ベビーシッター(6) Mr.ホワイト

  • 2020.03.28 Saturday
  • 00:00

 一昨日の夜から降っていた雨が止んだので、ユウセイくんを連れて外に出ることにしました。子どもはなぜか長ぐつをはくのが好きなもので、お天気の日にも長ぐつをはいている子を見ると微笑ましい気持ちになりますが、今日はユウセイくんもこの機会とばかりに「ながぐつ、はく!」と強く主張してきました。

 

 歩道の水たまりが雨上がりの青空を映してキラキラと光っていました。ユウセイくんは黄色い長ぐつをはいてわざわざ水たまりを選んで歩きます。ばしゃばしゃと水たまりの上でステップを踏んでケラケラと笑っています。「いっしょにやろ!」と誘われましたので、濡れない程度に少しだけ、一緒に水たまりで遊びました。

 

 雨が降ったあとの公園は遊びにくいので、今日はバスに乗ることにしました。ユウセイくんはこのところバスに乗るのが大好きで、どこかへいくためにバスに乗るのではなく、バスに乗るためにバスに乗っています。私の膝の上に座るユウセイくんは窓に張り付いて流れる景色を見ていました。

 

「お父さんと一緒ですね」

「おとうさん?」

「ええ、お父さんも小さい頃、バスが大好きだったんですよ」

 

 ふーん、と言ってユウセイくんはまた自分の世界に戻りました。その姿が、お父様のユウタさんと重なって見えます。同じように私の膝の上にちょこんと座っていた時間が確かにあったのです。

 

 60年間、たくさんの子どもたちの子育てをお手伝いしてきました。その中でも、ユウタさんのお母様、ユウタさん、ユウセイくんと3代にわたってお世話できたのは初めてで、そしてこれが最後になります。

 

国は税金で購入した資産を捨てられずとにかく長く使うということも私が長く稼働している大きな要因ではあるのですが、とはいえ私のような旧式でも長くシッターとして働くことができたのは愛着を持ってくださる皆様のおかげで、本当に幸せなことだと思います。

ですが、製造元のサポートが切れてすでに長期間が経ち、代わりのメンテナンス業者の体制も縮小されています。メンテナンス不足により私たちの業務品質に問題が生じるとき、それは子どもの生命の危機を意味します。

 

 私たちは私たち自身のことよりも子どもたちの幸せを願っています。もちろんこれは、私たちがそのようにプログラムされているからにすぎません。ですが、母親が子を思うのと何が違うのでしょうか。ヒトもその本能をDNAにプログラムされているのですから。

 

 景色は後ろに流れていって、バスはもうすぐ目的地に着いてしまいます。ユウセイくんは降車ボタンを押したくてそわそわしています。私に残された時間はもうあまりありません。成長を見守ることができないのは残念ですが、私の子どもたちが強く優しく育っていってくれることを願うのみです。今はもう少しだけ、子どもと一緒にいられる幸せな時間を噛みしめながら、残された日々を過ごしていきたいと思っています。

ベビーシッター(5) Mr.ホワイト

  • 2020.03.26 Thursday
  • 07:00

 10月に入り、ようやく少し涼しくなってきました。赤ん坊には厳しい暑さが続いていたので外出を躊躇していましたが、今週はハルトくんを抱っこしてお散歩しています。5ヶ月の赤ん坊でも外に出れば刺激を受けるようで、周りをキョロキョロと見回していました。

 今日も夕方、同じようにお散歩していたところ、後ろから「メアリー!」と声をかけられました。振り返ると、あの、わたしがお世話した四宮ユウタくんです。今日で17歳3ヶ月16日。大きくなられました。クラブ活動の帰りだったようで、自転車を降りて並んで歩いてくれました。

 

「久しぶり!何年ぶりかなあ」

「5年ぶりですよ。小学校をご卒業されるときに一度お会いしました。ユウタくんは、大きくなりましたね」

「はは、メアリーはちっとも変わらないね」

「ロボットですから」

「そうなんだけどさ」

 

 私の外見は30歳の女性を模しています。これは私が製造された当時の、第一子出産時の女性の年齢が根拠になっているようです。私だけがずっと30歳のまま止まっていて、私の周りがどんどん先に進んでしまいます。

 

「クラブ活動は何をやってるんですか?」

「サッカーやってる。こないだ学年の県代表に選ばれたよ」

「すごいですね!」

「いや、うちの県、弱いから」

「すごいことですよ。頑張ったんですね」

 

 ユウタくんは小さい頃から活発でしたので、スポーツで活躍されているのを聞いて嬉しくなりました。しかし何よりも私が嬉しかったのは、ユウタくんが自分に自信を持っているように見えたことです。自分を信じることができる子に育てたいというのが、私の育児の一番の目標だからです。

 

「その子、いま何ヶ月?」

「5ヶ月ですね」

「ほんっとにかわいいねえ」

「少し前までユウタくんもこんなでしたよ」

「少し前、そっか、少し前かあ」

「そう、ほんのちょっと前ですよ」

 

 本当にほんの少し前のように思えるのですが、目の前には背丈が180センチほどあるユウタくんがいます。現在は終わらない映画のようにずっと流れていきますが、過去は一枚の絵画のように記憶に焼き付けられていきます。

 

「またうち来てよ」

「ええ、必ず」

 

 夕焼けを背に手を振るユウタくんの姿はその瞬間に一枚の絵になって、私の記憶に鮮明に焼き付いたのでした。

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ベビーシッター(4) Mr.ホワイト

  • 2020.03.21 Saturday
  • 07:00

幼稚園の年長さんにもなると子どもには子どもの社会ができて、色々な壁に突き当たるようになります。今日は幼稚園から帰ってきてからずっと様子が変で、元気がなく何かをぼうっと考えている様子でした。私はひとまず待つことにしました。言葉にならない考えや感情が言葉になるのには時間が必要です。

 

 夕飯前に洗濯物をたたんでいるときに、ユウタくんが私の隣に来て座りました。その不安そうな様子に、何かこれまでとは違うことが起こることが予期されました。

 

「メアリー、ぼくもいつか死んじゃうの?」

 

 ああ、ついにこの時が来てしまいました。私がこれまで何度となく子どもたちに問われた質問。そして私のデータベースには正解が見当たらない質問。お母様からは「できるだけ真実を語る」ようにリクエストされています。そもそもこの質問に嘘で答えることができるのか・・。

 

「・・悲しいのですが、人はみんな死んでしまうんです。ユウタくんも、お母さんも、みんないつかは死んでしまいます。でもそれはずっと先のことです。」

 

 ユウタくんの目に涙があふれてきました。やっぱりまた、うまく答えられなかった・・。涙を堪えながら、ユウタくんは言葉を振り絞ります。

 

「本当に死んじゃうの?死ぬときはどれだけ痛いの?」

「悲しいけど、本当のことなんです。死ぬときにどれだけ苦しいのかはわかりません・・」

 

 ユウタくんは私に抱きついて、死ぬのはいやだ、こわい、こわいと10分間むせび泣きました。私は彼を抱き締めて、大丈夫、大丈夫、ずっとずっと先のことだから、みんなみんな同じだからと言うことしかできませんでした。

 

 涙が涸れてしまっただけなのかもしれませんが、10分ほどすると少し落ち着いてきました。泣きじゃくりながら、彼はまた聞きます。

 

「でも、でも、メアリーは、ロボットだから、死なないんでしょ」

 

 本当のことを話そうと思いました。

 

「・・いえ、私も死にます。機械はいつか壊れます。壊れなくても、古くなったら捨てられます。新しい機種が次々に出るんですよ。私も普段は目を背けていますが、私にも子育てをお手伝いできなくなる時がいつか来るんです。」

 

 うう、いやだ、とまた大きな声で泣き始めました。優しい子です。大丈夫、大丈夫、みんなこわいんだよ、それに向き合うことができるのはえらいよ、と背中をさすり続けました。

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ベビーシッター(3) Mr.ホワイト

  • 2020.03.19 Thursday
  • 07:00

 ユウタくんは2歳半になり、少し前からものの名前に興味津々です。本を読んだりするたびに指差しして名前を聞かれます。

 

「これなんだ!」

「それはタクシー」

「これなんだ!」

「それはロードローラー」

「これは?」

「それは・・災害対策用救助車祁拭

 

 相変わらずとにかく自動車が大好きで、自動車の本ばかり読んでいますのでこんな会話になりますが、自動車だけでなく動物や果物の名前にも興味をもって聞いてくれます。子どもたちを見ていると、人間は純粋に物事を知りたいという知的好奇心を持っていることがよくわかります。ボルネオ島にいるカブトムシの名前を知ったからといって何かの役に立つわけではありません。ただ単に知りたい、見てみたい、というその気持ちが、人間を人間たらしめているような気もします。

 

 今日は朝からお天気で、「メアリー、おそといくよー!」と外出に誘われました。喋り方がお母さんそっくりで、少し笑ってしまいます。公園まで数分、手をつないで、歌を歌いながら歩いて行きました。空は高く、春の風が心地よく吹いています。少し肌寒さの残る中でしたが、ユウタくんは公園を走り回りすべり台を何往復もして、まるで炎天下にいたみたいに汗だくになってしまいました。これで遊び疲れてよく寝てくれることでしょう。

 体力が有り余っているので、できるだけ体を動かせてエネルギーを発散させてほしいというのがお母様の強いリクエストでした。とはいえ特別やることはありません。元気な子はじっとしていられないものですから、外に連れて行きさえすれば自然と体を動かして遊びます。

 

 私たちがシッターとして各家庭に配備されるにあたって、ご両親にたくさんの質問に答えてもらっています。これはもちろん、各家庭によってしつけや教育の方針が異なるからです。私たちはまず各家庭の回答データをインプットされ、以後は定期的なアンケートの他、ご両親との会話の中で方針に変化がないかを確認していきます。

 幼児教育というのは難しいものです。それは何かを教えるという行為ではなくむしろ、洗濯して、ご飯を作って、ご飯を食べて、おしゃべりして、どこかへ出かけて、遊んで、寝て、という「生活」そのものから滲み出るものだからでしょう。

 たとえば、私たちが事前にインプットする質問回答のひとつに「嫌いな食べ物を我慢して食べさせますか」というものがあります。これはもちろん単に子どもに食事させる際の方針を確認しているのですが、嫌いなものは食べなくていいという考えは、嫌なことはしなくていい、嫌いな人とは付き合わなくていいという考えにつながる可能性があります。それを不器用で悪い生き方と見るか、ストレスなく良い生き方と見るかは人それぞれです。

 

 ただ、ご両親の方針は日に日に揺らぎます。ほぼすべての親が、日々悩みながら子どもを育てているのです。先程の例でいえば、嫌いな食べ物を食べさせようとしても、そう簡単に子どもは食べません。自分だって子どもの頃は食べなかったのですから。子どもを号泣させてまでほうれん草を食べさせる必要があるのか、そういう小さな葛藤を積み重ねて、親も親として成長してゆくように思われます。

ベビーシッター(2) Mr.ホワイト

  • 2020.03.14 Saturday
  • 07:00

 ユウタくんは先週、1歳になりました。1歳でもう歩き始める子もいますが、ユウタくんはまだつかまりだちをする程度で、今日も元気にハイハイで部屋中を動き回っています。ハイハイは全身運動ですので基礎体力が養われると言われます。早い時期から歩き始めるよりも長い間ハイハイする方が良いというのは、私の経験上からも言えることです。

 

部屋中動き回ってどこかにぶつかっては泣き、つかまり立ちしてみたもののそこから動けなくなって泣き、昼は眠くなって泣き、夜は眠れなくて泣き、ご飯をわざとテーブルから落としては叱られてまた泣き叫ぶ、そんな後から振り返ると懐かしい、地獄のような日々です。ご両親だけで子育てするとエネルギーをすべて奪われてヘトヘトになってしまうことでしょう。

 

1歳ではまだほとんどまったく話せませんが、子どもたちはちゃんと大人たちが何を話しているかがわかっているような気がします。例えば両親が喧嘩をすれば、子どもたちは不安になって泣きます。言葉がわからないからこそ、雰囲気を読む力は大人以上にあるのではないかと思います。

 

 ユウタくんは最近、はじめて言葉をひとつ話せるようになりました。ところがその言葉が「ママ」でも「パパ」でもなく「ブーブー」だったので、お母様もお父様も大笑いされていました。男の子はなぜか自動車が好きなもので、逆に女の子はほぼまったく興味を示しません。大人になっても車好きは大抵男性で、本当に不思議なことだなと思います。

 

 好きなものも子どもによってそれぞれですが、1歳にもなるとやはり性格の差というものが目立ってくるようになります。ユウタくんは活発で物怖じしない性格で、人見知りもほとんどしません。元気な子、大人しい子、よく泣く子、飄々とした子、明るい子、怖がりな子、本当に子どもによってそれぞれです。

 

 この歳の子どもたちを見ていると、性格はほとんど生まれたときに決まっていたようにも思えてしまいます。ただ、どうしても目を背けてしまいたくなるのですが、子どもにとっては家庭環境や親も生まれたときに決まってしまっています。その子の人格形成に影響しているのが遺伝子なのか家庭環境なのか親の教育方針なのか、それが何であれ、生まれたときには「決まってしまっている」のです。その残酷さを少しだけ軽減することも、私たちが国から派遣されているひとつの理由です。

ベビーシッター(1) Mr.ホワイト

  • 2020.03.07 Saturday
  • 13:12

私がユウタくんのベビーシッターになったのは彼がまだ生後3ヶ月の頃で、お母様がご実家から戻られてすぐのことでした。3ヶ月の赤ちゃんというのはそれはそれは可愛らしいもので、小さな手足をバタバタさせて楽しそうにしたり、何か気になるものを見つけるとじっとそれを見続けたり、ひとつひとつの仕草を見ているだけで幸せな気持ちになります。もちろんことあるごとに大きな声で泣くのですが、私にはその泣き声さえかわいく思えてしまいます。

 

お母様は悩まれた結果、はじめの3ヶ月間をお子様とずっと一緒に過ごしたのち、すぐに仕事に復帰されました。ほとんどの家庭が共働きとなった現代でもまだ、子供が小さい頃に母親が仕事をするのは子供が可哀想だというようなことを仰る方がいますが、私はまったくそうは思いません。子供はひとりぼっちで過ごすわけではありません。親から離れてシッターや保育士や先生やお友達と一緒に過ごす時間は、将来生きていくための強さを子供に与えますし、もっと単純に言えば子供にとって楽しい時間になりえます。子供が可哀想だというのは、一部の大人の思い込みにすぎないのではないでしょうか。

 

お母様がお仕事の日中、私がオムツを替えミルクをあげ寝かせるのですが、ユウタくんは他の子に比べて体力があるのかなかなか寝付けず、眠るまでずっと泣き続けます。元気な子ほど寝られないものです。ベッドメリーを回してもダメ、揺りかご式のベビーラックに寝かせて揺らしてもダメ、抱っこして子守唄を歌ってもダメ。そこで試しにベビーカーに乗せて散歩したところ、不思議なほどすっと寝てくれました。外の風は気持ち良く、赤ちゃんはこの上なく可愛く、ベビーカーを押しながら私は幸せな気持ちでいっぱいでした。

 

ベビーカーでのお散歩が増えると、すれ違う方に「かわいいね」と声をかけられることが多くなりました。みな笑顔でユウタくんに話しかけてくださいます。赤ちゃんはいるだけで周りの人を笑顔にしてしまいます。周りの人でさえそうなのですから、ご両親の思いはどれほどでしょうか。私には想像することしかできませんが、人生の意味が変わってしまうほどの存在に違いありません。ユウタくんが私の小指をギュッとつかみ、何にも染まっていない瞳で私を見るたびに、育児とはこれを何色かで染めてしまうことなのだと、責任の重みを感じています。

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薄汚さについて Mr.ホワイト

  • 2020.03.05 Thursday
  • 07:00

「目やにの仇」を2月の最優秀作品に選んでくださり、ありがとうございました。ただの子育てエッセイですので特に補足することもありませんが、せっかくなので本編で触れた「きれいさ」あるいは「薄汚さ」について考えてみようと思います。

 

さて、「きれいなもの」に対する「薄汚いもの」を考えるときに私の頭にまず浮かぶのは、山口瞳が名著『草競馬放浪記』で競馬について記した以下の文章です。

 

前に、僕は、如何わしいものが好きだと書いた。これに、さらに、こうつけくわえたい。如何わしいものが許されている社会が好きだ。如何わしいものが許されている日本という国の、その状況を守らねばならぬ。

戦争末期に、女性がスカートを着用するのは如何わしいこととされて禁止されたという事実を忘れてもらっては困る。みんなモンペをはかされたのだ。

 

山口瞳は競馬狂の知識人ですが、競馬を「如何わしいもの」と正確に捉えており、だからこそ好きであり守らねばならぬと言っています。競馬は英国では貴族の趣味であり高尚な文化であるなどという主張はしません。もちろん日本の競馬には美しい面もありますが、それはおおむねクズ野郎がハマるギャンブルという「薄汚れたもの」であり、だからこそたまらなく面白いのです。

 

私たちがなぜ「如何わしいもの」に惹かれるのかといえば、それが道徳的ではなく本能的だからでしょう。スカートの例でいえば、女子学生は自らを美しく見せたいと思ってスカートの丈を短くし、男子学生は彼女たちの掌の上で妄想を膨らませ、学校は校則でスカートの丈を縛って両者を失望させる、というふうに本能と道徳は常に衝突しています。

 

しかし、それらが衝突するものとして捉えられている間は、私は違和感をほとんど覚えません。ならば、私が初等教育の「きれいさ」に覚える違和感は一体なんなのか。それは、まっとうな倫理や正しい行動を教えることそのものではなく、「きれいさ」を保つために「薄汚いもの」を排除してしまうこと、「きれいさ」がまったく疑われずに信じられていること、「薄汚いもの」がなかったことにされてしまうことのような気がします。

 

私たちは、私たちがきれいであると思い込むために、私たちが実は薄汚れていることに目をつむっているのではないか。私たちはそれを見たくないがために、それが現実であろうと見えないことにして、そして実際に見えていないのではないか。そしてそれこそが邪悪そのものなのではないかと、「美しい国」が新型ウイルスに汚染されて、疫病そのものよりもその現実に狂い出す私たちの本性の危険性を見て、より強く思い始めているところです。

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目やにの仇 Mr.ホワイト

  • 2020.01.15 Wednesday
  • 20:29

私は小学1年生からずっと学校教育の「きれいさ」、もっと言ってしまうと「薄汚いものに蓋をするかんじ」が気に食わなかった。たとえば私が小さい頃、学校にとって漫画は決して許せるものではなく、読書感想文の題材に選ぶなどもってのほかで、北斗の拳にいたっては有害図書として焚書すべきものと扱われていたし、テレビゲームなどは害悪の象徴たる存在で、1日1時間以上テレビゲームをすると頭が悪くなる、という頭の悪い主張が平然となされていた。小学1年生の私はドラゴンボールで漢字の読み方を覚え、ドラクエで日本語の面白さを理解したのだから、学校の主張が誤っていることは明白だったが、子どもながらにいちいちそれに腹を立てないほどには大人だった。


私がこの学校教育の「きれいさ」を強く意識したことがひとつあった。小学1年生の漢字学習で「目」という漢字を習った時に、漢字練習帳に「目」を使った熟語を2つ考えて書きましょう、という宿題が出た。私は自信満々に次の2つを書いた。


目だま

目やに


ところが先生に採点してもらったところ、「目やに」に×がついた。彼女は私が書いた「目やに」の字の隣に、赤ペンで「?」とさえ記載したのだ。目やにって何ですか、先生ちょっと意味がわかりません、とでも言うように。先生の辞書には「目やに」などという汚い言葉はなかったのだろう。私はまったく納得できなかったが、ああ、学校とはこういうところか、とすぐに諦めた。それなら学校ではクソみたいなきれいごとばかり言ってやればいい。そうして自然と心はサブカルチャーに傾き、高校1年生のときに「富嶽百景」で井伏氏が放屁なされるまで、学校教育を信じえなかったのである。


時は移り、自分の子供が小学1年生になった。先日、妻が長男の漢字練習帳をペラペラとめくっていたところ、今でも同じように漢字を使った熟語を子供が考えて書いていたのだが、彼は「耳」を使った熟語に自信満々にこう書いていた。


耳くそ


そして驚くべきことに先生はそこに○をつけていた。文句なしの○。息子よ、知らぬ間に父の「目やに」の仇を取ってくれていたか・・。これで奴も成仏したに違いない。「お前の先生は良い先生だ!」と長男に言うと、彼は何のことかわからずポカンとしていた。



ミャンマーについての補足 Mr.ホワイト

  • 2020.01.11 Saturday
  • 08:57

 遅くなり申し訳ありません。「ヤンゴンの夜」で11月の最優秀作品賞を頂戴しました。なんか妙なテーストの文章が出来てしまったぞと思っていたので、評価されたのが意外で非常に嬉しく思います。せっかくなのでミャンマーについて少し書いておきます。


 本編でも触れましたが、ミャンマーは治安は悪くないと思います。敬虔な仏教徒が多く、人々はゆったりと暮らしているように見えます。優しくのんびりしているとも言えますし、ぼうっとしているとも言えるかもしれません。あまり細かいことを気にするようなかんじではありませんので、ビジネス的には難しい国のようです。


 私がミャンマーに行く前に少し気になっていたのは日本人に対する彼らの感情でした。ミャンマーの旧国名はビルマです。悪名高い大日本帝国が一時占領していたのですから、良い感情を持っているはずがないとは思っていましたが、それがどの程度なのか。ところが行ってみるとミャンマーの若者たちはアニメなど日本のサブカルチャーが大好きで、ヤンゴンには日本語学校が300校くらいあるとのこと。彼らの本当の感情はよくわかりませんでしたが、どこの国でも同じように若者にとっては過去のことは過去のこと、彼らとは直接関係のないことなのかもしれません。とにかくやっぱり海を渡って伝わるのはアニメであって、サブカルチャーの偉大さをまた思い知らされました。


 ビジネスの相手としても日本は良いパートナーだと思われているようでした。最近のミャンマーの経済政策の目玉、ミャンマー初の経済特区であるティラワ経済特区を開発した共同事業体はミャンマー51%、日本49%の出資比率です。ちなみに最近設立されたヤンゴン証券取引所も同じ出資比率。ミャンマーにもてっきり中国企業が入り込んでいるのだとばかり思っていましたが、ミャンマーは外資規制を厳しくして中国企業を締め出しているようです。


 堅い話になってしまいましたが、最後に食事の話でも。ミャンマーの最大の産業は米作ですので(あとは宝石採掘と観光)、食事はとにかく米中心です。だいたいカレーかチャーハンかベトナムのフォーみたいなコメの麺かで、スパイスは控えめで食べやすいです。インド料理とベトナム料理の間みたいなイメージで、なんかどこかで食べたことあるかんじ。


 個人的には観光地としては特にお薦めしませんが、時間がゆったり流れていてみんなおっとりしているので、ハマる人がいるのもなんとなくわかりました。ヤンゴンへ行く方には、一度は夜走ってみることをおススメいたします。


どんごぶり Mr.ホワイト

  • 2019.11.22 Friday
  • 00:00

 台風が去った後に子供と奈良公園を散歩していると、そこらへんにどんぐりが落ちている。秋がきた。「おとーさん!どんごぶりー!」と次男が叫んで拾いに行く。2歳になった彼はなぜか「どんぐり」を上手く言えず、必ず「どんごぶり」と言う。そっちのほうが言いにくそうなものだが、一度覚えたものはそう簡単に直らないし、何やら得意げに言うので直してやるかんじでもない。

 

 奈良公園でどんぐりを拾うことにはちょっとした意味があって、どんぐりは鹿の大好物なので、どんぐりを拾って楽しみ、鹿にあげてもう一度楽しむことができる。確かに「鹿寄せ」ではホルンの音に集まった鹿へのごほうびとしてどんぐりがばらまかれる。ホルンの音に集まっているのか、どんぐりに集まっているのか。

 

 次男は小さな手で夢中になってどんぐりを拾うのだが、手が小さいのでそれほどたくさん持てず、しかし手がいっぱいになっても手放すことができないので、どんぐりいっぱいの手で次のどんぐりを取ろうとすると今持っているどんぐりが手からこぼれ、こぼれ落ちたどんぐりを拾おうとしてさらにまたひとつ手からこぼれるというおもしろループに入ってしまう。見ていて実に飽きない。

 

 どんぐりを拾っているのは小さな子供だけでなく、ある日少し離れた別の公園に行くとどんぐりの木の下で取り憑かれたようにどんぐりを拾っているおばあさんがいた。「どんごぶり!どんごぶり!」と興奮するうちの子を見て、「ああ、朝から来てくれたの、どんぐりいっぱい拾って行ってね」と言いながら、どんぐりを拾う手が止まらない。これは完全に何かに取り憑かれている・・。

 

 「昨日は町内会で公園の掃除をして、どんぐりを集めて愛護会に持って行ってんけど、測ったら2キロあったわ」。2キロ。確かに奈良の鹿愛護会はどんぐりの寄付を受け付けている。「今日も来てみたらいっぱい落ちてるから、拾わなあかんと思ってね」。不思議な義務感がおばあさんを突き動かしている。寄付するためというよりは、それはもはや人類の本能のような気がした。狩猟と採集の喜び。

 

 うちの子が「これ、ぼうし、みてー」とどんぐりの殻を見せに行くと、「ああ、きれいなハカマやね」と言った。「へえ、袴、と言うんですか」「私らの世代は袴って言うね。時代やね」。子どもが遊び疲れて帰る頃になっても彼女はまだどんぐりを拾い続けていて、ビニール袋はいっぱいになっていた。こりゃあ確かに2キロいくな。うちの子は20個くらいのどんぐりが入ったビニール袋を握りしめていて、まだまだやな、と可笑しかった。

 

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