【テーマ】都道府県の風景と私(47)沖縄県 Mr.Indigo

  • 2019.02.28 Thursday
  • 23:57

 

日本にある47都道府県の中で、沖縄県だけはまだ訪れたことがない。若くて身軽なうちに行っておけば良かったと何度となく思ったが、まさに後悔先に立たずである。
しかし、沖縄についての知識もそれなりに持ち合わせている。10年ほど前に沖縄のガイドブックの制作に携わったからである。3ヶ月ほどみっちりやったので、自然に覚えてしまった。
私が特に魅力を感じたのは訪れる人が少ない離島だ。昔ながらの家屋が残る渡名喜島、水牛が引く車がのんびりと進む竹富島、日本最西端で在来種の馬が暮らす与那国島、独特の文化を有する北大東島・南大東島など、それぞれ個性があり、ぜひ実際に行ってみたいと思った。しかし、このあたりの離島へ行くには沖縄本島や石垣島を経由する必要があり、相当な時間と金がかかる。実際に行ける可能性があるのは、やはり本島であろう。 
本島で行ってみたいのは昔日の面影を伝える古城である。白砂のビーチやスリルを感じさせる断崖はあちこちにあるが、古城には沖縄ならではの風景がある。
いくつかの城は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されている。しかし、首里城など一部を除くとあまり知られておらず、ネットでの情報も少ない。この現状も歴史好き、古城好きの心をくすぐるのである。
中でも気になるのが今帰仁(なきじん)城跡だ。理由は立地である。他の城が本島中南部に集中しているのに、今帰仁城だけ北部の今帰仁村にある。よそとは違うオンリーワンのスポットだと言える。
写真で見る風景も素晴らしい。私は整然とした城より程々に荒れている方が好きなのだ。緑に覆われた敷地内をのんびり歩くのは実に爽快であろう。
今帰仁村までは那覇空港から高速バスで2時間近くかかる。しかし、沖縄の景色を眺めながらバス旅を楽しむのもいいだろう。
ただ残念なのは、そもそも沖縄へ行ける見通しが全くないということである。

【テーマ】都道府県の風景と私(46)鹿児島県 Mr.Indigo

  • 2019.02.28 Thursday
  • 23:31
鹿児島県には全国的に見ても非常に珍しい特徴がある。それは鎌倉時代から江戸時代まで一貫して島津氏の統治下にあったということである。
源頼朝に仕える御家人だった初代・島津忠久が薩摩守護職に任命されたのは鎌倉時代初期のこと。それから29代、800年近くにわたって島津氏は薩摩の支配者だった(隣国の大隅は一時期支配から離れている)。
この29という数は、実はかなり少ない。1代あたりの平均は約27年にもなる。江戸幕府の将軍が265年間で15人、平均約18年だから、その1.5倍だ。代替わりが少ないのは支配体制が安定していた時代が長いということであろう。
島津氏当主には長命の人物が多い。そして世の動乱に合わせたように超人的な男が登場する。鎌倉時代末期から南北朝時代を生き抜いた5代貞久は数え95歳、関ヶ原の戦いでの奮闘で知られる17代島津義弘は数え85歳まで生きた。島津氏は実に強靭でしぶとい一族なのである。
 
その島津氏の居城が置かれていたのが現在の鹿児島市である。錦江湾に面していて、海岸近くや高台からは噴煙をあげる桜島が望める。鹿児島の風景といえば錦江湾と桜島が思い浮かぶという方が多いのではなかろうか。
桜島が噴火によって大隅半島と陸続きになったのは大正3年のことで、まだ100年あまりしか経っていない。西郷隆盛や大久保利通が見た桜島は島だったわけだ。わずかの間に地形を大きく変えてしまうのが火山の恐ろしさである。もっとも、鹿児島市街は陸続きになった箇所から離れているので、桜島は島にしか見えないが。
ちなみに私は長らく桜島は鹿児島市街の南側にあると思っていたのだが、実際はほぼ真東である。
そのほか薩摩富士と呼ばれる開聞岳も有名だ。薩摩半島の南端にある標高924mの独立峰で、左右対称に近い円錐形のシルエットが美しい。
開聞岳の近くにはJR最南端の駅・西大山駅がある。駅から山裾までの間はほとんどが畑で、眺望を遮るものはほぼ皆無だ。国土の大部分を山林が占める日本ではなかなか見られない風景だと思う。最果ての地に来たように感じられたのは、きっと私だけではないだろう。


(写真協力:公益社団法人 鹿児島県観光連盟)

【テーマ】都道府県の風景と私(45)宮崎県  Mr.Indigo

  • 2019.02.28 Thursday
  • 23:00


宮崎県はどこから行くにも遠い。福岡から行くにしても鉄道より飛行機の方が圧倒的に早い。かつて仲間だった隣の鹿児島県は九州新幹線の開通によって著しく利便性が向上したため、宮崎だけが置いていかれた格好だ。

この「遠さ」はすなわち他所の文化の影響を受けにくいということである。宮崎県の持つ南国情緒というのは、単に温暖なだけでなく独特の文化が随所に見られるということではないかと思う。

 

十数年前、ほぼ丸1日かけて日南海岸を南下した。真夏の暑い日のことだった。

私は小内海という駅で列車を降り、隣の伊比井駅まで3kmあまりの道のりを歩いた。目的はもちろん日南海岸の風景を楽しむためである。

海沿いの広い道は意外にアップダウンがあった。急峻というほどではないが、地形が入り組んでいるのは間違いない。椰子の木があったりハイビスカスが咲いていたりと、ここが日南であることをあちこちで実感した。

伊比井駅から再び列車に乗り、今度は飫肥駅で下車。江戸時代の武家屋敷が多く残り「九州の小京都」の異名を持つ飫肥は、この時の旅で最も楽しみにしていた町だった。

城下町は期待に違わぬ風情だった。特に目立つ建物はないものの、歴史を感じさせる白壁の屋敷が自然に残っていて、昔日の風景が容易に想像できた。

町の中心にそびえるのが飫肥城跡である。戦国時代には島津氏と伊東氏の間で100年以上に及ぶ争奪戦が繰り広げられた。明治初期に廃城となったが、今も石垣などの遺構が残っていて、かなり見ごたえがあった。

なかでも旧本丸跡の杉林は圧巻だった。木々が一帯を覆うように並んでいて、地面には苔が生い茂っている。ここにいると心が洗われるような気がした。現在は「いやしの森」と呼ばれているらしいが、まさにその通りだと思う。

ここの杉は明治時代に植えられたものだという。すなわち明治維新を経て飫肥城が廃城になったために、これほど見事な林が形成されたのだ。

城としての歴史も大切だが、廃城としての歴史も侮れない。それも城について理解するための重要なポイントであろう。再建などで昔の姿を復原するのもいいが、廃城ならではの情趣を伝えていくのも必要なことだと思う。

 

【テーマ】都道府県の風景と私(44)大分県  Mr.Indigo

  • 2019.02.28 Thursday
  • 22:26

 

「おんせん県」として売り出している大分県。別府、由布院をはじめ数多くの温泉地を有しており、源泉数・湧出量ともに日本一である。

しかし、大分県の温泉を訪れた経験はあまりない。西日本に住んでいた20代半ばまでは温泉宿に泊まるほどの財力がなかったし、日帰り入浴を楽しむにしても、駅から遠い山間部にある温泉が多くアクセスが不便なのがネックだった。

 

その中で唯一何度か訪れたのが別府である。大阪や愛媛県の八幡浜からの夜行フェリーがあるので、九州旅行のスタートにしばしば通ることになるのだ。

夜行フェリーで別府に到着すると、まずは風呂ということになる。それで何度か訪れたのが駅前高等温泉という銭湯だ。 別府駅から海の方へ延びる広い道に面していて、レトロな洋風建築なので場所はすぐわかる。内部は特に変わったところのない普通の銭湯だが、別府であるというだけでありがたみが感じられた。

別府市内には別府八湯と総称される多数の温泉があり、まさに温泉の町という風情が漂っている。その風情が最も濃いのが鉄輪(かんなわ)温泉で、有名な地獄めぐりはここならではの観光コースだ。

ライトブルーの海地獄(写真)や深紅の血の池地獄、ワニが飼育されている鬼山地獄などそれぞれ個性があり、特に海地獄や鬼山地獄は色が強烈な印象を与えた。自然現象によってこんな色が現れるとはなかなか信じがたい。古人が地獄と呼んだのも頷ける。

他にも印象に残っているスポットがある。熊本との県境近くの竹田市にある岡城址である。

岡城はかつて難攻不落を誇った山城で、建物は全て失われたものの、今も壮大な石垣が残されている。頂上部へ行くにはひたすら石段を上り続けるしかなく、当時20代前半だった私にもかなりきつく感じられた。

しかし眺望は素晴らしい。遠くに青い山々がそびえ、その間には深い緑に覆われた山林が広がっている。敷地は内はそれなりに整備されているものの程々に荒れていて、人工物でありながら自然と一体化しているような印象を受けた。

石垣しかないにもかかわらず山城の魅力を存分に感じさせてくれる岡城址は、極めて価値の高い史跡だと思う。

【テーマ】アールグレイ色の脳細胞 Mr.アールグレイ

  • 2019.02.28 Thursday
  • 22:26

各都道府県をテーマに私が書くならこんなモチーフです。

興味がある、読んでみたい、お願い!というものがありましたら教えてくださいね。

基本的にはあなたの頭の中で楽しんでください。

あのアールグレイならどんなに自由に書くのだろうと。

 

01 北海道 マリモ。サロマ湖。ウィンザー。釧路湿原。

02 青森県 マグロ。リンゴ。ねぷたなのねぶたなの。

03 岩手県 岩手山。小岩井農場。リアス式海岸。

04 宮城県 伊坂幸太郎。萩の月。伊達。

05 秋田県 秋田美人て秋田から出るまで美人てわからないのでは。あきたこまち。

06 山形県 さくらんぼ。樹氷。

07 福島県 原発。ままどおる。飛露喜。

08 茨城県 ネモフィラ。あんこう。つくばのロケット。

09 栃木県 とちおとめ。足利フラワーパーク。

10 群馬県 高崎には美人が多い。草津。

11 埼玉県 東西南北秩父。スーパーアリーナ。東武動物公園。

12 千葉県 味噌ピーナッツ。マザー牧場。鋸山。アクアライン。幕張メッセ。サツマイモ、青木昆陽。小湊鉄道。

13 東京都 東京タワー。葛西臨海公園。もんじゃ。山手線。

14 神奈川県 久里浜。東京湾フェリー。赤レンガ倉庫前での屋外プロレス。

15 新潟県 万代橋の花火。

16 富山県 立山連峰。ぶり。

17 石川県 21世紀美術館。治部煮。

18 福井県 永平寺。原発。 

19 山梨県 信玄公祭。

20 長野県 軽井沢。石の教会。

21 岐阜県 飛騨高山の朝市。朴葉味噌。さるぼぼ。

22 静岡県 富士山。南海トラフ。

23 愛知県 車。通過するだけ。

24 三重県 伊勢神宮。賢島。松坂牛。

25 滋賀県 琵琶湖。意外と京都から近い。

26 京都府 大原。鴨川デルタ。森見登美彦。哲学の道。嵐山。

27 大阪府 太陽の塔。HEPの観覧車。心斎橋の変容。南海飯店。丸福珈琲本店。海遊館。

28 兵庫県 宝塚。太陽公園。明石の天文台。

29 奈良県 奈良漬。吉四六。

30 和歌山県 高野山。コーヴ。

31 鳥取県 鳥取砂丘。砂場。大山。

32 島根県 鳥取の隣、て言われてもわからない。神有月。

33 岡山県 きびだんご。桃太郎の持っている強さとは。

34 広島県 広島焼き、モダン焼き。

35 山口県 秋芳洞。

36 徳島県 すだち。鯛。割烹青柳。

37 香川県 うどん。

38 愛媛県 みかん。

39 高知県 わらやき。船中八策。

40 福岡県 ラーメン。レスリングどんたく。

41 佐賀県 伊万里焼・有田焼

42 長崎県 カステラ。

43 熊本県 くまもん。辛子蓮根。

44 大分県 別府。関サバ。

45 宮崎県 マンゴー。

46 鹿児島県 さつまいも。

47 沖縄県 美ら海水族館、基地。沖縄市があるの知らなかった。

 

こんなにサービスするの、今回だけですよ☆

 

【テーマ】都道府県の風景と私(43)熊本県 Mr.Indigo

  • 2019.02.28 Thursday
  • 22:11
熊本県は九州のほぼ中央に位置する。政令指定都市・熊本市があるので、それなりに都会だというイメージがあったが、実際は熊本市内以外はほとんどが山林で、豊かな自然に恵まれている。
中でも有名なのが広大なカルデラを有する阿蘇山である。このあたりを訪れた時、私はJR豊肥本線の「SLあそBOY」に乗った。大正時代に製造された蒸気機関車が引く観光列車で、私にとっては人生初のSL列車だった。
この線のハイライトは南阿蘇村の立野駅から始まる山越えである。立野駅の標高は277mだが、次の赤水駅は標高465mだ。この標高差をクリアするため、立野駅近くにはスイッチバックが設けられている。
立野駅を出た「SLあそBOY」はいったん後ろ向きに進み、スイッチバックで再び前を向く。黒煙を噴き出し大きな音をたてて急勾配を駆け上がるSLは力強さを感じさせた。もっとも、本当にパワーのある車両なら平然と走るのだろうが。
赤水駅のあたりからはカルデラの中で、勾配はやや緩くなり、のどかな高原の風景が広がる。右手は阿蘇山、左手は外輪山だ。私は阿蘇駅で降り、SLに別れを告げた。
ちなみに、この「SLあそBOY」は老朽化のため平成17年に運転を終了した。しかし機関車は修理が行われ、現在は熊本と人吉を結ぶ「SL人吉」で活躍している。
また、立野駅から分岐する南阿蘇鉄道も絶景路線として知られている。特に有名なのは約60mという深い谷に架かる白川第一橋梁で、トロッコ列車で通った時にはかなりのスリルが感じられた。
残念ながらこのあたりの鉄道は熊本地震で甚大な被害を受け、3年近く経過した今も復旧の目処が立っていない区間もある。素晴らしい風景が広がるエリアなので、復旧したらぜひ再訪したい。
 
現在「SL人吉」が走っているJR肥薩線も景色の良い路線だ。ほとんどの区間で球磨川のほとりを通り、線路と川との距離が近い。ずっと川が寄り添っているので、日本三大急流の眺めを長時間楽しめる。
しかし、私としては急流よりも川幅が広いというイメージの方が強い。どうも山間部の川は狭いものだという先入観があるようで、川幅が広いと印象に残るようだ。福島県の只見川や徳島県の吉野川などもよく覚えているから、こういう風景が好きなのだろう。
まだ途中下車したことはないが、今度行くことがあれば西日本有数の鍾乳洞がある球泉洞あたりで観光を楽しみたいものだ。


【テーマ】都道府県の風景と私(42)長崎県  Mr.Indigo

  • 2019.02.28 Thursday
  • 21:55

長崎は辺鄙な場所にある。長崎半島の先端に位置し、三方を山に囲まれていて、残る一方向は言うまでもなく海である。すなわち陸の孤島なのだ。

長崎を開港したのは大村純忠という戦国大名である。キリシタン大名として有名な人物だが、勢力は弱く佐賀を拠点とする龍造寺隆信に圧迫されていた。国力の低い大村家にとって、ヨーロッパ諸国との貿易の利権は絶対に手放せないものだったに違いない。

貿易商にとっても長崎に寄港するのは悪くない話だっただろう。支配者は熱烈なキリスト教徒だから、危害を加えられる恐れが少ない。僻地であるがゆえに戦乱に巻き込まれることもない。他の賑やかな港湾、例えば博多などに行くよりリスクが低かったのではないか。長崎には博多などから商人が多く集まったというから、大村純忠の狙いは成功したのだろう。

そう考えると、長崎は僻地だから大きな街になったと言えるのではないか。

 

そんな長崎を初めて訪れたのは中学3年生の時だ。家族旅行だったが、ここでは2〜3時間ほど自由行動だった。

私は長崎駅前からレトロな路面電車に乗り、眼鏡橋を訪ねた。金がかからないのと他人と話をしなくていいのが理由だった。男子中学生が単独で観光施設に入るというのはなんとなく気恥ずかしく、抵抗があったのだ。

眼鏡橋は江戸時代初期に架設された石橋で、日本初のアーチ橋といわれており、国の重要文化財に指定されている。実際に見ても並々ならぬ年季が感じられた。凄いものだと思った。

しかし、日本有数の観光都市・長崎で最も面白いスポットだったかというと疑問が残る。今の私なら迷わずグラバー園を選ぶはずだ。ベタではあるが、長崎独特の歴史や文化が明快に伝わってくる場所だと思うからである。高台にあって眺望が良く、街全体を見渡せるのも魅力的だ。

眼鏡橋も優れた観光名所だが、街中にある古い橋を見るだけで、それ以上の広がりがない。当時から歴史や地理には詳しかったが、スポットのチョイスに関してはまだまだ子供だったと今になって思う。

もう1つ思うのは、昔の自分は長崎の不便さを認識していなかったということだ。九州東岸の門司や別府、志布志(鹿児島県)へは大阪から夜行フェリーが運航していて、1万円程度の支出でワープできる。しかし長崎へ行くには門司からでも半日かかるのだ。

長崎市内には、もう20年以上行っていない。

 

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【テーマ】県境を越える Mr.ヤマブキ

  • 2019.02.28 Thursday
  • 20:09

 県境に住んでいた。山奥にある盆地にあって、峠を越えると他県に移る。峠と言ってもそれほど高い山ではなく、何度かのカーブを抜ければ下っていける程度のものだった。だから、隣の県に行くことは隣の市に行く程度の気軽さであって、子供の頃は、少し遠出の買い物、少し遠出の食事に連れられて行った。

 県境の看板は峠を登り切ったところに置かれていて、表にはここからA県、裏にはB県と書かれていた。私は、県境を跨ぐことに集中していた。そこを通る毎度、看板が近づくことに過敏になり、車に乗りながら自分の体がその真横に来る一瞬を待ち、見落とすまいと集中した。隣の県に行くことは隣の市に行く気軽さだったが、それでも他県に移ることは特別で、それは小さな旅を意味していた。特別さの究極、その特異点に看板があって、横切る瞬間が重要だった。アキレスと亀の逆で、必ず私は看板を通りすぎる。にもかかわらず、単に車が速いだけなのか、その瞬間を確実に感じることはついぞできなかった。

 振り返れば、点には面積がない、ということをすでに感じていたと思う。もう少し年を重ねてから、国境みたいに両足を跨がせることだってできたのだ。しかしそれに興味がなかったのは、意味のないことに気付いていたからだ。右半身がA県に所在し、左半身がB県に所在する、では私自身は何県に存在するのか、という問いはあっても、子供の頃に期待した、A県からB県に移るダイナミックな変化の刹那を捉えることにはならないからだ。いくら県境を跨いでもその境界面に幅はなくて、私のどこを貫いているのか仔細にイメージすることができない。

 要するに、空間的な問題ではないということだ。面積がないのだから当然だ。そうではなくて、時間的な問題だ。今だけがある、と唱える人がいる。今というものはない、と唱える人がいる。いずれにせよ、我々は「今」を感じることができない。感じたと思った「今」はすでに私を通り過ぎていて過去になり、別の顔をした「今」が居て、その顔はすでに皺が刻み込まれている。無限に「今」の新陳代謝が続き、そのやり取りそのものが普通に言う、今、になる。私の皮膚は常に生まれ、剥がれ落ちる流体だが、その厚みそのものが今だ。

 きっと県境を越える究極的な醍醐味を一生感じることはできないだろう。小さな頃の他愛もない試みは突き詰めるほどに逃れ、ある印象派の絵画のように遠景でこそより鮮明になる。越境の体験は、全能の少年期に、決して手に入らぬものの示唆となった。私自身に通底する、二度とチャンスはない、やり直すことは許されない、といった冷めた人生観はすでにそのときから萌え出ていたように思う。都道府県、という単語を聞いて端末に向かうと、そんなことを思い出した次第である。

【テーマ】氷上ってそもそも読めへんねん たりき

  • 2019.02.28 Thursday
  • 00:00

東京に転勤になり、初めて会う人との面談で「出身はどこですか?」と聞かれることがある。

そんなときは「兵庫県です丹波です」と答えることにしていて、大概は「ああ、丹波篠山ですか」といった反応が返ってくる。

(本当はちょっと違うんだけど。。)と思いつつも「そうですよ」と話を続ける。

 

私の出身は兵庫県の丹波市である。

「丹波篠山」と一つの単語のようにまとめられることが多いが、「丹波篠山」という表現は現段階では丹波市とその南の篠山市をまとめたものと認識している。まあ、昨年東京でも報道されたように、今年5月から篠山市が丹波篠山市に名称を変更するらしく今後どの地方のことを指すことになるのかはわからないが。。

とはいえ、丹波市だって初めから丹波市だったわけではない。私が住んでいた高校時代はまだ氷上(ひかみ)郡であった。いわゆる平成の大合併?によって市制に移行する際、丹波市となったものであった。そのまま氷上市となるものとばかり思っていたのだが。。

経緯はともかく丹波市という名称になったのは今となって思えばありがたいなあと感じる。

「出身はどこですか?」と聞かれて「丹波」と答えるとその人が本当の丹波市の場所をわかっているかどうかはわからないものの大体の場所だったり色んな名産品のことを想像して話してくれたりもする。

「ヒカミ出身です」と言っても「???」となることは間違いないのだから。。

 

もう一つ。

丹波市出身と言うと兵庫県の北の端で冬は雪深いといった印象を持たれることが多いのだがそんなことはまったくございません。

地図上で言えば瀬戸内海と日本海に面した兵庫県の京都(東)寄りのちょうど真ん中あたりとなる。その証拠になるのかならないかもしれないが、丹波市内の石生(いそう)駅の最寄りには日本一(標高の)低い分水嶺がある。

雪だって降らないことはないものの5cm降り積もることだって年に数回あるかどうか?くらいなもんである。(ただこのイメージは丹波市の中でも私の育った地域はという言い方が正しいかもしれない。)

 

ちなみに言えば大阪からの交通の便も悪くない(と思う)。

市内で一番大きなJR柏原(かいばら)駅まで新大阪から特急で90分くらい。自動車では、宝塚の渋滞がなければではあるものの中国池田ICから60分もあれば市内の春日ICまで着いちゃう。

 

雪深いというのはイメージが違うものの山奥には違いない。海からの距離が遠いということもあって周りは山ばかりである。

私の実家はすぐ東に山を抱えており冬場は10時を回らないと太陽がさしこんでこない。さらに言えば私の家から南西より西のちょうど冬に太陽が沈む方向にちょっとした山があるために夕方もかなり早い時間に太陽は隠れてしまう。

 

ただ、私自身つい最近になって気づいたのだがそういった山に囲まれた風景がとても落ち着くし好きなんだろうって思う。

海の近くに住んだこともあるし波の音を横手にドライブを楽しむ日々を送ったこともある。しかし、海と山とどちらに今住みたいかと言われると間違いなく山のある風景を選ぶだろう。

自分の育った情景だからというのは、やっぱりあるもんなんだなあ。

【テーマ】都道府県の風景と私(41)佐賀県  Mr.Indigo

  • 2019.02.27 Wednesday
  • 23:23

 

佐賀県は目立たない県だ。九州7県で最も地味な存在なのは間違いない。

そんな佐賀県を描いたのがはなわの『佐賀県』である。本稿を書くにあたって歌詞を調べてみたのだが、内容の多くは一昔前の田舎では普通にあったことのように思う。

とはいえ佐賀は福岡から非常に近く、九州島内での利便性は福岡に次ぐ。それでも最新の文化は流入しないのか。考えてみればこれは大阪府に隣接する我が地元・奈良県とよく似ている。首都圏はともかく、他の大都市圏はどこも同じようなものなのかもしれない。

佐賀県は旧肥前国の概ね東半分を領域としており、西半分は長崎県である。複数の国を合わせて1つの県を設置した例はあちこちにあるが、国を分割した例は全国的にも珍しい。あとは東京と埼玉に分かれた武蔵国くらいだろうか。

佐賀県が地味になったのはこの分割のせいである。長崎と一緒であれば、独特の文化を有する日本有数の貿易港が県域に入っていたのだが。

しかし、佐賀県にも面白いスポットは多くあるように思う。本稿では穴場中の穴場である肥前浜宿を紹介したい。

 

肥前浜を訪れたのは8年前の夏だ。佐賀・長崎方面に行こうと考えた私は、ネットで面白そうな町を探した。そしてこのあたりに重要伝統的建造物保存地区(重伝建)があるか調べてみたところ、肥前浜に2つあることが判明した。それでここへ行くことにしたのである。

肥前浜駅に併設されている観光案内所でレンタサイクルを借り、まずは駅近くの「浜中町八本木宿」へ。ここは白壁の酒蔵が並んでいる。古い町並みとしてはよくあるパターンだが、新しい建物が全くと言っていいほどなく、昭和の建物も適度に古びていて調和がとれているように感じた。ときおり通る自動車がなければなお良いのだが、地元の人々の生活に必要だから致し方あるまい。

一方、少し東にある「浜庄津町浜金屋町」は漁師や商人が暮らした町で、こぢんまりとした茅葺きの民家が点在している。こちらの町並みは雑然としているが、さまざまな様式の建物が自然に混在していて、なかなか面白く感じられた。

重伝建を探す醍醐味は、こういう町を見つけることにある。守り残していくべき風情ある町は、川越や高山などガイドブックに大きく載っている町だけではない。知られざる穴場が全国にたくさんあるはずだ。

とはいえ全くのノーヒントでは探すのが大変だ。ゆえに重伝建の指定が役に立つ。私にとっては非常にありがたい制度なのである。

 

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