優等生の気持ち   ハッタリスト

  • 2017.04.15 Saturday
  • 23:56

新聞記者との対話(上) Mr.ホワイト
新聞記者との対話(下) Mr.ホワイト
を読んだら高校生の頃のことを思い出したので少し。

 

マンガなんかを見ていると、
「周囲からの大きすぎる期待に人知れずストレスを抱えている優等生」とか、
「人並以上に努力しているのに『お前はテストで簡単にいい点とれるからいいよな』などと言われて腹を立てる優等生」とか、
そういう登場人物が時々いるような気がします。
別にそれがウソだと言うつもりは全然ないですが、僕とは違うなあ、と感じていました。

 

僕は成績優秀でしたが、何の悩みもなかったです。
人並以上に勉強はしていたかもしれませんが、仮にあまり勉強していなかったとしても成績はさほど変わらなかったろうと思います。
ただ、級友たちとは基準が違うとは思っていました。

 

奨励会員(将棋のプロの候補生)は間違いなく将棋が強いですが、彼らにとって「学校で一番将棋が強い」というのは何の誉め言葉にもなりません。
たぶん奨励会員にとって将棋が強いとは「プロになれるくらい強い」という意味であり、それ以外は一人残らず弱いのではないでしょうか。

 

それと同様で、級友と比べて僕の成績が優秀なのは当然であり、天才であることが前提だと思っていました。
それは天才でなければ行くことができない場所を目指していたからであり、そうでない可能性は考えてはならないことでもありました。

 

勉強がイヤなら大学になんて行くなと思っていましたが、そう考えるのは傲慢だとも思っていました。
その代わりというわけではないですが、級友から勉強の質問をされたときには懇切丁寧に教えていました。
利用できるものは利用するべきだし、同じクラスに僕みたいな人間がいるのならば最大限利用するべきでしょう。

 

高校三年間で一番居心地が良かったのは、センター試験の直前です。
誰に言われるともなくみんな勉強していたので。
僕はいつも通りでした。

 

これが僕の本音の、ポジティブな側の半分だと思います。
そういう傲慢な高校生がその後どうなったのかは、また別の話です。

 

今の僕は天才である必要はもうないのですが、ぼちぼち天才やってます。

 

抱負とか   ハッタリスト

  • 2017.01.08 Sunday
  • 19:31

今年の抱負は、次の問いを整理して回答可能な形に定義しなおすことです。

 

「ある人にとってのある対象と客観的なそれとは異なることがあるが、前者はどのように生じてどのように変化するのか、前者と後者の関係は何か、など」

 

対象はなんでもいいですが、例として阪神タイガース(以下「阪神」)を考えましょう。
ある熱心な阪神ファンがいたとして、彼はある日突然「今の阪神は俺の知っている阪神ではなくなってしまった」とか言い始めてファンを辞めてしまった、とします。

 

このとき、彼が言うところの阪神とはいわゆる阪神ではなくて、「俺が阪神だと思うものが阪神だ」と言えるのではないでしょうか。
これは同義反復ではなく、本質的に正しいような気がしています。

 

では「俺が阪神だと思うもの」とは何ぞやということですが、最初は客観的な阪神への認識を元に形作られたそれが、いつしか独立な概念として強固な地位を占めるようになり、ついには現実の阪神や阪神と自分との関係の変化を拒絶するに至る。
そういった概念を何と呼ぶべきか。

 

「イデア」と呼ぶこともできるかもしれませんが、それは普遍性に関わる文脈で使われる言葉であると僕は解釈しているので、求めるものとは違うように思います。
ここではもっと個人的なイメージを表す概念が適当なはず。

 

そういう言葉や考え方は探せば既に存在するのではないかと思うので、まずはそれを見つけること。
それができれば半分以上解決するかもしれませんが、その後に改めて僕にとっての問題を整理することが必要です。

 

上では阪神を例にしましたが、例えば対象が人なら「そんなのあなたらしくない」のようなよくある謎のセリフとか、初めて印象派を見た人なら「こんなの絵画じゃない」とか。
よくある現象なのは間違いないと思います。

 

僕はここ3年くらいこのことを考えているので、そろそろ何がしかの前進をしたいところ。
よって冒頭の抱負とします。

 

今年もよろしくお願いします。

 

【テーマ】科学と魔法とその他   ハッタリスト

  • 2016.12.31 Saturday
  • 00:00
皆さん、メリークリスマス。
今日は科学と魔法とその他の話をします。

魔法は実在するのかと問う場合、問題になるのはほとんど定義のみと思います。
呪文を唱えて杖を振るとその先端から炎が出ることを狭義の魔法とするならば、これが再現性のある現象として観測されるまでは狭義の魔法が科学の対象となることはないでしょう。(再現性が科学にとって必要条件であるかどうかは別問題ですが)

そこで広義の魔法として、エネルギーが保存しない現象、について考えてみます。これは近代物理学とは相容れない概念です。
そんなものあるのかという感じですが、これがそこそこ真面目に議論されたことはあります。

中性子がベータ崩壊すると陽子、電子、ニュートリノになるというのが現代的な解釈ですが、かつてはニュートリノなる概念が存在しなかったため、その分のエネルギーが失われているように見えていました。
それが謎だったため、ミクロではエネルギーが保存しないことがあるのではないか、などという突飛な主張がされることもあったそうです。
魔法に頼らざるを得ないほど科学者は困っていた、とも言えます。

ちなみに、近代物理学の祖であるニュートンは万有引力を提唱しましたが、これは当時オカルト的な魔法のようなものと見なされたと聞きます。
一方、現代では万有引力の理論は一般相対性理論に取って代わられています。
それでも万有引力は実在すると言えるでしょうか。それともやっぱり魔法のようなものに過ぎないのでしょうか。

繰り返しになりますが、魔法は実在するのかと問う場合、問題になるのはほとんど定義のみと思います。
そもそも科学的方法とはただの手続きであり、科学とはその手続きによって得られた知見の集合です。
何かが実在するか否かを判別する方法として、科学はあまり適していないと僕は思っています。


ついでにもうひとつ、サンタクロースは実在するか否か、について。

商店街でティッシュを配っているのを見たので、実在すると思いますよ。
そんなものは本物のサンタクロースじゃないって?
それは定義の問題ですねえ…

寄付2   ハッタリスト

  • 2016.10.01 Saturday
  • 21:00

前回、寄付のことを書きました。
寄付する対象として
「子供の未来応援基金」
を挙げましたが、なぜそこなのかということは全く書きませんでした。
そういうことは自分で調べるほうが良かろうと思ったのですが、気が変わったので少しだけ。

 

世の中いろいろありますが、これはアカンという出来事がしばしばあります。
0歳児が虐待により死亡するなどという事件はそれだと思います。
加害者を責めれば解決するというのであればいくらでもそうするでしょうが、
むかんしん〜ネグレクトの心理〜(1) Mr.イエロー
むかんしん〜ネグレクトの心理〜(2) Mr.イエロー
を読んでいると、そんなことはなさそうです。

 

想像が難しいのですが、そのような状況において家族、友人、知人、他人、などなどの助けが不足しているというだけでなく、不足していること自体の認識がなく、助けを求められるだけの言葉もない、そういうことが起こっているのではなかろうかという気がします。

 

こちらからあちらが想像できないのと同様に、あちらからも「不足のない状態」が想像できていないのでは。
彼ら彼女らがそのような人間となるに至った過程はどのようなものだったのか。
世に生まれてきた時から、何を見て聞いて誰とどのように接してどうやって生きてきたのか。

 

いわゆる格差社会において、格差があるのは所得に限らず、人とのつながり、知識、文化、教育、言葉にこそ格差があるのではなかろうかと思います。

「生活保護をちょっとだけ学ぶ人のために」〜終わりに〜 Mr.スカーレット
にあったように、「普通の家庭に生まれ、普通の高校・大学を出た人間が生きていく上で、絶対に出会わない」人々がいるわけです。
お互いに出会わずに暮らすことができる、それが格差だと思うのです。

 

であるならば、必要なことは何か?寄付か?
そうではないでしょう。

 

たぶん必要なのは、格差のあちらとこちらを少しずつかき混ぜるためのコミュニケーションです。
それでみんなが幸せになるとは限らないですし、むしろ面倒くさいことばかりでしょう。
それでも、アカンことに対して仕方がないと言いたくなければ、するべきことはそれしかないのではないかと。

 

で、僕はと言えば、特に何もしていないです。面倒くさいので。

 

何かしらのコミュニケーションをどこかの誰かに肩代わりさせるための代金が、僕の出している寄付金5000円也だと考えています。
これでは1人×1日分の活動資金にもなりません。

 

しかし、小なりとはいえ僕の偽善力は5000だとも思っています。
だから偽善力ゼロのザコに何を言われても平気なのです。

 

そんなふうに、みんなが偽善力を競い合うようにならないかなあと考えていたりもします。

 

【テーマ】消費税VS理系魂   ハッタリスト

  • 2016.04.30 Saturday
  • 23:50

魂ってなんやねんと思いつつ検索してみると、
2010.12.11 誕生日週間問題VS理系魂
2012.05.26 ハッタリストVS暗算
魂という言葉を使ったことがなんと2回もありました。
両方とも「理系魂」で、両方とも闘っています。

そういうわけで今日も闘います。
敵は消費税です。なぜか?
消費税が10%になると困ることがあるからです。

計算が、簡単すぎて、つまらない

我々は10進数を使っているので、10の約数である5や10は相性が良く、計算が簡単になります。
今どきは「税抜き表示のみ」はそんなに見かけないので、考えるべき問題はこんな感じでしょうか。


税込み141円の商品がある。
税抜きの価格は何円か?

消費税8%の場合、考え方は例えばこう。
税抜き価格12.5円ごとに消費税が1円増えるので、おおよそは
 100円→108円
 113円→122円
 125円→135円
 131円→141円
のようになります。
小数点以下を切り捨てるか切り上げるかは小売店の自由なので、
 切り捨てなら税抜き131円
 切り上げなら税抜き130円
が正解です。
実際は、切り捨ての店のほうがかなり多いと感じます。
初めて切り上げの店を発見したときは、かなり驚きました。

ところが、これが消費税10%になると、こう。
141円?じゃあ、
 切り捨てなら税抜き129円
 切り上げなら税抜き128円
ってところ?
予想が楽にできるので、まともに計算するより適当に見当をつけて逆算するほうが簡単なのです。
つまらん、これはつまらん。

だいたい買い物のときに考えていることと言えば、目についた商品の税抜き価格か、買い物かごの中身の合計金額くらいです。
消費税10%でキリが良くなったら、税抜き価格の計算だけでなく、合計金額の計算も簡単になってしまうのではないでしょうか?
理系魂が錆びます。

これらの問題に関する限り、10%よりも12%の方が面白いのは明らかです。
家計の負担が重くなる?
そんなことは文系にでも心配させておけばよろしい。

4月のテーマは「魂」   ハッタリスト

  • 2016.03.30 Wednesday
  • 00:22
2月度投票の回答の中から来月のテーマの候補を見てみましたところ、「魂」だけあんまり何も連想しませんでした。
という理由でもって、4月のテーマは「魂」とします。
さて何を書いたものか。

他に「人工知能」という候補もありました。
僕は最近そういうこともやっているので、そのうち個人的に書こうかと思います。
少しだけ雑に触れるなら、定義のはっきりしている「機械学習」と比べて「人工知能」は何のことなのかいまいち分からないので、「機械学習=人工知能」と考えるのはかなりの飛躍であると感じます。
仮にそれを認めるとするとただの丸暗記も人工知能に含まれることになり、知能ってその程度でいいんですかと。

ついでに先月の「ががばば」について。
「ががばば」は意味不明の単語なので、それに意味を与えるのではなくて意味不明のまま扱い、かつ、意味不明であることに文脈としての意味があることを求めたところ、昔ながらの数学には定義が不要であるにもかかわらず定義されている概念があるということの説明にピッタリであると考えました。
「ががばば」じゃなくても書けるというのは正しいですが、しかし意味のある単語であっては書けないので、まさにテーマとしてふさわしいと思います。

最後にもう一度、4月のテーマは「魂」です。

なお、3月のテーマは「ふつう」です。
まだ間に合う、急げ!

【テーマ】一般と特殊について   ハッタリスト

  • 2016.03.30 Wednesday
  • 00:16
今月のテーマは「ふつう」です。
そこで今回は、数学の用語?である「一般」と「特殊」の話をします。

早速ですが、以下のAとB、どちらが正しいかお分かりでしょうか。

A.実係数2次方程式の解は一般に実数であるが、特殊な場合には虚数となる
B.実係数2次方程式の解は一般に複素数であるが、特殊な場合には実数となる

ちょっと分かりにくいかもしれないので、もうひとつ。

A.バナナは一般においしいが、特殊な場合にはまずい
B.バナナは一般においしいともまずいとも限らないが、特殊な場合にはおいしい

正解は、どちらもBです。
「ふつうはバナナっておいしいやん」という主張はありそうですし、それが間違いであるとも言えないのですが、それは「ふつう」が何を意味するのか分からないから否定できないというだけです。

数学などで使われる言葉づかいとしての「一般」は「常に」という意味です。ひとつでも例外があれば「一般に」とは言えません。
対して「特殊」は「一般ではない」、つまり、「常にではないけれどそういうこともある」という意味になります。数が多いとか少ないとか、そのような意味は含まれません。

こういった言葉づかいのことは学校の授業ではなぜか教えてくれませんが、重要な概念のひとつであると思います。
知っている人は教わらなくても知っていますが、知らない人はずっと知らないままなのではないかと思って、今回の内容を書きました。


ここから先はただの個人的な感想ですが、たまたま自分が遭遇した場合がそうであったということを指して「ふつう」と呼ぶのはイマイチだな、という気がします。
「数というものは、ふつうは実数で特殊な例外として虚数がある」という認識はあまり良くないです。

ふつうは交通事故を起こさないとか、ふつうは病気にならないとか、そんなことを言ってもあまり意味はありません。
事故に遭うのが特殊な場合であるのと同様に、事故に遭わないこともやはり特殊な場合です。

要するに、それが「ふつう」だと思い込んでいるのは自分だけじゃないのかという疑問を常に持つべき、という常識的な感想でした。

【テーマ】代数幾何学におけるががばば   ハッタリスト

  • 2016.02.29 Monday
  • 23:10
今月のテーマは「ががばば」ですので、早速ひとつ問題を出しましょう。

問.
1辺が4cmの正方形ABCDの頂点Aにががばばがある。
ががばばがAを出発してABCDの周上を毎秒1cmの速さで移動するとき、Aとががばばの距離が5cmとなるのは何秒後か。

ががばばって何やねんとか言う前に、まずは解いてみましょう。
言葉足らずなところは適当に補うとして、7秒後と9秒後、くらいが素直な答えでしょうか。
つまり、ががばばが何であれこの問題は解けるわけです。

よくある問題だと移動するのは点Pであったりしますが、点Pって何やねんという疑問も時々聞かれることのような気がします。
ただ、これは冗談ではなくて本質的に謎なところでもあるのです。

「点」を定義しようとすると、
 ・空間上の座標を持っている
 ・空間的な広がりがない
を満たすような何者か、といったところでしょうか。もし図を描けと言われたら黒い丸で表すのがよくある方法でしょう。
が、しかし、座標はともかく、広がりがどうとかいうのは実はあまり意味のあることを言っていません。

ががばばを描けと言われたらその時に初めてががばばって何やねんということが問題になるのであって、同様に「点」も図を描くのでなければ定義の必要すらない概念です。
数学は定義をきちんとしていくに連れて現実との対応が希薄になり抽象的になっていくことが多く、それが難しさの一因となっているように思います。

ちなみに、素粒子物理学において電子は「点」と見なされています。これは空間的な広がりがない、という意味です。
そういうことにしておけばちゃんと計算できるのでまあ良いのですが、でも内心では「点」って何やねんと思っている研究者は結構います。
分野を問わず、わからないままでも解けてしまう問題はたくさんあると思ったほうがいいのかもしれません。

それはそうと、ががばばって何やねんという話に戻りますが、どうやらががばばはぐもらごももの親戚らしいですよ。
ぐもらごももって何やねんですか?それはちょっと僕には…。
 

物理学的コミュニケーション   ハッタリスト

  • 2016.01.31 Sunday
  • 22:10
殴り合いの話ではないです。
今日の主張をまとめると、

1.「コミュニケーション」の成立を期待することは、物理学的にはほとんど不可能である
2.それでも「コミュニケーション」を期待するなら、信じて祈ることが必要である

となります。


広い意味では見知らぬ他人と無言ですれ違うだけでもコミュニケーションに含まれると思いますが、ここではおおよそ「おはよう」と言ったら「おはよう」と返事される、くらいのことであるとしておきます。

そのような現象を物理学的に解釈するならば、
・「おはよう」のような声を発する
・音波が相手の耳に伝わる
・耳から脳へ信号が伝わる(?)
・脳で何か処理される(??)
・脳から声帯へ信号が発せられる(?)
・「おはよう」のような声が返ってくる
といったところでしょうか。意味不明です。

特に相手の脳内?で起こっていることは、
「相手は自分を何だと認識しているか」
「おはようじゃなくてオハイオだったのではないか」
「そもそも日本語を知っているのか」
「ぼんやりしていたんじゃないのか」
「返事をする気があるのか」
などなどの前提を必要としますが、とてもではないですが現代の物理学で記述できる内容ではありません。こんなもんは物理じゃないです。

物理学的に解釈するならば、いわゆるコミュニケーションとは、加速器の中で起こる1兆分の1の確率的現象のような、宇宙に放りだした人工衛星が太陽系の彼方の小惑星に着陸するような、風が吹けば桶屋がもうかるような、そのような奇跡であろうと思います。

であるならば、いわゆるコミュニケーションを望む人がするべきこととは、自分達の理論が正しいことを信じて実験の成功を祈る物理学者のように、コミュニケーションを信じて祈ることしかないのではないかと。
一方で「おはよう」と言われる側の立場とは、相手の祈りを叶えるも叶えないも自分次第であるような、神にも等しい役割かもしれません。
人事を尽くして天命を待つという言葉がありますが、いわゆるコミュニケーションに関して人事としてできることの割合はとても小さいのではないかという気がします。


などなどということを、ここ数年考えるようになりました。
本当は物理のことなんてあまり関係ないですが、僕はそこから出発するのが考えやすいので。
 

コンピュータ将棋いろいろ(3)   ハッタリスト

  • 2015.12.30 Wednesday
  • 00:00

(3)コンピュータ将棋はなぜ強いか

コンピュータ将棋はなぜ強いのかという問いですが、これはコンピュータ囲碁はなぜ弱いのかという問いでもあります。

答えは、将棋には王将があるけれど、囲碁にはないからです。
当たり前のような気もしますが、僕はけっこう長い間このことに気がついていませんでした。

囲碁の方がルール上可能な選択肢の数が多いという説明も時々ありますが、その条件は人間にとっても同じです。
差があるのは、局面を判断して選択肢の中から無意味な手とそうでない手とを見分ける能力です。
その能力はコンピュータにとって、そしておそらく人間にとっても、囲碁の方が将棋よりも身に付けにくいものなのではないかと思います。

ルールをよく知らない初心者に将棋を見せたとして、相手の王将を手に入れれば勝ちであるという最低限の知識さえあれば、自分の王将の周りに自分の駒があるのは安心なことであり、相手の王将の周りに自分の駒があることはチャンスであるということは容易に想像できるのではないかと思います。
一方、囲碁の初心者にとっての囲碁はそう簡単ではありません。
たくさん囲えば勝ちというルールは将棋よりもむしろ単純ですが、初心者が囲碁の盤面を見てもどこが囲われているのかさえよく分からないのではないでしょうか。

将棋には中心があるわけです。両者の王将がそれです。
一番大事なものがはっきりしているので、将棋ソフトにとってもどの選択肢が重要かが分かりやすくなるはずです。
将棋の終盤では双方の持ち駒が増えていくに従って選択肢も増えていきますが、そのような局面においてコンピュータがむしろ強くなるのは、王将が直接関わる局面では形勢の優劣が判断しやすくなるからです。

あるプロ棋士がコンピュータ将棋を評して曰く、
「終盤は最強ですけど、その手前が粘りを欠くところがありますからね」
http://news.nicovideo.jp/watch/nw1499999
だそうです。
終盤の手前とは、王将が読みの射程圏内にギリギリ入る辺りです。
王将が見えた途端に読みがそちらへ偏ってしまうため、また、十分な深さで読めるほど王将が近くもないために、そのような感想となるのではないかと思います。

王将のない囲碁には中心がなく、意味のある手がどれなのかが分かりにくいのではないでしょうか。
有力な選択肢を絞り込むことはそれほど重要であり、かつ、高度な能力でもあります。


次回は、多くの将棋ソフト開発に用いられる技術として、機械学習について書きます。

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