが誰の血であれ、きっとあなたはよく眠れることでしょう。

全ては神秘に帰ります。

 

 

おやすみなさい。

iron sea Mr.ヤマブキ

  • 2018.06.18 Monday
  • 00:00

 「Under the Iron Sea」を制作した頃、Keaneのヴォーカルを務めるTomはアルコールとドラッグに悩まされる生活を送っていました。彼はそのころを振り返って、「暗黒の時代だった。答えはUnder the Iron Seaの中にある」と答えています。また、ピアニストであるTimもインタビューでこんな趣旨のことを答えていました。「Iron seaという踏み込むことのできないバリアがあって、僕らは息苦しさを感じている。そんな僕らの世代の思いを代弁したかった」と。

 鉄の海はそんな閉塞感を込めています。救命を目指して燃える医療ではない、現代の一般的な医療の状況。高齢者医療が中心となり、生かすだけではなく、殺すわけでもない医療。救命に向かって次々と決断するのではなく、そもそもの目標を設定せよと次々と決断を迫られる医療。その中で茫漠とした状況に振り回され、医療の無力に絶望し、どうにもならない閉塞感を抱えた医療者の思いです。そして、時に煌くCrystal ballも(南木佳士はそれをダイアモンドダストと表現しました)。

 今はwordで書いて一部を投稿しているのですが、文字数を見るとどうやら99000字に到達しているようで、10万字もすぐそこです。ここまで来れたのも皆さんに読んでもらえていることと、それを直接投票コメントで聞けることのように思います。

 

「これからも『鉄の海』を読みたいので」

 

 いつもハッタリストさんはそうコメントしてくださいます。単刀直入な物言いこそ最も合理的です。本当に励みになります。これまでの分も含めて、ベストコメント賞を差し上げたいと思います。

 

 鉄の海については、今後は収束に向かっていく予定です。今の章が最終章になるだろうと思います。まだどれくらいの分量になるか分からないのですが、おそらく今年中には(毎週間に合えば)書き終えるような気がします。乞うご期待ください。

 

 他のコメントでは、ホワイトさんの「挿絵がとてもノスタルジックで、小学生のときに読んだ何かを読んでいるような幸せな気持ちになれた」というコメントは嬉しかったです。小さい頃読んだ本の挿絵はどれもなぜか少し不気味で絵画めいていた覚えがあります。まさにそれを意図した選んだ挿絵だったので、伝わったことが嬉しかったです。

 

 最後に、次のテーマについては意味深な「24」にしたいと思います。

【テーマ】間隙婦人 Mr.ヤマブキ

  • 2018.05.28 Monday
  • 00:22

 安い物件には色々理由があって、ここを選んだときは駅から多少遠いくらいかと思っていたが、いざ住んでみると分かる。こちらのベランダのすぐ向かいにもう一棟アパートがあって、その廊下側が面している。要するに、丸見えなのだ。どちらが丸見えなのかこの際不問に付しておくが、とにかく落ち着かない。特に、夜寝る前にベランダで煙草を吸う習慣があるせいで、飲んで帰った住人が廊下を歩いて自室へ入るまでの一部始終を目撃する羽目になる。ほとんどは途中でこちらに気付くので、気まずそうに鼻歌を止めてさっさと自宅へ入ってしまう。

 そこに新しい入居があった。といっても元々空いていたのも知らなかったし、ただある日、廊下で見かけた見知らぬ女がさっと部屋に入っていっただけのことだった。その女は濃い青の嵩高い帽子を被り、こちらに気付くと目深にして、走るみたいに速足で扉の向こうへと逃げ込んだ。変わった女だと思ったが、見かけたのはそれきりだった。

 

 挿絵1

 

 その夜、いつものように煙草を吹かしているとガチャリと小さな音がした。星の瞬きの聞こえてきそうな静かな夜、それ以上の物音は聞こえなかった。特に気にもしなかったが、しばらくして刺されるような居心地の悪さに気付く。ベランダの向かいでは、玄関の扉の一つがわずかに開いている。目だ。たった5cmの隙間から誰かがこちらを覗いている。あの扉は、例の女が逃げ込んでいった部屋だ。変わった女。あの女なら合点がいく。とはいえ、何のために?安部公房は「見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある」と言った。あの夜に僕が彼女を見たことへの腹いせだろうか。逃げるような足取りは、確かに見られることへの憎悪があったはずだ。それ以上、何が起こるわけでもないが、不気味さは一層増して、さっさとベランダから撤退してカーテンを閉め切った。

 それからというもの、ベランダでの喫煙は止めざるをえなくなった。大丈夫だろうと閉め切ったカーテンを少し開けてみると、いつでもあの女がこちらを覗いているのだ。ほんのわずかな隙間から目がこちらを探っている。目的もよく分からないが、だからこそ気味が悪い。家にいてもあの女のことが頭を離れず、見透かされてしまうような心持ちで、とにかくカーテンから離れて生活をするようになった。

 しばらく寝苦しい日が続いた。喉が渇いて闇の時間に目が覚める。キッチンへと立つと、カーテンの下から光が漏れていた。心拍数が上がる。カーテンを人差し指と親指でつまんで恐る恐る開ける。目だ!ライトを持って、顔を窓ガラスに張り付かせた女の目がこちらの姿を捉える。大声をあげて、慌ててスマホを取って警察に連絡する。どうしました?……すでに女の姿は無かった。説明に困る。せいぜい不法侵入くらいのものだが、証拠もない。経緯を一から話してみたが、見られるばかりでほとんど何も起こっていないのだからまともに取り合ってはくれなかった。女の目が思い出される。カーテンを開けるかどうかなど分からないのに、ベランダで一晩中覗き見ようとしていたかと思うと、その異常性に体が震える。

 

 挿絵2

 

 もうベランダで煙草を吸うなんてことは考え付きもしなかった。どこから見られているか分からない。窓という窓はカーテンで閉め切ってしまった。それでも、心は落ち着かない。寝苦しい夜に女の夢でうなされる。女が家に入ってくる夢をすでに何度も見た。今日も同じ夢、女が家に入りベッドに近づいてきたところで夢であることに気付き、夢と現実の狭間へと意識が連れ戻される。目を閉じたまま、イメージだけが頭の中を駆け巡る。体が暑苦しい。顔ものぼせたように暑い。手で顔を拭う。手も暑く感じる。嫌な感じがする。やたら顔や手が暑いのは……ゆっくりと手を下ろし、目を開いてみる。目だった。体熱が感じられるほど近づいた女の顔だった!

 

 

※挿絵1 モディリアーニ作

※挿絵2 中野健夫作

雲山 Mr.ヤマブキ

  • 2018.05.04 Friday
  • 00:00

 清太が孝の引っ越しの話を聞いたのは、枯葉も残らぬ真冬の頃だった。鈍色の不揃いな空模様が学校の裏山を超えて広がっていた。いつものように二人で下校した途中、一言も話さなかった孝が、ぽつりと言ったのだ。孝だって勇気を出して言ったのだろう。二人の仲であんなに言いにくそうなのは初めてだった。清太も何も言えなかった。寂しさと、寂しさを口にする気恥ずかしさがあった。そのうちに、大粒の牡丹雪が、ひとつ、ふたつと舞い落ちて、二人が別れる頃には白い夜のように町を包んだ。清太が遠ざかる孝を振り返ると、孝も清太を見ていた。清太はすぐに向き直り、やたらに歩を速めた。

 それから、清太はいつか孝の教えてくれた、石を食べる動物の話を思い出していた。消化を良くするために食べるのだと孝は熱弁を振るったが、清太は胃が重いだろうなと思った。丁度、そんな気分だった。孝とは変わらずに遊んだけれど、透明な一枚の膜を隔てているような、二人にしか分からない距離があった。

 そうしてそのまま冬は去ろうとしていた。道端の蕗の薹が残雪の中から顔を覗かせる。孝の引っ越しは刻一刻と近づいていたが、清太は何もできないままでいた。焦燥から、居間やら仏間や奥座敷を忙しなく回って祖父に叱られた。仕方なく、奥庭で大人しくしていた。

 孝の父は転勤族だ。孝がこの町に来たのは五年前で、また家を替えるのだという。地主の家に生まれ、この町の外へ出かけたのも数える程しかない清太には、とてもその気持ちを推し量ることはできなかった。ただ、巨大な不安があって、それに相対しているのはもはや孝なのか清太なのか分からなくなっていた。居たたまれなくなって懲りもせず庭の飛石を一つ飛ばしに歩いてみる。左手には石灯篭と松が置かれ、右手には池がある。赤、白、黒の三匹の錦鯉が頭を揃えて艶やかに泳いでいた。水面に波紋が広がる。そのすぐ隣にもう一つ波紋が広がる。残雪を解かさんばかりの日光はすでに翳り、雨が降り始める。一気に雨脚は強まり、庭奥の竹林を白く染め上げた。その模様を清太は廊下から見ていた。くすんだ木目から冷気が忍び寄る。村雨に冴え返ったようだ。清太は、来るぞ、と呟いた。

 次の朝はよく晴れた。清太は孝を誘って学校の裏山を登った。道には蕨が芽吹き、青葛が黄色い蕾を付けていた。小さな動物の糞が転がり、その側を名も知らぬ虫が通り抜ける。鶯の囀りが響き渡る。春の気配だ。清太は胸が締め付けられた。とりもなおさず、それは別れの気配だからだ。

 とうとう山頂に登りつこうかというところ、木々が突然無くなり、一気に視界が開ける。わあ、と孝が歓声をあげる。雲海だ。山頂の周りをぐるりと雲が覆っている。連なる山々に囲まれたこの町をすっぽりと隠し、さらにその奥までも伸びている。白縹の淡い空模様に春霞が化粧染みて、溶け合わさり、清太たちのいる山頂と、雲と空と、太陽までもが一続きに感じられた。孝が遠くを指さして、あそこが次の町だよ、と清太に教えた。清太が黙って目を凝らしていると、孝はありがとう、と呟いた。

 引っ越しの日、清太は一家で孝を見送った。清太は孝と、父母は父母同士で手短に別れを伝えた。孝たちが車に乗り込むと、清太は父母の静止を振り切って車の真後ろに陣取った。すると車の排ガスが清太を直撃し、咽て顔を背けているうち、孝の乗る車はすでにだいぶ離れていて、すぐに路地を曲がり消えていった。あれだけ恐れていたのに、あっけない別れだった。だが、清太の心は晴れやかさを取り戻しつつあった。清太は空を見上げた。孝の住む新しい町とも雲続きのような気がした。

【テーマ】日めくりカレンダー by Mr.ヤマブキ

  • 2018.01.28 Sunday
  • 00:00

 消灯!と鋭い声が響き暗闇が訪れる。僕はこっそりと独房の日めくりカレンダーを一枚めくる。今日という日を終え、一日、一日、とその日が近づいてくる。僕の命日になるだろう。徐々に近づいてくる死の足音は確実に大きくなってきて、その一音ごとに体が震えてしまう。まだ人生に色んな悔いがあって、なおさらだ。そもそも僕が死刑にされるのも冤罪なのだ。一家三人惨殺事件の単独犯として挙げられたのは、宅配で訪問したときの扉の指紋という薄弱な証拠だけだった。無実を訴えたが他にめぼしい犯人もおらず検察のメンツもあってか、そのまま犯人に仕立て上げられてしまった。両親のもとに良識を名乗る報道陣が押しかけ、僕の生い立ちや生活歴が暴かれ、無いことまで好きに書き足されてしまった。両親が今も信じていてくれるのは嬉しかったが、だからこそ迷惑をかけたことや早くに自分が死んでしまうことが心苦しくてならない。

 死刑の日は当日に知らされることになっている。午前九時に刑務官がやってきて、十時に執行される。九時が近づくと死刑囚たちの空気は張り詰めていく。その時間を過ぎると徐々に緩まって、九時半ごろになるとすっかり元通りになる。皆、明日がそうかもしれないと思いながら一日を過ごす。カレンダーを一枚めくることで、今日一日生き延びたことと明日死ぬかもしれないことを確認する。そうしないと自分が時間の中でどこにいるのか分からなくなってくるのだ。どこかで突然死ぬことは分かっていて、それ以外に行くべき方向はない。流れるべき方向がないから時間は留まったままだ。その僅かな頼りがカレンダーだというわけなのだ。

 

 その日の午前九時、いつもの緊張の後に刑務官が僕の部屋に入ってくる。今日が死刑執行日であることを言い渡される。とうとうこの日が来たのだ。言い渡されたとき、自分ではもう少し落ち込むだろうと思っていたが、案外晴れやかな気持ちになっていた。死に怯える日々が終わると思うと逆に清々しい。ここに至って急に覚悟も出来てくる。

 仏間に通され、次の部屋に案内される。死の準備を整えるためのようだったので遺書に両親への感謝を記した。その他には何も希望しなかった。白装束に着替え、執行場に通される。首に縄が巻かれる。足元の床が開けば終わりだ。人生を振り返ろうと思うが縄の感触や埃っぽい処刑場の匂いにばかり気を取られる。いつだろうと思っていると後ろから足音がして刑務官が入ってくる。

 

「死刑は中止だ」

 

 わずかな安心の裏から強烈な不安が這い上がってくる。

 

「どうしてですか」

「それは知る必要はない。死刑は中止だ」

 

 またあの死に怯える日々を送るのだ。死と後悔に煩悶するあの夜闇。不安に包まれた見せかけの安寧。一枚一枚カレンダーをめくり正気を繋ぎ止めるあの日々を。仮初の覚悟はあっさりと吹き飛んで、絶望に満ちた独房へと戻されてしまう。今晩もまた、カレンダーを一枚めくる。

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