【テーマ】 当然山中鹿之助と答える byアフリカの精霊

  • 2017.01.31 Tuesday
  • 22:08

 実はこんなに戦国のことを書いているにも拘らず、尊敬する人物として戦国武将を書くことにためらいを感じる。「そんな昔の人の何を知っているのだ」と「戦国武将って人をたくさん殺した人を尊敬するの」、この二点の批判が常に付きまとうからである。

 「尊敬する人は誰ですか?卑弥呼です。聖徳太子です。」という答えがほぼありえないし、「尊敬する人は誰ですか?ヒトラーです。大量殺人を犯した人物です」なんて答えができないとの同様なのではないかと思ってしまうのである。

 ちなみに尊敬とは少し違うが「上司にしたい戦国武将ランキング」で信長が1位(2位家康、3位謙信、4位秀吉、5位信玄)らしい。知名度がなせる業であろうが、私は信長が1番上司にしたくない武将であるがみなさんはどうだろうか。

 

  ともあれ、そんな批判を無視して尊敬する戦国武将はと問われると私は必ず「山中鹿之助」と答えることにしている。

鳥取の戦国大名である尼子氏の家臣で本名は山中幸盛という。

現代にも通じる一つのトリビアとしては、鹿之助の子供は鴻池財閥(三和銀行・現UFJ銀行)の始祖として有名であることであろうか。
 尼子氏は毛利元就に滅ぼされてしまうわけであるが、そこからが鹿之助の見どころである。鹿之助は尼子家の人間を遠くから連れてきて尼子家を再興しようとするのである。現代で言うと潰れた会社を、その会社の部長や課長が社長一族にお金を出して会社を立て直そうとすると言った感じであろうか。

 ここで戦国時代に関する一つの勘違いを指摘しておくと、一人の人間が一人の大名に仕え続けることを良しとするのは武士道精神が表れてきた江戸時代から出てきた考え方で、戦国においては自分の使える大名が自分のことを正当に評価してもらえないと思えば、その大名を見限って他の大名に仕えることも良しとするのが常識だったのである。例えば築城で有名な藤堂高虎は7度も主人を変えているにもかかわらず、裏切り者のようなレッテルを張られることはない。この時代、主家を変えることに悪いイメージはないのである。

 そんな時代に主家を変えないばかりか滅亡した主家の再興を図るといった行動をした鹿之助は特筆に値すべきだと思うのである。

 

その主家の再興を誓う際に彼が言った言葉の中に「我に七難八苦を与えたまえ」というものがある。この言葉がまさに私に鹿之助を尊敬させる原因となった言葉で「苦労が自分を育てるので、自ら喜んで苦労を受けよう」という意味である。彼の最終目標は主家の再興にあったものの、その前段階として自分自身の人間的な成長を誓ったのである。

 

 現代風に言えば単なるドMな人間という評価もできようが、自分が仕えた主家を再興させようという鹿之助の意欲は生半可なものではない。尼子家の人間を遠くの親戚から連れてきては当主に据える。失敗するたびに新しい当主を据えまた失敗する。その失敗は実に三度に及んだ。三度目の失敗のあとついに首を刎ねられてしまうわけであるが、ここまで主家に尽くした人間は戦国広しといえども鹿之助のみなのである。

 

 これを読んで共感してくれた方は是非ともネットで鹿之助のことを調べてみてほしい。そして好きな戦国武将を聞かれることがこれからの人生においてもしあるなら山中鹿之助と答えてください。

 

「第1話 感想」 byアフリカの精霊

  • 2017.01.08 Sunday
  • 21:58

 本日20時からの「女城主 直虎」見た方はいらっしゃるでしょうか。大河の平均視聴率は15〜20%ですからこの日記をご覧になってる方も5人〜6人に1人は見ていてほしいものですが、どうでしょうね。まだ再放送が残っていますが、ネタバレもそこそこに、1回目を見た方には簡単な解説を、まだ見ておらず再放送などで見る方には興味をもってもらえるように1話の内容を書きたいと思います。

 

 まずは私が以前この日記に書いた井伊家の系図、これに第1回の情報を組み合わせものが次になります。

 

曾祖父  直平(1489〜1563) 最後の方に出てきたご隠居様

祖父   直宗(  〜1542) 登場せず、つまり物語開始時には既に死亡

父    直盛(1526〜1560) 現・井伊家当主

主人公  直虎(  〜1582) 主人公 元気な女の子という設定

 

直宗の弟  直満(   〜1545年) 1話で今川より謀反の疑いをかけられ死亡

直満の子  直親(1535年〜1563年)  亀之丞という名前。体が病弱、笛がうまい。1話で直虎と婚約。

直親の子  直政(直虎の養子へ) もちろんまだ登場せず

 

 

 ここに井伊家以外の人間として

 井伊家家老・小野政直…今川家と親密な井伊家家老、直満に謀反の疑いがあると今川家に報告。それが原因で直満は打ち首

 小野政次…1話では鶴丸という名前で登場。頭が良く体も丈夫。おとわ(後の直虎)、亀之丞と3人で幼馴染という設定。ちなみに一般的には小野道好と呼ばれる。

 南渓瑞聞(なんけいずいもん)…和尚様。直虎をたびたび助ける重要な役割になりそうです。ドラマでは語られていませんでしたが直平の子供、つまり1話で死んだ直満の弟という説もあり、井伊家の人間のようです。

の3人が加わります。

 ちなみに1話で直満が死んだことからドラマの舞台は1545年だったということになりそうです。当時直虎は9歳くらい。鶴丸と亀之丞は10歳くらいとなります。

 

 さて、案の定出てきましたおとわ(後の直虎)と亀之丞(後の直親)との婚約。そこに鶴丸という人物を入れて三角関係ぽくしたところが面白かった。上記のように1話で亀之丞の父親は謀反の疑いで殺されてしまいますが、それは鶴丸をおとわの婿にしたい(つまり次の井伊家の当主を自分の子供にしたい)という鶴丸の父親である小野政直の陰謀だったということです。

 史実としても本当に直満が謀反を企んだのかは不明ですが、謀反人の子供も殺されるということで亀之丞はひそかに逃がされ、おとわとの婚約も当然破棄となったということで1話はおわりました。

 

 役者の演技についてはあまり詳しくないのでよくわかりませんが子役もうまかったと思いますし違和感はありませんでした。ストーリーについても3人を幼馴染設定にしたとこなど工夫が見られ面白くなっていました。あとあとの3人の運命を知っているとなおさら楽しみになっています。

 とりあえずはこんなとこでしょうか。みなさんもよかったら再放送などを見てみてください。

「餅つき」 byアフリカの精霊

  • 2016.12.30 Friday
  • 23:10

 「よいしょ!よいしょ!」

 心地よい掛け声が年末の町に響いていた。

 なんの因果か町の役員に当たってしまい、会計という役割ながら強制参加ということで町の餅つきに参加していた。

 町にある企業がスポンサーとなって毎年行っている餅つき大会、いまどき珍しい臼と杵を使っての本格的な餅つきの物珍しさからかそこそこ人数が集まっていた。

 

 集まっていたといってもやはり大部分年寄りで子供がその次に多く、年寄りは遠巻きに見ている人が多い。どうやら参加したいことはしたいのだが、体がついていかず恥ずかしいことを見せることになってはダメだという気持ちが躊躇させているらしい。

 

 裏方という役割の私は蒸したもち米を運んだり、出来上がった餅を運んだりとしていたのだが、一つわかったことがあった。それは餅つきは餅をつくという行為よりも蒸したもち米を捏ねる行為で8割がた終わっており、派手に見えるあの餅つきという行為はほぼパフォーマンスに近いということである。

 つまり餅とはもち米の粒がひっついて団子状になれば完成なので、蒸した米を最初は杵で潰していく作業が必要でその行為だけほぼ完成品の餅のようになり、いわゆる餅をつくという行為は仕上げということになる。

 この捏ねるという作業が非常に地味な割に辛い。この行為を裏方がしている間、遠巻きに見ている年寄りたちは「次はお前がやれよ」「もう年やから体がついていかんわ」なんて話をしている。その割にいざ餅をつくという段階になると「仕方ないな〜」といいながらやる気マンマンで杵を持つのである。

 

 まだ、恥ずかしがっているという点では子供の方がかわいかった。親の陰にかくれながら親に勧められて渋々子供用の小さい杵を持つ。初めは力なくペチペチと打っていてもこちらが乗せてやると急に笑顔になり、ノリノリで打ってくる。もちろん大人が打ってほぼ完成した餅を打つので意味がないのであるが本人たちは本気も本気、最後は満足した顔で終わるのである。そして次の餅米が来るとやりたいとばかりに子供用の杵をもって最初からやろうして微笑ましかった。

 

 さて、先ほどのツンデレ年寄りたち。やる気マンマンで腕まくりをして力任せに振りかぶる。先ほどある若者がついていた時に「やっぱり若い奴らはわかっていないなぁ」って言ってた手前、実力をみせようにしたに違いない。さすが年のわりにすごいといいたかったが、これがとんでもなくノーコンだった。いわゆる速球だが制球が定まらない。こうなると怖いのがついた餅を手で裏返したりする介添え役。手を叩かれないようにするのがせいいっぱい、餅を裏返すどころの話ではない。危ないという場面も数回あったし、下手すれば後頭部を打たれる場面もあった。

 周りの誰もがハラハラしながら見て、どうにか終了し無事に嵐が去ったと思った瞬間、私は見た。介添え役の人のおでこが赤くはれていることを。どうやら振り下ろす杵から自分の手を神回避した後に振り上げる杵にやられたようであった。

 

 音がうるさいということで除夜の鐘が禁止されたり、ノロウィルスが危険ということで餅つきが禁止されたりする昨今であるが、組体操同様、危険という理由で餅つきが禁止されないか心配である。

 

「井伊直虎」byアフリカの精霊

  • 2016.12.21 Wednesday
  • 23:51

 真田丸も既に最終回が終わりましたがその感想などを述べる前に、来年の大河ドラマ「女城主 井伊直虎」について簡単な紹介をしておきましょう。

 

 まずは井伊家の簡単な家系図をみてもらいましょう。なお全員ドラマに登場します。ちなみに時代的には丁度信長の時代とかぶります。今回の大河の真田幸村が1567年生まれで直虎が亡くなるのが1582年であることをみると、真田丸よりは一昔前の物語といえます。

 

曾祖父  直平(14891563

祖父   直宗(  〜1542)      直宗の弟  直満(    〜1545年)

父    直盛(15261560)      直満の子  直親(1535年〜1563年)

主人公  直虎(  〜1582)      直親の子  直政(直虎の養子へ)

 

 なんか「直」ばっかりでややこしい…。そうです。これが戦国の難しさ。井伊家にとって「直」は一族を表す一文字だったようですが、これは序の口で同じ年代に同じ名前が存在したり祖父と全く名前になったりすることもよくあります。

 そういえば、幕末の桜田門外の変で有名な子孫の井伊直弼にも「直」がついていましたね。

 この「直」の登場人物の多さをどう克服するか、ドラマの演出として克服するのかそれとも役者の演じ分けでわかりやすくするのか、初見の人にも食いつきやすいようにしてもらうことが大切かと思っています。

 

 なお直虎自身は上記の直親と婚約関係にあったと言われています。現在、そもそも直虎が女ではなく男だったという新説がでてきていますが、そうなると題名自体変えないといけなくなるので女という通説通りにいくでしょう。よってこの婚約者という設定も史実とは確定されていませんが、ドラマティックな話題として大河のストーリーには組み入れられるでしょう。つまり、直虎は婚約が破棄され、その婚約者と他の女性の子供(直政)を養子として育てるということになります。そしてわずか20年弱の間に婚約者も含めた親族5人を亡くしてしまい、必要に駆られて女ながら井伊家の当主になるという時代に翻弄される様子も注目ですね。

 

 ちなみに井伊家というと徳川家(当時は松平家)というイメージが強いですが、このドラマの大半の部分は桶狭間で負けた今川家の家臣としての時代になります。今までの大河ドラマというと今回の幸村のように華々しい活躍をした人が主人公でしたが、今回は言葉は悪いですがいくさに負けに負けて不幸を耐えて耐えたという不幸な物語となりそうな気がします。もちろんがんばろうとする女性を表現しようとするのでしょうけど私の持っている戦国感からは直虎の不幸さしか出てこないのです。

 このイメージを払拭してくれるようないい意味で期待を裏切ってくれるようなドラマを期待しています。

【テーマ】 「魔法をかけてよ!」  byアフリカの精霊

  • 2016.11.30 Wednesday
  • 21:44

 「あーあ、毎日嫌だなぁ。炊事、洗濯、掃除…。どこかにイケメンのお金持ちいないかなぁ。お姉さま方は玉の輿に乗るって言ってお城で開かれる舞踏会に着飾って行っちゃったけど、私は綺麗な服は持ってないしなぁ」

 

 そこに現れる魔法使い。

 

 「えっ、魔法使いのお婆さん、私に綺麗な服をくれるの?ラッキー!!しかも馬車付きで!かぼちゃってちょっとダサいけど。しかもガラスの靴って何?ちょっと履きにくいじゃない。転んだりしたら割れて足に大けがするじゃない。ちょっと気が利かないけど、まぁ贅沢は言えないわね。」

 

 12時になると魔法が解けると忠告する魔法使い。

 

 「12時になると終わっちゃうって役に立たないわね。王子様と結婚するんだったらずっと綺麗な服で豪華な馬車に乗ってないといけないじゃない。貧乏でみすぼらしいってわかったら見限られるかもしれない。こうなったら今夜に勝負賭けるしかない。」

 

 そこであらかじめ作戦を練るシンデレラ

 

 「あのね、魔法使いのお婆さん。ちょっとお願いがあるんだけど…。12時になったら全ての魔法が解けるって言ったけどガラスの靴だけ12時過ぎても解けないようにしてくれない?」

 

 シンデレラは意気揚々とお城に乗り込む。

 

 「王子様は…っと。ふーん、中々のイケメンじゃない。けどガツガツ行くとあからさますぎてダメっぽいからここは興味ないフリして向こうから声をかけてくるのを待つことにしようかしら。えーっ、王子様と踊るの順番待ちなのー。1150分まで無理って、それじゃ私10分しか踊れないじゃん。そんなんじゃアピールできないどころか王子様の印象にも残らないかも…。ここはやはりさっきから考えていた作戦が必要ね…。」

 

  1150分になり、ついにシンデレラの順番が回ってくる。王子様と楽しそうに踊るシンデレラ。この10分に全てを賭ける。

 

 「貴方はお美しい。なんというお名前なのですか。」

 「ありがとうございます。すいませんが故あって、名前は明かせません。(よし!食いついた!)

 「それは残念だ…でもいつか再び貴方とお会いしたいものです。」

 

  楽しい時間はあっと言う間にすぎ、非常にも12時を告げる鐘の音がなる。

 

 「王子様、残念ながらお時間です。私はこの場を去らなくてはなりません。」

 「待ってくれ。私は…」

 王子様の静止を振り切り去ろうとするシンデレラ。

 追いかける王子様。

 シンデレラはここぞとばかりに考えていた作戦を実行する。

 「あっ!靴が…」

 ワザとらしくこけてガラスの靴の片方を階段に落とす。あくまでワザとは見破られないように…。

 

 「名前も告げずに去ったあの女性を探し出せ!このガラスの靴が合う女性が必ずいるはずだ。私は彼女と結婚する!」

 

 こうしてあざといシンデレラの作戦は見事に成功し、たった10分で王子様に強烈な印象を残したシンデレラは王子様と結婚することができたのです。

 

 シンデレラ物語で12時過ぎてもガラスの靴だけ魔法が解けなかった背景にはこのような物語があったのでした。

「幸村に対する自論」 byアフリカの精霊

  • 2016.11.21 Monday
  • 03:12

今日は佳境を迎えた真田丸の主人公、真田幸村についての自論を語りたい。

 それは実際の活躍以上に美化されていないかと言うことである。いまや戦国武将の中でもかなりの有名人、しかも大河の主人公にまでなった良いイメージのある武将を低く扱うのはかなり批判覚悟で勇気のいることであるが敢えて言いたい。

 

 まず、なぜ幸村がかなり強いイメージのある武将だと現代で評価されているか。それはひとえに徳川家康を苦しめたことにある。江戸幕府を開いた天下人を苦しめた=強い武将、これが一般的な認識である。

 しかし、よく考えてみよう。それは大阪夏の陣におけるたった一回、しかも結果的には負け戦であるということを。負けたけど苦しめたではこの評価はおかしいのではないかと思う。

 

 そもそも家康がなぜ幸村を恐れていたかというと大河ドラマで草刈正雄の演じていた幸村の父、昌幸の子供だからである幸村自身を恐れていたわけではない。家康は真田昌幸に二度も負けている。それも圧倒的な兵力差のある戦いを二度もである。幸村は一度目には参戦しておらず二度目は父の指示の元動いたにすぎない。大河ドラマでも「あれは父ではなく私の指揮だった」なんてハッタリをかますシーンがあるくらい実戦の指揮経験がなかったのである。

 

 そんな中、大阪の陣が起きる。知っての通り冬の陣においては真田丸と言う出城により徳川側を撃退する。これはまあ良い評価を与えてもいい。しかし城を使っての防衛戦であり世間で言われているような比類ない評価を与えるには不十分である。そして夏の陣においては知ってのように家康を追い詰めるのであるが、その前に失態を犯しておりそれが私としては許せないのである。ドラマのネタバレになるので簡単にいうが待ち合わせ時間に遅刻して仲間を見殺しにしてしまう。その失敗は一般的にはクローズアップされず、家康を追い詰めたことだけが目立っているのが現実である。その家康を追い詰めたことですら、他に注目すべき武将がおり、幸村の活躍はそれらの武将の露払いの結果成り立っていると言うことを言いたい。

 

 思うに幸村のイメージは真田十勇士という民間の読みものとして有名になったこと及びたった一度の戦いのインパクトの強さのせいだと思う。現代でいうと子供に対してだと○○レンジャーのような戦隊物、大人にとっては水戸黄門のような時代劇の主人公みたいな存在として日本人に根付いた人物であるように思う。

 このような評価になると実は大失敗もしているとか大した人物ではないとか言うことができなくなる。信長秀吉家康以上に批判しにくい人物になっている。

 

 夏の陣において家康を追い詰めたこと等一般的に見て素晴らしい武将には間違いない。しかし世間でいわれているような評価を持ち、なおかつ現代において戦国武将の代表として挙げられるような人物かと言えばそうではないのではないかと思うのである。

 

「キリン」 byアフリカの精霊

  • 2016.11.20 Sunday
  • 12:28

 

 つい先日の新聞のコラムに動物のキリンの名前の由来について書かれていた。日本には野生で存在しない動物の日本名が英語名のジラフではなく、なぜキリンという名前になったかということである。それは日本がキリンを初めて輸入する際に予算の承認を得ずに購入した動物園の園長が宮内省に高額な予算の承認を得るために「今度来る動物は麒麟である」ととんでもない理由をつけたことからくるらしいと言ったものだった。

 

 麒麟というのは知っての通り中国の伝説上の動物である。現代となってはビールの絵柄や漫才師が有名となってしまったが、本来麒麟児なんていう言葉もあるように非常に良いイメージのある動物であり、その権威にあやかろうとしたものらしい。

 

 つまり今の我々の認識しているキリンという名前は当時の園長がとっさについた嘘が元になったということである。

 歴史的に見ると嘘がいつの間にか真実として認識されるようになったということは枚挙にいとまがない。ナチスのプロパガンダの天才と言われたゲッペルスが言った「嘘も100回言えば真実になる」と言うのも歴史的にはあながち間違いではなさそうである。

 

 戦国時代の嘘が現在においては真実として信じられている、こんなことは数えきれないくらいある。

 良い例が真田幸村である。何度かこの日記において述べてきたが、「幸村」という名前は幸村の生前は全く使っていなかった名前である。彼の死後、いつの間にか使われるようになった名前であるが、今回の真田丸が放映されるまで世間のどれくらいの人が「幸村」なる名前が実在しないことを知っていただろうか。いや、今回放映されたドラマはストーリー上、生前くじ引きにより「幸村」に改名しているがこれは演出であり史実とは異なっているので、未だに真実を知らない人が多いのではないか。

 「幸村」と誰かが名付け、その嘘があまりにも定着してしまったため、その名前が真実として扱われるようになってしまった。自分が違う名前で歴史に残ってしまった真田信繁の心中や如何にという感じである。

 

 人の名前ですら事実と違うものが存在するのが歴史なのである。ましてや出来事、人の評価、出自あらゆるところで事実とは違うものが現代では歴史とされているのである。

 「毛利元就が三本の矢では折れないことを子供に諭した」「秀吉は草履を懐に入れて温めていた」「秀吉は墨俣に一夜で城を建てた」。全て事実ではない出来事もしくは裏付けのない伝承が現代においては歴史的真実として一般的に受け入れられているものばかりである。

 

 情報化社会が進み、また戦国時代に比べて権力者の「嘘」を民衆が許さなくなった現代になっても議員が行ってもない出張を行ったことになったり使ってもないお金を使ったりと明るみに出なければ「嘘」が「真実」になっていたという事件が起きていたりする。

 冒頭の新聞のコラムは明治時代のことであるが、戦国時代と何ら進歩していないように思える。そしてそれは現代においても…といった気持ちがしないわけでもないのである。

「マイブーム」 byアフリカの精霊

  • 2016.10.20 Thursday
  • 23:28

 今の私のマイブーム、それは家庭菜園である。

 といってもプランターや植木鉢数個程度の庭先やマンションのベランダでもできる程度のものである。

 「マイブーム」なんてたいそうな言葉を使ったが、方針は「放任主義」、つまり何もしないということである。

 100均で土を買ってそこに種を植えて、芽が出て伸びてくると支柱を立てるくらい。

 これで何とかなるのである。花ではなく野菜なのは張り合いを持たせるため。自分が食べる物を作っていると考えれば遣り甲斐もできるものである。

 日頃は水をやるだけ、それでいて何か達成感を得られる趣味というわけである。

 

 夏にかけては、茄子・キュウリ・トマトを作った。トマトはプチトマトからいわゆる普通の大きさまで様々な品種を作って、それぞれのものがある程度の個数実をつけるまでになった。非常に面白かった。

 しかし夏の終わりに植える秋〜冬にかけての野菜の選定が難しい。恥ずかしい話、この年齢になるまでどの季節にどの野菜ができるなんてほとんど知らなかった。中学時代に授業で畑栽培がありそこで作った大根は何となく冬の野菜というイメージを持つくらいである。

 ということで今回は少しズルをして苗から育てることにする。ホームセンターで白菜、ブロッコリー、イチゴの苗を買ってきた。

但し白菜は非常に虫の付きやすい野菜らしく今まで作ったものに比べて難易度が高いと苗を売っている店員さんに言われ現在その通り葉っぱがボロボロになりつつあり、苦戦中である。ブロッコリーに関してはどうやって栽培するか全く不明のまま進めている。そもそも我々の食べている部分がブロッコリーの花に当たるというのも初めて知ったくらいである。どうやってあの花ができるのか、どのようになったら収穫なのか、手探状態が続きながらの栽培である。イチゴは言わずもがな苦戦である。もし実を付ければ一番単価が高いものであるのだから栽培が難しいのは当然である。

 

 ネット社会の進んだ今なら「ブロッコリー 栽培」なんかで調べると全部載っているのだろうが敢えてそれをしないところに楽しさがある。実を収穫することを最終目標にはするがその手探り状態を楽しむところに面白さがある。実は、夏の収穫を終わったあと手っ取り早くそして簡単に楽しむために赤いハツカダイコンを植えたのだが、どこをどう間違えたのかこの難易度が低そうなものを失敗してしまい、実(根?)をほとんどつけない状態となってしまった。しかし私がそこで感じたことは悔しさや残念さではなく、失敗することもあるんだという面白さであった。何もしない「放任主義」でもそこそこ育つ。そこに創意工夫が入ることによって成功に近づく。そこが面白いと初めて思った。

 

最初は不純な動機で初めてみたのだが、意外と飽きずに続けている。みなさんも新しいものに挑戦したい、けど気楽にやれるものがいいという方は一度やってみてもいいと思います

 

【テーマ】「備中高松城水攻め」 byアフリカの精霊

  • 2016.09.30 Friday
  • 23:55

 戦国において水攻めと言えば、備中高松城と忍城であろう。

 他にもあったのだろうが、この二つが突出して有名である。

 昔は前者しか知名度がなかったものであるが、和田竜によってのぼうの城が映画化されまた真田丸にも出てきたことから最近では知名度的には逆転したのではないかと思う。

 ということで「水」をテーマにした作品の今回は備中高松城を扱おうと思う。

 

 備中高松城、備中という国名が指す通り岡山県にある城である。

 1582年、信長の家臣である秀吉は中国地方の覇者である毛利家と戦っており、岡山県にあるこの城は最前線であった。

 勢いは織田家にあり、3万対5千、毛利方は籠城するしかなかった。しかしこの備中高松城、周りを泥炭地で囲まれており城自体も堅固に出来ており秀吉は攻めあぐねてしまう。しかも城主は清水宗治。戦国ファンには結構有名な律儀で戦上手の武将であり、攻められても撃退するだけの力量がありそれでいて毛利家への忠誠心の高さから一向に降伏しようとしない。

 

 そこで秀吉はこの泥炭地を逆手にとる戦略を思いつく。正確には軍師の黒田官兵衛もかかわっていたと思うが、川をせき止め4キロ四方を池にしてしまい高松城を水没させるのである。これをするには大人数の農民が必要であろうが、そこは秀吉、破格の報酬を払うことを約束して12日で完成させてしまうのである。

 戦意をなくした高松城が落城寸前になるところで歴史的一大イベント本能寺の変が起きて信長が死ぬ。慌てた秀吉は毛利家と和睦し、清水宗治1人の切腹で城兵5千の命は救うことを約束して明智光秀に戦いを挑みに行く…といったのが歴史的な流れである。

 

 さて、これで名を挙げたのは誰かということに注目したい。秀吉の戦略はスゴイ。攻めにくい城なら水没させてしまえば良い、という考えをするところに頭の良さがうかがえる。そして実行力と統率力、農民を不満なく総動員させあっという間に池を完成させてしまったところに秀吉の人使いのうまさがある。

 しかしである。この備中高松城の水攻めで名を挙げたのは誰かというと実は負けた側の清水宗治だったのである。ドラマなんかでこの水攻めを取り上げられる時、絶対といっていいほど清水宗治は律儀で武士道精神の溢れた演じ方が成される。そして水没してからも城に入った農民や家臣たちを励ます様子が描かれる。はっきりいってカッコよく描かれる。

 そして何よりも最後の切腹シーン。5000の兵の命を救うために自分一人が犠牲になる。切腹は水没した城から出た小さい小船の上で行われる。誰も声を発しない静寂の中、両軍から計35000人の前で水没した城を背景に腹を切るのである。切腹シーンまでカッコイイ。

 

 和睦条件として清水宗治の切腹を織田方に提案された毛利は初めは断ったという。毛利方によって宗治はそれほど惜しむべき武将であったようである。しかしドラマによっては宗治自身がその要求を飲むように提案する場面もあるくらいなのである。

 高松城の水攻め。秀吉の素晴らしい戦略を行動力により堅固な城は落ちた。しかしこれで名前を挙げたのは勝った側の秀吉ではなく、5000の兵の命を救った負けた側の清水宗治だったのである。

「真田丸 佳境」 byアフリカの精霊

  • 2016.09.26 Monday
  • 22:15

 ついに佳境に入った真田丸。見てる人も見ていない人も少し私の話に付き合ってください。

 

 関ヶ原も終わり残すとこは大阪の陣のみとなりました。まだ終わっていませんが通じて見て演出的によかったと思える私の好きな作品の作り方をしている箇所がありました。

 それは「徹底した真田目線」という部分でした。

 徹底した真田目線、それは様々な場面で見受けられました。例えば本能寺や関ヶ原など歴史的重要事件であろうとも真田が直接は関係していないのでナレーションのみで終わらすということを徹底していました。

 本能寺はその後の真田家の運命に多大な影響を与えた事件ですが、それ自体は織田家の内部の事件であり真田家は直接関係ないですし、関ヶ原も関ヶ原で起きた戦自体には真田家は関わっていません。真田家からしてみれば「あれっ、信長死んじゃったの?」とか「三成もう負けちゃったの?」って感じであっという間の出来事だったのでしょう。ナレーションのみという表現は真田家にとってちょうど良い表現だと思います。

 

 また先日の場面でも加藤清正が死ぬシーンがありました。死ぬシーンと言っても真田家とは関係ないのでナレーションのみで死ぬのですが、服部半蔵による暗殺とされていました。実は加藤清正の死には様々な説があるのですが、その一つに関ヶ原では東軍に属しながらもその後も豊臣秀頼に忠誠を誓う加藤清正を疎ましく思った家康による暗殺死という説があるんです。ただ、やっぱり一般的な説にはなりえてないのですがこの真田丸ではこれが採用されてました。家康憎しの真田家目線から見れば、病死とするよりもこれがあっていそうな気がしました。

 

 以上のように真田目線ということをはっきり表に出している真田丸。あとは大阪の陣を残すのみとなりました。

以前私の日記において真田幸村は現代において過大評価されているといいましたが、その理由の一つとして大阪夏の陣において戦場に遅刻するといった失態をし仲間の後藤又兵衛とかを見殺しにしていることがあります。これを真田丸ではどう評価するか。仕方のない遅刻とするのかはたまた幸村の失態として表現するのか…。幸村目線としてどういった描写となるのか楽しみですが、私の好きな毛利勝永のどういった活躍が描かれるかが楽しみでなりません。

 私が思うに大阪の陣における豊臣方のMVPは彼でしょう。世間的に幸村になっているのは家柄や知名度、最後の華々しさにおいて差があるからだと思います。今まで一度も見たことのないみなさんも大阪の陣だけ見ても面白いと思います。そしてその時、片隅でいいので毛利勝永のことを見て戴ければと思います

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