ループ&ループ  Mr.ホワイト

  • 2018.07.14 Saturday
  • 13:45

 長い雨が止んだ次の日、仕事帰りの電車が山間の駅に着いてドアが開いたその瞬間、草と土と湿気が入り混じった、あの独特のむわっとしたにおいが車内に入り込んできて、ああ、また夏が来たのかと思うと同時に、頭の中に子どもの頃の夏の記憶が色鮮やかに蘇り、そしてさっと通り過ぎていきました。夏になると子どもの頃を思い出すのは、あれは一体なぜなのでしょうか。


 長男は保育園の年長になっていて、夏が近づくとそこら中に現れてくる虫たちがとにかく気になる年頃のようで、マンションの廊下の溝でカナブンがひっくり返っているのを見て大声で騒いだり、サッカーの練習場の原っぱでサッカーの練習はさておいてバッタを追いかけたりしていますが、それを見ていると自分が母親特製の長い虫取り網でセミ取りをしていたことを思い出し、長男に昔の自分を重ねてしまって、まるで過去の自分が目の前で虫を追いかけているような妙な錯覚にとらわれることがあります。そして虫を見つけては「おとーさーん!こっちきてー!」と叫ぶ長男の視線を、昔は自分も持っていたような気がして、かつてわたしが見た父親と今の自分とがまた重なっていくのです。季節は巡り、親は子を生み、子は親となり、人生はループします。


 ああ、また夏が来たのかと思うときに、どこか寂しさを感じてしまうのは、あの頃あの場所に戻れないからなのかもしれませんし、あるいはまた季節が巡ってしまったからなのかもしれません。子どもを育てることは、自分が死にゆくことを意識することでもあります。こう書くと大袈裟なのですが、「自分はあと何度、子どもと一緒に夏を迎えられるのだろうか」と心のどこかで思い始めているからのような気もします。


 昨年は夜の二月堂に蛍を見に行き、夕方の奈良公園の木々にセミの幼虫が登っていくのを見に行きました。毎週末、プールに行って疲れ果てるまで遊び、プールの隣の公園でセミの幼虫の抜け殻を数えきれないくらい集めました。元興寺の小さな夏祭りに行って光るおもちゃの金魚をすくって、家に持ち帰ってお風呂に浮かべました。今年もできるだけ色んなところへ行きたいと思います。子どもが大きくなったときにふと思い出すような夏の思い出が残るように。



【テーマ】戦時下のシャンソン  Mr.ホワイト

  • 2018.04.30 Monday
  • 12:00

 武満徹(Toru Takemitsu)はおそらく世界的にもっとも知られている日本人作曲家で、彼の前衛的な現代音楽は今も世界中のオーケストラで演奏されていますが、驚くことに彼は正規の音楽教育を受けていません。家族や親戚に音楽家はおらず、誰かに手ほどきを受けたというわけでもありません。それどころか彼はピアノを持ってすらいませんでした。

 

 病弱な少年期を過ごした彼は音楽とは特段かかわりのない人生を生きていました。しかし1945年の敗戦の年、それは彼が15歳の頃でしたが、半地下壕の軍の宿舎で見習士官が手回しの蓄音機でこっそり音楽を聴かせてくれたことで彼の人生は一変します。それは敵国であるフランスのシャンソンで、そのような音楽を当時の少年たちは聴いたことはありませんでした。戦時下に流れるその敵性音楽を聴いて雷に打たれたような衝撃を受けた武満は、それ以来取り憑かれたように音楽のことしか考えられなくなってしまったのです。

 

 敗戦直後の日本にピアノなどという高価なものがそこらにあるわけはありません。唯一ピアノがあるのが学校で、彼はピアノを触りたいがために学校に通い、ピアノを勝手に使っては音楽室に鍵をかけられ、鍵を壊してまた勝手に使い、また鍵をかけられては鍵を壊すということを繰り返していました。それでもピアノを触る時間は限られるので、彼は外を歩いていてピアノの音が聞こえるとその家に行ってピアノを弾かせてもらい、それもわずかな時間だったのでボール紙で鍵盤を作って常に持ち歩き、紙の鍵盤を叩くことで頭の中に音を鳴らしていたのです。

 

 結局、彼は音楽学校に行くこともなく、ピアノは横浜の米軍キャンプのバーで給仕として働きながら、バーが閉まっている朝から夕方まで1年間独学で弾きまくっただけで、音楽教育を受けずに作曲家に師事し、ピアノを持ったことがないまま作曲家としてデビューします。

 

 彼の代表曲は「ノヴェンバー・ステップス」「弦楽のためのレクイエム」「遠い呼び声の彼方へ!」などですが、彼の曲を聴くと複雑で難解でわけがわからなくて、しかし同時にダークで美しくて、「この曲は一体どこから来たのだろうか?」と思わざるをえません。武満徹の前衛性は伝統的なクラシックの向こうにあるというよりも、彼の中にあったものが外に出てきたとき、それがクラシックにとって前衛的であったと言うほうが近いように思います。つまり彼の曲は彼の中から出てきたのであって、その鍵を開けてしまったのは戦時下の半地下壕で流れたシャンソンだったのでしょう。

 

 武満徹と音楽との出会いは偶然だったわけではないと私は思います。戦時下でシャンソンに出会ったのは偶然かもしれませんが、そうでなくとも彼はいつかどこかで何かを聴いて衝撃を受けたはずです。シャンソンは彼という器を満たしたのではなく、コンコンとそいつをノックしたにすぎません。どこから来たのかわからない彼の音楽を聴くと、彼の中にはもともと何かが流れていて、それはずっと外に出るきっかけを待っていたのだとしか私には思えないのです。

 

読書感想文(SHOE DOG) Mr.ホワイト

  • 2018.04.23 Monday
  • 00:00

 昔は何の役にも立たない小説やエッセイばかり読んでいて、ハウツー本や啓蒙書の類を敵視していたときもありましたが、最近はビジネス書を読むこともままありまして、自分も働くおじさんになったのだなと感じます。とはいえ、ビジネス書の多くはやはり「おれはこうして成功した」という自慢話ばかりで、そんなもの聞きたくないし、それこそクソの役にも立たないものであることに違いはありません。本に限ったことではありませんが、エピソード8でヨーダが言っていたように、私たちが聞きたいのは圧倒的に失敗話なのです。

 

 私のベストビジネス書はペイパル・マフィアのボス、ピーター・ティールが書いた『ZERO to ONE』でしたが、昨年末に読んだフィル・ナイトの『SHOE DOG』は久々に面白いビジネス書で、これは『ZERO to ONE』に匹敵するなあと唸りました。

 フィル・ナイトはナイキの創業者です。ゼロから創業し数十年で世界有数のグローバル企業に成長させ、大富豪になった彼がこの本で語るのはしかし、創業初期の失敗であり借金が返せない絶望であり訴訟の恐怖であり創業メンバーとの喧嘩であり家庭の悩みなのです。したがって、本書にはビジネスマンの参考になるような成功の秘訣も失敗の教訓も一切書かれていません。

 もちろん本書はあくまでビジネス書であって、面白い事実はいくつも書かれています。フィル・ナイトは会計士だったとか、ナイキはもともとオニツカタイガー(現アシックス)の米国代理店として始まったとか、アメリカの銀行が金を貸してくれなくて日商岩井(現双日)に借りたとか。私は学生の頃、学校でナイキを着ているやつはおしゃれな金持ちだと思い込んでいましたが(ズラタン・イブラヒモビッチも自伝で同じことを書いていました)、それはナイキの本質ではないのだということが今更になってわかりました。

 

 「SHOE DOG」とは靴に狂った人間のことであり、本書は靴にすべての情熱をかけた変人たち、そして今もそうしている変人たちへの賛歌であると言ってよいでしょう。これはピーター・ティールとも共通しているのですが、彼らが言っていることは要するに「偏れ、尖れ、いききってしまえ」ということで、いききってしまった人間はまず間違いなく変人扱いされるわけです。彼らは常識を捨て、家族を犠牲にし、金のことも考えずに仕事に突っ走り、しかしその変人たちの情熱がナイキをつくったのです。

 日本では一般ランナーはアシックスを履いている人が多いのですが、先日ハワイに行ったところ、アメリカ人のランナーはほぼ全員ナイキのシューズを履いていました。ベビーカーを押しながらランニングしている女性がいて驚いたのですが、彼女の靴もやはりナイキのものでした。 

 

競馬の先生(補遺)  Mr.ホワイト

  • 2018.03.23 Friday
  • 16:29

 「競馬の先生」で最優秀作品賞をいただき、ありがとうございました。いつもより時間をかけずざあっと書いたもので、選ばれるとはまったく思っていませんでしたので驚きとともに嬉しく思いました。

 本作を書くきっかけになったのは最近のプリミエールの競馬熱で、なかば競馬予想サイトではないかと思われるほどの予想記事の充実に加えて、その記事を理解するための競馬解説記事が書かれたりして、気がつけば競馬のことばかり語られている中で、そこで語られていない競馬を語ってみようと思ったからです。


 競馬はギャンブルですがスポーツでもあり、また血のドラマであり人間のドラマであり一攫千金の勝敗のドラマでもあります。だからなのか、競馬は文学との相性が良いようで(これは将棋も同様だと思いますが)、多くの作家が競馬を愛し競馬を語ってきました。現代では芥川賞作家の古井由吉が競馬雑誌「優駿」で今も定期連載していますし、浅田次郎も馬主であり競馬エッセイを書いています。また、ポストモダン文学の旗手、高橋源一郎は競馬中継にもよく出ていましたが、彼の著書「競馬漂流記」は競馬文学の最高峰だと私は思っています。過去に遡れば菊池寛も競馬好きですし、山口瞳は競馬に関する名著を残しています。しかし競馬好きの作家の中でも寺山修司が別格であることに異論を唱える競馬ファンはいないでしょう。


 寺山修司はおそらく競馬が文学であることを「発見」した人で、彼の有名な詩「さらばハイセイコー」は次のように始まります。


 ふりむくと

 一人の少年工が立っている

 彼はハイセイコーが勝つたび

 うれしくてカレーライスを3杯も食べた


 ハイセイコーは1970年代のスターホースです。地方競馬出身である非エリートのハイセイコーは、中央競馬のエリートたちを蹴散らして大衆の人気者になりました。「少年」ではなく「少年工」である理由は、ハイセイコーがワーキングクラスヒーローだったからです。寺山修司は競馬をこのようにパーソナルなものとして、つまり一人一人にとっての物語として書くことを得意としていました。この詩は「ふりむくと」から始まる10人超の人々を描いたあとに次のように転じます。


 ふりむくな

 ふりむくな

 うしろには夢がない


 ここは非常に有名なパートで、過去を振り返るなという意味もありますが、逃げ馬だったハイセイコーの生き方そのものも意味しています。


 完全にネタバレになってしまいましたが、文学としての競馬もたまにはいいかなということで、寺山修司の真似事をして私と私の友達にとってのパーソナルな競馬を書いた次第です。競馬文化の裾野の広さを少しでも感じていただければ幸いです。ありがとうございました。



ラヴィ・シャンカールについての補足  Mr.ホワイト

  • 2018.02.21 Wednesday
  • 00:00

 「The Sounds of India」で最優秀作品賞をいただきました。ありがとうございました。タイトルはラヴィ・シャンカールの同名曲を引用しています。せっかくなので本編ではあまり触れなかったラヴィ・シャンカール、ノラ・ジョーンズ、そしてジョージ・ハリスン周辺の話を補足させていただきます。

 

 ノラ・ジョーンズはデビューアルバムでグラミー8冠をとった化物です。日本でも非常に有名ですが、彼女の父親がラヴィ・シャンカールであるということはあまり知られていません。というか、ラヴィ・シャンカールなんて誰も知らないので、誰それというのがほとんどの人の反応です。世間的には、ノラがあのラヴィ・シャンカールの娘なのではなく、ラヴィ・シャンカールはあのノラの父親だという扱いです。

 ノラ・ジョーンズは確かにラヴィ・シャンカールの娘ですが、彼女が3歳のときに両親は離婚していますので、ノラは父親に何かを教わったわけではありません。事実、ノラの音楽はアメリカのジャズ・カントリーがベースで、そこにインド的なものはまったく何もありません。しかもラヴィ・シャンカールはシタール奏者でありシンガーではありませんので、歌の才能を受け継いだというわけでもありません。

 つまり、デビューアルバムでグラミー8冠の化物の父親は、たまたま畑違いのインド音楽の偉大な音楽家だった、ということです。こんな偶然が果たしてあるのでしょうか。やはり「血」なのか、あるいは「運命」なのか。この壮大な偶然を生み出したものを前にして、驚くしかありません。

 私は女性ヴォーカルはあまり聞きませんのでノラ・ジョーンズは守備範囲外ですが、デビューアルバム以外ではグリーンデイのヴォーカル、ビリー・ジョーとデュエットした「BILLIE JOE + NORAH Foreverly」がオススメです。

 

 ジョージ・ハリスンがシタールを使い始めたのはあの「ノルウェイの森」からだと言われていますが、その後一時期シタールにハマり、インド音楽そのままだと言えるような曲もいくつかあります。インド色がものすごく強い曲も何曲かありますが、個人的にその中で傑作だと思うのはサージェント・ペパーズに収録されている「Within You Without You」です。彼はソロ時代は実はあんまりシタールは弾いてなくて、インドに行ってシタールではインド人には敵わない、やはり自分はギターだと悟ったようです。このあたりはマーティン・スコセッシによるジョージ・ハリスンのドキュメンタリー映画「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」でも触れられています。

 ラヴィ・シャンカールに師事したのは1966年頃ですが、その後、彼らの友人関係は終生続きます。ラヴィ・シャンカールはジョージ・ハリスンが亡くなったとき、長い長い追悼文を書いています。

 ジョージ・ハリスンはビートルズの中では地味な印象ですが、解散後、素晴らしいアルバムをいくつか出しています。「All Things Must Pass」はロック史に残るウォール・オブ・サウンドの名作と呼ばれており有名ですが、個人的には彼のラストアルバム、死後に彼の息子とELOのジェフ・リンにより編集されて出された「ブレインウォッシュド」が相当な名作だと思っています。

 

 ラヴィ・シャンカールはインド国内よりも世界で活躍したインド音楽家です。インドのシタール奏者は日本の歌舞伎役者のようなもので、物心つく頃から徹底的に技術を叩き込まれるのですが、ラヴィ・シャンカールはどうやらそういう正統派の教育を受けていないようです。彼は幼少期からダンサーとして欧米を回っていたようで、シタールを学んだのは正統派に比べると相当遅かったと言われています。しかしその才能はすさまじく、海外を飛び回っている彼のシタールの前で、インドの正統派のシタール奏者たちは何も言えなかったようです。

 ラヴィ・シャンカールの音楽は私もまだ聴き込んでいる段階ですが、一言でインド音楽と言っても幅がすごく広いです。マントラみたいな曲もあれば、クラシックな曲もあり、早弾きのヘビメタみたいな曲もあります。本編にも書きましたが、思想とか宗教の領域に近い音楽だと思います。その意味ではジョージ・ハリスンのビートルズ時代の名曲「While My Guitar Gently Weeps」が近くて、なるほど、ジョージがあの曲を書けたのは、ラヴィ・シャンカールの影響も大きいのかもしれないなあと新たな発見をしたりしています。

 

 つらつらと書きましたがこのあたりで。ありがとうございました。

 

 

競馬の先生  Mr.ホワイト

  • 2018.02.17 Saturday
  • 23:13

 僕が競馬にのめりこむようになったのは中学1年生の頃、同級生のソガくんに競馬を教えてもらってからのことだ。ソガくんは中学生なのに妙に老けていて、15歳なのにトミーズ健にそっくりだった。そして彼の一人称は「わし」だった。今思うと笑えるのだが、当時は彼が自分のことを「わし」と言うのは僕らにとってはすごく自然なことだった。

 ソガくんは勉強ができなかった。スポーツもできなかった。そしてルックスはといえば妙に老けている。メガネは曇り、髪の毛はボサボサ、腹も少し出ていた。当然、女子にはモテるはずがないし、より正確に言えば女子からは毛嫌いされていた。でも、彼はそんなことを一切気にしてはいなかった。彼には競馬があったからだ。ソガくんは競馬のことについては学年で一番詳しく、彼の知識量には大人の世界が垣間見えたし、そして何よりも競馬に対する異常な愛情を持っていた。それがどんなジャンルであるにせよ、一番になることの難しさを中学生男子はよくわかっている。だから、たとえ勉強や運動ができなかろうと、男子たちは彼を心のどこかでリスペクトしていた。「競馬については、やつが一番だ」と。

 中学1年生で同じクラスになってすぐのことだった。「次の天皇賞・春は間違いなく歴史に残るレースになる。絶対に見るべきだ」と彼はクラスの男子に警告した。何がどう凄いのかわからないが、彼のいかにも大ごとであるかのような言いぶりにはロマンがあった。そして中学生男子はロマンにものすごく弱い。彼の言うがままに、日曜日にテレビでレースを見ることにした。

 1番人気は前年の有馬記念の覇者、サクラローレル。2番人気は阪神大賞典を圧勝したマヤノトップガン。3番人気は大阪杯を勝ったマーベラスサンデー。3強の戦いと言われていた。レースはサクラローレルが前につけ、マーベラスサンデーがマークする展開。マヤノトップガンは後方に控えたまま動く気配がない。最終コーナーで武豊のマーベラスサンデーがサクラローレルの馬体に合わせに行ったところでオオオッと歓声が地鳴りのように響いた。勝負。このどちらかが勝つとすべての観客が確信したとき、実況の杉本清が叫んだ。「大外から、何か一頭突っ込んでくる!」。マヤノトップガンだった。トップガンは大外からとてつもないスピードで駆け上がり、並ぶ間も無く2頭を抜き去った。

 そこは中学生男子の心を揺さぶるロマンに溢れていた。勝負、意地、金、誇り、そして疾走するサラブレッドの美しさ。ああ、凄いものを見てしまった、と翌日ソガくんに言うと、彼は自慢げにそうだろうと言ってレースの解説を始めた。あの天皇賞・春から20年間、僕は競馬を見続けている。ギャンブル派ではなくロマン派の競馬ファンなので馬券はほとんど買わないが、今は中学生の頃からの夢だった一口馬主をやっている。

 ソガくんは成績が悪かったので地元の公立高校には行けず、遠くの私立高校に行った。大学時代に会ったときにはマクドナルドのバイトマネージャーをしていて、競馬だけでなくパチンコにも詳しくなっていた。どうにもそういうヒリヒリするものに惹かれるらしい。彼が今どこで何をしているのかまったく知らないが、僕が今見ているレースと同じレースを見て、同じようにヒリヒリしているに違いない。競馬については、彼が一番なのだから。



The Sounds of India  Mr.ホワイト

  • 2018.01.17 Wednesday
  • 00:00

4月のムンバイは最高気温が30度を超える。暑い。が、日本の夏よりもカラリとしていて、過ごしにくいわけではない。ジョージ・ハリスンを気取るために現地で調達したクルタの袖が日差しを遮り、ダボダボの麻の生地は風通しが非常に良いため、汗をかいてもすぐに乾いてしまう。民族衣装とはやはりよく出来たものだと感心したが、クルタを着ていたのはあたりを見回しても私くらいで、現地の男性はほぼTシャツや襟付きの長袖シャツを着ている。クルタは現地では古めかしくてダサい服なのかもしれない。

           *

 インド人は非常になまりの強い英語を話すが、路上生活者のような人ですら平気で英語を話すことにやはり驚く。そこにあるのはマルチリンガルというような綺麗なものではなくて、多言語文化の混沌である。そして彼らはおそろしく話すのが速く、そして話し出したら止まらない。なまりが強すぎる英語で強烈なマシンガントークを繰り広げる様に「クセがすごいんじゃ!」と脳内の千鳥がツッコミを入れる。そう、インドでは何もかもが過剰なのだ。顔も濃い、しゃべりも濃い、からみも濃い、料理の味も濃い・・。

           *

 昔聞いたほどではないが、街を歩いていると変な木彫りの楽器を売りつけてくるような人もいる。どれだけ無視しようが歩く速度を速めようが、ついてきて交渉する。一緒に行動していた気の優しい香港人が「いや、いらないんだよ」とでも反応しようものなら、ここぞとばかりに「3割引にしてやるからどうだ」「半額でどうだ」「よしこれで最後だ、7割引でどうだ」と畳み掛ける。それも断ってトイレに行っている間も外でずっと待ち構え、出て来たところを捕まえて「お前はラッキーだ、9割引で売ってやる」と交渉を続ける。この生命力。胃袋がもたれそうだ。

           *

 物乞いはほとんどされなかったが、ある夜、信号待ちしているときに3〜4歳のやせ細った男の子にズボンをそっと引っ張られたときはさすがに少し心が揺れた。自分の子供とほぼ同じ年齢に見えた。信号が青になった。「ごめんね」と無視して横断歩道を渡ったが、一体何が「ごめんね」だったのか。

           *

 早朝、ホテルのプールサイドでヨガをやっていたので参加してみた。インストラクターはホテルマンらしきインド人で、参加者の大半は白人である。30分ほどゆっくりと体を動かしたあと、最後に瞑想タイムだ。

「仰向けに寝て、体の力を抜きましょう。目をつむり、ゆっくり息をしてください。何も考えず、心の声に耳をすませましょう」

 耳をすませなくとも、ギャアギャアという野鳥の声がホテルのプールに響き渡っている。プールサイドの木々に何十羽も住み着いていて、好き勝手に飛び回っている。インドでは鳥も大きな声でよくしゃべる。

「それでは目を開けて、空を見てみましょう」

 バササッと野鳥が木から木へ飛び移り、菩提樹の葉がガサガサと揺れた。鳥除けのネットの向こうに白い空が見えた。

「あぐらをかいて目をつむりましょう。音を、風を、太陽の温かさを感じてください。宇宙のエネルギーが感じられるでしょう。そして、あなたの体の中にも宇宙はあります。あなたの体の中の太陽を感じてください。」

 うまく言葉にはできないが、私はそのときほとんど初めて、自分が自然の中の一個体にすぎないことを感じた。私は野鳥でもあり、太陽でもあった。私は何からも守られておらず、何にもつながれていなかった。ドラッグの代わりになるものとして瞑想にハマったジョージ・ハリスンの気持ちが少しわかった気がした。

           *

 インドから帰ってから数ヶ月間、インドが誇るシタール奏者、ラヴィ・シャンカールの音楽を狂ったように聴いていた。彼はジョージ・ハリスンのシタールの師匠であり、ノラ・ジョーンズの父であることで有名だが、彼の音楽はそんなこととは別次元の、宗教や思想の領域にあるとさえ感じられる。あの時に見た空が音楽として響いてくる。

           *

 日本に帰ると空港の待合のテレビがワイドショーを流していた。全然知らない誰かが誰かと不倫していて、全然知らないコメンテーターがそれを非難していた。頭がクラクラしてきた。なぜおれたちはこんなにも狂っているんだ?

           *

 だけどそんなことを考えるのもほんの少しの間だけ。狂った日常がいつもの日常になっていく。ジョージ・ハリスンも時間が経ってマテリアル・ワールドに帰って行った。たまに気が向いたときにラヴィ・シャンカールを聴くと、生も死ももっと近くにあった雑然としたムンバイをちょっとだけ思い出す。自分という存在がとても雑だったインドは、同時にとても自由だった。

最優秀作品賞会見 Mr.ホワイト

  • 2017.08.20 Sunday
  • 22:08

 「南相馬へ」で最優秀作品賞をいただきました。ありがとうございました。客観的に見て「やまがある日記〜北アルプス表銀座縦走」のほうが断然良いと思っていましたので複雑な心境ですが、「南相馬へ」を選んでくださった皆様のコメントを読んでいると、これは「南相馬へ」自体がどうというよりも、この文章を読むことで読んだ方の複雑な思いがそこに投影されたというそのことが評価されたのではないかと少し納得しました。

 この文章を書いたあとでも、テレビ朝日が「ビキニ事件63年目の真実〜フクシマの未来予想図〜」という番組名のドキュメンタリーを放送しようとして大問題になり、サブタイトルが削られたということが起きました。テレビ朝日はこれについて明確な謝罪をしていません。多くの人が書いていますが、ビキニ事件と福島を関連づけ福島をフクシマと表記している時点で、テレビ朝日が意図したことは福島が汚染されているという主張であるとしか考えられません。これは当然記録に基づくドキュメンタリーではなく、空想に基づく単なる差別です。福島に対する差別は今も根強く残っているということをテレビ朝日は自らの行動で示しました。何度でも書きますが、彼らは福島が汚染されているはずだと信じたいのです。私たちは私たちの信じることを守るためなら、平気で差別でも人権侵害でもしてしまいうるのだということを、私たちはあらためて突きつけられたのです。

 「南相馬へ」は非常に書きづらい内容で、何度も書いては消してを繰り返しました。言葉にすることで見えてしまうということもあります。こんなことを書いて良いのだろうかと。それはいまだによくわかっていません。それでも、書いては消してを繰り返している中で考えを深めていく過程は、しんどいながらも楽しい時間でした。人は書かなければ考えられません。福島旅行のレポートを発表する場がなければ、ここまで考えることはなかったでしょう。あらためて場を与えてくれているPREMIERと読者に感謝いたします。ありがとうございました。



御礼の御礼 Mr.ホワイト

  • 2017.06.20 Tuesday
  • 13:46

「御礼」で最優秀作品賞を頂戴し、驚くとともにうろたえています。「御礼」はあくまで挨拶であって作品ではないという認識で、最優秀どころか1票入ることすら想像していませんでした。自分が投票する立場でも挨拶には入れにくいように思いますが、今回投票くださった皆様ひとりひとりがその種の固定観念をちょっと外れたことで「御礼」が受賞し、プリミエールの幅の広さが示されたようにも感じます。いや、それにしてもこれでいいのか、という思いもやっぱりあるのですが、まあいっかという気分に変わりつつあります。

私は口下手なので挨拶というものは昔からニガテで、さらに世間知らずでもあるので挨拶のパターンというかお決まりの口上をいつまでたっても覚えられず、昔も今も人前でしゃべらなくちゃいけないような機会があれば他人に譲るのが常ですが、そんな人間が挨拶で賞をいただけるのだからやはり文章というのは面白いものだなあと思います。

「御礼」は振り返ってみれば「葉山氏とわたし」という副題をつけられそうな文章になっていて、わたしにはわたしにとっての葉山氏がいるように皆さんにも皆さんにとっての葉山氏がいて、わたしにとっての葉山氏を語ることは皆さんにとっての葉山氏を語ることでもあったのでしょう。その意味で、あーるさんの「亡くなった方を偲ぶ方法は人それぞれだと思いますが、私もホワイトさんの作品を読むことで葉山さんを偲びました。」という評はとてもありがたいものでした。

葉山氏の文章は常にここにあって、読めばいつでも彼が語りかけてきます。時には優しく、そしてたいていは挑戦的に。こんな文章を書いていると、「もっと面白いものが書けるはずだ!」と彼に言われてしまいそうなので、ここらへんで筆をおいて次作に取り掛かろうと思います。ありがとうございました。

メメント  Mr.ホワイト

  • 2017.04.28 Friday
  • 00:00

 子供が大きくなってきて、自分の記憶の中の「私が小さかった頃」と同じ年齢になりましたが、そうなるとやはり考えざるをえないのは、私が小さい頃の記憶をぼんやりと今持っているのと同じように、彼にとっての「今このとき」はもしかしたらこの先ずっと彼が記憶として持ち続けるかもしれないということで、心のどこかで小さかった頃の私を彼に投影して、まるで小さかった頃の私が今の私を見ているような心持ちになってしまう瞬間があるような気がします。

 私が私であることに疑いをもたないのは私が私の記憶を持っているからで、私はこうして育ち、考え、生きてきましたと言えることは、自分がどこの誰かがわかること、自分自身を保つことにとってきわめて重要なことなのだろうと思います。アニメ映画の傑作『攻殻機動隊』は、脳がネットとつながる近未来において、自身の記憶をハッカーにより書き換えられ、妻子とともに幸せに暮らしている偽りの記憶を生きていた清掃員が、実際には薄汚いアパートで一人暮らしをしている現実を知って自分自身を見失うという象徴的なシーンで始まります。人は現実の中にではなくむしろ記憶の中に生きているのだと。あまりに不安定な記憶の中に。そして小説家のカズオイシグロが彼の作品でずっと書き続けているテーマは、その記憶は過去の事実では決してなく、自身によって捏造され歪められた過去の主観であるという、少しぞっとするような指摘なのです。

 うっすらと自分が小さい頃の記憶を思い起こしてみると、母がいて、兄弟がいて、父がいて、友達がいて、私は今とまったく同じように気弱でおとなしく、しかしそれらの記憶はまるで絵画のように断片的なものにすぎず、細部を思い出そうとすればするほどそこに自身の脚色が含まれていきます。それでも、私が生きているということは私がいま流れる時間を過ごしているということで、脚色されていようと歪められていようと、私は私の記憶に埋もれてそれを実感するしかありません。

 私の子供がいま過ごしている時間の記憶は彼の人生そのものになっていきます。彼が成長し大人になり年老いても、いまこのときの時間の一部は記憶の引き出しの中に絵画的に保存されることになるでしょう。たとえ歪められていたといても、その記憶が美しい絵画として保存され、そしてその絵には私と妻が笑顔で描かれていることを願うのみです。

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< September 2018 >>

カウンター

ブログパーツUL5

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM