【テーマ】お雑煮 Mr.ヤマブキ
- 2019.01.26 Saturday
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お義父さんが脳溢血で亡くなった後、お義母さんはうちに引っ越してきました。元々、賃貸のアパートに夫と息子、娘と四人で住んでいましたから、ただでさえ手狭なところにお義母さんが来るのはあまり喜ばしい話ではありませんでした。決して仲は悪くなかったです。色々と気遣ってもらって、むしろいい印象が先行していました。でも、それとこれとは別です。食費だってかかりますし、結局、面倒を見るのは私ばかりですから。
「弟さんのところはどうなの?」
「いやー、まあ、それがやっぱり忙しいらしくてね。それに、うちが長男なんだから、というんだ」
「いいわね、弁護士の先生は弁が立って。情けない夫ね」
「おい、そこまで言うことないだろう」
「あなたが何か面倒みてくれるの?安い給料で仕事だ仕事だって」
「いや、まあ、それはだなあ……」
そうは言っても、夏にお義母さんが越してきてしばらくは家事を張り切っていました。ある種の他人行儀です。でも徐々に慣れてくるといい加減な内容になってきて、秋が来る頃にはそうめんばかり出していました。子供達には肉を出していましたけど、おばあちゃんは体に障るから、などと理由を付けて食事にも差をつけるようになりました。憎しみはなくて、ただ自然にそうなっていったのです。自分でもその冷酷さに驚くことがありましたが、それも日々の雑事に飲み込まれていきました。
正月を迎えました。我が家では作る私に合わせておすましのお雑煮にしていましたが、今年はお義母さんに合わせて白味噌にしました。自主的です。ですが、その一つ一つの積み重ねが雨の降る前の低気圧みたいに私を抑えつけてしまって頭痛がするのです。他の食事だって年齢に合わせていつも細かく刻んで出しています。喉を詰めないようにおせちだってお義母さんの分だけ小さく切って出さないといけません。そうした倦怠感から、お雑煮のお餅だけは、二つに切るだけにしました。明らかに大きいのですが、食べられないこともないでしょう。嫌がらせ程度のことです。
全員で集まり、子供たちにお年玉を渡し、食事を始めました。子供たちがおせちの煮しめを取らないので皿に入れてやると露骨に嫌そうな表情をしました。そのとき、うっ、とお義母さんが青い顔をし、その手からお雑煮の汁椀が落下しました。すぐに救急車を呼びましたが、お義母さんはそれきりになってしまいました。
医師から臨終を言い渡された後、私は救急外来の待合で涙を流しました。夫が書類の手続きを済ませる間、事の重大さに押しつぶされていました。手間もお金もかかるから、と疎ましく思い、ただちょっと意地悪い嫁になってしまったことがこんなことになってしまうなんて……。
夫が待合に戻ってきて、傍に寄り添ってくれました。泣かなくていいよ、と自分の母親を亡くしたのに私を気遣ってくれました。
「泣かなくていいよ。実はな、俺、競馬ですって二百万の借金があるんだ。だから、ばあさんがいなくなって助かったよ。ちょっと大きめに餅を切ってただろ?生活費の分を考えれば借金なんてすぐ返せるよ。ありがとうな。ほんとによかったよ。お前のお陰だ。ほんとに、ありがとう」