トラック by Mr.ヤマブキ

  • 2017.10.08 Sunday
  • 00:00

 トラックを歩いている。

 ほかのやつらが、お前は走らないのか、と聞いてくる。

 俺は歩くだけで精いっぱいなんだ。気を抜けば右足と左足を同時に出してしまいそうになるし、左足を踏ん張って左足を出そうとしてしまう。

 だが、走れないんだ、と言ってしまうのはよくない。歩くので精一杯の特殊な人間。彼らだって表向きは温かい声をかけてくれるだろうが、取り巻く世界は一変する。その瞬間から空気は破れ、特殊な人間としての微妙な関係へと落とし込まれてしまう。そいつは避けたい。

 だからわざとすかして言うのさ。

 

「こんなもん歩いてりゃいいのさ。お前ら、何のために必死に走るんだ?」

 

 ここがたとえオリンピックの決勝だとしても歩くがな、と一人毒づく。誰もが普通にできることをできない何か欠落した人間よりも、わざと尖っている人間でいるほうがよっぽど楽なのだ。

 さて、そろそろ止まるというのはどうだろう。歩き疲れた頃だ。……だめだ。走れるふりをするのに止まるやつなんていない。歩いているからこそわざと走らないやつみたいに見えるのさ。

 悪くないレトリックだと我ながら感心していると、右足に左足が引っかかる。こけそうになるが、何とか左足を前に出して踏みとどまる。すかさず周りを見回すが、誰も気づいた風はない。なんだかんだいって皆自分が走ることに必死なのだ。ほっとして、また歩き始める。

 簡単に走れるということがうらやましい。走り方が全く美しくない連中でさえ、羽ばたくように見える。

 後ろから声をかけられる。

 

「いつまで歩いてんだ。足でも悪いのか」

 

 ひやりとして振り向くと奴はさっそうと俺を抜き去っていく。顔を見るとにこりと笑っていて冗談だったと分かる。むきになって、いっそうゆったりと、肩をいからせ、足を開き、鷹揚に歩く。歩き続けてやるさ、このまま何周でも。お前らは知らずに走り続けているが俺にはこの虚勢ですらいつまで続けられるか分からないんだ。頼むから気付かないでくれ。そして気付いてくれ。

世間 by Mr.ヤマブキ

  • 2017.09.08 Friday
  • 00:00

 Aがテレビを見ていると、地震で日本が沈むという話題が取り上げられていた。テレビのバラエティのやること、所詮信憑性の低い話だと聞き流してはいたのだが、夜眠る前になってなんとなく思い起こされる。地震には敏感だからだろうか。ばかばかしいと一蹴してそのまま眠りに落ちた。

 

 翌日、ABに、日本が巨大地震によって沈没するという話をした。

 

「……という話があるそうね」

「ふふふ、そんなわけないじゃないの」

「私もそう思ったんだけど何だか気になっちゃって」

 

 家に帰ったBはばかばかしい、と思いながらもその話を思い起こしている自分に気付いた。

 

 翌日、BCに、日本が巨大地震によって沈没するという話をした。

 

「……という話があるそうね」

「ふふふ、そんなわけないじゃないの」

「私もそう思ったんだけど何だか気になっちゃって」

 

 翌日、CAに、日本が巨大地震によって沈没するという話をした。

 

「……という話があるそうね」

 

 Aは驚いた。

 

「えっ?その話私も知ってるわ。気になってたのよ。テレビでやってたからはじめはばかばかしい話だと思っていたんだけど、案外そうでもないのかも」

「別の人から聞いたのよ。その人も誰かから聞いたって言ってたわ。結構広まってる話なのかしら」

 

 Aはあのテレビ番組を振り返る。ヨイショの上手いひな壇の芸能人たちすらそんなわけないと笑っていたけれど、地震研究家の人がこれまでのデータから解析すると一年以内に日本は沈没すると言っていた。周りのたくさんの人たちもそれを知っているみたいだ。

 

 翌日、ABに会う。

 

「この間の地震の話覚えてる?ほら、日本が沈没するって話。どうも私の知り合いもその話を聞いたみたいで」

 

 翌日、BCに会う。

 

「あのときの地震の話なんだけどね、私の知り合いが他の人からもそんな話を聞いたって言ってたのよ。笑われるかもしれないけど、私何だか怖くなってきちゃって」

「うそっ?実は私もあの後、知り合いに同じ話をしたら、その人もこの話知ってたの。やだ、どうしよう。みんな知ってる話なのね」

 

 その夜、Cは夫に相談した。

 

「日本が沈没するってみんなが言ってるのよ。逃げた方がいいと思うの」

「何言ってるんだ。そんなわけないだろ。みんなって誰だよ」

「はじめはBさんから聞いたけど、Aさんも知ってたし、その二人も知り合いが知ってた話って言ってたのよ。こんなあちこちから聞くなんて普通じゃないわ」

「じゃあどうするっていうんだ」

「引っ越すのよ、海外に。あなたが嫌なら私だけでも引っ越すわ。さようなら」

 

 

 こうして三人は今、それぞれ別々の国でたくましく暮らしている。そして、口には出さないものの、日本が沈没する日を待ちわびている。

恐怖 Mr. ヤマブキ

  • 2017.08.06 Sunday
  • 00:00

 真っ白な建物の中の一室に通される。中央の一台しかない椅子に腰かけると若い女性にエプロンをかけられる。死に装束というわけだ。こんにちは、と入ってきた歯医者が口を開けるように言う。

 

「それでは麻酔しますね」

 

 歯茎に鈍い痛みが走ると徐々にしびれが広がってくる。

 どうしても歯医者に行きたくなくて、歯の痛みを無視し続けた結果だから仕方ない。小学生の頃から歯医者は苦手でずっと避けてきたのだが虫歯なしで生き通せるほど甲斐性でもなかったようだ。

 別に痛みが怖いというわけではない。麻酔自体は少し痛むものの、なるべく痛くないようにと心掛けてもらえるので困ることはない。

 

「じゃあ削っていきますね」

 

 水が跳ねてもいいよう目元にタオルをあてがわれる。視覚が遮断されたとき、残る四感は研ぎ澄まされる。引っ張られた口元から冷たい金属が侵入してくるのが伝わってくる。無慈悲に高速回転を繰り返すドリルの冷気が歯に染みる。南米の奇妙な昆虫の羽音のような高音とともに歯が削られていくのが分かる。押される感覚はあるが痛くはない。ただどうしても気になってしまう。自分の口の左側で歯も容易に削ってしまうドリルが回っていて、もしそれに舌が触ってしまったらどんな恐ろしいことになるだろう。舌を構成する筋線維が削り取られ細胞一つ一つがばらばらに千切れてしまう。新鮮な生暖かい血液が流れ出し鉄の香りに包まれた激痛に襲われる……。身震いをして考えるのをやめる。

 

「動かないでねー、何かあったら手をあげてくださいねー」

 

 舌を右に、右にと寄せるのだが、右を意識することは左のドリルを意識することで、気付けば左に舌が寄ろうとしている。はっと気づいて右へと戻す。これが嫌で歯医者は好きになれないのだ。

 でも、本当に恐れからだけなのだろうか。高い屋上で柵の手前まで来たとき、少し倒れこむだけで死んでしまうのかと震える足で魅入られてしまう。運転していると少しハンドルを右に切るだけで大事故だと思って体が硬くなるが心は右に切るハンドルをつぶさに想像してしまう。恐れているくせにその恐ろしい結末を想像せずにはいられない。いつかうっかりその想像に引き込まれてしまうのではないかと思う。そう思うと、この口腔内の冷徹なドリルが舌を削り取る瞬間がありありと感じられて逃れられない。右だ。右に寄せないと削り取られてしまう。理性は叫び、頭の中でイメージを打ち消すようにするのだが、その執着こそがイメージへの執着となりますます肥大化していく。もはや舌の位置がどこにあるのか分からない。右に寄せているつもりだが、イメージに囚われて冷静になれない。全身に汗が滲んでくる。

 

「……あああっ!!」

脱獄 by Mr.ヤマブキ

  • 2017.07.14 Friday
  • 00:00

 殺人罪とはついていない。あれは銃の暴発で、殺すつもりはなかった。それを凶悪犯だと騒ぎ立て、よりにもよって脱獄不能と言われたA刑務所に送られるとは、いやはやついていない。

 しかしそれも今日でおさらば、というわけだ。この三年間、刑務所を出るために準備を重ね、とうとうこの日を迎えた。

 ここの警備は特殊で、よほど外を知られたくないのか、連れてこられるときも睡眠薬を飲まされて気づけばこの独房、刑務所内には一切窓がない。さすがA刑務所、脱獄につながりうるどんな外部の情報もシャットダウンしているのだと当初は感心したがそうでもないようだ。完全防備かと思うが意外にも警備は手薄で、一日に何度か看守がいなくなる時間もあるし、牢屋の鍵も一般的な錠前で、これが脱獄不能を謳うあのA刑務所の設備かと疑う面もある。まあ好都合には違いないので、この際不問としておく。

 さて、更生プログラムの一環で作業療法を行ったときに手に入れた針金を取り出す。看守が消えて、次の看守が来るまでおよそ10分。音が聞こえないよう、それまでに開錠をしなければならない。1分ほど経っただろうか、あっさり扉は開いてしまった。あとは9分以内にここを出るだけ、ではない。僕は扉を閉めて、ここで待つことにした。休憩を終えた看守がやってくる。自分と背格好が似ていつも顔を伏せているこの男になりすましてやろうというわけだ。こんな男がいるあたりは案外ついているのかもしれない。

 彼が扉を通り過ぎた後、背後に躍り出て一発、彼に眠ってもらった。その制服を着て、いつものように目深に制帽を被り、堂々と警備室へと向かう。と、目の前に仲間の看守がいる。慌てて顔を伏せて、早足にならないようできるだけ自然に歩く。

「お疲れ様」

 迷ったが、さすがに返事はまずいだろうと思い、さらに深く会釈をして扉を出る。窓のない廊下には誰もいない。ほっと一息ついて、ゆっくりと歩き出す。廊下の先にはホールがあって、医務室や職員食堂に続いているようだった。誰もおらず、受付やセキュリティーもない。見回すと、食堂とは逆方向に出入り口がある。これだ、とうとう見つけた出入り口。久しぶりに太陽を拝めるかと思うと背中の奥から喜びがあふれてくる。浮足立つのを抑えられなくて早足になるがこの際どうでもいい。扉を押し開ける。

 久しぶりの日光に目がくらむ。ゆっくりと目を開けてみると、だだっぴろい草原、そしてその奥に広がる果てしない海。孤島だ。海岸線を歩いてその全貌を知ろうとするが、刑務所の周りを歩いているようなものだ。一周して分かったのは、海以外何も見えない島にこの刑務所がひっそりと建っている事実だけだ。さらに愕然としたのは、船やヘリコプターなどの移動手段がないことだ。すると、職員たちはどうしているのだろう。食料は定期船か。それならその船を待つよりない。

「何もないだろ」

 驚いて振り返ると警備員の一人がこちらを向いて立っている。とても逃げ場などない。思わず構えてしまう。

「待て待て、無理に捕まえようなんて思ってないんだ。なぜって、ここからはどうやったって逃げられないんだ。どうせ、定期船がないかなんて考えてたんだろう?船は一切来ない。必要物資はヘリコプターが運んで、この草原に落としてくれる。それでこの刑務所は成り立っている」

「でもあなたたちは本土に、家庭に、帰るはずだ。そのときには船かヘリコプターが来るはずだ」

「そうじゃあない。俺たちもここからは出られないんだ」

「そんなばかな」

「さあ、戻ろう。よく考えてみろよ、出られないからどうなんだ。地球を飛び出せるか?宇宙を飛び出せるか?」

「そうじゃない、そうじゃない」

 背筋が凍りつく。

「同じなんだよ、外の奴らだって。人生は入れ子状の牢獄なのさ。牢屋を出れば一回り大きな牢屋に入る」

 押し寄せる諦念が背中を突き動かす。自分の独房へと進んで入りなおす。看守が施錠するその手元をぼんやりと見つめるよりなかった。

鈴 by Mr.ヤマブキ

  • 2017.06.09 Friday
  • 00:00

 鈴の音が鳴る。砂の城が風に流されていくような儚い響き。ゆっくりと、無機質な規則正しさで、遠くから流れてくる。どこから聞こえるのだろう。そうか、ここは。そして目が覚める。ベッドの上で天井を見つめる。まだ鈴の音が聞こえてくるような気がする。夢……なのだろう、現実と繋がっていそうな淡い夢。鈴の音の夢を見ることが多くなった。見るといっても座標すら定かではない存在が感じる鈴の音の夢だ。その夢のあと、必ず空虚感と強烈な飢えが押し寄せる。

 

 

「私は普通じゃないの。ごめんなさい、でもそうなの。そのうち分かるわ」

 

 僕に悪魔的な美貌の彼女ができるなんて、そんな風に言ってしまう彼女の性格故なのかもしれないが、実際には普通でない部分を感じることはない。華奢な体つきに長い黒髪、陶器のような肌。大きく開かれた両目が相対する人の心を射抜く。そんな彼女がどうして僕を選んだのかはよく分からない。気まぐれかもしれないが、それでもいいと思っている。一時でも彼女が僕を選んでくれたこと、その事実が僕を救ってくれる。

 

 

 彼女の家に行ったある日、その日はひどい雨で、家に着くまでは小降りだったもののそのうちに雨脚を強め、とうとう窓の外を白く染め上げてしまった。

 

「ねえ……」

 

 ベッドに腰掛けた彼女が意味ありげな表情で話しかけてくる。花のように立ち上がると椅子に座った僕の元へと歩み寄る。ブラウスに手をかけて自ら脱ぎ捨てる。それが地面に落ちた時、雷鳴が轟き、部屋の照明が落ちる。

 

「停電だ」

「いいのよ」

 

 彼女が立っている。もう一度雷が落ちる。彼女の頬が青白く照らされる。いや違う。もう一回雷が鳴ると部屋の壁に彼女の影が映し出される。二本の角の生えた異形の影。大きく開けた口から牙が生え、手には長い爪が伸びている。

 

「私は、普通じゃないの」

 

 その後のことは覚えていないが、鈴の音の夢に起こされると家のベッドに倒れていた。朦朧とした頭が先の記憶を引っ張り出す。あれも夢なのだろうか。服は濡れている。きっと事実なのだ。ならば、彼女のことを忘れてしまうべきではないか。悪魔的ではなく、真に悪魔である彼女のことを。

 雨は少し弱まったようだが依然として降り続いている。窓の外は鉛雲に覆われて薄暗い。ふと、何か空に浮かんでいるのに気付く。彼女だ。よく見えるわけではないが、彼女だと確信した。彼女の名前を叫ぶとこちらへ向かってくる。

 

「どこに行くの」

「……もう戻らないわ」

 

 そのとき、彼女から鈴の音が聞こえてくる。淡い響きから湧き上がる強烈な飢えと空虚感。僕に空いた穴を埋められるのは彼女だけなのだ。一人に戻ることなどできやしない。文字通り、悪魔に身を捧げよう。僕は彼女に手を伸ばす。

 

「連れて行って」

 

 ベランダから彼女目がけて飛び出す。全てがコマ送りになって、彼女がゆっくりと手を伸ばす。濡れたその手を掴むとあっという間に雲の向こうへと連れ去られた。

【テーマ】幻想商店街へようこそ by Mr.ヤマブキ

  • 2017.05.28 Sunday
  • 01:28

 ようこそはじめまして。

 本日は当市の名物であります幻想商店街へお越しいただきまして誠にありがとうございます。ここからの案内はバスガイドに代わりまして、わたくし高階、高階が務めてまいります。

 商店街と言えば、まずは八百屋を忘れることはできません。左手をご覧ください。こちらでは多種多様な野菜を取り扱っております。各国の一般的な野菜はもとより、食用可能なあらゆる植物を取り寄せております。これは高山植物のエーデルワイスですね、こちらは食虫植物のウツボカズラですね、これは砂漠に育つと呼ばれるキソウテンガイですね。そちらの区画の野菜にはお触れにならないようお願いします。マンドラゴラは奇声を上げ精神を狂わせますし、平行植物たちは触れることで消滅してしまいます。

 さて、次は右手をご覧ください。魚屋が見えてまいります。まず飛び込んでくるのは吊るされた巨大なホオジロザメの姿でしょうか。映画ジョーズのモデルともなった巨大なサメを店長が豪快に捌いていく様は圧巻の一言です。その隣に置かれているのはリュウグウノツカイ、メガマウス、シーラカンスといった希少種ですね。切り身で置かれているのは、ネッシーとシーサーペントです。もちろん本物ですよ。あの巨体を店に置くのは難しいというだけの理由です。もし信じられませんようでしたら、お買い上げの上、実際に召し上がってみてはいかがでしょうか。

 そろそろ商店街の奥まで来たようです。ご紹介いたしますのは、左手の肉屋でございます。ありとあらゆる生き物の肉を取り揃えております。今日は珍しくケルベロスの肉が入っているようですね。この赤身の色調をご覧ください。毒々しささえ感じられる赤身こそ地獄の番犬にふさわしいでしょう。その奥にはドラゴンや鼻行類として知られるナゾベームの肉までございます。そして、こちらに見えますのが目玉商品、古来より珍味中の珍味として扱われてきました商品でございます。この肉が何の肉なのかお知らせする前に、当商店街名物の肉屋の店主をご紹介いたします。彼が一目置かれているのはまさにその肉へのこだわりでございます。どんな肉でも美しく捌きこなすその包丁運びはもとより、獲物の確保から店頭に並べるまで非常に洗練された形でやってのけるのです。いかがされましたか?どうして逃げるのですか?……逃げても無駄ですのに。

 

 さて、入り口はあっても出口がないのが幻想商店街。案内は高階、高階でした。

破魔の一族 Mr.ヤマブキ

  • 2017.05.05 Friday
  • 00:00

 大和家は魔神を封印した一族なのだ、長男のお前も封印術を学ばなくてはならん、と陽一は彼の父から口酸っぱく言われていた。いつもそれを疎ましく思っていた。思春期特有の反発もあっただろうか。ただ、彼にも言い分があった。千年も前に封印された魔神が再び復活するということがあるのか?というよりでたらめではないのか?父が魔術を使っているところなど見たことがない、と。すると決まって、封印術は魔のものにしか効かないし目に見えるものではない、復活術が失われたかどうかは誰にも分からないので来るべき時に備えるべきだ、と怒られた。陽一はますます反発心を膨らませ、今に至る。彼の父は癌で早くに亡くなった。

 陽一が何気なくテレビをつけると、コウモリのような生き物が東京の空に羽ばたいていた。レポーターが必死に喚いている中、ウウウ、とサイレンのような音が流れると途端に体が麻痺し頭が割れそうになる。画面の中では通行人の背中から不気味な羽が生え、他の通行人を襲っている。レポーターも襲われ血しぶきが画面を染めたところで中継は途切れた。

「魔神はいたんだ……」

 陽一は震えた。内蔵が空っぽになったような言いようのない感覚に襲われる。慌てて家中を漁り古びた魔導書を取り出す。難解な魔導語が並び面食らうが、遺品である辞書を取り出して読み解く。とても間に合わないだろう、こんな付け焼刃で戦えるのだろうかなどと不安が彼を襲い、何度も作業が中断される。とうとう一周読み切ったところ、積み上げ式の先に魔神の封印術があり、本来なら精神統一の手法から学ばなければならないようで、陽一は落胆した。いつあのサイレンのような悪魔の鳴き声が聞こえてこないとも限らないのだ。とにかく、やれるだけ封印の術式を練習してみる。

 数時間ほど経ったろうか。陽一は封印術の発動とともに力が湧き上がってくる感じを覚えるようになった。才能があるんじゃないかという自惚れが沸いてくるが、まだ湧き上がってきた力も、例えば目の前の扉を開ける程度の力のような感じでとても安心できるようなものではない。後悔したって遅い。絶望的な気持ちで練習を重ねる。

そのうちに眠ってしまっていたが、ウウウ、と鳴るサイレンに叩き起こされる。体がしびれそうになる。もう来たか、と思っていると羽を生やした隣人が家に乱入してくる。逃げ回ろうとするが、封印術をここで使えなければとても魔神に勝ち目などないと思い立ち向かう。陽一は封印術を放つ。飛びかかろうとする悪魔化した隣人は一瞬たじろいだが、すぐさま牙を剥く。その威力の乏しさに陽一は愕然し、しかし最後の希望にかける。漫画のような追い詰められた主人公の力の解放が頭を過る。もう一度渾身の力を込めて封印術を放つと、あっさりと躱され、悪魔が陽一の首を噛み切る。陽一は絶命し、地球上から魔神を封印する術が失われる。

 人類は化学兵器を用いて反撃するが大した効果はなく、一週間で地球は魔神に制された。

【テーマ】ダッシュ Mr.ヤマブキ

  • 2017.04.22 Saturday
  • 00:00

 さあいま始まらんとするは筋骨格のボリショイサーカスであります。有史より繰り返されてきた人間古来の営み、DNAに深く刻まれたその動きこそがダッシュです。

 この男、筋肉の摩天楼とでも言いましょうか、まさに仁王立ちといった出で立ち。さあ始まります。まずは腰を落とし、その両側の大腿四頭筋にたくさんのエネルギーが蓄えられてまいります。右肩を先頭に、虚空を睨み上げる。その形相はさながら不動明王そのもの。表面からは伺い知れぬエネルギーの蓄積が月の万有引力に誘われた潮のように満ち満ちて、今、爆発せんとしております。

 おおっと、いままさに駆け抜ける!大腿四頭筋よりほとばしる破壊的エネルギーは小宇宙的拡がりを見せ、ヒラメ筋とともに大地を撥ね飛ばす!重鉄鋼製の踵骨が躍動しております。そしてありとあらゆる体幹の筋肉が機械仕掛けのごとく反発し合い高め合うことで進むべき道へ向かうのであります。勝者のように右腕を振り上げると左腕は拳法家の肘鉄のように振り抜く。左膝で蹴り上げるのは悪魔か天使か過去か未来か?四肢の生み出す推進力はさながら肉弾ロケットといった具合であります。なんということでしょう、衝撃の歩幅、衝撃の歩幅です!カールルイス型ロボットのお出ましだ!一体どこまで駆けていく気なのか?さあ、いよいよ左足が着地します。伝わる衝撃は地球との我慢比べ!再びかの大腿四頭筋に倍加された加速度的エネルギーが蓄えられます。重力と筋力のランデブーが生み出す化学反応は…再び飛んだーっ!鳥人伝説生まれたり!四輪駆動の羽ばたきを手に入れた筋肉ジャングルジム!とどまることを知らぬ鉄筋の狂騒は銀河の果てへと飛び去っていくーっ!

【テーマ】別れ by Mr.ヤマブキ(495字)

  • 2017.03.24 Friday
  • 00:00

ともだちになりましょう?

彼女は言う。

わたしたちきっといいともだちになれると思うわ。

琥珀色の瞳に涙を滲ませて、真っ直ぐこちらを見つめる。震えた声がひびく。

ともだち、か。……泣くなよ。

わたしの言ってること分かる?と言うので、分かるよ、と答えると驚いた表情を見せる。

君の言いたいことはよく分かる、でもそれは難しいよ。そう僕は首を振る。

どうしてもだめなの?わたしたち、きっとずっと仲良くできると思うわ。

彼女はさらに語気を強める。いっそう声が高くなる。

都合のいい話だよ、今更ともだちなんて。僕たちはともだちにはなれない。

さめざめと彼女は泣き始める。街で繰り広げられる賑やかな音だけが流れる。

彼女はまた、説得する言葉を思いつく。

どこがいけないの?不満だったらなんでもするわ。悪いことをしたなら謝るわ。ごめんなさい、だから……お願いよ。

もう二度と会うことはないよ。お別れだ。

待って、ねえ、ちょっと。だめよ。やめて、お願いだから。

彼女ははばかりなく叫びはじめる。

僕は困惑してしまう。

地球を侵略しにきた火星人に向かって命乞いをされても困るのだ。

光線銃を彼女に浴びせる。

同じような賑やかな音が街から流れてくる。

雨のドライブ by Mr.ヤマブキ

  • 2017.02.10 Friday
  • 00:00

 そういえば悲しい夢を見た、と目覚める朝がある。詳細はおろか輪郭さえも分からないがとにかく悲しい夢だったことだけは覚えていて、机に大事にしまったはずのものがいつの間にか無くなっているような空虚感だけが心の中にある。

 しのつく雨は無秩序に車を叩き鳴らし、フロントガラスを滑り落ちていく。雨の日は重力が強くて、速度計はいつもと同じ値を示すのに道路は思うように進まない。そんな苛立ちと気怠さが底の方で漂っている。 

 幾つめの信号だろう。あの悲しい夢を思い出してみる。夢の形は浮かび上がらないが穴の空いた悲しさが通り過ぎていく。誰かの死だろうか、何かの屈辱だろうか、思い浮かべてみてもどれも引っ掛からない。

 信号が青になると泥水のようにゆっくりと車が流れ出す。見慣れた家並みにスーパー、コンビニがあってほとんどそれらを家並みだと認識しないまま画面は切り替わっていく。高層マンションが現れた辺りで、信号が赤に変わる。ぼんやり眺めていると屋上に誰かいるのに気付く。雨もあってほとんどよく見えないが、ワイパーが上がる刹那、傘を差さない制服姿の女性が映る。危ない、と思う。だがこんな離れたところから彼女に何を届けられるだろう。例えば警察に電話するとかの方がいいだろうか、と逡巡していたら彼女は飛び降りた。

 頭から倒れ込むように落下し始める。雨降りの重力でそこだけが切り取られたように時が進まない。伸ばした髪が風圧でばらばらになびく。体はさらに回転し、再び頭が上に来る。ビル風に煽られて、体が左へと流れ、スカートが太腿に張り付く。見えたわけではないのだけれど、多分、彼女は目を閉じている。手足の全く動かないのは決意の固さだけではないと思う。

 さらに彼女は回転し、地面が近づいてくる。そこで見るのをやめた。信号は青に変わっていて、前の車はいない。クラクションを鳴らされる。そのマンションの見えないところまで走り続けた。

 その信号待ち、もう一度朝の悲しい夢を思い出してみようとした。案の定、夢の内容は思い出せなかった。それどころか、あの空洞もやってはこない。夢はいっそう薄れて、ただ、悲しい夢を見たというだけの言葉の塊しか残ってはいない。いずれはこの言葉すら風雨に削り取られてしまうのだろう。雨が止もうとしている。全てが忘れ去られていく。

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